サンダル医長 金曜日 ? 付添人
2006年11月7日 詰所でカルテを何十冊と揃え、それぞれ数行の申し送り事項を記入。転勤する前の最低限のマナーだ。
「はあ、はあ。やっと終わった・・・!」
今は昼過ぎで、ナースらはほとんどが休憩のため控え室に入っている。何やらギャ−ギャー言う声が聞こえる。
今の師長は各詰所の師長らと豪華な食事を摂っている。そうなると下の人間らは小学生みたいに騒ぎ出す。
前のミチル師長のときは、みんなと和気あいあいだったのだが。
ふと手が止まった。
「ミチルさん・・・」
「あの。あのすんません」
詰所入り口に、どこかで見たような中年女性がいる。
「師長さんは・・・あ。先生」
「?」
「この間はどうもお世話になりました」
女性はぺこっと頭を下げた。
「ええっと・・たしか?」やはり思い出せず、唐突に聞いた。
「この間ほら、夜中に母が亡くなって・・・」
「亡くなって・・?ああ、はいはいはい!」
僕は放射線医のように、大きくうなずいた。
精神科医と蘇生したが、そのまま(心破裂で)亡くなったばあさんの、嫁だ・・・!
「そうですか。師長さんは今すぐは・・・」
「ちょうど今はね。すみません」
「では、これをみなさんで」
女性はお菓子の入った箱を両手で差し出した。
「いや、これはその・・・もらえません」カーターのように戸惑う。
「先生にではありません。詰所の皆さんに」
「な・・・そ、そうですか。で、では・・・?えっ?」
振り向くと、オークナースらが鼻息荒く後ろに5人立っていた。
みな、弁当の箸を持ったままだ。
「どうも、ありがとうございました。家もやっと落ち着きまして。では・・・」
嫁は何度も頭を下げ、エレベーターに出かけた。
そのうち1人のオークがつい言ったのだろう。
「おだいじに!」
どういう意味なのか・・・。
気を取り直し、廊下へ出た。
「人工呼吸器の、小川さんからだな・・」
僕が来るのに合わせ、家族も呼んでもらっている。別れというのは、どんな状況でも気まずいものだ。
病室に入ろうとしたとたん、白衣のポケットに手が入ってきた。
「うわ!なにやつ?」
「先生。ありがとう!」さっきの嫁だ。戻ってきて、また一瞬で立ち去った。
「なな・・・?」
ポケットを見ると、封筒。ポケットの中でちょっと破る。ポケットを覗きながら、少し手前に引く。
「ビール券だ・・・うっ?」
ふと近くを、ヘルパーがニヤニヤしながら通り過ぎた。
「いかんいかん、ここで見るものではないな・・・!」
病室に入ると、人工呼吸管理中の小川さんの横に、家族が2名。長男夫婦だ。
「あっ!どうも先生!」長男はサラリーマンだ。わざわざ休んでくれていた。
「すみません。休みまで取っていただいたとのことで」
「いやいや、何をおっしゃる!」
「いきなり転勤になりまして」
「・・どちらへ?」
「奈良の、真田第二病院です」
「第二・・ここの第二でっか?」
「ええ。古い病院をここの経営者が買い取りまして。新たに」
「できれば、このまま本人ごと連れて行って欲しいぐらいですなあ。せっかくええ先生にめぐり合えたのに」
「肺炎など炎症の所見は一進一退というところで」
「緑膿菌とか出て・・そうなると大変らしいなあ」
「あくまでも原因菌となった場合ですが。この方の場合は・・・」
「先生。戻ってくること、ありまんの?」
「さあ、それは僕には・・・」
経営者の意向によるらしい。
「あんな先生。お願いやけど」
「ええ」
「次の主治医の先生、トシキ先生にしていただけんかいな?」
「そ、それは・・・自分はシロー先生に頼もうかと」
「いや、それはなー」ご主人は、おもむろに不快な表情になった。
ご主人はヒソヒソ声になるため接近してきた。
「あのな先生。それも言いたくて、わし来たんねん」
「う・・・」
ワイフは近くで鋭く牽制している。
「わしな、実は松田クリニックかかってたんねん。ユウキ先生の・・先輩なんやろ?」
「い、以前はそうですが。今は関係は」
「ま、それはええねん。でな、そこでわし、誤診されてんねん」
「誤診・・・?」またか、と言いたかったが。
「わし、胸がつかえるって受診したらな。あ、それは狭心症やって薬いきなり6種類出たねん。でもマシにならんから、2年後大学に行ったねん」
「ええ。そしたら?」
