作者、最近のシリーズを大いに<超>語る ?
2007年5月23日『大学から左遷された、もとオーベンが助っ人でやって来ましたね』
「講師止まりだったのは、オカマっぽいキャラが災いしたから、かどうかは知らないが。教授から煙たがられると、特に講師・助手の人間は飛ばされる」
『嫌われるんだね?』
「反抗的だとか、出身が違うとか・・・つまらん理由だが、今でも根強い伝統だ」
『大学を出たら、出世はなかなか無理?』
「ノー。そうとは限らない。能力があればその病院の一国主になれる可能性も高い。大学の講師・助手クラスなら何か特殊な技術に秀でてることが多いから、それを売りに頑張ることは可能だ(だが特殊な技術ほど使う機会は少ないかもしれない)」
『もとオーベンと再び働けるっていうのは?』
「光栄で感動的だ。苦しい時に築いた人間関係は、その後も頑なに守られる」
『なるほど』
『<庶民性>、という言葉が出てくるが。これは先生の言う、医者の資質?』
「イエス。<北野>の言う<貧乏人>みたいな意味ではない」
『庶民性というのは田舎だけにあらずってこと?』
「イエス。広い意味でだ。平たく言えば、ほとんどのサラリーマン家庭をさす。自分の労働力を資本として家の外で働き、この国から家庭を守っている。今の世の中、それが当たり前になっているのが悲しいが」
『ドクターはそれを意識せよと?』
「そういう背景を考えて、診療に当たっているかどうかだ。家庭を守る父親に限らず、家事で支える家族、残された家族・・・まず持つべきは、それ(患者が家族の一部であること)への思いやりだ。この人を復帰させて、もとの家族の輪に戻したい。慈悲の心というのは小学生の作文だ。<かわいそう>ではなく、<手助けしよう>という意気込みを感じているか」
『アーハン』
「医者の適性など、面接しても分らない。現場はそれだけ特殊なんだ。しかし全てが試される。こんな職場も珍しいよ」
『でも、<北野>は分らなかった?』
「そうなんだ。病院スタッフがよく使う言葉だが、<分らん奴には何言うても分らん>」
『タウンページで先生の頭を・・』
「思いっきり叩かれた。その後彼は同様の仕返しを受けることになる」
『続きは<ES-MEN>で』
「最終作に向かって、準備が整いつつある」
『最終作?』
「これが全くの作り話ならナンセンスだ。いくらでも話をデッチあげられる。だが、それでは仕事の合間に制作している意味がない」
『仕事中に制作を?』
「厳密には当直明け、土曜日などの半ドン日を利用している。脚色が増えたものの、当時の情景を思い起こすことはときにブルーで、そんな時は更新日が思いっきり遠のく」
『トラウマ的な描写?』
「物事を単に思い出すだけならいい。しかし、こうやってキーを打つことで妙に生々しく記憶が再生されることがある。その再生に、そろそろ限界を感じてきた」
『受診が必要では?』
(会場;ざわめき)
「これから最終作に向けて、これまでの仲間のほとんどが敵になる」
『裏切り者?』
「自分にとってはね。でも彼らは彼らで正常だと思ってる。だが状況が困難になればなるほど、対立はしやすいものだ」
『せっかく一緒に勤務したスタッフなのに』
「やむを得ない状況を考えると、ほとんどが悪ではない。しかし、本当の悪は存在する。僕は長いこと気付かなかった。それだけは言っておこう」
『話を変えよう。精神的な影響はなかったか?』
「ストーリーを構築するにあたって、自分と向き合うのがこれほど大変とは思わなかった。医療モノのマンガとかよくあるよな?」
『あるね。少年誌やドラマとか』
「コメディは別として、シリアスな出来のものを見ていると、スケールが大きくなるに従ってその作者が壁にぶち当たっているのがよく分かる」
『自分で作った壁に?』
「イエス。まず問題提起があって作者はそれを代弁者として回答を出さなければいけないが、動かせない現実にぶち当たる。それとの板挟みにあうんだ」
『スケールを大きくしたための弊害?』
「そうだ。そのために潰れていったストーリーは多い。作者もストレスで大変だったと思う」
『なるほど』
「だが伝えたいことがまだある限り、ストーリーは生きてるのだと思う」
『見習いたくない展開・ストーリーは?』
「そうだな・・・<ひとつ屋根の下2>のラストみたいなのは、願い下げだ。では皆さん。サマーシーズンに会いましょう!」
