医者たちの面前で、こうやって話すのは・・・おそらく大学医局忘年会以来だ。
学会のときはまだいい。質問は怖いが、あらかじめ想定してあるし、いざというとき<味方>が助けてくれる。

『あ、あ』

遠くで事務長が、こりゃダメだと手を額に当てている。
みなの顔は僕の顔でなく・・・濡れた股に集中していた。

名誉教授がボソッとつぶやく。
「泣く子も濡れる・・違ったかの?わはは!」
「(一同)うえへへへへへ!」

僕は気を取り直した。

『こんばんは。真田病院、医長のユウキと申します』最初からヘナチョコだ。

『えー、医長と申しましても1週間だけでして・・体験版とでもいいますか、その』
「(一同)わははははは!」

『週末には奈良のほうへ向かい、そこで院長代理をやらせていただきます。これも体験版ですかね』
「(一同)えへへへへへ!」

『最近のことですが』

場が静まった。

『唐突に救急車が何度も運ばれてくるという、異常事態が発生しました。先日は<なにや救急病院>にもそのようなことがあり・・』

「(一同)なにやなにやなにや・・・ざわざわ」

『正直言いまして、迷惑です。この真珠会というグループは。医師会への要望はまずそれです』

名誉教授は知らん顔して、隣と酒を酌み交わしている。
何かギャグを言いたいところだが、とてもそのような雰囲気ではない。重厚だ。

松田先生が手を挙げ、立ち上がった。
「まあユウキ先生。真珠会のすべてが悪いんじゃないんですよ。一部の人間がね」
『一部に勝手なマネをさせるような病院はゴメンです』
「勝手っていってもな。おい。困ったなこりゃ。副会長、どうです?」

葉巻を吸っていた老人が立ち上がった。
「確かに巨大な組織だ。はみ出す行為も時にはあろう。だがすべてを拒んではいかん」
のっけから、叩かれた。

「いろんな病院があり、いろんな医者がいる。わしらはそれらをまとめて、秩序ある医療を作っていく義務がある」

「そうだ!」「よっ!」国会のように声が飛ぶ。

「どういう形であろうと、患者を診るという行為に変わりはない。それができない病院なら、閉鎖するがよい」
『な、な・・ち、ちが』
それしか言葉が出なかった。

「それなら救急の標榜など、やめればよい」

どいつもこいつも、グルばかりがしゃしゃり出て・・・。

「品川くん!」副会長は叫んだ。
「うい?」
「もう酔ってるのか。ドラ息子が!きちんと指導しとけ!ささ、もう下がって!」

『ああ・・うう』
僕はカッコ悪く、おじぎして下がった。

列の後ろをゆっくり歩くと、みな訝しげに見上げてくる。なんというか、ものすごい水圧の中にいるようだ。

テーブルに戻ると、ザッキーがいない。
「おい事務長?ザッキーはトイレか?」
「けっけけ!恥かいてら恥!」
「オレもトイレ、行こっと」

実は、もうそのまま帰るつもりだった。

トイレに入ると・・・大のところは、誰か入ってる。

とりあえず、小を。
「ったく、なんだよあの葉巻野郎・・・!名誉教授は知らん振り!」

すると後ろから、コツコツ音が聞こえたかと思うと・・

「てえっ?」いきなりよろめいた。足首が蹴られたのだ。体勢を立て直し、振り向く。

「ま、松田先生?」
「ようこら!何言うてんやお前!」
「い、痛いじゃないですか!」
「おい!もうああいう事は、いっさい言うな!わかったか!」
「松田先生。真珠会と手を組んでるって本当ですか?」
「なにい?誰から聞いた!」
「やっぱりそうか・・・クリニックが進出するって」
「それとなあ!オレが紹介した患者!」
「?」
「わざわざ入院の準備してやってきたのを、追い出したってな!」
「追い出しなんか、してません!」
「した!」
「してない!」