「大学、やないない。へへへ。大学病院。へへへ」
「それから・・・?」
「うん、松田先生やおたくのおった、専門の科にかかったんや。胸部内科外来!」
「そのときの先生は・・・?」
「島先生!」
あいつか・・・。どの先生に受診しているか患者から聞きだして、<ああ、この人は貧乏クジひいたな・・>と思うことは多々ある。
でも真実を教えられられるはずもない(特殊なケースを除き)。
「でな、でな。心臓は関係ない!肺は関係ない!って言いよりまんねん!」
「すると・・・?」
「なんや先生、さっきからアンタ接続語ばっかりやな。胃カメラ受けたわけよ!そしたら食道に癌が!」
シーン、と辺りが静まり返った。
「まあその話はええ。そういうな、松田先生の下で働いてるようなドクターにな、家族を診てもらいたくないわけや!」
いきなり本題に帰った。
「シロー・・それがシロー先生、ということですか。なるほど・・・」
食道癌という病名を聞いて、何も言う気が失せた。
「言葉荒くなってゴメンな先生。あの先生ら、頭おかしいで。変な宗教やって、患者まで入信勧めて」
「そんなことまで・・」とはもう、知っていた。
「そういうドクターを雇ってるここの病院もやな・・とと、すまんすまん」
「シローは・・シロー先生は、そこまでは。そういう宗教はやってませんよ」
それだけ言い残し、病室を出た。
シロー。お前、まさか・・・。お前まで。
80代女性、昨日救急で入院となった。ほれ、あの・・家族が何十人と押しかけてきた。
呼吸状態はかなり落ち着いていた。
スワンガンツカテーテルが右鎖骨下静脈から入り、心臓内部の先端部からのデータが近くのモニターに映る。
近くでまた見たことのないじいさんが立っている。詰所で聞いていたが、内縁の夫らしい。この人も80はいってそうだ。が、背筋も伸びてしっかりしている。
「昨日と比べたら、データ上は改善・・あ、始めまして。主治医のユウキです。しかし明日転勤に」
「おんやまあ!」じいさんは驚いた。
「心不全で入院しまして」
「うん、もう何回も入院してて。そのたびわしが付き添いで」
「そうなんですか・・・」
「じゃが、息子や孫らが来たときは、わし引っ込んでますねん」
内縁の、非常に気を使うところだな・・・。
しかし、この年齢になっても続く絆というものは非常に貴重なものだろうな。拙者は、周囲で長続きするものを見たことがない。
「はっ・・・?またつまらぬことを、言ってしまった・・・」五右衛門のように、目を伏せた。
そして、また次の部屋へ。
しかしさっきのシローのことが、まだよぎる。
「一体どうなってしまったんだ。お前は・・・!相談もないし、さっぱり分からん!」
反対側の部屋に行くために方向転換し、また詰所を通り過ぎた。
すると・・・
「ブヒブヒ。ビールビール」背の低いオークが1人、昼食を終えてトイレに行こうとしていた。
「は?おれ?」
「いいな〜。ビールい〜な〜ブヒブヒ」
「なっ?」見てたのか・・・。そうだ。さっきのヘルパーだ。
「ブヒブヒ。このポッケに」次々とオークが現れた。
「どいてくれよ。まだ回診中なんで」
「先生、ビール好きやったっけ?」
「付き合い程度です。ってなんで答えんといかんのだ!研修医の問診か!ゲラウヒアー!ゲラウ!」
オークらは、笑いながら散らばっていった。
「はあ、はあ。やっと終わった・・・!」
今は昼過ぎで、ナースらはほとんどが休憩のため控え室に入っている。何やらギャ−ギャー言う声が聞こえる。
今の師長は各詰所の師長らと豪華な食事を摂っている。そうなると下の人間らは小学生みたいに騒ぎ出す。
前のミチル師長のときは、みんなと和気あいあいだったのだが。
ふと手が止まった。
「ミチルさん・・・」
「あの。あのすんません」
詰所入り口に、どこかで見たような中年女性がいる。
「師長さんは・・・あ。先生」
「?」
「この間はどうもお世話になりました」
女性はぺこっと頭を下げた。
「ええっと・・たしか?」やはり思い出せず、唐突に聞いた。
「この間ほら、夜中に母が亡くなって・・・」
「亡くなって・・?ああ、はいはいはい!」
僕は放射線医のように、大きくうなずいた。
精神科医と蘇生したが、そのまま(心破裂で)亡くなったばあさんの、嫁だ・・・!
