< レジデント・サード 12 絶体絶命 >
2004年3月19日 連載< レジデント・サード 12 絶体絶命 >
金曜日。
睡眠不足がかなりつらい。今の患者がいつ急変するかわからないという不安と、他の病棟やドクターからいつコールあるか分からないというプレッシャー。
軽症の患者の回診を始める。
53歳男性、高血圧。ACEIとCa-antagonistを内服。咳さえなければACEIはファーストチョイス、というのが当時の考えだった。
「どうです?」
「看護婦さんに測ってもらったら、160/98もあったよ。で、どないでした。原因は?」
「腹部エコー・CT・血液検査では異常なしでした。2次性のものは否定的です」
「なんや。結局入院しても原因が分からんのやな」
「9割は原因が分からないもので」
「あっそ・・で、この薬は一生飲まないといかんの?」
「そうです」
「なんや、高血圧って治る病気や違いまんのか?」
「治すのではなく、うまくつきあうのです」
これもオーベンから教わった言葉。
47歳女性。伊藤から回診を頼まれていた、pericarditisの患者。重症部屋から出れた。
「こんにちは」
「先生・・結局原因は何でしたの?」
「ウイルス感染だろう、という結論です」
「・・・あのテレビで今騒いでる、エボラなんとかっていう、出血するやつ?」
「違いますよ」
「どういうことに気をつけたらいいんですか?」
「そうでうね。さあ・・」
循環器科では、軽症と重症の差が激しい。しかし重症に相当時間が費やされるので、軽症患者の回診を怠りがちだ。しかしどの科でも同様のことは言える。
ナースがいきなり部屋へ乱入してきた。
「先生、西岡先生の患者さんですが」
「今、回診中」
「血圧が240mmHgもあるんです」
「とりあえず、アダラートカプセルの舌下を」
当時、平成8年度はまだ降圧剤の舌下投与が頻繁にされていた。H16現在では安易にはしてはいけない処置だ。
「その指示は出ていたので、舌下させましたが・・動悸がひどくなりまして」
おそらく反射性の頻脈だ。顔面紅潮とともに、Ca拮抗剤そのものの副作用でもあるが。
「安静にさせてよ。症状は?」
「動悸と頭痛です」
「心電図と頭部CTを。西岡先生はまだ帰って来ないの?」
「そうなんですよ、先生。連絡もないんです」
「他の先生方から連絡は?」
「こちら側も患者さんの報告とかするため待ってるんですが・・・全然電話かかってきません」
この頃はまだ携帯電話の保有率は低かった。
「ゴルフ行ってんのか・・・!」
「先生、吉本先生の患者さんが早く退院させろと」
「オレ主治医じゃないのに、そんなん知るかよっ!」
「今すぐ結果のほうを知りたいと」
「待たせたらいいよ。主治医が来るまで」
次から次へと報告がくる。
「先生、先生のオーベンの患者さん。42歳男性。熱発です。39度」
「須藤さん・・何の病名?なんだこのカルテ?字が読めない!象形文字か、これ?」
「不明熱とか・・」
「この記載そのものが不明、だよ!」
「とにかくしんどそうなんです」
「しんどい?どういう意味?他のバイタルは?」
「血圧ですか?」
「血圧!脈!SpO2!」
僕はかなりイライラしていた。
「血圧は122/68mmHg、脈は100 , regularです」
「ふんふん、そんで?」
「SpO2 は、手の指で82です」
「ふんふん・・・え?」
「足の指でも82でした」
「部屋どこ?」
その患者はIVHが入っている。
「食べれないの?この人?」
「昨日までは全量摂取です。IVHは1週間前からです」
「内容は・・・ポタコール500が1日3本。3本も?」
「はい、指示ではそうなってますが」
「こんな字をどうやって解読したんだ?」
「・・・この字、2本にも見えますね、ウフ」
「何がウフだ。2と3では偉い違いだぞ。これじゃあナトリウム・・塩分を負荷しすぎだ」
「心不全になってるんですか?」
「容量負荷かもしれない。iatrogenicだよ。ところで、心雑音は・・・なんだ、この音は?」
ザラザラ・・ザラザラ・・・砂が中で舞っているようなこの感じは。
須藤さんが看護記録を頼りにカルテを見つめている。彼女も携帯を持っており、ブーッブーッと響いている。
「すみません。飲み友達で」
「ああ、いいんだよ」
「カルテの記録見ると・・血液培養をしてます・静脈と動脈・・動脈で取ることもあるんですねー」
「・・・あ、そうか。IEなのか?」
「アイイー?」
「感染性心内膜炎」
「ちょっと待って下さい、かんせんせい・・どんな字ですか?」
「カルテをよく見ると・・・・ああ、確かに書いてある。この字は一見、イヒ、と書いてるように思ったが・・IEだ」
「・・・」
「培養結果待ちか・・・。とすると、抗生剤は見切り発進したくないな」
「様子見ですか」
「解熱剤を」
「じゃああとは、先生のオーベンが戻ってからで。今日の深夜のときにでも指示聞いておきます」
「へ?深夜の時間にコールして指示をもらうっての?ダメだよ!」
「あっ・・・」
ヘンな子だな。
「レントゲンを。エコーの準備。心不全かもしれない」
「先生、SpO2 74・・・かなり下がってきてます」
「さ、酸素を・・マスクで」
患者は起座呼吸になってきた。
「ナトリウムの負荷で、くそ!」
「先生、ほかに指示を!」
「ラ・・ラシックスを側注」
「いきます」
「点滴本体を5%TZへ変更・・・うう」
「先生、大丈夫ですか」
「バ、バルーン入れなきゃ・・」
「先生、それは私たちで」
「じゃ、たのむ・・・あ、それと水分制限を。それと」
「?」
「そこにあるポカリスエットの山・・いや、アクエリアスか。いったい何本、ううう・・」
「先生!こっちへ!主任さん!先生が、先生が!」
どうやら熱中症のようになっていたらしい。
病棟の端っこの当直室で横になった。
「あ、ありがとう。須藤さん。君こそ今日も深夜入りなんだろ?」
「先生、ここでしばらく休んでください。これ以上無理すると・・心配です、先生が」
その、潤んだ瞳。
僕は一瞬ドキッとした。
このまま近づけば・・いかんいかん。
「でも他の先生は、まだ捕まらないんだろ」
「・・・」
院内ポケベルがまた鳴り出す。
「もしもし」
「一般内科外来の婦長です」
「はい?」
「今、一般内科の松本先生が、AMIの患者を診ておりまして」
「一般内科のほうにAMIが入ったんですか?」
彼女は思いつめたように、詰所へ走っていった。僕は続けた。
「ああそうか、今日は循環器外来、お休みしてますからね・・」
「もしもし?もしもし!」
「はいはい」
