そろそろ、各医局で行われているであろう歓迎会。4月に新入医局員を迎え入れ、聞きたかったその好奇心が一気に爆発する。酒の席で。
みんなの関心事はこうだ。いずれも、答えを準備しておく必要がある(くれぐれも、やめた病院の愚痴や別れた女関係の経歴はご法度)。
・ 家族構成
・ 経歴
・ 知り合い・コネ
・ 自分との接点
・ 特技
・ 医局の印象
そう!「この医局の印象」!これだ!
「まだ来たばっかでして・・・」
そんなわけないだろ!と、誰も言えない。
「みなさん、非常に個性に溢れていて自分についていけるかどうか」
いやいやいやいや!
関西人のテレの言葉が、この「いやいやいやいや!」4連発。
思わず言わされるほうは、妙な満足感を感じる作用がある。
歓迎されたほうは、逆にどんどん酔わせてやれ!
ま、新人がそのあとどう化けるかはいろいろ。
例)1年後の飲み会
「俺、びっくりしたよ最初!みんな妙に優しくて、ほんとマジかって。そのあと?騙されました!以上!」
こうやって、過去をどんどんネタにしていけば面白い。何度も裏返す卵焼きみたいに、どんどん味が変わっていく。焦げ付く前に、当直除隊だ!
みんなの関心事はこうだ。いずれも、答えを準備しておく必要がある(くれぐれも、やめた病院の愚痴や別れた女関係の経歴はご法度)。
・ 家族構成
・ 経歴
・ 知り合い・コネ
・ 自分との接点
・ 特技
・ 医局の印象
そう!「この医局の印象」!これだ!
「まだ来たばっかでして・・・」
そんなわけないだろ!と、誰も言えない。
「みなさん、非常に個性に溢れていて自分についていけるかどうか」
いやいやいやいや!
関西人のテレの言葉が、この「いやいやいやいや!」4連発。
思わず言わされるほうは、妙な満足感を感じる作用がある。
歓迎されたほうは、逆にどんどん酔わせてやれ!
ま、新人がそのあとどう化けるかはいろいろ。
例)1年後の飲み会
「俺、びっくりしたよ最初!みんな妙に優しくて、ほんとマジかって。そのあと?騙されました!以上!」
こうやって、過去をどんどんネタにしていけば面白い。何度も裏返す卵焼きみたいに、どんどん味が変わっていく。焦げ付く前に、当直除隊だ!
君らはたとえば仕事をしてきて、<仲直り>をしたことはあるだろうか。仲直りというからには、その前に争いがある。争うのは意見の相違があるから。ただし不倫などのトラブル類は除く。
自分は病院で仲直りの場面とか、そうなったという話を聞いたことがない。1つはもう反省すること自体が年齢的にもはや不可能である、ということ。尾崎の歌にもあるが「従うとは負けること」なのだ。
ならなぜ争うのか、という疑問がわく。しかしそれが必然なら、争う時間は長いだけ無駄だ。しかし争うのは醜いものであり、幼稚であり今後の周囲を遠ざける。
ならどうやって争うかだが、こちらがアグレッシブなほうが有力に思えるがどうせ決着が着かぬのならパワーの無駄だ。いっそ放たれる矢だけ冷静に叩き落とせば十分だ。そうすれば争うことなく、相手もあきらめようぞ。
そういう話をして気を鎮めさせ、争いを避けさせた事例があった(数年前)。その友人がその数か月後に語った言葉。
「あのときはやられた気分だった。先生がそう説得すると、ああそうかと納得してしまう。そして家に帰って、あれっ?と気づく」
いたく感動した。しかしそのあと、余計な一言。
「先生には、その才能を別の仕事に生かせばと思う」
うわぁ。
情報の意外な収穫は<放課後>に残されている。放課後は学校生活でもそうだと思うが、1日でテンションが高い時間帯だ。朝11時が頭脳明晰とかいうが、それは仕事が片付く前の話。病院の診療でいったんカタがつくのが夕方の申し送り前。4~5時頃だ。
ところが5時くらいになると、秒針とともにゆっくり立ち上がり「じゃ・・・・お疲れでーすピッ(タイムカード)」と帰ってしまう。医局が空っぽになり、当直医が1人で無言でウロウロしだす。
自分はいつもではないが、この当直医を相手に数十分ダラダラと話す。常勤であったり、非常勤であったりもする。今日の診療であったことを、ひけらかしてみる。すると相手も話す。
よく考えれば、自分の話を1対1で聞いてもらうのはありがたい。家でワイフにといっても、女の受け止め方は違う。仕事内容はやはり同業者に。
