ゆとり世代が次第に社会に進出してきているが、またリセットに失敗した中年もゆとり化しているように思える。リセットに失敗・・というのはネガティブな場合の転職、降格などのケース。

 病院では事務関係、中でも資格を要さないような要員は多数雇えるからか、若年者が多く雇われる。事務とはいいつつ、病院関係なら重大な責任を負うことになる。

 仕事に慣れる前に、まず人間関係、その前に印象。印象というのは身なりは当たり前だが、ゆとりは無理せずにその長所を生かすべきものと思われる。

 ゆとりの利点はその分かりやすさにあると思う。その既視感のようなものでレッテルを押されるわけだが、それも1つのインパクト。それがファーストなら、セカンドインパクト?でさらに抜きんでる必要がある。

 それは、<ゆとりらしき行動パターン>だ。どんなことでもいいから、毎日決まったことを決まった時間にどんな理由があろうとも同じテンションで実践する。この、同じテンションというのが重要。いまの中年以上は思い上がっていて、実に気まぐれで自ら操作しにくい。こういったのは今後社会から淘汰されるだろう。

 その反面、安定化したソフトは信用を得られやすい。背伸びをしないながら、その姿勢は日常への差別なき継続への感謝・・・すら感じられる。

 今のところ、チャンスもないまま「あいつはダメだろな」と見下す中年以降が多い。しかし、ひるまない継続性を見せれば・・評価を裏返すチャンスが望める世代でもある。

(病院職員の例)

・ 毎朝決まった時間に出勤
・ 開院前の気の利いた1行動
・ 決まった食事パターン
・ わざと目につくようにした休み時間
・ ドアを開けてあげるなど小走り行動
・ 相談は即日解決
・ 自筆メモの駆使>電話
・ とにかく座らない
・ 視線を常に配る
・ 見かけた力仕事には手伝い依頼を
・ 電話はクレグレ音出すな
・ 笑顔は作るもの。鏡を見てみろ
・ 自分は出さず芝居の舞台と思え

 ああ、なんだかその<中年以降>みたいになってきた・・・。


 


キーワード

2012年10月6日 連載
 ちょっとネットの利用を変えれば、報道されてない重要な情報があるのに気づく。というより、ついこの前まで世間が悩んでいた内容がいとも簡単に過去問にされてしまうことだ。

 さすがにそれ用のノートを用意していないため、自分もついつい忘れる話題がある。医療に関しても1日で削除されてしまうニュースもあり、背景・引用も分からないまま遠くへ隠蔽される。何か、巨大な利権の力を感じてしまう。薬剤の重要副作用も風化作用も、かなり巧みになってきた。

 かといって穴場ニュースばかり発掘するわけにもいかない。なら裏側から。いま、流れているニュースはなぜ表にでるのか。それに相応しいものなのか。そもそも何を気にするべきか・・・。

 幸い、隠蔽があってもキーワードさえ掴んでおけば検索で何かは引っかかる。そのためキーワードからの連想が今後重要になるものと思われる。様々な情報に翻弄されようとも、キーワードに要約してどこかに書きとどめておく(カレンダーや日記)のが便利と思われる。

 重要な人に久しく会って次いつ会うか分からないのに、ええっと何か言うはずだったんだけどなという事態になることがある。キーワードを日頃から意識していなかったためだ。

 



 春と秋は病院が比較的平和になりがちで、飲み会の機会も増える。どうやら人間は多忙な不安さから開放されると、とにかく集まろうとする傾向にある。全体飲み会・勉強会で何かつながりをもとうとする。

 しかしこういった時期での会というのは、正直あまり実を結ばないと思っている。いや自分の仕事への直結、向上という意味で。よく試験が終わるごとに意欲的になって、肝心の本番が不発になったことがないだろうか。まるでダイエットに失敗し続ける人みたいに。

 生存本能が安泰なときに自分を変えようとしても、それは無理な話だということだ。楽しみながら変わるはずがない。ならばとっくに向上しているはずだ。

 ただ、時間があるときこそ<自問会>を行う、それこそ重要なことだ。難しい未だに答えのでない問題を悩み悩みぬく。あるいは集まって痛みのツボを反発する。飲み会・勉強会にも発展できるがこれは(前述のものとは)全く姿勢が違う。

 では多忙な時期は。そういったときにこそ勉強会・飲み会を開いて限りある時間を惜しみつつ楽しむ。こういったときの求心力は強いのだ。

 うまく言えないが、教えてもらうとか仲良くしてもらうとか、そういった姿勢にすら気づいてないのが問題だということだ。



老後

2012年10月6日 連載

 かつて自分を指導してくれた先生方も50歳後半以降に差し掛かり、老後の生き方を模索している。一番多い理想は、人里離れた田舎に引退し、健診業務で食いつなぐ・・・といったのどかな夢。目指すはあの「北の国から」。

