ダル医長 水曜日 ? あなたのダルを数えましょう
2006年8月7日詰所で検査伝票をしげしげと見ていたところ、ナースが1人入ってきた。
「医長先生」
「なに?」
「今、お時間ありますか?」
「ないけど、ある」
「こちらへ」
「?」
連れられていくと、そこは4人部屋。カーテンがかかっている右奥があやしい。
「何が?」
ナースと僕はカーテンの向こうに入った。
「あれ?医長?」慎吾だ。IVHを頸部より入れている途中。と思われる。
黄疸で入院の48歳女性。胆道系腫瘍の疑い。
患者本人は・・・布で顔が見えない。
「も・・・もう終わりましたか」
「いや、まだだよ」慎吾は患者の右頸部を圧迫している。
「慎吾。どうした・・入らないのか?」
「いや、さっき入りかけたんだがな・・・」
近くの座り込んだナースは、しかめっ面で首を横に振る。
「慎吾。オレがしようか?」
「いや、俺はトシキ先生を呼んだんだけどな」
「トシキはな。今トイレだ多分」
「トイレ・・・大のほう?」
患者に聞こえない程度の小声で喋る。
慎吾はまた穿刺にかかった。
頸部を刺すのは何度目なんだろう・・・。
僕が覗き込むと、慎吾の頭がゴン、とぶつかった。
「医長!痛いよ!」
「す、すまん」
「わたくしも痛うございます」
布の下の患者が呟いた。
「押すのが・・・」
慎吾は手を離し、汗をぬぐった。
「ふー。暑い暑い」
しばらくして、また首を押す。
「も、慎吾。代われ」
「いいって・・・そっか。そこまで言うなら」
慎吾は不服そうに、手袋を左右1つずつ外した。
僕は白衣を脱ぎ、手袋を1つずつはめた。
「慎吾。針を刺して、その向きなんだけど・・・乳頭部めがけたか?」
「ああ」
「頸動脈はここだ。よく触れる。あまり押さえるなよ。血流のこともあるし、迷走神経の圧迫だって」
「さ、はいどうぞ。患者さん待ってますぜ」
こいつめ・・・。
穿刺、ゆっくり引くと黒い血液が戻ってきた。
「よし。これだ」
「あれ?」慎吾は驚いた。
「点滴入れるぞ。用意しなよ」
点滴をつなぎ、滴下。
「問題ないな。糸ちょうだい。止めたら確認の写真」
座り込みナースがやっとため息をついた。
「は〜あ。やっと終わったね!」
布が取られ、患者の顔が見えた。
「どうもありがとうございます」
患者が礼をしたのは慎吾だった。
「え?いやいや!ま、時間はかかりましたがね」
「わたし、太ってるから・・・」
「そんなの関係なしです!うまくいきましたし!」
「ありがとうございます・・・」
患者は横になったまま、深々と礼をした。
僕は去り際、慎吾に聞いた。
「おい。入れたのオレだぞ。せめて慎吾、オレに礼しろよ」
「医長先生流に言おうか」
「?」
「(うなずきながら)以下同文!」
「だる!」
詰所へ。
「シロー。お前はもう終わったか?」
「疲れましたね・・・」
「医局へ戻りたいんだが・・・トシキが帰るまではここにいようか?」
「どうしようかなあ。今日」
「何かあったっけ?」
「医師会館の催しですよ。食事会」
「前座に症例報告がある、例の会か?」
「ユウキ先生は、新医長としての挨拶をしないと!」
「なぬう?聞いてないぞ!」
後ろに事務長が立っていた。
「ははは、どうするどうする?今度は逃げられんぞ!」
「だる・・・行きたくないよ。オレ」
「医長先生、お願いしますよ。医師会館の行事に参加するのは初めてでしょう?」
「オレは会いたくないんだよ。あの人に・・・」
名誉教授のことだ。
「医長先生。当院も医師会に、毎年数百万払ってるんです。その代わりにヨコの関係を築いてくれてる」
「それがメリットかよ・・」
「どこの病院だって、医師会になんか入りたくなんかないんですよ」
「ま、いやがらせ、されるからな・・・」
医師会に入ってないと、何らかの見えない形で村八分にされる。いろんな形でな。