松田先生は僕をじっと見つめた。
「ところでなあ。今度男子だけの集会があるんだ。行くか?」
「ホモの集会?」
「アホ言え。宗教の・・」
「そんなの、行きませんって!」
「功徳がついてくるぞ」
「くどい、んですよ・・・」

松田先生は呆れ、鏡を見て髪を直した。
「ま、名誉教授もな。今は大変なんだ。あまり突っ込むな」
「・・・・・」
「お前のとこの医者が、彼の息子の跡継ぎするかもってな?」
「噂?確か?」
「噂だ。だが、ハンコ押す1歩手前だ」
「・・・・・」
「ま。多額の借金背負っても、跡継ぎに回せばいい話だろ?病院の経営者って皆そうだ」
「無責任な・・」
「名誉教授一家は、さっそく逃げの準備にかかってるって話だ。調印が済み次第な。うわっはは!」
「そんな話。ザッキーが許・・」
「おっと。調印はこのあとだからな。会が終わるまで、お前は喋るな」
「聞いたからには。伝えます」
「ハーイダメダメ。オレがお前をここで留めとく」
「トイレに?」

やっぱり罠か・・・。今日中にハンコを強引にもらうとは。若い医者を騙して・・・。年輩医者の、やることかよ。

「なるほど!」

いきなり聞こえたその声に、僕らは黙った。

バン、と大のドアが開いた。
「そういうことですか!」
ザッキーは携帯を持って、出てきた。

松田先生は青ざめた。
「な。いたのか?」
「いましたし、聞きましたよ!」

ザッキーは携帯をポケットにしまった。

「ザッキー。今の会話・・録音?」と僕。
「は?」
「したんだろ?な?」
「は・・え、ええ!もちろん!」目配せにザッキーは一歩遅れ反応した。
「もちろんメチロンか!アイアムサム!」

松田先生はゾッと震えた。
「な、なに?録音?あっ?うっ?えっ?お前ってやらしいヤツだな!」
ザッキーはまた携帯を取り出した。
「名誉教授が聞いたら、さぞかし怒りますよ!」

松田先生は、太い拳をギュッ、と握り締めた。
「この・・・・!かせい!」
飛び掛った松田先生を、ザッキーはヒョイと軽妙に交わした。

「医長先生。車!車貸してください!」
「へ?いきなり?」
「いいから貸して!」

倒れていた松田先生がゆっくり起き上がった。

「早く!」
「いやいや。オレが送ってやるから!電話代の振込みか?」

僕はザッキーといっしょにトイレを走って出た。
大広間は雑談中だ。引き続き、事務長を連れて部屋を出た。

「事務長、ドライブするぞ!」
「なんですか?ラジオネーム恋する恥さらしさん!ふへへ!」
「ザッキーが、急いで行くとこあるんだってよ!どこ?」

「なんばまで!JRなんば駅!」
「なんば?どっか行くのか?明日は仕事だろ?」

僕はGTRに飛び込み、ザッキーは助手席。酔いつぶれた事務長を後ろに運んだ。
連れてきた残り複数名にはタクシーチケット(流用)を渡した。

キーを回し、GTRがガオンガオンと唸る。

「なんば、なんば・・・!大阪のヘソ!なんば!」ナビでセット。
「やっぱり、おいしい話ってないですね!」とザッキー。
「オレの言うとおりだろ?」
「先生。携帯で録音なんかしてないのに・・」
「でも、松田ビビッてただろ?あはは!」
「さ!出ましょう!」

僕の頭にカンがよぎった。アクセルを踏み、走り出す。30分くらいか。

「ザッキー。ははあ。なんば駅って。お前、さては・・・」
「?」
「オンナだろ!」
「げげっ!」

図星だったようだ。医者がトイレで携帯で話すといえば、

? 病院
? 女

であり、さらに?は、A)頭が上がらない妻、B)本命彼女、C)遊び女 に分けられる。この男はおそらく、?のB)だ。

さて・・・股は<いい感じ>に乾いてきた。

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