 田舎に行くかどうかは別として、こういった<オヤッサン>は現場から離れた途端、あっという間に隔絶される。馴染みの医療の現場を去るわけだから当然だが、寂しいのは人間関係・利権など全てリセットすることになるからだ。これは会社でも同じこと。求めたはずの生活のスタートが、実は今さら真白一面であることに気づくという。

 では、そんなときに残されるものは何か。それでもなくならないものは何か。自分は、それが詩でいう<真実>というものと思うのだ。


 民間病院でもカレンダーは世間通り、ただ土曜日は午前営業だったりするが、祭日が休みなのはやはりかえって困ることになる。

 通常の検査ができない。いや、技師を呼び出せば緊急でできるわけだがそもそも緊急かどうかまずデータ見てから、というケースもある。月曜日の祭日が増えた分連休が増えて、検査の間隔が空いてしまう。

 ならばせめて常勤医が連休続きにならぬよう、間の1日だけでも出勤するか当直を担当したいところ。非常勤が2~3日も当直すれば、何がしか情報が薄くなり、詰所も困ってしまう。

 それに収入面でも、民間病院では退職金がないわけだからこういったときに稼いでおく必要がある。60歳以上になるとキツくなりワガママにもなるので、体に軋みがないうちは祭日こそ積極的に労働すべきだ。

 つまり、こういった投資を勧める話が出てきた時点で、そこにはもう残りカスすら残ってないということ。乗り遅れ必至は、逃げ遅れ必至だ。

 投資は絶対にしないでほしい。いや、するな。開始に手数料がなくても、解約で取られる。解約時期も自由でなく、そのうちトンズラされるのがオチだ。投資している人間にトンズラのリスクを聞いてみろ。「それはまずない」と根拠のないことを言うから。お前は東電か?

 マンションなど、自分の周囲の者が続々手を出して失敗している。数年で価値が落ちるうえ、とんでもないのが越してきて家賃を延滞。どうしようもないらしい。何より斡旋してくる不動産業者も知ってのことだ。だから、自分で運営しないわけだ。農村も若者に機具を貸しているが、銀行と契約させるためのことだ。

 「あ、そうか」と思った君。私は、ちょっとは未来を救った。

年末バイト

2012年10月4日 連載
 民間病院では、早くも年末の当直体制を考えているところが増えてきた。極力、常勤医師のローテーションに頼りたいところだが・・・最近の常勤医師らはそこんところはクールで、「絶対しない」派か「数日まとめてする」派が増加しているように思う。

 でもやはり「しない」派が多いために、どうしても非常勤にお願いすることになる。年末年始の当直業務は料金的にはおいしいが、何が来るかは分からない。ただし経営側は休暇に入る前、事務当直に必ずこう伝える。「とにかく全部とれ」。「ベッド埋めとけ」。

 自分も経営側の考え方で、引き受けてもらったからにはそれ相応に働いてもらう姿勢でいる。電話のネットワークで、他地域から受診を<誘導>する。当然、当直医は知らない。

 いや中にはすでに満床、救急もとらない姿勢のところもある。だが、総じて安くなる。割高なのに楽そうなところもあるが、それはそれなりに意味がある(治安、専門外の受診、過去の事件歴など)。

 12/31の外来は、紅白に間に合わすべく:夕方まで殺到した患者数が以後激減、という現象も見られたケースも。




暴威

2012年10月4日 映画
 いや、これまで何度か<コンプリート>されている。今度はブルーレイ化だ。いずれ<4K><スーパーハイビジョン>盤が出るだろう。特典素材が尽きれば、過去の歌番組など発掘してでも売るだろう。しかし元素材は古いから、アップコンバートな画質だと思われるが・・・。

 「WORKING MAN」という歌があったが、そこで描かれるサラリーマンのイメージは、多忙ながら非常に前向き。それにしてもどの歌も、自分が住む大阪のイメージに程遠い。ここまで東京をイメージさせるものも、そうない。

 この頃、原発は既にあった。たまたま大地震もなく、<安全に>稼働していたわけだ。当時、なんとハマショーは「僕と彼女と週末に」で原発の危険性を示唆している。お互い「都会人」と「田舎者」、「ファッション的愛」と「パッション的愛」なところが興味深い。


