ガス抜き

2012年9月8日 映画
 映画は、楽しんだが勝ちだ。ただ、ジャンルは気分によって使い分ける。忙しい時期だとロマンス要素は邪魔になり、戦闘的な高揚感・あるいはサスペンスのスリルを求め出す。

 この「バトルシップ」も体育会系の発散映画であり、難しい理屈など抜きに楽しめるように出来ている。観終わったら何も残らないが、今や映画の感想・裏方はネットに十分転がっているので、本編以後にも楽しみが残っている。情報の民営化の成功例だと思う。

 だが、医学の情報はまだまだだ。知識でなく、病院経営側の仕組みなどが十分明かされていない。でもおそらく、経営側・企業はそれらの情報はじっくり見ており<釣り>の道具として使っている。

 医師らが釣られ、個人情報が盗まれる。しかしそこを一斉に逆手にとり、今度はニセの個人情報をわざと盗ませる。開けてみたらカラ。そういった一斉攻撃で、悪徳企業が粉砕される。

 まるで、どこかの国がやりそうなサイバー攻撃だ!

 ミズーリの総攻撃、あれは「さらばヤマト」の都市帝国への一斉砲撃を思い出させるものがあった。

 そのあとさらに、巨大戦艦が出てきそうな予感は・・・外れた。


分かりやすさ

2012年9月5日 映画
 クリスチャン・ベールは顔そのものが特有で、黙るとそれだけで影ができてしまう。しかしこの「ザ・ファイター」で思ったのは、吹替えの上手さ。そっちへ行くか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B7%AF%E5%92%8C%E5%BC%98

 この人の吹き替えはヒュー・ジャックマン、ショーン・ペンでもお馴染みで、どちらかといえば頑固な一匹狼を演じることが多い。したがって、セリフ的にも独り言みたいなボヤキが多い。

 それと、ついでに状況説明も丁寧にしてくれている。たとえば・・

「あぁそのなんだ。チャーリーっていう奴がキングを殺したってわけか?あの素人チャーリーが?キングを?そいつぁ驚きだ!」

 内容の示唆よりも、アドリブで何となくストーリーまで読みやすくなる。会話でも淡々としている人間と話すと疲れるが、雰囲気も同時に伝わる<分かりやすさ>を持ってる人間はお得だと思う。それを、いいようにも悪いようにも持って行けるからだ。

「あぁそのなんだ。チャーリーが新しく着任するんだってな。チャーリーだ。あのチャーリーがだぞ?おいおい。こりゃ驚きだ落ち着いていられねぇ!歓迎会だの準備をしろ!幹事はお前。そ、お前だ」

 人にやらしてばっか!

 

 こうして無料放送ででもなければ、うっかり見逃すところだった赤毛のアン実写版。一番驚いたのはストーリーの意外さではなく、「アンの結婚」で登場したときのアン役の、その劣化ぶりだ。失礼!

 ともかく、アンはよく勉強する。いったいいつどこで勉強してるんだあいつは?という秀才が実際いたことを思い出す。テレビの編集版ながら、どうやらアンはスランプもなく安定した成績を収めていったもよう。

 あの婆さんも、得意の苦味つぶしが持ち味になっていく。自分としてはアンが低成績で「遊んでる暇があったら勉強しな!」とケツバットするくらいの威勢が見たかった。厳しい指導医に当たった者なら涙するはずだ。

 医者の大河ドラマもあっていいはずだ。

「赤ひげアン」(幼少)
「赤ひげアン 暗に青春」(医学生)
「赤ひげアン 暗に留学」(留学生)
「赤ひげアン 暗に年金」(老後)

 暗い話に、なりそうだ・・・!

