病棟に上がると、日勤のナースらがまだ残っていた。夜の9時半なのに・・・

 丸テーブルの周囲に集まっている6〜7人はどうやら申し送りではなく、雑談のようだ。
 僕は空気のように足音もなく、カルテを1冊ずつモニター、重症板と照らし合わせていた。

「終わらんかったよ〜!終わらん!入院多すぎ!深夜にこのまま突入や!」物凄く興奮気味の、美野ナースだ。朝からずっと働きっぱなしだ。
「あいつ、また靴の底、外れとったの?」別の若いナースだ。
「今日もははは、外れとったはずれとったあ!」リーダーが下品に答える。

なんて会話してんだ・・・。これが女どもの会話なのか。

もう帰れよな。

 カテ患者の主治医、真吾はムンテラして早々に帰ったようだ。しかしカルテに記載がない。これは注意しないといけない。訴訟のため、もしものためと怯え慌てるつもりはないが、客観的な足跡というのは残さないといけない。今日の自分は、明日はある意味もう他人なのだ。なので今の自分を常に客観視しなくてはいけない。

「カテ終了後も、変わりはないな・・・」

 ぶつくさ言いながら、別の患者の分。ザッキーの気胸の患者。重症板で経過を確認。明日のレントゲンの指示を忘れているようなので、書いておく。
「これも、落ち着いているな・・・次!」

 呼吸困難で来た肺線維症、タイプ不明。近くの本でいろいろ調べると・・・どうやらLIPっぽい。これは・・・肺の間質にリンパ球系統の細胞が多数浸潤したものだ。多発性の斑状影に線状、網状影・・・。
「なになに・・・<低酸素が増悪し、ステロイドパルスを施行>、だと?いきなりか?」
線維症に対するステロイド投与に関しては、今でもかなり慎重を要するところだ。こういうことは、複数の医師の話し合いによる理性的・総合的な判断が必要だ。

 カルテの主治医欄は・・
「弥生先生!あいつ、研修の身で・・・!」

 自分が怒りを感じたのは、まだ経験浅いと思われる人間が単独の判断で、重大な治療を安易にしていたように思えたからだ。相談したにしても記載がない。その点、大学病院やしっかりした民間ではチェックがまだコマメといえる。定期的なカンファレンスやカルテチェックなどがあるからだ。

 だが今、自分が勤務するマンモス病院では、隅々にまで配慮が行き届かないのが現実だ。常に数をこなす性格の職場であるために、自分の領域で精一杯だ。大学などのように、何もしてない<官僚クラス>があら捜し的に点検するというようなシステムもない。

 このためか、民間病院では医療ミスが(あっても)表に出てこないことが多いのは、それも理由にあるのではないかと考える。

 と、勝手に怒っている自分が、実は主治医決めしたのだ。患者を割り当てておいて、「自分は知らなかった。聞いてない」などと言うのは卑怯なレスポンスだ。僕自身にも、責任はあるのだ。

「森ばかりを見ず・・・気をつけんとな」

 また大きな笑い声だ。注意しようとしたが、少し聞き入った。

「いばりくさりやがって!ああハラが立つ!」リーダーがまだ大声で。
「お前が全部せえっつうの!」他の声。いつもと違いすぎて、だれが誰かわからんほどだ。

 ミチルの時代が、懐かしい・・・。リーダーシップが変な奴に変わると、腐るのは早い。

「早くな!早くトシキングが戻ってきたらええねん!そしたらまた平和な長期入院が増えんねん!」「はよアイツ、奈良行けよな!お前おったら真珠会がドンドン患者送って忙しいんやって!」

 僕は思わず、声が出た。
「は・・・?」
「うぎ!」つりあがっていた目のリーダーは、一瞬表情が固まった。
「俺・・・?俺がいたら、真珠会が・・なんだって?」
「い、いたのですか・・せせ、先生」

 ナースらは一斉に散らばっていった。リーダーだけ残る。

「俺がいたら、真珠会が・・・患者を送る?どういう意味?」
「い、いや・・・」リーダーの視線はテーブルの受話器を行ったり来たりした。
「何か理由でも、あるのか?」
「りゆう、りゆうなんかいえいえ!すみません!すみません!」
「いや、俺は何かその、気になって・・・」

 リーダーは受話器を取って、外線を押した。
「じじ、事務長さん?すみません!あの・・・」
 そこからは言葉にならず、動揺したままリーダーは受話器を元に置いた。

何を、わけのわからんことを・・・。

 僕は重症部屋に入り、各患者の状態を確認した。そして詰所に戻ると・・も抜けのカラだ。ナースの申し送り事項は掲示板に書いてある。

 それらをチェックし、ようやく今日の仕事が片付いた。
医局まで、階段を登る。1段1段が、筋肉痛で痛い。

 しかし、女の陰口って怖いよな。どう思われているかは分かっていたが。まあ医療的な隠し事さえなけりゃOKだ。
 ただ、僕がいる限り真珠会が患者を送ってくる、っていう内容は・・・単なるネタか?

僕は狙われているのか・・・?考えすぎ考えすぎ。

どうやら靴の底の話も自分のことだな。と思ってサンダルを裏返すと・・やはりそうだった。

あれこれ考えつつ、廊下をピタピタ歩く。

「今日は怒ってばっかだな・・・♪あつさのせいさ〜、あつさのお〜せいさああ〜!」

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