思えば007シリーズも新作が出るたびに、VHS⇒LD⇒DVD⇒アルティメットDVD⇒ブルーレイときた。おそらく数年後には「3D」「4K対応」か「スーパーハイビジョン」とか出すんだろう。

 内服薬もこんな感じでリニューアルされる。10年したらジェネリックが出るので、リニューアル化するためグレードアップをはかる。降圧剤も合剤まで登場、降圧剤+スタチン(高脂血症のくすり)の合剤まで登場。いずれも「ジェネリックからの逃げ切りリニューアル」が理由に他ならない。

 ところで007のBOXだが、コアなファンに気になる点がある。今や破格の高額で取引されている「カジノロワイヤル」。この廃盤製品は2枚組。しかし今回のBOXのは1枚しかなく特典映像は入るという。クオリティが犠牲になるのか、それともリマスタリングを図るのか。



相互過保護

2012年1月21日 連載

 大阪の都会で勤務しているが、都会の賃貸でも高齢者は多い。実際は、青年~中年で住み始めそのまま子供が巣立って自分は高齢者のままその土地に・・・という時を経ている。持ち家の人々もそこを動くことなく、子供らは別で所帯を作る。

 歴然としたことだが、子は親とは住みたがらない。地元を離れて夫婦生活が始まったら、自分の好きなようにしたいのが本音だ。金に困った場合を除いて、高齢者との同居は正直苦痛だろう。

 このため、高齢者の方が入院するとキーパーソンはその配偶者または近隣の親戚。これもまた高齢者。説明しても、やはり理解が今一つ。いや理解できたとしても、決断に関しては全く権限を持たないケースが増えてきた。

 権限はわりと遠隔の<長男>がもつ。明らかに時代が変わってきたと思われる。以前は地元のキーパーソンは地元民が決めてきたふしがある。

 遠隔の長男はたいてい仕事が忙しいので、日曜日くらいしか来れない。無理して平日でも月1回で日帰りとか。ネットでいろいろ調べてきて、偏った考えにも影響されていることが多い。

 説明が終わっても病態はまた変化するため、また説明の余地が生じるが駆けつけて説明を聞くのは、また理解力の今一つの家族。家族からの長男への連絡も曖昧で独りよがりになっていく。医療スタッフとの解離が生じやすくなる。

 これからますますこの解離が進むと思われる。これは、両親が・・・長男なり自分なりを立てすぎてしまうために、悪く言えばお互いを過保護にしていった結果、家族の遠い精神的距離そのものを露呈してしまうことが背景にある。

 物理的距離が、そのまま精神的距離へと反映される・・・現代日本の精神病巣の1つと考える。


 





サバイバル

2012年1月21日 映画
 サバイバルもの映画の世界では、肉体的・精神的に強いもの、なおかつ運に恵まれたものが生還する。状況的には追い詰められ、希望の光が小さくなっていく。しかし映画なのであくまで<観客のために>助けられねばならない。

 病院、特に入院患者の診療。特に重症患者は最初、複雑な症例であればあるほどみな興味を持ち、大きなスケールでとりかかる。いろんな意見を聞き、治療法を決定、実行する。

 しかし重症化がさらに進むと投薬適応、検査方法が限られてくる。すると、わずかな情報から少ない手段でもって治療を進めなくてはならなくなる。ここで足踏みすると、助かる可能性は日々遠のいていく。週末だから主治医が病院に来れないでは、すまされない。

 それでも何かはあるはずだ、と考える。目の前には道が常に2つある。<いい場合>と<悪い場合>。なら、<いい場合>のありかを探そうと努める。目の前が暗闇なら、どっちを見つけるかも自分次第のはずだ。

 あるはずの<いい場合>を探そうとする行動・・・それこそが、医療での真のサバイバルと考える。





 

 
 朝ドラ・・は医者になって見たためしがない。8時頃ならカンファレンスが終わったり、病棟回診している時間帯だ。9時からの通常業務の前、いかに有効に時間を使うかという時間帯だ。

