視線

2013年10月9日 連載

 格差が生まれている分、上に立つ人間の反省もなくなっていく。周囲の誰もが従うからだ。そういった小さなサル山があちこちに築かれている。

 病院もまたそうで、理事長を筆頭とした院長以下総下流のピラミッドができている。義務教育時代に受けた童話的なルールは、ここでは成立しない。

 特に病院スタッフというのはそれなりの生存競争に勝ち残った者たちばかりで、常に生存的な危機感を持っている。自然とそれが攻撃的な要素になる。学生時代以来枯渇していたプライドが一気に流れ込むと、それなしではやっていけない。

 だから、頂点の理事職というのはそんな人格になる。いやそうでないと、赤字を延々と背負うようなことはできない。実はこの「背負ってくれる所在」というのが日本の経済には重要で、しかしその代わりその頂点のきまぐれ1つで(重要事項以外)全てが決められるという性格がある。芸能界や商業の構造も、すべてあてはまる。

 だから、スタッフらが気にするのは医療ミス以前に上層部の<顔色>になる。顔色は気まぐれだから、いつ変わるか分からない。見習えというわけではないが、こういった第三者的な観察が非常に重要だと感じる。

 なのでか、自分が歩いていると後ろからじっと見てる視線を感じることが多い。

 

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