105

2009年7月6日 連載

 真田病院では、会議室でケーキなどがふるまわれていた。患者側からのサービスだ。
 大学への要請援助にも応えることにもなり、立場的に悪い気もしなかった。

 ユウは食べ終わり、外を見た。
「やっと、まともな救急が来るようになったな!」
「何かの前触れかも・・」トシ坊は淡々と喋る。
「いけね。もう帰らんと!」
「大学へはいつ?」ピートが聞く。
「そのうちだ。大学はシナジーが監視してくれてる。ノナキーの補佐役。やっぱりあいつは孔明だよ!」

すると、大平がゆっくり歩いてきた。

「・・・・・」
「大平。顔色悪いぞ。だから復帰はもっと様子・・」
「す。座らせてくれ」

ドカッと椅子に。
「・・・・・」大平は、ユウに耳打ち。
「なんだって?松田先生が・・・」
「ちょっと俺、寝てくる」
「そうか・・・」

不思議と、ショックはあまりなかった。自分はそんなものなのかと驚いた。

「(俺の中の、何かが麻痺してきている・・・!)」

ピートは大平の身体所見を取り出した。

「脈は速いが、ま、いけるだろ!」
「触るな。すぐに回復する」腰に抱えたジュースを飲む。
「また低血糖なんだろ。補給を忘れるなよ!・・って、余計なお世話か」

桜田女医が、うつむいて車椅子を押してきた。
「・・・・・」
大平は無言で乗る。

「・・・・・」
大平は取っ手の彼女の手のひらを握った。
「ここに来て。つらいことだらけだな」
「うん・・・」

キュルキュル、ときしみながら車いすが遠ざかる。

そこへ田中事務員が飛び込んできた。

「松田クリニックが、とうとう閉院したぞー!」
「(一同)おおおおおおおっ!」

ユウは、まだ松田院長のことが実感できない。

104

2009年7月6日 連載
 
当然、真田病院には患者が溢れだした。休養中のスタッフはみな呼ばれたが、事情を聞いて喜び勇んだ。

「はいはいどうぞ!こちらへ!」「3番の方ー!」「入院希望2名ー!」「搬送、入ります!」
 救急車も続々と、到着。救急はもうここ3日真田だけが受けている。

 滑り台の上、大平と女医が並ぶ。

「大平!救急搬送診ます!」
「同じく!」と女医。

 ズドーン!と2人同時に滑走。横でユウが傾いた。

「夫婦で医局は、肩身が狭いんだよ!ユウ2台目!搬送待ち!」

 上目遣い、クリニックに出入りする役人・段ボール箱。

「何をしたかは知らんが・・・終わったようだな!松田!」

 ズドーン!と寂しく滑走開始。

 後ろ、田中が立っている。

「患者さんが・・患者さんたちが戻ってくれた!」



 松田は呆然とし、クリニックの前の7段階段をゆっくりと降りた。
「・・・・・・・なぁ。なぁ」

 建物は答えない。
「・・・なぁ。よしとくれよ。情けはないのかよ。なぁ。わっ」

 よろめき、左腕をもろに転倒した。ローレックスの時計が鋭く裂けた。赤い血も出た。
「くぅ・・・!」

 正面、真田病院の駐車場では白衣が複数人、走っては救急診療に向かう。その処置も落ち着いたようだ。みな、散開している。

 大平は駆け足で、駐車場いっぱいまで出た。

「あれ・・・あれは!」
「え?」女医が追いついた。
「向かいの院長だ!自殺か?」
「じ、事務を呼びます!」
「頼む!」

女医は携帯をかけつつ、走って行った。

大平は見つめた。
「死のなよ・・院長!」

松田は激しい眩暈をもよおしていた。

 往来の激しい道路を見ていると、チワワが安全地帯にいる。こっちを・・撮影している。
「テメェ・・・テメェ!」

 ダッシュしようとはするが、おびただしいクラクションの嵐にあう。
「てえっ!ボケ!ボケが!」

赤信号になり、一瞬車が途絶えてきた。松田は走った。
「この野郎!俺を見てるか!お前らのせいで!」

ポケットのディバイダーの針を、ピキンと空に向けた。
「せめて、お前だけでも殺したる!」

そのとき、フッと何かが飛んできて松田の背中に当たった。

「たっ・・・。注射針?う・・・」
背中に手をやり、そう感じた。

「・・・・・・」

 間もなく眠くなり、彼はそのまま交差点の真ん中で崩れ落ちた。
青信号で飛び出した車たちは、そのまま容赦なく突っ込んでいった。


103

2009年7月6日 連載

足津理事より携帯を受ける、点滴中の<患者>。

「もしもし・・・今、クリニックです」
「それはいいとして。ナースの行動は見ましたか?」
「風邪で点滴してくれといったら、あの院長は診察もろくにせずで。かなり参ってる様子というか」
「ナースの行動は?」
「えっ・・ああ」

私服警官のような男は、ベッドに座った。よく観察する。

「違法行為など、今のところは見受けられませんが・・・・・ああぁ!」

 他のナースがその私服を再び寝かせようとしたが、彼は反動のように跳び上がった。

「うりゃあ!」
「(ナースら)ぎゃああ!何!」

 指差したその前方には、レントゲンスイッチを押したばかりのナースがまだスイッチを持っていた。珍しいことではないが、このクリニックでは伝統でやっていた。

「診療中止!診療中止!」
「えええっ?」ナースはパニクった。
「すべての診療行為を中止せよ!繰り返す!」

すると同時に、背広が何人も箱を持って突撃してきた。待合の患者の間をぬって。

「診療中止!診療中止!」

真珠会病院でも、ハッカーがケラケラとウケていた。

「診療チューシ!診療チューシ!ケエッケケ!」

 クリニック内。1人の背広が事務室の電源を落とし、また1人がテレビを消す。また1人・・・

 次々と病院の機能が<停止>していく。

「な、何をするんだああ!」
松田院長が診察室から泣きかけで飛び出した。

「けけ!警察呼べっ!警察!」

 点滴中の患者は強制的に点滴中止。高齢であろうが、無差別にさっさと起こされた。

「きさま~!患者のふりして点滴希望とは!」松田は私服の襟をつかんだ。
「ここはもう、病院ではない!」
「何さまのつもりだ!」

私服は名刺を出した。

「私は医療対策課!ここの実情を調べにきた!」
「ぬぅう?なにぃ」
「なんだこれは!どういうことだ!このクリニックには目をつけてきたが・・・」

足津の声一つでやってきたことなど、言うはずもない。

周囲、泣きだす病院スタッフ。患者らは次々と病院を追い出されていく。

「わ、悪いことはしてねぇ」院長は戸惑った。
「本来、レントゲン技師と医師にしか許されてないエックス線撮影を、ナースにさせた!これは重大問題だ!」

「どど、どうなるんだ?その場合?」
サ―ッと血の気が引き、尿が同心円状に拡がった。

 私服は、額縁を持ち上げた。博士号取得の賞状だ。
「こうなるんだよ!」

 バリーン!と振り下ろされた。

102

2009年7月2日 連載

薄暗い地下の駐車場。車を降りて、シローはやっと目隠しを取られた。

「ふぅ・・・怖かった」
「すみません」すまなさそうに謝る運転手。

シローは1人でエレベーターから最上階の7階へ。ビルなんだろうが、外を見れる窓がない。
チン、と開くと真っ直ぐな廊下。

「し、シローです。入ります!」
「どうぞ」秘書の声で入る。

背もたれのまま向こうを向いている足津。

「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「ではさっそく、本題に入ります。契約はこれでよろしいでしょうか?」