韓国パワー

2012年10月1日 映画

 韓流が下火になりそうとはいえ、あちらのアクション映画は今も勢いがある。殺伐とした雰囲気。狂気。気迫に満ちた演技なら、日本人も可能だと思うのだが・・・。

 やはり邦画や若者文化自体がゆとり化しているのが原因なんだろうか。何かするとすぐ音楽などの芸術に逃げていくし、ありえない余裕キャラが生まれたりする。現実からの逃避でなく、現実への逃避に思える。

 韓国のアクションも現実感は少ないが、緊張感を持続させる演出が見事。つまり1人の登場人物が一貫したまま泣き泣き突っ走る、そんな姿を日本は描き忘れているのではないだろうか。

 邦画では、男が突っ走っても必ず後ろに<女>が出てくる。男が立ち止まってしまう。

「いいんだよ!頑張らなくて、いいんだよ!」

 男が女の声で立ち止まってしまう。そういう意味では、五郎の不器用さも見習いたい。

 年々、友人が減ってくる。決して喧嘩するわけではない。正確に言うと、どんどん離れていく。いや、引いていくという意味に近いかな。

 以前にも述べたことだが、学生のころはみな足し算的な脳で日々を過ごす。真面目に勉強してテストに受かって、それなりの対価を得る。1対1。それなりの努力に、それなりの対価だ。

 医師として仕事をし始めた頃というのは、いったんその対価を求めなくてもいい時期が一定期間は続く。新しいことだらけだからだ。それだけで時間は過ぎる。5年もすれば、何らかの形ができる。

 しかしある程度自分の得手・不得手を見定めると、今度はリスクを避けるようになる。いやここまでは自然だが、対価としての物欲・金銭を求めるようになる。リスクを避ける人ほど金銭がどんどん必要になり、生活水準が向上する。これを維持するため、手持ちの財産に<働かせる>ことになる。

 そうすると、足し算は掛け算になる。努力に対して、それ以上の対価・見返りを求めるようになる。手段としてはギャンブル・投資に回すことになる。奇妙な現象だが、数学マニアだった人間にこの傾向が強い。たとえば<大学への数学>とか以前あったが、こういったのが趣味の人は数式に任せて金を生ませようとする・・・人が多い。





売却

2012年10月1日 時事ニュース

 じゃあ、あの○鶴は?どうかと言ってしまいそうになるが、それが企業と国策との違いだろう。いや、電力会社こそが国策だが、従事するスタッフ達はしょせん企業人だから、企業の意向でいつでも切られるのだ。

 こういった暇な病院はさっきの○鶴を含め、まだまだ存在する。国の管轄だと、なかなかしぶとい。赤字の県でも、そこに軍など国策が介在するものがあれば予算的に渋られることはない。

 東電病院の経営を引き継ぐとすれば、相当の覚悟がいるに違いない。スタッフは残らないだろうし、これだけの土地だから救急指定など当たり前、優秀なスタッフ、まとめるリーダーも必要だ。

 冗談抜きで、放射能の測定など国民のための施設に作り直す案とかなかったんだろうか。株主たちには。

 季節の変わり目っぽくもなり、iPhoneの曲も総入れ替えだ。角松敏生のアルバムも一通り鑑賞を終えて、関連曲も聴き始めた。中山美穂のアルバムを一時期担当していたようで、アルバムによっては角松色そのままのものもある(CATCH THE NITEなど)。

 病床もいったん落ち着く時期であり、病院ではあちこち<貸し渋り>が行われるようになる。9月決算の終了でメーカーは講演会ラッシュ。医師も休めるなら無理なバイトは入れずに、気分転換それから反省会といきたい。新しい本ではなく、まず身近な題材(過去のカルテ・レセプトなど)からだ。

 原発、いじめ、TTP実はどの問題も解決されていない。消費税も上がるし、団塊以上は逃げ切るようだ。津波が来るという以前に、(自分の位置を今のうちに)高みに引越せ。

特攻!

2012年9月26日 ゲーム
 特攻ゲーム「アングリーバード」。日本では「バード」か?「バーズ」か?医局で論争になるだろう。

 指使いだらこそ楽しめるゲームと思われる。待ち時間に支配されることが多い日常では、その待ち時間をできれば省略したい。手荷物なしでそれができるのなら・・・手持ちのiPhoneでゲームできるのがベストで、本ゲームがうってつけだ。

 ビヨーン・・ギャッホー!ヒー!ヒューン・・・ドガ・・ドガガガーン!バキバキ・・・バキ・・・ポロッ・・・フゲッホゲッ。この音は、別になくてもいい。

 年内の3DS発売がアナウンスされたが、あくまで海外での話。北米版のソフトは我が国の3DSハードと互換性がないらしい。最悪だ。ハードを買うにも北米の3DSも300ドルはする。そもそもi-tunesで購入のソフトは1本85円。

