ゆとり  ⑬

2013年6月23日 連載

 上司と飲みに、あるいは食べにも行きなさい、と思うのです。仕事だけの関係は、その仕事のせいで失います。それを繋ぐのが潜在的な人間関係です。

 昔はMRの接待もあってか飲み会の機会も多く、みな<グループ>や<出世>が好きだったのでイエスマンがたくさんいました。この異常なほどのイエスマン的な集まりは、軍国主義的な日本の遺残物と考えています。これが減っているのはいいことですが、それが人間同士のつながりを希薄にしているフシもあります。

 ゆとりの皆さんもこれに伴い<グループ><出世>に対する執心が乏しいものとなっています。悪くはないのですが、上の世代はこの後遺症があり、それらへのいい思い出を大事にとっています。いつか自分が恩恵を享受したように、下の世代に伝えていきたい、そんな幻想です。

 これをある程度満たすことで、本音で語れるかもしれません。なのでゆとりの方々は、まず上司の良い思い出を引き出す必要があります。奥さん連中に話せないことを含め、彼らは爆発的に語るでしょう。

 そうだ。バブルの話がいい。聞いてみなさい、バブルの話を。きっとそれこそ、そこに小さなバブルができるでしょう。


ゆとり   ⑫

2013年6月23日 連載
 当直業務は必ずしなさい。常勤先の収入が安定しているという理由でやらないのは最低です。ただ毎日朝から晩遅くまで激務というなら別ですが。

 邪険な言い方ですが、朝出勤してからの仕事というのはそこが出発点なわけですから、<それは聞いてない>とか<いつからそうなってた?>とか傲慢に見下ろす姿勢で始まります。そして午前中に問題収集となり、大問題を夕方・夜間にかけて収束させていきます。で、夜間はぐっすり自由で次の日<どうだった?>となります。何かを、見落としています。

 先にも触れましたが、夜間は少数スタッフで緊急・急変も多い。特に血管合併症はカテコラミンが増え始める早朝かその前に多発します。脳梗塞や心筋梗塞など、夜間3~4時とかに発症するのはザラです。腹痛も寝入って副交感神経の活発時に多発しますのでこれも夜間に集中します。

 そうすると、当直業務というのはそういった症例をフレッシュに、早期治療を自分の手で行える絶好の機会ともいえます。スタッフが少ないからとか逃げ腰では、将来息子に語れる武勇伝さえ作れません。夜間、ここを守るのは俺だという経験が必要です。


ゆとり  ⑪

2013年6月23日 連載
 患者にいかに張り付くか、その経験の長さが医師の人間性を決めると思います。30代、40代にもなってくると個人的な事情も増えて、夕方はきちんと家に帰る傾向になってきます。すると、時間の物量を十分注げるのは20-30代のときしかないと思います。

 時間をたっぷり使うべきは、もちろん重症の入院患者さんです。重症は当然昼夜関係ありませんし、夜間にとかく急変しがちです。というか、見落とされがちです。夜間の病棟はスタッフが最小限しかいません。交代で寝ていたりもします。それでも人工呼吸器患者が多数いたりします。アラームだけで気づけるなら訴訟もあんなにないでしょう。でもこれが現状です。

 原発を見る通り、日本はいい加減な国ですが、それを支えているのが上下の較差と国民の無知・無関心さです。これが微妙なバランスを作っていて、マスコミや口コミでリーク、調節を行っています。だがここで話題が終わればただの共産党員です。

 せめて<仕方ないから>という理由から始めてあきらめるのではなく、<不安だから>と素直に考えればあるべき診療態度ができてきます。血管拡張術から病棟へ戻ってきた。しかし再狭窄するかもしれない。そういや心電図がちょっと変化あり。数時間後はどうだろう。あの呼吸不全の人はどうだろう。昼より呼吸が浅い。実は二酸化炭素が増えているのではないか・・・?

