ダル医長 水曜日 ? 医師会
2006年8月8日 事務長の車に至近距離で追いつかれながら、海岸線を走る。またしても昼間の海を見ることはできなかった。
こういう仕事をしてまとまった休みというのは当然ない。自然というものも久しく見ていない。こういうとき、田舎の病院がうらやましくなる。一過性だが。
時々居眠り運転になりながら、なんとか駐車場に車を停めた。医師会館の近く。事務長の車からも総勢、降りてきた。
事務長が近づいてきた。
「医長先生。ネクタイほどけてる」
「あっそう。よっと」
「靴のヒモ!」
「よいせっと」
みんなが囲む中、うずくまってヒモを結ぶ。
「よっこらせっと。他にないか」
「問題なし。じゃ、入りましょう」
ネクタイ姿の見慣れない僕らは、会館の建物の大きさに圧倒されつつ、受付に入った。玄関には多くの靴が整然とだが脱ぎ散らされている。ほとんどが黒で、高級そうな靴ばかりだ。
僕はかなり手前に脱ぎ、1足ずつ踏みながら廊下へと入った。
「トイレトイレ・・・」
僕だけトイレに向かうと、近くの大きなロビーから声がかかった。
「オッサン。オッサン!」この声は・・・
「松田!先生・・・こんばんは」
大きな躯体の松田先生が、ドスドスと小走りにやってきた。チェックの私服でボタン2つ外れてる。そのラフさがいかにも若手の開業医だ。
「オッサン。どうなった?」
「?」
「俺が紹介しただろ?今日の午後・・・」
「え?ああ。ご紹介、どうも」
敵視したことがあっても、最低の礼儀だけは守った。
「松田先生。おっしゃるとおり、右脚ブロックで狭心症は不明でした。症状が長くニトロも効かずで」
「だがあれは狭心症だ。絶対な」
「根拠に乏しかったですが、いちおう心カテを勧めは・・」
「で。入院したんだろな」
「それは・・」
ちょうど後ろから肩をたたかれた。2枚目中年の・・・大学医局長だ。うしろにイエスマンたちを従えている。
「よっ!」
「あ、こんばんは」
「珍しいね?君が医師会に。噂では医長さんに昇進したとか?」
「1週間だけですよ」
「ほ?」
「後ろの方々は・・」
遅れて、医局長の後ろからニコニコ顔が4人。いずれも研修医っぽい男女2人ずつ。
そのうちの1人、イガグリ頭のリーダー格がぺこっと頭を下げた。
「こ、こんばんは!こ、今年新たに入局しました!後輩にあたります・・・三国です!」
「こんばんは」
「いや〜。やっと会えたやっと会えた!」
「?」
「先生方のご活躍はいろいろと聞いてまして」
「活躍?」
「2000年問題のときは、単身で患者さんを助けに行かれたとか」
「なんか変に話が伝わってるんだな・・・」
医局長は腑に落ちないのか、話をさえぎった。
「ユウキ先生。現在の研修2名はどうかね?」
「え?どうかって・・・」
「使えそうかね?彼らは院生だが論文も完成し、院卒業の準備もとっくにできてる」
「院を出たら民間へ?」
くいくいっ、と医局長は僕を隅に案内した。
「民間で数年泳がせて、医局員が足りないときは戻ってもらうけどね」
「大学らしいですね・・・」
「で、指導はOKかな。気管支鏡に、心カテ・・」
「先生。3ヶ月じゃ習得は無理ですよ。自己満足だけ。ヘタしたら」
「さっき彼らと話したら、一通りできます、と」
何言ってんだよ・・・。
「スタンダードな症例ばかりではないんで。お墨付きというわけには」
「ま、あと数週間。みっちり指導を頼むよ!」
「みっちり、か・・・それだけ時間があればいいんですが」
医局長は何も聞かず、別ドクターへの挨拶に向かった。
あちこち見回すと、ところどころ知ってる顔はある。
山城病院にいたときの先生、山の上病院にいた先生・・・しかし時の流れとともに、以前の<戦友>との距離はあっけなく引き離されていた。
というか、自分自身特に誰に思い入れがあるわけでもなかった。ことドクターに関しては・・・。それよりもナースや患者、病院近所の散髪屋などのほうが恋しかった。
大広間。コの字型に並んだ長テーブルの連なり。みな1人ずつ正座していく。僕ら病院のグループは上座より遥かに遠い、部屋の隅。テーブルの上にはすでに大型の弁当。
