車は国道を突っ走った。

「で。ザッキー・・・オレの貸しは大きいぞ」
「すんません」
「女に会うのに、ここまでしないといけないか?」
「病棟には、またあとで帰りますから」
「いや別に。そういうことを言ってるわけ・・・」

わけだった。

事務長は後部座席で起き上がった。
「うっぷ!」
「おい吐くな!吐くなよ!」
「スーハー・・・スーハー・・・」パワーウインドウが下がる。

ザッキーは時計ばかり見る。
「ほんと、すんません・・・」

あの生意気なザッキーが、ここまで頭を下げるとは。
よほどの女に違いない。

「いやあ〜。デートに間に合うために急ぐ姿!」
「・・・・・・」
「久しぶりだよ。オレはもう何年もそういう場面はないが・・・」
「・・・・・・」
「知らない間に、仕事に埋没しちゃったな。地域に根ざしてしまった」

研修医の頃の、地獄のように忙しいときほど恋愛に悩むことも多かった。
というか、あれは若かったせい、それだけが理由か。

今では患者の病状などがかなり頭を支配するようになって、恋愛のことに時間をかけれなくなってきた。
それがダメもとの内容ならなおさらだ。無駄なことに時間をかけたくない、というか・・・無駄なことだと思ってないのに。

そうやって時間から逃げてきて、時間は加速した。

「ま。ザッキー。頑張れよ!オレみたいに失敗せずに!」
「頑張ります」
「だる・・・いいなあ!」

車の真上、高架を電車が走っていく。

「よし!あれを追い越してやる!」
アクセルを少し踏み、ズドンと車体が内臓とともに押し出された。

「げろげろげろげろ!」事務長が吐いた。
「ああ!バカ!」

不快な臭気が漂った。窓を全開、むしろ排気ガスを求めた。

「ハアハア。先生、無茶するもん。無茶するもん」事務長はトシキのように答えた。
「このやろ〜!あとで拭けよちゃんと!」
「だって運転が下手だし!うっぷ」
「も、もう話さんとく」

ザッキーは何度も携帯を押していた。

「ははは!ザッキーお前。大げさだよ。ケンかでもしたのか?」
「出ない・・出ない。地下だからかな」
「ははは!こいつはいいネタだ!みんなに言いふらしたろ!」
「ゆ、ユウキ先生以外はみな・・・」
「は?」
「知ってます」
「な・・・・オレだけのけ者?」
「ではなくて」

車は駅近くの道路、路側帯に停まった。

「先生、助かりました。ここからは自分1人で!」
「ん?ああ」

ザッキーは振り返らず、ダッシュで走っていった。

「おい事務長!」
「は・・はい」事務長は窓から顔を出したままだ。
「ザッキーの彼女。見てみようよ」
「は・・はい」事務長は楽になり、ゆっくり車から出た。

車からティッシュの山を、近くのローソンで捨てる。

「事務長。ザッキー探そうよ」
「えっ?ここはだれ?私は?」
「なんば駅だよ!」

事務長は見回し、やっと地理が分かった。

「ははあ!はいはいはい!」
「今日の朝の放射医みたいだな。おのれは・・・」
「ザッキー先生が降りて・・・デート?」
「な。見に行こうぜ」
「見に行くって先生。なんば駅って広いですよ?単に待ち合わせなら一体どこか・・」
「地下って言ってたよ。地下鉄だ」
「そうかなあ?なんか単純すぎて」
「もう出てるかもしれんがな。さ、行こう!」

僕らは早歩きで地下へと降りた。ものすごい人だかりだ。
みな目的地を目指し交互に行きかう。老人は1人も見当たらない。

「医長先生!こんなに人いたら、探せませんって!」
「地下鉄地下鉄!たぶんそこにいる!」
「うっぷ」
「あっ!」

事務長はガマンできず、突発的に吐物を床にぶちまけた。

「(通行人)きゃああああ!」

「ぷう・・ぷう!」うずくまった事務長は、また立ち上がった。
「そっか。みんなやけに早足なのは・・最終が出るからか?」

確かに、最終に近かった。

僕らは適当な切符で改札をくぐり、ホームを転々とした。

「はあはあ・・・人が多すぎるな。こりゃ」
「でしょうが先生!無理ですって!もう帰りましょう!」
「明日はオレ、休みだから」
「チェッ!」

僕らはゆっくりホームの階段を昇り、あきらめムードで改札を出ようと・・したら、事務長が後ろでバーに腹をぶつけた。進むのが早すぎた。

「ぶげえ!げろお!」

「(通行人)うわあああ!」

駅員さんがぞうきんを持ってきた。僕ももう1枚もらい、一生懸命拭いた。

「すまんな、事務長。なぜかオレ、気になって・・・!」
「はあはあ。ザッキーの彼女なんか、どうでもいいじゃないですか!はあはあ」
「あ、ああ。だけどここはなぜか・・・妙に懐かしくてな」
「吸い寄せられるように来た?あっ!いやいや」