 そういった不安をまず感じれるかどうか。感じたらどう行動すべきか。技術が求められなくともできることは・・・?おのずと張り付くことになります。なので医師はちょっと臆病で、不安神経症的で、ちょっと大げさなほうがあるべき姿と考えます。



ゆとり   ⑩

2013年6月23日 連載
 さておき実際の見習い技術ですが、たとえば自分は超音波や内視鏡、カテーテル手技などを教えています。

 センスがどうか技術が上手いかでなく、まずその態度を見ることにしています。表情や言葉遣いでなく、きちんと<教えて頂く>という態度であるかどうか。ここは重要です。

 教えてもらうなら、当然その下準備が必要なはずですので予定検査であるなら直前の予習が必要です。高価でも必要なら本を買うべきですし、その症例のカルテや検査データも目を通すべきです。

 検査には下準備や前処置もあるので、そこも配慮して欲しいです。こういうのも、医師が把握しておく必要があるからです。どこに何があるか、など知るのにいい勉強です。

 最も大事だと思うことですが、手技はそのはるか前から待機して上司の伝票記入に至るまで引っ付いておくこと。抜ける場合は、理由と<すみません。失礼します>の声掛けをハッキリと。

 当たり前のようですが、今の若い医師らは驚くほどこれらができていません。印象が悪いと、上司は少なくとも<もっと教えてやろう>と他人に思わないわけですよ。

ゆとり  ⑨

2013年6月23日 連載

 自然に待ってても、何も身に付きません。必要なのは最低限の技術と診療態度ですが、いずれも莫大な時間と無力感を要するものです。当然何度も怒られたり失敗するわけですが、その際のサポートが当分必要だという証明でもあります。

 いまの研修制度だと数年したら徒弟制度を離れるわけで、つまり<自由>に自己流を発揮することになります。技術をうまく習得できる者もいますが、しかしそういう医師は<もしものとき>の対応が全く分かりません。そういう意味では、たたき上げ的に習得したほうが将来のためにずっと有利です。

 お気づきだと思いますが、原発とかそうですが・・・利権や能力によって努力しなくていいスタッフは、いざというときの対応の訓練を受けていません。能力があったとしても、トラブルのときは動揺しますし、あるときは孤独なのです。冷蔵庫のコレッポチで料理を作る訓練が、できてなかったのです。

 つまり貧弱な能力を鍛えるほうが、何かを習得した時の感謝を身をもって知るわけです。技術がすぐ身についたのなら、むしろそれは危険で損なことだ、と思うべきでしょう。

 

ゆとり ⑧

2013年6月17日 連載
 「百回泣くこと」などという映画がやってますが、本来涙というのはよほどこらえた上で見せるものだと思います。ただ、テレビや小説でもらい泣くのは自由ですが。

 こらえた上での泣きですが、テレビドラマではヒロインが実に魅力的に泣きます。目を大きく開けて色っぽく。しかし本当の泣きは、そうあるべきではありません。

 本当の泣きは、本当にもうくやしくて、もうどうしようもないそんな涙です。もう顔の原型までなくなり、鼻水まで垂れ流し「うわあ、うわあ」といったものです。もし僕が映画監督なら、そんな場面を取り入れます。

 ゆとりさんは、そんな経験をあまりさせてもらってない気がします。でもこれからは、自制心さえあれば可能です。これからも、いろんなことに耐えなければいけません。もっとも強大な敵は<理不尽>です。若者はこれからもどんどん理不尽を受けます。年金は出ないでしょうし、むしろ搾取されるでしょう。医療ではよかれと思った治療が、つまらない理由で逆に叶えられないことも。

 でもそこで、キレてしまえば負けです。キレたらなんでもそうですが、丸く収まることはないからです。こっちが正しい、そんな主張をしても相手を負かすことはでいません。相手は最初から負けないのが条件だからです。

 なので、そういうときは・・・耐えてください。自分のふがいなさ、無力さを嘆いてください。それでその場が救われるならそれが最高の医療でしょう。そしてどうしようもないなら、仕方がない。泣きましょう。声を震わせましょう。ただしネコのように、隠れてからにしましょう。泣きは自分の素直さでも、相手にとっては弱さに映りますので(相手の記憶に残ってしまう)。

 泣いた意味はあるのか。ありますとも。君が10年くらいして、何か自慢話するとき。息子とかにでもいいでしょう。美しい話となって花開くはずです。聞いた人は「よくそこで踏ん張りましたね!」と絶賛するでしょう。そうすると、今はなるべく恥をかいてたほうがいい。1冊の本を将来書くつもりで。

 