 試写会では、もちろん。暗に涙。ぬいぐるみに囲まれCM。「絶賛、開業中!」

カジノ 化

2012年8月1日 映画

 カジノ計画には賛否両論があるが、そこに行く判断は個人に託される。しかし全体像で見ると、財政の収入源としては貴重なものとなる。むろん、それらがきちんとそこへ流れたらの話だが。

 ラスベガスに1回だけ行ったが、目を奪われたのはその派手さだけではなく、その治安の良さと交通の利便性だった。ガードマンが至る所に立ってるわけではないが、どこも照明が行き届き人も多く、人間が孤立することがない。街自体が1か所に集中しているので、構造自体がシンプルなため移動が楽だ。

 もちろんそこまで便利なのは、確実に(一般人に)お金を落としてもらいたいからだ。他人が、わざわざ預金を引き出してでもリスクを自ら背負ってくれる。そういったカラクリが丸見えなので、ギャンブルには全く興味がない。

 しかし、反面教師的な勉強のためには(日本で実現の際には)足を運んでみたい。

バトラー!

2012年7月28日 映画
 クライブ・オーウェンとジェラルド・バトラーの2人は、どうしてもその濃さから受け入れがたい。しかし、こういった雰囲気の「毛深い系」は田舎に多く生息する。

 筋骨隆々で、いつも軽快な格好で自信満々、目がギラっとしており眠たそうなことがない。たいていが長男であり、一家の盛衰など考えたこともない。だがきちんとお墓参りもするし、行事参加も皆勤賞。消防団、町内会など大忙し。

 病院で高齢の方が入院すると、きまって土日にやって来るタイプだ。

「あんなぁ看護婦さん。主治医の先生はどこですか?」
「今日はお休みです。月曜日に出てこられます」

「ちょうちょう。お休みって、なんやねん。お休みって」
「今日は、出勤されない日でして。あいにく・・・」

「おいおいおい。あいにくってなんやねんあいにくって。家族が心配してこうしてやてきとんねんで?」
「あ、いや」

「いやいやいや。ちょ。まってえな。おねえさん。いや、おねえさんかお嬢さんか、俺はしらんけど。で?何がいややっちゅうねん。俺が聞いてんねん。な。あんた今、あいにくって言うたやん?どういう意味やねん?って」
「すみません・・・」

「ちょうちょうちょう。すみません、やないねん。俺がええか、聞いとるんはな。あんたがなんでさっき、あいにくって言うた、その意味を聞いとんねん。おら、いつまででも付き合うで?」

 これが、彼らの出方だ!

抵抗せよ。

2012年7月6日 映画

 見た目あまり分からないが、日本はここ数年でかなり荒廃したように思える。あの事故の前とあとでは、世界観が全く異なる。銀河鉄道999の1作・2作目の落差ほどに感じる。

 市民らは政府らの異変には既に気づいており、あちこちで運動を繰り広げている。若い世代に意義ある未来を託すために。これで思い出したのが、銀河鉄道999の2作目のパルチザンたちだ。

 鉄郎の周囲には暗い出来事が次々と起こり、それまでの価値観すべてが壊れていく。絶望しそうになるが、しかし多くの仲間に支えられていく。

 自分が好きなのはやはりラストで、友人たちと物資を載せてさぁ帰るぞ、と闘士みなぎっていく場面。

 そして、中年は翁になる。

※ おきな【翁】
1 年取った男。おじいさん。⇔嫗(おうな・おみな)。2 老人の自称。 「―の申さむことは聞き給ひてむや」〈竹取〉3 能などに用いる老人の面。おきなめん。


 

 

 ジブリは、王道を行く。何者の、真似でもない。真似事でない第一人者に巡り会えることは、そう少ない。そこらでAKBとか選挙とか言ってる人間たちが、バカに思える。それくらい、ジブリには他に追随を許さぬ世界観がある。

 医学も新薬やデバイスが出ようと、基本は同じ。患者と向かうべき姿勢は変わらない。分厚い医学書も、これまで悪戦苦闘してきた偉人らの日々の記録のようなものだ。補正されつつ、次の世代へと渡っていく。ただそれは手段であって方法でしかない。総合的に考えるのは、医師という人間だ。

 だがこの考え方が、このところ急速に冷えてきているのは間違いない。それは必ずしも、医師そのもののせいではない。ジブリにこんないい時代が、人が描けるのなら・・・人間はどの時点で変わったのか?

