重症病棟。比較的軽症が多いがそろそろ<本物>が入りだした感がある。

 僕は師長からタオルをポンと渡された。
「この方。人工呼吸器のついた小川さん、62歳。多発性腎のう胞。肺炎を合併。MRSAと緑膿菌が陽性。酸素濃度は45パー(%)で、SpO2は98%前後」

 呼吸器がつながってる小川さんは・・・IVHが入っており中心静脈栄養の高カロリー輸液。カロリーの十分な補給のためにはどうしても水分が多くなり、そのためか所々にむくみがみられる。

皮下の浮腫はやむを得ないとして、内臓・・特に肺の周囲にたまりがちな胸水には注意しなければならない。胸水が増えすぎると、それ自体が肺を一部押しつぶし、無気肺を作ってその閉鎖された肺の中で肺炎を起こして病態が複雑になる。

「CRPの流れは、ここ1週間で15.6→12.2→13.8mg/dl。高値のまま横ばいが続いてる。抗生剤はMRSAと緑膿菌がターゲットで2剤投与」
「真菌は?」トシキ。
「カンジダ抗原は2倍。β-Dグルカンは結果待ち」
「レントゲンはこれですか・・・」

写真が天井のライトで透かされる。肺炎は両下肺に。一部は胸水だろう。

「菌は耐性化は、まだ幸いみられてない」
「こうも長くなると、時間の問題ですね・・」トシキ。
「気管切開を今度。また手伝ってくれるか?」
「・・いいでしょう」

師長は患者の体をくまなく観察する。
「発疹がね。ここに」
「あ。ホントだ」シローが腕・・・・膝など指差す。
「薬物アレルギー?」
「適当に言うなよ」僕。「薬剤はここ4日、変わってない。発疹は今日、初めて見たし」
「すぐ出ない発疹もあるのでは?」トシキ。「好酸球は?」
「増えてない」
「でもアレルギーは否定できない」
「まあな。軟膏を出す前に・・・疥癬の検鏡は出しておこう!」

老人ホームや転院の際に、病院に持ち込まれるケースがあるからだ。
疥癬にかかると、職員など無差別に移ったりして非常にやっかいだ。

シローが説明。少し離れる。患者の横、家族がマスクをかけ座っている。
「Hepatoma、ターミナルの三島さん。71歳男性。アンモニア上昇によるコーマ傾向。内服は一通りですが。便秘のコントロール今ひとつ。腹水は少量。リザーバーマスク8リットル」
「呼吸抑制?」トシキ。
「血液ガスはしてませんが・・・」
「確認しろ。二酸化炭素の貯留を」
「トシキ先生。家族はもうこのまま見てくれとの意見で。血ガス採取でも、いちおう針を刺す行為ですから。ね?医長先生」

「シローの言うとおりだ!そっとしておこう!」
トシキは少しムッとしていた。

僕は視診に聴診。
「かなりイクテリック(黄疸)だな」
「トータルビリルビン17mg/dl」シロー。
「血小板は・・どれどれ。3万か。出血は・・」
「今のところは」

「いえ。ここが」
ついている家族が指摘。奥さんだ。
「腕のここ。臨時で血液をとったところです。朝の採血」
メモを見ながら、時刻を照らし合わせ。

師長は腕を見て、止まってはいるが痛々しい内出血部を確認。
「止まってますけどね。ちゃんと押さえたとは思いますが」
「師長さん。深夜の新人さん。あまり押さえてなかったよ。ふつう採血したらまあ、そのあと綿をテープでパッと貼るのはいいとして。この人は出血しやすいんですよ?」家族が少し興奮気味。
「はい・・それへの指導は」
「患者さんへの思いやりが欠けているから、そういうことになるのでは?」
「申し訳ありません。なにせ夜間の勤務が3人から2人になって」
「言い訳でしょうがそんなの。もういいです」家族は黙ってしまった。

僕は診察を終えた。
「師長。ちゃんと追求しとけよ!」
「なっ・・・そ、それはやってます」
「奥さん。前にもあったのかな?こういうこと」

家族はメモをパラパラとめくった。
「ええ、ええ。ありますあります。3日前の夜中。私がね、<痰がごろごろいってるから取ってもらえませんか>って深夜の方にね。意見したんです」
「そしたら?」
「なんかそのとき、外来に患者さんがいらっしゃったみたいでね。それもあってか・・」
「うんうん。ほんで?」
「<こっちは忙しいんですから急かさないでください!>だって」
「なに?そんな言い方したのか?」