ゆとり ⑦

2013年6月17日 連載

 ゆとりが今日も、上司に厳しく怒られています。理由はフフンなるほどとして、上司はなぜあんなに冷たく怒れるのでしょうか。内容によるでしょうが、そこには日頃のたまった不満というのがあるようです。

 いやいや、上司の日頃のストレスだけではありません。おそらくそのゆとり生の、その日頃から(上司が)気にしていた態度です。上の世代は、いろいろ思うことはあっても本人の前でなかなか言いません。そして陰で言うという性格の悪い動物ですが、それも相まってストレスが持続します。そしてついにビッグ、バン!となるわけです。あっ、ちょっとビックリしましたか。

 僕らの時代、親世代が軍国主義みたいなのがあったので勝負事にはシビアでした。誰が1位で誰がビリか、などまるで戦争です。ゆとりでは、それら競争意識が取り払われました。医学部の受験は戦争だったかもしれませんが、それは個人の勝手な1人戦争ですので。質が全く違うのです。負けたら占領される、そんな危機感を味いつつというのが本当の戦争です。

 そんなサバイバルを生き抜いた上司世代ですから、怖いのは当然です。彼らもそうしてやられてきたわけです。「おいどうした!あいつに負けてるぞ!」な具合に。つまり、上司の期待にあなたが負けたことを嘆いているわけです。残念なのです。どうにかしたいのです。そこでもし「はあ」とかいう態度になると怒りが爆発します。

 どうしたらそのダムを決壊させないか。それは今後、いっしょに考えることにしませう。




ゆとり ⑥

2013年6月17日 連載

 自分は、医師以外のスタッフと個人的には仲良くしません。飲みに行くのも多人数の時です。なぜなら仲の良いスタッフができても、仕事上でのテンションを保っておく必要があるからです。役職自体に上下関係がある以上、無視できないことです。

 たいてい個人的な仲となると、診療にどこか不都合が生じます。お互いの仕事がスムーズになっても、周囲からみると差別的に見えるものです。それからスタッフによってはネジがゆるんでしまい、手抜きしたり一線超える(ふだんの不満が角を出す)のもでてきます。人間、仲良くなればそんなものです。夫婦とかいい例でしょう。独身時に太っ腹だった夫が、将来妻に仕切られる。

 ましてゆとりは中立国であるべきです。医師との個人的な仲良しはいいのですが、くれぐれも金銭に関わること(賭け事など)だけはやめてください。

ゆとり ⑤

2013年6月17日 連載

 民間病院が大学人事ならそこは機械的ですが、中にはヌシみたいに沼に潜んでいる医師もいます。大学病院と関わらない医師の場合、その医師個人と病院との契約制になります。

 契約ですから年俸など給与体系も契約書によってなされ、契約書にないものはあくまで口約束になります。このい<口約束>に要注意です。なので、ときに契約書を振り返らないと予定外のことをさせられているケースもあります。

 契約と言えば聞こえはいいですが、あくまで1対1のもの。雇い側の主観によってそなたの評価が決まります。通常1年更新ですから、その時点での評価が低ければ、給与を下げたりあるいは更新をしない(事実上の解雇)こともできるわけです。

 では、どうやったらいい評価をされるだろう、と考えてしまいますね。それは自然です。しかしそれは病院・患者さんらへの貢献のみではありません。単刀直入にいうと、数字・評判・それ相応。この3つです。

① 数字: どれだけの点数を稼ぎ出しているか。点数の10倍が病院の売り上げですので、より点数の高い診療が望まれます。病棟での点数は外来よりはるかに高い。病棟でどれだけ患者数を持ち内容が濃いか。これが主に左右します。

② 評判: 患者さんの評判は当たり前として、上層部の評判です。末端の評判は上層に届いてもフィルターがかかりますから、大事なのは上層部。ゴマをする必要はありませんが、多忙さがもろ刃の剣となってないか、常に配慮する必要があります。

③ これはつまり、最初の契約時の内容・売り出し文句がきちんとその後に反映されているかどうか。中には口先だけのもいます。いや、むしろ多いかもしれません。人間の心理ですが、契約時はなるべくお得な内容を望むものです。しかしそんなのはすぐ見抜かれ、かえって契約更新時に<正当な>評価をされてしまいます。