「循環器科のほうへ入院としますので、今すぐ下で申し送りを受けてください」
「今すぐ?」
「午後は一般内科の先生方は大腸ファイバーがありまして」
「・・・うちはまだみんな揃ってなくて・・」
「もしもし?今すぐ来てください!時間がないもので」
足元あぼつかないまま、1階の外来へ。
一般内科のドクターは既に消えていた。
60代のおじいさんが横になっていて、モニターがついている。
「先生、もうちょっと早く来てくれないと。松本部長はファイバーに行かれましたよ」
「は、はい。検査データは」
「これです!」
「・・・酵素の上昇、ST上昇・・・II , III , aVF・・・V3-6の低下はreciprocal changeか」
「さあ、外来はいったん閉めますので、急いで上へ上げてください」
高齢のナース3人に囲まれた。
研修2年目始まって以来の、絶体絶命の危機。
金曜日。
睡眠不足がかなりつらい。今の患者がいつ急変するかわからないという不安と、他の病棟やドクターからいつコールあるか分からないというプレッシャー。
軽症の患者の回診を始める。
53歳男性、高血圧。ACEIとCa-antagonistを内服。咳さえなければACEIはファーストチョイス、というのが当時の考えだった。
「どうです?」
「看護婦さんに測ってもらったら、160/98もあったよ。で、どないでした。原因は?」
「腹部エコー・CT・血液検査では異常なしでした。2次性のものは否定的です」
「なんや。結局入院しても原因が分からんのやな」
「9割は原因が分からないもので」
「あっそ・・で、この薬は一生飲まないといかんの?」
「そうです」
「なんや、高血圧って治る病気や違いまんのか?」
「治すのではなく、うまくつきあうのです」
これもオーベンから教わった言葉。
47歳女性。伊藤から回診を頼まれていた、pericarditisの患者。重症部屋から出れた。
「こんにちは」
「先生・・結局原因は何でしたの?」
「ウイルス感染だろう、という結論です」
「・・・あのテレビで今騒いでる、エボラなんとかっていう、出血するやつ?」
「違いますよ」
「どういうことに気をつけたらいいんですか?」
「そうでうね。さあ・・」
循環器科では、軽症と重症の差が激しい。しかし重症に相当時間が費やされるので、軽症患者の回診を怠りがちだ。しかしどの科でも同様のことは言える。
ナースがいきなり部屋へ乱入してきた。
「先生、西岡先生の患者さんですが」
「今、回診中」
「血圧が240mmHgもあるんです」
「とりあえず、アダラートカプセルの舌下を」
当時、平成8年度はまだ降圧剤の舌下投与が頻繁にされていた。H16現在では安易にはしてはいけない処置だ。
「その指示は出ていたので、舌下させましたが・・動悸がひどくなりまして」
おそらく反射性の頻脈だ。顔面紅潮とともに、Ca拮抗剤そのものの副作用でもあるが。
「安静にさせてよ。症状は?」
「動悸と頭痛です」
「心電図と頭部CTを。西岡先生はまだ帰って来ないの?」
「そうなんですよ、先生。連絡もないんです」
「他の先生方から連絡は?」
「こちら側も患者さんの報告とかするため待ってるんですが・・・全然電話かかってきません」
この頃はまだ携帯電話の保有率は低かった。
「ゴルフ行ってんのか・・・!」
「先生、吉本先生の患者さんが早く退院させろと」
「オレ主治医じゃないのに、そんなん知るかよっ!」
「今すぐ結果のほうを知りたいと」
「待たせたらいいよ。主治医が来るまで」
次から次へと報告がくる。
「先生、先生のオーベンの患者さん。42歳男性。熱発です。39度」
「須藤さん・・何の病名?なんだこのカルテ?字が読めない!象形文字か、これ?」
「不明熱とか・・」
「この記載そのものが不明、だよ!」
「とにかくしんどそうなんです」
「しんどい?どういう意味?他のバイタルは?」
「血圧ですか?」
「血圧!脈!SpO2!」
僕はかなりイライラしていた。
「血圧は122/68mmHg、脈は100 , regularです」
「ふんふん、そんで?」
「SpO2 は、手の指で82です」
「ふんふん・・・え?」
「足の指でも82でした」
「部屋どこ?」
その患者はIVHが入っている。
「食べれないの?この人?」
「昨日までは全量摂取です。IVHは1週間前からです」
「内容は・・・ポタコール500が1日3本。3本も?」
「はい、指示ではそうなってますが」
「こんな字をどうやって解読したんだ?」
「・・・この字、2本にも見えますね、ウフ」
「何がウフだ。2と3では偉い違いだぞ。これじゃあナトリウム・・塩分を負荷しすぎだ」
「心不全になってるんですか?」
「容量負荷かもしれない。iatrogenicだよ。ところで、心雑音は・・・なんだ、この音は?」
ザラザラ・・ザラザラ・・・砂が中で舞っているようなこの感じは。
須藤さんが看護記録を頼りにカルテを見つめている。彼女も携帯を持っており、ブーッブーッと響いている。
「すみません。飲み友達で」
「ああ、いいんだよ」
「カルテの記録見ると・・血液培養をしてます・静脈と動脈・・動脈で取ることもあるんですねー」
「・・・あ、そうか。IEなのか?」
「アイイー?」
「感染性心内膜炎」
「ちょっと待って下さい、かんせんせい・・どんな字ですか?」
「カルテをよく見ると・・・・ああ、確かに書いてある。この字は一見、イヒ、と書いてるように思ったが・・IEだ」
「・・・」
「培養結果待ちか・・・。とすると、抗生剤は見切り発進したくないな」
「様子見ですか」
「解熱剤を」
「じゃああとは、先生のオーベンが戻ってからで。今日の深夜のときにでも指示聞いておきます」
「へ?深夜の時間にコールして指示をもらうっての?ダメだよ!」
「あっ・・・」
ヘンな子だな。
「レントゲンを。エコーの準備。心不全かもしれない」
「先生、SpO2 74・・・かなり下がってきてます」
「さ、酸素を・・マスクで」
患者は起座呼吸になってきた。
「ナトリウムの負荷で、くそ!」
「先生、ほかに指示を!」
「ラ・・ラシックスを側注」
「いきます」
「点滴本体を5%TZへ変更・・・うう」
「先生、大丈夫ですか」
「バ、バルーン入れなきゃ・・」
「先生、それは私たちで」
「じゃ、たのむ・・・あ、それと水分制限を。それと」
「?」
「そこにあるポカリスエットの山・・いや、アクエリアスか。いったい何本、ううう・・」
「先生!こっちへ!主任さん!先生が、先生が!」
どうやら熱中症のようになっていたらしい。
病棟の端っこの当直室で横になった。
