無限に拡がる、医師過剰大都市群。そこには、様々な医者が満ち溢れていた。

 大学に残る者、検診だけでおいしく稼ぐ専業女医、地方に根ざすはずが痴呆に根ざした開業医・・・。

 関西ではこの頃から病院間での競争、貧富差が増加し、まさに弱肉強食の時代を迎えていた。

 僕らの総合病院「真田会」が「真珠会」と敵対し始めた日々。それでもバブリーな黄金時代は続いていた。

 病院経営が安定していた中、僕らは日々診療に追われていた。

金曜日。

「うっ?はっ?」

 胸騒ぎで目覚めた朝。

 起き上がりかけた体を、またゆっくりとベッド・・いや、ソファにしずめる。

「いたたた・・いったん起きたのに、また寝てしまったんだ」

 腰が痛かった。ここ数日かなり忙しく、ストレスも多かった。これも年なのか・・・。
 僕は天井に向かって両手を伸ばした。

「よ・・・・いしょっと!」
 ガバッ、と上半身を起こす。すかさず、耳もとの携帯電話を見る。

耳を澄ますと・・・近くでウイーン、と聞こえる掃除機音。
「そ、そっか。ここは・・・医局だった!」
周囲を見回すと、誰もいない。掃除機は廊下のほうから聞こえている。

 時計は朝9時を回っていた。医局員はすでに到着し、各自持ち場へと向かっている。

 ということは・・・

 寝顔を見られた。

 まあそれはいいとして。

 そうだ。彼女の寝顔・・あの寝顔。見てはいけないものを・・・・・。

僕は反射的にベッドから飛び出し、ズボンを勢い良くはいた。
「ス、スレッガーさん!こええ!こええよ!」

 近くの手洗いで、顔を洗う。今日は外来があるはずだ。ひょっとしたらこの病院で、最後の外来。
 睡眠不足は続いていた。医局なんかで寝て、十分な睡眠が取れたはずがない。

何食わぬ顔で、廊下に出る。

 エレベーターは・・・リハビリ患者が使い始めて満杯状態のようだ。ぜんぜん動かない。
「じゃ、階段で・・・」
 いつものように、手すりにジャンプ。スル〜、とゆっくり降りるが・・
「わっ!たっ!」
 肘乗せが足りなかったのか、中途でバランスを崩した。
「ぎっ!ごっ!」
 そのまま体制は崩れ、顔面をまともに手すりにぶつけた。
「ばっ!ぼっ!」

 ビンタで叩かれたような感覚で、そのまま詰所前に倒れた。打ち所が悪かったら、死んでいた。

「くぅ〜・・・」
ゆっくり起き上がり、すりむいた顔を確認。鼻血少々、擦り傷4箇所。
「ててて・・・」

腰を押さえながら、詰所に入る。
「おっとと、ここじゃなかった。外来に降りないと!」

「あ。来た」
もう遅かった。
「申し送りが、鬼のようにあります」

「外来があるんだ。できればあとで・・」
そう言ってる間にドアが閉められ、イスに座らされた。

案の定、外来からPHSが鳴る。
「もしもし?もうちょっとしたら行くから」
『キー!キー!』

あの男か・・・。

「検査の人がいたら、とりあえず行っといて。重症がいるならもう1人の外来に」
『キッキー!キッキー!ラザー!ガチャ(切)』
「もし・・・朝からハイだな」

リーダーの中年ナース、澪が上からじっと睨む。

「いいですか。始めますよ。トシキ先生の分も」
「なに?今日もあいつ、休みなのか?」
「整備がまだ終わってないって・・あ」
「せいび?なんの整備だ?」
「しまった・・・」
「おいおい。何を隠してるんだ?整備?車の整備?車検?」
「なんでもありません」

彼女は開き直った。
「では申し送りです。昨日の朝に入院しました、心不全のおばあちゃん。胸部レントゲンはそこです」
「・・・ああ、あの並んでる2枚な。徐々に水はひいてるな」
「ふだん飲んでる薬はどうするんですか」
「ふだん飲んでる薬・・・」
「よその病院から16種類も出てたんですが」
「・・・中止してるのか?」
「え?だって、昨日ユウキ先生からはそれに関してコメントないし」
「俺が書かなかったからじゃなくて。その日に確認するだろふつう?」
「さあ」

さあ、って・・・。

「澪さん。困るよ。内服の内訳をみると・・・抗けいれん薬とか入ってるし。中止している間に発作でも起こったら」
「さあ。それは主治医に責任があるんじゃないんですか?」
「な・・?ど、どしたんだよ?」

彼女は目に涙をためたまま、鬼のような表情だった。

「どしたんだよ?変だぞ。今日は・・・」
「なんでもありません!人工呼吸器の小川さん、高熱いまだに続いてます!抗生剤の変更はいいんですか?」
「昨日したとこだ。判定はまだ早すぎる」
「48歳、心筋梗塞。期外収縮は減ってます」
「減ってるって、どのくらい・・」

彼女は、数珠状に記録したモニター画面のコピー・・を丸めたものを僕に手渡した。
「自分で確認を」
「ホータイくらいに巻いてあるな・・・なんでここまでするかな」

すると澪さんは、持っていた大きな重症板を、バン!と机にたたきつけた。

「な?おい!」

彼女はそのまま、ズンズンと廊下、階段まで歩いていった。
呆然と見送る。

「なんだ、あれ・・・?」
「ふげ?」またもやボケボケの中野おばさんナースがゆっくり立ち上がった。
「中野さん、今日も日勤か?」
「あれ?リーダー、逃げたんか?」
「逃げたというか、いきなり走って行ったんだよ。下痢でもしたのかな・・・」
「ほうほう!おっほっほ!」
「なにがおかしい?」
「ユウキ先生がはは、何かまたしでかしてんねん!」
「してないよ!」
「きいっひっひっひ!」

間の悪いことに、師長が現れた。

「医長先生。リーダーが顔真っ赤にして走ってましたけど!怒るのにも度がすぎるのでは?」
「俺は何も・・・」
「それに、顔が汚い!」
「こ、これはさっき階段から落ちて!」
「ものすごく速かったですよ!顔が汚くて怖すぎて、それで逃げられたんとちがうの?うおっほほ!」

「(ナースやヘルパー一同)うおっほほほほ!」

理由にはホントに覚えがなく、しばらく天井を見た。

「さあ・・・もう秋だし」
「?」
「マラソン大会の練習じゃないかな・・・」

申し送りの続きは、重症板などの手書きから読み取った。

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