なぜありがたいかというと、その日のわだかまりなど精神的な<よぎり>を吸い取ってくれるからだ。何も病院の仕事だけではないと思う。しかし、病院ではいろいろある。周囲の医原的な失態、患者家族の心ない対応、割の合わなさなど・・・これをそのまま家に持ち帰ると、話さずとも頭をよぎる。
この<よぎりの中和>が重要だと思う。よぎり続ける医師は、長年見てたらわかるがたいてい陰の方向に向かう。陰はやがて悲観・妄想を生み、無気力という形に昇華される。無気力は集中力を欠如させミスの温床となり、周囲より不要とみなされる。
<よぎり>を持って帰らない毎日が、理想的。
医大からの民間デビュー
2012年4月15日 連載 医大から中堅病院を経て、大学民間病院へ・・・それが自然な転勤の流れだと勝手に思う。最近は転勤が自由すぎて、医大から突然(関連病院でもない)民間病院へやってくる医師が目立ってきた。
民間病院はたいてい人手に困っているから、ラブコールは念入りだ。そしてあれこれ意見を聞いてあげようと思う。しかし経営側が歓迎的であっても「あとはよろしく」で、主には現場の医師との連携が中心となる。
連携というのは協力という意味ではなく(同じ患者を共観とかあるだろうが)、いやむしろお互い補い合う力を指す。この補い合うというのができるかどうか。
具体的には、自分が胸部専門だとして消化器の先生の患者からの流れを作ったり、ならばその逆もお願いできる関係。こっちが休んだら相手にも休んでもらう関係。ちょっと遅く残って無理する関係。IVHや挿管がうまくいかないとき、あるいは不在時にお願いする関係。困った症例の相談。聞き役。愚痴。メシ。
失礼だが、医大からいきなり民間病院に来ると「これは僕の専門じゃないから」と突っぱね1本で自ら孤立してしまう先生が多い。周りがバタバタしていても入っていかない、でも呼ばれたら行くというのも感じが悪い。
まずは何かをお願いして、お願いされる関係。逆でもいい。
医学生の時では(部活含め)決して学ぶことのできない貴重な関係だ。
民間病院はたいてい人手に困っているから、ラブコールは念入りだ。そしてあれこれ意見を聞いてあげようと思う。しかし経営側が歓迎的であっても「あとはよろしく」で、主には現場の医師との連携が中心となる。
連携というのは協力という意味ではなく(同じ患者を共観とかあるだろうが)、いやむしろお互い補い合う力を指す。この補い合うというのができるかどうか。
具体的には、自分が胸部専門だとして消化器の先生の患者からの流れを作ったり、ならばその逆もお願いできる関係。こっちが休んだら相手にも休んでもらう関係。ちょっと遅く残って無理する関係。IVHや挿管がうまくいかないとき、あるいは不在時にお願いする関係。困った症例の相談。聞き役。愚痴。メシ。
失礼だが、医大からいきなり民間病院に来ると「これは僕の専門じゃないから」と突っぱね1本で自ら孤立してしまう先生が多い。周りがバタバタしていても入っていかない、でも呼ばれたら行くというのも感じが悪い。
まずは何かをお願いして、お願いされる関係。逆でもいい。
医学生の時では(部活含め)決して学ぶことのできない貴重な関係だ。
一過性に意識を失うものとしては、低血糖、TIA(脳梗塞の前兆のようなもの)、不整脈のSSSなどあるが、若年では迷走神経反射(ワゴトニー)、それとてんかん発作の頻度が多い。脳外科に受診することが多いように思えるが、落ち着いている場合は開業医に紹介されていくケースが多い。なので内科でも珍しくない。
てんかんの発作が起きそうかどうか探るため、地震計のごとく<脳波>を記録する。数回行って念を押すこともある。明らかな異常波形、または疑われる場合は内服処方がなされ、以後定期的な通院が必要になる。血液検査で内服の血中濃度を測定するのは最低の義務だ(内服の量が至適か確認)。
ただ、今でも悩むのは通院に法的な拘束力まではなく、中には転院で情報が薄まってしまいそのうち自己申告的な内容になりがちなこと。主治医もそのうち変わり、古いカルテは処分され漫然とした治療にもなりがちだ。もっと困るのは家族が薬だけ取りにやってくるケースも。ドロップアウトも多いが、呼び戻す法はない。
そして、患者本人への指導。ここも正直、曖昧なところはあると思う。どこまで生活を制限すべきか。これは悩む。特に忙しいサラリーマンの場合、大部分は定期的検査を受ける時間もままならず、判断材料も少ない分こちらも甘い判断になりがちだ。結局、まあいいでしょう的な内容で利害が一致してしまい丸く収まる。これが果たしていいのか・・・。
