ああそうか、フランス映画だったんだ。開始時にそれと分かり、一抹の不安が浮かんだ。どこか見た顔が・・・ヴァンサン・カッセルだ!じゃあ、ジャン・レノはどうした?よかった。出てない・・・

 野獣カッセル、このとき48歳くらい。レア・セドゥ29歳あたり。約20歳差のカップルは美男美女とはいえ、ちょっと無理を感じた。だって、ヴァンサン・カッセルだから。カッセルといえば、言わずもがな無軌道不良アクション、「ドーベルマン」。だがライオン丸?になって登場したのだ?

「夕食を食べ損ねたわ」。レア・セドゥが悲しむ。

 夕食=晩餐=ヴァンサン・カッセル!

 それにしても、フランス映画の娯楽大作はCGの多用が露骨すぎ、演出も大げさ。画面の情報が多すぎて、頭がストーリーにいかない。というか、ストーリーを引っ張ってない。観た後何も残らないのは、そのためか。

 ラストの締めは、どこか「トータル・リコール」。

 教えてくれ。これは嫁なのか?

 ジャン!(闇)

 やはり出ると思っていた「インターセプター付き仕様」。これで走れたならなお良かったが・・・。

 それにしてもブルーレイの様々仕様。3D版があったりなかったり、特別ディスクがあったりなかったり。いわゆる<全部入り>が存在せず、マニアは複数バージョンを購入する必要に迫られる。

 総合病院でも、整形外科がなかったり脳外科がなかったり。循環器はあるがカテができなかったり。オペがまともにできる医者がいないのに大学から呼んだり。まあ背景には、医者が辞めたり条件がうんぬん、いろいろあるのさ。

 いきなり科がなくなったり、カテができなくなったり、いわゆる<チーム解散>というのが突然起こる。内閣総辞職みたいなのも。これはもちろん、意見を聞かない上層部への最後の怒り、と受け取っていい。過酷な勤務、非情な対応への激しい怒りだ。

 まさしく<怒りのデス・ロウドウ(死の労働)>だ!

 さきほど触れた「相棒」シリーズ。劇場版はいっそう、ひどい。様々な情報によれば、それは水谷豊のワンマンぶりにあるとか。いやけど、アイデア不足だろう。有能な人材が巣立っていった結果じゃないだろうか。それと、今は血を見せる演出などにかなり配慮が必要で、何か目立つと叩かれてしまう。

 しかし、主役を変えるともはや<相棒>ではない。イメチェンしても、刑事ものは続かない。「太陽にほえろ」「ハングマン(刑事ではないが)」もシリーズがしつこく作られたが、新しくなるほどひどいものだった。「スケバン刑事」に至っては、黒歴史だろう。

 

闇への好奇

2015年9月2日 映画

 アメリカのドラマがかなり当たり続きと聞く。以前のアメリカドラマは1回完結型が主流で、子供からお年寄りが楽しめる、<暴れん坊将軍>的なお約束があった。

 最近のは違う。途中からではまず分からない。しかも毎回意外性のある、いや悪く言えば不自然な展開が目につく。流動的なのだ。最初から想定してなかったストーリーが続いていく。

 どうやら<ツイン・ピークス>から変化してきたものと思われる。難解なストーリーに、ところがどっこい視聴者がついてきた。いや、ストーリーと言うより・・・殺人などのバイオレンス、一語で言えば<闇>だろう。

 闇というのは悪魔関係とか(何かが憑依した)動物パニックなどの世界だったが、人間の闇を描くようになったのだ。一見派手で明るいラブコメでも、常軌を逸した行動がウケている。あくまで脚本上でのものだが、闇が求める非日常、とも取れる。

 最近ではバイオレンスの描写が過激となり、セックス描写さえオープンになる。これからは映画でしか許されてなかったはずだが、規制が取れたのだろうか。作品によっては映画以上の過激さだ。