 高い価値をつけられた時点で、今後は割に合わないソフトに変貌する可能性がある。ボーナスステージが有料化、体感モード、ソニックモードなど・・・あのソニーならすぐやるだろう。

実現の色濃いTPPで、消費者に安価で良いゲームを。








 専門が細分化しているとはいえ、以前から大学医局内のグループ分けは今も顕在化したままだ。呼吸器科は良性疾患、悪性、喘息グループといった具合。循環器はカテ、エコー、血圧グループなど。それぞれに順列があり、それぞれがそれぞれのプライドを持つ。したがって、必然的にお互い仲が悪くなる。

 しかし誰かはどこかのグループに属さないといけないので、どこかのマニアとなり別グループと静かに争わなければいけない。ときにはお伺いも立てねばならない。同じ医局なのに、だ。

 修行の時期が終わり民間病院へ派遣、となるとこういったグループ分けまでは無くなる。しかし、しばらくいたグループへのこだわりが続く。ついつい「こういった特殊機器を揃えていただきたい」と主張する。

 こだわりグループからやっと解放されたとしても、そのグループでなくなった事にどこか違和感・不安感を感じる時期がある。宗教から抜け出すときは、こういった感覚なんだろうか。

無個性

2012年9月26日 映画

 ハイビジョン映画は情報量がさすがに多く、もうケチのつけようがないほど画像が鮮明。音も大迫力。なのに内容がスカスカという、まるで製薬会社の説明会みたいなものになっている。

 いや、スカスカじゃなくても内容が追い付いてない、とでも言い直しておく。それにもっと例えを変えると、デートのプランを充実させたのに肝心な会話が全く盛り上がらないようなもの。お見合いパーティとかも、そうなのかな。

 しかし、それでもとついていく。いいところを探そうとする。それでも何かの訓練だと思う。無駄なものはないとする。今後の人生、避けられない無駄なものはたくさん存在する。そういう意味で、コンパクトな映画鑑賞(駄作の場合)は貴重なテキストではないだろうか。

滝流しそうめん

2012年9月26日 連載
http://www.takinagashi.com/

 兵庫県の北にある、山奥の峠。そこにポツンとそびえるそうめん流し。雰囲気は昭和の時代。この旧態依然としたものが今の日本を支えて・・いるのか?

 日本のあらゆる店がコンビニや便利会社に乗っ取られ個性を無くしていき、食や娯楽までが画一化。タベログの情報もなんだか怪しいときもある。

 しかし、それでも山奥では以前と変わりなさそうなものが残り続けている。流しそうめんも今後増えるとは思えないが生き残っていてほしい日本の文化の1つ。

 えっ?5回ほど流れてきただけで650円?ほー・・・もう1回食べたら1300円か。こういった時代を支えるためなら、補助金込みということで!

 新入り医師へ。たとえばこういったとこへ行きました。となれば、以下のことを聞かれたら正確に言えるように。

・ 何キロあった?時間は?
・ 標高はどれだけ?
・ 釣れる魚はなに?
・ 定休日、営業時間
・ 育つ植物
・ 何県のなんという町
・ いつからの営業?
・ 何県ナンバーがよく来てた?
・ 何川が流れてる?
・ 近くにスキー場は?いつオープン?

 まずは、医者の質問に答えることから慣れていけ。

医局での会話

2012年9月26日 連載
 これから医局に馴染んでいかないといかない、そんな医師らにアドバイス。新入りのそれ以外は、ほとんど年上だろう。いまの30~50代前半はすでにパソコン世代で育っておりネットワークができている。ある情報が正しいか間違ってるか分からないと納得しない。

 したがって、曖昧な情報提供は避けたい。出身地などのプロフィールも正確に。今日見たニュースの話、スポーツの成績にしても正確な数値で伝える。おいしい店も、自分が言ったか人から聞いたか。医学の知識も出典がどこからか。人事の情報も、どこから聞いたかなど。キーワードを与えれば、彼らは余り時間に検索したりもする。君自体が、新しいキーワードのようなものだ。

 50後半以降だと老後の心配があり、子供の独立による開放など新たなデビューを求めている。ネットの洗礼もそこそこか少なく、自らで得た経験・知識が多い。なので苦労話もよくしてくれるし、歴史や起源に造詣が深い。なのでそういう話をいったん始めてしまったら、それについて独学する必要が生じてくる。興味のないことに興味を持つためには、まず騙された芝居のもと知識を詰め込む必要がある。