<週休1日、当直は週1回、ノルマ達成により給料変動あり。基本給は・・・>

「(さ、真田の2倍・・・!い、いや。それが一番ではない。でもこれだとローンも返せて、ワイフのお布施も払えて、子供の面倒も大丈夫だ・・・)」

シローの頭が次第に真っ白になっていく。どんな苦労でもお釣りが来そうな気がする。
「仕方がない。仕方がないんだ・・・!」

足津は頷いた。
「いいですね?ではサインを。どうも。これでシロー先生は彼と同様、ここの正職員となります」
「彼?」

シローの前、ゴリラが礼をした。

「マーブ・・・槇原先生!」
「シロー先生!いらっしゃ~い!」
マーブルはハイだった。再度の出動に意気込みをかけていた。

病棟と事務が一体化したと思われるこのビル。ホントに不思議と窓がない。その代り室内照明は鮮やかで、ずっと昼間のようだ。

各部署を案内されながら、シローは問いかけた。
「自分は、ここで普通に診療をさせてもらえばいいんですね?」
「往診業務の人手が欲しいんだ」
「いいですよ」

マーブルは数歩後ろで立ち止まった。

「シローは株主にならんのか?」
「え?」
「医者の給料もらって、そのままの人生でいいか?」
「株はちょっと・・・」
「仕事もしてリスクも冒し、しかしそれ以上の達成を味わう。それが人生の醍醐味だと俺は思ってる」
「僕の人生の目標は・・家族といることだけです」
「ぷっ!はは・・・笑わすなよ。今のグッド」小さく親指を立てる。

足津は事務室で、携帯で電話した。

「我がファンド関連会社の株が下がってきておりますので。株主に一斉連絡を。近いうちの出動の意思をお伝え願いたい」

もう1回、別のところへ電話。

101

2009年7月2日 連載
 真田は莫大な利益を上げ始め、もうあのクリニックは敵ではなかった。患者は以前よりもむしろ増えた。ユウらスタッフも連携が取れ、それがまた安心感へと結びついた。しかし、大学病院を救援しようとする意識があまりない証拠でもあった。

ユウは腰を落ち着け、医局で休憩していた。

「なんか、大学に向けて真珠会が殺到したらしいが・・・結局単なる脅しだったんだろ?」
「ええ」ザッキーが向こうでごそごそしている。
「品川の話によれば、大学は統制が全然取れてないって」
「ええ」
「シナジーは売店のおばさんに抱きつかれとか言ってるが。あいつ何しに行ったんだ?」
「さあ」
「聞いてんのか?」
「さあ」
「だる・・・」

「今回は運が良かった。だが、次はそうはいかんだろう。次の手を打ってくる・・・!」
「へえ」
「映画とかなら、そうなる筋書きだろう?ザッキー。見舞いに行こう!」
「よく喋るオオカミさんだ・・・」

一緒にそのまま大平の病室へ。鍵がまだかかってる。

「・・・・また女の声だ」
「ナースらの噂では、彼・・・桜田と」
「なるほど。こういうのがあると、業務にモロ支障を来すんだよ!」
「そっかな?」
「そのうち分かる」


大学の大会議室。

 教授らの円形の長いすの周囲、さらに円形に椅子が取り囲む。つまり中心が教授陣。
 その周辺が実質的な医療スタッフ。シナジーもそこにいた。末端らは立ち見か廊下。

教授陣の中、学長が読み上げる。

「今回は、相手の不意を突いた威嚇により、当院のキャパシティーを問う結果になった」
「(一同)・・・・・」
「だが結果的に野中医局長の的確な配慮により、学生らを前線に配置することで相手の戦意をそぐことに成功」

シナジーは恥ずかしかった。
「(そうじゃないだろ・・・!)」

ノナキーが照れてペコペコしている。それがいっそう情けない。

「これで分かった。真珠会は当院への莫大な奇襲計画は最初からもくろんでおらず、当院からの警告を真摯に受け止めた。しかも今回の先導は、あくまで一部の者の行動であったと真珠会のオーナーが述べている」

シナジーは挙手した。

「ですが。次は本気でくると思われます」
「本気?」
「これだけの人数がいて、今回は1人も機能しなかったと同じです。シミュレーションをやるべきです」
「もしもの訓練か?」
「はい」
「君は確か真田の・・・」

シナジーは改めて立ち上がり、礼をした。

「真田病院の事務長。品川です」
「オーナーではないのか?なら話にならんな」どこかの教授が声をかける。
「・・・・・」
「あ、ほれ。草波君・・・本命は真田か。彼はどこだ?」
「はっ。は、未だ堀の中でして」
「はっ?ああ、なるほどねぇ・・・そりゃ、そうなるだろうねぇ」

学長は仕切る。

「今回、真田病院からの救援も間に合わなかった。ここはきちんとしてくれるんだろうね」
「真田病院にも、それなりの業務というものがあります。業務をオフにしてまでこちらのヘルプに没頭はできません」シナジーは言い切る。
「数人、こちらに援助を送るのか?」
「はい。ですが大学にとっての数人とはわけが違いますので」
「むぅ・・」
「当院は今、崩壊しかけのクリニックからあぶれた、その患者さんらへの対応に追われてます」

 いや、真田がもはや勝っていることは知っているのだ。だがここでそれを悟られると妙なことを押しつけられそうだ。

 学長は不愉快だった。

「それでは今週末までに!野中医局長と品川事務長が計画を立てて、早急に提出すること!」
「あとお願いが」とシナジー。
「こっちも多忙なんだ!医療ミスに対するマニュアル作りのため、毎週東京へ行かんとならん!」
「・・・・・」
「厚生省へ!毎週だぞ?」

ガラガラ、とみな時計を見ながら解散した。

100

2009年7月2日 連載

社会保険事務所。ガランとした職員室のような部屋。

「はい。医療対策課。・・・え?あ、はい」
背広の男が眉をしかめた。
「足津さん?どうしました。え?早急に?ええ。調べてみます。光栄です!」

周囲の机は慌ただしく、中年らがパソコンをたたきまくっている。

「ちょっと、出張したいところがあるので」
役人は、スーツを脱いで私服に着替えた。50代が30代に若返った。

再び足津に電話。廊下へ。

「大株主になれるって夢の話・・・信じてようございますか?」
「あなたの働き次第です」
「ちょうど最近ダメなんですよ。馬も女も」
「お願いします」

真田病院は、みな息切れしかかっていた。だがようやく効果が表れ始めたのか・・

「当院への患者数が、激増している!」
事務員がベランダから指差した。
「噂によると、向こうは優秀な人手を失ったそうだな」

ユウもベランダに並んだ。患者が交差点をどんどんわたってくる。

「せっかちなことに、あの病院の入院患者は全部追い出されてた。新規に入ると思い込んで。奴ら1から出直しだ」
「なるほど」
「新規に入るはずの患者が全部、真珠会に吸収された。彼らには全くの想定外だったんだ」
「それでやる気をなくしたんですかね?」
「いや・・・その逆じゃないかな」

