85

2009年6月30日 連載

 真田病院の事務室では、もはや活気は失われていた。

「ああ・・・ああ」シナジーは携帯を何度も頭に打ち付けた。女性事務員らは、シュン・シュンとすすりが絶えない。

「うちは空床閑古鳥のままか・・・」

 診療しているドクターらには、まだピンとは来ていない。検査を終えた一同は、カテーテル室の休憩室でダベっていた。

 トシ坊が仕切る。
「東大阪の病院だったんだと」
「ま、何とかなるでしょう!」ザッキーが人ごとライクにしゃべる。
「僕らはドクターだ。経営のことは口は挟めない」
「救急ラッシュがあと3回くらいあれば、うちも満床なんすけどね・・・」
「仕方ない。外来患者はあのクリニックが独占してる」

 ザッキーはゴミ箱を蹴った。

「というより、シローでしょう!裏切り者のせいですよ!」
「僕も、最初はそう思った」

 トシ坊はザッキーのように思ってなかった。

「ザッキー。君の欠点だが」
「いきなりそれきますか?」
「診断するときに大事なのは?」
「はあ?そりゃエビデンスでしょう?検査の情報とか」
「時間がないから言うが。背景にもっとこだわれ」
「背景?」

 トシ坊は、もうちょっと詳しく言う必要があった。

「ユウ先生がよく強調していたことだ。物事には背景というものがあり、それを起こすべく何かが潜む」
「リスクファクターですか?」
「それも1つだな。家族歴、生活様式・・・」
「それくらい、僕だって気にかけてますよ」
「それだけじゃない。患者が病院にかかるまでの時間、それまでの既往の不自然さ、家族の顔色・・」
「で?シローと関係あるんすか?」

 ザッキーは冠動脈造影をパソコンで解析中。防護服を脱いだ。ドサッと汗まみれの服が落ちる。

「シローの不可解な行動も、ひょっとしたら理由が重なってのことかも」
「金に目がくらんだ裏切り者でしょうが?」
「そういう風に、仲間を見てたのか?」
「そういう風って・・・」

ザッキーは言葉を失った。彼も本当は・・・

「ユウ先生も、彼を憎めなかった。縁を切るとかいいながらも次の日には銀行で待ち伏せてたようだ」
「縁を切る・・?そこまで言ったのにまた会う?」
「本当の人間らしさって、何だと思う?」

ザッキーは考えた。
「それはまあ、人を救おうっていう犠牲心でしょう」
「いや・・・」
「何?」
「<弱さ>だろう・・・」

日系人のピートは近くで爪楊枝を加えていた。目は閉じている。

「弱さか・・・日本人の最後の性(さが)だな」
「最後の?」トシ坊が問うた。
「今の日本人を見てみろ。今じゃ、俺の故郷アメリカに金を吸い取られ、魂までデフォルメされて・・・その<弱さ>にまでつけこんでいる」
「弱さを無くしたら、人間らしくないよ」
「そうやってお前さんらは美化するが。勝者になれない奴の言い訳にも聞こえるな」

立ち聞きしていた桜田は、流れっぱなしの水をずっと眺めている。

ソファで寝ている大平が顔だけ上げた。

「勝者か・・・勝者な。でもピート」
「あん?」
「どういうのを勝者っていうんだ。お前の国では、金を手にした奴のことだろ」
「金はついてくるものだ。勝者なら誰にでも」
「だから、足津のような奴が生まれた。これからもどんどん生まれる」

ピートはそっぽを向いた。
「お前は僻地で、勝者になったか?」
「おい取り消せ!」

大平は飛びかかった。

「やめて!もうやめて!」叫んだのは桜田だった。
「(2人)ちっ・・」
「もうイヤよ!こんな病院、もうイヤよ!」

ザッキーは含んでいたアメを、歯でカン!と割った。

「もうイヤ!あたしは患者さんを救ってる皆が好きなのに・・・くく」
泣いているようだが、みな正視しない。

「どうして争うの?ねえどうして人をそんなに否定できるの?」

ザッキーは気まずくなり、立ち上がろうとした。

「ほら!先輩はまたそこで逃げようとする!」
「逃げるって・・俺が?俺が何から逃げた!」
「みんなで力を合わせなきゃ!」

ザッキーは腹が立ち、呟いた。

「ならおい。足を引っ張らないよう頑張りな!」
「うっ・・・」

彼女は急にしずまり・・・隣室のフィルム室へドカン!となだれ入った。

「さく・・・!」
大平の声は届かなかった。














84

2009年6月30日 連載

 ユウ・田中が徒歩で裏庭に到着したときは、もう1時間も遅れをとっていた。

「はあはあ!大丈夫ですか先生!」
「虫よけスプレー、すべきだったな!」ユウはあちこち掻いた。
「ハチの大群には驚きましたね!」
「てて・・」

 病院の外周を回る。人の気配がまるでない。ユウはリッチな外観を見回した。

「とてもこの病院が破産するとは思えないな・・・」
「噂によると、計画倒産のようですね」
「計画倒産?」
「ほら。会社とかでよくあるじゃないですか。潰れる前にいろいろ建設して、マージンを頂いてから破産するっていう」
「最後のひと吹き、というわけか・・・」

 田んぼの多い地域ながら、やけに車の混雑した音が聞こえる。

「・・・あれは?」ユウらは目を見張った。病院の正面前に、数えきれないほどの救急車がひしめいている。

「田中くん。ここにも救急ラッシュか?」
「いえ・・・どうやら逆のようで」
「逆?」

 確かにそうだった。患者は救急車へ1人ずつ戻されているような形。ベッドも、徒歩もいる。徒歩の患者はまとめて数人、誘導されている。

 ユウは白衣の女性に気づいた。ドクターの白衣のようだ。

「おいあれ!あいつだよ!」
「あの女?」
「電気を放つ女だよ!」

 ゆっくり、2人は近づく。

 救急隊員の1人が、藤堂ナースに詰め寄る。
「ですが!私たちは家族だと聞いてたので!」
「だが、ミタライとは言った」
「あなたは病院のスタッフなんでしょうね?本当に?」

 疑い深い隊員のせいで、波紋が広がりつつあった。背後には常勤の老ドクターらが近寄ってくる。

「そうだ!あの先生らに聞いてみよう!」隊員がダッシュするが、他の隊員に止められた。

「あっ?あなたは・・・藤堂さん?隊長さん?」
「そうだ!俺は藤堂だ!」さっそく説教を始めた。

 父親が間に合っていた。<ミタライ医師>は背後の常勤医らのもとに走った。

「あたしは大学病院のミタライ医師といいます」
「おっ。おお・・」院長とおぼしき老人。
「そちらの病院の事情は聞いております」
「う、うちが破産して閉院するという情報をど・・どちらから?」

 藤堂ナースはちょっと間があった。
「・・・オーナー同士の話し合いで」
「オーナー?ああ、なるほど・・・じゃあわしらは分からんな」
「行政処分の前に、私らが」

 じいさん医師は、ホッとした表情に。

「そうじゃな。行政処分になれば、強制的な転院となる。こういう形の方がわしらも・・」

「では」藤堂ナースはさがった。父が全隊員を説得したようだ。
「ありがとう。ミタライ先生」

 ユウと田中は追いつこうとしたが、藤堂親子は走って突き放した。

「おい待て!待て・・」ユウは足の裏に痛みを感じ、立ち止まった。
「自分も、膝が笑ってます!」田中も止まった。
「くそう!この鈍足の足が!」

 さきほどのじいさん院長が、白衣のユウを後ろから抱き締めた。

「先生もか。ありがとう、ありがとう」
「なにやっ?」

 救急車30台余り、一斉に向きを修正する。サイレンがバラバラだがあちこち鳴りだした。

「ミタライ先生にも、よろしく言ってください」じいさんは泣きぬれていた。
「ミタライ?」ユウはこわばった。
「ああ、もう乗りなすった。先生らも早く!」
「なんで、ミタライなんだ・・・」

