57歳男性。頑固そうに眉をしかめている。
「やっと来た来た!」

顔を真っ赤にして怒っている。患者は服をバッと上にめくった。
「ほら!どうせ何も分からんじゃろ?」
「何がって・・・」
言いながら、ゆっくり聴診。

「たしかに、何も分からんな・・・」

「なにい?」
「心電図はと?」

「これです」救急担当の若いナース。
「右脚ブロックだな。松田先生から聞いたとおりだ。なのでSTは不明だな」

「何をおい、ぶつぶつ言うてまんのか!たよんない!」患者はイライラしている。

「胸は・・2週間前から痛い?」
「何言うてる。お前、バカと違うか?何、聞いてるんや松田先生から。ツンボか?」
「つんぼ?」
「2週間どころやない。2年前からや!」
「どういうときに痛みが・・・」
「ずっと痛いっちゅんや、ずっと!にじゅうよじかん!やすみなし!」
「胸部のレントゲン、それから・・」
「れんとげん!しーちー(CT)!全部やったわいな!何回も!」
「ではこれまで、松田先生はなんと説明を?」

「すいちょうけん」
とは言ってない、言ってない。

「松田先生はな、まあ年のせいでっしゃろと。心臓は丈夫だって」
「心臓は丈夫・・・・?」素人用語だ。医者の使う言葉ではない。
「あんたみたいな大物やったら、心臓に毛が生えとるって褒めてもろうたこともある!それぐらい調子は良かった!」

自慢なのか・・・・?

「でも、今回血液検査で異常があったんですよね?」
「さあ、知らんよ?どう聞いてんねや!」
「紹介状が来てないよな・・・」

「ありません」ナースがつぶやいた。
「電話の情報だけじゃな。ナース、電話してくれ」
「今しましたら、混んでいて連絡は明日にしてくれって」
「なぬう・・・!」

例によって、証拠データを1つも渡さないつもりか。
となると電話の内容も怪しい。
こうなると、調べなおしだな・・・!

日常には真の情報と、ウソの情報が飛び交っている。それを見分けるフィルターが必要だ。

「あのすみません。検査をもう1回しましょう」
「なんでまた?また検査?ケンサケンサばっかし!」
「クリニックから資料が来てないもんで」
「だから!クリニックでの検査は異常がなかったって!」
「じゃあ超音波をするので、横になってください」
「う?お」

毅然とした態度に尽きる。

患者はブツブツ言いながら、横に。
「横になったついでに採血します」
と、わざとらしくなく採血。

「松田先生が、<まあ年のせいやろ>って言うけどもやな。まあいったん<入院せえ>って」
患者はやっと主題を出してきた。

「入院?入院が前提で?」
「ああ。荷物は全部そこにある」

患者が指差すと・・・床に大きなフトンが畳んである。

「困ったな・・」
「カテーテル検査やるんだろ?ただし今はイヤやで!とりあえず入院をな!」

事務長がやってきた。僕に耳打ち。
「医長先生。医長先生!この患者さんは・・・」
「なんだ?」
「6年ほど前に、うち(改名前)に入院した既往がありまして」
「そうなの?」
「あれこれ病名をこじつけさせるので有名でして。資料は古いのでありませんが・・」
「5年以上経ってれば、カルテは破棄だもんな。頭いいかもな」
「病名とその概要だけは残ってます。一時的な麻痺、本人申告。病名は主治医ともめて<TIA>」
「一過性の脳虚血・・なるへそ!」
「その前に、もう1回入院してます。上腹部痛。軽快後に胃カメラ異常なし。これも揉めたらしくて・・結局病名は<AGML>」
「胃カメラのときはもう治ってたと?」
「し、知りません。知るのは本人のみで」
「それと胃だな・・・」
「?」

ゴマちゃんが採血データを持ってきた。
「トロポニンTはマイナス。CPKも上がってない。クリニックでの異常値は溶血だろう」
「じゃあ何も引っかかってはない?」
「いや。コレステロール、中性脂肪に尿酸、肝機能・・これは酒じゃないか?」
「ま、緊急性はなさそうだな」

超音波でも特に所見がない。

「冠動脈の狭窄は否定できませんが・・・緊急性はなさそうで」僕が説明。
「し、しかし狭心症かもしれんから入院せいと松田先生が!」
「カテーテル検査しますかね?」
「そ、それは日付が経ってから!」