 しかし、病棟内のテレビなどからは流れているのが分かる。しかしドラマの内容は分からなくとも、主題歌だけは毎日聞こえるせいか反復効果的な記憶が残る。

 今でも記憶に残っているのはユーミンの「は~るよ~」のフレーズ、ウルフルズや山下達郎(ドリーミング・ガール)、ちゅらさんのケロロ、いやキロロ主題歌であります。いずれも医師初期の頃で半端ない苦労をしていた頃だ。

 ところでこの朝ドラ。大阪の大正区・・といえば京セラドームか。現代を舞台にした「第9地区」みたいな話か?と思ったら全然違う。あと宮古島。

 大阪に初めて勤務した医者が、患者に「今までどこの病院に?」と聞くと「ミヤコジマ」。「へえ!あんな遠いところに?なんで?」「全部そろってるから」「この患者、マジか?」

 いやいや、病院関係で「ミヤコジマ」といえば、もちろん大阪中心部「都島」の医療センターのこと。

 内心で誤解していた医者は、もちろん僕だ。1人でいても、思い出せば赤面する。
 きみ。人の愚痴を思わず聞いてしまう癖はないかい?一緒になって頷いてしまうかもしれないが、そう簡単に同じ意見はならんだろう。相手は愚痴に達するまで相当の時間をかけている。ならばこちらは何も数時間や数日で結論を出せるものでもあるまい。

 病院で聞く愚痴というのは、たいていが病院の経営側に対する不満だ。あるいは医者個人のこともある。愚痴を発するのは常にその下と相場が決まっている。下が理論的に正しいことは多いのだが、即座に物理的に変えられるものでもなかろう。なら「愚痴そのものが、非生産的行為なことに、異論はない。

 友好的な会話と言われればそれまでだが、相手の会話が愚痴ならば短く切ろう。長い一方的な会話ほど、人生で無駄なものはない。まるで極度に伸びた、1本の白髪のようにね。

 会話をどうやって切るかって?そうだな。僕なら・・・(携帯)あーもしもし?いま、行く。会話の中断は、僕らスタッフの特権だからね。

 
 何も技能がなくて、どこでもいいから働きたい・・・病院では医事課なら、雇ってくれる場合がある。女性の場合、容姿が良ければ開業医で割と採用率が高い。

 ただ、働く意欲があるといいつつ「どうしたらいいか分からない」を理由に堂々とぶつかってくる若者が増えていると思う。上層部からすると、それは部署のトップが何とか指導しろ、となる。しかしそのトップの言い分では「何度教えても失敗するので、任せられなくなる」というのだ。

 確かに下っ端が何度も失敗したら患者側に迷惑がかかるばかりで、時間の無駄にもなる。トップもトップで自分の負担が増えるばかり。そろそろその下っ端を呼び出して、本当に適切な職場かどうか、そいつのプライドに聞くべきだ。

 遅咲きのレイブルとやらでは困る。誇り高き「レイジング・ブル」(怒れる牡牛)を求む!


 関東からの先生が来ると、まずその喋りセンスに関西人が驚く。関西人は愛想で機嫌取りながら喋るが、関東人はそうではない。

「いえ、僕はそう思いませんが」
「それは必要だとあなたが思うなら、自分は構いませんけど」

 こういうのに、関西人は「ナニッ」となる。「ザ・シェフ」の味沢をみるといい。

『ご用件は何ですかな?』『私の知ったことではない』

 医師やナースらはそれもいい持ち味として慣れていくけれども、トラブルは多発することが多い。患者・またはその家族の話だ。

 関西の家族が詰所に寄って「先生から話が聞きたいのですが」と非・具体的によく要望する。非・具体的。これが関西なのだ。「どうなってんねや」というわけだ。

 関西風医師なら「そうやえ。まずは・・・」と順を追ってサービス的に説明するが、自分の知ってる関東医師らはみなこうだった。

「はい。話があるとは、何に関しての話ですか」
「どうなのかなと思って」
「いや、どうかなって。今は治療中で、判定がまだできてないんですけど」
「いや、今の先生がどう思ってらっしゃるか」
「それは分からないでしょう。結果も出てないのに」
「病気の状態は・・・」