 そうすると、ふだんの診療態度としては、1症例1症例を濃くあたり、逆KYである(周囲を気遣える)・・・<正直な働き者>であることが必要になります。


ゆとり ④

2013年6月16日 連載
 姿勢や服装にも、態度は現れます。そこに要求されるのは<毒のなさ>です。ドク(医師)なのにドクがない。ちょっちょ、誰にも言わないでください。恥ずかしいから。

 毒のなさは重要です。威圧感のある医師は、それだけで人を遠ざけます。その医師がそういう態度のため、周囲のスタッフや患者さんが我慢しているケースが多いのです。

 まず、表情ですが・・・それこそ毒のない顔でお願いします。やや目を見開き緊張状態にし、ちょっとトロンとした表情です。チュートリアルの徳井、あれはまさにそれ風に作った表情だと思います。ああいうのです。

 背中は大事です。歩くときは伸ばしてください。でないと視線がしっかりしません。相手と数秒は目を合わす。ゆとりは目を合わさないとか聞くことがあります。まっすぐ歩き、角では何か飛び出してこないか予測してください。ゆとりはよくぶつかると聞きます。

 先輩方の足音には慣れましたでしょうか。とにかくあちこち歩いてください。その病院のパターンが分かってきます。なにか、嗅覚みたいなのが身に着くのです。現場へ出向く時間もパターンを作ってください。分かりやすくさせることが狙いです。「アイツはいつ何しとるか分からん」と言われないためです。

 つまり、自分を分かってもらう、その<分かりやすさ>、安心感が相手に好かれる入り口につながるのです。この行動をいつからやるか?今でしょう!

 言い忘れましたが、服装は医局の雰囲気に合わせてください。くれぐれも自分だけプリンセスみたいなのはお断りです。



 

ゆとり ③

2013年6月16日 連載

 なので、まずどの先生のパダワンになるかある程度は計算しておく必要があります。その医師が、いったいどういう日程で過ごされているか。いやいや、食べるものまではいいです。でも、出前なら気を利かせる工夫もあります。

 自己紹介のとき、その狙いの先生にそれとなく興味を抱かせるよう工夫してください。いやいや、そういう意味じゃなくて。たとえば「内視鏡は何例かさせていただきまして。できればここでも」など。その先生の得意分野に触れれば何らかのレスポンスがあるはずです。

 他の先生ともこうして情報を<与え>、自分が何をしたがっているかというのを知らせます。

 他の会話も忘れないでください。話題がないとか思わず、相手に質問されたことがあれば逆に聞き返せばいいのです。ゆとりは、これができないとよく耳にします。ただ<ご結婚は>とか<前の勤務地は>とか<出身大学は>とかDNA的すぎるのはやめましょう。たまに地雷を踏むからです。

 そしてこれもゆとりに多いのですが、会話のあとにすぐググるのはあまり印象が良くないです。「あ、ありましたありました!」とかもってのほかです。そういうのは、もうちょっと仲が良くなってからです。相手の会話から、そのキーワードから足がかりをつかむのです。

 

 

ゆとり ②

2013年6月16日 連載

 民間病院でもそこでもそうですが、どの先生にも専門があります。ただ、たまに周囲に聞くと「オールマイティ」とか教えてくれるケースもあります。たいてい、何もできないことが多いです。ちょっちょっ。僕が言ったとか、言わないで下さいよ。

 君が学びたい専門があるのなら、もちろんその先生をゲットしなくてはいけませんが、ポケモンみたいにゲットは無理です。むしろあなたがポケモンです。いや、下手するとバカモン、ガラモン、もしくはピグモンみたいに<立ってろ!>状態に置かれることになります。

 まずは印象です。君が手技とか特殊能力を教えて欲しいのはよくわかりましたから。ただ、段取りやカリキュラムとか、そんなの待ってても出てきません。まず、相手のフトコロに入りましょう。虎穴に入らずんば・・・ですよ。教えるのが好きな先生は多いですが、その分相手の時間を割くことになるんですから。人間関係を円滑にすることから始めるわけです。

 人と初めて会うときですが、君らの相手はほとんどが目上です。いやいや、患者さんはと区別しないでください。彼らも、日常を犠牲にして君に命を託してやってきているのです。むろん、君が医師だからですが。

 いちどTシャツ、Gパンで歩いてみなさい。そこらの近所さんは目もくれません。そんな方々が君みたいな若造に「先生」と頭を下げてくださる。ならば、君はこの人たちを裏切ってはいけません。