 田中は転がった。
「今度は、しびれが切れてきたあ!」
「なんで・・・」

 ユウは不思議がった。

 遠くまで続く山道を、いろんな形の救急車が続いていく。それぞれ名前が違う。あちこちから呼び寄せられた車体のようだ。

「なんで、俺のもとコベンの名前なんだ・・・」

 連なる救急車の先頭、運転手は藤堂隊長自ら。
「大学病院という話だったが、その前に経由する場所がある」
 とアナウンス。助手席の娘は汗だくの服を脱ぐ。

「・・・とにかく、ついてこい!」






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2009年6月30日 連載

  山から出てきた藤堂ナースのバイクは、大型病院を見上げていた。裏庭のすぐ手前。間もなく破産の病院だ。

「・・・・・」

 片手で電話。眼は正面。声を演出。

「東大阪救急?搬送をお願いします!」
<どのような患者さんで?>
「東大阪のXX病院に家族が運ばれたんですが・・・うっ。うっ」
<だ、大丈夫ですか?>
「別の病院を希望したんです。でも運んでくれなくて」

妙に、女らしくしゃべる。裏庭から歩いて、職員専用入口より内部へ入る。

<その。つまり・・・我々はその病院へ行けばいいのですね?>
「はい。うっ・・」
<ではまずXX病院へ連絡をして確認を>

事務室はもぬけのカラ。

「お願いします・・」
<はい・・で、先生のお名前は?>
「・・・・・そうだわね・・・ミタライ!」

電話を切る。すぐさま、足津へ連絡。

<到着は予定どおりですね>
「救急車は1台手配した」
<では、残り65台は我々がバラバラに手配します>

「ちょっと」後ろからじいさんの声。
「?」振り向くが動揺してない。
「事務当直の者です・・・」じいさんもそう動じてない。

 藤堂ナースはピキン、と1万円札を指の間に挟み、渡す。

「ありがとう、ありがとう・・・このあとは私は何を?」
「失せな」

 藤堂ナースはパソコンを起動し、入院患者の状況把握を確認。情報の通りかどうかを確かめる。思えば贅沢な作りの病院だ。シャンデリアなどのバブルを象徴するような小道具が暇を持て余している。背の高い天井にガラス張りに・・・利用価値は大いにある。

 ここを病院のまま継続するか、全く別の施設と化すか取り壊すかは、すべて足津の裁量に任されている。

 しかし藤堂には全く関心がない。彼女は大学病院へ<進出>することしか頭にない。

 そこで見届けたいものがある。

 一方、父親の救急隊長は他の病院の待合室にいた。
「・・・・・」
 隊員が横に2人いる。どうやら搬送を終わって、帰還命令の待ち時間のようだ。

「ん?」電話が入る。横の2人は寝ている。

<私です>
「足津さん。ああ!」思わず起きあがった。
<お嬢さんは、奪取の第1段階に成功した模様で>
「XX病院のですな。では私は参加しなくても・・・?」
<結構です>

父親はニヤリと幸せを感じた。

「そうだ。真田は・・真田の連中は大丈夫でしょうな?」
<1台の追跡があり難渋したようですが、山中で消息をたったようです>
「彼ら、手ごわいですよ。本当に息の根止めないと・・」

余計なアドバイスを、足津は無視した。確かに、勝負はついていた。

藤堂隊長は胸騒ぎがし、いきなり立ち上がった。

「おい。お前ら」
「はっ?」2人が目を覚ます。
「俺は1人で帰るから。お前らは適当に帰れ」

携帯で、株価の確認。上昇している。

「いいな。交通費はこれで」数枚、紙幣を出す。
「えっ?こんなに?」2人の目が輝いた。
「吐いて捨てれる金だ」
「ぜっ・・ぜひどうぞ」
「フン!」

 隊長は娘のことが気にかかり、XX病院を目指すことにした。すぐ外、リモコンで救急車のエンジンがかかる。

「おいまだ帰るな!病棟まで手伝え!」医師が1人出てくるが・・・
「ふん!」腹を蹴った。
「ぎゃふん!」
 
うずくまる医師を尻目に、隊長は乗り込んだ。

「俺の仕事を邪魔するな・・・!」



松田クリニックでは、院長が両手放しで喜ぶ。

「いやっほう!よっしゃあ今日はもう休診や!」
「(一同)おおおお!」

診察室のシローは、消えた明かりに驚いた。
「ええっ?」
「休診じゃあ!もうこんな苦労せんでもええ!」老師長があちこちスイッチを消し始めた。

 不満たらたらの患者らが、1人ずつ強制退去させられていく。外人スタッフらも強気だ。
「ハイハイ、今日はモウオワッタヨ!」
「信者さんは診るからな!」老師長が仕切る。10数人の信者らが残る。

 院長はノルマの達成に満足し、どっと脱力感に襲われた。

「燃え尽きたな俺たち!シロー!」診察室にいきなり入る。
「まだ診療は終わってなくて・・」
「もうええねん。これからは気長にやんねん。真田にも患者は帰らんやろうし、あそこの崩壊を見届けるだけや」
「崩壊・・・」

 クリニックの外来患者数は、今も増えたままだ。それはシローの人柄によるところが多かった。






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2009年6月29日 連載

 果てしなく続く坂。生駒山の険しい急カーブが連続する。真田病院では、ある程度の病院名がしぼれた。

 シナジーは5つほどリストアップする。
「東大阪市だと大変なところだったが、どうやら山の向こうのようだ。だとすればかなり少数にしぼられる」

 事務員らが5人、同時に電話をかけ始める。だが1人ずつ・・虚しさとともに自信なげに受話器を置いた。

「も・・・もう一度!かけるんだよ!」シナジーは苛立った。

 バイクは中腹よりやや上。そのカーブで停車した。後ろの外人は立つと、ジャージ姿。その足元にある大きな袋から・・車輪。

「藤堂サマ。アトはドウゾ。カレラをユードーします」
「・・・・頼むわよ」

 半分オフになりかけの泥道、後輪でギュルルン!と泥を振りまく。彼らを待ち受けるつもりなのか。

 同じくショートカットの外人男性は、瞬く間に2輪の自転車を完成させた。折りたたみ自転車を組み立てただけだが。

 バイクは脇から発生する山道をゆっくりと降りはじめていった。整備がされておらず、転倒の危険が大きい。むろん地図にも載ってない。

 外人が自転車にまたがり振り向くと、ドクターカーが現れた。
「ハールよ、コイ。ハーヤクコイ!」彼が唯一覚えた日本の歌。

 チャッ!と山道を降りかけ、ドクターカーも乗り込みかけたが・・・

「田中くんやめろ!通れないだろ!」
両側は樹木の枝が無数にある。バキバキバキと何本かクリアしたが、何度もガツン、ガツンとせき止められる。

「それでも行くのか?」
「・・・・・」必死で声なし。
「スレッガーさん。やべえ!やべえよ!」

 前方の自転車は、悠々と滑っていく。何度も振り返りながら。ドクターカーはもう原形をとどめていない。間違いなく廃車だろう。そう思うとユウは気が楽だった。はずもない。

「俺らが、たてかえな、いかんのかな・・・」

 バコン!バキン!と自然を壊しながら、ドクターカーは40度斜面を滑って行った。信じられないくらいの段差が唐突に出現。

「(2人)うわーっ!」

 ズドン!と車底が当たり、ケツに響く。頭が天井にぶつかる。マジックボールのほうがマシだった。

「道が広くなってきたな・・おいあれ!」ユウは左を指さした。

 自転車が、並走している。平地で走りやすくなった。彼は何やら必死で喋っているが、こちらには全く聞こえない。

「あー?なにー?」
「クラエ!」
「くらえ?ああ、<喰らえ>ね。はいはい。なにっ?」

 両手手放しの外人は、カゴの中からパッドをニューッと伸ばした。こっちへ・・・

「わわ!おい近づくな!来るな!」
「どうしたんです!」田中が動揺する。
「右へ寄れ!田中くん!」
「精一杯ですよ!」
「電気が!電気!」

ライトが点く。まだ昼間。

「バカ!ライトつけてどうすんだ!」

外人は歯ぐきむき出しで、斜めにこっちに近づいてくる。
「カンデンシテ、シネ!」

バン!といったん助手席へ当たった。ユウは観念した。
「ひっ!あ、当たっただけか!」
「何が?」田中は苛立った。
「あたったたた!あたたた!」呂律が狂う。
「こんなときに北斗の拳ですか!」