正面にはOHP。<駐車場の車:なにわナンバー○○。スモール点灯してます>という手書きが、いかにも学会会場みたいだ。
やがて部屋は騒がしくなり、ビールなどが次々と運ばれてきた。上座には・・・中央に酸素ボンベ。両端を名誉教授の息子、葉巻をくわえたじいさんが座っている。
僕の横にザッキーが座った。
「ちょっと行ってきました」
「名誉教授の息子?」
「いい方ですね」
「だる・・・大丈夫?俺もさっき話したよ(←ウソ)」
「そうですか」
「コストも聞いたけど、はずみすぎだよな(←ウソ)」
「真田の1.2倍ですからね」
1.2倍・・・・!うちでも民間の内科医平均(当時、週1回当直の週休2日で100-120万。ただし大学人事はのぞく)を上回ってるのに。では税込みで150万はあるとみた。
僕は事務長に、指でサインした。事務長は口をあんぐり開けた。
「で。ザッキー。いつ行くんだ?」
「別に行きたいわけじゃあ」
「院長になるのが夢?」どうしても皮肉な言い方になる。
「医長先生。自分は単に、落ち着きたいだけなんです」
「大変だと思うぞ。経営が安定してない病院ってのは」
「でも僕自身が借金を背負うわけではないそうです。なのでリスクはないと」
「でもいろいろ話は聞くぞ。知らないところでドンドン、ハンコ押されたり・・」
「医長先生。人の夢を・・・」
「?」
「壊さないでください」
うっ、と引いた。
『本日は、まことにお忙しいところ、ありがとうございます』
マイクで名誉教授。座ったまま。酸素カニューラは外している。
『私のことはどうか心配なさらずに。最近はこれ以外に、ニップネーザルを導入してまして。みなさんもどうかご検討を。うわっはは!』
「(一同、ワンテンポ遅れて)あはははは・・」
『最近は患者さんの自己負担増し、それと診療報酬の減少。へき地ドクターの供給減少。我々の前の課題は山積みです』
みな、例外なく名誉教授に視線が注ぐ。そのカリスマ性は認める。
首がずっと90度曲がってて、みな痛そうだ、な・・・!
またしてもゴルゴ調。
こういう仕事をしてまとまった休みというのは当然ない。自然というものも久しく見ていない。こういうとき、田舎の病院がうらやましくなる。一過性だが。
時々居眠り運転になりながら、なんとか駐車場に車を停めた。医師会館の近く。事務長の車からも総勢、降りてきた。
事務長が近づいてきた。
「医長先生。ネクタイほどけてる」
「あっそう。よっと」
「靴のヒモ!」
「よいせっと」
みんなが囲む中、うずくまってヒモを結ぶ。
「よっこらせっと。他にないか」
「問題なし。じゃ、入りましょう」
ネクタイ姿の見慣れない僕らは、会館の建物の大きさに圧倒されつつ、受付に入った。玄関には多くの靴が整然とだが脱ぎ散らされている。ほとんどが黒で、高級そうな靴ばかりだ。
僕はかなり手前に脱ぎ、1足ずつ踏みながら廊下へと入った。
「トイレトイレ・・・」
僕だけトイレに向かうと、近くの大きなロビーから声がかかった。
「オッサン。オッサン!」この声は・・・
「松田!先生・・・こんばんは」
大きな躯体の松田先生が、ドスドスと小走りにやってきた。チェックの私服でボタン2つ外れてる。そのラフさがいかにも若手の開業医だ。
「オッサン。どうなった?」
「?」
「俺が紹介しただろ?今日の午後・・・」
「え?ああ。ご紹介、どうも」
敵視したことがあっても、最低の礼儀だけは守った。
「松田先生。おっしゃるとおり、右脚ブロックで狭心症は不明でした。症状が長くニトロも効かずで」
「だがあれは狭心症だ。絶対な」
「根拠に乏しかったですが、いちおう心カテを勧めは・・」
「で。入院したんだろな」
「それは・・」
ちょうど後ろから肩をたたかれた。2枚目中年の・・・大学医局長だ。うしろにイエスマンたちを従えている。
「よっ!」
「あ、こんばんは」
「珍しいね?君が医師会に。噂では医長さんに昇進したとか?」
「1週間だけですよ」
「ほ?」
「後ろの方々は・・」
遅れて、医局長の後ろからニコニコ顔が4人。いずれも研修医っぽい男女2人ずつ。
