たとえば・・・

2012年1月15日 連載

 循環器領域に関して勉強したいと、もう10年以上経験のある消化器医師が相談に来たことがある。同僚の医者だ。内視鏡以外あまり忙しくないから、という。

 まず病棟の患者を一緒にみることに。カルテ上の共観にして、毎日その動きを評価。検査所見、病態の解釈をまねてもらう。治療計画を立て直し続けるわけだが、教える側にとっては非常にやりがいがある。

 しかし、治療計画そのものが立てられないことがある。目の前の病態が流動的なときだ。循環器領域はそれが多い。絶えず変化する。なので「こういうときはこうする」的なことばかりしつこく公然と断言するスタッフは、実は無能と判断しマークする。

 同僚が言う。「何か特別な治療はないのか」。「いや、ない。こうやって随時、病棟をのぞくか問い合わせして、治療の変更の時期を伺う」「それはいつ決めるのか」「自分が見習った医師なりを参考に、自分の責任として行う」「どうやったら身に着くのか」「教えてくれるのは医師でなくその病態。なのでつきっきりになること」

 こういった段階で、彼は学習を諦めた。検査手技はとりあえず教わったからだという。検査手技か。しかし、こういったものは全病態の理解に比べれば部品のようでしかない。部品の寄せ集めで動く機関はない。統括する頭脳いわゆるシステムと、(労)動力が必要だ。

  

 

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