原発でも学んだことだが「何も起こってないから大丈夫」的な考えから日本人は脱却しなければいけない。今回の交通事故は詳細が不明だが、自分なりにいろいろと考えてみることにした。
てんかんの発作が起きそうかどうか探るため、地震計のごとく<脳波>を記録する。数回行って念を押すこともある。明らかな異常波形、または疑われる場合は内服処方がなされ、以後定期的な通院が必要になる。血液検査で内服の血中濃度を測定するのは最低の義務だ(内服の量が至適か確認)。
ただ、今でも悩むのは通院に法的な拘束力まではなく、中には転院で情報が薄まってしまいそのうち自己申告的な内容になりがちなこと。主治医もそのうち変わり、古いカルテは処分され漫然とした治療にもなりがちだ。もっと困るのは家族が薬だけ取りにやってくるケースも。ドロップアウトも多いが、呼び戻す法はない。
そして、患者本人への指導。ここも正直、曖昧なところはあると思う。どこまで生活を制限すべきか。これは悩む。特に忙しいサラリーマンの場合、大部分は定期的検査を受ける時間もままならず、判断材料も少ない分こちらも甘い判断になりがちだ。結局、まあいいでしょう的な内容で利害が一致してしまい丸く収まる。これが果たしていいのか・・・。
原発でも学んだことだが「何も起こってないから大丈夫」的な考えから日本人は脱却しなければいけない。今回の交通事故は詳細が不明だが、自分なりにいろいろと考えてみることにした。
1つだけ、上手かった演出
2012年4月11日 連載 37歳で研修医・・・というのをやっていて半分で寝てしまったが、よくぞ描いたという描写があった。
それは、医者が怒ってその怒りでまた怒りしまいには譲れなくなってくる描写だった。草なぎを怒鳴る医者。淡々とする草なぎに、ますます腹が立ち所構わず怒る医者。
いやまさしく、現場はこれとの戦いだ。草なぎではなく、怒りで一段上がるそのプライドに対してだ。
医者という仕事をすると、毎年何かを達成していく。そのほとんどが自己満足だ。しかし達成感というのは恐ろしいもので、個人によって伸びが全然違ってくる。達成しない者は毎年同じ、する者は次々進む。いずれも直線で向きは同じのまま年を取る。
しかし、経験があればあるほど思わぬ事態に出くわす場面に遭遇する率が高くなる。絶対優位なはずの自分が、見下ろせるはずの立場の人間に正面から批判・否定されたときだ。そこで、同じ目線で考えることができるかどうか。それを越えて、お互い武士のように仲良くなれるか。
自分はちょっとまずいと思ったら、その一寸前で修復にかかる。1歩、まあ2歩までは譲る。そこからはケースバイケース。争うのは周囲の評価を得てからだ。
それにしても、医者の喧嘩は女と同じだ。合わなければ、もう会わない。
それは、医者が怒ってその怒りでまた怒りしまいには譲れなくなってくる描写だった。草なぎを怒鳴る医者。淡々とする草なぎに、ますます腹が立ち所構わず怒る医者。
いやまさしく、現場はこれとの戦いだ。草なぎではなく、怒りで一段上がるそのプライドに対してだ。
医者という仕事をすると、毎年何かを達成していく。そのほとんどが自己満足だ。しかし達成感というのは恐ろしいもので、個人によって伸びが全然違ってくる。達成しない者は毎年同じ、する者は次々進む。いずれも直線で向きは同じのまま年を取る。
しかし、経験があればあるほど思わぬ事態に出くわす場面に遭遇する率が高くなる。絶対優位なはずの自分が、見下ろせるはずの立場の人間に正面から批判・否定されたときだ。そこで、同じ目線で考えることができるかどうか。それを越えて、お互い武士のように仲良くなれるか。
自分はちょっとまずいと思ったら、その一寸前で修復にかかる。1歩、まあ2歩までは譲る。そこからはケースバイケース。争うのは周囲の評価を得てからだ。
それにしても、医者の喧嘩は女と同じだ。合わなければ、もう会わない。
最近の医療系ドラマが、派手な演出ものでなく死期に近い段階をじっくり描くものに変わってきているという。
人生を4期に分けるなら、1期が独身編、2期が夫婦・子育て編、3期が引退老後編、4期が養老編。4期は体が不自由となり、いかに生きるか、その生きる(食べる・歩くなど)そのものがテーマになる。
この4期はどうしても<死>を身近なものとしてとらえる必要があり、でもできればそれ(その考え)から逃げたいと思ってしまう。だがそれで自然と解決できるものではない。誰かの手が必要だ。