「でも医長先生。名誉教授もクセはありますが、人格者なんですよあれでも」
「あれでも人格者、っていう表現自体が意味不明だな?」
「ホントにね、威張ってなくて欲のない優しい先生なんですよ」
「信者ですか?アンタは」
「今日の会。自己紹介、お願いしますよ!」
僕は言葉を考えた。
「なんて自己紹介しようかな・・マイネーム・・」
「ほらほら、もうウケ狙いはいりませんから!」
「マイネームイズ、グラディエーター」
「ギャグとか禁忌ですよ。なんせ・・<吾輩は>とかそういう連中ですよ」
「・・・吾輩は、医者である!」
「?」
「博士(号)はまだない。アイアム寒!以下同文!」
夕方になってきた。シロー、慎吾は夜診に向けて準備を始めだした。
「トシキはどっか行っていないし、残るはザッキーと俺だけか」
「先生・・・」そのザッキーと廊下でバッタリ会った。
「ザッキー。夜からピシバニール注入だろ」
「いえ。もう始めました。指示はしてます」
「でも夜、家族が来るんだろ?ムンテラ2件」
「夜にムンテラするなんて、うちの師長が勝手に決めたことです!それにムンテラは慎吾先生が代わりに」
「主治医はお前なんだから。主治医がムンテラすべきだって!」
しかも慎吾はまだ一人前とはいえない。
「医長先生。医師会館へは僕、行ってもいいですけど・・」
「医師会館は来なくていいよ」
「名誉教授から、僕宛に相談があるって」
その内容は知っていた。
「ザッキー。それな。俺やトシキも以前相談を受けたんだ」
「興味本位ででも聞こうかなと」
「聞くな聞くな。息子のな。つぶれかけの病院の跡継ぎ話なんだよ!」
「僕の耳で直接聞いてみます」
「あいつらはな。一見甘い話だけ持ちかけて。土方もそうだったろ?なあ!」
僕は必要以上に熱くなっているのに気づき、平常心に戻った。
「でもなザッキー。重症患者のムンテラありだろ。終わったら、面倒だけど病院に戻りなよ」
「慎吾先生がやってく・・・」
「なんだよお前。今日変だぞ?そんな重要な用事があるのか?」
「・・・・・」
「なんだよ。俺には言えないのか。慎吾には言えて」
ザッキーはプイッと顔を横に向け、去っていった。
気がつくと、事務長が僕の首を後ろから軽くつかんでいる。
「てて。なんだ?」
「医長先生。ザッキーの優しさも分かってあげてくださいな」
「意味が分からない。あわわ、トシキみたいだったな今!」
「分からなくていいんです。でも彼は優しいんです。本当は」
「でもショックだな。いろいろ隠されるのって嫌いなんだよ。俺」
「さ、そろそろ行く準備しましょうか」
事務長はエレベーターに乗りかけた。
「では、10分後に玄関前へ」
「俺、自分の車で行くから」
「ザッキー先生と研修生2名は私が乗せますんで」
「あっそ。勝手に」
ドアは閉まった。僕は階段を上がって医局へ。
ゆっくりドアを開けたら・・・トシキはいない。
机の上には荷物あり。
「よし!今のうちに!」
ザザザッ!とソファー近くの荷物を片付ける。今日は医長室を利用しておらず、荷物はすべてここ。
「ダッシュダッシュ!ババンバン!おっと!」
医師会館で公衆の面前でもあるから・・・珍しくネクタイを、と。
「よし!」
荷物を抱え、サンダルで廊下へダッシュ。裏玄関で靴に履き替え。
キュキュン、とGTRのロックが解除、ドサンと乗り込みミラー調整。
「なんだよ。どいつもこいつも・・・でも一部は俺のせいかもな」
バックミラーに映った自分の顔。髪をペタペタ整える。
「名誉教授なあ。・・・悪いやつほどよく生きる、ってのはホントウだな。なあにが人格者だ」
ドルンドルン・・とエンジンが暖まるのを待つ。
「だったらオッサン。退職金、全部募金してくれよ!ボッキーン!アイアムサム!」
ナビを<医師会館>にセット。MDの曲は当時流行の<小柳ゆき>。
エンジンがガオオン、と唸り、車は駐車場を駆け抜けた。事務長の車が続く。
