カズは3時間もかけてこの診療所に来た。薄汚い、ちょっと地盤沈下した診療所。健診のアルバイト・・ではなく、午前~夕方待機。つまり、呼び出し内以外、そこにいるだけ。

 過疎化地帯だ。以前はかなり羽振りのいい町だったらしい。話好きの老人が部屋に招いた、その年寄りこそがそこの院長だった。私服であるせいか、そこらの高齢者と変わりない。

「あんた。よく来たの。循環器の医者?」
「決めてません。1年して、選ぼうと思っています」
「そうかそうか。息子を呼んで来よう。おい!」

 やけに張りのある声だ。まるで召使を呼ぶように。

「は~い!」救急のかけつけのように走ってきた青年。まだ30半ばくらいじゃないだろうか。

「あ。見たことある!」カズは本能的に思い出したようだ。
「そうなんだ。医局に写真があっただろ。盛大な結婚式の」
「そうです。それで見ました」
「あの写真、恥ずかしいな。はいどいてくれよー!」

 じいさんが昼寝にし行き、カズと青年は近くの小川の流れにたたずんだ。青年はどこか伊藤英明似だった。

「患者こないっしょ?シャレにならんっしょ?」妙に青年、テンションが高い。たしかこの先生はかなりの業績をあげ、留学もしていたと聞いた。大学へ戻って、すぐに結婚・・・

「ああ僕がね。結婚した経緯はね」逆タマだった。
「女医さんのお父さんが、さっきの・・」
「そうさっきの!じいさん!ウケるだろー!」

 ずっと笑顔なのは楽しい。しかしカラしい。

「嫁がさ。大学で出会ったんだけど。大学居るの嫌だって泣き叫んで。鬱になってしまってね」
 カズは、逃げ場みたいな場所をその小さな小川に託した。

「でね、でね。田舎に戻りたい。田舎に戻りたいって。ああそうか、嫁の父の診療所を継いだらいいって。いって思うだろ」
「はい。たしかにそれも正しい選択かと」
「だろ?であろ?であろ?」血走った眼。

「ところがー!(以下エコーで消えていく)ところがーところがー」
「?」
「じじい。じじいでいいんだよこの際。じじいがさ、な。なんて言ったと思う?」
「わかりません」
「俺はまだ院長でいるって。引退せえへんって。それってふざけてない?」
「いや。ふざけてはないでしょう」

 青年はちょっとよろめいた。カズは止めるのを忘れて△座りしたままだった。
「あ。大丈夫ですか」

「いけるいける。どこまで話たっけ」
「引退しなくて。それがふざけてるって」
「いやいやフザケテないフザケテない。オレ、マジよ。で、オレここ戻ってきて。副院長。ま、いーけど。そしたら来る患者。は?どこ?どこにおんの?」

 どうやら、ここが過疎地で患者がいないことを嘆いているらしい。

「原因は、なあ。気になれへん?気になれへん?」
「別に・・・」
「原因は!くっ・・・!」

 顔をしわくちゃにし、青年は両足をバタバタさせた。
「うちの関連病院が!おっきな病院作ってしもったんと!」
「近くにですか?」
「そう!ここのすぐ近く!うんわるぅ~!」

 彼は、力尽きたようにそこに項垂れた。
「はぁ。うんわるぅ~・・・」

「大学にまた戻るという選択肢もあるんじゃないでしょうか」カズは思いつくことだけを喋った。
「うんわるぅ~・・」
「あ、でも奥さんがいるか。ダメだ」
「わるぅ~・・・」

 青年は、どうやら・・・そこでそのまま眠ったようだ。

 カズは、思い出した。
「そうか。ここの病院は僕のあの患者さんを診てくれた病院だ」

 そのときの資料が・・・

「あるかもしれない!」

 ザザッ、と気づかぬ砂埃が、うなだれた青年の顔にかかっていた。チョボチョボ・・とあちこちに飛び込む小さな滝。ここは自然だけが思うように生きていた。

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