ディカプリオの吹き替え学
2011年5月1日 映画ディカプリオはマーチン・スコセッシなどベテランとの交流が多いためか、今も大作に恵まれている。だがなぜか、大風呂敷の割に個人的な内容で尻切れるパターンが多い。
たいていは若手で権力者→最初は順風満帆→問題発生→美女がからむ
さあここで、デカプリオが自らの法を破る。この、ためらいながらも一線を越えるのが印象的だ。しかし・・・
結局、その美女に裏切られてしまう。そのあと、友人か虚空に向かってキレ叫ぶ吹き替えが印象的。
「俺はそうだたしかに助けた!そうだ助けたんだよそれが悪いかいいや後悔は!していない!たとえこの地が!アメリカがどうか知らんがいやどうだっていい!すべては俺のしたことだ国が俺をどう罰しようと奪えない!俺の心は奪えない!」
そして、燃え尽きる。最後に一服。
この姿が、自分の臨床医像に迫るものがある。
ついつい、特定の症例に時間をかけてしまう。効果が出て頼りにされる。その患者のために治療薬を準備。達成感と充実感に満足しつつ、治療開始を待つ。ところが・・・
(家族)「すんません。もっと大きい病院へ紹介してください。紹介状は今日まで」
そこで、爆発する。
「俺が助けたのはなんだと思う?患者の病気を?いいやあれはまだ序の口でこれからが!そうだ論文にできるほどの症例だ患者も!俺の腕を信頼していたまさに心と心が!インフォームドしてたそれが?信じられない!ああ信じられなかったよ聖キリストは言ったさ犠牲を払えと!払ったさ!これ以上何を払えというんだ?所得税をもっとか?(札を放り投げる)そらもっとか?ハアン?」
でも男たちよ。裏切られても、最後に一服する余裕、時間だけは忘れるなよ。
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