 これらの<難解><暴力><性>の氾濫そのものが、人の闇に対する好奇心を駆り立てている。闇は最後まで分からないもの。なので好奇心は止むことがない。

旅立ちの時

2015年8月27日 映画
 
 WOWOWで観賞。

 シドニー・ルメットの、そのヌメッとした描写にようやく感じ入れるようになってきた。洋画なのに邦画的。海外なのに近所的。ホアキンではなくリバー。「旅立ちの時」、というそれだけで完璧なタイトル。VHSレンタルの時は見向きもしなかったのは何故。いやその、パッケージのヒロインの表情があまりに鬱だったからに他ならない(この画像とは異なります)。ビデオを借りるときは、非日常を求めるものだから。それが今、日常を求めているのはどういうわけか。

 とにかくリバー・フェニックスのこのぎこちない演技を見てしまうと、デカプリオが道化に見えてしまう。いや演技は置いといて、話の運び、テーマそのものにやられてしまった。あまりにも切ない決断。

 おそらく男女で受け取り方が全く異なる。女性はおそらくラブストーリーとして、男性は自分を伸ばす、生かすための成長物語として見るだろう。前者は短期的。後者は長期予後。で、男性は自分を重ねる。本当の解放とは、自由とは・・・?

 いや、そこではない。解放を認めてくれる人。今がそうだよ、とそんな赦しを与えてくれるもの。ポイントオブノーリターン、なんでもいい。それを求めて、その瞬間を信じて僕らは難解に挑み、そこに留まらずにはいられない。自分を変えたいというより、変えてくれる何かに出会いたいのだ。

 これから、フロ掃除。磨いて変えるぞ!
 

 
 中学生が2人犠牲となった忌まわしい事件、続報が続く。そのニュースの流れの中、犯人はフェイスブックに無関係っぽい描写の足跡を残している。これは意図的なのか、アリバイ作りなのか。いや、彼自身が、その世界そのものがそういう世界なのだろうか。

 自分はもうやめたLINEだが、本当に嫌気がさしたのは・・・知り合い含めた他人たちが、もはや別の人格としてそこでなりすまそうとしている、そんな雰囲気を感じたからだ。話題性はいいことだ。しかし、それでは自分を表現したことにならない。送信をした時点で、それはもう自分でない。だがそれを、あくまで自分の姿として受け取ってもらおうとする。すると自己満足のゴミタメか。

 では、僕がいま叩き込んでいる文章は何か。うまく表現できないが、自己満足では決してない。悪く言えば、あがきの場だ。少なくともまだ満足いく形になってないから、こうして文章を打つんだろう。だからまだ、本当は<送信段階>の文ではない。

夏はホラー。

2015年8月20日 映画

 日々流されているニュースがホラー以上に怖く、未解決・意味不明なのが多い。殺人事件は海外のそれに近くなってきている。災害はいつ起こるかわからない。そうなると、実は十分ホラーの中にいるようなものだ。アニメのコナンが、今ではご都合主義に見えてしまう。

 ホラーの基礎は、闇だろう。物理的、精神的ともとれる。田舎の実家のトイレが離れにあり、そこを往復するときの恐怖感。電灯もなく闇、闇。いや電気がそこにあったとしても・・・

 最後は消して戻ってこなければいけないんだ。ギャー!

今年のNo1?

2015年8月18日 映画
 そういえば無駄なコメディながら超大作、といったものが久しくなかったような。大真面目な大作か、主役ギャラにもっていかれるコメディか。だが、この作品は違った。

 どうやらセス・ローゲンは面白い奴、らしい。ハングオーバー系統のアメリカ人は傲慢でついていけないが、彼の場合はギャグにも面白いこだわりがある。憎めない人間。ただ下品さから、女性ファンはでないと思う。

 その彼にジェームズ・フランコがピタリとはまるのが面白い。その他大勢の野郎が加わるわけだが、まるで循環器グループのような自己主張が炸裂する。あのデバイスはいい、あの薬剤はキレがいい、とか各自勝手に決めつけているような。

 それにしても「ザ・インタビュー」は製品化の話もないな。

無償の愛

2015年8月18日 映画
 学生の時は中途半端な作品と思っていたが、再見したときの感想はまるで違った。震災などのあとのせいか、「そんな終わりな状況に置かれたとしても、後世のためにしておく義務がある」。人生での役目はその後半部分にあると思った。

