昨日のGTO

2012年7月4日 連載
 鬼塚の言葉はベーシックなもので思わず感動してしまうが、現実ではなかなか作り出せないシチュエーション。言い手と聞き手の関係だ。ドラマでは、言い手が発言する間、聞き手は黙って聞いている。理解もする。言い返さない。何か雷にでも打たれたようになる。

 現実的には言い手が発言する間にも相手の言い分というのがあり、そうなかなか覆せるものではない。下手したら、聞き手が途中で無視して離脱し、内容以前の問題になる。

 自分も言われたらなかなかその場では受け入れられない方だが・・・温泉にでも入って回想すると、やっと解釈できて自分のものになることがある。なので、言われたことにショックを受けたとしても、そのまま聞き続けて覚えておく価値はある。

 他人の意見は、いつか使えるアイデア帳のようなものだ。

仕込みに注意

2012年7月4日 連載
 4月に入局した医師も多いと思うが、やっと組織の仕組みに慣れてきたところだろうか。これからは疾患が増えてくるし暑さも鬱陶しいので、いつも20%ほどの余力は残しておこう。これはパワーという意味ではなく、たとえば・・・今日は救急を5件見てもう終わりのはずだがあと3件入るかもしれないとか、心筋梗塞がもう1人入るだろうとか、気持ち的なキャパの問題。

 新入りが入る前というのは、病院という組織ではきちんと仕込みを行っている。新入医局員が入ると確定した時点で、その後のシナリオがある程度変更される。だいたいそれは数か月後で、「ではそろそろ、これもしてもらおうか」というものだ。皆が嫌がる部署への配置、曜日の交代など。特に嫌われ者の隣になるようなケースが目立つ。

 何故かというとその理由は単純で、誰かへのしわ寄せで組織は成り立つものだから。バランスだ。これは今更気づくものでもない事実だ。してやられる人は、何度もやられ続ける。こいつは次もいけるだろうと、思われる本人の責任でもある。

 なので、自分がまだ浮ついた部署、つまりフリーっぽい立場ならいちはやく妥協してでもよりマシな部署・時間帯に自分を確定させる。動かせないマスを確保する。アタック25でも、さっさと隅を固めたら勝ってるだろう?ラストの問題には、多少不利だが。


http://jigokuno.com/

 なかなか、いいところを突いている。周囲にこういう奴、いるいる!病院の経営側にこんなのが!

 経営側に一族が入ると、ドラ息子みたいなのが入ってくる。経験・技術なし。しかし夢、大した度胸は持っている。ナルシストで、周囲が読めない。

 いや、医師でも堕落するとこうなる。3~5年目で早くも見切りをつけて、自ら伸びなくなるケースだ。10年目くらいまでは、怒られたり頭下げたり、なにより割に合わない待遇を受け続けなければならない。そうしないと・・・

「今日の終業マダー?」→「上司ウザー」→「患者ウザー」→「患者家族ウザー」→「説明ウザー」→「出勤ウザー」→「夜間患者ウザー」

 やがて療養型の病床勤務、救急拒否、当直なしとなっていき・・・

「昇給マダー?」→「嫁さんマダー?」→「サクセスマダー?」

 世間知らずのまま開業し、

「返済終了マダー?」→「患者マダー?」→「暇な職員ムカつく」→「話し相手ナシー?」

 で、結局たたむことになり・・・金のためふたたび勤務医に。

「今日の終業マダー?」→「上司ウザー」→「患者ウザー」→・・・

以下、繰り返し。




 ジブリは、王道を行く。何者の、真似でもない。真似事でない第一人者に巡り会えることは、そう少ない。そこらでAKBとか選挙とか言ってる人間たちが、バカに思える。それくらい、ジブリには他に追随を許さぬ世界観がある。

 医学も新薬やデバイスが出ようと、基本は同じ。患者と向かうべき姿勢は変わらない。分厚い医学書も、これまで悪戦苦闘してきた偉人らの日々の記録のようなものだ。補正されつつ、次の世代へと渡っていく。ただそれは手段であって方法でしかない。総合的に考えるのは、医師という人間だ。

 だがこの考え方が、このところ急速に冷えてきているのは間違いない。それは必ずしも、医師そのもののせいではない。ジブリにこんないい時代が、人が描けるのなら・・・人間はどの時点で変わったのか?