「あ、ありがとう。須藤さん。君こそ今日も深夜入りなんだろ?」
「先生、ここでしばらく休んでください。これ以上無理すると・・心配です、先生が」
その、潤んだ瞳。
僕は一瞬ドキッとした。
このまま近づけば・・いかんいかん。
「でも他の先生は、まだ捕まらないんだろ」
「・・・」
院内ポケベルがまた鳴り出す。
「もしもし」
「一般内科外来の婦長です」
「はい?」
「今、一般内科の松本先生が、AMIの患者を診ておりまして」
「一般内科のほうにAMIが入ったんですか?」
彼女は思いつめたように、詰所へ走っていった。僕は続けた。
「ああそうか、今日は循環器外来、お休みしてますからね・・」
「もしもし?もしもし!」
「はいはい」
「循環器科のほうへ入院としますので、今すぐ下で申し送りを受けてください」
「今すぐ?」
「午後は一般内科の先生方は大腸ファイバーがありまして」
「・・・うちはまだみんな揃ってなくて・・」
「もしもし?今すぐ来てください!時間がないもので」
足元あぼつかないまま、1階の外来へ。
一般内科のドクターは既に消えていた。
60代のおじいさんが横になっていて、モニターがついている。
「先生、もうちょっと早く来てくれないと。松本部長はファイバーに行かれましたよ」
「は、はい。検査データは」
「これです!」
「・・・酵素の上昇、ST上昇・・・II , III , aVF・・・V3-6の低下はreciprocal changeか」
「さあ、外来はいったん閉めますので、急いで上へ上げてください」
高齢のナース3人に囲まれた。
研修2年目始まって以来の、絶体絶命の危機。
< レジデント・サード 11 I BELIEVE・・・>
2004年3月18日 連載 コメント (1)< レジデント・サード 11 I BELIEVE・・・>
「先生、ASの患者さん。尿量が少ないです」
「イノバン、3ガンマ固定。輸液、5%TZ 200mlを負荷」
「ええっ?先生。心不全なのに負荷するんですか?」
「腎血流量を増やすためだよ」
「すみません。まだ新人なもので。先生、私が夜勤のときは帰らないで下さいね」
そのハキハキ言う須藤という新人は、非の打ち所がない、という評判のナースだった。オーベンの大のお気に入りだ。
「じゃ、先生。この患者さんのことも相談していいですか?」
熟練したナースが後ろから呼び止めた。
「何よ先生、若い子のときはデレデレしてぇ」
「デレデレなんか、してませんよ」
「須藤ちゃん、あんた今日深夜入りでしょ!ちゃんと構ってもらいなさいよ。先生、宜しくお願いします」
「は、はあ・・・」
患者は2人ともバイタルは横ばいで、アグレッシブな処置にならなくて済んでいた。しかし日が経つごとに、心筋炎の患者は重症感がより増していった。採血データも「H」の項目が目立ち、レントゲンも透過性は益々低下しているようだった。透析も血圧が低めのため限界があった。MAP血、FFPが湯水のごとく消費されていく。
夜中2時頃。院内ポケベルが鳴った。
「はい・・・呼ばれましたか」
「こちらは本日の当直医です。整形外科の」
「はい、お疲れ様です」
「よかった先生、院内にいらっしゃるんですね。救急隊から連絡がありましてね、胸痛らしいんです」
「はい・・それで?」
「わたくしが最初に診てもいいですが、先生のほうがご専門なので、できればお願いできればと」
「専門・・しかし、胸痛が循環器と決まったわけじゃあ」
「あ、もう来ます!救急車。では先生、お願いします」
階下に聞こえる救急車のサイレン。
「ちょっと救急へ行ってきます」
須藤ナースが叫んだ。
「先生!入院は入れないで!入れなーいでこれ以上!入れなーいでこれ以上!」
光ゲンジの歌?こいつ、この年で・・・?
50代後半女性は病院のベッドに移されていた。整形の医者は横でモジモジしていた。
「あ、来た!もう大丈夫ですよ!専門の先生が来ましたからね・・・。じゃ、先生、あとは宜しくお願いします」
コイツ、ほんとに当直か?
早速ナースが記録した心電図・・・STが広範囲に2mmくらい下がってる!ナースがじっと記録を眺めた。
「STが下がってるから心筋梗塞ではないですね」
「いや、そうとも限らないんだ」
「あのー、痛かったのはいつからです?」
「3日前やろ、昨日もやな・・」
「どれくらい続きました?」
「さあ、いちいち覚えてへんが、2時間くらいかな、どれも」
「で、今回は」
「・・・なんか、地震みたいに何時間も繰り返し続いてるような」
「今何か治療してます?」
「近くのクリニックで相談したらな、アンタそれは年のせいやがなって言われて、それで終わりや」
「年のせいって、まだ若いでしょう」
「こんなオバハン見て、誰がそんな若いって思うもんか」
「飲んでる薬は?」
「もってきとらん」
「今の痛みは・・・一番痛いときが10としたら・・今はどれくらい?」
オーベンに教わった聞き出しのテクニックだ。
「そうやなあ・・7くらいかなあ」
「そうですか。このスプレーをかけますので、アーんして」
ミオコールスプレーを舌の下に吹きかけた。
5分後、心電図。STは1mm元に戻っている。
「看護婦さん、採血の結果は・・?」
「出たらまた病棟へ連絡します」
「ニトロールの点滴。バファリン内服も」
たぶんUAP・・不安定狭心症だ、そう考えながら病棟へ行こうとしたら、出口で整形の医者が待っていた。
「あ、先生。どうでしたか」
「unstableです」
「え?あんすてー・・?」
「ま、いいです」
そのときCDチェンジャーに載せていた華原朋美のシングル「I Believe」より・・・生意気な態度も時にはUSE!
「ええ?入院入るの?入るんだって、牧本さん」
半泣きの顔で、須藤ナースは休憩中の先輩ナースを呼びつけた。奥から先輩ナースがむくっと現れた。
「先生、人手もあまりないのに・・いいんですか。先生も忙しいのに」
「しょうがないんだよ。病院が救急取っちゃったから」
「どっか送ればいいのに」
「・・・すまない。どうやらunstableみたいだ」
「で、先生、用意するものは?」
「ルートは入ってる。酸素は2リットル。バルーンは病棟で入れよう」
「カテーテル検査しようにも、人員がいないでしょう?」
「西岡先生がいるから、相談しようかと」
「?先生、西岡先生は・・北海道から実家に寄ってからこちらに戻られると」
「実家・・?今は実家なの?」
「関東だとか・・」
「かんとう?」
血液データの報告では、心筋酵素は上昇してない。心筋梗塞起こしてるわけではなさそう。
外来ナースが患者を上げてきた・・のはいいが、自力歩行させている!
