ときに医者の見る目は高圧的である。その医者がそうでないつもりでも、白衣を着た人間にずっと見つめられるのは異様で意味深とも取られる緊張感を生み出す。その緊張感とはつまり、有無を言わせない雰囲気のことである。

 大事なのは相手の眼に視線を移すときの動きであって、好意的でオープン(開放的)な眼の動きである。極端に言うなら「何も隠してない」「教えてくれませんか」という、謙虚な目線。

 目が合ったときの瞬間というのは、ズバリその人間を印象づけるので重要。

 
 患者や家族に説明するとき、言葉と同時に<書く>必要がある。当たり前のようだがあまり実践されてない。実践されてても結局話が雑だったり、書いた紙の絵がゲジゲジだったりする。

 そういう意味では、過去に家庭教師・予備校講師などの経験が(まともに)ある者は工夫がうまい。なぜかというと、相手が理解できてないとき「なんで分からないの?」という発想でなく「どうやったら分るだろうか」と腰をすえて考える習慣ができているからだ。学生・研修医・家族など相手にしてでも、この能力を鍛えるべきである。
 何度も注意したがこれは厳しく言わないと、と判断した場合にやみくもに複数人の前で激しくあたる必要はない。艦の雰囲気を乱し、妙な危機感・警戒心を与えかねない。いくら正しい説教でも、職場の不安定感を生みかねない。

 それと相手によっては周囲に加担を巧みに迫ったりして冷静な討論ができない場合もあり、結果的に自分の思わぬ失態(冷静さを失い不必要な言動になったり)を招くことがある。

 なのでこういう相手にはまず1対1での場をもうけ、あくまでも感情的でなく建設的に結論へ持っていく。相手もひょっとしたら初めて何か事情を話してくれるかもしれない。
 これはストーリーでいったん触れた。

 どんな職場でも各部署というのがあって、どこかに必ず重圧がよりかかってしまう。それに不公平・嫉妬などが手伝って知らない間に冷戦を引き起こす。

 しかしどの人間も自分の立場にリスクは持ちたくないので、できれば誰か<救世主>にお願いして、自分が無傷の形で<敵>をこらしめたいと思う。

 その<救世主>が君だった場合、彼らは執拗に一方的な情報で君を同情させ、扇動してうまいこと敵の陣地におびき出し戦わせようとすることがある。使命感に酔いやすい医者はときにこういう罠に引っ掛かる。

 この<彼ら>は事務員であったりナースであったり色々だが、退屈で窮屈な人種はこのパワーゲームを自家製昼ドラとして、意図的でないながらも楽しんでいる。

 大人になってから気づく、落とし穴。

「おみやげ」

2007年5月9日
 長期の長い休みがやっと取れると、その間の病棟はナースや他のドクターらスタッフに任せっぱなしになる。<自分だって人間だから休ませてもらう>というのは本音すぎるが、やっぱり後ろめたい気持ちは持ちたい。

 休みが終わって、何事もなかったように出てくるのはあまりにも情がなさすぎる。患者・スタッフらへの申し訳ない気持ちと、それと形としての<気持ち>はまんべんなく用意すべきである(各部署あて)。

 ただし礼も言わない部署には、する必要はない。

「説得」

2007年5月9日
 医者が治療を勧めたいとき、その必要性がどうしても伝わりにくいときがある。しかも治療の選択を勧められる場合が増えている。一方的な催促がトラブルを引き起こす、という過剰な警戒心が医療側には最近あるからだ(主にマスコミの責任)。

 かといって患者側が選択できるほどの知識が持てるかというと、それは難しいことがほとんどだ。

 患者側も治療を受けるかどうか迷った時は、(使い古された表現だが)こう聞くべき。ただし主治医に信頼をおいての話。

「私(患者)が先生の家族だったら、どちらを勧めますか?」

 これを聞くかどうかで、かなり違う。

 これに答えれない医者は、正直問題がある。
 ネットの住宅情報、雑誌・ネットの病院の医師募集は、基本的に一度どこかを巡って、それでも買い手がなかった情報と考えたほうがいい。医師募集は広告料を払って載せているわけだから、いい条件だと思っても、実はどこかワケアリだという先入観をもってたほうがいい。