 そういう意味で、ジブリはつながってるはずの時代をなぜか超越しているといえる。

 
 バブルがもう来なくとも、それを生きた音楽はそのまま生きている。テンポの良いディスコサウンドは、今の効率社会だからこそ向いている。ディスコで踊るポンポコリン、いや各々は誰から評価されるわけでもなく、正直自己満足で踊っている。しかし、踊りに来たその姿に迷いはない。

 今は仕事が単調で量が多いという傾向だと思われる。つきたい仕事につけるケースは少なく、とりあえず数を速くこなす能力がないと、上からは評価されない。数 × 単価の世界だ。この効率が他人より秀でる必要がある。

 病院の仕事にそのまま当てはめたら怒られるが、外来や検査の効率は、それが問われる。患者1人あたりに割く時間など。検査・治療の中での決断の速さ。治療計画を立てる速さ。トラブルへの速い対応。

 次に何をするか分かってるか?・・・ということを自分は強調する。次の次が何か、トレーニングできているならあとは自分の動きで片付けていくだけ。終わりに向けて。その速さが時間を圧縮。自己満足的だが、結果も評価されるものでないといけない。

 ダンスのように常に繰り出すが、決して止まることはない。自己満足のようで、実は全力を表現する。迷いがないバブル期の音楽はそういう意味で、アドレナリンを高くする。

 ゆとり世代は、これを早く取り戻さなくてはならない。彼らは達成することをあまりしておらず、アドレナリンにも不慣れだからだ。

 






文句を言う前に

2012年6月21日 連載

 増税に次ぐ、増税。形はどうあれ、すべての都合悪いことは増税といった言葉に集約される。一体どうするの?という意見が湧き上がるが、いつまでも愚痴っては時間の無駄だ。

 なら、生活水準を下げることで対応する。ふだんの生活水準は人様々だが、いざというときにそれを下げる心構えができているかどうか、今後はそれが問われる。

 例えば、乗用車もってたら使用を減らす工夫、食い物を安い店に切り替える工夫、外食を減らす工夫に旅行を減らす工夫。今から考えて工夫するのではなく、考える前から想定する。平和なときにボケっとしている人々は、急な変化に過剰に対応できず、愚痴や怒りばかり言い続ける。ネガティブを言い続ける・・・これが本当の負け組だと思う。

 消費税が上がったとしても、次の手は必ずある。何か分からなくとも、何かは来る、ほら来ただろうと思わなきゃ。





 誰でも初心をもっている。医学生の頃または医者に成りたての頃、それを今の自分と比べてみる・・・久しぶりにそれを思い出す良い機会だった。

 初心を貫徹できるかはともかく、研修医時代につらい経験をしていないと、あとでは取り返しがつかない。つらい経験というのはそうだな・・・カラの雑巾を絞って水1滴出すまで入れ続ける力・・・のようなものだ。死を多く看取ったり激怒されることではない。

 もうちょっと詳しく言うと、カラの雑巾の経験とは・・・調べ物なら文献を英語圏外までも追求し、他局教授にまで相談し、資料室で埋もれるほどの経験。治療なら、患者のサイドでモニター患者交互にずっと付きっきりの経験。目が離せないという状態・医師の本能からだ。

 しかしツラい経験をしていても、後にふんぞり返る者が大半だ。楽になったら坂を転がるようになり、苦労の元を取ろうとする。一方ときに初心に戻り、乗り越える者もいる。これは非常に少ない人種だが、彼らは自分を客観的に振り返ることができるという特技を持つ。

 でもこれからは、それ以上に求められるものがある。情報の末端にいないことだ。現実はあの手この手で、医師といえど弱いものから葬られる。これをも出し抜く。その環境が患者を冷静に救い、ひいては自分の魂も救うことになる。

 違うかね?先生。 ←マツケン?



なにい?