 ただ若い男性俳優が下手なのと、ホリー・ハンターが上手すぎるために残念なカップルと映っていたのが気になっていたのだ。男ならそこでなく、主役のドレイファスの器の小ささにに入れ込んでみるべきだ。そうなると、女性が観た感想とは大きく異なる。

 ああこれも子供の将来のために貯めておこう、これもあれも贅沢はやめて・・・私は涙の言い訳をする。煙が目にしみたのだと。
 

群像劇

2015年8月17日 映画
 なるほど。こんなアニメが売れるのか。AKBほどでないが最大公約数的にキャラをしぼり、サクセスへと突っ走る。夢が少ない今だからこそ。

 医師の人生でも、自分のキャリア上サクセスロードが・・最初はまあ平等にある。アニメ化したとしてタイトルで挙げると・・

<けんしゅう!>研修医。いろんな科を回れるオムニバス」ムービー。
<HOU・MON!>医局を離れ、サイドストーリー的に。
<いん!SAY!>大学院。何が面白いのか分からんが。
<リューねん!>恥ずかしい話になりそう。
<いきょくぅ!>医局での群像劇。対立する教授選がクライマックスか。
<ひ女(ジョ)ーキーン!>週1回しかバイトしない女医の話とか。
<かいぎょう!>もちろん開業医。萌えキャラらが奮闘。院長はイケメンだろう。
<僕が閉業した理由を誰も知らない>閉鎖した個人病院。
<いしかい!>萌えキャラが解説の医師会に、国策の臭い。
<めたぼん!>メタボの合宿でも?
<俺が外科くずれになったのはどう考えてもお前らが悪い!>こんな題名のアニメ、あったなあ。
<早急にサスナー!>手技での話。
<じゅんかん!>循環なのか、准看なのか?

 いかんいかん、どれもサクセスできそうにない。





 ティーガーとの一騎打ち。これに尽きる。関連ないけどディーガ、といえばパナソニック、といえばやはりライバル、ソニーからのリリースか。

 こういう軍事ものが出ると必ずミニ軍事アドバイザー、みたいなのがレビューに登場する。だがこういった人口は割と多く、医師でもかなり多くいる。理系だからか時代考証やメカには詳細さを要求するくせがあり、つまり正しいか創作かという視点もシビアだ。

 ありえないような徹底抗戦ではあるが、映画に重要なのはカタルシスだ。観る者の人生すら揺さぶりそうな、そんな経験をもたらすか。そもそも観る側にそんなポテンシャルやレセプターがあるか。あると思える自分は幸せ者だ。

 本でもなんでも。数分、数時間の経験の前に思う。このあと、自分をどう変えてくれるのか。自分は変わるのか。そういう意味で、自分はある意味宇宙みたいなものだ。

 果たして自分はFURYで変わったか?いやいや、ブラピからは学んだ。いい歳の取り方をしたい!本当の忍耐だ!

 ハリウッド映画がVHSなどの媒体としてパッケージ化される頃、その商品足りうる作品を連発してきたのがスタローンだ。分かりやすく、短時間で善悪明快。洋画劇場も手伝って、ある意味日本の国民的ヒーローだ。

 こうやって映画というものが生活に根差していたから、それ以外の作品はどうしても派手さや難解さで勝負せざるをえなくなる。派手さはCG、難解さは長編シリーズ化など工夫が凝らされるものの、やはり<基本>を超えることはできない。

 エクスペンダブルズもシリーズを追うごとに、ジェイソン・ステイサムのハゲが、いや影が薄くなっていく。それがまたスタローンの安定さを際立たせる。

ドラッグ野郎

2015年3月13日 映画
 大御所が亡くなるたび、往年の名作がリリースされたりするなんとも皮肉。だが、特にリマスターされたものは当時の興奮、いやもしかしたら今の新作を凌ぐほどの強烈な印象をもたらす。

 特にビデオもなかった当時のムービーは映画館での1本勝負だから、画面に入れ込む絵が半端でない。特にスコープで作られたものはそれだけで劇画的。

 トラック野郎などのかつての元気ムービーに散見されるのは、その<気前の良さ>。ドライブインでの大騒ぎは損得など無視した、好景気そのもの。ハイウェイの下の若者らにこそ貧困があり、彼らがチャンスを与え、運ぶ。それを具体的な現物である、トラックがもたらす。しかもブンタがポケットから鷲づかみに差し出す紙幣。現金。