クリニックの診察室。松田院長は、待合室の患者数激減に戸惑っていた。

「くそ!なんで・・・なんで?」

 院長は相変わらず自問自答していた。疑問は次々と起こった。今度は外国人スタッフが全然出勤してこない。いるのは看護師長と数少ない病棟ナースだけだ。
空の病棟のナースのサポートではうまく回らない。

「スタッフまで・・・スタッフまで取られたというのか」
不安になり、横の診察室のカーテンを開いた。
「おいシロー!いるんだろうな!」

「ここだよ」
「うっ?」

シローは私服に着替えていた。ベルトをしめている。

「おめぇ・・どっか行くのか?」
「お世話になりました」
「お世話だとぉ?」

シローの心はここになかった。

「僕はここでは、もう働きません」
「おいおいおい。強気だな。どこへ行こうというんだ?まさか真田に」
「いえ」
「ここをやめたらおいどうなるか。真珠会からのお情けもなくなり、宗教法人で預かった家族にも会えんぞ?俺の一声でどうにでもなるんだ!」
「いや・・・その権限も、もうあんたにはない」
「あんた?あんたときたか!」

松田は自分の行く末がだんだん分かってきた。

「ひ・・ひぃっ。おい待て!」
「どけ」
「待てよぉ~!」抱きつくが、すぐかわされる。
「僕はもう、とことんまで我慢した。だがそれもようやく報われつつある」
「<学会>に入信したのか?したんだな?」
「何を言ってる・・・」

シローは準備された外車の後部座席を、開けてもらった。
その前、助手席には・・・松田は悟った。

「てめぇ!足津!」

足津は澄まして、横も見ようとしなかった。

車は余裕で走り始めた。

煙の消える中、階段の上でいっそう老いた師長が待つ。

「先生。先生!」
「あああ!もううるさい!」
「新患さんが・・・」
「チッ!俺1人でやってやらあ!シロー!」

 その声も、渋滞した車の音に虚しくかき消される。


99

2009年7月2日 連載

 遅ればせながら、ノナキーが滑り台をやっと降りた。
「うわっ・・うわわっ!」
 身構えながら降りる。最終的には歩きながら砂場へ。
「おととととと!」

シュウ・・!と砂が舞う。真田のスタッフはそこまで煙は立てない。

「何なんだ。これは・・・」

 気を取り直し、玄関の前へ。はるか向こう、駐車場がごった返している。転倒している車が何台か。白衣の集団があちこち。黒いトレーラーや救急車が不思議と入ってこない様子。

 どうやら、こちらが圧倒的だとわかった。

「そのトレーラーを!トレーラーを帰すな!」

 声が遠すぎて聞こえるはずもない。余計、彼は猛威を振るった。

しかしむしろ驚いた学生らは、散開し始めている。
「(白衣ら)うわああああ!」
散るアリのようだ。

「こら学生!轢かれてでも制止しろ!」走ってきたノナキーの背中が、ぐいっと引っ張られた。
「やめなさい!」シナジーが抑えている。

「確かに今のは言いすぎましたが!しかし!」
「しかしもカカシもないでしょう!リーダーならもっと建設的な指導を!」
「トレーラーのコンテナ5・6両なら、この白衣の人数で余裕でさばける!」
「よくごらんなさい!これで統制が取れるんですか!」

ノナキーは、我に帰った。あどけない顔達がノナキーらをみつめる。

「・・・・彼らだって。医師の・・・」
「私も仕方なくやったことです。応急処置です。統制が取れないなら、従来の治療をあちらで継続してもらうほうがマシです」

「い、いざとなれば。いざとなればうち(大学)は、やや、やれる」
「もう、やめなさい。強がりは。言葉になってませんよ」

ノナキーはついにシナジーと目を合わさなかった。1人取り残された。
玄関から、驚いた患者・家族たちが出ていく。警備員も対応に追われている。

崩壊した乗用車が、あちこちで煙を上げている。
「ひどいな・・・なんだこれは・・・」
ノナキーは立ち尽くしていた。

ドカーン!と小さな爆発。爆裂の方角はあちら側だった。
「うわっ!」
遅れて、熱風。

「野中くん!野中くん!」誰かの声。
「は・・・?」放心状態。
「はじゃないよ!」新教授が汗びっしょりで後ろに立っている。近くでボオオ、と燃え盛る炎。

「教授・・・」
「一体どういうことなんだ?何が起こったんだこれは?」

前面の駐車場は、車が7~8台逆さまに転がっている。

「私は、救急の体制を指揮するよう君に頼んだはずだよ?」
「それが。今日だとは」
「君には失望したよ!」
「も、申し訳ありません」
「それにこんな。戦争なんか、頼んだ覚えはないよ?」
「・・・・・」
「そのうちだと思ったのか?今まで何を準備してきた!それに真田のスタッフはどうした?」
「・・・・・」

動揺した学生らが数人やってくる。が、教授は追い返す。
「業務も!教育も通常通りに復旧だ!もどれ!戻りなさい!」

真珠会の事務室。ハッカーがゴミ箱をけった。
「あー!クソー!暴落暴落!大暴落だー!」
近くのコップを鼻に被せる。
「追証発生!繰り返す!追証発生!」

どうも、様子が変。

他の女事務員どもは失禁しかけていた。

「コーコンキチ!コーコンチキ!」
 発狂しかけたのか、彼なりのストレス発散方法なのか。ともかく、今のでかなりの大金が彼らの元から消えたのは確かなようだ。

近く、足津が歩いている。
「・・・・・」
「も!申し訳ありません!計算外のことで!トレーラー組の情報収集のせいで!」
「・・・あなたはあくまで業務に徹し、キチガイじみた行為で周囲の士気を弱めないでください」
「は、はい」

猫のようにおとなしくなる。

足津は電話を取りプッシュ。
「さて。真田のスタッフも、そろそろ大学へ向かってもらって・・・」

ある事務所に電話した。

「友に倒れて頂きます」

受話器を耳にくっつけた。

98

2009年7月2日 連載
<単位を認めない!>

入ってきた警備老人2人に、おばさんと彼は取り押さえられた。
「いててて!ちっとは加減を!」

黒い6両コンテナトレーラー、それに救急車が多数続く。
運転手の藤堂は、無線を天井からまた下げた。

「・・・・間もなく、正面玄関に入りまーす!」

手前の交差点で信号待ち。病院、正面玄関が見える。駐車場に外来予約の車だかり。

「警告にもかかわらず、正面駐車場が車で満杯状態。どうぞ」
<こちら足津。株主の同意一致により、駐車場の車はそのまま蹴散らしてくださって結構。弁護士が対処します>

「了解。クラクション鳴らしつつ、時速10kmでシンコーします!ようそろう!」

コンテナの中、白衣のゴリラ、マーブル医師が点検中。

「バイタルよし!搬送開始時と著変なし!」
マーブルはカーブで、ベッドにもたれかかった。

「っと・・・ホーントにごめんなぁ。みんな!」

治療はきちんとしてきたつもりだ。それで罪の意識から逃れようとした。

「せんせ!せんせ!ヒー!」
「あ?なんだ?」2段ベッドの上段を見上げた。
「そしたらあっし、ユウキ先生らに会えるんで?」
「ああ!会えるとも会えるとも!また真田に戻れるぞ!」
「解放や!やったぁ!」