2012年6月16日 映画
 80年代邦画に登場する医者はまさしくステレオタイプ。実際もそうだったと思う。病院の外でタバコを吸い、肩で風切って歩く。医者以外への言葉も「君。僕は説明をしてるんだよ」と紳士的に突き放す。対等な立場はありえない。

 さてここで、いま見ると面白いのが津川雅彦演じる医師像。患者・家族から理不尽なこと(クレームなど)を言われるたびに、

「なにい?」と目を見開く。

 僕らも周囲にモンスターがいたりして、この「なにい」状態になることはあるが、今の時代感情をそう簡単に表面化できない。

 しかし「あー?」「えー?」というのも下品すぎる。やはりここは、鷲津ライクに・・・

「なるほど。ではそれが仮に正しいとしましょう」

 相手の意見をいったん肯定し、Uターンして反逆する、ハゲタカ戦法!すると今度は相手が

「なにい?」

 となる始末。とにかく話し込む。会話の熱を下げないと、この「なにい?」が生まれる。恋人、親子同士などでも「なにい?」はありうる。

 今は国会が国民を置いてけぼりで、全国民が「なにい?」状態だ。それは反面教師として、無駄にはするまい。結果がそうなるにしても、過程に問題がある。日本は田舎国だ。田舎に住んでた人なら分かると思うが、そこでは勝手に物事が進む。「なにい?」でさえ漬物石の下敷きだ。

 まずとことん聞いてあげて、熱をさます。そこからだ!

 なにい~フララッシシュ!


大雨

2012年6月16日 連載
 この大雨に、台風接近ときている。老朽化した病院は多く、この時期またもや雨漏りに悩まされることになる。マンションでもそうだが、いくら外装を良くしても配管はそのままなわけで、老朽化により確実に劣化する。100年もつとか豪語していた最初の工務店も、時間の経過ですでに変わっていたりする。苦情は届かず、保証もなし。

 人間の脈管も、ある意味配管といえる。年齢に加えて太ると、なおさら内部は硬化する。ある程度流れていれば検査上<大丈夫>と証明されるが・・・数年後ついに狭窄ありと診断され、「おい!あのときは30年大丈夫だって言われたぞ?」と申告するも・・・

「はあ。わたしはそのときの主治医じゃないので、わかりません」

 医師もデベロッパー同様、変わったら最初のことまで存じない。苦情は届くが、さて保証は・・・。

め上のひと

2012年6月15日 連載
 いろんなナースと知り合うが、ターンオーバーが多い職業だ。引く手アマターだけに、辞めようと思えばいつでも辞める、と堂々と言い放てるところがある。

 多忙でも女性には適応能力があり、たいていの人は性格変えてでもやっていく。もちろん仕事そのものができなくて辞めさせられる人もいる・・・がそれはよっぽどだ。

 実際は、人間関係で辞めている人が多いと思う。じゃあ誰との関係かというと・・・目上の人。師長への不満が圧倒的。師長からマークされ、しかも内容が差別的、理不尽だという言い分。確かに密室で長いこと言われ続けたら、限界も来るかもしれない。

 医師との衝突で辞める人も多い。もちろんパワハラだ。その怖さはDVに近い。医師の発言だけに、決めつけ言葉の影響は大きい。あるいは無能な医師が多すぎて患者への不利益を目の当たりにし、病院そのものを離れるケースも。

 しかし、転職したとしても。なかなかどの病院も。凄いのがいるものなんだ・・・。例えば辞めたなら、イメトレして欲しい。もし今度さらに強大な敵が現れたら、今のうちにどうやって対処を考えるか?心にワクチンうっておかないと・・・

 い~き、なこと、起こりそうだ、てメーッヽ(`Д´)ノ !




2次救急

2012年6月15日 連載

 多くの内科医が2次救急を担当していると思う。外来・病棟の合間に呼ばれる救急車搬送。救急車で来るわけだから、当然まとまった時間がいる。しかし次の仕事もあるわけで、効率がないとダラダラしまう。

 救急車が来る。事前に情報を極力手に入れ、かかりつけなら過去の記録をあさる。救急車が来たら、ハッチ開き次第救急隊から話を聞きつつ大まかなバイタル、準備の指示。

 よっこいしょっとベッドに移し、周囲から情報を大声で受け取る。必要な検査を書きなぐり、遅い処置は手伝う。こちらとしては焦らさず、つまり皆の手元を冷静にさせつつ次に何をするかアピール。

 プライマリーな処置が終わり検査に入り、外から入ってきた事務員よりさらなる情報収集(内服・前医・家族の話など)。診断の大まかなあたりをつけての他科相談(ふだんの仲がものをいう)。無知がよぎれば同僚へのコール。

 検査は診断のためでもあるが、最悪ケースの除外のためでもある。除外をしていきホッとなる段階もあり、もしやという焦点も合わさり。振り子がふれるように、視野がいい意味で狭まる。