ただ、今は高齢者に財力がかなり集中していて家族のレスポンスも早い。今のところ医療も手厚いので、サービスはかなりのところまで受けられる。
自分が描いてほしいのは、今から数十年後・・・医療の自己負担分が増え、その家族も困窮しているさらにその上で発生する医療の必要性。人間性の低下した医療。そのとき選択される手段とは。そう考えると、今のドラマはまだまだ甘いものかもしれない。
人生を4期に分けるなら、1期が独身編、2期が夫婦・子育て編、3期が引退老後編、4期が養老編。4期は体が不自由となり、いかに生きるか、その生きる(食べる・歩くなど)そのものがテーマになる。
この4期はどうしても<死>を身近なものとしてとらえる必要があり、でもできればそれ(その考え)から逃げたいと思ってしまう。だがそれで自然と解決できるものではない。誰かの手が必要だ。
ただ、今は高齢者に財力がかなり集中していて家族のレスポンスも早い。今のところ医療も手厚いので、サービスはかなりのところまで受けられる。
自分が描いてほしいのは、今から数十年後・・・医療の自己負担分が増え、その家族も困窮しているさらにその上で発生する医療の必要性。人間性の低下した医療。そのとき選択される手段とは。そう考えると、今のドラマはまだまだ甘いものかもしれない。
宇宙戦艦ヤマト2199。画はどこか<外注>っぽい作りではあるが、オリジナルをなぞる形でグレードアップしており、意外と好感が持てた。音楽も以前のが用いられているようだが、若干アレンジを加えている。現代っぽい分、貧乏感は一掃されている。なので、悲劇があろうと雰囲気が軽い。ささきいさおの歌とかなり距離があるがそれも一興だ。
でも好きなものを見るときは、なんとも時間が経つのが速い。とりあえず、キムタクのあの作品は・・・なかったことにできそうだ。
でも好きなものを見るときは、なんとも時間が経つのが速い。とりあえず、キムタクのあの作品は・・・なかったことにできそうだ。
近づきがたさ、というマイナス
2012年4月5日 連載医療訴訟以前に、(看護側の)発見が遅れた・報告が遅れたという事象がよく存在する。それにはさらに背景があって、「発見したがよしとした」「報告しようと思ったがしなかった」という単純な内容に行きつくことも多い。
さらにその背景を探ると、ナース側からドクターへの遠慮のバランンスの乱れがある。ナースからの報告は逐一全てではなく、必要な情報を必要な時に素早く与える必要がある。しかしドクター側に対して最初から距離があるとなると、その過程に支障を生じる。
さらに、その背景。そのドクターへの距離は、その威圧感に比例する。威圧感というのは何もふんぞりかえっている意味だけではなく、相手の聞く耳を持たない人格だ。それは言葉でなくても態度で伝わる。女性らは本能的にそれを察知する。
社会自体がコミュニケーション不足で、格差の距離も広がっている。上が下を威圧すると、下はもう近づけない。命令系統にも同じことが言える。したがって、これを変えられるのは上流の者ということになる。
医師もだんだんスタッフと打ち解けてくると、次第に本当の仲間ができていく。飲みに行ったり相談事も受け医療の枠も超えるだろう。
しかし医師はあくまでチームの一員であって、技術が上達してもそれは成長とは言わない。業者はそれを成長と取るが、奴らは医師を商品としか見ていない。技術が上達しても周囲とのやり取りが潤滑に行えないと、いざというときに患者が助からない。自分も患者も孤立するからだ。
残念なことに、自分の周囲の訴訟問題などの原因のほとんどは、医師の孤立がからんでいる。孤立しているため相談せず、ひたすら独立思考のため周囲を寄せ付けず、また周囲も寄りつかない。プライドから家族への説明や治療すら曖昧になり、結局どこかに穴があく。驚いたことに、わりと技術崇拝系の先生(内科でも)に多い。
ただ、特定の仲間ができればいいというものではない。限定された仲間は限定されてるだけに孤立した思想を持っている。これは周囲に壁を作ってあらぬ偏見さえ培養される危険を持つ。
そうすると医師の人付き合いというのは、あくまでも各部署まんべんなく、広く浅くオープンに、というのが理想だと思われる。特定の部署に固執しない。診療でも、好きなものばかりに固執しない。