師長の立場はなかった。
「ははあ・・・そうですか。それは・・・」

ミチル師長という立派な人間が停職になって、モラルの低下が目立つ。
仕事に前向きな人間が何人か辞めてしまい、悪い意味で保守的な人間が数人のさばったことも関連する。

現在の師長は建前重視で、問題点を解決しようとする意欲まではなかった。つまり<ことなかれ主義>。
文句が出るまで動かない。これ日本の政治家と同じね。

みな、また少しベッドから離れた。

より残念に感じているのは主治医のシローだった。
「師長さん。何よりも迷惑をこうむるのは患者さんと、その家族ですよ?」
「はいはい。わかってます」
「素直に謝ってくださいよ?」
「それはまた事務長を通して・・・勤務の内容の見直しとか」
「それ以前の問題なんですよ?わかってんのかな・・・」

次のベッドへ。慎吾が立つ。少し離れる。

「黄疸で入院の48歳女性。今は寝てる。絶食補液中。胆道系腫瘍の疑い。この人は低アルブミンで浮腫がひどい」
「IVHを午後からするんだな?」僕は聴診しながら上を見る。
「ああ。MRCPは来週明けになった」
「オペならオペで、早く外科にコンサルとしとけよ」
「写真がそろってからで・・」
「外科へのコンサルトは1回しとけ。所見がそろってなくてもな」

 これは大事なことだ。お互い割り切った関係にしないという目的もある。
 僕が以前いた胸部内科の大学病院医局。呼吸器グループ・循環器グループの分裂はこういう人間関係で始まってしまい、ついには診療にまで障害が出た(連携がぎこちなくなった)。

 つまらんことで治療を遅らせてはいけない。だが、大きなミスの始まりは些細なこと(直そうと思えば直せたこと)から始まっている。
 もし机の上に少しでも余計なゴミがあれば・・・今のうちに片付けたほうがよい。

ザッキーがベッドサイドへ。少し離れる。
「肺腫瘍、ケモ(化学療法)3クール目の男性60歳。おとついドレナージして排液はほとんどなく、本日ピシバニ−ルを注入します」
「体位変換・・最初はよりコマメにな」僕。
「30分ごとに60度ずつ回転ですよね。わかってます」
「その際ドレーンが抜けないようにな」

僕は患者に近づき、聴診。
「今日は高い熱が出るかもしれないが、頑張りましょう」
「ちょっと吐きそうな。副作用でっしゃろか?こうがんざいの」本人は告知済。
「ありえます。吐き気止めは・・」振り向くとザッキーはOKとの指示。

トシキはカルテをパラパラめくった。
「低ナトリウム。127だぞザッキー!」
「知ってます。なので輸液は・・」
「SIADHらしきってのは分かるが。基本は水分制限だろ」

僕は聴診を終えた。
「先日、ケモで大量の輸液をした影響もあるかもしれん。ザッキーはCVPを確認」
「心エコーで下大静脈を見ます」
「それでもいいけどな」

トシキはあちこち見回しながら少し張り切った。
「基本を忘れたらいけない。基本基本!」

僕は研修の弥生先生・遠藤先生に近寄った。
「薬剤が、肺側の胸膜と、肋骨側の胸膜をノリみたいにくっつける。ものすごい高熱が出る」
「絶対出るんですかにゅ?」遠藤。
「というか、熱が出てるのはそれだけ反応してくれてるってことだと思う」
「そ、それぐらい分かってひひ・・」
「ボルタレンは大きいのを使う。その際気をつけるのは?弥生先生」

「急激な血圧低下です。それと頻脈」
「そうだ。おい慎吾!後ろから教えるな!」僕は気づき、後ろの慎吾に怒鳴った。
「す、すみません。あたしが・・」
「いやいや。君じゃなくて。慎吾!彼女のためにならんだろ!」

慎吾はまずっ、という表情で退いた。

「慎吾。余計なことすんなよ。今度したら・・・おごってもらうぞ」

その<場>を考慮し、つまらんオチで済ました。

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