中庸でいること

2012年2月4日 連載
 ・・・が、最も難しいが尊いことと考える。このネットの海でもいったいどのくらいあるだろうか。どっちにも針が降りきれてない、水よりも柔軟なものが。

 何も中立になるのを目指せとは思ってない。むしろそういう人間は現実社会に多い。意見は偏るものの、実生活では沈黙を守る人。だがあまりにも現代の歪(ひずみ)の犠牲としか思えない。生きてると思えない。

 表社会で、少々恥ずかしくてもいいから常に自分の意見を主観⇔客観で見れる人間でありたい。そういった(きちんと客観評価してくれる)友人に恵まれれば幸福だ。しかしネットではみな自己主張が強すぎて熱しやすいため、客観性が出るようで出ない。

 やはり経験のある人の話を聞きたい。ネットにはそれがあまりない。

 医療でも、正しい医者とそうでない医者との能力の差は・・・<鑑別>で出てくる。こうだと思う。結果的にはうまくいったが、しかし実はこういったことだったのかも・・・ドーパミンが流れた時でもその蛇口を調節できる、それが自分にとっての中庸と考える。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/143730/m0u/

 へぇ、アリストテレスも定義している。ミヤギみたいな人だったに違いない。でも彼の<ミヤギ>は、プラトン。






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