新卒・転職入りはみんなの前で、まず晒されるのが常。自己紹介を短くでも頼まれる。ささいなことだが、みんなが注目するだけに今後ずっとそれが語り草になる(良くも悪くも)。
不器用なのはいいとして、ときにかなり傲慢なプロフィールをしてくる輩がいる。やはり医師に多い。
「こういう病院にしたい」とか「バリバリやります」「体力には自信があります」「お手柔らかにお願いします」とか、挑戦的な文面はやめよう。病院スタッフらが、何より嫌うものだからだ。病院スタッフらは、旧体制が強制的に変えられることを何より望まない。
「宜しくお願いします」だけではつまらん奴と思われるし、長いのも論外。せめて出身地だけでも。同郷の者が1人はいたりして、あとはそこに話題をふれるからだ。
イエスマンから始めよう
2012年4月1日 連載久しぶりのスタートだ。昨年の3.11以降、なかなか新たな気持ちで踏み出せる雰囲気ではなかったように思う。正月も世間はどこかソワソワしていた。未解決の問題もありすぎるが、少なくとも昨年よりは欺かれないよう頑張ろう。
病院でも新スタッフが揃う、ところは揃う。試験に受かった余韻も過去の栄光、イエスマンからの出発だ。新卒にしても転職にしても最初は何も分からないわけだから、上目使い目線でやるしかない。上の、旧来の人間が新入りをまず見るのは・・・素直かどうか。自分にとってどうか。豊かにしてくれるのか。その逆か。
まずは有無を言わさず、イエスマンから始めることだ。間髪入れず、上目遣いで顎を引き「やります」と即答することだ。
僕がカレーを好きになったキッカケは、小学生のときに読んだジャンプの「包丁人味平」だ。いろんな料理に挑戦するが、中でもカレーを研究する場面は興味深かった。
大阪でカレーのうまい店・・・は、さあはて、そんな有名なところは聞かない。あっても順番待ちだろうし、主婦らが先に店に座ってる。大衆的でそこそこ旨いところとなると・・・たいていCoCo壱番屋ということになる。
うちの病院の近くにもあり、新入り医師に「先生らはどこで外食されるんですか?」と聞かれたら、みんなでポーズをとり
「ココイチ!ココイチ!」
と賑わう。
「行こうよ今度!ココイチ!」「昨日もココイチ!今日もココイチ!ココイチ!ココイチ!」
叫び続けるほど、ますます行きたくなる不思議な魅力はある。
各病院も、以前ほどイベントをやってないような雰囲気がある。民間病院ほどナースは肉食系だが、医師は草食系の傾向がある。最近の医師ら特に40代以下は団体行動をさほど好まず、イベントの参加にも積極的ではない。
ただ忘年会だけは最低でも参加すべき行事だ。忘年会がひとまず終わると「ふー・・」と一息。これでしばらく、よそ行きの恰好しないで済む。と思いきや春。花見の時期がやってくる。ナースらは各詰所単位で行うことが多いが、医師らがご招待されるケースもある。
ところがやはりこれも最近の傾向だが、「酒は飲めません」「2時間だけいます」「明日は外来なので、この辺で」「芸は、ありません」などと雰囲気を興ざめる者も多い。これは何も病院関係者にとどまらない。もしソーシャル的に上な立場なら、こういうときくらい気前の良さを見せたいもの。不器用で芸なしでも、何か差し入れするとか。
最近、ハリウッド映画の中の戦争がやたら平和に感じられる。有名どころが出るとどうしても「そいつは簡単に死なない」ことが分かっていて、意外性が期待できない。
スピルバーグがからんでいるのなら、構図的には全能的な悪vs非力な善、という組み合わせになるはずなのだが・・・ところがどっこい、あの武器ではすでに勝っているようなものだ。
いま日本はミサイルが落ちてもおかしくない状況だが、その存在感だけで既にサスペンス、スペクタクルだ。どんな脚本でもいいのなら、ミサイルが国土に落ちてもはや戦争を避けられない事態になる、そんな話もありだろう。
ハリウッド的な運びなら、まず国土に1発目が落ちるが田舎のために世論の反発が盛り上がらず・・・しかし2発目は国の政財界を震撼させるダメージをもたらす。反撃は自衛隊がしばらく行うが膠着状態となり、国は徴兵制度を可決する。いや実は徴兵されるのは医師たちで、彼らは軍人としての訓練も受ける。兵1個師団につき医師1人が携わり最後尾にて守られつつ最前線を突き進む。ところがその師団が敵本土で全員拘束、医師はそれらを人質に<新将軍>の病気治療を任される・・・。果たして拘束された師団の運命は・・・?