「おい!こら!」と思わず叫ぶ。うちのナースも反射的に走った。患者はかなりビビッていた。
「ひい!」
患者は有無をいわさず横にされ、電極をビシバシつけられた。
「な、なにをするの?」
スタッフは無視して一連の作業をこなす。
「エコーを持ってきて!」
部屋の電気がいきなり消える。患者はわけがわからない。
「ああ!停電や!」
プローブがいきなり胸に当てられる。
「ひやっ!ひやいわ!」
「壁の動きは良好。弁の逆流なし。心嚢液貯留なし。下大静脈拡張なし。終わり!」
よく観察できる患者で助かった。肥満・肺気腫の場合はエコー泣かせだ。
「胸の痛みは、10ぶんの・・・?」
「0かな・・・?いや、1かなー・・・」
心電図のSTは基線に復した。好奇心旺盛のナースが食い入るように見ていた。
「血管の中は、詰まってないということですか?」
「おそらく本態は血栓が、こう、血管の中を今にも閉塞しかけてるような感じだと思う」
と、偉そうにこの前の部長の話をそのまま続けた。
「へえ、こわーい。じゃあ先生、ヘパリンとかいくんですか」
「・・・あ、そうそう、ヘパリンね。血栓できたらいかんもんね。いくよ、当然。うん、いく予定にしてた。今から指示書くところ」
大変なことを忘れていた。この子に指摘されてしまうとは・・。その新人はクスッと笑ってバイタルを取り始めた。
金曜日。今日はみんなが出張から帰ってくる日だ。ここへも寄るはずだ、そう信じる・・。
睡眠不足がかなりつらい。今の患者がいつ急変するかわからないという不安と、他の病棟やドクターからいつコールあるか分からないというプレッシャー。
そして、この猛暑。
僕の体力はもはや限界に近づきつつあった・・・。
<つづく>
「先生、ASの患者さん。尿量が少ないです」
「イノバン、3ガンマ固定。輸液、5%TZ 200mlを負荷」
「ええっ?先生。心不全なのに負荷するんですか?」
「腎血流量を増やすためだよ」
「すみません。まだ新人なもので。先生、私が夜勤のときは帰らないで下さいね」
そのハキハキ言う須藤という新人は、非の打ち所がない、という評判のナースだった。オーベンの大のお気に入りだ。
「じゃ、先生。この患者さんのことも相談していいですか?」
熟練したナースが後ろから呼び止めた。
「何よ先生、若い子のときはデレデレしてぇ」
「デレデレなんか、してませんよ」
「須藤ちゃん、あんた今日深夜入りでしょ!ちゃんと構ってもらいなさいよ。先生、宜しくお願いします」
「は、はあ・・・」
患者は2人ともバイタルは横ばいで、アグレッシブな処置にならなくて済んでいた。しかし日が経つごとに、心筋炎の患者は重症感がより増していった。採血データも「H」の項目が目立ち、レントゲンも透過性は益々低下しているようだった。透析も血圧が低めのため限界があった。MAP血、FFPが湯水のごとく消費されていく。
夜中2時頃。院内ポケベルが鳴った。
「はい・・・呼ばれましたか」
「こちらは本日の当直医です。整形外科の」
「はい、お疲れ様です」
「よかった先生、院内にいらっしゃるんですね。救急隊から連絡がありましてね、胸痛らしいんです」
「はい・・それで?」
「わたくしが最初に診てもいいですが、先生のほうがご専門なので、できればお願いできればと」
「専門・・しかし、胸痛が循環器と決まったわけじゃあ」
「あ、もう来ます!救急車。では先生、お願いします」
階下に聞こえる救急車のサイレン。
「ちょっと救急へ行ってきます」
須藤ナースが叫んだ。
「先生!入院は入れないで!入れなーいでこれ以上!入れなーいでこれ以上!」
光ゲンジの歌?こいつ、この年で・・・?
50代後半女性は病院のベッドに移されていた。整形の医者は横でモジモジしていた。
「あ、来た!もう大丈夫ですよ!専門の先生が来ましたからね・・・。じゃ、先生、あとは宜しくお願いします」
コイツ、ほんとに当直か?
早速ナースが記録した心電図・・・STが広範囲に2mmくらい下がってる!ナースがじっと記録を眺めた。
「STが下がってるから心筋梗塞ではないですね」
「いや、そうとも限らないんだ」
「あのー、痛かったのはいつからです?」
「3日前やろ、昨日もやな・・」
「どれくらい続きました?」
「さあ、いちいち覚えてへんが、2時間くらいかな、どれも」
「で、今回は」
「・・・なんか、地震みたいに何時間も繰り返し続いてるような」
「今何か治療してます?」
「近くのクリニックで相談したらな、アンタそれは年のせいやがなって言われて、それで終わりや」
「年のせいって、まだ若いでしょう」
「こんなオバハン見て、誰がそんな若いって思うもんか」
「飲んでる薬は?」
「もってきとらん」
「今の痛みは・・・一番痛いときが10としたら・・今はどれくらい?」
オーベンに教わった聞き出しのテクニックだ。
「そうやなあ・・7くらいかなあ」
「そうですか。このスプレーをかけますので、アーんして」
ミオコールスプレーを舌の下に吹きかけた。
5分後、心電図。STは1mm元に戻っている。
「看護婦さん、採血の結果は・・?」
「出たらまた病棟へ連絡します」
「ニトロールの点滴。バファリン内服も」
たぶんUAP・・不安定狭心症だ、そう考えながら病棟へ行こうとしたら、出口で整形の医者が待っていた。
「あ、先生。どうでしたか」
「unstableです」
「え?あんすてー・・?」
「ま、いいです」
そのときCDチェンジャーに載せていた華原朋美のシングル「I Believe」より・・・生意気な態度も時にはUSE!
「ええ?入院入るの?入るんだって、牧本さん」
半泣きの顔で、須藤ナースは休憩中の先輩ナースを呼びつけた。奥から先輩ナースがむくっと現れた。
「先生、人手もあまりないのに・・いいんですか。先生も忙しいのに」
「しょうがないんだよ。病院が救急取っちゃったから」
「どっか送ればいいのに」
「・・・すまない。どうやらunstableみたいだ」
「で、先生、用意するものは?」
「ルートは入ってる。酸素は2リットル。バルーンは病棟で入れよう」
「カテーテル検査しようにも、人員がいないでしょう?」
「西岡先生がいるから、相談しようかと」
「?先生、西岡先生は・・北海道から実家に寄ってからこちらに戻られると」
「実家・・?今は実家なの?」
「関東だとか・・」
「かんとう?」
血液データの報告では、心筋酵素は上昇してない。心筋梗塞起こしてるわけではなさそう。
外来ナースが患者を上げてきた・・のはいいが、自力歩行させている!