 ユウは正気に戻り、白衣に手をやった。ペンライトなどを投げつけるが、全くの見当違いの方向。

「ハッハッハー!ジャップもタイシタコト、ネーナー!」
「日本語うまいな!」

 ユウは狙いを定め、丸めた聴診器をロープにつなげ、垂らした。
「そら!」
「ナニッ?」

 前輪に違和感。感じた時には遅かった。気付いた時は、逆ウイリーで宙を舞っていた。

「オオオ!オマエエエエ!」

 ミラーで、背後の転倒を確認した。ユウは首をポキポキと鳴らした。

「<お前>は、やめてください・・・」


 








 



81

2009年6月29日 連載

 真田病院。ザッキーは自転車で、救急車群の周囲をギューン、と旋回した。

「とりあえず、あとは中等症といった感じですね!大平がうまくやってます!」

<軽症は、桜田と眼科医が中心で!桜田は玄関前にいったん戻れ!>とトシ坊。
だが、応答がない。

<桜田?>

 空きベッドの近くで吐いている女性がいる。きっとあれだ。
<ザッキー。もう1人、入院だ>

 切り、トシ坊は入院患者のベッドを一手に集め始めた。救急車は1台ずつ、ゆっくりとバックを始めた。

 事務室、シナジーは指で壁のスイッチを押した。
「そうは、いかないかもよ!」

 駐車場の向こう、そろそろと鉄の柵が上にせりあがってくる。2メートルはある。これで出口は・・・

「なくなった!」
 シナジーは腕組みし、モニターを確認した。ドクターカーは山を登ろうとしている。
「大阪から、出るというのか?」

 と、大平が桜田を背負って入ってきた。みな、走りかかった。
「(一同)桜田先生!」
 どうやら眠っている。あちこちの吐物がものものしい。

 当直用のベッドに、そのまま寝かされた。ザッキーが点滴ルートを確保。

「大平。ちゃんと面倒を見ないと。ユウやトシキに怒られるよ」
「お、俺は・・・子守係じゃない」

 女医の睫毛が微かに揺れ続ける。大平はため息をついた。
「彼女は一生懸命やってた。お前らは、それを評価してないだろ?」
「一生懸命は、誰だってそうっすよ」
「お前らはバラバラだ。分析してそう結論するよ。俺はね」
「好きにいいなよ・・・」

 点滴がポチポチ落ち始めた。ザッキーは立ち上がった。
「俺たちは、即戦力が欲しいんっす。可哀そうとか一生懸命とかは単なる美化ですよ」
「ダメだな。ここの病院は。やはり俺が立て直し・・」
「僕は、イチ抜けますんで」

 一言多いザッキーだが、後ろのトシ坊もあえて反対しなかった。

 大平とトシ坊は、並んで詰所へ向かった。トシ坊は長い沈黙を破った。

「大平くん。今回の救急ラッシュではかなり助かったよ」
「だろ?でもあれより大変なの、あったぜ」
「ただ、君の言動には不快なところがある」

 ピタ、と大平は止まって見上げた。

「この病院は、下への丁寧なカリキュラムを立てず、いきなり第一線でこきつかう。そういう病院とは聞いてなかった」
「新人を育てたい気持ちはある。だが、ちょうど動乱のときに彼女は来た」
「俺もな。だが言動を責めないで欲しいな。行動で示す人間だからな」

トシ坊は、やれやれと首を横に振った。

「もちろん、行動で示すこと自体は説得力だ。でも納得させるものでないとね」
「なにっ・・・」
「インフォームドの意味を、履き違えてませんか?」

トシ坊の言い方も、それなりに相手を苛立たせるものだった。

トシ坊は詰所に入ると、後姿の師長。ツノが2本見えた。

「ミチルさん。早めの退院、促しておいてくださいよ!」

ミチルは声もなく、喋りだした。
「お前らナメとんか・・・指図ばっかりせんと・・」

「はい?」トシ坊はとぼけた。

「雑用から何から!手伝えやさっさとー!」
「(トシ坊・大平)は、はーい!」2人とも腰を足でどつかれた。

 その頃、点滴のおかげか桜田が目覚めた。両側はカーテン。右手を顔に持っていくと、誰のか分からない凝血。

「お・・・終わったの・・・?く!」腰が痛く、向きを変えた。カーテンを少し開けると、ナースらのダベり声が聞こえる。

「ブヒブヒ!これから先が心配やな!あの女医さん!」
「ブヒ!確かに要注意やな!ヒステリックっぽいし!」
「ブヒブヒ!ザッキーがまだ救急は任せられんっていうてた!」
「僻地で楽ばっかしとったんやろ!」
「ブヒ!」

 悔しいがいったん力尽き、カーテンがサラッともとに返った。



80

2009年6月29日 連載

 田中とユウは互いに頭を上下させ、見失いそうなバイクを追う。車列は相変わらず両側へと。電光掲示に渋滞の距離変更。

 ユウはナビを指でたどった。
「このまま行けば、生駒山の坂を登ることになるぞ?」
「急カーブにさしかかりますか・・・」

 パコン!という音とともに、ボンネットが凹んだ。時差なく左のミラーが吹っ飛んだ。ユウは両目をつぶった。
「いたっ!」
「どうしまし?」田中が左を向いたところ、今度は天井がパアン!と小さく凹んだ。

 ユウは両手の下に隠れた。
「地震だ!地震だ!」
「ハンドルが!」あちこち、舵を取られる。

 バアン!と後ろのガラスが破裂し、固く分厚い粒が飛んできた。チクチクと首の方に飛んだが、妙に冷感を伴うものだった。

 突然、音響が大きくなる。サイレンも騒音に。

 田中はとうとう、コントロールを失った。
「うわああ!ぶつかるぶつかる!」

 何とか車の列を避け、左の街路樹に突っ込み芝生に乗り上げた。

ユウは、首の周辺のガラスを両手で払った。
「これ何だ。ガラスか。いてて・・・」両手に血が点在する。
「大丈夫・・じゃないですね・・・たた」田中の首の後ろにも血が少量。
「何だ・・・何が飛んできたんだ」

左のミラーは欠失しており、跡形もない。

 デッキの男は何のためらいもなく、弾を装填。瞬時に肩に構えた。道路から指さす通行人には目もくれず。

「出てこい。出てこい・・・」

 足津は次の指示を出している最中。

「株主の上甲さん。モニターは見られてますか?」
<ああ>

 上甲という中年は、赤いスポーツカーで現地に向かっていた。

「現金の振り込みは?」
<仕事が完了してからです>
「そおれにしても運がいいな俺は。あんたも。こんなチャンスが偶然、手に入るとはな」

 アクセルを思いっきり踏み、レッドゾーン一杯に叩き込む。

 それも知らず、デッキの男は余裕で照準をドクターカーの助手席へ。
「退屈だな・・・そうか。なら。これをお見舞いしてやる」

 特注の<散弾式>。かなり重い銃身を、今度は台によいしょと立て掛ける。ネジを回す。方位を決定。大砲とおぼしき黒い銃身は、光さえも受け付けないほどひたすら黒い。

「足津さん。有能な弁護士、お願いしますよ」

 引き金でなくリモコンに手をかけ、いつでも発射できる体制。ディスプレイの照準。素人でも打てる仕様だ。

 田中はミラーを見て、悟った。
「あっ!撃たれる!」
「ひっ!」ユウは思わずしゃがんだ。

 思いっきりアクセルを踏み込み、ドクターカーは右へ急にカーブした。するとゴオオ!と爆音が車列の間から現れた。何かが来る。危険。察知した。

「ユウ先生!当たったらすみません!」
 急発進し、ドクターカーの最後尾に<何か>が勢いよくぶつかった。と、後部の一部つまりバンパーがもっていかれ、赤い物体の後部が穴だらけに粉砕された。一瞬でケリがついた。