(会場;拍手)
「講師止まりだったのは、オカマっぽいキャラが災いしたから、かどうかは知らないが。教授から煙たがられると、特に講師・助手の人間は飛ばされる」
『嫌われるんだね?』
「反抗的だとか、出身が違うとか・・・つまらん理由だが、今でも根強い伝統だ」
『大学を出たら、出世はなかなか無理?』
「ノー。そうとは限らない。能力があればその病院の一国主になれる可能性も高い。大学の講師・助手クラスなら何か特殊な技術に秀でてることが多いから、それを売りに頑張ることは可能だ(だが特殊な技術ほど使う機会は少ないかもしれない)」
『もとオーベンと再び働けるっていうのは?』
「光栄で感動的だ。苦しい時に築いた人間関係は、その後も頑なに守られる」
『なるほど』
『<庶民性>、という言葉が出てくるが。これは先生の言う、医者の資質?』
「イエス。<北野>の言う<貧乏人>みたいな意味ではない」
『庶民性というのは田舎だけにあらずってこと?』
「イエス。広い意味でだ。平たく言えば、ほとんどのサラリーマン家庭をさす。自分の労働力を資本として家の外で働き、この国から家庭を守っている。今の世の中、それが当たり前になっているのが悲しいが」
『ドクターはそれを意識せよと?』
「そういう背景を考えて、診療に当たっているかどうかだ。家庭を守る父親に限らず、家事で支える家族、残された家族・・・まず持つべきは、それ(患者が家族の一部であること)への思いやりだ。この人を復帰させて、もとの家族の輪に戻したい。慈悲の心というのは小学生の作文だ。<かわいそう>ではなく、<手助けしよう>という意気込みを感じているか」
『アーハン』
「医者の適性など、面接しても分らない。現場はそれだけ特殊なんだ。しかし全てが試される。こんな職場も珍しいよ」
『でも、<北野>は分らなかった?』
「そうなんだ。病院スタッフがよく使う言葉だが、<分らん奴には何言うても分らん>」
『タウンページで先生の頭を・・』
「思いっきり叩かれた。その後彼は同様の仕返しを受けることになる」
『続きは<ES-MEN>で』
「最終作に向かって、準備が整いつつある」
『最終作?』
「これが全くの作り話ならナンセンスだ。いくらでも話をデッチあげられる。だが、それでは仕事の合間に制作している意味がない」
『仕事中に制作を?』
「厳密には当直明け、土曜日などの半ドン日を利用している。脚色が増えたものの、当時の情景を思い起こすことはときにブルーで、そんな時は更新日が思いっきり遠のく」
『トラウマ的な描写?』
「物事を単に思い出すだけならいい。しかし、こうやってキーを打つことで妙に生々しく記憶が再生されることがある。その再生に、そろそろ限界を感じてきた」
『受診が必要では?』
(会場;ざわめき)
「これから最終作に向けて、これまでの仲間のほとんどが敵になる」
『裏切り者?』
「自分にとってはね。でも彼らは彼らで正常だと思ってる。だが状況が困難になればなるほど、対立はしやすいものだ」
『せっかく一緒に勤務したスタッフなのに』
「やむを得ない状況を考えると、ほとんどが悪ではない。しかし、本当の悪は存在する。僕は長いこと気付かなかった。それだけは言っておこう」
『話を変えよう。精神的な影響はなかったか?』
「ストーリーを構築するにあたって、自分と向き合うのがこれほど大変とは思わなかった。医療モノのマンガとかよくあるよな?」
『あるね。少年誌やドラマとか』
「コメディは別として、シリアスな出来のものを見ていると、スケールが大きくなるに従ってその作者が壁にぶち当たっているのがよく分かる」
『自分で作った壁に?』
「イエス。まず問題提起があって作者はそれを代弁者として回答を出さなければいけないが、動かせない現実にぶち当たる。それとの板挟みにあうんだ」
『スケールを大きくしたための弊害?』
「そうだ。そのために潰れていったストーリーは多い。作者もストレスで大変だったと思う」
『なるほど』
「だが伝えたいことがまだある限り、ストーリーは生きてるのだと思う」
『見習いたくない展開・ストーリーは?』
「そうだな・・・<ひとつ屋根の下2>のラストみたいなのは、願い下げだ。では皆さん。サマーシーズンに会いましょう!」
(会場;拍手)
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