夕暮れの帝塚山。路面電車が走る通りをすり抜け・・そこには格調高い家々が並ぶ。

1軒1軒がどれも個性的で、それぞれが「どうだ!これが伝統だ!」とアピールする、そんな個性が光る。

 その中の1軒・・・まるでヤクザの事務所のようなしっかりした外壁。幅は100メートルはありそうで、学校か刑務所のようでもある。

上からカメラがのぞいている。

「この家、すごいな。守りが」呼び鈴を押す。
『・・・お名前を』
「真田病院より、往診にまいり・・」
『・・・・・』
「?」

 ごつい自動ドアが、ゆっくり右にスライドした。

奥の飛び石段を進む。池を右に曲がって見える、豪邸の玄関へ。

誰もいない。ここでも鳴らす必要があった。

『はーい!』
「?ああ、あの、真田病院・・」
『病院?ああ、じいちゃんの?』
「え、ええ。往診で」
さっきと違う声だ。

『ここはね、孫の部屋なんですよ。すみませんが、じいちゃんのは向かって左。手前』
「ええっ?ああ!」
この2階建て豪邸は、孫の部屋だった。

「ちっ。あるとこにはあるんだよな・・!」

 僕とナースは、のっしのっしと向かって右へと歩いた。そういや、似たような家があと3軒もある。中でも一番古そうなその一番手前の屋敷に・・・

 屋敷の前で、ゴルフの素振りをする、背の高い老人。こちらを振り向いた。

「いやは、こんにちは!」
それは、まだまだ往診など必要なさそうな、体格のいいスマートなじいさんだった。
短パン姿で、両脚が筋肉質に発達している。後で知ったが、マラソン大会に毎年参加するのだという。

「さあさ、上がりなさい上がりなさい!」
クラブを放り投げ、じいさんはカララ、と戸を開けた。
そこだけで一部屋分と思われる玄関で靴を脱ぎ・・・なんか脱ぐのが恥ずかしかった。

「どれでも履いて!どれでも!」
じいさんの言葉に甘え、僕はフサフサのあったかそうなスリッパを履いた。
おばさんナースのスリッパ音がペタンペタン、とうるさい。
「(小声)おい。うるさいぞ」
「へ!」

 ナースの無神経な声が、はるか上の吹き抜け天井にこだました。

 じいさんについていくまま、らせん状の階段を登っていく。どことなくフラフラしている。

 壁に沿って、おそらくだと思うがじいさんの生い立ちが年代ごとに並んでいる。気になったのは、結婚した写真→子供と3人→子供2人で4人→すぐさま1人(じいさんのみ)になって、そのまま1人の写真で続いていたことだった。

ナースがぴたっと立ち止まり、想いを寄せていた。
「ほほお・・・昔はええ男やったんやなあ。ええ?」
「ええ?って言われてもな・・」
「外来カルテによれば!今はん?なに?ない・・えん!内縁の妻とどうきょちゅう!」
「シッ!」

 10畳ほどの部屋に大きなベッド、整然と並んだ書物。非常に知的な部屋だ。そこに入れてある茶の器までが知的。じいさんはベッドに腰掛けた。僕はその間、外来カルテに目を通した。

 当院で3年ほど前にかかっていたが・・つまり僕が来るまで。その頃は肺癌、肺線維症、狭心症、糖尿病・・・まさしく病気のデ○ートである。それが3年前、いきなり受診をやめていた。カルテの日付はそこでいきなり止まってる。

「今川さん。3年間、何も・・・?」
「医師の診察は受けてたよ。定期的に」
「そうですか。他院で」
「真田はんとこも、行きたかったんだけど。行けないからしゃあない」
「?忙しかったんですか?」
「忙しいというかなんというか。毎日のように呼ばれて」
「?」
「ちっとも帰らせてくれんかった」
「病院が?」

 ナースのバイタルが終わり、患者を横に。心電図、採血。
じいさんは腹を抑えた。所見はなさそうだが。

「吐き気と下痢がしてねえ。腹も痛い」
「胃腸炎がはやってますね」
「わしもそうやろと思った。正露丸飲んでも治らん」
「いけませんよ。それ!」

ナースはやっと採血。

「ふげふげ。血糖はデキスターでよんひゃくきゅうじゅうはち。へいへい」
「おい。何がへいへいだ!」僕は超音波を当てた。
「言いましたんよ!よんひゃ・・」
「だって498だぞ!驚けよ!」
「うわあ」
「覚えとけよ。後で・・・!」

案の定、じいさんは起きれない様子だ。

「たたた・・・起きれんな」
「今川さん。血糖がすごく上がってる」
「胃腸炎で、血糖が上がるんかいな?」
「もともと糖尿病があって、治療してないのもあるし。感染で余計上がってるのかも」
「糖尿病は治ったって、ムショの先生が」
「そんなことって・・ええ?」
僕は固まった。しかしナースは無神経だった。
「ああ。思い出した。確か新聞、載ってはった!」
「そうそう!」じいさんは喜んだ。
「逮捕(横領だったらしい)!」
「執行猶予やったんやが・・そのあと酒酔い運転で人はねて」

それで、刑務所入りだったのか・・・!

じいさんは観念したように喋った。
「外に出るのが怖いでんねん。もうこれ以上、なんかして迷惑でもかけてしまったらと思うとなあ」
じいさんの泳いだ眼は、近くの孫らしき写真で止まった。20代くらいの清楚な、洗練された女性。と勝手に僕は思い込んだ。

「・・・手前の家に住んどる孫も、わしを気にして気にして・・嫁にもいかんって」
「ああ。さきほど間違ってそこ行ってしまいまして・・すんません」
「先生もなあ。はよ結婚したほうがええで」

「そうやで先生!」ナースがフゴフゴと鼻息を荒げた。
「(バツイチのくせに・・・!)」

 しかし、ちょっと考えた。結婚しなければ、息子娘はおろか、孫の心配まですることができない。老後の生きがいまでも失いかねない。結婚式という儀式・親戚づきあいとか考えると、どうしても仕事のほうに逃げ込んでしまう。

 と、相手がいないことの言い訳をしていた。

 心電図は著しい左軸偏位に左脚ブロック、超音波では左心室前壁異常運動(左脚ブロックの所見)あり、心機能の低下もある。肝臓など、肺癌転移のような所見はないようだが、造影で再評価する必要がある。悪性腫瘍はとにかく綿密に。とにかく綿密にフォローせよ、というのはオーベンの口癖だった。

「今川さん」
「ぬぬ?」
「何が何でも、これは・・・今日にでもできたら」

若い女中がさらにパイナップルを持ってきた。
ナースが遠慮するが、手伝ってテーブルに降ろしてる。
「うへへ。ごめんねえ。ゆうき先生もはよ結婚しいや!」

「今川さん。家でこのまま居るのはよくない。絶対に今日中にでも・・・」
僕はじいさんに告げていた。

 しかしそのとき、なんであんな言葉が出たのか・・・。いろいろ頭が混乱してたからだ。

今、思い出しただけでも情けない。

「ケッコンしましょう!ああっ?ちが!にゅ、にゅういんにゅういん!あれくそなんで?」

「きゃあああ!」
若い女中は盆ごとひっくり返り、テーブルの熱い茶までが四方に撒き散らされた。

じいさんは落ち着き払っていたが・・まんざらでない表情が不気味だった。

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