どうなるんやろう。やはり黒幕はアメリカってことでいいのかな。となると、アメリカ空軍の協力は得られないな・・・。
スピルバーグがからんでいるのなら、構図的には全能的な悪vs非力な善、という組み合わせになるはずなのだが・・・ところがどっこい、あの武器ではすでに勝っているようなものだ。
いま日本はミサイルが落ちてもおかしくない状況だが、その存在感だけで既にサスペンス、スペクタクルだ。どんな脚本でもいいのなら、ミサイルが国土に落ちてもはや戦争を避けられない事態になる、そんな話もありだろう。
ハリウッド的な運びなら、まず国土に1発目が落ちるが田舎のために世論の反発が盛り上がらず・・・しかし2発目は国の政財界を震撼させるダメージをもたらす。反撃は自衛隊がしばらく行うが膠着状態となり、国は徴兵制度を可決する。いや実は徴兵されるのは医師たちで、彼らは軍人としての訓練も受ける。兵1個師団につき医師1人が携わり最後尾にて守られつつ最前線を突き進む。ところがその師団が敵本土で全員拘束、医師はそれらを人質に<新将軍>の病気治療を任される・・・。果たして拘束された師団の運命は・・・?
どうなるんやろう。やはり黒幕はアメリカってことでいいのかな。となると、アメリカ空軍の協力は得られないな・・・。
メタボという商品アイテム
2012年3月28日 時事ニュース
そもそもメタボという概念は、医師会にとって患者を取り込むための便利な口実のようなもの。基準を厳しくすればするほど健常人は<患者>になる。健診をする病院は限られ、もちろん医師会の傘下に集まるようになる。こうして金は集まる。
メタボの診断基準に従って、特定健診の検査項目も限られる。採血が中心で心電図をするかどうか、それで終わってしまう。こうして病院の手をあまり煩わせずしかも手っ取り早く<患者>を生み出せる。しかも患者を専門病院に取られにくい。
当然、癌に関してはノーマークのようなもの。できればこれまでの問診から本当のハイリスク対象を絞り込み、それに合った健診の内容を振り分けたいところ。
メタボも基準が変わるだろうが、できればBNPの採血、呼吸機能検査が欲しい。前者は心不全の予測、後者はCOPDの発見に。
ここ10数年いろんな健診を見てきたが、癌に関する健診はかなり手薄といっていい。旧態依然としている。かといってPETは人寄せパンダと化している。その中間が欲しい。
メタボの診断基準に従って、特定健診の検査項目も限られる。採血が中心で心電図をするかどうか、それで終わってしまう。こうして病院の手をあまり煩わせずしかも手っ取り早く<患者>を生み出せる。しかも患者を専門病院に取られにくい。
当然、癌に関してはノーマークのようなもの。できればこれまでの問診から本当のハイリスク対象を絞り込み、それに合った健診の内容を振り分けたいところ。
メタボも基準が変わるだろうが、できればBNPの採血、呼吸機能検査が欲しい。前者は心不全の予測、後者はCOPDの発見に。
ここ10数年いろんな健診を見てきたが、癌に関する健診はかなり手薄といっていい。旧態依然としている。かといってPETは人寄せパンダと化している。その中間が欲しい。
わが青春のアルカディア号!発進!
