教授も准教授も学会で不在の中、30-40代が主力で行う総回診。カズは自分の持ち患者は万全に準備していた。さっきの野中部長と廊下で目が合った。
「なんだ?」鋭い目。
「いえ。何でもありません。ただ視界に入っただけで」
「しばくぞ。ゆとりが」
遠くから研修医がもう1人近づいてきた。茶髪の長い女医だ。背が高いのはいいとして、彼女はじぶんのシャクれた顎が嫌だった。だから、なるべく笑わない。
「カズ先生。デンゼル、トイレに行ったままだね。回診急がなきゃ」
「急ぐって。そんないい加減はダメだよ」
「その通りだ」
廊下を歩きながら、古谷先生。
「完全に情報を集めるのが本来のやり方だが、それだけに奔走しては時間を失う。ならば限られた情報をどう生かすかにもかかってる」
この医者は、持論が得意だった。ただ、聞く側が・・・
「それなのに、循環器の医者たちは。ほら、見ただろう。まだ経験間もない君たちを怒鳴り、たえずイラついている。僕はあんな連中はゴメンだ」
「古谷先生は、以前循環器にいらしたそうで」
「他人の過去を、あさるな!」
廊下の皆が、ぴたりと止まった。古谷先生はいきなりキレる、と評判だった。
「静かにしろや。ボケが」さっきの野中部長の声がどこからか。
実はカズは、さきほどのプレゼンの患者の事が気になっていた。いや、薄情ながら病状ではない。自分はきちんと問診したし、集める情報も可能な限り集めた。いやだって入院したのはつい昨日だ。夕方5時を過ぎていたし、他の病院だって時間外だ。何より、あの患者さんは身寄りがないし・・・。
大勢が大部屋に入る。総回診はどこでもそうだが、遅れて入ると窮屈この上ない。どうやら背の低い先生が真っ赤になって困った様子。中年の男性患者は腕組み。
「先生。甞めてんですか」野中部長だ。同じく循環器の先生が小さく縮こまる。年上の先生が、恥ずかしそうに。
「ねえ畑先生。なんか言ってくださいよ。1週間。あんた、何してたんですか」野中が、心電図の束を5つほど一気に放り投げ、床に散らばった。
「心電図のシの字も分かってねえ!行くぞ!」みな続く。
泣きかけの畑先生はいったん地方に飛ばされたが、問題ありで戻ってきていた。しかしここにも平和はなかった。
「あれじゃ、まずいよね」さきほどの研修医の女医、ジュンがカルテをパラパラめくった。
「循環器グループでしょ彼。所見、間違ってるし」
「・・・・」
カズには、どうでもよかった。ただ、ああいう末路にはなりたくない。出来が悪いとかでなく、年下に苛められるほど惨めなものはない。サラリーマンの比ではない。相当なプライドでもって育った大きい大人が、いきなり制裁を受けるのだ。
ところが。いきなりデンゼルが戻ってきている。彼は・・・泣きかけの畑先生をあやしている、ようだった。
「あーそうだ。昨日は俺も阪神が勝つかと思ったが」
「いひひひ。そうっすか」涙一滴目じりに残し、畑先生は笑顔に復活してる。
「どうだー今日、賭けてみるか俺が買ったら。ドミノピザおごれよただし!Lサイズでな!どうだ呼吸器グループは?興味ないか?」
なんだ。勧誘しているのか・・・。
「呼吸器グループはいいぞ。答えを出せとか、そんな世界じゃない。この宇宙に答えがあるか?誰がそれを求めてる?だいいち。答えってなんだ?」
宇宙規模で続きそうなので、研修医らは廊下へ出た。
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