僕は、患者や家族や、とにかく病院に来てくれる人々に敬意を表する。実際、そんな言葉も出てしまう。「ありがとう!」といったテレビのようなさわやかなものでは決してなく、どことなく伏し目がちで内気なものだ。しかし伝えずにはいられない。

 外来患者では(こんな暑いのに来てくれて)ありがとう、(こんなに待ってくれて)ありがとう、(仕事犠牲にして予定組んでくれて)ありがとう。

 入院患者では(プラン通りに従ってくれて)ありがとう、(入院延長に協力してくれて)ありがとう、(そんな苦痛を我慢していたなんて)ありがとう。

 患者家族では(駅でおみやげまで買ってくれて)ありがとう、(約束通り来てくれて)ありがとう、(ずっと付き添ってくれて)ありがとう。

 しかし、それでもあちら側もそれをも超えて感謝してくれたりもする。(ずっと主治医でいてくれて)ありがとう。(病気を早めに見つけてくれて)ありがとう。(家に帰らせてくれて)ありがとう。

 だが自分が最も感動して言葉すら失ったのはこれ。

「小学生の息子の参観日に行かせていただいて、ありがとう」。この患者さんは間もなく亡くなってしまった。それなのに、今も自分はつい自分のことから考えている。周囲への怒りに支配されつつ視野が狭くなる。まだまだだと痛感する。

 ところで君は、先がないと分かったとき。感謝の言葉まで浮かぶだろうか。なら、いま何に感謝すべきか見直すといい。

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