パラパラ、とカルテの前ページ。

「ほら。この前、あなたに説明してます。病名はこれ。状態はこれ。次の判定がこれ。今話してくれと言われても、話せません。だっていきなりあなたが来るんだから」

 ここで、家族は「ナニッ」と思う。この「あなた」に。

 したたかな関西人は、ナニッ・レセプターをたくさん表面に出している。親しみのない人間にほど向けられ、時間の問題でそれに何かが引っ掛かる。

 しかし、家族も動揺して思わぬ質問が出たりする。

「家族としてはね。一刻も知りたいんです」
「あなたが知りたくても、分からないことは分からないんです。そうしか言いようがないでしょう。違いますか?」
「(ナニッ)」

 そこで、長男とかが登場する。関西の長男は手ごわいぞ!






 東北・関東から様々な事情で関西へ引っ越しを考えている医師たちへ。

 病院には全国チェーンもあるが、それは一部。関西にあるのは関西内チェーン店がほとんどで、そのチェーン店の数は少ない。グループ病院に面接したら、まず人手不足の部署にあてられる(後になって)可能性があるから、働きたい地方はハッキリさせときたい。少々遠くても、と言えば墓穴を掘る。地下鉄代の安い交通費で済まされる。

 じゃあ業者を通して、ということが一番安易ではあるが、依然述べたように芸能人と事務所の関係になるので、医師が事務所のマージンのために働かされてもいいのなら登録すればいい(そのマージンのための配置換えもありうる)。

 なのでまず居住区域をはっきりさせ(もちろん家族中心に)、その近辺での勤務をおすすめする。子供の教育水準・治安を考えるなら、大阪なら淀川以北(十三・三国のぞく)、神戸なら住吉・夙川など。いずれも緑地公園などに恵まれる。なお彩都は企業誘致の失敗で予定人口が激減で店舗も少なく、将来性はない。

 勤務体制に関しては大阪は夕方の診療がほぼルーチンにあり、終了は遅くて19-20時あたり。研修日を最初から1日取っておかないと、給与は足元をみられる。研修日に関しては常勤先の友人のコネで探していき、なるべくおいしいのを頂く。

 家族や自分の将来を考えるなら、価値の高い居住地を選び、その新天地(病院)では足元を見られないこと。

 自分の日記の過去分も、役に立つと思う。

 


 

たとえば・・・

2012年1月15日 連載

 循環器領域に関して勉強したいと、もう10年以上経験のある消化器医師が相談に来たことがある。同僚の医者だ。内視鏡以外あまり忙しくないから、という。

 まず病棟の患者を一緒にみることに。カルテ上の共観にして、毎日その動きを評価。検査所見、病態の解釈をまねてもらう。治療計画を立て直し続けるわけだが、教える側にとっては非常にやりがいがある。

 しかし、治療計画そのものが立てられないことがある。目の前の病態が流動的なときだ。循環器領域はそれが多い。絶えず変化する。なので「こういうときはこうする」的なことばかりしつこく公然と断言するスタッフは、実は無能と判断しマークする。

 同僚が言う。「何か特別な治療はないのか」。「いや、ない。こうやって随時、病棟をのぞくか問い合わせして、治療の変更の時期を伺う」「それはいつ決めるのか」「自分が見習った医師なりを参考に、自分の責任として行う」「どうやったら身に着くのか」「教えてくれるのは医師でなくその病態。なのでつきっきりになること」

 こういった段階で、彼は学習を諦めた。検査手技はとりあえず教わったからだという。検査手技か。しかし、こういったものは全病態の理解に比べれば部品のようでしかない。部品の寄せ集めで動く機関はない。統括する頭脳いわゆるシステムと、(労)動力が必要だ。

  

 