 あーいやいや、スポーツ観戦やゴルフ・釣りなどで話が合えばもうそれで列車は走り出す。でも、くれぐれも・・・共同経営、投資の話をする者とは付き合わないように。

 とにかく「登録」つまりサインするような状況には敏感であってほしい。サインは「私の責任で同意します」というようなもの。そのサイン用紙は用途を変えられることもされるし、そのもとで発生する(他人の)利益が出るし、法廷でも不利となる。医師は他人にとって<打ち出の小槌>のようなもの。だからみな、医師になったとたん優しくされる。








 受験の秋でもある。統一試験などが行われ、ランキングを競い合う。記憶力、カン性、センス、応用が問われる。

 各科について、いまの生活にどれだけ役に立っているのか正直に述べよう。

<国語>
 医学で読む文章に、会話やストーリーはない。ただ論文では要旨→前置き→本論→結果→議論→結論という順番で進んでいくので、それらを口頭でも説明できる能力は問われる。事実とその前後説明。行間まで読むようなことはない。そうすると、ただ、語彙が豊富だといろんな場を乗り切れる。日本語への早いレスポンス練習という意味で、現代文はトレーニングになる。古文・漢文はせいぜい医師会同好会の遊びに役立つ程度。

<数学>
 基礎医学方面に進む場合、それも生化学・生理学など役に立つ・・?というのも苦しい。医学で立ち上げられた公式はかなり難解なものが妥協して簡略化されたもので、それを利用したうえでの応用となる。それに問題が与えられてそれを得くものでもない。呼吸生理・麻酔科でも基本は足し引き算だ。なので数式の理解では呼び起こすものはあるが、受験知識が活躍することはない。

<物理・化学>
 製薬会社の説明で、何が何に作用して・・・あるいは論文で仮説を立てたり文献を理解するうえで、考え方が参考にならないでもない。しかしやはりそれもすでに与えられた構図が事前にあるのであって、公式を利用してというものでもない。特に製薬会社の説明は、理系の脳を満足させるような効果でもってるのかもしれない。

<社会>
 これはもう、まったく機能していない。高齢医師との会話に役立つくらいだ。歴史に詳しい医師は多く、中年以下はゲームの影響が大きい。「戦国時代」「三国志」「満州事変」あたりは押さえておくと・・かえって付き合わされる羽目になる。

<英語>
 いや、これはもっと勉強しておくべきだった。ただ受験はスピーチ重視でないから話は複雑だ。できればせめて大学時代に聞く、話す能力を身に着けておくべきだった。前にも話したが、論文でも高みに行くほど日本語が通用しなくなる。英語で聞き、英語で理解する必要に迫られる。海外の発表に行けば英語の質問が早口で飛んでくる。海外の友人ができるかどうかも、ここで決まる。


 総括すると、英語はできるだけやっておくべきであるし国語・理数系はまぁ・・・引き出し程度かな。雑木林で見つかるタンス預金みたいな。












 見学にやってくる医師(常勤・非常勤・学生に限らず)で、最近見受けられることだが・・・

 いやいや、無言でじっと見つめられる。そんなことには慣れている。それはいいのだが、マナー的に気を付けてもらいたいことがある。

 手技を見てそれを盗もうとするのなら、その手技の準備よりも前に早く来て、その手技がすべて終わってできれば後片付けの手伝いまでするぐらいのサービス精神で臨まれたい。途中から突然現れたり、スッと出ていくのは社会的論外。

 旅行のツアーでもそうなのだが、あまりに予定がキツキツだと記念写真や名物に追われてしまい、現場の大変さや生活感を感じることができない。それと何より、スタッフに言いようのない不快感をもたらすことがある。いや、不安感がなくとも、ポロッと落ちてくるようなボタモチ情報を逃すことになる。

「ああ。あいつは真面目に見てたね。最初から最後まで」と、僕らは医局で話す。第一印象は、こういうことで決まっている。


 まあここまで持論をオープンにノベられると、かえって潔い。そりゃそれだけ意見を出せば周囲からつつかれるし。矛盾も出てくる。突つく人間に限って、確固たるワールドを持ってないだけに。

 小林よしのりの語り口はマンガの編集をうまいこと利用しており、剛には柔、柔には剛、といった感じで対応する。熱には冷を、冷には熱を。数段階の感情によって、読む者の気持ちを高める。

 病院関係の本も、彼ならきっと上手に書いてくれるものと思われる。



 ゴーマンかましてよかですか?



 参入に法外な手数料を要求し、言うこと聞かない病院は村八分。医師会という存在が医療の進歩を遅らせているのだ!

 こんなふうに。


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