 デッキの男は顔をしかめた。

「オーマイ・・・」

 ドクターカーはよろよろと、それでもすぐに加速を再開した。







 




79

2009年6月29日 連載

 松田クリニックでは、院長がモニターで観戦中。

「やるな、あいつら・・・!」昼休みをかなり前倒しし、ソファで鑑賞中。

「そうやってまあ頑張ってろ。うちにはな、もうすぐ数十人という患者が運ばれてくるんだ。そうなればノルマは達成だ!」

 気分が高揚し、テレビ電話。
「足津さんに、つなげ」

<ご用でしょうか>横向きだ。
「足津さん。こっちだよこっち!」

<今は別件です>
「藤堂ナースは、かなりのやり手ですぜ?あとは時間の問題でしょうが?」
<そうでもありません>
「え?」

<怪しい車両が、どうもあとをつけているようです>
「まさか?」

足津は、やっと松田院長のほうを振り返った。

<あなた、そんなことも知らないんですか?>


 バイクにはすでに連絡が入り、藤堂ナースはジグザグ走行を開始した。車線を次々と変更していく。

「田中くん。ほら!気付かれたじゃないか!」ユウはベルトを締め直した。
「では仕方ない!」サイレンを鳴らす。一気に活気づく。

 一斉に、前方の列が両側に拡がりだした。それはまた、藤堂ナースらの道を作ることにもなるのだが・・・。

 シナジーは事務室で、ある程度のルートをしぼろうとしていた。
「袋小路の多い道に入っていく!でもあ!出てきた!」
 定まらない。

 田中くんは、路地には入ろうとしない。
「僕はこれでも地元民です!そこらの路地は行き止まり!入っても出る運命です!」
「さすがだな!地元民は!」ユウは複雑だった。

 足津はソファから身を乗り出し、右手で携帯を押した。
「株主の、和田様・・・・・画像は見ておられますか?」
<ああ>

 ごく普通の家、デッキで銃を組み立てる姿。正確にはエアガン。窓を通しての屋内には、数々の優勝トロフィー。

 淡々と広いデッキで組み立て・・・銃身を縦に。禿げた頭に昔の栄光はないようだが、眼力と欲望ははるか向こうを見つめる。

「こちらはいつでも準備オッケー」

 カチャン!と試し打ちの構え。照準で、前方の道路を右へ右へと追い詰める。

「サイレンが見えてきた。あれだな・・・」
<報酬はメールの通りで?>
「ああ」

 片目を閉じる。彼の人生はいろいろとやりすぎ、もう金への独占欲しか残っていなかった。すべて手にしたはずが、いつの間にかそれ以上を失った。彼は結論を出した。自分の欲望を邪魔する者を排除する。その正義のためなら・・・

「俺は、何でもやる・・・」

 バイクがけたたましく吠えてくるのが分かる。やがて左の耳を通り過ぎる。初老の男の能力はピークを持続した。

「カモーン、カモーン・・・」













78

2009年6月29日 連載

 横断歩道を隔てて、向かい合う2つの病院。静かなのは、互いの信号が赤だから。それもすぐ、青になる。

 バコーン!と生け垣の上半分がなぎ倒され、タイヤが宙でクルクル回り・・・着地した。

「イーハー!」運転手の藤堂ナースではなく・・後ろの外人だ。ヒッピーのような格好。藤堂ナースはゴーグルを深くかぶった。

 そのあとわずかに時差をつけ、田中とユウの乗るドクターカーが飛び出した。勢い余り、ガタンとバンパーが前面に火花を散らす。

「田中くん!そっちじゃない反対だ!」
「おっとそうだった!」急いで切り返す。
「大丈夫かな・・・」
「見失わなきゃ、いいんでしょ!」

 サイレンを鳴らせば気付かれるため、追跡は控え目で行くことに。

「だったらこの車じゃあ、余計目立つだろうよ・・」ユウは助手席で指摘した。
「塗装は変更してます!」

 事務室では、コールセンター並みの回線混雑。事務員らがワン切りのごとくかけまくる。
「失礼しました!」「そちらで、患者さんの受け入れ希望などは?失礼しました!」

 シナジーはパソコンで、ユウらの行方を見守る。GPSの表示が頼りだ。
「こうやって標的の病院を探しても、気休めにすぎんか・・・!」

 パッと横を見ると、ガラス窓ごしに次々と医師らが滑走台を降りていく。3人が今しがた滑り下り、さらに後ろ足で砂を蹴った。

 トシ坊はじめ3人が出て、視界を埋め尽くす救急車が出現。
「重症と思ったらまずそこから!」
 早速、トシ坊は背中のチューブをシャキーン!と抜き肩のパッドにひっつけた。肩のパッドは大きめだが、とりあえず準備物を置くのに便利だ。

 ザッキーは救急車の間を自転車であちこち走り、重症を1人とりかかる。眼科医は比較的軽症を。でも数をこなすよう努める。ピートは・・・検査と決めたのか、2人同時に運んで行く。

 最初に滑走した大平と、女医が蘇生中。大平は汗をぬぐう。
「これは・・ダメかもしれないな!」
「でも!」女医はパッドを構えた。
「おおっと!」大平は離れた。
「やってみないと!」

 ズバン!と高齢男性が浮いた。脈は・・

「そうだな!」触れる。一時的か・・・。
大平は近くのベッドを足で受け止めた。
「こっちは腹痛!押したら?」
「痛いってのに!」
「検査だ!桜田!」

桜田は、再び心停止の患者に再びDCを準備。
「ああ!もう1回!これしてから!」
「あとは俺が1人でやる!検査に連れてけ!あと1人もだ!」

大平はベッドにくっつけたメモに内容を記した。
「早く!運んだら戻ってこい!」
「ナースを来させたら!」ドスン!と試みるが・・戻らず。
「桜田・・・」

そのナースらは、びびってしまって玄関前でオドオドしている。

眼科医が別の2台を引っ張ってきた。軽症と分かり、ナースらは緊張が少し取れる。
「ブヒブヒ!」
運んで行く。眼科医は戻る。

 ピートは腰につけたモニターで、不整脈を確認。
「トシ坊!この不整脈を頼む!」
「はいっ!ザッキーは?」携帯をかける。「病院より向かって外側前方!」

 キイイ!と車輪のスリップ音。ザッキーのオバサン自転車が飛び越えてきた。
「すぐそこです!」
「DC!300ジュール!300!」
「離れて!」トシ坊離れ、ピート・トシ坊かわす。パン!と火花の音。

 桜田は、いっこうに戻らない蘇生をずっと続けていた。大平は次の重症にすでにとりかかっている。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
 尋常でないような表情で、彼女は両手をもう1回クロスさせた。ゼリーの上で滑る両手の上に、大粒の汗。

 照りつける太陽。













77

2009年6月25日 連載
 朝7時。テンションがいったん下がり、うつろとしそうになったその矢先だ。

<救急搬送!来ます!>
 アナウンスだ。

 地下エレベーター付近、トシ坊が物品整理を終わってドクターカー後ろを出る。

「呼び出し順では僕だ。ザッキーはあとを頼む」
「はいよ」
「呼吸器は3台。残りはトレーラーが追いかける。なるべくはそこの病院の呼吸器をそのまま借りればいい」
「ですね」

 トシ坊はダッシュし、地下エレベーター・・でなく、離れていくつか並ぶ小さなエレベーターへ。イスがあり、座る。

 滑走台の上、同型のイスにすでに人が座っている。大平が張り切っている。

「眠らなくてもいけるぜ。たとえ48時間でも。100時間でもな!」
 真横のイス、桜田が上目づかいに見る。恋をしている目だ。オークナースらは女だけに、気づいていた。