 そういう意味で、ジブリはつながってるはずの時代をなぜか超越しているといえる。

 
 バブルがもう来なくとも、それを生きた音楽はそのまま生きている。テンポの良いディスコサウンドは、今の効率社会だからこそ向いている。ディスコで踊るポンポコリン、いや各々は誰から評価されるわけでもなく、正直自己満足で踊っている。しかし、踊りに来たその姿に迷いはない。

 今は仕事が単調で量が多いという傾向だと思われる。つきたい仕事につけるケースは少なく、とりあえず数を速くこなす能力がないと、上からは評価されない。数 × 単価の世界だ。この効率が他人より秀でる必要がある。

 病院の仕事にそのまま当てはめたら怒られるが、外来や検査の効率は、それが問われる。患者1人あたりに割く時間など。検査・治療の中での決断の速さ。治療計画を立てる速さ。トラブルへの速い対応。

 次に何をするか分かってるか?・・・ということを自分は強調する。次の次が何か、トレーニングできているならあとは自分の動きで片付けていくだけ。終わりに向けて。その速さが時間を圧縮。自己満足的だが、結果も評価されるものでないといけない。

 ダンスのように常に繰り出すが、決して止まることはない。自己満足のようで、実は全力を表現する。迷いがないバブル期の音楽はそういう意味で、アドレナリンを高くする。

 ゆとり世代は、これを早く取り戻さなくてはならない。彼らは達成することをあまりしておらず、アドレナリンにも不慣れだからだ。

 






なにい?

2012年6月16日 映画
 80年代邦画に登場する医者はまさしくステレオタイプ。実際もそうだったと思う。病院の外でタバコを吸い、肩で風切って歩く。医者以外への言葉も「君。僕は説明をしてるんだよ」と紳士的に突き放す。対等な立場はありえない。

 さてここで、いま見ると面白いのが津川雅彦演じる医師像。患者・家族から理不尽なこと(クレームなど)を言われるたびに、

「なにい?」と目を見開く。

 僕らも周囲にモンスターがいたりして、この「なにい」状態になることはあるが、今の時代感情をそう簡単に表面化できない。

 しかし「あー?」「えー?」というのも下品すぎる。やはりここは、鷲津ライクに・・・

「なるほど。ではそれが仮に正しいとしましょう」

 相手の意見をいったん肯定し、Uターンして反逆する、ハゲタカ戦法!すると今度は相手が

「なにい?」

 となる始末。とにかく話し込む。会話の熱を下げないと、この「なにい?」が生まれる。恋人、親子同士などでも「なにい?」はありうる。

 今は国会が国民を置いてけぼりで、全国民が「なにい?」状態だ。それは反面教師として、無駄にはするまい。結果がそうなるにしても、過程に問題がある。日本は田舎国だ。田舎に住んでた人なら分かると思うが、そこでは勝手に物事が進む。「なにい?」でさえ漬物石の下敷きだ。

 まずとことん聞いてあげて、熱をさます。そこからだ!

 なにい~フララッシシュ!


 病院の外の喫煙ベンチに座るときまって、「僕はフォレスト・ガンプ」とやっていた頃が懐かしい。

 しかし自分にとって、この映画といえば「ドラゴン・ブルースリー物語」だろう。

 チャーララーラーチャーラーラーラチャーララララララー

 ジャーーーン!ララーラーチャーラーラーラチャーララララララー

 ジャアーーーーー!チャーラーラーラチャーララララララー

(略)

 チャラララ~ララ~・・・

   チャラララ~・・ララ~・・・

 自分の人生を振り返ったとき、その<ジャーン!>が頭を何回横切るかどうか。老後はゆっくり、チャラララ~・・ララ~・・・と終わったかと思いきや、また!

ジャーーーン!ララーラーチャーラーラーラチャーララララララー!