マーブルは少し戸惑った。

「別に、あんたらを拉致したわけじゃない。あんたを運んだ救急車の縁で、たまたまうちが一時的に預かっただけだ!」

苦しい説明だった。マーブルはまたカーブに揺られ、フラフラしながら運転・助手席の間に入った。

「藤堂さん。あの危ない娘はホントにいないんだろうな?」
「さぁ、何を考えているのか・・・」

藤堂はギヤを握った。
「蹴飛ばす!」

前面、2台の軽自動車が両側に吹き飛んだ。ホイール、窓ガラスが空中に分解した。
マーブルは度肝を抜かれた。
「飛んでるよ・・・!」

「どけどけ!どけい!」
藤堂は興奮し、ハンドルを意味もなく小刻みに動かしていた。

今度はセダンが何度も前面でバウンド。スキップしながら道を開けた。
繊細なガラスが飛散していく。水撒きのように周囲が輝いた。

「おらおらおら!へたれが!誰もおれを止められんのかぁ!」

正面玄関、誰も出てこない。

ノナキーは滑り台前で、1歩踏み出せずにいた。
「ああああ・・・あああ」
長椅子に座ったまま。

テーブルの画面が映る。シナジーの落ち着いた表情。

「品川さん!どうしたら!」
「降りてください!」
「あああ!足が震えて!それに俺1人じゃ!」
「・・・あなたがどういう人間か、分かったような気がします」
「仕方ないだろう?俺にそんな力があるわけない!」
「でしょうね。だがプライドまでは捨てられませんか」
「・・・」

すると正面玄関の奥・・いや、その建物の両側から取り囲むように歓声が聞こえてきた。

うわぁあああああ!と、津波のように溢れてきたのは・・・

トレーラー助手席、マーブルは眼をみはった。

「なんだ!あの人数は!」

「(一同)うわあああああああ!」
狂ったように押し掛けてくる白衣集団だった。

マーブルにどっと汗が流れた。

「だ。大学にこれだけのスタッフが?」
「やはり準備できてたのか!」
「予想と違うじゃねえか!」

藤堂は建物の直前でUターンし、停車した。コンテナが蛇のようにうねり、最後尾が倒れそうになりかけた。

藤堂は無線を取った。
「あ、足津さん!予想を反する人数です!これでは話が!」
マーブルは画面に見入った。

「株主の問い合わせ多数!どど、どうします!これじゃ圧倒できません!」

足津は初めて予想外の現場に出くわした。

「これでは勝ち目がありません。引上げを」
「か、患者をせっかく連れてきてますから。てて、転院させましょう!」と画面からマーブル。
「あなたは発言しないでください」
「うぐ!」

藤堂は、表情をまっすぐにした。
「・・・・・・・」

どどどど・・!と白衣集団が奥から奥から沸いてくる。

「くそ!了解!我が生涯で、最大の無念なり!」

 喘息の患者はなんとなく様子が分かり、涙目になった。
マーブルが駆け寄る。

「すまんな。またの機会になる。だが俺のせいではないんだからな」
「・・・・・・」

トレーラーはそのまま弧を描き、帰還の体制に入った。

97

2009年7月2日 連載

呆れた品川は、なぜか売店へと向かった。病衣を着た患者であふれている。
適当にパンを取り、太ったレジのおばさんに語りかける。

「おねえさん」
「ふが!おねえさんやって。ブヒブヒ」
「全館放送する部屋ってどこかな?」
「ひひ。ええ男やねえ・・・」
「つれてってくれますか?」
「2人きりでかい?ひひひ!」

おばさんはレジをもう1人に任せ、放送室へと歩いた。

「カギ、もらってきたで!」
「どうもすみません。さすが公務員ですね」

ガチャガチャ。と開ける四畳半の部屋。畳は時代を物語る。昭和同然の内装だった。
時代遅れの大きなマイク。

おばさんは出て行かず、中から入口を閉めた。

「へへへ・・・」2重ロックまでする。
「?」
「へへへ・・・」おばさんは、後ろからシナジーに抱きついた。はずみでスイッチが入った。
「わわっ!」股間をつかまれた。
「おうこれ!さすが若いわ!」

耳を澄ますと、外・中の音がエコーしている。
廊下をはじめ全館に、彼らの声が響き渡った。

<さわるだけ!さわるだけやええやろ!>
<何をするんだ!>
<そんなの。ナニに決まってるだろうに!>
<どけ!>
<ぎゃあ!>

シナジーはボタンを押しまくり、学生棟までの広範囲放送へと切り替えた。
救急車のサイレンがいよいよ大きくなってきた。

その救急車の群、中間をトレーラーが突っ走る。運転手の藤堂は隠しカメラの画面を確認。

新玄関の前は、シーンとしているもよう。

「こちら側の脅しが効き過ぎたか。どうやら、大学は心の準備止まりだな」
「ああ」助手席、マーブルもにやけていた。
「株。どうだ」
「上昇傾向。うひうひだ」
「そうか・・・」幸福を背負った顔。
「隊長。娘を暴走させるなよ。あれで俺たち株主の信用が落ちたら困るからな」

藤堂は天井からマイクを下げ、足津に報告。

「足津理事。やはり大学は準備してないようです」
「・・・・・」
「今回は患者数は少ないですが。ま、この数でもいけるでしょう」
「到着後、改めて連絡を」
「イエッサー!」

藤堂ははしゃぐように鼓動が鳴りだした。

学生棟、アナウンスが鳴りっぱなし。おかげで授業は中断。

「・・・・・大学病院の、全スタッフ!全スタッフに告げます!緊急事態!」

登校中の学生らが足を止めた。

「た、ただいまだ、大学学長からの連絡で。大至急、病院玄関前に集合されたし!」

「何をするんだ?」学生らが空を見上げた。「あの響くサイレンは、何・・?」

<救急隊のデモ訓練など!特別講義!学長からの指示です!(小声)何言ってんだ・・・>

医局でちょうど着替えをしている医員、実習の学生たち。
「学長から・・・?何かのデモかな?」

<大至急!大至急!来なかったものは!>

学生らは特に耳を澄ました。

96

2009年7月2日 連載

助手の島は腕をのばしてシナジーの胸をどかし、数歩下がらせた。車椅子の車輪もぶつける。

「どうすんだよ。なあおい!どうすんだよ!」
「きゅ、救急が来るんだったら。その・・・皆さんの出番ですよね。あとは頑張って・・」
「(一同)なにい!」
「だって僕、医者と違うし」
「(一同)ふざけんな!」
「やれやれ・・・これでは」

みな一歩引いた。品川の表情がいきなりクールになったからだ。

「これでは。たとえ患者さんらを引き受けたとしても、ぞんざいに扱われるだけだ」
「・・・・・なにぃ」島は思わずうつむいた。
「真珠会でしばらく診てもらってたほうが、マシですね」

 我さきに、という者が1人もいないのもつらかった。みな上層部の機嫌を伺い、その一挙一動を吟味する。

品川はノナキーの座ってる机をたたいた。

「さ!どうしますか!」
「どうするって・・・」
「うちのスタッフはクリニックに足を取られ、まだここには来れない。現実的には、ここはあなた方で対処するしかない」
「・・・・・」
「黙ったままですか・・・足津氏なら<もういいです>で終わりでしょう。それとも・・・」
「?」

