第7話 デンゼル・ピース!
2015年9月14日 連載副院長が小川のほとりで眠っている隙に、カズは病院の受付へと。
小窓の奥には、田舎にいるにはもったいないような若い女性。何段階かかかって、やっと窓が開く。デスクからその窓へ乗り出す。
「どうしました?先生」
「お世話になります。今日の日直のカズです。お借りしたいカルテがありまして。いえ、ここで見るだけでいいんです」
女性は、まるで誘うかのような怪しい目に変わり、カズを品定めする。
「ふーん。患者さんのお名前は?」
「・・・という方です。60代の男性で、5年前に大学病院で肺癌の手術をした方です。退院後は住所不定で、受診に来ず。その方がつい先日、ここからうちに紹介されてきたんです。紹介状には<血痰あり、2年前心筋梗塞>。それだけです」
「ふーん・・・短い紹介状だね」
その事務員が、うっとりカズを眺めていたのには、カズ本人もなんとなく気づいてはいた。
「ふーん・・・若いっていいなぁ。やっちゃおうかな」ギャハハ、と奥のデブ女性が笑う。とたん、こちらを睨むデブ。
「いえいえ。僕は食べられませんので」
デブ女性が、なにを、っと睨んでくる。田舎の人間は、読めない。
ただ、こうマトモに答えてその場をしらけさせるのが、カズの特徴だった。<KY>という言葉が流行したのは、それからしばらくあとの事だった。
「そのかんじゃさん、しってーるよー」
「そうですか。できれば受診記録をお見せ願えれば」
「うん。だってさー。毎月うちに来てた人だよ。ずっとね」
「えっ?いつからです?」
その患者は5年前の手術後からその開業医のところに現れて、ずっと受診していたらしい。血痰が出たつい先日まで。
「5年間、ずっとそちらに受診されてたんですか?」
「すっごい明るい人だったけど、院長が怖くってさ」
「院長先生は、そんな怖いような感じは・・」
「甘いな。あのじじいは、あの患者にだけは厳しかったの」
「それはまた、どうして・・わっ」
デスクから身を乗り出した彼女のスーツ、内側にシャツはなく胸の谷間がモロに白くのぞいた。しゃげた軟式ボールが2つ。
「これ。カルテ」
「あ。ありがとうございます」目線は完全にばれているだろう。カズはもうここを早く出たかった。診察で裸は診ていても、チラリズムには弱い。
「じゃあ2年前、心筋梗塞っていうのは・・・」
すると、それはいきなり横取りされた。
「えっ?」
「は~い。ダメダメ~!」さっきの伊藤英明似の、副院長だ。
「あの、副院長先生」
「ふうん?」副院長はいきなり肩を震わせた。「いま、なーんて?」
「カルテを、参照したいんです」
「いま、なーんて?」
そういやさっきの事務員はカルテ渡すとき、表紙の茶色いシールを見て、ハッと驚いていた。ここではどういうサインなのか・・・。
「ですから、カルテを」
「こじん、じょうほう!」高身長の副院長は、カルテを高々と頭上にかざした。
「こじんじょうほう、って今、うるさいやんか?」
「話しておくべきでした。こちらの患者さんが当院に入院になりまして」
「さっきー。僕のことを。ふくいんちょう、ってなんやねん」
「え?だって副院長」
「わわ!きっつぅ~!」
副院長は、どうやらそう呼ばれるのがたまらなく嫌なようだ。<じじい>への怒りからだろう。
「いま、冠動脈がれんしゅく、しおったわ~。カズ、インデュースト!」
「あの。時間があまりないんで」
「え?そうなん?」
夕方の4時45分。
副院長はキョトンとしていた。
「まだ、こんな時間やんか?」
「いえ。僕の都合です。アルバイトは5時までなんで」
「おまっ・・・!」
副院長は激高した。
「おまえ、嫌いや!嫌いになった!」
「もう少し、情報をいただけたら!」
「なんでや。そりゃ、このカルテは分厚いけどな。でも2年前に心筋梗塞、今回血痰、それだけでええやん?どんな不服があるん?うちの病院を疑うん?」
「ではお伝えします。うちの大塚医局長と古谷部長がおっしゃったことですが。紹介状の内容が、詳しくないから聞いて来いと」
「誰やねん?大塚医局長って。知らんわそんなやつ。最近来たやつやろ?もうええ。大学へなんか、もう紹介なんかしてやらん!」
そのときだった。
「オーウ!オーウ!はっはは」爽やかな声。もしや・・・
「あいつ、だれなん?」副院長は、邪魔な梅の枝を手でどけ、中庭のバタバタ音のほうを見やった。
「あっ・・・」カズは手を顔にタッチした。何の諦めなのか。
「犬と、たわむれてるやん?」病院につないである犬。<お父さん>と書いてある茶色い犬小屋から、チェーンがピーンと伸びている。
その白い犬が、ギリギリ届いて立ち上がったその向い、デンゼル大塚がじゃれている。黒い帽子、黒いジャージ。ラッパーのようで、医者とは思えない。
「あーっはっは。わかったわかった。ん?」
無邪気な顔になって、大塚医局長は振り向いた。
「?」
「君。だれなん?お父さん(犬)に、何あげたん?」
遠くの距離から、副院長が不快に尋ねた。
「まだ診療時間のはずだ。まだ・・(少し、しかめ顔)診れるはずだ。保険証はないが、病院の義務だ」
「病院の義務って。なんなん?あんた。来る科を、間違えとんちゃうか?」
デンゼルは小ばかにするように、うつむき加減で顔を両側へ振り続けた。
「はっは。おいおい。(クワッ)医師法第19条第1項!」
「わ!びっくりしたぁ!」
みな、固まった。
「診療に従事する医師は!診察治療の求めがあった場合!・・・正当な事由がなければ!これを拒んではならない!」
「名前、誰なん?どこの奴なん?」
デンゼルは白い歯を見せた。
「俺か?俺は患者だ・・少なくともここではな」そう言って、カズに小さくウインクした。カズは無視した。呼吸器科は、入るのはやめよう、そう思った。
すっ、と副院長は受付に戻っていきつつ、言い放った。
「もんしん、書きいや!はよ!」
デンゼルはニヤッと笑い、分からないようにピースした。
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