 若者がそこで言葉をもよおす。
「えっ?こんなに?」
「いいんだ。とっとけ!」
「あ・・ああ。ありがとう!」
「じゃな」

 そんなところに、かつての自分が重なる。

親に対して
「えっ?こんなに?」
「ほう多いんか?じゃ・・」
「ああっ待って!いるいるいる!」
「金もらときだけ、うれしそうやの!」

5分後。自転車を走らせながら。
「っしゃ!あの台!絶対出したる!誰も座ってんなよ!」

 セロトニンやドーパミンに支配されていたかつての私は、まるで<ドラッグ野郎>。

ジ・オジン

2015年3月11日 映画
 安彦良和のキャラが際立っているのは、キャラの個性をいとも短時間にその表情でもって説明・表現してしまうところにある。つまり無駄な語りなしでも、キャラの性格付けが格段に上手い。OVAという限られた時間ならなおさらだ。

 しかし、いまどきのマーケティング戦略。商品が売れなければストーリーも続かない。あとあと面白い展開と分かっていてもだ。なのでどうしても色んな層にウケが良くなければいかず、2199の萌えDJみたいな不必要描写が加わっていく。

 そういう意図が、ファーストのファンであるオジン軍たちには見透かされてしまうのだ。彼らの想像力は、アニメの背景まで及んでいた。本編以外の想像力も豊富だったから、今になって実はこうだと言われても矯正が難しい。

 ああもっとも、ジ・オリジンのマンガ世代からの人は別か。なら、その人々はなおさら失望している点もあるんじゃないか。

 生き残っている声優たちが、まだまだ長生きでありますように・・・。

わが文化

2015年3月9日 映画
 STAND BY ME ドラえもん。

 今まであったようで、実はなかったような総集編。のようなものだが、それを2時間でまとめた手腕に脱帽。小学校の時はマンガ本、青年期にアニメ版、そして今回CGアニメ。それぞれの世代で視点が違い、解釈も異なるのが面白かった。これにおばあちゃんの話が加わったら、軍法会議ものだろう。

 しずかちゃんの父親が結婚式前に語る場面は、おばあちゃん話と双璧をなすようなストーリー。ただこっちはアニメ版のほうに軍配。既婚の女性らにこそ、ぜひ見てほしいと思う。ただ、自分が将来父親としてあんな立派なことが口に出せるだろうか。あの包容感には、今もこちらが包まれたままだ。

 一歩間違えば鬱アニメ的な回想感もあるが、自分のこれまでの軌跡を正面から見直すのに必要な教科書、ともいえる。

 そこには現在テレビで見るような、半島の力は存在しない。ああ、僕らは日本人なんだ。日本に生まれてきてよかった・・・。そんな誇りある文化が、ドラえもんだ。

 

シャングリラ

2015年3月8日 映画
 
 僕らは年とともに、許し、と恨みに支配されていく。いやたとえそれが医師の仕事だったとしてもだ。

 これは別に特定の人物あてのこととは限らない。かつての自分の行動、将来への呵責などを含む。最近当たり前のことに気付いたが、頑張るほど経験が増える代わりに、いろんな影が降りてくる。そしてその影は、次々と自分の体表面積を奪っていく。経験が浅いうちは跡形なく消えるものの、その後しばらくして浮き出てくるから不思議だ。

 僕と知り合いの数百人から総合すると、それは人生の40-50代に特に現れてくるのではなかろうか。ここでその影の揺さぶりに対して自分が破たんしてしまうと・・いや、多くがそれに陥るのだが・・その多くが以下の生き方を選ぶ。自分だけのシャングリラを目指して。

・ 素人的に大きな副業をする
・ トラブルがあるとすぐ辞める
・ 浮気、愛人を作る
・ 水商売に通う
・ ギャンブルをしだす
・ いきなり無口になる。無関心になる。
・ 詰所や病室にあまり行かなくなる
・ 救急患者を断るようになる

 いずれも逃避がからんでいる。しかし、それで何かが代償されるのだろうか?じっと自分に向き合っていれば、そんな結論にはたやすく行きつくまい。


 ファフナーの、あのセリフ。



 あなたは、そこにいますか?




