WOWOWで観賞。
シドニー・ルメットの、そのヌメッとした描写にようやく感じ入れるようになってきた。洋画なのに邦画的。海外なのに近所的。ホアキンではなくリバー。「旅立ちの時」、というそれだけで完璧なタイトル。VHSレンタルの時は見向きもしなかったのは何故。いやその、パッケージのヒロインの表情があまりに鬱だったからに他ならない(この画像とは異なります)。ビデオを借りるときは、非日常を求めるものだから。それが今、日常を求めているのはどういうわけか。
とにかくリバー・フェニックスのこのぎこちない演技を見てしまうと、デカプリオが道化に見えてしまう。いや演技は置いといて、話の運び、テーマそのものにやられてしまった。あまりにも切ない決断。
おそらく男女で受け取り方が全く異なる。女性はおそらくラブストーリーとして、男性は自分を伸ばす、生かすための成長物語として見るだろう。前者は短期的。後者は長期予後。で、男性は自分を重ねる。本当の解放とは、自由とは・・・?
いや、そこではない。解放を認めてくれる人。今がそうだよ、とそんな赦しを与えてくれるもの。ポイントオブノーリターン、なんでもいい。それを求めて、その瞬間を信じて僕らは難解に挑み、そこに留まらずにはいられない。自分を変えたいというより、変えてくれる何かに出会いたいのだ。
これから、フロ掃除。磨いて変えるぞ!
コメント