 
 女性が見たら、「で。あんたは何が言いたいわけ?」と聞かれそうな話。なのでパッケージはプラピオンリー、それでよい。売り上げるための最上の得策だ。売り方までも、マネーボール。

 病院医師の場合もどうか、考えさせられる。この医師はいい医師で、患者の評判も良い・・・そんな医師ばかりなのに病院全体の経営は思わしくないというとき。いや実際そんなケースがあった。医局の雰囲気もいい、いや病院全体だって。

 偶然であるが、問題児医師を1人投入した。問題児といってもミスを犯す人間でなく、頑固おやじである。おやじは耳が遠く声も大きく、意見を曲げない。するとこのオヤジが悪の存在となり、ナースらが他の先生のポイントを上げる。上げられた医師らはその期待に応え、まんまと病院の利益まで上げてしまった。ついには専門医も非常勤で良くなりコストも安く済み、結果的に柔軟な体制をしくにまで至った。

 しかし、現場が主体となると経営側が手を緩めてしまった。入れ替わりに伴う世代の交代がマメに行われず、(頑張らなくてもいい)経営側と(自信過剰の)現場との格差が広がったのだ。

 現場の監視役が不在となったことが敗因だ。いい意味で病院を<市場化>し、分かりやすい数字などで連日評価していけば、利益も人も逃げにくい。

 ジェネラル・ルージュみたいにいきなり「全部とれ~!」とはそうもいかない世の中だ。




回想する幻想

2012年6月2日 映画
 公開当時に新人ナースだった20過ぎの者が、今やベテラン師長となって活躍中。昔を語るにはまだ若いが、こういう時期になると彼女らは若手相手に語りだす。まさしくタイタニック劇中のばあさんだ。

「あたしはチヤホヤされていて、それこそ財布を持つ必要もなかった・・・ただ、あの出会いは別」

 道端で、イケメンに声をかけられる。

「姉ちゃん。お金ないんだ」
「い、急いでるので」

 通り過ぎる彼女を、背後で叫び制す。
「人助け、してんだろ!」

「うっ・・・?」
 良心が、彼女を思いとどまらせる。
「し、してるけど・・・あなたなんか!」

「なら、5分だけでもいいだろ?」

(5分後)

 そのナース、大勢のスーツ男に向かい合っている。緊張がみなぎる。

 すると、ナースがふと、微笑。

 さっきの男が飛び上がる。
「アイアム、キングオブザワールドォ!」

 周囲の男らも、どよめく。

「ナースさんよりドンぺリ1本!開けていただきましたぁっと!」

 なんだ。ホストの思い出か・・・。


 

 さきほどの<欠点>が人生の<X>ならば、寅さんは<Y>にあたる。寅さんはトラブルメーカーとして周囲からどことなく見下されているが、しかしその副作用でもってして人の心に奇跡さえ起こしてしまうことがある。

 寅さんキャラをそのまま医師像に投影することはできないが、純粋な思いやりの原点として参考にすべきところがある。その反面、あのムキになる子供みたいなところはこれまた医師像の裏面をリアルに演じてるようだ。

「な、なんだとお?今、なんて言ったんだ!お前が病気を治しただあ?とんでもねえ、病気を治したのは患者さんの免疫だろが!それをおめえが治したつもりで威張りやがって!インターロイキンだかインキンだか知らねえが!くれてやらあ!」

 ちょっと兄さん!あんまりじゃないですか!