試験について

2012年1月15日 連載

 センター試験に限らず、ある程度試験勉強を進めてきた人間にとっては・・・すでに分かっている。どういう問題が来たら自分はお手上げか。ヤマが当たれば満点。外せば賭け。ダメなところは捨てて、基本問題を着実に・・・。

 なので、ある程度以上の点がとれない人はいつも同じ難問から逃げている傾向にある。いや、その難問については知ってるが自らの頭でじっくり(悩んで悩んで)取り組んだことがないので、ちょっと手を加えられると全く歯が立たない。

 医療の現場でも「ああ、その分野は俺ダメだから」という医師が割と多い。苦手なら恥かいてでも教えてもらったらいいのに、その労力そのものが嫌なのだ。これがまた、優秀な者に限ってきわめて多い。

 そのため、意外と<優秀な>医師に限ってその<ダメ>を避けてしまい、結局患者・自分にかえってくる。試験ではないので埋め合わせもできず、再試もない。これは訴訟・解雇理由の焦点にもなりやすい。

 この「ダメだから」と理由にしてしまうところが、医師のエリート意識の弱点だと思われる。





 こういったニュースとは裏腹に、厳しい現実が加速している。もしネットがなかったら、どうなっていたのか・・・。

http://atmc.jp/fuku1/#v=H3rPQJFVTLw&t=3

 だから、ネットに疎遠な人々はこういう情報にあまり<触れなくてもいい>。言い方を変えると、見たくない聞きたくない信じたくない・・という心理にとっては、非ネット環境は便利なものだ。もちろん高齢者らを指している。高齢者は票と金を握っているので、政府からすると穏やかであればいい。それでか・・認知症の薬の開発があまり進まないのは。

 それにしてもまた放射能の増加となると、これはもう真剣に住むところを考えなくてはいけない。友人らも近辺にいる。いまの国民の敵は政府そのものだ。予想もしなかった相手だ。だが幸い、ツイッターなどでの呼びかけは盛んだ。すべて信用するわけにはいかないが、なるべく全てに目を通すことでメッセージをスクリーニングできる。


 

20%のゆとり

2012年1月8日 連載
 学生自分の勉強はあまり役には立たないが、試験というものはそれ相応のトレーニングだと感じる。

 テストは時間が限られていて、難しいものほど時間の割き方が重要になる。簡単なところはチョチョイと進んで、比重の高い文章題にゆっくり時間をかけるのが理想だ。

 しかも見直しの時間も重要なため、ある程度のたとえば試験時間の1~2割は残しておきたい。「あっ!」と思わず声が出て消しゴム取った経験は誰でもあるだろう。

 要領が悪い人ほど馬鹿正直に1から同じペースでやっていくから、時間も足りないし文章題もおろそかになる。結果的に、いい点数が取れない。日頃の勉強も1ページから丁寧すぎる。

 予備校でもいいクラスにいるのに毎年うまくいかない人もいる。不思議だがそういった現実がある。

 病院でもそういう医者は・・いやむしろ多い。外来にしても1つずつ、1つずつ、救急受け入れも時間があれば取る、空いてないからダメ。カテーテルなど処置も、今日は枠が一杯だからもう無理、というふうに。自分のペースでキャパを読んでしまう。経営的にはマイナスだ。

 経営者にはゴマをする必要はないが、それではむしろ相手側に読まれてしまい、他の医者との有意差が出ない。与えられた時間が限られているなら、ほぼ有効に使う姿勢は貫きたい。

 ほお、ならすべてやってやるというのも不正解。大事なのはいやそれでもと、枠だろうと時間だろうと「今のペースをちょっとずらしてもう一声」といった気持ち120%の精神が、行動が取れるかどうか。非常によいバランスだと感じる。

