厳しい視線を投げかけてくる家族らを避けるように歩きつつ、カズは靴脱ぎ、手洗いへの準備へとかかった。ウイーン、とICUのドアが開いた。直後、浅黒い長身が続いて入った。

「何を調べるつもりで?」循環器の野中部長だった。
「あ、お疲れ様です」
「あの診療所で。何を?」
「あ、あそこでですか。ですから、過去の病歴を」
「どうせ細かい記録なんて、なかっただろ?」

 カズはかまわず、消毒した両手をふき取った。帽子をかぶる。そのとき、野中のPHSが鳴った。

「緊急カテ?くそっ!」
「失礼します」

 野中は去り、カズはICUの多数のベッドを縫うように歩き・・・奥のカンファレンスルームへ。途中、デンゼルの姿を探しつつ。たぶん、奥の呼吸器だ。身内がおらず、見舞いが来ないのは寂しいものがある。

 夕方のカンファレンスは始まりかけ。医療器具のごったがえす部屋に、30-40の椅子がまばら。そのほとんどを、帽子・マスクした緑色オペ着の医者らが陣取る。遅れ目のカズは立っていた。

「カンファ始めます」前方に向かって座っている肥満体。中堅どころのその医者が、大汗の噴出した状態でプリントを配る。
「ああ、もう行きわたったかな」

 カズの直前でプリントが切れる。その医者は振り向くがものともせず、データに視線を落とした。カズは上からなんとか見下ろせた。

「50代男性。こ、これは・・・呼吸器の大塚先生、ですね?」
肥満体は少し人間らしく見せたが、やっと露出した目が小さく仏像のようだった。

「はい」カズは大きく返事。担当医の若い医師が周囲を見渡す。
「主治医です。呼吸器にのせたあとは各種バイタルは安定。循環器科に打診しました。超音波ではEF70%と心機能は問題なし」
「喘息重責発作と?」と肥満。
「ステロイド大量投与中」
「近いうちに抜管?」
「可能と思われますが、循環器科が病棟で行うそうで」
「ここでやればいいのに」

 肥満体はときどきカズを見ていた。まるで気のある女子のように。

「入院直後に、利尿剤が投与されていたみたいだけど?」と別医師。
「記録が曖昧ですが、循環器科があとで記入すると」
「なるほど?」

 利尿剤が投与されていて、そのあとの心機能評価か。なら、心臓が悪かったかもしれないのでは。でもこの肥満の先生、カズを気にしすぎている感がある。デンゼルは言ってた。気になるしぐさがあるときは、もう1回覗け。病室でもなんでも・・・

 カンファが解散した直後、カズはこっそりと肥満先生のあとを追った。というより、彼はそこの部屋にいたままだ。何度もPHSを押している。スロッターのように、素早い動作を繰り返す。

「あっち。ちち・・おっ」
どうやら、つながった?

「部長か。カテやろ?ごめん・・・・ま、セーフと違う?あの分だったら。いちおうアズマ(喘息)ってことやけど。彼も納得しとった様子やし。あ!」

 近くのディスプレイの反射に気づいたのか、彼は後ろを振り返った。
「ちょっと待ってな。な、なに?」
「いえ」
「不気味なやっちゃな。なに?盗み聞きが趣味?」

 カズは混乱のあまり、会議室を出た。動揺を隠せない。大した陰謀でないにしても、どうやら自分の周囲で渦巻くものがある。デンゼルはこうも教えてくれた。まずリーダーを疑え、と。リーダー、というのは指導する者、という意味ではなく常にその場を仕切る者。権限を与えられている者だ。

 権限を与えられている者は、何かの絶対命令で動く。いや自分の意志にしても、それは民衆への配慮を欠いたものだ。組織というものがある限り、生存の順序は年功序列だから。

 実はカズは、医師になって人間不信になりかけていた。最初はゆとり独特の無神経さもあったが、大人的にいろいろ受け入れるほど、耐え難い現実に立ち会うことになる。患者のための医療といえど、まずそれが第一になってない現実を突きつけられるのだ。

 このICUも、そんな聖域に思えて仕方がない。ならば我ら研修医は、いざというときの捨て石予備軍なのだろうか?<ゆとり>呼ばわりの上級医師らは、僕らに何を目指せというのか?

 デンゼルはかくも言い放った。<疑問符の終わる地点が成長の終着駅>であると。なら自分はまさに休まぬ夜行列車といったところか。行きつく先は闇か。トンネルの出口は・・・

「あっ。大塚先生」

 衝撃的でもなかった。たしかに眠ったデンゼルが挿管され鎮静されているわけだが、ふだん診ている患者らと変わらない。ただ、今回はカズも自分に落ち目は感じていた。あのときデンゼルが呼吸困難になり、大学まで連れ戻すまでかなりの時間を要した。いろんな病院に問い合わせたが受け入れ無理で。

 自分が医者なんだから、対応の場だけかしてくれと、無理にでもお願いすればよかったんだ。

 カズは願った。どうか、どうか脳血流への影響がなかったことを、この近い先に証明されてほしい。

 




コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索