職員全員、昼食後に全員整列。病院前駐車場。こんなに大勢整列したのは、2000年問題の前の朝礼以来だ。大きなバスが中央に配置。まだ誰も乗ってない。
檀上、品川事務長が司会。
「本日は、非常におめでたい日でございます。当院が新たに経営する2病院。これへの船出の日として、記念すべき日になるでしょう」
ダンと交代。理事らしく、威厳あるスーツで。サングラスで表情を隠す。
「うん。あー・・・いやいや、こんな人前で話すのは、わたくしいささか苦手ではあるのだが。とりあえず、ヤッサン、ザッキーくん。おめでとう」
ダンの向かって右にヤッサンがおじぎ。左に山崎。2人も新調スーツ。ふだんみられないその服装は、どこか雲の上の人を連想させた。将来の豪勢な生活を垣間見るようだ。僕は列の後方で何となく、乗り遅れた船の前のようにも思えた。
「間宮は、寂しいだろうな。でもやがては・・」
「夜、会うでしょうふつうは」と、横に島。
「島。さっきも言ったが、患者のフォロー中断して帰るなよな」
「だから先生。夜は当直医がいるから」
「申し送りもせんで、みんなが迷惑だ」
「ユウ先生だって、ひとりで重症一気に引き受けて。あとの者が迷惑ですよ」
「なんだと?」
後ろから指でつつかれる。
「わかってるよ!」
ダンの不器用な言葉が羅列される。
「・・・のようなこともあるだろう。しかし、我々に後退は許されない。病気は待ってくれたりしないのだ」
僕はキョロキョロ見回した。
「間宮が・・・間宮がいないな。あいつ・・・」
その頃、医局では彼女が1人、机に腰かけていた。グッと、クマの人形を両手でつかむ。黒い目を見る。
「・・・・・・・」
何かに怒っているような夢だった。しかしそれは、今を見ていない。それは遥か、大昔のことだった。
目の前に、タンスが全開になっている。縦の部分が右に開き、中年女性が慌てるように下着などを出している。新品同様とか、関係なしで。
「ぐっぐぐ!ぐぐっ!」怒りの力か、ときにすっぽ抜ける。逃げ遅れそうなほどのパニックだ。それを後ろから見ている少女は、ただただ凝視するだけだった。
「・・・・・・・」
「ああっちくしょう!ボケナス!金!こんだけか金!」金があまりないのを嘆く様子。
「・・・・・・・」
「おい!お前!取ったか!」狂ったような勢いで、母親は娘に突っかかったという。
「取ったか!取ったか!」娘のポケットなど、まさぐる。
「しし!しし!」
「たあっ!」横からホウキで突いたのが、今入院している間宮のばあさんだったという。
「子供がそんなことするか!」
「ってえなあ!」バッグで、婆さんの顔はしばかれた。
「出ていけ!はよ!出ていけ!ダンナみたいにな!」ホウキをブンブン振り回す。
母親は荷物がまとまったのか、仁王立ちしたままタンスに向かっていた。娘はずっとクマを握りしめたままだ。
「お前。わかってんやろな。どんだけ、あたしが恥かいたか」
「・・・・・」
「あんたは賞もらってご機嫌やろ。だがな。あたいはどうやねん。一生懸命仕事してんのに。お前のためやのに」
ドンドンドン!と近くの額縁まで歩き、一瞬で投げた。のがそのまま間宮の腕に当たった。
「おばあちゃんの面倒見のお蔭だとォ?」
「いだい!いだい!」
「・・・よ、よけんからや。よけんから・・」
「いだい!いだい!」無表情だったのが、一気に炸裂したようだったという。
「け、警察には。言わんといてな」ダッ、と母親は飛び出した。婆さんは間宮に近寄り、その母には目もくれなかった。
そんな過去の記憶を思い出しては、間宮は時々このクマを・・・見つめていた。何より、さきほど山崎に打ち明けたからだ。しかし、なんでそんな話をしたのか。そんな話で、彼の心が戻ったとでもいうのか。自分の闇は、他人の地下にすぎぬ。
「・・・・・・もう」
とだけ、彼女は言いかけたが。価値がないと思った言葉なのか、引っ込めた。
