物音1つしない町。

「♪ごじゅうななばんがいに吹く!ちい、さな、風に・・・ふたり肩をす!ぼめてあ!るきつづけ、たああアア・・」

 僕らはそろ〜り、と崩れかけた木造の家に近づいた。手前のピンポンを押す。ガー!と奥で音が聞こえる。すると・・・

「ウオンウオン!」
「ぎゃああ!」みな、のけぞった。入り口横の、ダンボールが開いて出てきた。
真っ黒い大きな犬は、僕らの数センチ手前で飛び上がった。というか鎖でそこまでだった。
田中君はしりもちをついていた。
「ぼ、僕。犬は苦手なんです」
「しかし、この犬のせいで入れんな。中に・・・」

途方に暮れていると、何やらスリガラスのドアの向こう、人影が見えた。
やがてそれは中から鍵を回しているようで・・・カチャカチャ、と回す音がする。

「どうしたんだ?なかなか開かないみたいだぞ?」
ばあさんらしき人は、まだカチャカチャ回している。どうやら・・
「あのう!それって逆ちゃいますか?」
「・・・・・」何か言ってるが、聞こえない。
「逆に回したら?」

いったん沈黙のあと、またカチャカチャ。
そしてやっと・・・カチャン、と鍵が外れた音。
カラカラカラ、と戸がスライドした。

頭の白髪が爆発したようなばあさんだった。
「・・・・お。おたくら?」
「あ、はい」田中君がおじぎ。「真田病院より往診でやってきまし・・・」
「・・・・」ばあさんは、マイペースで補聴器装着。
「真田病院より往診で参りました!お電話を頂いたのはご家族の方ですね?」
「何しに・・・きよった?」
「往診です!お!う!し!ん!」
「胸が・・・ここが苦しいんでしょ!」田中君はばあさんの胸に手を当てた。
「はずかしいな。あたしゃむねないのに」

ばあさんが玄関口に腰掛けると、遠くからトントントン・・と近づく足音。
田中君はのぞいた。
「おはようございます!先ほどお電話いただきまし・・・うわっ?」

人ではなかった。胴の長い、または毛むくじゃらの犬、犬、犬・・・。4匹も来た。
彼らはばあさんを守護神のように囲んだ。

目の前に階段があるが、ほかの家族はその上にいるのか。
僕は聴診器を耳にかけた。
「田中君。家族探してよ。オレは聴診からはじめる」
中野おばさんは、ポータブル心電図、超音波の入った袋をドサッとフロアに降ろした。

「すみませーん!すみませーん!」
階下から事務員が叫ぶ。やがて・・

「はい」
平然と、娘と思われる声がした。
「娘さーん?」
「嫁ですけど」
「お電話下さったんですよね?真田病院です!今からドクターの診察をいたしますので!どうも!はっ!」

プッシュプッシュプッシュ・・・シュ〜・・・と水銀血圧計がしぼんでいく。
「ほげ。上が102と下がななじゅう・・・さん!」
「なんで奇数なんだよ?ま、ええか。ばあさん、悪いけど調べるよ。今、胸は?」

「・・・タエと申します。ご機嫌いかかでっか」
「・・・・・あまりよくない」

心電図を記録。すかさず超音波。
事務員は家族に催促するが、降りてこない。
「先生。家族の方、どうやらお忙しいようで」
「困ったな。状況が知りたいのに・・・こりゃ・・・頻脈だけでなく、広範にSTが下がってる。1ミリは確実に」

超音波。ポータブルなので能力に限界はありだが、評価するには十分だ。
左心室の後壁に輝度の高い部分がある。そこの動きは中途半端に悪い。全体的に動きが悪く、左心室自体が拡大している。心不全疑い。

それにしても、ばあさん、痩せすぎだな・・・。貧血は著明。下肢はむくんでる。甲状腺も鑑別。ナースにより採血、ドクターカーへ向かい結果待ち。

周りを犬が動き回る。便臭も漂い、ハエの飛ぶ音も。服があちこち脱ぎ散らかしており、視覚的にうるさい部屋になっている。

「ふんげ?おくすりの袋?」ナースが床からカラ袋を拾った。開業医のだ。
「タエさん!これ・・ほかにない?えっ?平成7年?」

どうやら昔の受診分だ。それ以外、袋は見当たらない。

「タエさん。これ、ひょっとして最近飲んだ?」
「飲んだ。飲んだ。きょう」
「(会話にならんな・・・)」

ミオコールスプレーするが、症状はいまひとつ聞き取れず。心電図の再検は・・同様。

家族が階段を数段、降りてきて顔をのぞかせた。
太った中年女性だ。
「どうなんですか?」
「ええっと。先生!」事務員が促す。

「狭心症の疑いが強いので、いったん当院に搬送してそれから・・」
「だいぶ、かかりますか?」
「う?」
「お金はどのくらい?」
「じ、上限はありますがそんなには・・」
「うち、自営業で余裕がありませんので」
「ですが、心筋梗塞に移る可能性もあるので」
「入院はいいです。薬で治してください」

ナースが戻ってきた。採血結果は・・酵素やトロポニンは異常ないが、著しい低栄養だ。
たぶん、この家族は実質的には離散していて食事も介助なしで一方的に与えているんだろう。玄関の近くに冷えた食事が手付かずで、そのまま置いてある。

 事務員は根気よく説明し続けた。

僕は入院前提のものとして、入院指示を記入する。
「困ったな。携帯がつながらないし・・・病院にはあとで電話しよう」

タイミングよく、事務員がゴーサインを出した。
「オッケーです!入院いけます!数日ってことで」
「数日?ではすまんだろ」
「(囁き)そこからは先生のテクですよ」
「どあるぅ・・・!」

ナースがフーフー言いながら、外にストレッチャーを持ってきた。
僕ら3人は患者の両側、頭側についた。おもむろに前屈し・・

「(一同)せえの!よいしょ!」
バランスを崩しながら、なんとか外へ移す。幸い外の犬は箱にこもっていた。

「ふう。早くこの路地を出て、安全な所に出よう。真田病院に連絡をしてそんで」
「先生先生!」横から事務員が突いた。。
「はあ?うっ?」

ドクターカーの前に、行く手を遮る白衣の軍団3名。腕組み・マスクで睨んでいる。

「なんだ・・?果し合いでもするのか?」

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索