市場と治療

2015年3月13日 連載

 株式市場やギャンブルなど、とあるヒラメキに慣らされた医者どもは、医療上での治療で反映されるふしもあるそんな印象を受ける。

 いや、割と重労働はしてくれる。いろんな症例を見るので段取りがうまく、決断も速い。地団駄踏むことも少ない。

 ところが地道なところが残念なことが多い。せっかく薬剤選択は正しいのに輸液が多すぎたり、副作用や配合を無視したり、あるいは治療の変更、見切りが速すぎる。その読み方は、まるで市場の動向への反応のようだ。

 治療がコロコロ変わるから病状の評価はあくまでもリアルタイムなもので、悪化したら(まず治療の副作用を疑わず)病状の進展と考え新しい治療を上乗せする。

 危険なのは、こうなるともう治療した本人しか分からなくなり、誰にも評価しがたいものとなる。ただ、「何となく一生懸命はやっている感」だけが残る。保険点数は結果的に上がるから、たいていの無能な経営者は「よくやってる」と解釈してしまう。

 株をやっている医者はダメだ、という話ではない。そういう治療の考え方の背景が、市場での素人思考とすごく似ていると感じたのだ。




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