上野樹里のキャラみたいなのは、病院でもよく目にする。それがまた、仕事もイマイチだったりする。

「しぇんしぇい。てんてきまちがえましたでしゅ」
「あさのくすり、わすれちゃったでしゅ」

 とんでもない話だが、だがこういったナースらスタッフに弱い医師も多い。優しくすぐ許してしまう医師が増えたと思う。少なくとも自分の周囲は。

「うん。いいけど別に」
「え~しゃんしゃえほんとに、おこんないですにえ」
「はい」
「しぇんしぇえ、こんどのみにつれててください。もちろんしゃんしぇのおごりでしゅ」
「また今度」
「いー。けっこうもらってるはずじゃのに」

 それでもこのキャラは引き下がらない。

「また今度また今度って。いちゅになったら、つれてってくれるんしゅか。そうしてまた、てんきんしちゃうんでしゅか!あーもうしおくりだ。ゆうがたのてんてき、おわるまでまててもらえましぇんか。せんせい、しじだしすぎでしゅ」

 ああ、どんどん低レベルな話に・・・。


トラボルタ

2011年4月2日 映画

 だんだん老けていくトラボルタ。もちろん僕も老けている。

 トラボルタの役はたいてい、最初は酔っ払いキャラ→居眠りキャラ→本気キャラ→真面目キャラ→冷静キャラで終わる。吹き替えで表現すると、

「そーら俺が来たーさーどうだー!」(やけくそ)
「あー。どうでもいいじゃないか?このクソ坊主!」(そして打ちのめされる)
「やったろうじゃないか!さあかかってこい!」(能力発揮)
「お前は何も知らなかったのか?でも序の口だ」(冷めた顔)
「こういうことだ」(え?これで終わり?)

 病院での業務も見習いたい。トラボルタ・パターンでは、

「そーら遅刻したぞどうだー!」
「こおんなに患者が貯まってる誰のせいだまったく!」
「さあ次いけ次!」
「いつまでかかろうと、俺はへこたれん。なぜかって知りたいかあん?」
「教えてやる。明日から産休なんだ。サンキューってな」

 そのオチカタがまた、トラボルタ!

 理想的なトラボルタ・パターンは、

「そーらまだ誰も来てない患者すら起きてない!」
「夜勤のナースらめちゃんと診てたのか?」
「ほらもう!総回診終了だ!」
「朝の救急は積極的に。そうさ入れた」
「おはよう。だがもう満床だ。どうしろと?」

 軽症を、早く出せ!

 みんなもトラボルタの、いいとこ取れよ!


 いろんな出来事が起きるが、逆にこれら1つ1つが<どこかで見たもの>。ああ、じゃあ次はこうなるんじゃないかな・・と、これまたその展開になってしまう。

 放射能関係の映画はいろいろあるが、自分にはこの作品が最も恐怖だった。今の日本がやっていること自体のような・・・。限られたずさんなシステムの中で、次々と無理難題へ送られていくスタッフ。万全な防御もなく、時間もない。

 鬱な内容だが、今一度アンコール上映で鑑賞すべき作品。

しかも・・・

2011年3月26日 映画
 この教授がそうか、この作品に抗議していたような記事があったな以前に!
http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/hayano/angels_and_demons_fact_vs_fiction/FACT.html

 反物質を兵器として使用するのは現実には無理とかなんとか・・・。そうか、この教授の指摘だったのか。すごいな、この教授。

 ただ、今は原発からの放射線が凶器になっている現実がある。人類の英知から生み出された物質が人類を脅かすという点では、共通するものがあるのでは。

 浜田省吾の「僕と彼女と週末に」。< 恐れを知らぬ うぬぼれた人は 宇宙の力を 悪魔に変えた >。これは核というより、原発反対のメッセージだったんだな。吐き気がして目が覚めたら魚が大量に浮いていた場面。意味深な描写だ。最後のメッセージ<いつか・・子供たちに>その通りだ。

 知識人の警告も賞賛したいところだが、T2のサラ・コナーの言葉を借りると・・
「そうやってあなたたちは・・・!」ここでやめておく。

 ママ!今はそんな場合じゃない! ← ジョン
 
 


斜陽の帝国

2011年3月18日 映画
 
 太陽の帝国。いい題名だ。

 CSのシネフィル・イマジカで放送中。いろんな映画が放送中止になる中、この映画は放映されている。しかし、今回の地震を想起させる場面は意外と多い。それは問題ではない。むしろ、いろいろと考えさせる。地震というより、その後の<先の読めない生活>のようにも思える。