 つまり、日頃は制限時間のうち80%ぐらいで仕上げる試験のつもりで。残りの20%が余力。ここを<無理して>利用できるようにしておく。

 ワイフに対するサイフ事情も実は・・・。5万持ってて外では6万。それくらいが理想と感じる今日この頃。

 だがみんな。女性は男性が思ってる以上に、多くヘソクリしていることもお忘れなく。









 セクハラのニュースが賑わっている。

 病院でもセクハラ話は多い。不思議だが医者同士というケースはまれで、あったとしてもそれは冒険的でなく<慎重に>行われている。社会的な影響を考慮してなのか・・・。

 恋愛なら、やはり医者+ナースの組み合わせが多い。セクハラのケースも多いが、それとなるとむしろ医者+事務員・技師らのパターンが多くなる。

 これはつまり、ナースらはなかなか「孤立させにくい」「徒党を組む」「仕事にけじめがつかない」ような理由があり、事務員・技師らだとその逆が期待しやすい。孤立しやすい立場にあれば、日頃の不満が多いことも背景にある。もちろん、その対象は若い女性に限る。

 でもその末路を見ていると、こういったケースになるのがオチだ。

① うまくいった場合

 不倫・掛け持ちで継続⇒そのうち子供ができる⇒揉め事⇒お互い仕事に支障⇒女性側が退職、医師は厳重注意⇒居づらくなり退職

② うまくいかなかった場合

 女性側からの訴訟騒動⇒病院側による隠ぺい努力⇒時間による風化または医師退職⇒医師、同じ過ち再び(同院か他院にて)

 そう、いずれも仕事に支障をきたすんだ。キモは①の「子供ができる」、ここにある。不思議なことに、子供が多くいる医師ほど、よそで子供を作っている。






 大地震が近いうち起こるものと想定するとして、まず全国レベルでなく自分の街その周辺のサバイバルを考える。

 病院勤務中だったらどうか、自宅ならどうか。とりあえず必要な物品はあるか・・・。3.11以降にモノ騒動があり、パニックを疑似体験した。イメージトレーニングともいえる。ただ、このイメトレの緊張感があまりに持続したため今は麻痺してしまっている。

 日本の経済は壊滅状態になるだろうが、まず家族。仕事場の患者・スタッフだ、自分にとっては。

 せめて、最悪の状況下でも震えず対処できるくらいの心の準備が必要だ。常に、最悪の状況下でもって考える。最近、それを忘れていた。

 
 ・・がやってきた。インフルや胃腸炎、気胸に胆のう炎、入院適応の患者がどっと増えてきた。よく患者が集まる医師ほど重症患者が増え、さらに仕事が増えるジレンマに陥りそうになる。

 医者はたいてい春から勤務してくるから、ここらで真に試される。何を試されるかというと、いかに割に合わない自己犠牲を出しつつも粘り強く戦うか・・・そこにある。上も、それを見ている。カッコよさは関係ない。でもテンションは高くなる。そのテンションを大事にしないと・・・!

 冬に敗れた者は・・というと、ちょうどこの頃考える。ああ、もっと楽な職場はないか、と。敗れたことにしたくにからだ。オンラインゲームの終盤で電源切るような。いや、この逃避感は敗れてなくてもふと頭をよぎるかもしれない。

 ああ、でも去年そう思いつつ、今もまたここにいれたんだ。それでよかったよく頑張った・・・と思ったとき初めて自分に敬礼できる。<自分が好きかどうか>女どものセリフによくあるが、自分はそういうことだと思う。

 最初から重傷を想定してとりかかろう。風邪は肺炎、頻呼吸は心不全・喘息、腹痛は穿孔、激しい頭痛はクモ膜下、というふうに。思ったほどでないと確認できたらそのテンションで、すぐ次へ。


本木のつづき。

2012年1月6日 連載
「よっしゃ聞け!医者をな!1つにまとめるんや!」

(屋根の下)「ほう?1つに?」

「たとえばやな。この町の。大阪の1つの町の医者を。1つにまとめるんや。医師会言うてな。統率すんねや!」

(謙)それは画期的だった。彼は医師会を立案。各病院を統括し、情報共有を行い、その町の医療治安をはかる。常に行き届いた医療サービス。彼らの夢はすでに欧米をはるかに・・

「もうしゃべるな謙!俺のセリフがなくなるやろ!」

(謙)彼は怒って瓦を投げ飛ばした。1枚1枚。屋根の下へ。

「おらおらおら!頭のかったい、医師は石!」(歌?)