「おい!こら!」と思わず叫ぶ。うちのナースも反射的に走った。患者はかなりビビッていた。
「ひい!」
患者は有無をいわさず横にされ、電極をビシバシつけられた。
「な、なにをするの?」
スタッフは無視して一連の作業をこなす。
「エコーを持ってきて!」
部屋の電気がいきなり消える。患者はわけがわからない。
「ああ!停電や!」
プローブがいきなり胸に当てられる。
「ひやっ!ひやいわ!」
「壁の動きは良好。弁の逆流なし。心嚢液貯留なし。下大静脈拡張なし。終わり!」
よく観察できる患者で助かった。肥満・肺気腫の場合はエコー泣かせだ。
「胸の痛みは、10ぶんの・・・?」
「0かな・・・?いや、1かなー・・・」
心電図のSTは基線に復した。好奇心旺盛のナースが食い入るように見ていた。
「血管の中は、詰まってないということですか?」
「おそらく本態は血栓が、こう、血管の中を今にも閉塞しかけてるような感じだと思う」
と、偉そうにこの前の部長の話をそのまま続けた。
「へえ、こわーい。じゃあ先生、ヘパリンとかいくんですか」
「・・・あ、そうそう、ヘパリンね。血栓できたらいかんもんね。いくよ、当然。うん、いく予定にしてた。今から指示書くところ」
大変なことを忘れていた。この子に指摘されてしまうとは・・。その新人はクスッと笑ってバイタルを取り始めた。
金曜日。今日はみんなが出張から帰ってくる日だ。ここへも寄るはずだ、そう信じる・・。
睡眠不足がかなりつらい。今の患者がいつ急変するかわからないという不安と、他の病棟やドクターからいつコールあるか分からないというプレッシャー。
そして、この猛暑。
僕の体力はもはや限界に近づきつつあった・・・。
<つづく>
<レジデント・サード 10 RUN AWAY>
2004年3月17日 連載<レジデント・サード 10 RUN AWAY>
「じゃ、失礼します・・」
帰りに弁当を買い、アパートに戻った。
「あー、疲れた・・」
「落ち着いている?」
「なわけないだろ!ホントは目が離せないんだよ。まあ今のところ大きなアタックは起こってないようだけど」
「少し休んだら?」
「・・そうだな。3時間くらい寝ようかな。目覚ましかけるけど」
「また行くの?」
「詰所に電話して、様子を聞こうと思う」
「当直にさせたらいいじゃない」
「当直は・・まあいいや」
風呂に入った後、寝てしまった。目覚ましにも気づかず。
ガバッ、と目を覚ました。
明るい・・・?
キョロキョロ周りを見まわした。時計、時計・・・。
AM 10:40。しまった・・・!
10時間くらい寝たらしい。彼女もまだ眠っている。だるい手を思いっきり伸ばし、電話。
「もしもし・・すみません。詰所ですか。ええ、寝てしまいまして・・そうなんです、自宅も寄ってしまって」
「そうですか。先生、ちょっとお待ちください」
しばらく沈黙があった。それをぶち破るかのように衝撃音が襲った。
「何やっとんだコラア!患者をほったらかして!まだ寝てるのか!」
オーベンの声だ。
「気管内チューブや、カテーテルの刺入部からも出血があったんだぞ!君は知ってるのか!」
「すみません。今、行きま・・」
「なぜ持ち場を離れたんだ!看護婦さんももう君を信用できないと言ってるぞ!」
「今すぐ・・」
「家族もみんなやってきて、どういうことか説明してくれと言ってる!」
主治医はオーベン・僕の組み合わせでもあるため、オーベンの怒りはハンパじゃない。
電話は切られた。
「すまないが、行かないと」
「・・なんか大変そうね」
「そうなんだよ!やっぱり帰っちゃいけなかったんだ!どうしてくれる!」
「わかったわよ!もう帰る!」
「そうしてくれ!」
日曜日。雨が降っていた。自転車でのこの出勤は、傘をさす価値もない。
病室ではオーベンが待ち構えていた。さっきのキレた声からは想像もできない落ち着いた表情だった。
「おう。君が忙しいのは分かる。僕も君への指導が足りなかった」
「そんな・・」
「君への監視が足りなかったことも悔やまれる・・・」
8階の大雨の大空、閃光が響いた。
「君を見て心配に思うのは、その気のゆるみとやらだ」
「・・・・・」
「いつかその油断が、取り返しのつかないことになるよ」
この時は、あまりピンと来ないセリフだった。
「まあいいよ。家族へは僕が説明した。ムンテラの内容はカルテに書いたとおり。気管内チューブからの出血は肺水腫・抗凝固剤のヘパリンの関連によるもの。カテーテル刺入部の出血も抗凝固剤。ACTを測定したら400以上廻った。ここまでの異常な数値は、君が日頃きちんと測定してなかったせいもある。夜中だから測定してなかった、とは言わせない」
「・・・そうです。数時間毎の測定を、怠ってました」
「これからは僕も夕方には帰らず、ちょくちょく来る。だが水曜日は学会へ向かう。そのときは西岡先生に頼め。彼は君が陰で呼んでいる、ヤクザ医師、とは違うよ」
「・・・・・」
「今日の検査も一折見たよ。CPKは相変わらず3000台。CRPも20台。他の感染もあるかもな」
「・・・・・」
「だがCPK-MBは700台だったのが500台。CPK自体が高いのは末梢アシドーシスの影響もあるし、CRPは他の感染もかぶってるかもしれない。エコーを見たが・・相変わらずだ。心臓はほとんど動いてない。LVEFで7%」
「な、7%・・・」
「ウイルス性なので過ぎ去るのを待ちたいところだが・・これは・・持ちそうにないかも」
「・・・・」
「なんて考えるのは良くないぞ。主治医が諦めたら、患者は終わりだ」
「ええ」
「隣に入ったASの患者だが。不穏があるようだぞ」
「不穏?」
「暴れているということだ。点滴の自己抜去も何度かしたらしい。僕が指示を出しておいたから。セルシンは呼吸抑制が怖いので、セレネースにした」
「ありがとうございます・・」
「午後は、僕が診ておくよ。大事な用事でもあるんだろ?夜になったらまた来てくれ」
「え?よろしいんですか?」
「僕も一応、主治医だからね」
オーベンのお言葉に甘え、僕は病院を出た。
彼女は「ごめんね」と置手紙だけ残し、去っていた。
「タクシーで帰ったのか・・本当に」
時計をみると・・飛行機の離陸まであと2時間。空港まで1時間弱。異様に眠たい。が、しかし・・・・。
アパートから少し離れたところに自分の愛車はあった。
「どうして、僕は・・・」
マニュアルをローにガクンとシフトし、大雨の中シビックは急発進した。
「僕は・・情に弱い?ちょっとは人を思いやれる?」
「なら何故?患者を完璧に診れない?」
高速のインターへ潜り込んだ。しかし料金所はかなり混雑している。
「彼女を追いかけているのではなく・・もしかして、患者から逃げているの?あなたは・・・・」
速過ぎるワイパーの音なのか・・誰かが、そう叫んだ。
