例の2人(23歳とコワモテ中年男性)。2人部屋。
僕がノック、ドアを開けると・・・

「いない・・・それにしても。すごい荷物だな」

 まるで家ごと引っ越ししてきたかのような大荷物というか段ボール箱。その汚れから、年季の入りようが分かる。

「ミチル師長。回診の時は・・」トシ坊が声かけしたとき、師長は息切れして戻ってきた。
「はあはあ!喫煙ルームにいたそうです!声はかけたらしいんですが例によって」
「4年前みたいに・・聞きわけなしですか」

 放射線科医が窓の外を見ている。
「病院前のスーパーだった土地、買い取り手なしでんな」
「なに?」僕はつられて見た。

「不況の波は恐ろしいですなあ!」
「儲けてたスーパーだったんだよ。それが突然・・・事務長によると、そのオーナーのビジネスが失敗したらしく」

「オーナーの勝手でねえ・・・」
「日本全体が、近いうちそういう風になるらしい。医療界にもビッグバンが起こるって」
「ピッグ?」
「そう。ブタ」

もう、ええ。

 大阪はすでに荒れていた。格差社会とか言われる以前に、ここは2通りの生き方しかなかった。使うか、使われるか・・・。事務長の言うビッグバンというのは、今でいうファンドなどの資金団体による病院M&Aを指してたように思う。

「じゃ、よその部屋に行くか」

 隣の個室へ。72歳男性。僻地から引っ張ってきた患者。VRE感染から回復。酒による肝硬変があり、アンモニアが高い(今はリーバクト等で改善)。腹水が少量。この人は議員をやってたが不祥事で行き場がなくなり・・・在宅さえ面倒見のアテがなかった。面会人も皆無。

「主治医の医長です。回診をば」
「うむ」風格衰えた男性は新聞をゆっくりたたむ。

「しんどくは?」
「当たり前やろ・・もうええで。診察は」
「しかし・・」

「も、早く死なしてくれ」平然と言う。
「せっかく生還されたのに・・・」トシ坊が憐れむ。

「いやあ。わしは先生らより少なくとも長生きはしとるが。生きてたことの重みっていうのかなあ。あの重みがある時になったら来るんや。ドッとな」

 僕はこれに似た重みを・・・近いうち受けることになる。

 別の部屋。シローが待っている。

「いきますよ。AS(大動脈弁狭窄症)でオペして戻ってきた人80歳女性」
「転院で戻ってきたんだよね」トシ坊は聴診器。
「ところが、これですよ」
シローが写真を掲げた。

 腸閉塞だ。

「せめて術後、食事してオッケーだとか確かめてくれたらいいのに・・」
「大学からの紹介だが・・外科→内科に移って当院への紹介なんだが」

「医長。大学の先生ら、何も連絡なしで紹介状だけですよ。イレウスなんて聞いてない」
「あ、ああ」トシ坊はどこか動揺。

「自分から連絡していいですか?」
「い、いや。僕から言っておく」

 僕は紹介主を見た。
「ガニーズじゃないか。昨日、当直だった」
「知ってるんですか?」トシ坊が聞いてきた。

「寝当直しやがって・・!そいつの次の当直は来週か?」
「それは・・・」

 ミチルはメモを見た。
「あ!明日入ってる!その2日後も・・」
「そんなよくバイトに入れるな。俺らはありがたいけど。医長、そいつ院生か?」

「院生だからってそれが何です?」
「かばうなよ。最近の奴らは常識がないんだよ」

 シローは午後イレウスチューブを入れる予定に・・するはずだったが彼は僕のところへ。

「先生。お願いが」
「チューブは自分でやれよ!」
「夕方からその・・・」

 僕らは廊下へ出た。

「シロー。あそこ(松田すこやかクリニック)はもうやめろって言っただろ!」
「そのうち」
「割がいいのは分かってる。でもここの勤務との比重を考えてくれよ。その分俺らが!その、俺らが・・・」
「・・・・・」
「い、いや・・・ま、まま。そのうちな」

 各部屋を回り、ベランダへ。携帯の確認。

「ふ〜!」
「さっ!月曜日月曜日!」事務長が階段を上がってきた。
「なんだ。お前か」
「なんだとは失礼な!」
「わざとらしいんだよ。何が月曜日月曜日だ」
「先月の売り上げがイマイチでしてね。診療報酬の削減ときてるし」
「それが俺のせいだとでも?」
「とんでもない。ところで先生。スタッフらの目に余る非常識さ。私も同情しております」
「同情する奴が、5時キッカリに帰るかよ」

 大きな国道は早くも渋滞にさしかかる。左に夕陽。遠くで<暴れん坊将軍>のクライマックス音楽。

 事務長はまだそこにいる。

「本題は?」
「ははっ」
「はよ言え!」

「い、一部の職員からの要望なんですが・・」
「何?俺への?」
「ええ。聞き流す程度で。なんせ私もそのまま伝えに来ただけでして」
「具体的には?」

「お疲れのあまりだと思うんですが・・その先生。最近、かなりお怒りになられることが多いような」
「午前中に言っただろ。原因があるから結果がある」
「医療は私には」
「ほれみろ。それがいけないんだよ。て言うか、俺が言うのは、医療がどうとかマニュアルがどうとかじゃないんだ。根底にあるものを変えなきゃ」
「根底にあるもの。人の心ですか?つまりそれは?具体的におっしゃいますと?」

おかしいな。この男・・・質問が儀礼的すぎる。
カンで、僕は彼の上着に注目した。

「ん?あ、おい!」
「うわあ!」

 ビッと引っ張ったその手の指の間・・つかまえた。イヤホン型のマイクだ。
 内ポッケにつながってる。

「流行りのボイスレコーダーか・・・」
「いやあの、これはですね」
「どうしたんだよお前ら・・」
「仕方なく。その仕方なくで」
「よし。じゃあ言ってやる」

 内ポケットに口を近づけた。

「我々は、降伏はしない!」

 事務長はよろめき、手すりにかろうじてつかまった。
 

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