なんとか1つずつ申し送りを処理。夜中の11時半になってしまった。
奥で休憩していると、深夜帯のナースが2人やってきた。

「わんばんこ先生」また高齢オークだ。
「だる。オレのマネすんなよ?」
「ん?お菓子のにおいがする」
「うわ。よく分かったな」
「わての分は?」
「あんたの分?ないよ。みんなで食べた」
「ブヒブヒ。あとで何を買ってくれるのかな?」
「買わん買わん!わしはもう帰る!」

ここに長居すると、いろいろ延々と頼まれるだけだ。
帰るのが得策だ。

「じゃ」
「ああ!」そういって入ってきたのは白衣の・・・当直のドクターだ。まだ若い精神科の先生だ。
「ああ、ご苦労さんです。よろしくお願いし・・」
「ああ!帰る?帰るんですか?」若い坊ちゃん先生は、泣きそうな顔で前にふさがった。

「え、ええ。帰ります。明日もあるんで・・」
「いやあ、よかったよかった!申し送りとかまでいろいろ聞いてくださって!」
「いや。さっきつかまったもので」
「いやあ、僕は運がいいなあ」
「はは・・・では」

彼を後ろにし、廊下へと出かかった。

ガラスごしに、先程のばあさんの病室をのぞく。
「ばあさん、まだ起きてるのか?」
「コール鳴りっ放しで」中年ナースは書き物をしている。深夜帯への申し送りか。
「なんか・・・叫んでないか?」

口を開けて、大声で叫んでそうな表情だ。

「でもコール、ないですよ」ナースは僕を見上げた。
精神科ドクターも覗き込んだ。
「なんでしたら、不穏の指示などを出しましょうか?」

僕とナースは、その場一瞬固まった。

「おいやべえ!」僕はダン、と駆け出し重症部屋に突入した。
「え?なに?」精神科医もついてきた。
ナースは物品を取りに走る。

ばあさんのベッドへ。
「くそ!なんで!」僕は部屋のアンビューを取り出し、ばあさんの口にあてがった。
「どうしたんですか?」精神科医はアタフタ足踏みした。
「たぶんラプチャー(心破裂)だ!」
「ラプ・・・?」

ナースが板を持ってきて、患者の背中に敷いた。患者は・・口・目を開けたまま。
自発呼吸はない。

「ばあさん!おいばあさんよ!」
言いながら、喉頭鏡を取り出す。
「先生!するか?」精神科の先生に呼びかける。
「え?自分が?挿管を?」彼に喉頭鏡と挿管チューブが渡された。

ナースは心臓マッサージ。ベッドが垂直に一定間隔で上下する。

僕は精神科医の横で補助。

「こうやって喉頭を覗いて・・!」
「え、ええ!したことありますから!」左手の喉頭鏡のブレードをググッと上にえぐる。
「なら早くして!」
「原因は?」
「君は挿管だけ集中してりゃあいい!」
「見えた!ちゅ、チューブチューブ!」
「右手に!」

精神科医はハッと気づき、右手の挿管チューブをゆっくり進めた。
「上から?横から?」
「真横から!見ながら!ちゃんと!」
「・・・・・・これか?」

アンビュー、聴診器で確認。

「よし!入ってる!」僕は次の作業へ。
しかし、モニターでの波形はみられてない。
「ボスミンの用意だ!DCはあるか?」

精神科医にボスミン入り注射器が渡された。
「い、いきます!」
「DC!300ジュール!離れとけよ!」

プン、と体が左右に揺れた。しかし・・
「ダメだ。戻らない。360に上げよう」

挿管チューブは人工呼吸器につながれた。
僕の渡したメモ通りに設定されていく。
深夜帯もかけつけていて、人手は十分足りていた。

「主治医のトシキ先生、呼びました!ただいま実家だそうで・・・」中年ナースが飛び込んできた。
「1!2!3!4!・・・・実家?芦屋に?」
「ここまで来るのに、時間はかなりかかりそうです」
「この患者さんの家族は?」
「向かってます!」

「マッサージ、代わります!」精神科医が代わってくれた。
「頼みます。・・・・先生、マッサージは手のひらの中心でなく、この根元の手首近くの部分で!」
「あ、ああ。ここね!はいはい!」

カルチコール、メイロンなど次々と投与はされていくが・・・

「ダメだ。ぜんぜん手ごたえがない・・・やはりラプチャーなんだろう」

家族がすぐに到着、<長男の嫁>が入ってきた。
精神科医がマッサージする中、僕と嫁はいったん詰所に出た。
ナースらは申し送り中。

「突然のことだったようです。心臓がいきなり」
「止まったんですね。トシキ先生からはそうなるかもしれないって」
「心臓破裂。心筋梗塞を起こした部分の壁が破れて、血液が外に」
「もうかわいそうですから・・・」
「・・・分かりました。では処置はそろそろ切り上げを」
「長男は仕事で遠方なので。話は私が」

僕らは再び病室へ。

「マッサージをいったん中止して」

精神科医は大汗をぬぐい、手をひっこめた。
モニターはやはり・・・フラットのままだ。

「同じです。反応がありません」
瞳孔を確認していく。
「瞳孔にも反応がない・・」

嫁は、義理の母親の顔を覗き込んだ。
「ばあちゃん、ようく頑張った頑張った。な、いいよな。いいよな」
「・・・・・」
「もう逝こうや。なあもう逝こうや」

なんというか、冷ややかなのか落ち着いているというか・・・

僕は時計を確認した。
「ご・・ご臨終です。死亡時刻は0時47分」
「どうも」
無表情の嫁は、そのまま廊下へ。緑電話に向かったが、また戻ってきた。

「すんません。お金、持ってきてなくて」
「で、ではこれを」急でもあり、僕はテレホンカードを差し出した。携帯に切り替えていても、電源切れに際して持っていた。

電話を家につなぐなり、その嫁は・・・

「うわあああ!うわあああ!あんた母さんが!母さんが!」いきなり泣き崩れた。

精神科医は詰所でカルテを見ていた。
「いろいろと勉強させていただいて・・」
「あの嫁さん。いきなり泣き出した。我慢してたのか・・・?」
「いやいや。先生。嫁っていうのはね。しょせん他人なんです」
「そ、そうなんですか」
「わたし、結婚して3年目ですがね。できちゃった結婚で」
「そ、そこまで聞いては・・」
「するとね。いろいろ分かるんですよ!」

電話を元に戻すと、嫁はテレホンカードを詰所のテーブル上にプッと放った。
無表情で、泣き顔の余韻もない。

「嫁の仕事は大変でしょうからね。でも・・」
「あんなもん!あんなもん!」精神科医は妙に納得していた。
「女は怖いですね。いろいろあります」
「でしょ?でしょ?先生も?」

僕らは妙に気があった。

僕は立ち上がり、帰る支度にかかった。
「主治医のトシキには電話しておきます。先生、すみませんが見送りなどを・・」
「ええ!あとはしときます!でも先生!」
「え?」
「また何かありましたら何とぞ・・・!」

精神科医は深々と、頭を下げた。
しかし、こちらもいつ世話になるか分からない。将来のことも含めて?

「いえいえ。こちらこそ・・・!」

亡くなったばあさんではないが、僕らは背を丸めすぎた・・・

それこそ円背(えんぱい)というくらいに。

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