慟哭

2015年3月8日 音楽
 
 最近、めっきり目にしなくなったのものだ。ネットからは切り離せない生活が続いているが、スマホまで身近にあるせいか・・・人生そのものが<辞書持ち込み可>の状態が続いている。何か探せば、何か出てくる。知らない間に、僕らは不安というものを毛嫌いして、その場でずっとしていられない。

 不安の中に身を置くということは、少なくとも自分にとっては葛藤のようなものだ。自分は人や物事は決めつけない。もし違っていたら、とかそうでなかったら、とか自分の考えさえ疑う。自慢でもなく、日ごろの医療をやっていく上で欠かせない習慣だからだ。

 不安の中で迷いを抱き、葛藤に悩まされる経験がいかに大事か。重症患者のがけっぷちでの治療。私生活の時間まで入り込んでいく疑念。ああしかし、そのせいでというかそのおかげで突飛なことに気づくこともある。なぜ、そういう経験がかつて多かったか・・・?

 それはたぶん、自分と向き合う、ことの意味だろう。

 たとえば患者が重症化する。いろんなケースを考える。しかし長所、短所を並べても決まりかねない。その間の私生活。ささいなものにも影響されるその生活で、雑念(周囲の断片情報)から離れる努力が必要だ。

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