何がなんでも入院したいんだな・・・しかし何で。

事務長はまた耳打ち。
「以前の入院の時ですが。保険の書類が7通も」
「7通?ふつう1〜3種類くらいだろ?」
「これですよ。これ」
事務長は指で<ゼニ>の形を作った。

「ぼろ儲けだな・・・」
「誰かの入れ知恵でしょうね」
「松田クリニックでさえわけがわからなかったのか」
「しかし、意表を突きますね」
「今だったら、胸やけあって内視鏡正常でもGERDの診断、というのもありだよな」

トシキが知らない間に降りている。
「マイクロベッセル(微小血管)のスパズムとか、ありえますね」
「投薬を始めてる。一通り。手ごたえはないようだぞ?」
「それだけ攣縮がひどいのかもしれません」
「抵抗性?」
「カルシウム拮抗薬に抵抗性の攣縮性狭心症もありますから」
「カテーテル検査、今すぐしようぜ」
「患者さんの同意は?」

「今はやりたない!やりたない!」
<患者>は天井を見上げている。

「なんで?はっきりさせましょうよ。そのほうが」僕は冷淡に口走る。
「も、もうちょっと落ち着いてから!」

「先輩。あまり患者さんを神経質にさせると、スパズムひどくなりますよ?」
「ホントにそうなのかよ?でも症状があるのならすべきだろ?」

トシキは優しそうに、<患者>の目線に座った。
「心配することないよ。ところで胸の痛みはどう?」
「むむ?なんかよくなったような・・・」
「大丈夫だからね。ここは病院だから」
「な、なんか先生の顔を見たら、よくなってきたような・・・で、でもな。少しでも歩くと。胸が痛むんや。歩けへん・・・」

調子に乗りおって・・・。

仕方ない。入院にしないと揉めそうだ。
どこかに紹介するにしても、当院の信用にかかわる。

「じゃあ主治医は、この真面目なトシキ先生にしましょうか」
「ああ、そのほうがええ。それやったら治る」
「なんでやねん・・・!」

トシキは嬉しそうにカルテを書き始めた。
「ああやってリラックスをさせないと。医長先生!」
「あのな。お前・・・」<患者>に聞こえてるんですけど。
「でないと、病院で病気がもっと悪くなってしまう」

<患者>はウンウンと頷いている。
「もっともや!アンタ(僕)はよ〜く聞いとけ!」

「ま、先輩。カテーテル検査に関しては今のところ同意がないですし」
「あっそ」
「点滴しながら今は様子を見まして」
「フ−ン」
「1時間後、近くの精神科に紹介します」
「お?」

<患者>は驚いて起き上がった。
「おいおい!精神科に・・?」

「え?だって・・・」トシキは真顔だった。
「わしは心は正常だぞ?」
「主治医の僕は、スパズムという血管の痙攣と診断してます。メンタル面もかかわってる場合があるのです」
「病院を代われというのか?」
「いえいえ。今日はここで待機を。このあと近くの精神科で診てもらい、場合によっては転院を」
「そんな勝手なことを!」
「で、異常がなければ当院でカテーテルを。数時間後に予定します。異常があれば入院」
「わ、わしはそんなの!従わん!そんな一方的な!」

トシキはカルテをポン、と一回転させた。
「・・・主治医ですので。一応は」

<患者>はついに大地に立った。
「ああ!もうええもうええ!帰る帰る!」
「う、動いたらちょっと!」事務長が抑えにかかるが。
「どけい!」
「うぐあ!」
事務長は腕で投げ飛ばされた。

<患者>は大きなフトンを持ち上げ、そのまま出口を出て行った。

僕はずっと見送った。
「ま、あれだったらなんだな。<心臓は大丈夫>そうだな・・・」

トシキは立ち上がり、事務長に礼をした。
「どうも。あんな感じでよろしいでしょうか?」
「いやあ!アライグマ助かる助かる!」事務長は拍手した。

そっかトシキお前・・・・。今日は冴えてるぜ!

でもこの患者。また来るかもな。当直帯あたりを狙って。
利尿剤や下剤飲みまくって、低カリウム血症とかでな・・・!

ついつい、余計なことを考えすぎてしまうのであった。

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