デンゼルは、日焼けした裸体(上半身)をさらし、診察室の副院長と向かい合った。

「だから。なんで脱ぐん?」
「診察しない内科医でないなら。君は誰だ?」
「いちおうオレ、医者なんやけど・・・」

 副院長はクルッ、と振り向いた。
「カズ先生。ほらもう5時過ぎてるで。帰りいや!研修医はもう終わりなんやろ?」

「まあ待て」制するデンゼル。「この先生は見たことがある。そうだ!大学の先生だ!」
あまりにもわざとらしい芝居。

「大学の先生!あなたは呼吸器科の!」
「決めてません」とカズ冷淡。
「呼吸器科!そうだろ進路はもう決まったも同然だ!」
デンゼルの丸椅子がくるっ、と反転され背中の聴診。

「ちょっと、喘鳴があるんとちゃうか?」
「えっ?」カズは驚いた。ホントに病期なのか。
「点滴や。点滴。たぶん、ぜんそくやろ。かんごふさーん!」

 デンゼルは、カズへ顔で指示した。
<今のうちにカルテを見ろ>

 カズはさきほどのカルテを、隅の方でめくりまくった。
「・・・・字が。字が読めない。しかし部分的には」

 5年前。肺癌手術後して大学病院を退院後にこの病院へ。大学の再診をせず、いや・・する前に、風邪をひき・・・この病院へ臨時で受診。これが始まりだ。

 その後、薬剤アレルギーからか、重大なアナフィラキシー。呼吸困難。なんとか助かるが、この病院での通院を毎日命ぜられる・・・そして月日は数か月過ぎる。大学の受診も行けることなく。

「まるで囲い込みだ・・・」

 点滴通院を続け、検査を毎月。呼吸状態が悪く、在宅酸素導入。

「点滴が500、1日2回も。これで悪化したんだろうか」

 今から2年前。胸痛にて救急車より問い合わせ。このとき非常勤が待機していて、受け入れ拒否。怒った院長は呼び戻そうとしたが・・・患者は民間の大病院へ。

「これが、2年前の心筋梗塞か。その民間病院からの診療情報も、なしか・・・」パラパラめくるが、資料関係はない。封筒はあるようだ。だが中身がない。捨てられたか。

「そのあと、ここへ連れ戻される。受診はこれまで一貫して契約施設から」

 そうか。この患者は・・独り身をいいことに、この病院から都合よく利用されたのでは・・・。

 遠くでは、デンゼルが起坐呼吸になっている。汗が流れる。点滴がボタボタ落ち続ける。こちらに向かって、またピースするが、苦しそうだ。

「ま。点滴したら、ましになるんとちゃうか?」副院長が白衣両ポッケに手を突っ込んだまま喋る。

「フー。ヒー。ありがと、ヒー」しかし、どんどん呼吸は悪化しているようだ。

「まーそしたら。今日はもう終わりやからねー。帰って水分取って、よう寝やー」
 どこまでも、ありきたりな開業医。彼も以前は呼吸器科でよく働く医者だった。しかし大学を離れるとどんどん医学から置いて行かれ、お山の大将になった、プライドだけが。

 受付嬢によって、あちこちのサッシが閉じられていく。部屋はだんだん薄暗めになっていった。開業医での点灯の速さは鮮やかだ。

「なんや?まだおんのか!」副院長は隅のカズをにらんだ。
「あの患者さん。ちょ、調子が悪いのなら」
「なに言うとん?あいつには治療したんやで?」
「呼吸状態は悪化してます!」
「なんやて?」

 カズは、そのまま胸ぐらをつかまれた。
「ぐっ!」
「ええか~きいとけ。年上にはむかったら、この世界じゃ生けていけんのやで~?ゆとりが何ほざいとん?」
「くくく・・・!」

 バアン、とカズは外に放り出された。デンゼルも何とか壁伝いに出てきた。すると、診療所の電気が一気に消された。とたんに周囲は闇に切り替わった。

「医局長!」倒れる寸前のデンゼルを、カズはガシッとつかまえた。
「ヒー!フー!ああ、患者を演じるのも楽じゃないなヒー!」タバコを取り出そうとした手を、カズは弾いた。
「ご、ご病気だったんですか?本当に?」

 デンゼル医局長はジャージのポケットから錠剤を出した。
「フーヒー!古谷に、俺を病人にしてくれと頼んだら。これを飲めと」
「これは・・・βブロッカー?そこまでして病人に?」
「ああ、気を引くためにな。連絡がないからお前が心配で。だがちょっくら、飲み過ぎたヒー!」

 カズは憎らしげに、暗くなった診療所を見上げた。
「あの副院長。喘息と、全然違うじゃないですか!」
「あーいや。心臓喘息、という言い訳も立つ。ヒー」
「あれだけ点滴したから、もうバリバリの心不全になってますよ。どうしますか?大学へ戻りましょう!」

 カズは、車のドアを開けた。
「助手席に乗ってください。さ。大学へ行きましょう!」

「ホヒー!」医局長はかなり前のめりになった。げぼげぼ、と嘔吐物が足元にまき散らされた。

 医局長は息も絶え絶えになりつつ、自分のウエストポーチのチャックを指差した。手が震えて、届かない。

「医局長・・・医局長!医局長!」
「ヒー・・・」
「これは?まずい・・・!返事をしてください!あのだれか!ふくいんちょ・・」

 暗い診療所はやはり暗いまま。何のアクションもない。ただ目が慣れていたのか、誰かがそこに顔を出していたのは分かった。白いカーテンの狭い間、そこに浮かぶ宇宙人のような無表情。あの副院長が、キツネのようにつり上がった邪悪な目でこちらを凝視している。

 その頃上映していた映画で流行したセリフ、をカズは手当たり次第に叫んだ。パワーウインドウが開いた。

「誰か、助けてくださーい!」

 
 

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