結局渋滞に巻き込まれ、空港には間に合わなかった。彼女からの電話もない。と思ったら、電源がとっくに切れていた。
僕は諦め、インターを降りて、引き返した。
水曜日。循環器医局員の大半が学会・講演会に向けて出発していた。オーベンもこれから去る。
「いいか、ユウキ先生。独断でしようなんて思うなよ。西岡先生が全て答えてくれるから」
「ええ。西岡先生はどこに・・?」
「学会に行って、途中で帰ってくるんだよ。それが確か、今日だ」
「そうですか」
「みんな北海道でゴルフして帰ってくるから、全員がまとめて戻るのは金曜日かな」
「ゴルフ・・先生もされるんですか」
「接待が当たり前にあった時代はよく行ったけどね。今は自腹になりつつあるから、行かない。おみやげ、楽しみにな」
「ええ、待ってます」
「じゃ、急変時は西岡先生にな!」
循環器の外来を午前中で片付け、オーベンは空港へ去った。みんな空港へ行ってしまったなあ・・。
検査伝票のチェックを1つ1つ入れていた横からナースが脅かすように呼ぶ。
「先生、脳外科の先生が」
「ああ、診てもらってるんでしょ。心筋炎の人」
「それが、先生・・」
「こんなのでどうやって評価しろというんです?先生!」
脳外科のドクターは今にもストロークしそうな勢いだった。
「人工呼吸器がついていて、鎮静剤が入ってる・・これじゃ瞳孔がピンポイントでも評価はできませんよ」
こっちがピンポイントになりますわ、って言わんばかりだ。
「呼吸器ついているから、CTも撮れない。脳波だってまともにとれませんよ」
「できる範囲で・・」
「うーん、厳しいです。先生。血圧が低くて脳への影響を心配されているのは分かりますが」
やっぱ相談も独断ですべきじゃないな・・。
「先生、血液ガスのデータが」
ああ・・pH 7.13か。そのアシドーシスのせいか、四肢も冷たい。オーベンは亜硝酸剤で末梢を広げろというが・・血圧が低いので使えない。ドブトレックスも最大量、IABPもフル稼働してはいるが。出血は続いており輸血、それにFFPの投与も。DIC scoreはまだ満たしてはいない段階ではあるが。
しかし病態的にはpre-DICだ。
<つづく>
「じゃ、失礼します・・」
帰りに弁当を買い、アパートに戻った。
「あー、疲れた・・」
「落ち着いている?」
「なわけないだろ!ホントは目が離せないんだよ。まあ今のところ大きなアタックは起こってないようだけど」
「少し休んだら?」
「・・そうだな。3時間くらい寝ようかな。目覚ましかけるけど」
「また行くの?」
「詰所に電話して、様子を聞こうと思う」
「当直にさせたらいいじゃない」
「当直は・・まあいいや」
風呂に入った後、寝てしまった。目覚ましにも気づかず。
ガバッ、と目を覚ました。
明るい・・・?
キョロキョロ周りを見まわした。時計、時計・・・。
AM 10:40。しまった・・・!
10時間くらい寝たらしい。彼女もまだ眠っている。だるい手を思いっきり伸ばし、電話。
「もしもし・・すみません。詰所ですか。ええ、寝てしまいまして・・そうなんです、自宅も寄ってしまって」
「そうですか。先生、ちょっとお待ちください」
しばらく沈黙があった。それをぶち破るかのように衝撃音が襲った。
「何やっとんだコラア!患者をほったらかして!まだ寝てるのか!」
オーベンの声だ。
「気管内チューブや、カテーテルの刺入部からも出血があったんだぞ!君は知ってるのか!」
「すみません。今、行きま・・」
「なぜ持ち場を離れたんだ!看護婦さんももう君を信用できないと言ってるぞ!」
「今すぐ・・」
「家族もみんなやってきて、どういうことか説明してくれと言ってる!」
主治医はオーベン・僕の組み合わせでもあるため、オーベンの怒りはハンパじゃない。
電話は切られた。
「すまないが、行かないと」
「・・なんか大変そうね」
「そうなんだよ!やっぱり帰っちゃいけなかったんだ!どうしてくれる!」
「わかったわよ!もう帰る!」
「そうしてくれ!」
日曜日。雨が降っていた。自転車でのこの出勤は、傘をさす価値もない。
病室ではオーベンが待ち構えていた。さっきのキレた声からは想像もできない落ち着いた表情だった。
「おう。君が忙しいのは分かる。僕も君への指導が足りなかった」
「そんな・・」
「君への監視が足りなかったことも悔やまれる・・・」
8階の大雨の大空、閃光が響いた。
「君を見て心配に思うのは、その気のゆるみとやらだ」
「・・・・・」
「いつかその油断が、取り返しのつかないことになるよ」
この時は、あまりピンと来ないセリフだった。
「まあいいよ。家族へは僕が説明した。ムンテラの内容はカルテに書いたとおり。気管内チューブからの出血は肺水腫・抗凝固剤のヘパリンの関連によるもの。カテーテル刺入部の出血も抗凝固剤。ACTを測定したら400以上廻った。ここまでの異常な数値は、君が日頃きちんと測定してなかったせいもある。夜中だから測定してなかった、とは言わせない」
「・・・そうです。数時間毎の測定を、怠ってました」
「これからは僕も夕方には帰らず、ちょくちょく来る。だが水曜日は学会へ向かう。そのときは西岡先生に頼め。彼は君が陰で呼んでいる、ヤクザ医師、とは違うよ」
「・・・・・」
「今日の検査も一折見たよ。CPKは相変わらず3000台。CRPも20台。他の感染もあるかもな」
「・・・・・」
「だがCPK-MBは700台だったのが500台。CPK自体が高いのは末梢アシドーシスの影響もあるし、CRPは他の感染もかぶってるかもしれない。エコーを見たが・・相変わらずだ。心臓はほとんど動いてない。LVEFで7%」
「な、7%・・・」
「ウイルス性なので過ぎ去るのを待ちたいところだが・・これは・・持ちそうにないかも」
「・・・・」
「なんて考えるのは良くないぞ。主治医が諦めたら、患者は終わりだ」
「ええ」
「隣に入ったASの患者だが。不穏があるようだぞ」
「不穏?」
「暴れているということだ。点滴の自己抜去も何度かしたらしい。僕が指示を出しておいたから。セルシンは呼吸抑制が怖いので、セレネースにした」
「ありがとうございます・・」
「午後は、僕が診ておくよ。大事な用事でもあるんだろ?夜になったらまた来てくれ」
「え?よろしいんですか?」
「僕も一応、主治医だからね」
オーベンのお言葉に甘え、僕は病院を出た。
彼女は「ごめんね」と置手紙だけ残し、去っていた。
「タクシーで帰ったのか・・本当に」
時計をみると・・飛行機の離陸まであと2時間。空港まで1時間弱。異様に眠たい。が、しかし・・・・。
アパートから少し離れたところに自分の愛車はあった。
「どうして、僕は・・・」
マニュアルをローにガクンとシフトし、大雨の中シビックは急発進した。
「僕は・・情に弱い?ちょっとは人を思いやれる?」