 落下傘が落ちてくる。それは人でなく救援物資。こういった形で物資を落とすのは不可能なんだろうか。開けた時の少年(実はクリスチャン・ベイル)の表情が忘れられない。

花粉襲来

2011年2月25日 映画
 最近のCGは確かに実写と見分けがつきにくいが、やはりどうしても不自然さが気になる・・ものの、あえてそれに気づいてない振りをしてる自分がいる。騙されよう、騙されて楽しもうと努力する、それが疲れる。

 どうやらその原因は、映画の画面そのものの構図にあるようだ。見せるべきものが、見せるべき場所にある。心の用意ができ、余裕をもって理解できる。もちろん金がかかったCGは画面一杯に分かりやすくアピールせんといかんわけで、演出としては丁寧なものになる。「これこれ。凄いだろよく見てよ」というふうに。

 まるで学会で質問がないから、さあ俺の用意した質問を受けてみろ、とそれを観客がヤラセと知ってて関心をあえて(演者に対して)向けるようなものだ。

 そうなると、ストーリーが面白くない3D映画なんか、もっと疲れてしまうのではないか。

 <自然な面白さ>を求めて、今日も行く。

 ああ、明日から花粉が激しいよ。寝る前に内服!俺は花粉症じゃない花粉症じゃない花粉なんかないすべてCGチージー!

 OD錠なら、いつでも大丈夫!


 

 宮崎の噴火のニュースが相次ぐが、どうもここらだけの話ではない気がする。阪神淡路は早朝起こった。天災はいつも不意打ちだ。ふだんは意識していないことだけに。

 大阪での大地震の場合、阪神高速などの交通網はすぐ遮断されるはず。電車も同様。携帯は混線で不通。このアニメでもあるように、ワンセグテレビでの情報収集は可能のようだ。そういや自分のノーパソはeモバイル。iPODにはラジオが・・ない。電池の充電器は・・。

 おそらく自分の仕事場へのアクセスもしにくくなるが、そういう事態だといっそう出勤を急ぐ必要が出る。常勤医交代で半日交代の当直業務あたりとなる。

 内科の医者がこういうとき、小外科も知らないと苦労する。日頃、当直で外傷をまず受けて手当てする習慣が必要だ(ちょっと無責任な言い方ですが)。

 僕らは会議でいろんなことを決め・・させられそうになる。中には口八丁がいて「今後こうすることにします。反対ははい、ないですね。では・・」とトントン拍子に決めてしまってあとで「おい?」となることがある。気が付くと、巧妙に次々と医者に不利なルールが決められる。個人の民間病院ではあまりないが、中規模以上の病院だと医者の発言力が薄まるため不利になるケースが多い。

 こういった流れの時、僕はとりあえず・・・相手の言うことを復唱する。
「つまりあなたは、これこれして・・これこれすると?」
「はい。で・・」
「あー待って。こちらは頭が悪くてついてけなくて。そもそもなぜ・・」

 相手の会話を分解していき、引き延ばす。

 そして、決定させない。

 いくつか成功した。

 ありがとう、法廷映画。
 最近、忙しい日々を送っている。

 プライベートがなかなか確保できない。のも今や当然だ(既婚)。
 
 しかし、職場は次のチャンスを狙う者たちでいっぱいだ。情報があるところ、ないところが歴然としており、当然後者が前者に近づいて同化しようとし、凌駕さえしようとする。油断できない。 
                                      あ、また医局に人が入ってきた。また交信(更新?)は再開する。実は自宅のパソコンを買い換えたので、ワイフのいないときに送信するものとする。
 女vs女のすさまじい戦いを見れるのも、病院ならでは。もちろんスタッフでの話。病棟のナースどうし、地域連携とナース、女医とナース・・・陰湿な冷戦も多いが、火がつくとこれはもう・・・男の喧嘩の比ではない。

 だが、まれに不思議な現象がみられることがある。終戦後に、双方ともケロッとしているのである。お互い号泣するほどの戦争であったとしてもだ。いや、むしろ仲が良くなっていることすらある。男性でもあるだろうが、それは義理や理屈あってのこと。それが関与しない現象がある。

 しっかし困ったことに、なぜか矛先がこっちに来るんだよなぁ・・・。

 未だに思い出せない文章がある(試験問題で読んだ)。男性が従順な奥さんと、妻の友人の家に行く。女性2人が話し出す。男性、ちょっと離れる。そしてまた戻・・ったとき、女性らはその男性を品定めするような不気味な視線で見ていた、というもの。

 それぞれが点であるはずの(そうしておくべきの)、女性を線で結んだら・・・という話だったんだろうか。そして今は携帯があり、線だらけで絵が描けそうだ。

 アナクスナムン!落下。

ジェット医師

2010年10月17日 映画

 ハリウッド映画でのジェット・リーは、変わり者役が多い。流暢に英語が話せないネックがあるからか。なら他の俳優も多くあてはまろうが、ジェット・リーの扱いはとりわけ悲しいものがある。