「医長先生」
「なに?」
「今、お時間ありますか?」
「ないけど、ある」
「こちらへ」
「?」
連れられていくと、そこは4人部屋。カーテンがかかっている右奥があやしい。
「何が?」
ナースと僕はカーテンの向こうに入った。
「あれ?医長?」慎吾だ。IVHを頸部より入れている途中。と思われる。
黄疸で入院の48歳女性。胆道系腫瘍の疑い。
患者本人は・・・布で顔が見えない。
「も・・・もう終わりましたか」
「いや、まだだよ」慎吾は患者の右頸部を圧迫している。
「慎吾。どうした・・入らないのか?」
「いや、さっき入りかけたんだがな・・・」
近くの座り込んだナースは、しかめっ面で首を横に振る。
「慎吾。オレがしようか?」
「いや、俺はトシキ先生を呼んだんだけどな」
「トシキはな。今トイレだ多分」
「トイレ・・・大のほう?」
患者に聞こえない程度の小声で喋る。
慎吾はまた穿刺にかかった。
頸部を刺すのは何度目なんだろう・・・。
僕が覗き込むと、慎吾の頭がゴン、とぶつかった。
「医長!痛いよ!」
「す、すまん」
「わたくしも痛うございます」
布の下の患者が呟いた。
「押すのが・・・」
慎吾は手を離し、汗をぬぐった。
「ふー。暑い暑い」
しばらくして、また首を押す。
「も、慎吾。代われ」
「いいって・・・そっか。そこまで言うなら」
慎吾は不服そうに、手袋を左右1つずつ外した。
僕は白衣を脱ぎ、手袋を1つずつはめた。
「慎吾。針を刺して、その向きなんだけど・・・乳頭部めがけたか?」
「ああ」
「頸動脈はここだ。よく触れる。あまり押さえるなよ。血流のこともあるし、迷走神経の圧迫だって」
「さ、はいどうぞ。患者さん待ってますぜ」
こいつめ・・・。
穿刺、ゆっくり引くと黒い血液が戻ってきた。
「よし。これだ」
「あれ?」慎吾は驚いた。
「点滴入れるぞ。用意しなよ」
点滴をつなぎ、滴下。
「問題ないな。糸ちょうだい。止めたら確認の写真」
座り込みナースがやっとため息をついた。
「は〜あ。やっと終わったね!」
布が取られ、患者の顔が見えた。
「どうもありがとうございます」
患者が礼をしたのは慎吾だった。
「え?いやいや!ま、時間はかかりましたがね」
「わたし、太ってるから・・・」
「そんなの関係なしです!うまくいきましたし!」
「ありがとうございます・・・」
患者は横になったまま、深々と礼をした。
僕は去り際、慎吾に聞いた。
「おい。入れたのオレだぞ。せめて慎吾、オレに礼しろよ」
「医長先生流に言おうか」
「?」
「(うなずきながら)以下同文!」
「だる!」
詰所へ。
「シロー。お前はもう終わったか?」
「疲れましたね・・・」
「医局へ戻りたいんだが・・・トシキが帰るまではここにいようか?」
「どうしようかなあ。今日」
「何かあったっけ?」
「医師会館の催しですよ。食事会」
「前座に症例報告がある、例の会か?」
「ユウキ先生は、新医長としての挨拶をしないと!」
「なぬう?聞いてないぞ!」
後ろに事務長が立っていた。
「ははは、どうするどうする?今度は逃げられんぞ!」
「だる・・・行きたくないよ。オレ」
「医長先生、お願いしますよ。医師会館の行事に参加するのは初めてでしょう?」
「オレは会いたくないんだよ。あの人に・・・」
名誉教授のことだ。
「医長先生。当院も医師会に、毎年数百万払ってるんです。その代わりにヨコの関係を築いてくれてる」
「それがメリットかよ・・」
「どこの病院だって、医師会になんか入りたくなんかないんですよ」
「ま、いやがらせ、されるからな・・・」
医師会に入ってないと、何らかの見えない形で村八分にされる。いろんな形でな。
「でも医長先生。名誉教授もクセはありますが、人格者なんですよあれでも」
「あれでも人格者、っていう表現自体が意味不明だな?」