ちょうどマイクで喋っていた山崎が、ふと顔を上げた。重症部屋の窓に映るナース姿くらい。マミヤがいるはずもない。彼は、思わぬことも含め、全てのカタをつけてしまった。1時間前。さっきの屋上で。
「・・・ということがあってね」間宮は、さきほどの過去を話し終わった。
「でも、その母親。悪いじゃないか。忘れなよ。そんなの」
「忘れても、思い出すの。思い出させるの。あいつが」
「あいつって・・・?」
「あたしは、どうもそんな嫌なものに自ら惹かれるみたい」
山崎はピンときた。
「ユウ・・ユウ先輩か?なあ!」間宮の表情は否定しない。
「・・・・・」
「そ、そうだよ。ユウ先輩を・・そうだ。そんな気がしてたんだ」
「本当?」
「ほ、本当だよ!ぼ、僕はどうりで、好かれてるのかなって、おお、思ったことあったんだ」
「嘘つき」
「は・・・?」
間宮は大声を上げた。
「嘘つき!嘘つき!」
「うわわ!な、なので・・・もう行くから!もう、会えないんで!」
次々と、休憩スタッフが上がってきた。みな口をあんぐりしたまま。
「嘘つき!嘘つき!嘘つき!」
目を閉じたまま、彼女は何度も咆哮した。
「うぞ・・・・・づ・・・・」
目を開け、やっと落ち着いてきた。彼が視界から消えたのが救いだったのかもしれない。
山崎は、やっと我に返った。
「あっ。すみません。以上です!」
壇から降りて、やがて1人ずつバスに向かい始めた。選ばれたナースや事務員らが、1人ずつ礼をしてバスのドア前で敬礼。ダンも返す。優秀な職員の半数を、僕らは失うことになる。バスの前、ジュリア女医がしゃしゃり出て、カメラにおさめる。
頭上から、ひらりと花びらのような雪が舞ってくる。
「おっ?これは・・・」掌に載せ、消える。「いよいよ。冬将軍か」ギュウ、と握りしめる。
♪もう・・・もう・・・ 終わりだね・・・ 君が小さく見える・・・フウ・・・
バスの中からのぞきこむ数十名。涙が光る。見送るみんなも、感傷ですすり泣き始めた。どういった涙なのか。同じ種類のものか。
♪僕は思わず・・・君を・・・アア・・・抱きしめた・・・・くな、る・・・・
間宮はドラマのように飛び出したりはしない。しかし、バスや歓声の叫びは聞こえる。
♪「私は泣かないから ・・・・このまま・・・・ひとりにして」
君のほほを涙が 流れては落ちる
間宮は泣かなかったというが、ホントかどうか。
♪「僕らは・・・・自由だね」・・・・ いつか・・・・そう話した、ね・・・
まるで・・・今日のこと、なんて・・・・思いもし、ない、で・・・
バスのドアがプシュー、と閉まった。バスがいよいよ、前の国道へ乗り出す。みな、わずかだが数歩出た。
♪さよならー!さよなら-! さよならー!アア (エレキ)もうすぐ外はーしろーい冬(エレキ)
愛したのはー!たしかにー!きぃみだけ !そのままぁの君ぃだけー!
なぁ、間宮・・いや。山崎。俺はこの日記を10年続けて、やっとこの時期までこぎつけた。もうみな、あのことを忘れてしまっている。だが・・・俺が、そうさせない。俺はまさか、思うはずもなかった。この数年間、それがまさか・・・。
続きは、また今度。
♪愛は哀しいね僕のかわりに君が
今日は誰かの胸に 眠るかも知れない
僕がてれるから誰も見ていない道を
寄りそい歩ける寒い日が 君は好きだった
さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬
愛したのはたしかに君だけ そのままの君だけ
さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬
愛したのはたしかに君だけ そのままの君だけ
さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬
愛したのはたしかに君だけ そのままの君だけ
外は今日も雨 やがて雪になって
僕らの心のなかに 降り積るだろう
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