「なら何故?患者を完璧に診れない?」
高速のインターへ潜り込んだ。しかし料金所はかなり混雑している。
「彼女を追いかけているのではなく・・もしかして、患者から逃げているの?あなたは・・・・」
速過ぎるワイパーの音なのか・・誰かが、そう叫んだ。
結局渋滞に巻き込まれ、空港には間に合わなかった。彼女からの電話もない。と思ったら、電源がとっくに切れていた。
僕は諦め、インターを降りて、引き返した。
水曜日。循環器医局員の大半が学会・講演会に向けて出発していた。オーベンもこれから去る。
「いいか、ユウキ先生。独断でしようなんて思うなよ。西岡先生が全て答えてくれるから」
「ええ。西岡先生はどこに・・?」
「学会に行って、途中で帰ってくるんだよ。それが確か、今日だ」
「そうですか」
「みんな北海道でゴルフして帰ってくるから、全員がまとめて戻るのは金曜日かな」
「ゴルフ・・先生もされるんですか」
「接待が当たり前にあった時代はよく行ったけどね。今は自腹になりつつあるから、行かない。おみやげ、楽しみにな」
「ええ、待ってます」
「じゃ、急変時は西岡先生にな!」
循環器の外来を午前中で片付け、オーベンは空港へ去った。みんな空港へ行ってしまったなあ・・。
検査伝票のチェックを1つ1つ入れていた横からナースが脅かすように呼ぶ。
「先生、脳外科の先生が」
「ああ、診てもらってるんでしょ。心筋炎の人」
「それが、先生・・」
「こんなのでどうやって評価しろというんです?先生!」
脳外科のドクターは今にもストロークしそうな勢いだった。
「人工呼吸器がついていて、鎮静剤が入ってる・・これじゃ瞳孔がピンポイントでも評価はできませんよ」
こっちがピンポイントになりますわ、って言わんばかりだ。
「呼吸器ついているから、CTも撮れない。脳波だってまともにとれませんよ」
「できる範囲で・・」
「うーん、厳しいです。先生。血圧が低くて脳への影響を心配されているのは分かりますが」
やっぱ相談も独断ですべきじゃないな・・。
「先生、血液ガスのデータが」
ああ・・pH 7.13か。そのアシドーシスのせいか、四肢も冷たい。オーベンは亜硝酸剤で末梢を広げろというが・・血圧が低いので使えない。ドブトレックスも最大量、IABPもフル稼働してはいるが。出血は続いており輸血、それにFFPの投与も。DIC scoreはまだ満たしてはいない段階ではあるが。
しかし病態的にはpre-DICだ。
<つづく>
< レジデント・サード 9 PCPS+IABP+CHDF+PM+IVH >
2004年3月16日 連載< レジデント・サード 9 PCPS+IABP+CHDF+PM+IVH >
オーベンから電話だ。
「どうだね、先生」
「ああ、先生・・。わざわざどうも。今のところVTは出てません。いずれも30秒以下のNSVTです。血圧は90mmHg前後で。家族の方がつきっきりで」
「利尿は?」
「出が悪いです。時間あたり20-30mlくらいです。ラ音?相変わらずです」
「もっと出さないといけないだろ」
「ええ、注射の回数も増やしてますが」
「血圧ももっと上げないと」
「はい、エホチールの注射も合間にしてはいるんですが」
「まあとにかく頑張って」
「はい」
何をどうしたらいいのか、具体的なアドバイスもないまま。
病室へ入ると、高校生くらいの女の子が1人、じっと座っている。彼女は僕と患者本人・・母親を交互に見つめていた・・。というより、睨んでいた、に近い。
僕はただ、理学的所見を取りながら独り言をつぶやくだけだった。
夜9時、付き添いの交代が来られた。患者本人の友人らしい。お水系の女性だ。
「どうなんですか」
と聞かれるが、血縁でない人に安易に病状経過は語れない。
「悪いんですか?どうなってんの?」
「家族の方には明日説明するつもりです」
「病院でしょうが、ここは?早くなんとかしてよ!」
「今は・・治療している最中です」
「そんなん知ってるわあ。で、ここタバコ吸ったらいかんわけ?」
「ダメです」
「この人死んでもうたら、ダンナはおらんし娘1人で、誰がひきとるんか・・。それ考えただけでパニックやで」
「・・・・・」
「今日はまあ私ら付き添うけど、仕事あるさかいなあ」
「・・・・・」
「明日からは無理やで」
「では、付き添いされるのは娘さんだけなのですか・・」
「そうやな。でもあのコ、まだ高校2年やで。学校も行かないかんし」
「じゃあ、説明聞かれる家族さんは」
「娘に説明しといてえな。わしらは義理やけど、そう何度も来れへんし」
「高2の、あの子にですか?他の方にも来ていただくようには伝えましたが」
「いや、あの子しか来ないよ。まあいろいろ事情はあってな。人間関係とかいろいろあんねん。ま、恵まれてる人にはわからん話や」
こういった経緯で、ムンテラは娘1人が聞くことになった。
入院翌日、その娘へムンテラ。
症例のカンファレンスが終わった。一足先に失礼して、娘さんの待つカンファレンスルームに入った。
「失礼します」
その子は身動きひとつせず、座ってこちらを凝視していた。
「今日も一通り検査をしました。血液検査でも心臓の筋肉はまだ壊死が続いている状態です。これに伴って不整脈も増えてきて、心不全の状態が続いてます。血圧も下がってきてます。薬の効果はほとんどないようです。呼吸状態も悪くなったので、人工呼吸管理も開始しています」
「・・・・・」
「心臓の力もかなり弱まってきているので、医者全員で出した結論ですが・・人工的に心臓の役目を代用させて、循環の状態を保たせることで、心不全の治療を進めていきたいのです。その間に心臓の動きが復活してくるようなら、離脱へともっていきたいと思ってます」
うまく説明できない。
「具体的には、股の血管から管を入れまして・・心臓の入り口と出口の2箇所です。心臓・肺はPCPSという・・人工心肺が行います。この機械が押し出した血液を心臓の出口から全身に送り、全身から帰ってきた血液は心臓の手前で回収して、この機械の「肺」の中で酸素化された血液を、また押し出して全身に・・こういったことを繰り返すのです」
「・・・・・」
「脈は肩のほうから入ってます管、ペースメーカーが調節します。それとIABPという管を心臓の出口に留置して、心臓そのものの血流も保つようにします。あと腎不全に対して人工透析も」
「・・・・・」
「ただ、合併症として・・・出血。管が入るので血が固まりにくくする点滴を入れるわけですが、出血しやすい状態となる恐れがあります。それと・・感染。あと、心臓の中の血液の流れが乏しくなるので、血液が淀みやすくなります。その場合、血栓という血の塊ができることがあります。さっきの薬を使ったとしてもです」
「・・・・・」
正直、大汗と睡眠不足で頭が虚血状態だった。
「では今からそれらを開始します」