MI4

2012年5月2日 映画
 やはり独自のプロダクションで作った作品は、手がかなり込んでいて妥協が見られない。おそらく納得いくまで脚本が練りに練られ、1つ1つのシーンに完璧さを求めたのだろう。結果的に破綻のない内容になっていて、満足度が高い作品となっている。

 ここにもし誰かが<製作総指揮>として入ってしまうと、上映時間を削られ年齢制限への過剰な配慮、続編への無責任な暗示が入る。

 病院にも<製作総指揮>みたいなのが入ると、知らない間に部署の配置換えや移動が行われ、作りかけられた調和が乱れる。師長の作り出すシフト表にも、それが個人的シフト(偏見)として現れる。

 僕らもそのような<製作総指揮>によって6例の検査を10例もやり、30人枠の外来を60人分こなす。ミッション・インポッシブル4になぞるなら、ミッション・リスポンシブル フォーペイシャンツ。<患者への責任>あるいは<4人の患者><4つの忍耐=4K?>などとも解釈可能。

 バン!バン!バンバン! 仮眠、グスン・・・・。


愛の無知

2012年4月29日 映画

 自分の目指している人格は、俳優でいうところの堺雅人にあたる。チームバチスタでなく、穏やかなほうのキャラのほうだ。

 目が涼しげで、大げさに動じない。心は押し殺すがしたたかでもある。怒るときは淡々と。だがやるときはやる。以前は健さんがそうか。

 いや、確かにこの映画では子供を殴りつけた。以前は仕事場で似たようなムチを与えたこともある。しかしその上で伝授したし結果も出た。愛あってのものだ。

 やっぱりモンスター母親が出てきてからか、そのモンスターらが以前受けた仕打ちに恨みがあるのか。確かに女性は何でも昨日のことのように覚えていて、その感情まで生き続く。途中で解釈はされない。

 男もそうなってきたのか。いや、男が女に話し始めた。女が男を調べれるようになった。表社会でも、今や女が男よりよくしゃべる。

 我慢して女どもには弱いところは見せたらいけない・・そんな男のプライドよりも、「僕の弱さも受け止めて」みたいな雰囲気がそうさせたのか。<優しい>歌やドラマ、そして大人たちが、そうさせたんだろうか。




 



 

戦争と調和

2012年3月31日 映画
 最近、ハリウッド映画の中の戦争がやたら平和に感じられる。有名どころが出るとどうしても「そいつは簡単に死なない」ことが分かっていて、意外性が期待できない。

 スピルバーグがからんでいるのなら、構図的には全能的な悪vs非力な善、という組み合わせになるはずなのだが・・・ところがどっこい、あの武器ではすでに勝っているようなものだ。

 いま日本はミサイルが落ちてもおかしくない状況だが、その存在感だけで既にサスペンス、スペクタクルだ。どんな脚本でもいいのなら、ミサイルが国土に落ちてもはや戦争を避けられない事態になる、そんな話もありだろう。

 ハリウッド的な運びなら、まず国土に1発目が落ちるが田舎のために世論の反発が盛り上がらず・・・しかし2発目は国の政財界を震撼させるダメージをもたらす。反撃は自衛隊がしばらく行うが膠着状態となり、国は徴兵制度を可決する。いや実は徴兵されるのは医師たちで、彼らは軍人としての訓練も受ける。兵1個師団につき医師1人が携わり最後尾にて守られつつ最前線を突き進む。ところがその師団が敵本土で全員拘束、医師はそれらを人質に<新将軍>の病気治療を任される・・・。果たして拘束された師団の運命は・・・?

 どうなるんやろう。やはり黒幕はアメリカってことでいいのかな。となると、アメリカ空軍の協力は得られないな・・・。









モテキ

2012年3月18日 映画
 医師のモテ期はどうか。今の医師らは昔時代の医師のような慢性(マンセー?)モテ期とはいかない。黙ってもモテている一部の医師は除き(笑)話を進める。

 やはり最初のモテ期は研修医時代だろう。純粋で、ひたむきでいろんな可能性を秘めている。若さゆえの過ち、いや魅力だろう。ただし、女医のモテ期はこの1期で終了するものと思われる。

 次のモテ期は、5年目あたりの一息ついた頃じゃなかろうか。この時期医師は妙な自信を持つようになり、言葉にも説得力が出てくる。心も体もチンギス・ハンである。この一種フェロモンのようなものとタフさが周囲を魅了する。