 ジュード・ロウは惜しい俳優だ。出る作品ほぼ全てがジュード・ロウ。ジュード・ロウがコスプレしているだけだ。汚らしい恰好しても、それはただ単に汚いジュード・ロウにすぎない。最近レンタルの「ドム・ヘミングウェイ」はその集大成だ。これは発売すら見送られた作品だ。

 ハンサムな男でありながら、なぜ役になりきれないのか・・・?それはどうやら、傍から見て・・・コミュニケーションが取れてなさそうなところにあると思う。会話が流暢にいかず、歯切れが悪い。ラブシーンもどこか一方的だ。なので最近、異常者役が多いような。

 嫌いなわけではない。ただ、医師に割と多く見かけるタイプのような気がして。

 夜間、呼ばれて詰所へ。報告を聞き・・ボソッと指示。しました。次の指示。う~ん・・・指示。先生、良くなってませんの報告。様子見て。と戻る医師。この流れに、接続詞が見当たらない。

 不器用な人はまずカルテの記載から。順番に見て、こうだからこうなった。そんな小説のつもりで一貫したものになっているか振り返ると良い。



メンタルの弱さ

2015年2月26日 映画
 デヴィッド・フィンチャー映画のテーマだと思う。強大な敵、テーマ、欲望に取りつかれたとしても、それと戦う自分はあくまで1人。大きなことを言っても、しょせんは1人。それでも意地になり戦い、ついにメンタルの強さを試される。この一気に弱さに転じる変化がフィンチャー監督の見せ所!かと思ったがこの作品は・・・

 

 医師の仕事を長期続けるにあたっても大事なことだと思うが、メンタルを保つにはある程度の規則正しさが必要だ。同じことの繰り返しでなく、自分の決めたガイドラインが確固たるものであること。それは正しいものでないといけないし、客観性も要る。これに時間がかかる。

 不思議なことに20代で強く確立する医師もいれば、50代でも弱いのがいる。やはり基本に戻るが、つらい経験を自分で乗り切ることだろう。過保護や逃避があると、いつまでたっても育たない。

 これは親の教育にもいえる。過保護、逃避を与え続けられた子供は、自立できず、続かない。いまの多くの親たちが、子供を無力にする。

「進撃の巨人」

2015年2月23日 映画
 テレビシリーズを観ても完結じゃなかったから脱力。で、また再編集ときたか!だがこの作品の一番の盛り上がりは主題歌の出だしだろう。そこからは落ちていく。

 たしか1回目のが不明瞭なドイツ語?みたいなのから始まり、「ハッ!ハッ!ハッ!」の連打。最後は「ダーダダダダ!バアアアアーーーーーーン!」
 すかさず本編が始まり、「人類は・・」とけだるい導入で始まる。

 2回目のが気に入っており、「じゃじゃじゃフーウンへーヘンオートレー!」からすぐ「ハッ!」とテンポが速くなる。「アーアー!」とスライドする描写が堪らない。最後の「アアアンのアン!」もすばらしい。

 アンの、で思い出したが、風立ちぬの吹替えはホントひどいものだったな・・・。日本版ラジー賞はないのか?もしあれば・・

<トンデモ吹替え賞>
 庵野秀明 と それを鶴の一声で決めた宮崎、放置した鈴木

マーベル商売

2015年2月22日 映画

 マーベルヒーローを集結、ときには分散させはたまたスピンオフで稼ぐ手法。病院でも目玉医師をうまいこと利用することも可能だ。ただ映画のように各キャラ→集合、というわけにはいかない。まずは病院でのチームを確固たるものにし、分院を1つずつ建設、本院から1人1人分院へと送り出す。で、また戻ってくる。

 しかしよく考えれば、以前の大学病院はこういったことが自由だった。循環器グループなんて、カテーマン、エコーマン、ペースマンなど各分野の濃いキャラが揃う。互いが「俺が!俺が!」の世界観。協力して病気を倒す・・とはとても思えない。

 それにしても、経営側の意向でたまに集結させられるなど、たまったものではない。

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