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2009年6月30日 連載

 真田病院の事務室では、もはや活気は失われていた。

「ああ・・・ああ」シナジーは携帯を何度も頭に打ち付けた。女性事務員らは、シュン・シュンとすすりが絶えない。

「うちは空床閑古鳥のままか・・・」

 診療しているドクターらには、まだピンとは来ていない。検査を終えた一同は、カテーテル室の休憩室でダベっていた。

 トシ坊が仕切る。
「東大阪の病院だったんだと」
「ま、何とかなるでしょう!」ザッキーが人ごとライクにしゃべる。
「僕らはドクターだ。経営のことは口は挟めない」
「救急ラッシュがあと3回くらいあれば、うちも満床なんすけどね・・・」
「仕方ない。外来患者はあのクリニックが独占してる」

 ザッキーはゴミ箱を蹴った。

「というより、シローでしょう!裏切り者のせいですよ!」
「僕も、最初はそう思った」

 トシ坊はザッキーのように思ってなかった。

「ザッキー。君の欠点だが」
「いきなりそれきますか?」
「診断するときに大事なのは?」
「はあ?そりゃエビデンスでしょう?検査の情報とか」
「時間がないから言うが。背景にもっとこだわれ」
「背景?」

 トシ坊は、もうちょっと詳しく言う必要があった。

「ユウ先生がよく強調していたことだ。物事には背景というものがあり、それを起こすべく何かが潜む」
「リスクファクターですか?」
「それも1つだな。家族歴、生活様式・・・」
「それくらい、僕だって気にかけてますよ」
「それだけじゃない。患者が病院にかかるまでの時間、それまでの既往の不自然さ、家族の顔色・・」
「で?シローと関係あるんすか?」

 ザッキーは冠動脈造影をパソコンで解析中。防護服を脱いだ。ドサッと汗まみれの服が落ちる。

「シローの不可解な行動も、ひょっとしたら理由が重なってのことかも」
「金に目がくらんだ裏切り者でしょうが?」
「そういう風に、仲間を見てたのか?」
「そういう風って・・・」

ザッキーは言葉を失った。彼も本当は・・・

「ユウ先生も、彼を憎めなかった。縁を切るとかいいながらも次の日には銀行で待ち伏せてたようだ」
「縁を切る・・?そこまで言ったのにまた会う?」
「本当の人間らしさって、何だと思う?」

ザッキーは考えた。
「それはまあ、人を救おうっていう犠牲心でしょう」
「いや・・・」
「何?」
「<弱さ>だろう・・・」

日系人のピートは近くで爪楊枝を加えていた。目は閉じている。

「弱さか・・・日本人の最後の性(さが)だな」
「最後の?」トシ坊が問うた。
「今の日本人を見てみろ。今じゃ、俺の故郷アメリカに金を吸い取られ、魂までデフォルメされて・・・その<弱さ>にまでつけこんでいる」
「弱さを無くしたら、人間らしくないよ」
「そうやってお前さんらは美化するが。勝者になれない奴の言い訳にも聞こえるな」

立ち聞きしていた桜田は、流れっぱなしの水をずっと眺めている。

ソファで寝ている大平が顔だけ上げた。

「勝者か・・・勝者な。でもピート」
「あん?」
「どういうのを勝者っていうんだ。お前の国では、金を手にした奴のことだろ」
「金はついてくるものだ。勝者なら誰にでも」
「だから、足津のような奴が生まれた。これからもどんどん生まれる」

ピートはそっぽを向いた。
「お前は僻地で、勝者になったか?」
「おい取り消せ!」

大平は飛びかかった。

「やめて!もうやめて!」叫んだのは桜田だった。
「(2人)ちっ・・」
「もうイヤよ!こんな病院、もうイヤよ!」

ザッキーは含んでいたアメを、歯でカン!と割った。

「もうイヤ!あたしは患者さんを救ってる皆が好きなのに・・・くく」
泣いているようだが、みな正視しない。

「どうして争うの?ねえどうして人をそんなに否定できるの?」

ザッキーは気まずくなり、立ち上がろうとした。

「ほら!先輩はまたそこで逃げようとする!」
「逃げるって・・俺が?俺が何から逃げた!」
「みんなで力を合わせなきゃ!」

ザッキーは腹が立ち、呟いた。

「ならおい。足を引っ張らないよう頑張りな!」
「うっ・・・」

彼女は急にしずまり・・・隣室のフィルム室へドカン!となだれ入った。

「さく・・・!」
大平の声は届かなかった。














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