 次は結婚後に子供が大きくなり、再び時間に余裕ができた頃。縛られていた頃のストレスを発散するがごとく振舞うが、素人相手ではたいてい不発に終わり、玄人志向になる。いちおう、お水相手のモテ期かな。

 最後は50代あたりの当直を退き始めの頃と思われ、この頃はもう知ってる女性らが顔見知り状態であり新規開拓は不可能と思われる。若年目当てはリスクが大きく精神的についていけない(と聞いた)。とにかく聞き上手な女性を探しては過去の自分、今の自分を正当化していくのである。

 ここまで来ればもはやモテ期ではなく、ボケ期である。

 < ボケよ!老いて!ボケよ! >

 と、金目的で担がれないようにしようっと。




 


年を取らない。

2012年3月16日 映画

 ジャン・レノに本木雅広など。彼らはさほど加齢を漂わせないように思う。極端に言うと、容貌が以前とそんなに変わってない。

 自分も、そういうところはかなり気を遣っている。特に女性を見て思うのだが、彼らは特に<劣化点>のようなものがある。女性が日ごとに美しさ・バリエーションを増す日々につれ、男から見てそれが「あれっ?」となる瞬間だ。

 これはもちろん、男にもあると思う。ただ男は色気でなく、いきなり老け込むという意味で。老け込むというより<汚くなる>というべきか。自分もいつかはこの<老け>に突入するのだろうが、やはり以前のコンセプトを貫こうと思っている。つまり「あまり変わらんねえ」と言われたい願望がある。

 ただし、「いつまでたっても、アカンねぇ・・・」というのは男として失格だ。女がどう言おうと、男は仕事で輝く動物だ。

猿の惑星

2012年2月27日 映画

 ・・・どんどんスケールアップするのかと思いきや、最後は猿らしく丸く終わる・・・!これでは「猿の惑星」とは言えない!ああ、だから「創世記」なのか。ビギンズなのか。またしても。

 ジェームズ・ブランコはやっぱり、スパイダーマンのひねくれた涙目の若造がハマリ役。「2」の冒頭の演技。あれだ。

 しかしCGが進歩したとはいえ、やはりその「合成感」は顕著に感じる。「あぁ、これCGなんだよな。実物ちゃうねんなぁ・・・」と、驚きよりも落胆のほうが前に出る。

 それより今は、地球が「核の惑星」にならぬよう祈っている。
 超常現象。そういうものを見たことはないが、見間違いでそう思い込んだことは多々あったと思う。

 予備校時代に、夜道を散歩。気がつくと墓地のど真ん中。すると何やら背中がざわめき、物凄い風速で押され続けた。単にビビッてたせい、と思いたい。

 これも散歩中だが(10代前半)、その道の隣家から女性の声。それが次第にこう変わった。「何すんのーもう。やーよ。ちょと、ちょっと。やめ!ぎゃ!ぎゃー!助け!タズゲデダレカー!グアアアア!」無音。走って逃げ、近所の人らに伝えたが・・事件などなかったらしい。テレビの音声か痴話ゲンカであったと祈りたい。

 下宿で睡眠中、隣の家からすすり泣く声。次の日、通夜があった。若くして死んだのだと。ただその日は誰もいなかったと聞いて数日眠れなかった。実は誰かいて泣いてたと思いたい。

 あと、通学中の夜帰り道。廃屋の角を曲がるとき窓をつい眺めてしまう癖があった。いつものように一瞥すると、オバサンのような顔がうっすらポカンとした表情に見えた(黒目が大きい)。戻ると何もなし。

 自分の顔だったと思いたい。

 ああそうだ。これを話さなきゃ。以前勤めてた病院。夜中の詰所。認知症の女性が病室で暴れるので、車いすで詰所内に移動。支離滅裂な話ばかりだったが、いきなり「子供があちこち走ってる」とグルグル見回した。次の日スタッフに聞くと、以前ここは小児科病棟だったとのこと。

 今日は、眠れるのかな・・・。







 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索