肺線維症

2015年2月28日 連載
 若手向けの公演?に行ってみた。肺線維症やARDSの話。20年前とそんなに進歩はない。それだけこれらの治療は難しい。診断時は病状がすでに進行している。やはり診断がついてからでは治療が遅れることが多い。だが早期の指標もない。なので早期に治療しろという説明も、どことなく矛盾する。凝固系を参考にするのも無理がある。よって治療のタイミングはその医師本人の個性にかかっており、そこは自己責任の比重が大きい。

 ただし一番は患者のため。病気の治療が目的でも、患者という人間1人ごとだ。それを忘れてはいけない。いくら確信をもとうと奇蹟の結果が出そうでも、それがベストとは限らず、予後まで保証してない。こういう経験を大事にしたい。残念ながら寝泊り経験のない医師には身につかない。

 医師は小学校から問題を解くという達成感を積み重ねている。合格という褒美を受け続け医学生、医者になる。しょせん人が作った問題が相手だ。それが医者になるとどうか。症例が問題だと思ったら大間違いだ。それでも解きたいのなら自分も含めて解くがいい。

 実際は、聴診器で背部の下部を集中して聴く習慣をつけること。レントゲンでも下部にいくほど白さを疑うこと。抗生剤の手応えない肺炎なら浮かぶこと。以上の所見ならKL-6くらい測定すること。それに何よりも・・・画像所見は常に仲間内と日ごろから見せ合うことだ。自分医師1人の自己満足に頼ることが、どんな知識不足よりも病気の進行を許してしまう。自分だけでのルール、自己満足、それらが自分の頭の中を線維化する。

 

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