(謙)こんな若造がまさか、医師として務まるのか。それは誰しもが思うであろう。彼の修行は3年、そのまま開業。まさに、医師の上にも3年であったことは。子規の俳句でさえも寝返る勢い。いや、むしろ寝首をかかれたも同然。


韓国文化

2012年1月6日 連載

 確かに韓国音楽・ドラマが電波で乱入してくるが、不思議と観れてしまう。聞けてしまう。生理的に拒否は働かない。どうやら、その分かりやすさがそうさせるようだ。

 ドラマもいたって単純だ。いや、その訳し方がそうなのか。
「料理が」「試験が」「あなたが」内容も日常。抽象的なものがない。でも真剣だ。この単純さと真剣さが、日本人の一部を惹きつけるのか。

 KARAの音楽も聴いたが、お約束のような音楽。意外性がなく、不快でもない。嫌味というか、嫌さがない。

 だから決して、韓国メディアが全てくだらない、と言い切れない。まるで日本の開業医が存続する理由のようにも思える。

 (渡辺謙ふうに)

 彼らは単純だ。真剣でもある。ただし、自分の経営にこそである。経営に真剣だからこそ、明日を占うことができる。それが日本の医療を支える原動力であることを、我々は願ってやまない、ことは・・・実に想像に。難くない。

 ああ、でも本木が反論しそうだ。

「じゃあ、なんじゃ?開業医がみなタヌキみたいに太ってからに。借金はこさえるわ、女はこさえるわ。2世に病院つがす前に、2号さんにみな取られてまうで?」

(屋根の下のみんな)
「わっはっはっは!」



いまさら探すCD

2012年1月5日 音楽

 吉川晃司の初期のアルバムには独特な浮遊感がある。最近また巻き返しをはかっている彼だが、声に威厳が加わりすぎて、別物。

(以前)「すべてはこのぉ~よるにぃ」スタイリッシュ。
(現在)「すんべてはあぅ!くおのういやあるうに!」ねばい。まるでヘビ。

 田舎の人間が上京して、変わり果てて戻ってくる吉川アイテム。道端で親族に「お前。都会で何があったんだ?」「知らね」とクシで頭をとく。両手にべったり香水。長いサイフのブランドもん。親族の集まる中、突如轟く空ぶかし。

 今回の里帰りでは、それらを目にすることはなかった。

 

僻地にて・・・

2012年1月5日 音楽

 里帰りした実家は、僻地というほどではないが・・田舎であることに違わない。山もあり、海もある。しかしそのド田舎の景色は、ウォークマンで聴く音楽によって一変する。

 その衝撃は高校時代、セカチューに登場したようなオレンジのヘッドフォンをかぶせて・・・手探りで再生させたあの曲。「ライド・オン・タイム」から始まった。

 海に沈む夕陽が、漁船が、田舎道のリアカーでさえも・・・!PVの一場面と化す!携帯もなかったから、その孤立感はよりリアルなものだ。

 今ではふと用事を思い出し、曲のデリカシーに土足で乗り込む携帯通話。

「詰所・・?ああ、それ。いっといて」

 で、また切り替える音楽。非情なまでの割り切り。

 オオオラ~インドオンタ~イム!(とあるバージョンでのラストあたり)

 呼びつけで呼ぶことすら憚れる、スーパースター。浅田真央の優勝が、今年終盤の日本をホッとさせた。実力だけのぶっつけ本番で、本当に結果を出せる人間は少ない。

 これからは情熱だけではダメだ。結果を出すまで頑張ること。

 どんな嫌なことがあっても、人のせいにせず酒に飲まれず、正面から戦うべし!

 今日はもう寝るけど。

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