シナジーは指さした。
「あなた、そんな事も知らなかったんですか?」

「(一同)おい!」

品川はじっと見まわした。
「・・・なんですか?」

みな、ごくっと唾を飲み込んだだけだった。

シナジーは震えた。
「(こっこれが・・・関西の孔明とあだ名された男のカリスマか!)」

そのあだ名は、単にユウが考えただけだった。

ノナキーが叫ぶ。

「し、品川さん。大学の場合、統制を取るのに時間がかかるんだ!まだ誰が何係って決まってない!誰がどうやって動いたらいいか、今ここで教えてくださいよ!」

 気がつくと、シナジーはもういない。


95

2009年7月2日 連載

 大学。

 島がフラフラになったまま、医局へ戻ってきた。誰か助けて欲しかったが、ドラマのようにはいかない。みな、冷たいものだった。

「島!」ノナキーが立ち上がった。
「き、教授は・・・」
「もう帰った。やられたのか?」
「・・・・・」

ドサ、と彼は倒れた。背中に、7センチほどの出血跡。助手らが囲んだ。聴診など所見。

「き・・・気胸を起こしてます!」
「慌てるな!検査の上、処置しろ!」

ノナキーは動揺する隙も見せず対応した。

ダメージ自体はさほどでないのか、彼は起き上がり、冷蔵庫を開けた。
「ちきしょう・・・」
「島さん。誰かに突き落とされたって・・・顔は見たの?」医局員がこわごわ。
「わからん・・・」

みな震え上がった。どうやら、とんでもない敵に狙われているようだ。

ジリリリリリ!と非難ベル。

「きたか!」
島のことでビビっていた医局員らの心がかき乱された。

<胸部内科および消化器内科医局スタッフへ。出所不明の救急搬送の動きあり。15分以上の余裕あり。繰り返す・・・>とアナウンス。

「ばかな!そんな!急すぎる!」
ノナキーは結局のところ、ここにきて動揺した。

判断を求めるため、教授の携帯へ直接電話した。

「・・・・だめだ。出ない!」留守電に入れるほど余裕がない。
サイレンが空に、1つずつ呼応していく。

ノナキーを医局員が数十人、取り囲む。
右胸にドレーンの入った車椅子の島が、唾を飛ばした。

「先生。真田の奴らは!」
「呼んでいるんだが」
「だから!真田の奴らにさせたらいいんですよ!」
「まだ来てないんだから!しょうがないだろ!」
「やっぱり来るのは事務員なんですか?」
「そ、そうだ!そうだけど!」

 ノナキーは初めての経験で、ビビっていた。もちろんシナジーは直接の戦力にはならない。彼はあだ名は<孔明>でも、医療技術は持ってない。

「じ、事務員が来たらそう命じる予定。予定にしてあるんだ!」
「先生。あいつら仲間と思ったら大間違いですよ?大学をいとも簡単に去った奴らですよ?」
「し、しかし。そこに俺たちの期待がある。どうしようも・・・」
「いてっ。俺までこのザマですよ?」

そこへ医局員が数人、品川の腕を引っ張ってきた。

「あいたたた!腕がちぎれる!」

みなの逃げ場視線が、到着したばかりの彼に注がれた。

「早速、招集命令出てましたね・・・?わ、私が何か・・・?」

円陣に囲まれた。

94

2009年7月2日 連載

 どこかのアスファルトの上、トレーラー運転手。藤堂隊長が喰いかけのパンを引きちぎった。

「どんどん上がる・・あがれよ!」

グラフがどんどん上昇。

「そうだそうだ。なんてセクシーな曲線なんだ。もっともっと!もうけさせろよ!」
 いきなりモニターが切り替わりメールが到着。一瞬で悟った。

「チッ。さては合図だな!」

 エンジンをかけ、タイヤがゆっくり回り出す。
「こちら藤堂隊長。待機エリアへと合流する」

 助手席のマーブルが、後部のコンテナに入っていく。薄暗い赤ランプに照らされ、2段ベッドの無数の表示を見る。

「シローがうちの仲間に入るとは、心強いね!」と独り言。
機械的に観察し、各ベッドのデータをバーコードのようなもので読み取り。

「すまんな、みんな。もうちょっとしたら、ここ出られるからな・・・」


 それがやがて、真珠会病院の事務に届いた。
ヘッドフォンの美女のパソコンが、自動的に起動。

「きました!入電!」
ダダダッ、と4人ほどが詰め寄る。藤堂隊長が画面に映る。

「諸君はちょうどいい時に来た。我々は末端といえど、責任は重大だ。なにせ全患者の個人データをすべて扱っているのだからな!」

 事務にドスン、とハッカーらしき若い男性が座った。
5つのディスプレイに、無数の数字。

「さあてと、今日も各地のハイエナどもに稼がせてあげましょうか!」

ハッカーっぽく、彼は両腕を伸ばした。

右手でまず株の自社株の変動。連動する他の株の動向。
左手でその分析。株主そのものの動向。

そして正面に、送信されてくる画像、データ。
カチカチカチ、とピアノのような連奏。

他の事務員が男性ながら見惚れる。

「たのむぞ!俺の貯金も今後の給与も老後だって、すべてお前にかかってんだぜ!」

ピタ、とハッカーは動きを止めた。

「ちょっと何ですの?」
「あっ?いや・・・」
「末端がハエのごとく、邪魔なんですけど」
「・・・・・」

事務がシンとなった。ハッカーは育ちが良さそうだ。

「そうだよ。あなた方の給与が、僕の腕2つにかかっていることをお忘れなく」

またキーを叩き始めた。

「(ここへの赴任として与えられた家に、ポルシェ・・・元を返したら、女でもいただくか)」

 彼は、足津と株主、市場を管理するプロだった。若干22歳。ハッカー犯罪歴があり社会復帰もできず、これが最後の<チャンス>だった。



93

2009年7月2日 連載

大学病院の医局。医局長のノナキーが演説。

「明日のことに備えて、新玄関を今日より開放する。ただし今日の出入りは一部の関係者だけだ」
「はい!」イエスマンの島が気をつけの姿勢。

 彼が打って変わって張り切っているのは・・・補助金の支給が決まったことが影響している。もちろん、それなりの大役を引き受けたからだが。だが実質、仕事は真田の人間らに押しつける寸法だった。

「医局棟から新エレベーターで降り、2階で停まる。そのまま正面の新廊下を走り、急ぎの場合はオートウォークで向かう」

地図がもう貼ってある。

「オートウォークを過ぎたら、急斜面手前の長椅子で待機。7人まで」
「はい!」
「イヤホン合図で一斉に長椅子が倒れるので気をつけろ。で、各自が滑り台を同時に滑走する」
「(一同)すげええ!」
「ついこの前破産した、真田病院の関連病院の遺物を改良したものだ」

足音に、みな振り向く。

「(一同)おはようございます!」
「うむ。全員揃ったな!」新教授だ。ノナキーは気をつけ。
「いよいよ、来ましたね!」
「大学病院のシステムが、試されるときが来たな!」