「ユウらの時代は、もう古いってことを教えてやるよ!」

 桜田の向こう、トシ坊の椅子がせり上がった。
「人の陰口は、良くないんじゃないんですか?」

「陰じゃないぞ!」
 大平の椅子が前傾した。ピーポー音がこだまする。

<大平先生。転倒に注意してください>田中が警告。

「早く!落とせってんだよ!」
 イスのベルトがいきなり解除され、滑り台に落とされた。
「ととっ!ぬぬぬぬぬ!」

 スキーヤーの格好で、彼はスイーッと走り始めた。

<救急車は3台。通常の救急。いずれも腹痛の集団発生。桜田先生お願いします>

 桜田の汗が落ちると同時、ベルトが外れた。
「たっ!」
 彼女は左足を前に右足を後ろに、ぎこちないポーズで。

 日系人のピートが、大平の座ってた椅子に腰掛け。

「もう1波、くるぜ」

<内容不明の救急搬送。6台が接近中・・・>

「ほらな」
「いかにも」ひょろっとして頼りない眼科医(修業中)が、女医のいた椅子に着席。

<訂正します。訂正。10・・・12台!>

「おいでなすった!」
ピートは読んでいた本を振り払った。
「ユウ!あとは頼んだぞ!」

 大平と桜田が玄関前を走る中、残り3人とも滑走を開始した。

 正面の松田クリニック、玄関横に待機する大型バイク。近未来的なデザインのものが支給された。メンテナンス終了次第、発進予定。

 ユウの乗るドクターカーもエンジンがかけられ、地下から地上へ向かうシャッターがゆっくりオープンしていく。運転手の田中は後部座席を振り返った。

「レディ?」
「ファースト・・・」

 存続をかけた、対決の時が迫っていた・・・。


 

 

76

2009年6月25日 連載

 ユウは揺り動かされた。テントの外に出るとまだ真夜中のようだが・・・

 田中だけでなく、シナジーも薄着で立っている。大平も来ている。

「もうすぐ夜明けだ!ユウ!」大平が仕切っている。そういう男だと雑誌で読んだが。
「何かあったのか?」
「田中に礼を言わなきゃいかんぞ!」
「えっ?ああ、ありがとう」
「理由を聞かないのか?」

 田中は先ほどの音声の内容を伝えた。

「つまり、今日の午前中・・・朝一番っていうのがいつかは知りませんが。とある病院まで女医が直接出かけるそうなんです」
「病院へ?受診しに行くのか?」
「おい!真面目に聞け!」大平が怒った。
「すまへん・・」

トシ坊が隅に座っている。
「その病院がどこか分かれば、僕らも一足先に駆け付けたいところですね」
「患者を他院に紹介でなく、むしろ手放すことになる状況といえば・・・」

 シナジーは考えた。
「倒産しそうな、ブラックリスト病院のチェックを!」

 朝5時だが、活気がみなぎった。大平は白板に計画を立て始めた。

「まず、松田クリニックからの車庫の出入れを確認!事務員2名!」
「朝からうるせえな、お前・・・」ユウは頭をかいた。

 トン、と大平はステップした。
「<お前>はやめてください!」

 腰からジュースを取り出しストローで吸い・・・

「ブーッ!」
「うわあああ!」
「目が覚めたろ?」

 ユウの見えないところで、桜田がせせら笑った。嘲笑ではない。

 大平は次々と指令を出した。
「地下にあるトレーラーを時間差で出発させて!おいおいガソリンは満タンなんだろな?」

 トシ坊はザッキーの肩をたたいた。
「僕たちは、物品を用意しよう」
「イエッサー!」
 2人、物品倉庫へと向かう。

 ユウは、すんなりいく計画とは予感しなかった。

「でも、ついていくのなら・・・良くても同時到着じゃないのか?うちには優位にならないぞ?」
「大丈夫」シナジーは笑顔だった。
「なに?」
「交渉は任せてください。信用度は当院のほうが上です」
「松田クリニックが空床にしたのに、入院が入らないとなると・・・そうか。あいつら困るな」

 ユウは今さらのように納得した。

「よし!で!誰が行く?」

 みな静まった。どうやら皆の目線は・・・

「お・・・おれ?」


75

2009年6月25日 連載

 真夜中。事務室では田中と・・・ムンテラを0時に終えたユウが白衣のままテントの中で眠っている。省エネ対策のため、明かりはパソコンのディスプレイのみ。

 向かいの松田クリニックは依然として輝いている。

「・・・む!これは!」

 田中はマウスを動かし、ちょっと前の時間の音声記録。

<俺ってラッキー!>院長の声。
<乾杯ですね>あの女の声。

<早速、行動開始や!>
<出発は午後?>
<他の病院に知れたらどうすんねん。朝一や!アサイチ!>

 何の話をしてるんだ・・・・。

<院長。明日の午前診を休まれては困ります>
<でもやな。こいこいこい>
<あっ。ちょっと。ダメ。ダメだから>

 何をしているんだ・・・?

<ええやないけ!ええやないけ!>
<明日。明日だったら・・>
<えっ?ホンマ?>院長は弾んだ調子。
<明日、ひと仕事終わったら、ね・・・>

 田中はイライラし始めた。
「院長の奴・・・!」
 うらやましいと言ってしまえば、男として負けだった。

<なので、明日はあたしが行きますね>藤堂ナースは会話でリードしてきた。
<そっか?いけるか?>
<現場で直接交渉なら、相手の信用も得られます>
<へへ。じゃ、よろしく頼むで>
<当院のベッド。空けといてください>
<慢性期っぽいのは全部転院や。カラにして待ってるで!>

 どうやら・・どこかの病院から、患者を調達してくる話らしい。

 院長はしつこく迫る。

<なあなあ、そしたらええんやな。ええんやな?>
<ええ>
<よしゃあ!>

 田中はどこか、鬱になった。



74

2009年6月25日 連載

 ユウはふたたび事務室に入った。

「おい田中くん!今の、大平のアイデアなんだって?」
「ええ!」

 画面のようなものがパソコンに浮上した。動画ソフトの再生のようだ。

「でもユウ先生。オフレコですよ!」
 田中はボタンをクリックし、再生を待った。

 だが・・・画面はいっこうに映らない。

「田中くん。何も映ってないけど」
「ああ、音だけです」
「隠しマイクか?」
「ビデオのような予算はとても・・・」

 音声もノイズが多く、田中は音声をギリギリ一杯にまで上げた。

<ジジジジ・・・・・・シャ、シャ・・・シュ>

 ユウは田中の後ろからのぞきこんだ。
「目には目を、か。さすが大平。僻地で頑張っただけはある!」
「皮肉ですか?」
「・・・・・・」
「事務室内スピーカーに、つなぎますね!」

 そのとき、

<ワン!ブー!>

「(一同)うわああああっ!」みな、のけぞった。

どうやら犬の鳴き声と、その・・・

「オナラか?」ユウは指摘したが、周囲が「シー!」と促した。
「(一同)・・・・・」

<トン・・・トン・・・ドサッ・・・・あ~!疲れたぁ・・・>

 女の声だ。

 ザッキーが興奮した。
「この声!ねえこの声!」
「うるさいぞザッキー!」ユウは張り上げた。
「あの声ですよあの声!」
「るせえ!」
「僕が胸をつかんだ、あの女ですよ!」

 周囲がギクリと固まった。

「あ。いや。そうじゃなくて」ザッキーはうろたえた。
「知ってる。僻地にいた不審者だろ?」ユウは答えた。
「そう、そいつの声ですって。なんでここに・・・?」
「さあ」
「さあって・・・」

 女医が耳を澄ましていた。目を閉じている。

「だとしたら、ファンドの部隊員かもしれません」
「えっ?」シナジーは眼を丸くした。
「手から電気を出すのが得意技とか」

シナジー、ザッキー、ユウ、田中は目を合わせた。

「(4人)あのときの奴だ・・・!」

ユウはザッキーに問いかけた。

「ザッキー。他に何か特徴はなかったか?」
「胸がDカップくらいってことしか」
「おい!真剣に聞いてんだぞ!」

さらにミチル師長が入ってきた。
「お前ら患者さんもろくに診ずに、ここで何がDカップや!」

田中はパソコンソフトを閉じ、音声は終了した。ユウはミチルに首をつかまれた。

「今日は患者さんの家族が、はるばる静岡からお越しや!」
「き、今日はいないと言ってくれよ!」
「あと3時間したら着くから、それまで回診しときいや!」
「うわあああっ!」