そのうちの1人、イガグリ頭のリーダー格がぺこっと頭を下げた。
「こ、こんばんは!こ、今年新たに入局しました!後輩にあたります・・・三国です!」
「こんばんは」
「いや〜。やっと会えたやっと会えた!」
「?」
「先生方のご活躍はいろいろと聞いてまして」
「活躍?」
「2000年問題のときは、単身で患者さんを助けに行かれたとか」
「なんか変に話が伝わってるんだな・・・」
医局長は腑に落ちないのか、話をさえぎった。
「ユウキ先生。現在の研修2名はどうかね?」
「え?どうかって・・・」
「使えそうかね?彼らは院生だが論文も完成し、院卒業の準備もとっくにできてる」
「院を出たら民間へ?」
くいくいっ、と医局長は僕を隅に案内した。
「民間で数年泳がせて、医局員が足りないときは戻ってもらうけどね」
「大学らしいですね・・・」
「で、指導はOKかな。気管支鏡に、心カテ・・」
「先生。3ヶ月じゃ習得は無理ですよ。自己満足だけ。ヘタしたら」
「さっき彼らと話したら、一通りできます、と」
何言ってんだよ・・・。
「スタンダードな症例ばかりではないんで。お墨付きというわけには」
「ま、あと数週間。みっちり指導を頼むよ!」
「みっちり、か・・・それだけ時間があればいいんですが」
医局長は何も聞かず、別ドクターへの挨拶に向かった。
あちこち見回すと、ところどころ知ってる顔はある。
山城病院にいたときの先生、山の上病院にいた先生・・・しかし時の流れとともに、以前の<戦友>との距離はあっけなく引き離されていた。
というか、自分自身特に誰に思い入れがあるわけでもなかった。ことドクターに関しては・・・。それよりもナースや患者、病院近所の散髪屋などのほうが恋しかった。
大広間。コの字型に並んだ長テーブルの連なり。みな1人ずつ正座していく。僕ら病院のグループは上座より遥かに遠い、部屋の隅。テーブルの上にはすでに大型の弁当。
正面にはOHP。<駐車場の車:なにわナンバー○○。スモール点灯してます>という手書きが、いかにも学会会場みたいだ。
やがて部屋は騒がしくなり、ビールなどが次々と運ばれてきた。上座には・・・中央に酸素ボンベ。両端を名誉教授の息子、葉巻をくわえたじいさんが座っている。
僕の横にザッキーが座った。
「ちょっと行ってきました」
「名誉教授の息子?」
「いい方ですね」
「だる・・・大丈夫?俺もさっき話したよ(←ウソ)」
「そうですか」
「コストも聞いたけど、はずみすぎだよな(←ウソ)」
「真田の1.2倍ですからね」
1.2倍・・・・!うちでも民間の内科医平均(当時、週1回当直の週休2日で100-120万。ただし大学人事はのぞく)を上回ってるのに。では税込みで150万はあるとみた。
僕は事務長に、指でサインした。事務長は口をあんぐり開けた。
「で。ザッキー。いつ行くんだ?」
「別に行きたいわけじゃあ」
「院長になるのが夢?」どうしても皮肉な言い方になる。
「医長先生。自分は単に、落ち着きたいだけなんです」
「大変だと思うぞ。経営が安定してない病院ってのは」
「でも僕自身が借金を背負うわけではないそうです。なのでリスクはないと」
「でもいろいろ話は聞くぞ。知らないところでドンドン、ハンコ押されたり・・」
「医長先生。人の夢を・・・」
「?」
「壊さないでください」
うっ、と引いた。
『本日は、まことにお忙しいところ、ありがとうございます』
マイクで名誉教授。座ったまま。酸素カニューラは外している。
『私のことはどうか心配なさらずに。最近はこれ以外に、ニップネーザルを導入してまして。みなさんもどうかご検討を。うわっはは!』
「(一同、ワンテンポ遅れて)あはははは・・」
『最近は患者さんの自己負担増し、それと診療報酬の減少。へき地ドクターの供給減少。我々の前の課題は山積みです』
みな、例外なく名誉教授に視線が注ぐ。そのカリスマ性は認める。
首がずっと90度曲がってて、みな痛そうだ、な・・・!
またしてもゴルゴ調。
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