と、島がPHSを切り、走り出した。ノナキーがしかめる。

「こら!廊下を走るな!」
「学生が遊んでんですよ!」
「学生が?」
「新玄関で!」

教授は着かけた白衣を、ジョン・ウー風に大回しで羽織った。


 島はさきほどの説明通り、オートウォークの上を走った。止まり、いったん靴ひも。
「事務の奴らもよぉ!連絡だけが仕事かよぉ!」
壁のポスターなどが横目で流れる。

終点が近づく。
「教授就任への代償は高いな!」
この夢でもって、生きている。

 完成の際の、黄色いテープを振り払う。勢いでダッシュし、長椅子を目指す。
「あれだな!」

その長椅子を、2人の私服の若者が飛び越える。
「(2人)ヤッハー!」
「おのれ貴様ら!退学ものだぞ!」

島は勢い余って、長椅子に出た腹をぶつけた。下一面、視界に広がるのは・・・

「でけえ滑り台だなこりゃ!」

 7つのレーン、ほぼ両端を若者が下を凸のカーブで滑走している。そのままジャンプ。呆気に取られる。どうやら学生というより・・ストリートの若造たちといった感じだ。

 ジャンプした私服2人は・・・そのまま砂場らしきものに着地。ズササ、とスキーの着地のようだ。思わず「きまった!」と言うところだった。

「おーい!遊び場じゃないぞ!どこのどいつらだ!」
島は滑り台を滑るべく、どっこいしょっと腰をかけた。

「・・・・・・」
 前髪で顔が隠れた長身たちは、微動だにしない。いや、何かを見てかたまっている。その視線の先は島の・・・

 間後ろに立ちはだかる影にあった。

「おめーらな!学長にこのこと伝えてだな!救急ラッシュの際はお茶くみ係に降格だ!俺らの班には野郎は不要だけどよ!」

うっ、と声を出す暇もなかった。あ、落とされた。思考がそう反射しただけだ。

「あちっ!」

背中に痛みを思い知りながら、島は自ら加速し落ちていく。

「いてえ!何があったんだ教えろよ!」

長身の2人は、屋台のようなワゴンを終点に設置した。

「どけどけどけ!どかせえ!」
「・・・・・」
2人は無情にも、消えた。

「あああああ!でもこれで死ぬのか?違うよな」

「な」と同時に、屋台は90度横倒し、様々な医療品が吹き飛んだ。ドカーンと音が止むまでもなく、彼は銀色の医療品に紛れたまま、グルグルと回転した。

新玄関のガラスはドカーン、とまき散らされた。
「きゃああああ!」外来の患者らが取り巻いた。

近くでつながれた犬の耳横、カメラがズームする。

島は背中に手をやった。プス、と引き抜かれる針。
「ちゅ、注射針・・・」

先端に自分の血。

「ダーツの的かよ・・・」

ガクッ、と島は気絶した。


92

2009年7月2日 連載

 みなのPHSが、まるで策略的に鳴り続ける。

「その大平先生なんですが・・」シナジーは気まずそうに。
「何?」
「一気に疲れてしまって、うちのビップ個室に入院しました」
「何なんだよ・・・口ほどにもねえなあ」
「ちなみに1日5万円」
「余計だろ」

大平の個室。コンコン!と叩くが応答なし。鍵が・・・かかってる。

「恋路の邪魔か?」ミチル看護部長が背後に。

「部長。開けてくれ。見舞いにきた」
「だから。恋路を邪魔すんな、言うてんねや」
「こいじ?」
「耳、当ててみいや。何か聞こえるやろ?」
「?」

耳を澄ますと・・・

「女の話し声?」
「て、いうことや」
「女装趣味?」
「殺すぞ」
「あいつ。誰か、彼女いるんだね」
「フン!」

 ミチルは詰所へ去った。

 思えば、病院というのはストレスが溜まりまくった場所だ。恋愛などする場に相応しくないのに、いとも簡単にカポー(カップル)ができてしまう。先輩医師がよく言ってた。多忙なためDNAが危機と感じ、子孫を残そうとあちこちでカポーができてしまう。

「ま、デキ婚でそういう言い訳はなしだな・・・!」

 病棟へ。カルテを1冊ずつくまなく確認。代診・非常勤への申し送り事項を太いペンで囲む。

「ここまで。よし!」

カルテを横に飛ばし、ミチルがキャッチ。

「御苦労!」
「フン!」

タタタ、と駆け出し、手すりに飛び乗った。

 さきほどまで無愛想なミチルの表情がちょっとだけ・・・寂しそうな下目遣いをしていたような。




91

2009年7月2日 連載

駐車場に、ボロボロになったGT-Rが停車。ユウは窓をスライドした。

「なんかうち・・・増えてきたんじゃないか?患者・・・よかったじゃないか」

 再発進し、病院の狭い真横を徐行、職員駐車場へ。
トシ坊のBMWがちょうど駐車中。こちらは買い替えてピッカピカだ。

「おい、とっととやれ!」
「・・・・・」トシ坊はマイペースで、何度もハンドルを切り続けた。
「木だけじゃなく、森を見ろ!森を・・・!」

何度も携帯がバイブしている。シナジーだ。もう、このまま直接向かう。

シナジーは、これで5回目の携帯を鳴らした。
「くそっ!何してるんだ!サンダル!」
「おい」
「わああ!」
「サンダルで悪かったな!」
「な、なんですか!」
「何ですかはないだろ。そっちから呼んどいて!」

シナジーは早速、本題に入った。

「先生のホモダチからです。さきほど連絡が」
「ホモダチ?」
「大学病院の、野中講師です」
「あとで覚えとけ!でもちょうどよかった!」
「は?」
「あいつに聞きたいことがある!」

電話するが、不在とのこと。

シナジーはちょっと咳払いした。

「ほん!<大学での体制は整った。あとは真田病院、ユウ先生らの救援到着時間を連絡されたし>とのことです」
「それ、この前パソコンで言ってただろ?」
「急げってことですよ」
「ノナキー・・・オレんとこへ、直接電話すりゃいいのに・・・」

 だが思い出した。大学の業務連絡はすべて基幹病院を優先での連絡網を通じることになった。行き違いがあったらトラブルのもとだ。だからまあ、これでいい。

「で。明日にでも出発か?」
「うちから派遣するのは常勤医師の半分。外来・救急は縮小します。仕方ない・・」
「残念そうだな」
「業務を縮小するような余裕なんて、当院にはないですよ!」

正面のクリニックを見る。ユウは確信した。

「やはり病棟には、患者はいないとみた・・・!」


あのクリニックが何とかなれば・・・。

「それこそ仕方ないでしょう!」トシ坊の声。
「だる・・・朝から」
「当院が引き受けたことなんですから!一貫してやりましょう!大学への協力を!」
「ひぃ~・・・いやだよこんなハリキリ野郎」

シナジーはワンテンポ遅れて頷いた。

パソコンに、大きなマップが映る。

「当院からの救援部隊は明日の朝7時にここを出発。私は今日、一足お先に。それまでに各病棟への顔出し、お願いいたします。ミチル師長にも懺悔を」
「朝の7時?その前に回診っておい。何時に来ればいいと思ってるんだ?」ユウは冗談まじりに突っ込んだ。

「ラッシュアワーを避け、大学病院までの所要時間は1時間。ていうか、今日はもうここに泊まったら?」
「向こうへは、各自の乗用車でか?」
「地下のトレーラーで向かいます」
「また乗るのか!あれに!」
「大学病院到着後、通常業務のヘルプを」
「ヘルプ?大学で下働きもすんのか?」
「だって、そうしてくれって」
「聞いてないぞ!いま聞いたけど!」

その間、真田は大丈夫なのか・・・?