師長とユウは消えた。田中はイヤホンで聞いていくことに。

大平は、近くに立っている女医を気遣った。

「しんどい?」
「いえ・・大丈夫です」
「ユウに、かなり言われてんだろ?トロいとか」腰のペットボトルにストローを通す。
「はいでも・・・大丈夫です!」

大平は飲んだ後、一息ついた。

「俺は絶対に、ここの病院を仕切ってみせる」
「はい・・・」
「それくらい背負うつもりで!頑張るんだよ!」

彼女の肩を叩いた。

「大平さんは・・・どうしていつも前向きなんですか」
心臓が張り裂けそうなほど、やっと言葉が出た。

「えー?俺かー?照れるなー!」
「どこからそういう力が出るのかうらやましくって・・・あっ!決して変な意味じゃ!」
「こう見えても、腹の中では何考えてんのか」
「・・・・・」
「骨盤部のCT取ったら、けっこう黒いかもしれないよ。こいつはやっぱり腹黒いってね。あっはは!」

桜田は照れて、うつむいた。

「あたしはここで、空気のような存在になってる。それでも誰かに・・誰かに気にされてたい・・・」


 




73

2009年6月25日 連載

 仕事が終わり、ユウはいつものように事務室に寄った。冷やかし目的だ。事務員らはレセプト業務に追われている。ドクターらの汚い字とパソコンとを交互に睨む日々が、1週間続く。

「もう終わったか?」ユウは空いている椅子に腰かけた。
「今日でまあ、なんとか」田中君はパソコンに向かっていた。
「なんか、情報はないか?」
「ないですねえ・・・」

 シナジーは書類をまとめにかかった。

「もう帰るんですか?先生!」
「帰らせてくれ・・・今日はもう。しんどい」
「目標人数、入院させてない!」

 ノルマが書かれた手帳を見て、シナジーはまた現実に困った。
「入院患者が足りないんですよ・・・」
「そんなこといったって、調子悪い人を入院さすわけにもいかんだろ?」
「糖尿病の療養目的とか、確認造影とかあるでしょうに・・・ぶつぶつ」

 滑り台の下から、声が聞こえる。シナジーは駆け付けた。

「あ?大平先生?」
「おーい!犬が入ってきたぞ!」

 例の新任ドクターが、チワワを抱えてなでている。

「ここの犬か?」
「先生!それは相手の偵察機です!もとに戻してください!」
「ここで飼ったらダメか?」
「ダメダメ!絶対に!ダ!メ!」

 人だかりが増えてきた。シナジーは犬の首輪を指さす。

「ここに、精巧なビデオカメラがありまして・・」
「鈴かと思ったら・・へぇ」

 勝気な大平は、離さない。

「じゃ、俺たちの会話も奴らが聞いてるってこと?これで?」
「はいはいはい。外でとにかく」
「へー・・・」

 近く、腰に両手を当てている師長が巡回している。
「ユウはどこ行ったんや!なあどこへ消えたんや!」
 ミチルのこれは、いつものことだ。
「まだ申し送ることが千ほどあるんや!ガーッ!」

 見届けたあと、大平は首輪を軽くつかんだ。

「おい聞こえるか!松田クリニックの院長さんよ!」
「あわわ!」
 シナジーは奪い取ろうとするが、かわされる。

「ここの事務長が、さっさと決着つけろってよ!それとも決め手がないのか?え?俺は世界医師会の大平だ!」
「せかいいしかい・・・ヒー!」

 シナジーは気分が悪くなり、そこへうずくまった。大平は手を放し、犬は走り去った。

 陽気な表情をしていたのは、補佐の田中だけだった。ユウが後ろに立って耳打ちした。
「田中。犬の首輪に、何かひっかけたか?」
「ええ」
「?」

 何か、ワッペンのようなものを。田中は自慢げに、皆と階段を登った。シナジーは2人に抱えられていた。

「あの先生。やばい、やばいよ~・・・田中」
「いえ。ケガの巧妙ということも」
「ケガというより、致命傷だろうが!」

 田中は事務室に入り、パソコンソフトを起動した。

「まあ、見ていてください・・・!」




 

72

2009年6月24日 連載

ユウと品川、その後ろに新入りの大平。ユウは煙が薄くなるのを待った。

「シナジー。この助っ人なら大丈夫だよ」

 さらに後ろに立っていた女医の表情が陰った。
「・・・・・」

 シナジーは頭を抱えた。

「買い取るとは言うものの。ファンドというのはあれですよ。買い取ったあとは、病院を潰そうがどうしようが勝手ですから」
「病院のことなんか分からん集団だろ?」

「いや、彼らは調べつくしてますよ」彼は周囲をキョロキョロ見まわした。
「犬なら、いないよ」ユウはスタッフらと1人ずつ握手した。

<この前はすまん。だからチャラな>という意味も含んでいた。病院では常に人と人がぶつかり潤滑油が必要だが・・・そんな便利なものはない。次の機会が犠牲にならぬよう、数々のわだかまりをリセットしていく必要がある。曇った人間関係はこうして早めにチャラにしていく。

 こうして何とか、仕事への悪影響は回避できていた。

 一方の大平は、あちらのほうで士気を高めようとしていた。

「大平!わたしは世界の大平です!これからは俺が来たから!もう安心だから!みんな頑張ろうな!」

 大平は背負った小包を、地面で拡げた。

「これ、勤めてた僻地から届いた食糧。みんなで食べてくれ!」

「(オーク一同)グオオオオオオオ!」
「なにやっ?うわあっ!」

大平の姿がオークらの間に吸いこまれ、消えては隠れた。

「うわああ!踏むな踏むな!感謝の念はないのか!いてえ!」

ユウは遠くから見ていた。

「うちは、ちょっと違うよ。よそとは・・・」

女医は少し微笑んだが、それもすぐかき消された。

みな、持ち場に戻る。




71

2009年6月24日 連載
真田病院の駐車場では、シナジーが演説中。

「皆さん、ご覧のとおり。正面にそびえ立つは、医師会の反対をも押し切って進出した巨大なクリニック。往診関係でかつて当院とつきあいのあった先生が・・・正直ショックを隠しきれません」

オークナースらがそわそわと大勢立っている。

「ま、嘆いてもしょうがありません。当院の収益はここ1ヵ月でかなり落ち込んでいますし、挽回をはからないと。リストラが新たに発表され私も正直心苦しい。しかし小泉政権同様、痛みを伴う改革は必要です」

(無言。冷たい視線)

「ですがこちらも黙ってはいません。女医の桜田先生の他にもう1名の助っ人が新任で入ってくれまして。まだお目見えには・・・おかしいな。ここは心機一転をはかろうと・・・?」

 シナジーの言葉が詰まったのは、何もユウ・大平が向こうからやってきた、つまり遅刻してきたことではなかった。

 いきなり乗り付けてきた、黒い救急車だ。サイレンは回ってない。

「あの・・・・・」エンジンが止まる。

 いきなりヤクザ風の大男が降りてきた。以前、トシ坊のケツを棒でねじった男だ。トシ坊は反射的に尻を隠した。その顔はどこか赤かった。

「(一同)うわあああ!」
「・・・・・・・」サングラスの向こうは見えない。

 続いて降りて来たのは、例の会長だった。

「品川!」
「はい?」
「・・・・・・こりゃ、ちょうどいい。はっは!」

 みな、ざわめきが起こった。

「怖がるな。助言に来た。私はもう、真珠会のオーナーではない」

詳細は違う。自らファンドに譲り、株主になった。

会長はマイクなしでも、声が通っていた。

「コンスタントに収益をあげていたとはいえ、となりのたかがクリニックに押されて利益が落ち込むとはなぁ」

大平は片手にさきほどのジュースをまだ持っていた。

「ユウ。大丈夫なのかここは?俺まだ来たばかりだぞ・・・?」
「借金でもせびりに来たのかな・・・?」

もとオーナーは主題に入った。

「当院、真珠会は本年度より、海外資本と手を組むことになった。ほれそこ、拍手してどうする。その海外ファンドの助言により、数々の病院を買い取ることに決めた!」

品川は腕組みした。

「足津のスポークスマンが・・・!」

会長は続けた。

「だが、貴院はもともとこちらとの付き合いがあるだけに、こちらとしても手荒なまねはしたくない」

トシ坊を棒でつついた大男が、拡声器を渡す。

<2週間以内に、ここを明け渡すことを勧める!その間、諸君らは次の職場に身を固めろ!その後は、当院のスタッフがここに結集することになる!・・・お前らの居場所はない>