「ホントにね、威張ってなくて欲のない優しい先生なんですよ」
「信者ですか?アンタは」
「今日の会。自己紹介、お願いしますよ!」
僕は言葉を考えた。
「なんて自己紹介しようかな・・マイネーム・・」
「ほらほら、もうウケ狙いはいりませんから!」
「マイネームイズ、グラディエーター」
「ギャグとか禁忌ですよ。なんせ・・<吾輩は>とかそういう連中ですよ」
「・・・吾輩は、医者である!」
「?」
「博士(号)はまだない。アイアム寒!以下同文!」
夕方になってきた。シロー、慎吾は夜診に向けて準備を始めだした。
「トシキはどっか行っていないし、残るはザッキーと俺だけか」
「先生・・・」そのザッキーと廊下でバッタリ会った。
「ザッキー。夜からピシバニール注入だろ」
「いえ。もう始めました。指示はしてます」
「でも夜、家族が来るんだろ?ムンテラ2件」
「夜にムンテラするなんて、うちの師長が勝手に決めたことです!それにムンテラは慎吾先生が代わりに」
「主治医はお前なんだから。主治医がムンテラすべきだって!」
しかも慎吾はまだ一人前とはいえない。
「医長先生。医師会館へは僕、行ってもいいですけど・・」
「医師会館は来なくていいよ」
「名誉教授から、僕宛に相談があるって」
その内容は知っていた。
「ザッキー。それな。俺やトシキも以前相談を受けたんだ」
「興味本位ででも聞こうかなと」
「聞くな聞くな。息子のな。つぶれかけの病院の跡継ぎ話なんだよ!」
「僕の耳で直接聞いてみます」
「あいつらはな。一見甘い話だけ持ちかけて。土方もそうだったろ?なあ!」
僕は必要以上に熱くなっているのに気づき、平常心に戻った。
「でもなザッキー。重症患者のムンテラありだろ。終わったら、面倒だけど病院に戻りなよ」
「慎吾先生がやってく・・・」
「なんだよお前。今日変だぞ?そんな重要な用事があるのか?」
「・・・・・」
「なんだよ。俺には言えないのか。慎吾には言えて」
ザッキーはプイッと顔を横に向け、去っていった。
気がつくと、事務長が僕の首を後ろから軽くつかんでいる。
「てて。なんだ?」
「医長先生。ザッキーの優しさも分かってあげてくださいな」
「意味が分からない。あわわ、トシキみたいだったな今!」
「分からなくていいんです。でも彼は優しいんです。本当は」
「でもショックだな。いろいろ隠されるのって嫌いなんだよ。俺」
「さ、そろそろ行く準備しましょうか」
事務長はエレベーターに乗りかけた。
「では、10分後に玄関前へ」
「俺、自分の車で行くから」
「ザッキー先生と研修生2名は私が乗せますんで」
「あっそ。勝手に」
ドアは閉まった。僕は階段を上がって医局へ。
ゆっくりドアを開けたら・・・トシキはいない。
机の上には荷物あり。
「よし!今のうちに!」
ザザザッ!とソファー近くの荷物を片付ける。今日は医長室を利用しておらず、荷物はすべてここ。
「ダッシュダッシュ!ババンバン!おっと!」
医師会館で公衆の面前でもあるから・・・珍しくネクタイを、と。
「よし!」
荷物を抱え、サンダルで廊下へダッシュ。裏玄関で靴に履き替え。
キュキュン、とGTRのロックが解除、ドサンと乗り込みミラー調整。
「なんだよ。どいつもこいつも・・・でも一部は俺のせいかもな」
バックミラーに映った自分の顔。髪をペタペタ整える。
「名誉教授なあ。・・・悪いやつほどよく生きる、ってのはホントウだな。なあにが人格者だ」
ドルンドルン・・とエンジンが暖まるのを待つ。
「だったらオッサン。退職金、全部募金してくれよ!ボッキーン!アイアムサム!」
ナビを<医師会館>にセット。MDの曲は当時流行の<小柳ゆき>。
エンジンがガオオン、と唸り、車は駐車場を駆け抜けた。事務長の車が続く。
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