トシ坊はため息をついた。
「ユウ先生。真珠会が救急を送り出す、仮定の日ですよあくまで。何もない間は、大学をサポートする約束です」
「何もないままだったら・・・?」

シナジーはマップを消去した。

「猶予は3日間。その間を、彼らは予告しています」
「で。それがいつまで続くんだ?」
「彼らが非人道的なその行為を実行した場合、医師会が協力してくれます」
「ホントかよ?」
「近辺の病院が3箇所ある。医師会が振り分けてくれます」
「死んでも建前守る奴らだからな・・・はたしてどうか」

そろそろ1階が騒がしくなってきた。みな、それぞれ回診に向かう。

しかし、どのカルテも大平が書いてくれている。
「あいつ、たったこれだけの時間に・・・あれ?この字」
「桜田先生の字もあるでしょう?」
「オーベン・コベンの、いいコンビじゃないか。こっちの手間が省けた」

もちろん、誰もこの<男女の関係>までは知らない。

90

2009年7月2日 連載
真田病院、待合室。

「あのな。これ噂やけどな」

ヌシと呼ばれるばあさんは、、巨体で思いっきりかがんだ。取り巻きの婆さんらも同様に。

「前のクリニックな。もう、あかんらしい」
「ええっ?」眼前の婆さんのシワが、より増える。

「何回か行ったがな。どうもあれや。取引先の大病院に、切られたらしい」
「宗教法人の病院にか?」
「おんなじ宗教みたいだが。分裂でもしたんかなぁ」
「どっちが。どっちが生き残る?」

(間)

「そっ、そりゃあ・・・大きいとこに決まっとろうが!いや、しかし・・・」

 あちこちでガヤガヤ、騒がしくなってきた。まだ朝の6時というのに。真田病院が患者を途方もなく増やしたとき、受付時間開始にパニックが起こることが多くなった。その対策として、シナジーは朝6時より順番待ちの記帳を事務当直に命じていた。

 セカンドオピニオンの張り紙もある。特別料金が発生しないのが魅力だが、もちろんその後に打算がある。相談用ポストには、その手軽さからかなりの数の投稿が入っていた。

「や、やっぱ・・・いつも診てくれるとこが、ええんと違うか?」

ヌシの一声で、皆の気持ちは決まった。

 ヌシがこうやって、外来患者の流れを変えていく。


89

2009年7月2日 連載

 クリニックでは、松田院長が怒りまくっていた。患者の忘れたステッキで、花瓶や花壇、本箱を叩き続ける。

「くそおうやあ!」
「(スタッフ一同)ひいいいっ!」

ガシャン、ガシャーンと水があちこちで散る。

「んがああ!」
「(スタッフ一同)うわあああぁ!」

ハー、ハーと院長は肩で息をおさめた。

「ふ~。どうなってんねや!あのクズ女!うちに入るはずの患者を!患者をやぞ?」
「・・・・・」カーテンごしに、シローは座って聞いていた。
「オレらから横取りして、横流し・・・あの真珠会に!俺の病院はな!何もあそこの下請けやないんやぞ!」

 近くに辞表が置いてある。中身にはこう書いてあった。
<To BEE or Not To BE>

「ハン!綴り間違っとるわあのバカ女!」

 そこにある深い意味も、知る由もなかった。

「しかし・・・ノルマがな。あれらを入れんとノルマがな・・ノルマがああああ!」

 狂ったように電話キーを押す。震えるため、何度も間違える。
なんとか4度目でつながった。

<真珠会。会員番号を>
「信者番号。928357938!内線3!」
<かしこまりました>

しばらく、間あり。

「足津の秘書ですが。何か?」
「おいおいおい!足津につながんか!さっさと!」
「ご用件を。足津はただいまお忙しいので」
「チッ!一夫一妻性かよ・・・!」
「お待ちください。出られます。3分以内で話題は最小限で」
「ケッ!」

間。

「足津です」
「患者をおい!どういうことなんだ俺たちの患者だぞ!わかってるぞ。真珠会に隠したな?」
「・・・・・」
「真田をつぶすまで、協力してくれるんじゃなかったのか!」
「・・・・・」
「なああと!2週間それだけでもいいからよ!あとで真珠会から転院でもいいからさ、なっ!」
「契約上、それはない内容です」
「なにい?今まで、どこの誰のおかげで順調に患者を提供できたと思ってるんだ!」

 確かに、このクリニックには無尽蔵の患者カルテが眠る。

「総合的に判断し、最善事項を優先としました」
「何をわけわからんことを!」
「それと、シロー先生の保有権利はこちらが受け継ぎます。では失礼します」

電話は切れた。クリニックが孤立した瞬間だった。

「ぬぅ~!」

勤務終了で、各職員があちこち電気を消そうとした。

「おい待て!」
「きゃ!」ナースが1人、転倒した。
「ならんならん!この売り上げではならん!帰ることは許さん!」

バアッ!と書類が宙に舞った。

「あと2週間!真田外来はセカンドオピニオンで追撃しようとしている!サードオピニオン攻撃でいくぞ!」
シローが現れた。
「サード・オピニオン?それってどんな・・・」

ハアハァと息を切らし、院長が視界に飛び込んできた。

「わかっとろうが!こっちの診断を覆えされたその患者に電話し、さらにここで説明すんねや!」
「そんな無茶な・・・!」
「とにかく!こちらの症例を相談しているセカンドオピニオン症例をチェックして!ここへ連行、ここへ戻して教育を行うんや!」
「強引ですよ!」
「歯向かうのか!シロー!親子水入らずで過ごしたいならなお前!」
「う」
「手段を選んではいかんいかん。こうなったら、こちらのキャパシティ云々ではない。救急外来を見かけ上開け放ち、絶えず玉入り状態にするんや!俺とお前で!」

高齢ナースらは、そそくさと外に出た。

「待たんかい!そのためには雰囲気づくりや!徹夜でやるで!おい!戻れ!」
「ひっ!」ビクッと反応した私服ナースは一斉に立ち止まった。

「戻れっちゅうねんや!」烈火のごとく、院長は声を張り上げた。

彼はもう、正気ではなかった。

「やったる・・やったるでぇ・・・へへへ!」




88

2009年6月30日 連載
 ノナキーが画面を切ると、近くでかがんでいた助手らが立ち上がった。島が先陣を切る。

「野中先生。あのコンサルタント、生意気で僕嫌いです。医者の派遣の方が」
「大丈夫。事務側を仕切らせたら、彼らもここに呼び寄せるから」

 みな、不安そうに見下ろす。島は物足りない。

「真田の奴らにやらせましょうよ。先生。僕らは論文や実験どころじゃないですよ?」
「わかってる」
「手当の問題も・・・」
「その話は教授に言ってある!」

 意外にも、島という医者は学生結婚で・・子供はすでに大きかった。

「時間外で大学のメンツを守るんですから。それなりの報酬がないと」
「だから。教授には!」ノナキーはくたびれた。
「僕だけじゃないですよ。他の助手だって。あそこにいる先生は子供が医学部に入って金が要るって」

 ノナキーは顔を洗い始めた。不満タラタラの島は、どう考えてもみんなの期待を背負っている。

 みな病院で年をとるうち親になる。子育てといってる間はまだいいが、子供が塾に行き出してから出費が加速する。中学受験、高校受験へと・・・医学部進学をほとんどが望む。子供も自ずと望む運命にある。私立に進学すると年間数百万に、車や交際費などいろいろかかる。

 ここの医局員で助手として頑張ってる彼らの大半がそうで、常に不安を抱えて生活している。患者を守りチャンスも待つ。代償を求めてではない。それは分かってる。だが年をとるごとに思うのだ。<ひょっとして、俺はいいようにされてるんじゃないか?>と・・・。