「そうですか。師長さんは今すぐは・・・」
「ちょうど今はね。すみません」
「では、これをみなさんで」
女性はお菓子の入った箱を両手で差し出した。
「いや、これはその・・・もらえません」カーターのように戸惑う。
「先生にではありません。詰所の皆さんに」
「な・・・そ、そうですか。で、では・・・?えっ?」
振り向くと、オークナースらが鼻息荒く後ろに5人立っていた。
みな、弁当の箸を持ったままだ。
「どうも、ありがとうございました。家もやっと落ち着きまして。では・・・」
嫁は何度も頭を下げ、エレベーターに出かけた。
そのうち1人のオークがつい言ったのだろう。
「おだいじに!」
どういう意味なのか・・・。
気を取り直し、廊下へ出た。
「人工呼吸器の、小川さんからだな・・」
僕が来るのに合わせ、家族も呼んでもらっている。別れというのは、どんな状況でも気まずいものだ。
病室に入ろうとしたとたん、白衣のポケットに手が入ってきた。
「うわ!なにやつ?」
「先生。ありがとう!」さっきの嫁だ。戻ってきて、また一瞬で立ち去った。
「なな・・・?」
ポケットを見ると、封筒。ポケットの中でちょっと破る。ポケットを覗きながら、少し手前に引く。
「ビール券だ・・・うっ?」
ふと近くを、ヘルパーがニヤニヤしながら通り過ぎた。
「いかんいかん、ここで見るものではないな・・・!」
病室に入ると、人工呼吸管理中の小川さんの横に、家族が2名。長男夫婦だ。
「あっ!どうも先生!」長男はサラリーマンだ。わざわざ休んでくれていた。
「すみません。休みまで取っていただいたとのことで」
「いやいや、何をおっしゃる!」
「いきなり転勤になりまして」
「・・どちらへ?」
「奈良の、真田第二病院です」
「第二・・ここの第二でっか?」
「ええ。古い病院をここの経営者が買い取りまして。新たに」
「できれば、このまま本人ごと連れて行って欲しいぐらいですなあ。せっかくええ先生にめぐり合えたのに」
「肺炎など炎症の所見は一進一退というところで」
「緑膿菌とか出て・・そうなると大変らしいなあ」
「あくまでも原因菌となった場合ですが。この方の場合は・・・」
「先生。戻ってくること、ありまんの?」
「さあ、それは僕には・・・」
経営者の意向によるらしい。
「あんな先生。お願いやけど」
「ええ」
「次の主治医の先生、トシキ先生にしていただけんかいな?」
「そ、それは・・・自分はシロー先生に頼もうかと」
「いや、それはなー」ご主人は、おもむろに不快な表情になった。
ご主人はヒソヒソ声になるため接近してきた。
「あのな先生。それも言いたくて、わし来たんねん」
「う・・・」
ワイフは近くで鋭く牽制している。
「わしな、実は松田クリニックかかってたんねん。ユウキ先生の・・先輩なんやろ?」
「い、以前はそうですが。今は関係は」
「ま、それはええねん。でな、そこでわし、誤診されてんねん」
「誤診・・・?」またか、と言いたかったが。
「わし、胸がつかえるって受診したらな。あ、それは狭心症やって薬いきなり6種類出たねん。でもマシにならんから、2年後大学に行ったねん」
「ええ。そしたら?」
「大学、やないない。へへへ。大学病院。へへへ」
「それから・・・?」
「うん、松田先生やおたくのおった、専門の科にかかったんや。胸部内科外来!」