 さて、そのまえに仲良くしないといけないのが同僚です。医局の医師たちです。ほとんどが先輩のはずです。え?5浪もしている?そんな話は、最終回で変身するときにでもしてください。

 研修時代やドラマでは熱い医師が多かったと思いますが、特に国公立病院では検査や治療がし放題であり、刺激が多い環境のためしばしば自己陶酔的になります。いやいや、クスリをやってたとかそういう意味ではないのです。

 研修を終えて民間病院に出ると、なぜか寡黙な医師が多いのに気づきますでしょうか。電話の応対でも「ああ」「うん」とか。現場でも「ほいほい」「へいへい」とか。いきなり結論ですが、これはすでにもはや自分独自のスタイルが確立されている、ということなのです。
 医師だけでなく、あらゆる<ゆとり>へ。思ったことだけ述べていきます。この通り、やさしい丁寧語で。漢字も極力、くずします。私はけっして日系メディカルではありませんが。

 これを書こうと思ったのは、僕だけでなく周囲の上司社会人が「目につく」とぼやき始めたからです。マスコミでは言いません。ゆとり、で金は稼げませんから。このクソ暑い日に<ゆとりアイス>とか売っても「そんなスグ溶けそうなもの!」なんて言って誰も買わんでしょう。

 街角を見てください。なぜかそこにゆとりらしき姿を見ません。みな、楽しそうな人ばかり。いい女たちが連れてる番犬たちも、どこか活気・余裕を感じます。

 僕らの定義するゆとりは、この電位のない状態です。高い・低いの差がないのです。フォローしないまま、この章はここで終わります。

 

パルチザン

2013年6月16日 連載
 たまに、正面から挑んでくる医師やパラメディがいる。たとえば症例や検査法に関するこだわりだが、彼らの信念でもってこちらの方針を変えようとする。特に病院の方針を変革しようとする動きが多いのは驚く。

 残念なことに、部下と仲良くしすぎると必ず一線超えてくるのがいる。ほとんど女性だが、男性の場合でもほとんど女性の入れ知恵がからんでいる。彼らは情熱的だが、副作用というのを考えておらず、その対応までも考えていない。

 だから、自分はいつもこんな感じで答えている。必ず1対1で。

「それで体制や方針が変わったとしよう。で、もし君が事故や事情でここを去るとする。問題なのは、その後体制を戻すときの労力だ」

 こう言ってみたまえ。たぶん、何も返ってこない。偉そうに思うなら、上に立ちたまえ。正義なら、許される。

思い上がり

2013年6月16日 連載

 ・・が問われたアベノミクス。ある意味、金のある人々は試された。自分は傍観していたほうだが、高揚感に包まれている人間というのは、まるでブレーキの壊れた車のようだ。しかしその速度はゆっくりしている。だがどこかでぶつかる運命にある。

 自分の周囲の人間も、多数が痛い目にあった。高揚感が根拠のない予測を生んでしまった結果だ。これは医師の通常業務でもみかけることがある。例えばこの抗癌剤が劇的に効いた症例があるとする。似た症例に出くわす。当然、同じ治療に当てはめようとする。実はそれ以外の状況が見えてない。

 つまり自分が今、幸福的な状況にあるとき・・・最悪の状況の想定を忘れてしまう。いや、したくないのかも。あってたまるか、と。この根拠のない想いこそが、人生の敵だと思う。

 患者が改善した。説明では安心させても最悪の想定までレンジを拡げる。もちろん言葉にはしないが、そう考えると病気の敵は自分(医師)そのものであることに気づく。
 職場でスタッフらと仲が良いのは仕事に円滑に働くが、ベクトルとしては任せられないものがある。病院は女社会であって、患者を外敵から守り安定を目指すという農耕的な面がある。この外敵とうのは病気だけでなく、自分らの仕事への重圧という意味もある。権力を持ってる者が降格されたり、別な経営者で体制が変わったり・・そういった不安を抱えながら仕事している。そういう意味で真の<安定>を目指す。ただあまり度を過ぎると、入退院のない状況まで望むようになりそれはもはや<不変>を目指すようになる。

 病院にはどこでもいるが、特に男性医師でスポークスマンのような人。スタッフらと常に親しく人気もあるが、どこか水面下で企んでそうな人。こういうのは<情報屋>のおかげですぐ経営側には分かることだが・・・。

