日本の体臭

2011年3月17日 連載
 原発の対応のずさんさ、みずほ銀の大失態など・・・別の意味で目を覆うニュースが続いている。国民は確かに比較的冷静だ。今は。しかし上層部つまり管理側は、いざというときに能力を発揮できず、説明ができない。本当に<分からない>のだ。

 こういったことが起こるのは、<現場任せてあとは楽する上層部>、それと<その雲の下でリスクを背負う部下たち>らとの断絶関係が背景にあると思う。これは日本独自のものではないか?知らない間に、こういう社会ができてた。

 この構図は海外の企業のイメージがあったが、あちらは<本当に能力があるブレインとしての上層部>と<その上層部に監視された効率よいイエスマンら>であって、命令⇔実行⇔結果の責任部位が分かりやすい。日本はこれを<非人間的>と教育してきた。

 日本はリスク回避型、海外はリスク追求型。あちらでは責任の所在がWhy?と、とことん追及される。英語の構文にもみるように、表現に曖昧さがない。文化的にはどうかと思うが、組織それも責任の追及という意味では、日本の体質の方が隠ぺいしやすい。

 上は「任せていたので知らなかった」、下は「聞いてなかった」。で、お互い傷つかずに済む。こういうのが体臭として染みついているのではないか。


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