「そのときの先生は・・・?」
「島先生!」
あいつか・・・。どの先生に受診しているか患者から聞きだして、<ああ、この人は貧乏クジひいたな・・>と思うことは多々ある。
でも真実を教えられられるはずもない(特殊なケースを除き)。
「でな、でな。心臓は関係ない!肺は関係ない!って言いよりまんねん!」
「すると・・・?」
「なんや先生、さっきからアンタ接続語ばっかりやな。胃カメラ受けたわけよ!そしたら食道に癌が!」
シーン、と辺りが静まり返った。
「まあその話はええ。そういうな、松田先生の下で働いてるようなドクターにな、家族を診てもらいたくないわけや!」
いきなり本題に帰った。
「シロー・・それがシロー先生、ということですか。なるほど・・・」
食道癌という病名を聞いて、何も言う気が失せた。
「言葉荒くなってゴメンな先生。あの先生ら、頭おかしいで。変な宗教やって、患者まで入信勧めて」
「そんなことまで・・」とはもう、知っていた。
「そういうドクターを雇ってるここの病院もやな・・とと、すまんすまん」
「シローは・・シロー先生は、そこまでは。そういう宗教はやってませんよ」
それだけ言い残し、病室を出た。
シロー。お前、まさか・・・。お前まで。
80代女性、昨日救急で入院となった。ほれ、あの・・家族が何十人と押しかけてきた。
呼吸状態はかなり落ち着いていた。
スワンガンツカテーテルが右鎖骨下静脈から入り、心臓内部の先端部からのデータが近くのモニターに映る。
近くでまた見たことのないじいさんが立っている。詰所で聞いていたが、内縁の夫らしい。この人も80はいってそうだ。が、背筋も伸びてしっかりしている。
「昨日と比べたら、データ上は改善・・あ、始めまして。主治医のユウキです。しかし明日転勤に」
「おんやまあ!」じいさんは驚いた。
「心不全で入院しまして」
「うん、もう何回も入院してて。そのたびわしが付き添いで」
「そうなんですか・・・」
「じゃが、息子や孫らが来たときは、わし引っ込んでますねん」
内縁の、非常に気を使うところだな・・・。
しかし、この年齢になっても続く絆というものは非常に貴重なものだろうな。拙者は、周囲で長続きするものを見たことがない。
「はっ・・・?またつまらぬことを、言ってしまった・・・」五右衛門のように、目を伏せた。
そして、また次の部屋へ。
しかしさっきのシローのことが、まだよぎる。
「一体どうなってしまったんだ。お前は・・・!相談もないし、さっぱり分からん!」
反対側の部屋に行くために方向転換し、また詰所を通り過ぎた。
すると・・・
「ブヒブヒ。ビールビール」背の低いオークが1人、昼食を終えてトイレに行こうとしていた。
「は?おれ?」
「いいな〜。ビールい〜な〜ブヒブヒ」
「なっ?」見てたのか・・・。そうだ。さっきのヘルパーだ。
「ブヒブヒ。このポッケに」次々とオークが現れた。
「どいてくれよ。まだ回診中なんで」
「先生、ビール好きやったっけ?」
「付き合い程度です。ってなんで答えんといかんのだ!研修医の問診か!ゲラウヒアー!ゲラウ!」
オークらは、笑いながら散らばっていった。
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