「野中先生が、血を吐けっていうなら吐きますよ。でも、割に合わなさすぎることは・・・」
「ストライキでも、するのか?」
「えっ・・・」

ノナキーは顔を拭いて、今度は冷蔵庫を開けた。みな、亡霊のように追いかける。

「それはしません。ただ先生。みなギリギリの生活なんで・・・」
「院生みたいに、バイト漬けになりたいか?」
「それも嫌ですけど・・・」
「だったら。文句を言うな」
「・・・・・」

ノナキーは反撃に出る。

「なぜ、お前は医者になった?」
「僕・・ですか?」
「点数が良かったからか?」
「理由・・・ですか?理由・・」

あちこち見まわすが、誰も代わりに答えはしない。

「モテたいからか?」
「いえ!いいえ!そんな!僕は・・・人を助けたい」
語尾がフェードアウトした。

「そうか。じゃ、がんばれ!」

みな、肩を落とした。

「君らも島みたいに、初心を忘れるな!」

 何とも気まずい収め方だった。しかしローコストで再度統制を図れた。みな、次の診療に向かう。

 ノナキーは、やっと胸をなでおろした。ユウの質問。何よりも恐れていた。

 しかしその日、ユウはその質問を思い出していた。

「そうだ。ノナキー・・・ミタライ。ミタライは今・・・」

 でも夜中だったので、そのまま目を閉じた。




87

2009年6月30日 連載

 数日後。

 ユウはサンダル先生を地でいっていた。

「はぁ~。だるだるだる!」
「もう。うっとうしいなあ」

 事務室でシナジーがパソコン中。

「今日も朝から感動した」
「なぜに?」
「あ、この病院まだやってるなって」
「あのね・・・」
「Q太・・それ言うのもだるい」

 FAXが届いている。

「シナジー。大学からか?」
「大学での連絡網です。うちも端っこに絡んでます」

 大学のトーナメント形式のような連絡網。その端っこに真田病院。まずは野中医局長から連絡があり・・・ユウら数人の間で輪番式のコール制。

「つまり、誰がいつ呼ばれるかは時の運ってことか・・・」
「いや、これ困るんですよ。正直」
「たまになら、いいけどな」
「とんでもない!うちの経営状況を知ってます?」
「知らないよ。お前がオーナー、オーナーとか言ってそればっかだし」

シナジーは1回だけおじぎした。

「すみません。ただ、うちのドクターを取られるくらいなら、コンサルトという形はどうかと提案しようと」
「コンサルト?」
「私が現場の視察に行き、事務側のサポートをするのです」
「なら、俺たちは行かなくていいのか?」
「・・・かもしれません」

 どっちでもいいけどな・・・とユウは思った。

 近くの田中が、ヘッドフォンを外した。
「大学より入電!」
 バイオのパソコンに、人影が見える。

「どれどれ!」
ユウや皆が走って囲む。トシ坊が背伸びして最後尾。

映ってるのは、野中医局長。

「うわ!カッコいい!」思わず女性事務員が叫んだ。

<こっちは見えてますか?>
「ああ」返事したユウに、みな一目置いた。

<ユウか。あれから元気か?>
「でもない」
<そうか。協力、ありがとう>
「シナジー。あの件・・」

 シナジーが前面に出た。

「あのですね。うちのスタッフの派遣の話ですが・・」
<品川さん。こんにちは。いつもお世話になります>

 やけに慇懃な、ノナキー。

「できれば私をコンサルタントとして派遣の話の方で・・」
<・・・うーん。その件ですか。困ったなあ・・・>
「うちの病院はジリ貧でして。松田クリニックに患者を多数取られまして」

 ユウは隅で呟いた。
「でもな。この前の東大阪の患者群は、このクリニックに運ばれなかったって噂だぜ」
「またまた」
「うちの事務員も証言してる。毎日ここから見えるあっちの病室には空床がやけに多い。ナースらの人手も削減されたと聞く」

 田中は頷いた。
「たしかに。スタッフの出入りは減った」

<・・・・・・>ノナキーは、内輪の会話の終了を待っている。

「ということは?」トシ坊が投げかけ、みなユウを見た。
「・・・別のところへ移された・・・」

<もう、いいか?>
「あ、はいはい!」シナジーは正座した。
<品川さん。では早速そこを出発してください。救急ラッシュは明日が確率高いとされてます>
「わ、わかりました」

<大学の講座で協力してくれるのは胸部・腹部内科が中心で、学生らが雑用に回ってくれる>
「他の科は?」ユウが聞いた。
<送られてくる患者の病名性格上、関係のない科は口々に、うちは関係ないからと>
「やっぱりな。そこが大学だよなあ」
<今リハーサルを行っていて、全医局員が集結しつつある>
「頑張れよ。地球防衛軍」

<ユウ!>
「なんだ?」
<松田先生に、勝てよ!>
「はあ」

 ピュルル、と画面はしめくくった。


86

2009年6月30日 連載

 夜になっても、桜田はフィルム庫から出てこなかった。ここは空調が絶えずきいている。このようにして、フィルムが厳重に保存されている。フィルム缶に、DVDのRAMなど多数のメディアが時代を経て混在。

 桜田は携帯をカチカチ押しながら、隅にうずくまっていた。髪の手入れも最近していなく、映った鏡がまた彼女を虚しくさせた。

「どっか・・どっかないの!」

 ダイヤルがつながる。

<◎◎病院です>
「あ、あの。総務へお願いします」
<お待ちください>

しばらく音声。

<総務です>
「あ、あの・・・医師。医師は・・足りてますかぼ、募集があってそれで」
<え、ええ!>

声色が急に変わった。

<ぜひお聞かせねがいますか!>
「あたし、もうついていけなくて・・」
<先生!ぜひ先生のお話を伺いたくて!いやあ、ちょうどよかった!>
「もう、生きていけなくて・・」

向こうは興奮を隠せない。

<先生なんでしたらあっ・・?いい、院長に変わります!>
「大事にしてくれるなら、どこでも・・・」
<院長です>声の主が低音に変わった。
「・・・あっ?」

女医は手首を掴まれた。彼女にはめっぽう強い力だった。

「・・・・・」
「生きないなんて言ったら・・・」大平の顔が数センチ前にあった。それなりに男前ではあった。

「・・・・・」
「俺がほっとかない」
「あ、いや」彼女はわざとらしく唇を逸らした。
「なあ」
「ちょっ」
「なあ・・・」

彼女は観念したどころか、落ち着きはらったように正視した。かえって大平が目をそむけそうになる。

「ん・・・」
 彼女の口が相手の口に埋めたまま前のめりになり、大平は目を閉じてうっとりしながら後ろにずり退がった。

「とと!と!」大平の後ろ、ドカッと上からフィルムの箱がまとめて落ちてきた。

大平の数センチ視線の下、彼女の眼が輝いた。
「ご、ごめん・・・」
「いい。いいよ」

 今度は大平がまっすぐ迫り、勢いで歯と歯がぶつかった。だが誰も指摘しない。
あとは、止まりそうなほど激しい吸気と呼気が、延々と繰り返されていく。呼気が吸気を、吸気が呼気を追いかける。

 パチン!と彼女の白衣上部の・・・ボタンが跳ね跳んだ。

 お互いの寂しさで抑えていたものが、爆発した瞬間だった。

<もしもし?先生!もしもし?>

 受話器の声にこそ、節操が感じられなかった。




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