 本ストーリーでも、院長職を勧められる場面があった。 

 おいしい情報というのは(何でもそうだが)まず身内、そのコネクションへと流れるのがふつう。待ってるだけで降ってくるような情報など、すがる価値はない。となると、自らアクションを起こして調査する必要がある(ストーリーの中にヒントを埋めてある)。

 だが病院選びの場合、いったんそこで(妥協して)身を潜め、一方でまともな非常勤先を一ヶ所作り、やがてシフトするという裏技もある。
 偏った内容ですが、変に誤解しないよう。

 僻地医療が見直されている時代になんだが、田舎には田舎特有の雰囲気というものがある。NHK特集だけ見ていたら田舎はいい人でいっぱいだが、あれは演出。むしろ都会人より腹黒い、ダークな一面をもつ。深入りするなら、心してかかる必要がある。

 ヒエラルキーを崇拝し古い伝統を守る(変えない)という習慣は、根付いてるとこでは長年守られる。変化=生存の危機感みたいな反射神経がある。過疎化して若者が帰ってこない理由の一因でもある。

 医療を改革する上で重要なのは、国家レベル的にこういった体質そのものを(ある時期に)世代交代=リフレッシュさせることだと思う。医療側もサービス精神だけでなく、正面から本音(どこまでが限界か)をぶつける必要がある。

 田舎者→高齢化地域→弱者、という公式を立てて言うなりに地域医療を正義視するのはよろしくない。ホントの弱者が僻地に集中していると思ったら大間違いだ。

 早期の僻地実習で学んだものが「都会のありがたさ」でなければいいが。

 
 プレイボーイ、という言葉自体が死語だが、今でも当然存続している人種だ。田舎では「女狂い」とか言われて軽蔑されることもあるが、医師にも彼ら(プレイボーイ)に見習うべき点がある。それは・・・

 さりげないこと。通常なら照れくさい言葉でもサラリと流すなど、その才能。

 いや、具体的には難しいことは要求しない。要は<オアシス運動>・・

オ:おはよう(ございます)
ア:ありがとう(ございます)
シ:しつれいします
ス:すみません

 が(傍から見て)明るく爽やかに実践できているかどうか、ということである。
 疲れているのは分かるが、ため息をつく癖は絶対に身につけてはいけない。これを実践して楽になるわけではないし、周囲に不快感を与えるだけだし、何より自分をおとしめる行為である。

 陰でマネされる恐れもあるよ。
例)「あの先生、ため息ばっかりついてたよ」

 病院でよく聞くため息の種類

・ 「フーッ!」
・ 「ハーッ!」
・ 「ふあ〜あっ!」
・ 「あ〜しんど〜!」
・ 「はぁ〜だるいわ〜」
・ 「ァァァァァァァ・・・ァァァ」
 医局で誰か来たとき、こうやって接客できる人間は策士である。もちろんちょっとこだわってるほうがいいし、旨いのが条件(もちろんコーヒーメーカー)。

 こういったことがキッカケで、スムーズな交渉にまで持っていけることもある。

 僕(内科医)がした実践例↓。ほぼ初対面の外科の先生が相手。共同での診療を週末にお願いしたい。週末での介入は通常嫌がられる。

「先生。これどうぞ」
「あーっ。すんませんねえ!」
「いやいや。まだまだ駆け出しですが」
「上手いですよ先生」
「とんでもない。先生のオペにはかないません。あそうだ先生。こういう患者さんがいましてね。休日前で申し訳ないんですが」
「はいはい。どんな方で?」
「ちょっと持ってきますね。目を通していただくだけで」

その間、そこでコーヒーを飲んで待っててもらうわけだ(拘束)。

「・・という方ですが。外科的な意見もお聞きできれば」
「はいはい・・・ずず・・・あ、いいですよ。私も診ますわ」
「ありがとうございます!」
「ごちそうさまでした」
「いえいえ。洗います洗います。先生の大事な手をそんなそんな!」
「あっはははは」

 小道具的ではあるが、実にスムーズな交渉に役立つ。潤滑油的だからスムーズになるわけだ。
 例えば経験年数が増えて、自分の専門外の科を習得しようというとき、1から丁寧に教えてくれる時間や余裕はない。というか、今さらハイハイと教われないというプライドの高さが邪魔をする。