 情報がそろったら初心に戻り、1つ1つバカ丁寧に復習(漏れがないようにするため)。主観(印象)と客観(冷静上での診断)が一致したところで、方針を記載、発言。

 ボケっとしていたり、手が止まることを、何よりも嫌わなくてはいけない。





 まるで子世代3人で高齢者1人を養おう・・・ようなことを言いたげな統計だが、現実はもちろん違う。皮肉のようだが、未来の高齢者と違い、<彼ら>の多くは資産という武器を持つ。資産は直接出さなくても、持っているだけで威力がある。そのポテンシャルは想像無限だ。

 資産があれば、いざというとき払える能力があるわけだから、ここは見習っておく必要がある。自分らも今は健康でも、病気になって必ず誰かの助けがいる。仲の良い人がいても助けてくれるかは事情による。やはり他人の助けがいる。するとコストが発生して当然だ。金は可能以上に貯めておく必要がある。

 病院で思うが、すでに周囲から見放されていた人は入院しても誰も見舞いに来ない。勝手に音信不通になるタイプの人に多いと思う。気分次第で職を変えたり、同棲したり子供を置き去りにしてきた人々だ。そういう人々の多くは、病後老後にツケを払わされる。未来の医師も、今みたいに優しくはない。

 いくら長寿社会でも、孤独のまま病院でそれこそ何十年も生き続ける人も増えている。それもまた、増えるだろう。自分は幸い、今はまだ老後でない。今の周りにある友人、関係、環境、すべてが資産だ。

 と、思えばもっと人に優しくできよう。







梅雨

2012年6月15日 連載

 ハッピバースデイ、梅雨ぅーの時期(寒)。

 飲み会が盛んになってくる時期だ。不思議と、忙しいほど飲みに出る。で、また病院へ戻ってくる。医局でだべる。当直医の相談を受ける。その代わり、わがの人生劇場を聞いてもらう。長い長いトンネルの中。そこを出ると、またトンネルだった。

 どっかの記事にあったように、確かに容疑者逮捕のニュースのため原発再稼働ニュースが隠されている。ネットがなかったら、日本の国民はもっと騙されていただろう。いまの国民は国に疑わしくなったぶん、ちょっと賢くなったのではないだろうか。
 

http://ww5.tiki.ne.jp/~momotti/kage/hn100.htm


ねこ→(偉そうな)医者に置き換えるといい。



すると・・・


医者は だれよりも 自分が すきだったのです。



ほら、このほうがわかりやすいだろう?



やがて白いねこが出てくるのだが、読者はここでもう泣きの準備に入らざるを得なくなる。



この白いねこの存在感。文章的には淡々としているのだが・・・この存在感は、読者の何かを呼び起こす力があるのだろうか・・・?



さて。君の、白いねこは・・だれ?


病まない雨

2012年6月14日 連載
 どの医者からも聞くが、社会人年数が経つにつれて、精神的に病む人(医者)が増えてくる。じゃあどういった背景があるのか。

・ 多忙さ

 いや、でも充実している場合はこの表現は不似合い。だがいくら自分の興味ある分野でも、不本意な労働を強いられることは避けられぬ。特に、親友は選べない。特にチーム医療では、<親友>は義務付けられる。

 長時間労働よりも、人間関係に押しつぶされる罠がある。いざ困ったときにお願いするペア、愚痴を聞いてくださる飲み屋、犬、何でもいいから<ペア>を持て。鏡の中の自分?いやいや・・・

 それと、忙しさもいずれカテゴリが見えてくる。2度目、3度目と繰り返すうち<無駄>を省略する癖。技。手抜きとは違う意識で。そうしないと次への挑戦意欲が湧いてこない。

・ お金

 他人に相談すればするほど、いろんな美味しい話が転がっている。しかしそれはたいてい、持ちかけた本人がアメリカンドリームを手にするための詐欺話。それでお金をいったん手にしても、もう2度と抜けられないリスクを背負う。保証人など。

・ ギャンブル

 株や投信。落ち着きがなくなり、診療に身が入らなくなる。トイレに何度も駆け込む。引こうにも売れなくなり、大損しても開き直る。これを開業でも繰り返す。

・ 女

 つまり愛人。20代だとそこから老後まで面倒みることになる。そういう意味では割に合わない。だからといって熟女を薦めるわけでもない。これはこれで、怖い。宝石、マンション、手切れ金。病院の経営、人事をも揺るがす。

