ゆとりの方々のしゃべり方で気になるのは、それが水道垂れ流しのようだというものです。ダラダラ、ダラダラ。こういう患者さんがいて~、こうやったら~こうなって~。どうしたんかな~と。
接続詞が乏しいと思います。文は切るべき運命のものですが、切るたびに舵を取らねばなりません。会話を、相手をある方向にもっていくためです。
僕が現場で宗教的と言われる理由に、あるいは小説で多用している効果にこの<接続詞>があります。「ですが」「すると」「というのは」など、何の変哲もない言葉でもって相手の頭を相手の予感した方へ持っていきます。
僕は外来で患者さんを説得するとき、「今回・・・です」と導入、「つまり・・・」と要約、「すると・・・」と思考過程と問題点を納得させ、「ひょっとしたら」と長期問題点を予測させ、「そこで・・」と治療の選択性を提示、「しかし・・」と副作用的な話をし、「なので」と結論へ持っていきます。
山を登らせ、いっしょに下山する。そんなやり方です。
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