 だからといって成書を読破しても、やはり「百聞は一見にしかず」である。些細なことでもその専門の人間にひっつき、「こうしようと思うのですがどうですか」とか「こうしたのですがどうでしょうか」とか、常に現場で自分を試さなければならない。そして夜中に飛び起き、本を開いて「あれはどうだったのか?はあはあ」と血眼になった初期の経験をしてほしい。

 ひょっとしたら呆れられたりするかもしれない。しかしそういう場で身に着けたことは100回朗読するより体に染みる。人は「耳学問」と呼ぶ。

 人間、弱いところを強く見せようとするから、また恥を隠そうとするから、最近のあのような事件が起こったりするのである。
 診療とは区別すべきかもしれないが、診察する患者が増えるほど残務整理も増えてくる。これらの書類はときに膨大だが、これらは医療費の返還など患者の生活に直接かかわっているものだ。

 患者の予後がどうとかいうが、実際家庭の経済的背景も患者のQOLに大いに関わる。そうして彼らの生活まで案じるなら、こういう仕事も診療のうちである。

 だから、できる人間の机の上は、常に整っているものである(でもちょっと言いすぎ)。

 要は、できるはずのことは早くやれ。それだけのこと。
 簡単なことだ。意識するかしないか。しかしうっかりすると、近くの大事な会話を見落とす。ただこれは、陰口を盗み聞きしろという意味ではない。

 ときにある光景だが、詰所とかでナースらがドクターに報告する勇気がなく、しかし近くでボソボソ相談しているときがある(つまりかなり気を遣っている)。廊下でも、ドクターがいるのに患者の家族が近くのスタッフをわざわざつかまえて患者の経過を聞きたがる。

 そんなとき医師がフットワーク軽く気づいてあげれば、遠まわしな物事がいとも簡単に解決してしまう。鈍感な医者はいつまでたっても裸の王様。

 一見ポーカーフェイスの周囲は、実は君が思ってる以上に気を遣っている(いつも忙しそうにしてるから)。
 外来受診、入院患者の診察、患者家族への説明、詰所への訪室。去り際に「次は〜にきます」「次は〜ですね」と約束してない医師は案外多い。当たり前に「明日の朝、また来ます」でもいいから言ってみる。信頼関係の第一歩。

 その医師が忙しくて1日1回しか来ないとしても、患者たちが待っているのは「先生は次いつ来てくれるだろうか」という期待と不安である。

 夕方の詰所などは、けっこうこれで悩まされている。周囲に分かりやすいパターン、というものを作ろう。

「男と女は違う」

2007年5月10日
 だまって聞きなさい、悟空。

 病院勤務は、これへの意識の大切さを嫌ほど痛感する。看護士も増えてるようだがナースステーションは圧倒的に女性優位の職場だ。

 医療には個人的感情が介入しない理性的な仕事が求められるが、男女の違いは隠せない。女性優位の職場であるせいか、「安定性」「不安定への危機感」「集団性」「適度な同情性(意味を誤解しないように)」的な性格がある。しかしこれがナース業務の資質にあてはまる(総合的にメリットとして生かされている)。

 男性医師はこれら(男女の感性が違うこと)をよく理解しておかないと、思いもよらないイジメにあうことがある。

<ふろく>「ダイ・ハード」鑑賞会の男女別の感想(とある病院にて)。

男性陣
・ 武器がカッコイイ
・ 思わず応援してしまった
・ 男の中の男
・ 1人が圧倒的巨悪に立ち向かうのがいい
・ ラストの立ち直った男(パウエル)の銃声が感動的
・ 傷つきながら戦う姿に感動

女性陣
・ 主役のオッサン、シャツ一枚で汗臭そう。腹出てるし
・ 子供まで巻き込まれてかわいそう
・ 人がどんどん撃たれて吐き気がした
・ なんで(カールが死んだかどうか)確かめなかったのか
・ もっと早く(FBIを)呼んだらよかったのに
・ けっこう(カール)いいかも
・ 結局、復縁したの?
 