2012年3月25日 連載予告編で流れたセリフだが、これが本編で流れて鳥肌が立った。
WOWOWでようやく観ることができた。公開当時は中学2年あたりでアイドル全盛期。アニメはガンダム、999も山場を迎えており、いきなりハーロックではテンションが足りなかった。主題歌が渋谷哲平http://www.aigumi.com/man/shibuya_teppei/st_p.htmlというのも、今一つインパクトに欠けた。
ところが今見ると・・まぁ確かに地味な作りになっているのだが、松本零士の庶民性がほどよく生かされた作品になっていて(しかも商業的でない)感心した。子供には正直退屈な展開ではあるものの、友情というテーマを時間をかけてじっくりと大人向けに描いている。
ハーロックはヒーローなのに孤独だ。せっかく人類のための正義をなしても、逆に迷惑がられてしまう。バットマンにも通じる人間像。だがさらにハーロックは1対1の友情にもかなり固執する。この友情は今のスポ根にある建前的なものではなく、自己犠牲にまで通じるものだ。
君は患者のためにどこまでできるか・・・?そんな声が聞こえてきそうだ。当然、井上真樹夫の声で。
星くん。
<運用>をすすめる人間は、たいていすでに何かを失っている。なぜならその運用は、人に勧めている時点で自分にとっては<もはや食えないもの>のはずだからだ。末端の人間が末端に勧める。これほど信用できないものはない。
やはりお金はなるべく足し算で増やしたい。そこに掛け算が加われば、それはもうギャンブルだ。ギャンブル中毒の症状は何となくわかる。インベーダーゲームの頃に味わった。これから抜け出すのは容易ではない。
周囲のパチンカスと呼ばれる人間は、医療スタッフにも多い。共通するのは、喫煙、単純、短気、理系的思考回路、そして孤独。ストレスが背景にありまぁそれは分かるのだが、負けてもパチンコ行為そのもので元が取れると開き直ってしまう。つまりウソつきになる。するとAIJみたいになる。ギャンブる彼らは気づいてないのだ。その時間の浪費そのものが既に人生の破壊行為であることを・・・。
やはりお金はなるべく足し算で増やしたい。そこに掛け算が加われば、それはもうギャンブルだ。ギャンブル中毒の症状は何となくわかる。インベーダーゲームの頃に味わった。これから抜け出すのは容易ではない。
周囲のパチンカスと呼ばれる人間は、医療スタッフにも多い。共通するのは、喫煙、単純、短気、理系的思考回路、そして孤独。ストレスが背景にありまぁそれは分かるのだが、負けてもパチンコ行為そのもので元が取れると開き直ってしまう。つまりウソつきになる。するとAIJみたいになる。ギャンブる彼らは気づいてないのだ。その時間の浪費そのものが既に人生の破壊行為であることを・・・。
予備校専属の寮の試験にさえ落ちてしまい、仕方なく探して見つかったボロい寮。ここでの経験は、今でも生きている。退屈だが、聞いてくれ。
その寮はおよそ10人ほど収容できるもので、家主はそこのおかみさん。おかみさんの主人はエリートで、寮の真横にその豪邸がある。
初日つまり4月、一斉に僕らは集められる。このときのおかみさんから叱咤を受ける。そこに激励はない。
「みんなは、勉強をしにきたんや。勘違いせんといて。すでにご両親に迷惑かけとんや。勉強して見返すつもりでやらんと!」
こうして、僕らの寮生活が始まった。
続くのか?
いま各地でいろんな合格発表が相次いでいるが、もちろん不合格も大勢いるわけだ。不合格が決まったら、仕方ない。次の機会に向けてすでに揃ったライバルに差をつけなくては。そう、も、今から。もう始まってるんだよ、競争は!
確かに失敗したばかりの受験のテキストを読み返すのは悔しくて仕方ないが、よく考えてみて欲しい。人生でもそうだと思うが、間違えたり嘆かわしいことほど、記憶が鮮明なことはない。女に振られたり、人前で恥ずかしいことほどよく覚えてないか・・・?
向かい合って葛藤しながら勉強できる姿は、人生でそうあるものではない。合格の後に待つものは、惰性だ。惰性はダセい。坂を転がるだけ。でも目標が高いほど険しいほど、後で豪快に転がることができる。
好き勝手にブログ書けたりできるわけだから、今の苦労を合格後にストーリー化してみる、その1ページの価値のつもりでやってほしい。
今、第何話あたりかぁ・・・。第2シーズンあり?い、いやいや。