・ 孤独

 フェイスブックで脈絡がありそうながら、実は真の友人に恵まれない医者は多い。いや、むしろ医者が友人でなくともよい。しかし彼らはそのステイタスから、悲しいかな<ヒト>が寄ってこない。来るのはクズ業者ばかり。結果的に世界が小さくなり、自分の孤独にいきなり突き落とされてしまうのだ。


 いずれにも共通するものとは・・・?それは<ギャップ>だろう。幻想的なものほど大きなギャップ、しかし幻想だけあって現実に叩き落とされる落差が大きい。年齢相応に年輪を刻むなら、地道なギャップとして、自分が自分を認めるところとなろう。

 いきなりだが、吐き出すことは効果がある。泣く、話しつくす、議論するなど。特に<泣く>はいいことで、健全な泣きならば、次のステップは前向きが保証されたようなもの。映画鑑賞、読書などおすすめ。のび太のばあさん、100万回生きた猫などは、大人こそ泣ける話。









 








父の日

2012年6月14日 連載

 それにしても、<母の日>と<父の日>との盛り上がりの違いは・・・なんだ?極端すぎる。そういや母の日がカーネーションでも、父の日のそれはない。

 そういやバレンタインデーとホワイトデーにも、そんな格差がある。

 その答えは、今日立ち寄った大阪駅のルクアで分かった。そこでは女性関係の売り場が、どれほどを占めているか。それはもう、圧倒的だ。

 もちろんルクアに限らないが、商業施設はどれだけ女性(もの)に浪費させるか・・・もうそれのみが、日本の景気よもう一度、起死回生のカギ。

 男性も女性化したら別だが・・・いやいやそれは、過去のバブルの遺物だ。

初夏

2012年6月10日 連載
初夏

 大阪市内で渋滞するといっても、通り方次第によってはスイスイいけるところもある。信号のタイミングを上手いこと利用する。中央大通りなどの王道を走ると、そのタイミングの悪さに愕然とする。

  
 病院の外の喫煙ベンチに座るときまって、「僕はフォレスト・ガンプ」とやっていた頃が懐かしい。

 しかし自分にとって、この映画といえば「ドラゴン・ブルースリー物語」だろう。

 チャーララーラーチャーラーラーラチャーララララララー

 ジャーーーン!ララーラーチャーラーラーラチャーララララララー

 ジャアーーーーー!チャーラーラーラチャーララララララー

(略)

 チャラララ~ララ~・・・

   チャラララ~・・ララ~・・・

 自分の人生を振り返ったとき、その<ジャーン!>が頭を何回横切るかどうか。老後はゆっくり、チャラララ~・・ララ~・・・と終わったかと思いきや、また!

ジャーーーン!ララーラーチャーラーラーラチャーララララララー!

 
 バットマンといえば黒。黒といえば夜。

 真夜中、平穏な闇を突っ走る車。目的に向かう勢いで、黄色信号も急加速。急なコールで向かうとき、このような光景が浮かぶ。こんなとき、大阪がゴッサムシティとダぶる。

 真夜中の首都高速は吉川晃司・角松敏生という感じだが、ちょいと寂しい阪神高速はバットマンのサントラ:ハンス・ジマーがよく似合う。

 これはつまり・・・首都高から想起される眼下の風景と、阪神高速で想起されるそれとの違いによる。首都高は華やかさ・儚さそれと誘惑を描かせる。阪神高速はひたすら・・・ざわざわざわ。ざわざわざわ。
 映画の予告編が非常によく出来すぎていると、たいていその本編が見劣りしてしまう。だがおそらく、バットマン最新作はその期待を裏切らないだろう。

 なぜなら新バットマンは毎回、非常に<真面目に>作られているからだ。まず脚本が観客の想像を超えており、既出の作品の真似がない。あと、主役が暗い。予定調和でない。考えと行動が矛盾しているという葛藤。

 自分は、自分を犠牲にしてまで患者を24時間最優先している人間・・・ではない。自分と秤にかけてはいけないと言われそうだが、時間は必ずどちらかのもの。患者のための時間以外は自分の時間。しかしそれを逆に表現すると、いかがわしく聞こえてしまうから不思議だ。

 では果たして自分の時間を患者のために喜んで差し出すことが可能なのか・・・。いや、どこまで可能なのか。試されることがある。

 そろそろ、こちらも現実そのものを描くときがやってきたようだ。



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