 無口で登場→仲間が苦戦→しかし、うしろで涼しげ→敵、やってくる→ジェット・リー、うすら笑う→敵、怒る→ジェット・リー片手で戦う→敵、数秒で撃沈される→またしても鼻で笑うジェット・リー。

 これは、僕らの臨床の現場でもある。

 上級医、無口で登場→下級医にやらせる間、腕組み→重症患者の処置、大人数だが動揺気味→その間に情報に目を通すジェット・・いや、上級医→やっと踏み出し、処置の状況を確認→うすら笑い、邪魔な医師らを1人ずつどかせる→上級医の処置で、すぐにカタがつき病態改善→他の医師ら、敬礼→振り向き鼻で笑う上級医。

 それだけに、睨んだ表情はジェット以上!


 数年前のDVD-BOXで、このシリーズは卒業した。いや、その後のハイビジョン放送版からか。内容をあまりにも覚え過ぎて、新鮮さがなくなった。興奮度のピークは、劇場で「2」を観た後の予告編サプライズだった。

 それよりも知りたいのは、今後続編を作る気があるかどうかということ。たしか「3」が終わった後、ドクの子供2人主演のテレビシリーズが作られる話があったような気がするが・・・。

 ま、ブルーレイが発売されてもいずれ<3D>や<スーパーハイビジョン>版などが出るんだろうし。マイケル・Jの音声解説とかあれば貴重だがなあ。

 正直、どうしようもない出来の映画・音楽・企画でも、適度にパッケージ化すれば今後いろんな戦略で売れるのだな・・・と感心する。「ハリー○ッター」なんて、もう目も当てられない展開。

 いやいや、このヤマトが駄作とは言わない。だが、キムタクのヤマトの直前に放送すれば、興合収入的にはマイナス作用必至だろう。

 ところが不思議なもので、1回目で諦めの境地だったのが2回目ではそう悪くない。いやむしろ、結構良かったのではないか・・・?画質はかなり良い部類で、DTSも大迫力。残念ながらやはり絵そのものが<外注的>なもので、SRLかどこかで委託して作ったようなものなのが残念。

 実際、アニメの作画は人件費の安いところで頼まれることが多いという。ああやっぱ、これからはインド、中国なのか・・・。

 



 パッケージメディアを全く買わなくなり、この<ハゲタカ映画版>もテレビ放映まで待った。待てた。巷ではやはりドラマ版には及ばないという噂が大半だが、自分は違った。

 やはりドラマ版あってのこの高揚感!スコープサイズの人物配置!大森南朋(なお)の叫び!恋愛要素など無視!とにかく映画ならではの大胆な演出が光っている。NHKによりアメリカをしてやったり、というパートもいい。<受信料を初めて有効に使えた一例>として学会発表してもいいと思う。

 日本の歴史、とくに太平洋戦争以降の描写をあれだけハリウッドに歪められてきたのだから、邦画はもっとアメリカ(や中国他国)にアンチな姿勢であって欲しい。なんとか食堂みたいな、ゆるい軟弱な映画はごめんだ。


 山田太一の脚本には唸らされる。ふぞろいの・・はスケールの小さい話ではあるものの、今見ても普遍的なテーマが取り上げられている。だが背景に好景気があり、そこにはチャンスがあるかもしれないという雰囲気が漂う。みないい人ばかりだし携帯もなく、今見ると別次元のストーリー。

 バブル世代の、貴重な思い出アルバムだ。国立の医学生にも以前は教養学部という平和な時代があり、若さを持て余す2年間があった。

 どういうものだったか、知らない人のために説明しよう。

全部、とれ!

2010年4月6日 映画
 その一言に尽きる。

 トンデモ系の医療描写が多い映画の多い中、本作は割と現実的に描いていたように思う。しかし<ER>の緊迫感は到底出せるわけがない。

 さて、さきほどの「全部、取れ!」発言。わなわなと両肩を震わせうつむき、睨んだ上目遣い。自分はそこまで言ったことはないが、<経営者会議>のあとそれに近い態度を取ったことがある。

 病院によっては、断ると始末書提出のところもある。企業がオーナーのところが多い。

 「満床」というのはたいてい名目上のもので、数ベッドを補完すれば物理的に患者は入れるというケースもある。その場合「オーバーベッド」と呼ばれるが、当直医が本気で促せば実現できる場合もあることは、知っておいてほしい。例えば無力な非常勤当直医ならば、事務を越えて経営サイドに連絡打診する手荒な方法もあろう。







 
 この監督の作品は夫の影響なのか、青銅色を基調とした画調で描かれる(最新作は知らんが)。金属的で無機質的。

 キャスリン・ビグローは「ハートブルー」をはじめ、90年代前半の映画界を盛り上げた。しかし同じパターンに埋没せず実験作を試行錯誤し(失敗作が続いた)、ついにアカデミー賞(偉大な賞かどうかは別として)を認められた。