 普遍的な内容ではなく、患者側からするとモラルのない内容ではあるが・・・。そこを失敬。

 常勤で精いっぱいな医師もいるとは思うが、非常勤先を一ヶ所作っておくことをすすめる。大学人事でも、経験年数やコネを重ねるにつれて、なんとなく馴染みのある非常勤先ができてくる(できれば得意分野が必要)。

 すすめる理由は・・・。

? 完全常勤になると、常勤先に万が一の事態が生じた場合に行き場を失う。

? 完全常勤では、時間的拘束・金銭面での交渉が上層部にとって有利になる(そこで働くしか食っていけない、という前提になるから)。

? もう1ヶ所勤務先を作ることで視野が広くなり(考えが柔軟になる)、常勤先の評価・将来の展望などが見えることがある。

? 常勤先に、「この医者を手荒く使うと、出て行かれるかもしれない」といった危機感をそれとなくもたせる。

 要は、一ヶ所限定ではそこの考え方に染まってしまう可能性があり、視野を狭まれる危険があるため。若いうちに常勤先のイエスマンになるのはもったいない。

 それに今ではどこの病院も、(特に経営的な)行先は不透明であるので。

 テレビ番組、マンガなどでは被害者意識を中心とした正義で魅了するが・・・そりゃそうだ。彼らはバッシングされず見てもらう(視聴率・発行部数)のが目的だから。

 医師側も、ときにはこうやって被害対策を考えておく。
 自分のことを棚に上げて、話す(笑)。

 独身でいるのが悪いというわけではない。しかし、患者や仲間など人間関係を考察するにあたり、未婚の人間にとってどうしても(考え方・感受性で)越えられない壁がある。

 これも失礼だが、高齢者とのつきあいでも、実際自分が爺さん婆さんと一緒に暮らしたかどうかで、思い入れは全く違う。「ドラえもん」の、のび太のばあちゃんの話のインパクトも異なる。

 話を戻すが、「あの先生は若い時はカリカリだったが結婚して丸くなった」というのも、家庭を作ることでいろいろ学んだからだ。

 『ゴールデンアイ』で「誰のために戦う?」→「自分のためだ」は確かにカッコイイが、それは男の永遠のロマン。現実本音はやっぱり「家族のため」でないと、患者の目線になかなか立つことができない。

 でも最近は、<独身>といっても実はバツイチ・2だったりするので解釈には十分気をつける必要がある。
 拘束・残業が多いため、帰ってくるとクタクタのことが多い。しかし今日はたまたま早く帰れたというときがある。つい休んでしまうが、明日の自分に感謝されるために1つでも片づけておくべきことがあるはずだ。

? 明細の振込み(学会費・税金など)
? クリーニング取り
? 車検
? 散髪
? ガソリン・車点検・タイヤ交換・ナビのアップデート・洗車
? 粗大ゴミ処理
? 通帳の残高照会・まとまった現金おろし・引き落とし手続き
? 記念日(お祝いなど)のプレゼント買い
? 冷蔵庫の期限切れチェック
? トイレットペーパー補給
? 冷暖房・清浄機フィルター掃除
? ちょっとした歯科・耳鼻科(ときに調子悪いひと)など受診
? レンタルCDをダビング
? 爪切り
? 靴買い・服買い
? ファックス紙補給
? 医学書立ち読み・購入
? 定期券などチケット類(前もって小旅行など)の購入
? 変更したかった生命保険・新聞・プロバイダーなどの解約→申込
? 実家への電話
21. たまったポイントの現金・商品還元(ケータイ・クレジットカードなど)
22. 番組リモコン録画予約(けっこう先まで)
23. ポットのお湯補給
24. とりあえずもらえるもの(青山・ジョーシンなど)
25. 要らんDVD・雑誌などブックオフなどへ売りに
26. ケータイ変更
27. 外食の予約(1人暮らし以外)
 もちろん巨大な学会では質問できる勇気はないが、地方会・講演会などの中・小規模な会では質問を用意しておくのが好ましい。

 身近な状況で、誰に聞いても意見が食い違ってたり何故か本に肝心なことが載っていなかったりする。そんなとき、こういう場で質問してみるのだ。なにもその会の議題に固執することはない。「先生ならどうされますか?」の手段で。

 具体的にはステロイドパルス療法や薬剤の投与タイミングなど。特にMR関連の学会は薬剤投与ばかり勧めるので、中止・減量時期・変更などにこだわっていない。

 症例検討会で、自分の難渋している症例を直接持ち込む方法もある(院内カンファレンスで意見が偏りがちな場合特に)。その際「では私の専門のところへ顔パスで一度」と優遇されることもある。

 こういう<頭脳が集まる>会だからこそ、(いい意味での)波紋を呼ぶべきである。

 そんなこんなで、患者の命が助かることさえあるわけだ。

 

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