 松田クリニックのノルマ達成期限も、あと2週間。どうやら何か最後のイベントが起きそうな予感。

 会長はすでに車。大男も片足突っ込んだ。

<あるいは激安の月給ででも、ここで骨埋めるか選べ!>

 ブウ~と、車は走り去った。


70

2009年6月24日 連載

 2週間後。

 松田クリニックは大盛況だった。患者の口コミ効果は絶大だった。会計がなぜか安いし、手続きも早い。イケメン外国人ぞろいのリハビリ室というのも効果があった。ポイントが高いほど優遇されるのも画期的だった。これら人件費、PRもすべてファンドに頼るところが大きかった。

「と~ど~ちゃん!」院長は意味もなく、藤堂ナースの名を叫んだ。

「はい」
「横の2診、シローちゃんとこ患者増えてない?」
「見てきます」

意図的なのか、下着が透けて見える白衣だ。院長が血眼で追う。

しばらくして戻ってきた。
「ここより10冊増えてます」
「そっか・・・増えてきたな」
「嫌がらせしましょうか?いつものように」
「いや・・・やるな。あいつ」

 藤堂はなぜか、気を良くしていた。待ちに待った<機会>が近づいてきたからなのか。とにかくここでの仕事はどうでもよくなった。命令である<シロー>の評価も終わったし、<次の作業>が終わればおさらばだ。

 老師長はつまらなさそうにシローの介助についていた。立場は逆転、シローに有利だった。外来がいったん終わり病棟、すぐにまた外来その繰り返し。

 そうこうするうち、病院が次第に彼のペースと化していた。これはユウのやり方なのだが・・・<最初>と<最後>をおさえること。たとえば月曜日の早朝の時点で情報をすでに一手に集め、総合的な検査もここで再評価。週末にはすべての情報をまとめ、スタッフ居残りの最後の最後まで帰らない。有力な情報が見つかることがあるためだ。

 そうすると自分のペースで物事が進み、誰も文句を言わなくなる。ただしユウは1人でこれをするのを嫌い、トシ坊との1日1日隔日体制でやっていた。

 松田院長もいつしか、彼のそんな姿を認めるようになっていた。売上も好調。これで入院患者が爆発的に増えれば、ノルマは達成できる。

「松田院長。昼休みに銀行に行きたいのですが」シローが願い出る。
「う?う。ああ」


近くのATMで、シローは入金を確認していた。

「・・・・入ってる。よかった・・・」
いつものように、妻への振込み。給与の大半がそこへいく。

「おい」
「うわ?」

ユウが立っていた。

「この客遅いな~と思ったら。お前かよ?」
「先輩・・・この前は、どうも」
「どうもじゃねえよ。5分くらいはあるだろ。来い!」

近くのファーストフード店。

「シロー。さっきからずっと黙ったままだな・・・」
「・・・・・・・」
「いや俺が聞きたいのはな。なにかこう、ホントはお前何か伝えたいことがあったんじゃないかって」
「・・・・・・・」
「こっちも、いろいろと考えるんだよ」
「・・・・・・・」
「ズバリ聞くが。あいつらに弱みを握られてるのか?」
「・・・・・・・」

遠くから、ストローをくわえたままの長身男が近づいた。

「ユウ先生?ですよね?」
「えっ?そうだけど?おたくは?」

体格のいい山嵐のような男はぶっきらぼうに、ガタンと横に座った。

「面接!」
「あ、その関係な」

シローは不思議がった。

「シロー。これはオフレコでな。このドクターは、今後うちで勤務する、大平くんだ。医師会が回してくれた。女医だけでは仕事が回らん」
「・・・どうも。松田クリニックの」

大平はストローをくわえたまま、そっぽを向いた。
「アンタ。とんでもない医者なんだってな」

 ユウは慌てた。

「やめろ大平!シローがそりゃ戻ってくれれば俺たちは嬉しいが、失くした人手の問題はそうはいかん。なので医師会にお願いして、使えそうな人材を補充させてもらった。救急も当直も、何でもござれだよな?」

シローは顔で何か思い出した。

「あっ。あなたは・・・たしか、医療の番組で・・・ドキュメントの?」
「そ!あったり!ハッタリじゃないで」大平の笑顔がはじけた。
「実質1人で僻地の病院を引き取って、3年ももたせたという!」

 その医師は本まで書いていた。医療の現場を描いてきたが、ある日突然出版しなくなった。

 ユウはゴミを捨て、戻ってきた。

「ま、3年でポシャッたわけだが」
「るせえな!あれは自治体が!」大平は眉をしかめた。
「でもよくやったよ。大阪の医師会は、その根性を買ってるらしい」
「僻地は難しいんだよ!」
「それは俺たちも知ってる」

大平は好戦的に身を乗り出した。飲み物を持って離さない。腰にそれ用のトレイまである。

「ああ、これか?実は糖を補給してないと、もたない体なんだよな」
「インスリノーマ?膵臓に腫瘍が?」シローが聞いた。
「代謝関係。小さい時からでな。それが医者になった理由だがな」
「そうですか・・・」

3人はジョジョジョ・・・と残りを飲み干した。

ユウはいきなり立ち上がった。

「大平。土曜日だよな今日!恒例の集会だ!」
「オレ採用?」大平は自分を指さす。
「もう決まってんだよ!」
「なんだよ無駄足か?」

シローは小さくおじぎをし、出て行った。2人も続いた。

ユウは、道路を渡ろうとしたシローの背後から声をかけた。

「シロー!」
「はい?」
「魂だけは、売るなよ!」

シローは変わりかけの青信号を、飛び出した。





69

2009年6月24日 連載

 ユウはアパートに着いたとたん、床にドサッと荷物を落とした。同時に襲う安堵感に、脱力感。

「ひっさしぶりに帰ったな~!」

 持って上がった伝票は宅急便や光熱費関係。宅急便はすでに引き揚げられている。経済的に困ることはなくなったが、思わぬ出費や催促もある。学会費や税金関係だ。

「銀行に支払いか・・・いつ行けるんだよ?」

 風呂に入るためお湯がザー!と出ているが、体が重くて起き上がれない。

 天井を見つめ、いろいろ考える。

 僻地の病院のことは悩んでも仕方がない。友人の行き先不明が心配だが・・とりあえず生き残りの女医を育てる必要がある。大学の人員が減るということは、関連病院への人員も渋られる。

 なので、大学医局への入局者人数はかなり気になる話題だ。

「そういや、メール来てたな・・・」

 携帯のメールをかざす。大学の医局長、ノナキーの分だ。

< 大学スタッフを一堂に集め、来るべき救急ラッシュに備えての学長演説が行われた。スタッフには十分余裕はあるものの、教授会によるとあくまで当院スタッフは自己の業務を優先し、プライマリ的なものに関しては関連病院の力をメインとし・・・>

 文章に強引さと不器用さが混在する。あれこれ手直ししてるってことは・・・

「お前、よっぽど困ってるんだな・・・」

 携帯を閉じた。

<「僻地から戻って、人が変わったことに気づいてないの先生?」>
 さきほどの言葉を思い出す。

「気づいてないわけねえだろ!ちくしょう・・・」
 思い出すほど傷つくことが増える。何をもっても、それが隠せない。

ダダダ、と風呂が溢れそうになっている。

「ふろ、風呂に入らないと・・・ふ・・・ろ・・・」

 死んだように、寝入った。



♪ 

戦い疲れた兵士が今
帰って来たよ 帰って来たよ・・・・・・・




68

2009年6月22日 連載

 お互いに頭を冷やすべく、ユウらはみな散会させられ、異なった時間帯で帰宅の途についた。

 シナジーは、おそらく皆が帰って確認するであろうメールの内容を打ちながら考えていた。

<医療のことはとやかく言えませんが・・・。病院としての存続も考えてもらいたい。いずれにしても諸君のチームワークが不可欠なのであり、それがなければこの病院は死んだも同然。リストラされた方々も浮かばれません>

 シナジーは両手で顔を覆った。
「そうだよそうだよ!その通りだ!」

 暗くなった事務から、サンサンと電気がついてる正面のクリニックを眺めた。

「はぁ・・・」

 シャン!とメールの入電。

「?これは・・・そうか!」

 シナジーは立ち上がった。

「これに・・・これに賭けよう!」

 まだ明日がある・・・!