 失敗続きでもリベンジを成し遂げる人の話は常に聞いていたい。今後の人生の考え方について良い影響をもらうのだ。ただ、死んでやっと脚光を浴びる話は美談のようだが歓迎できない。

 

 熱血VS冷血漢という組み合わせは、仕事でうまくいきやすい。ただし冷血漢は命令側、熱血漢は動く末端側であるべき(医療で逆のパターンは失敗する)。

 ディカプリオとクロウの一見横暴なやり取りは、僕らの仕事に通じるものがある。しのぎを削りながらも現場が達成していく、そんな職場は活気を失わない。

「こんなに患者が診れるか!現場をちっとも知らん役人どもが!」
『さぁこれからもっと来るぞ。外傷に呼吸不全。小児も何でもござれだ』
「ああもう何人も診たこれで充分だろ!外へ出る暇もないおかげで太陽を何日も見ていないまるで!バンパイアの生活だよ!貴様を呪ってやる!」
『ただし血を吸ったら輸血してもらうぞ。君からの天引きで保険適応外だな。外で出れない君におめでとうと言いたい。つまり外へ出ずして億万長者へまっしぐらだ』
「ふざけるなおい!聞いてるのか!」

 そこらのゴミで遊ぶクロウ。

『だってそうじゃないか。君はもう何か月も口座を開いてないその間我々がどれだけの給料を振りこんだか知る由もないだろう?開けてビックリの浦島太郎だ』

 クロウの目が光る。

『仕事が嫌ならすぐ銀行に向かってその金持っていくんだな。外車に美女。ワイン・・・ああ、何でもいい。だが君はなあ。よく聞いとけよここからが本番だ』
「シェッ!シェッ!」

パニクるディカプリオ。

『まあそう慌てなさんな。それでもおヒサマは昇るんだ。考えても見ろ太陽は愚痴を言わんぞン?』
「自分を失うよりか、よっぽどマシだろ!だから俺は降りる!もう降りるぞ!」

『まあ好きにするがいい。だが私は君から目を離したことがない、なぜならな。いつでも君を辞めさせることはできただが常に評価してる。君なら絶対やるそうしてる間も手が動いてるじゃないか!こらジム。あっちで遊びなさい!』

「俺の手!俺の手が黙ってないっていうのか!」単純なディアプリオキャラ。


『君を待ってる患者はどうなる?この先?君の手にかからずにそれがどんなに不運なことか?君が断念したその1分いや1秒だ。その後、人生を断たれる人間だっているんだぞ?』
「くっ・・・!」

 クロウの輝く目。

『助けろ。次の瞬間も。患者は君を待っている』

「わかった。わかったよ!」

 ディカプリオキャラは、そしてまた、働く。

復帰の伏線

2009年10月28日 映画

 確かにのりピーが介護を目指しているのは、社会復帰への好材料と考えてのことだろう。弁護士らは、こういう知恵を絶えず提供する。

 アメリカ、特にハリウッド俳優がこういった事件を起こすときまってボランティア活動に精を出す(というか、そう命じられるわけだが)。これが国民にいい印象を与え、難なく復帰してくる。

 中でもロバート・ダウニー・ジュニアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BBJrは何度も(麻薬がらみの)服役歴があり、それにもかかわらず映画での役は主演級まで演じるようになった。どうやら彼の持つ雰囲気が、アメリカ青年(中年?)の等身大像、代弁者的な作用をもつからか。

 のりピーもまたそのような位置にあり、おそらく支持し直してくれる世代は多いはず。人間としては復帰するべきではないが、復帰したらそれこそ<商品>にすぎない。



 もちろん、旧作のほう。人間の本性がむき出しになるその瞬間・・・をよくとらえている。「白い巨塔」でも感じた。強欲があって、それが計画通りにいかないとき、当人は賭けでも打って出て、その目標を達成しようとする。つまり一線越えようとする。

 その人間の危うさというものは、今の仕事をしてつくづく感じる。渦巻いている。自分の周囲に近寄る人たちは大勢いる。もちろん僕の徳のなすところではない(ほとんどは)。不自然だと感じるのがその理由。

 で、長年見ているとその人の目標が分ってくる。ああ、この人はアレやコレが目的なんだろうと。なら、いつ本性が出てくるか。一線を越えるか。ノーレスポンスで経過観察。残念ながら彼らは(我慢できず)唐突な行動に出ることになり、その目標は達成されずに終わる。

 すべてに金・利権がからんでいることは間違いない。これが出発点だからこそ、いろんな群像劇が無限に生まれる。その最大公約数を、作者は消化しやすい程度にお皿にのせてくれている。



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