なぜかやめてしまう「できる医者」
2011年10月12日 連載前にも書いたような内容だが・・・。
大学のいいポストを出て、いろんな病院で部長など責任者を経験、留学歴もあり民間病院へ・・・その後いろいろ有名な病院を転々。そのうち有名でない病院を転々。彼らには共通点がある。それもきれいに1年サイクル。
こういった1年となっている。
4月。資格・能力に期待され鳴り物入りで登場。さっそく重要ポストで診療開始。技術もよく評判が上がる。
5月。症例が増加、パダワンもつく。患者が増えて発言力がついてくる。
6月。パダワンのほか技師・ナースなど似た志が集まり1つのチームが結成。飲み会などでも盛り上がる。
7月。その医師独自の発想で革新的なシステムが提案される。その大病院的システムが民間病院で動き出す。さきほどのチームも協力。
8月。医師らの夏休みなどが入り各医師の負担増。また時期的に患者が急増し、体力を越えた多忙さに襲われる。しかし自分がやるといったこと、できるといったこと。やらねばならない。
9月。ここで、チームから結論。「この病院のスタッフはおかしい」となりチーム独自の独走が始まる。システムの徹底を訴えるが、そろそろ旧体制派の反論が始まる。
10月。患者数が減り、これまでの症例数といかなくなる。活躍の場も減り、どこの部署とも絶縁状態となる。ここで仲をリセットしていたら・・・。
11月。やりがいが得られず、今度は理論武装。勉強で充実感を得るものの、旧体制派を動かすことはできずそのギャップに苦しむ。
12月。いやでも集まる忘年会などの行事。つい本音が出る。しかしそれが受け入れられることはなく、かといって仲にも入れず。そこで、妄想を抱く。チーム内で妄想飲み会が頻繁に開催。
1月。ほころびが出る。完璧なようでも患者とのトラブルは必ずある。対処法がまずく低い次元でクレームが出る。ついに病院責任者にたてつくことになる。
2月。病院より厳重注意。おさまらず、病院側は考える。そろそろ潮時ですかね・・・と。募集をひっそりと開始する。
3月(Aプラン)。医者のあてが見つかれば、病院側は強気に出る。個人的に呼び出しクレームの報告、警告。しかしプライドの高い医師はそこで切れる。
3月(Bプラン)。医者が見つかりそうになければ、病院側としてはしかたなくもう1年か数か月更新。いてもらうために、周囲の医師に理解を求める。結局医師同士の不和を生み、プライドの高い医師はそこで切れる。
いやあ、けっこう多いんだ。このパターンは。
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