 ユウは高速道路を異常なスピードで走っていた。いろいろ考えた。1人で考えれば、許せないこともだんだん許せるようになってきた。だがそのことがまた許せない。

 だがまたそれを許してそれを許せない、またそれを蒸し返して・・・

「うわっ!」

 急カーブ、もう少しで激突するところだった。以前ともに働いた循環器の医者が過労のせいか、並行していたバイクをそのまま巻き込み重傷を負わせた。医療ミスを乗り越え、立ち直った矢先の出来事だった。

 ユウは停車したまま、横を殺人的に通り過ぎる車の風圧に体を揺らされた。

「・・・・・・・疲れてる。疲れてるだけなんだ。俺も。お前らも・・・」

 そうだった。松田らとの違いを忘れていた。

 疑いもする。怒りもする。でも本当は仲間を信じている。だからこそ・・・

 疑いもする。怒りもする。

 車は闇へと消えていった。




 




67

2009年6月22日 連載

 4時間後。

 カンファレンスルームで、ザッキーと桜田はうつむいて座っていた。何度かドアの開け閉めがあり、ユウが入ってきた。続いてトシ坊。

 4人がけ、2人と2人が向かい合った。

 ユウは言葉をなくしそうになった。

「桜田・・・」
「は、はい」涙がこぼれた。反省の涙なのだろうが・・・
「桜田・・・」

 ユウも泣きそうだった。妙な虚無感だった。救急で大勢を救った自負もここにはない。

「スーパーで倒れてたそうだ。さきほどの中年女性・・」

 うわっと女医はその場で椅子ごと横に倒れた。ザッキーは無念という風に拳を握り締めた。

「脳外科のある病院へ転送された。その後の経過はまだ分からん」
一瞬ザッキーと目が合った。双方、にらみ合った様子。

 トシ坊はやっと目を開いた。
「誤診をした経験がないといえばウソになる。どの医者でもある、とは言わないまでも、あった可能性がある」
「そうだ。確実なものなど、この世にはない」ユウは誇張した。

 女医は、彼らの声が聞こえないほどオエッ、オエッと吐きそうに泣いた。

 夕日はとっくに沈み、電気のない部屋はいっそう暗く。しかしお互いの表情は見通せる。それで充分だ。トシ坊は続ける。

「問題点はむしろ他にある。僕らがこうして話し合うのは、君らがこの病院でこのまま、ここで・・・ここで継続して勤務したのなら。同じ過ちを繰り返さないためにすることが、あるだろう」

 疑問とも感想とも取れないぎこちない口調。トシ坊も純粋に責めたくはなかった。

 ドアの向こう、シナジーがもたれている。彼は・・・内容を知りながらも遠くの問題を考えていた。
「・・・・・・」

 ユウは口を開けた。

「桜田。俺が言っただろ。入院が決定した患者のフォローをしろと」
「うっく・・・ふぁい」
「なんで守らなかった?」

 鎮まった。

「黙ってても分からん。なんで?」
「次々と。次々と救急が」
「ハッタリ前だろが。だから何でかと聞いてる」
「お、落ち着いてたんで」
「だから!そこで勝手に判断するなボケ!」

 ユウは異常に机をたたいた。トシ坊までのけぞった。

 ユウは一瞬感じた。
「(怒りが・・・異常な怒りは何なんだ・・・あ、相手の意見を否定するときは、 まず相手を認めてから・・そうじゃなかったのか・・・)」

 桜田はうつむいた人形と化した。

「ちっ・・・ザッキー。おいお前」
「・・・・」うらめしそうにユウを見る。
「お前。俺に恨みでもあんのか?」
「先生こそ。何の怒りをぶつけてるんです?」
「なにぃ?」

 にらんだ2人は同時に立ち上がった。

 シナジーが、たまらず入ってきた。

「やめなさいって!今、喧嘩してどうすんです!」

ユウは怒りが治まらなかった。ザッキーの指摘は間違いではなかった。

「俺が、何に怒ってるか知ってるのか!お前!お前だよ・・・!」
「僻地から戻って、人が変わったことに気づいてないの先生?」
「俺が変わった?」
「理由は分かってますよ。自分らが今まで築いたものに、裏切られたからだ!」

ユウは背中から取り出したチューブで、ズバーン!とザッキーの腕を叩いた。

「うわああああ!」

シナジーはユウの膝を蹴った。
「暴力医者!」
「いつっ!」

女医以外、みな床に倒れてしまった。

女医の泣き声が、だんだん高鳴っていった。






66

2009年6月22日 連載

 ザッキーが事務所に転がり込んだ。本当に前転し、シナジーとぶつかった。

「いたぁ!」
「頭痛!頭痛で来た中年女性の!」
「何すんだよ・・・いや、するんですか」
「中年女性の!行き先は!」

 田中は処理後のカルテを取り出した。
「住所と電話番号はここに」
 ザッキーは電話した。
「・・・いないよ。家に帰ってないんだ!」

 撮影に加わった技師が呼ばれ、やってきた。
「桜田先生が帰宅を許可して。何でもかかりつけの医者へ行くとか」
「あっちゃー」
「どうしたんです?ザッキー先生」

ザッキーは事務のパソコンを使ってCT画像を呼び出した。

「やってくれるぜ。あいつ!」
指さすが、シナジーには皆目分からない。
「何か、異常が?」

技師の顔が、次第に青ざめた。
「ザーは、否定できないかもですね」
「ザー?」シナジーは手帳を調べた。

 SAH・・・クモ膜下出血・・・。

 CTでは、通常脳のど真ん中に白い5角形を認めるが・・・よく見ると、このケースでは脳の下方、延髄の上部にあたる<橋>という場所の後ろから小脳の中心にうっすらと白い線が・・・。


ザッキーは技師の頭を丸めた新聞紙で叩いた。
「分からなかったのか?」
「すみません・・・」
「ここを出て30分以上たってるか・・・何とかなってるかな」

ザッキーはカルテを見た。
「桜田っちは、丁寧に<正常所見>と書いてら。俺、知ーらね!」
「何を<知らねえ>だと?」

 カテーテルを終えたトシ坊が、仁王立ちしていた。脱ぎ忘れた防護服が、ザッキーの頭に被せられた。

「てっ!医長先生!おつかれです!」
「さっきは何なんだ?自分だけは内視鏡に専念して、緊急でみんな必死だったんだぞ!」
「・・・・・」
「君には前から言いたかったが、症例を重ねることしか頭にないのか!」
「なんですかそれ!言いなおしてください!」
「と、ユウ先生がこの前」

 トシ坊は怖気づいた。実は気が小さい。だがザッキーは堪忍袋が破裂した。

「言いなおせ!言いなおせよ!」
「ちち・・」
「ここの収益の主要部分を売り上げてるのが誰なのか、あんたは知ってるのか!ええ知ってるのかよ!」

 疲れ切ったユウは、脚を組んでさきほどのCTを見ていた。
「おい・・・この症例は・・・この人は?」

 ザッキーは押し黙り、技師が口を開いた。
「不在で」
「じゃなくて。どこの部屋?」
「ささ、桜田先生が」

 技師は震えた。それだけ最近のユウは怖かった。

「意味が分からん!」
「桜田先生が帰らせてしまいました!」
「バカヤロー!」

 机が蹴りあげられ、シナジーら事務員は床へと倒れ込んだ。

 ユウは外へ指さした。

「いまから!さがしにいけええええええ!」


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