慢性呼吸不全の和田さん(男性)宅。一軒家で整った住まい。ニュータウンの一画。老後住むのにふさわしいような、行き届いた環境。緑もあるし、見晴らしも良い。

「いやあ〜・・・!いいとこですね」
長男の前で、そんな言葉が出た。50代の長男はのっしのっし、と僕らを長い廊下へ誘導。

「まあ住んで4年ですがね。親父・おふくろのためやと思ってわしら。ローン組んで。おふくろはもう、おらんけど」
 廊下でいきなり立ち止まり、左を向き両手を合わせる長男。そこは仏壇だった。

「なんみょう・・・・はああっなんみょみょ・・・んんん・・・」
それは思ったより長く続いた。僕らはどうしていいか分からず立ち尽くす。僕も思わず両手を合わせた。長男は続ける。

「・・・は・・けて、なん・・・して、スー(吸気)!・・・ことありて!・・・なんみょうなんみょう・・・なんみょ!はい!」
どうやら、終わったようだ。

 じいさんの部屋は奥にあった。10畳くらいあるのか、かなり広い。
ダブルベッドのようなベッドに、じいさんはゆったりと寝ていた。

 ナースらは口を開けて見渡していた。大きな絵画、大型テレビ、ストーブ、加湿器。食事さえあればもう何でも来い、そんな部屋だった。

 長男の催促で、じいさんはゆっくり目を開けた。
「あ。おはようございます・・・」
「おはようございます。真田病院です」田中くん、僕らはペコッとおじぎ。

僕は聴診器を出した。
「息のほうはどうですか?」
「ヘルパーはもう、辞めてもらったんでな」
「そういや、いないと思ったら」
「ゴホン。この子が一番、ようしてくれている」
長男を讃えている。

長男は何冊かノートを持ってきた。
「これが、ここ一ヶ月の酸素飽和度の記録。朝、昼、晩。痰の色はここに」
「こ、ここまで記録を・・・?」
「血圧と脈はこちらのノート。基準外のは赤で書いてます」
「へえ・・」

感心しながら目を通した。食事量、体重、その日の天気まで。漫然と記録していないのは、さきほどの赤での記録、基準外などという意識からも伺える。

「聴診では、両側下肺にラ音が・・」と聴診器を背中から外した。
「どれどれ」長男はどこからか、ミニの聴診器を持ってきた。
「あ・・・?」
「ふんふん。そうですね。右が若干、弱めかな今日は」

この人は、医療関係者なのか・・・?

「ケアマネさんから、いろいろ学びましてな」
「うおっと!」ドキッとした。
「でもなあ。まあヘルパーさんもそうやけど、最近頼りなかったんですわ」
「・・・・・」
「何質問しても、それはドクターに聞けとか、気のせいとか。調べてくれいって言っても、仕事が仕事なので分からんっていう」
「・・・・・」
「頼りないから、わしが独自で調べていった。そしたらな、そんな難しいことない」
「そうですね。難しいわけではないと思います」
「あの人らに言うたんや。もうちょっと勉強せんか。患者の家族に笑われますぜって。そしたらちっとも謝らん。だからクビにしたんや」

ケアマネは多くの患者情報をヘルパー通してやりくりする、中継ステーション。書類仕事、たまの訪問だけでもかなりの肉体労働だ。ヘルパーの方々も、家事以外にかろうじて使える時間を見出しての出勤が多い。つまり、彼らには通常勉強するようなまったりした時間はない。

この長男はいろいろ批判はするものの、それなりに自分で関心をもって取り組んでいる。目先の弱気にも捕われず、手段のための手段として勉強を積み重ねている。目的がある。

本にアンダーラインを引いてきた僕らの勉強に、いささか情けなさを覚えた。ちょっと反省させられたな・・。

僕は長男に採血などの結果説明。超音波検査で肺動脈圧を確認。
「右心系は、どうですか?」長男が横からのぞく。
「今、計算してますが・・・肺動脈収縮期圧は40mmHg以下」
「ならええですな。右心室は左心室よりチョット大きいですな」

やるな・・・。

「といっても・・こうやって角度を変えたら」
「そうやな。多角的に見んとな」
「ええ。するとほぼ同じ大きさかと」
「でもやっぱ、チョット右心室が。わしには分かる」

しつこいな・・・。

「え、ええ。そうなりますね」
「なんでも、いろんな角度から見ないといかんな。ま、先生やからそこは分かってると思うけど」
「え、ええ。地球も完全な玉ではないですしね・・・」

お前は地球を見たのか?と自分に思いつつ・・・仕方なく同意し、所見を書き込む。

長男はさらに、モノほしそうに見つめる。
「先生。よかったらそれのフリーズ画像、くださいや。コピーして」
「ええ。あっ・・・」
うっかり別のボタンを押し、画面が流れた。

「あ〜あ。やり直しや」中野ナースが、僕からおしぼりを受け取った。
「パソコンの中に、記録されてるやろ?それのコピーでええから」恐るべき長男だ。

「では・・・どうぞ」僕は1枚渡した。
「おおきに。コピー代は?」
「そんなそんな。いりません」
「さて。ん?」
じいさんの手招きで、長男は近くのミニ冷蔵庫から、飲み物を取り出した。

「3本。3本やな・・どぞ」
「(3人)ああああ・・・すんません」

テーブルの上に、リポビタンD。長男は1本ずつ丁寧にフタを開けた。
つまり、そこで飲まねばならなくなった。

僕ら3人は礼をして、ゆっくり一気に飲み干す。

沈黙。誰かが何か言い出しそうで、何も言わない。

チク、タク、チク、タクと刻む秒針。テレビを見始めるじいさん。

僕に続き、みな立ち上がった。
「(3人)し、失礼しまーす!」

長男に続き、ドカドカと廊下を歩いていった。
するとまたいきなり、長男は立ち止まって右を向いた。
「なんみょうなんみょう・・・!ふんなんみょう!」

丸い汗が、首から背中へと流れていく・・・。

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