事務長の一瞬驚いた目線は、わざとらしく元に戻った。

「どした?駅員さん。これ・・・どうもすみません」
立ち上がると、改札の端っこで・・・ザッキーは立っていた。後姿だが分かる。

「さ、さ!医長先生!」事務長が後ろから引っ張った。
「あ、あれだ・・・あれ!」
「先生!見つかりますよ!」
「・・・・・・」

ザッキーの向かい側の彼女は、すでに改札を出ていた。それかこれから出るのか。いや、どう考えても出たとこだ。この2人は改札の近くの柵の上で、手と手を取り合っているように見えた。

「あいつら・・手を握ってる。手を」
「ははあ。私はしょっちゅうしますが」
「けっこう可愛いじゃないか?なあ」

僕らはその女性の品定めをしているようだった。その彼女の左肩が妙に下がっていて、左肩の服がずれている。つまりそれだけ重たい荷物を持っている。その彼女は笑ったり、いや時々悔しそうな顔をしながら近づいたり離れたりしていた。

「事務長・・・前にもこういうことが?」
「は?知りませんよ。私は電車には乗らないし」
「こ、この光景は・・・まさか」

この光景は・・自分が研修医のとき、まさしく自分が経験したものだった。遠距離恋愛で月に1回しか彼女に会えず、業務を犠牲にしてでもこうやって空港、駅に送りに行った。妙な罪悪感と、後悔が襲った。時間とともに忘れ、美化していた光景だったからだ。

事務長は埃を払い落とし、観念したようにつぶやいた。

「医長先生・・思い出させましたか。やれやれ。あれは僕が熱を出して・・」
「い、いや・・あの時じゃない」
「え?」
「少なくとも、お前には関係ない・・・」

ザッキーは何度も行け行けと合図するが、彼女は泣き出して行こうとしない。

「あわわ。やめてくれやめてくれ・・・」
「医長先生!行きましょう!ささ!」

事務長に引っ張られ、僕らは地上へと上がっていった。

あれはザッキー・・・単なる見送りだったのか。別れだったのか。ケンカだったのか。

「はあはあ。医長先生。ザッキーを許してあげてください」
「なぜ?オレが?許す?あいつを?」
「ザッキー先生が妙によそよそしかったのは・・・医長先生への気遣いなんです」
「気遣い?」
「じゃあもう、ぶっちゃけ言いましょう。医長先生が以前、遠距離恋愛をしてて、その顛末は誰もが知ってるように」
「うるせえな。お前が言いふらしたくせによ!」
「ザッキー先生はその境遇があまりにも似てるため、ユウキ先生にだけは話せなかったと」
「あっそ!同情か?それで?」
「ユウキ医長を傷つけたくなかったんですよ!」
「なにい?そんなもう、6-7年も前のこと!」
「だから先生。そんなに厳しくしないで!どうかどうか!」

事務長は半分土下座でしゃがんだ。

「もとの先生に戻ってください!」
「もとの・・・?オレは変なのか?最近」
「は、はあ。どことなく」

何がどうなのか、サッパリ分からなかった。

「おい事務長。悪いけど。俺の車、臭くて乗れない」
「は?はあ・・・」
「これがキーだ。乗って、病院に戻してくれ」
「え?でも先生は?」
「オレ?オレはちょっと・・・じゃあな!」

僕は交差点を走って、向かいの街に渡った。

「はあ、はあ、はあ・・だる。とりあえず、明日が休みでよかったよかった・・・」

実は行く当てもなく、ひたすら歩き続けた。

「くそ・・・くそ。思い出したくなかった。思い出したくなかった。なのに・・・なぜオレは自分から探したのか」

ふと見上げると、ケンタッキーの電気が消えた。

「あの日・・・あの日。地下鉄の改札で・・・・急にゲロが出て・・違うな。いやいや」


あの日地下鉄の改札で・・・
急に・・・咳が出て
涙にじんで止まらなくなった
君と過ごしてたさっきまで
嘘みたいだね
もう帰る時間だよ

「よっこらせ!」

僕はシャッターされた地下道の手前の階段にうずくまった。

「ちくしょう・・ちくしょう!何がどうだか分からんが!ちくしょう!ザビタン!ひいひい!」



あの日地下鉄の改札で・・・
急に・・咳が出て
涙にじんで止まらなくて

「あの頃は忙しくて、忙しくて。でもホントはオレのせいだよ!それでいいだろが!ひいい!」

果たして、立ち直れるのだろうか・・・。

「でもごめんよ!ホントにごめん!うぐわあああ!」



手すりを越えて・・・君を抱きしめた・・・・・

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