それは医局会というより、尋問会のようなものだった。海外出張より戻ってきた、ダンディな新任教授が大人ぶってコノ字型の中央を陣取る。その向かい側、カズは立たされていた。
「その。なんだな。僕は海外に出ていたから、何も知らなかったわけだが」
「・・・・・」
「上の許可も取らずに、紹介先の病院までわざわざ出向くものかね?」
「すみません」
教授の関心は謝罪ではなく・・・
「誰の指示だ?」
「指示ではなく、自分の判断です」
みな、こっちを冷ややかに見る。しかし目が合うと、すぐ逸らす。その繰り返し。
「それは違うとして。どうせまた、大塚君の暴走だろう。おい、彼に家族は?」
「ありません」デンゼルに忠実な古谷部長が答えた。
「よりにもよって、喘息発作とはな。なんだな?」
教授は循環器グループの野中部長を見やった。
「心疾患ではなくて?だな?」
「え、ええ。喘息の重責発作です。心機能は良好なので」
「さては、土地が合わんかったか」
カズは何か言いたげだったが、ポケットに手を突っ込み小さなメモ帳を握りしめていた。
「(違うと思う。あれは点滴したせいで・・・)」
教授は高価な腕時計を手首からずらし、サッと顔を上げた。
「患者の過去の病歴も分かるが、時間は刻一刻と過ぎている。未来を見失わないように」
「はい」到底、権力には逆らえない。
「君の未来もな」
「あっ、はい」
やっぱりか。
ズカズカと引き上げていく医局員たち。研修医らが、各指導医に今後の相談をしていく。指導医らは歩みを止めず、金銭にも等しい雑言をばら撒いていく。拾う研修医たち。
カズはしばらく呆然としていた。ああ、注意された。自分の評価が落ちた。どうやったら元に戻せるか。今後に指標はないか。ふつうの医者ならそう思っただろう。研修医ならなおさらだ。ここは自分を洗脳してでも、完璧さに上方修正したいところだ。
しかし、デンゼルに会って彼は少しずつ変わってきた。循環器グループでなく、呼吸器グループに回ってからだった。いや別に循環器の人間性がどうとかではない。デンゼルや古谷らの、個別だがその強烈な個性に惹かれたのかもしれない。循環器の集団心理よりも。
「君への代わりの指導は、僕が」ややうつむき加減の古谷が、斜め後方より囁いた。
「きちんと発言できず、すみません」
「多勢に無勢だ。研修医の小言な発言は、自分に不利となるよ。発言は小さいものほど、解釈が無限だからね」
発言は記憶に残る。自分でなく、他人に。それは時間とともに、株価のように価値を変える。口は災いの元というのは、医療ではなおさらあてはまる。
「それにしても、よく手に入れたね」
「ああ、あれですか。医局の引き出しにあります。泥棒になるんでしょうか」
「いや、僕が指示したことだ。責任は取る。それに、そのカルテの患者はうちに入院してるんだ。もう戻ることもないだろうし」
「貴重な情報があるかどうか」
「あの診療所のカルテは難攻不落、というくらい読みにくい。ちょうど他科の言語学の知り合いがいる」
「解読、お願いします」
古谷は、そこまでしてそのカルテが欲しかったわけだ。しかし、そこまでの価値があるんだろうか。教授の言う通り、未来を見失うことにならないだろうか。
ペコッと頭を下げて、カズは廊下へ出向いた。しかし方向がしばらく定まらず・・・
「・・・・・」
一路、ICUへと向かった。その後ろ、ゆっくり近づく影があった。
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