 残念なことだが、女性らが男性に親密を求めてくるのは必ず次のシナリオがあってこそ。仕事柄、医師以外のスタッフは医師の指示で動いており、必ず不満があるものだ。そこに<ちょうどいい>はない。自分が<下>であることですでにコンプレックスだ。経営側について初めて思ったことだが、不思議と女性らにそんな(ちょうどいい、という)考え方はない。

 そこで彼らが考え付くのは・・誰かを利用してそれを実行してもらおうという企みだ。なぜ自分たちで(攻撃行為を)やらないのかって?だって、そこが<農耕文化>だから。







 

 こう言葉に出す人間はいないが、実際そういう人格に突き進む医師は多い。忙しいほど診療が思うようにいかないのは当たり前だが、そこで興味を失すのは筋違いだ。しかし長年受援勉強をやってきた身としては割に合わないもののようだ。

 てなると、理論武装に走りがちになる。医学書は知識の海だ。どんな深みにでもハマれるので、達成感の満腹感を味わうことはできる。論文やディスカッションも加えれば、今の橋下知事に負けないくらいの毒舌も発揮できる。現に国公立の病院のICUカンファレンスなどは宗教的ともいえるほどの威圧感だ。

 こうやって、ほとんどが勘違いしてしまう。それが患者さえ圧倒して(患者側が)分かったフリをしたり泣き寝入りしたり、それをコンセンサスとか威張りだす。だが圧倒されてでも訴訟に踏み切るケースは、よほど特定個人に向けられた日頃の怒りのようなものが背景にあると思われる。

 まあ大人がそういうものだけど、不器用さ(技術でなく)がある人はある意味それを大切にしといたほうがいいと思われる。オープンな不器用さでもいいから、自分を理論などで飾らないことだ。

 
 結婚が必ずしもいいものとは言えないが・・それは僕らの先輩らの人生が物語っている。僕の統計では、9割がカカア殿下でほぼ全例がおこづかい制、出費の関係で無理なローン、借金を抱えている者が大半だ。派手な浪費と莫大な学費で、ほとんどの医師家庭が困窮しているのが現実だ(200名スクリーニング)。そこでどうするかというと、無理なバイトを入れたり前述の自営業に奔走しだす。ところが日本人は楽天的なのかよほどの見栄っ張りか、沈みかけても決して周囲に信号を送らない。沈む寸前まで。

 こういうのを目の当たりにすると、独身が楽に思える。しかし、40代過ぎて体調を壊したりある程度仕事を達成した場合・・・隣の席が空いてるとどこか取り残された気分になる。

 仕事でも何か必要な断片が欠落する。家庭を持ってならではの悩み、歓びなどは独身者では分かったふりしても実は分からない。心からの涙が流せない。

(以下、ナースをしていた母の言葉)女性は特にそうだが、人には誰にも花の時代というのがあり、そこでチャレンジ・出会いという機会があるが・・・そこを過ぎれば後はもうない。いや、そこには言い訳が残るという。独力でいかにして生きたかとか偉人は言うが、僕は逆に「いったいそこにどんな犠牲があったんだろう?」と問いかけたくなる。




 よく医師がそうやって誤解するわけだが、病院で上げた利益というのは・・・医師個人のものではない。それに協力した者たちすべてのものだ。と、言いたいところだが、そうでもない。

 実際に病院の経営のケツを叩かれているのは総務・医事課の長あたりであって、彼らがベッドコントロールを調整しナースサイドの隙を狙って過剰な診療を達成する。そもそも過剰な診療をやらないと利益は上がらない。国公立の場合、借金は国が背負うからそこは伸び伸びしているわけだが。

 この長らの評価は毎月の売り上げにある。毎月の会議で経営者に報告する。売り上げが高いときはいいが、下がったときは叩かれる。つまり「何とかしろ」ということだが利益が上がると「何とかした」と言えるようになり、長の首がまたそこでつながる。

 事務側の長でも腰の低い者はいることはいるが、自分の経験上9割以上は陰でアッカンベーのクズどもだ。医師の功績が自分の功績、彼らの評価がそれだから仕方のないことかもしれない。だから医師らはそんな奴らのために、無理してまで利益にしがみつく必要はない。



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