医者5名、数時間かかってようやくその「回路」は完成した。オーベンがほとんどやってくれた。いくつもの機械音が工場のように音をたてている。
「ふう。あとは血液の凝固系が一定になってるかどうか、凝固時間を定期的に調べてくれな」
「はい」
「脳へのダメージが心配だが・・血圧はある程度キープしろよ」
「・・・ええ」
「ホントは2人体制としたかったが・・学会や講演会で人がいない。すまんが君1人で数日やってくれ」
「・・・・・」
「何か予定があったら言ってくれ」
「いや、予定は・・・ないです」
「そうか。食事は出前でとるしかないな。大変だろうが」
「はい、ありがとうございました」
夕方を過ぎた。彼女はもう飛行機に乗ったはずだ。
重症板が置いてある。1時間毎のバイタル記録だ。高熱、低血圧、低酸素・・すべて状況が悪化している。低空飛行とはこのことだ。
モニターは様々な波形を打ち出している。自己脈は徐脈となり一時ペースメーカーによる管理へと変わっていたが、時折頻発する不整脈のアラーム音が不気味に鳴り響いていた。
ブーッとポケットの振動音。
「も・・もしもし」
「もうそっちの病院の前に着いたの。出てこれる?」
「な・・予定より早すぎるよ?」
「1便早かったの。まあ、ここで待つことにするわ」
「待合室は患者の家族がいるかもしれないから・・目立たないようにな」
詰所を出て行こうとしたところ、ナースから呼び止められた。
「先生、どこへ?」
「トイレ!すぐ戻ってくるから!」
「お願いしますよ・・」
待合室の隅っこで、彼女は待っていた。
「これが、アパートの鍵。タクシーで行って、先に入ってて」
「晩ご飯、まだ食べてないけど」
「・・・じゃああとで俺が何か買っていくから!」
「患者さんの容態は?」
「そんなの関係ないだろ」
「明日にはよくなるの?」
「知らない・・・あ、ポケベルが」
ホントに鳴っているのだ。
「先に寝ておくかもしれないよ」
「ああ、いいよ」
そのまま詰所に戻った。誰にも見つかることはなかった。
「ああ先生、もう1人の患者さん、ASの」
「ああ、あの人が・・?」
「入院してから・・・末梢が冷たいせいか、SpO2がなかなか測定できないんです」
「循環が悪いからね」
「どうしましょうか。今60%となってますが」
「そんなはずはない!」
「でも先生、測定結果ですから、あくまでも。こういったときの指示は?」
「指示・・?そんなの出しようがない」
「じゃあ酸素は今のままでいいんですね?増やさなくても?」
「そのつど動脈血取らないと分からないよ」
「先生、じゃあそこは先生の判断でお願いしますね。今日もずっとお泊りですよね」
「いや、それが・・ちょっと数時間失礼するかも」
「え?その間急変したら?」
「当直を呼んでよ」
「先生、今日の当直は耳鼻科の先生です」
「じ・び・か・・・」
「先生をコールしますね」
「あ、ああ・・ちょっと医局へ行くかもしれない」
夜の11時。患者のバイタルもある意味落ち着いている。ラ音、血圧100mmHg前後、乏尿は相変わらずだが。
家族は控え室で眠っている様子だ。
「じゃ、失礼します・・」
ダッシュで病院を出た。
<つづく>
オーベンから電話だ。
「どうだね、先生」
「ああ、先生・・。わざわざどうも。今のところVTは出てません。いずれも30秒以下のNSVTです。血圧は90mmHg前後で。家族の方がつきっきりで」
「利尿は?」
「出が悪いです。時間あたり20-30mlくらいです。ラ音?相変わらずです」
「もっと出さないといけないだろ」
「ええ、注射の回数も増やしてますが」
「血圧ももっと上げないと」
「はい、エホチールの注射も合間にしてはいるんですが」
「まあとにかく頑張って」
「はい」
何をどうしたらいいのか、具体的なアドバイスもないまま。
病室へ入ると、高校生くらいの女の子が1人、じっと座っている。彼女は僕と患者本人・・母親を交互に見つめていた・・。というより、睨んでいた、に近い。
僕はただ、理学的所見を取りながら独り言をつぶやくだけだった。
夜9時、付き添いの交代が来られた。患者本人の友人らしい。お水系の女性だ。
「どうなんですか」
と聞かれるが、血縁でない人に安易に病状経過は語れない。
「悪いんですか?どうなってんの?」
「家族の方には明日説明するつもりです」
「病院でしょうが、ここは?早くなんとかしてよ!」
「今は・・治療している最中です」
「そんなん知ってるわあ。で、ここタバコ吸ったらいかんわけ?」
「ダメです」
「この人死んでもうたら、ダンナはおらんし娘1人で、誰がひきとるんか・・。それ考えただけでパニックやで」
「・・・・・」
「今日はまあ私ら付き添うけど、仕事あるさかいなあ」
「・・・・・」
「明日からは無理やで」
「では、付き添いされるのは娘さんだけなのですか・・」
「そうやな。でもあのコ、まだ高校2年やで。学校も行かないかんし」
「じゃあ、説明聞かれる家族さんは」
「娘に説明しといてえな。わしらは義理やけど、そう何度も来れへんし」
「高2の、あの子にですか?他の方にも来ていただくようには伝えましたが」
「いや、あの子しか来ないよ。まあいろいろ事情はあってな。人間関係とかいろいろあんねん。ま、恵まれてる人にはわからん話や」
こういった経緯で、ムンテラは娘1人が聞くことになった。
入院翌日、その娘へムンテラ。
症例のカンファレンスが終わった。一足先に失礼して、娘さんの待つカンファレンスルームに入った。
「失礼します」
その子は身動きひとつせず、座ってこちらを凝視していた。
「今日も一通り検査をしました。血液検査でも心臓の筋肉はまだ壊死が続いている状態です。これに伴って不整脈も増えてきて、心不全の状態が続いてます。血圧も下がってきてます。薬の効果はほとんどないようです。呼吸状態も悪くなったので、人工呼吸管理も開始しています」
「・・・・・」
「心臓の力もかなり弱まってきているので、医者全員で出した結論ですが・・人工的に心臓の役目を代用させて、循環の状態を保たせることで、心不全の治療を進めていきたいのです。その間に心臓の動きが復活してくるようなら、離脱へともっていきたいと思ってます」
うまく説明できない。
「具体的には、股の血管から管を入れまして・・心臓の入り口と出口の2箇所です。心臓・肺はPCPSという・・人工心肺が行います。この機械が押し出した血液を心臓の出口から全身に送り、全身から帰ってきた血液は心臓の手前で回収して、この機械の「肺」の中で酸素化された血液を、また押し出して全身に・・こういったことを繰り返すのです」
「・・・・・」
「脈は肩のほうから入ってます管、ペースメーカーが調節します。それとIABPという管を心臓の出口に留置して、心臓そのものの血流も保つようにします。あと腎不全に対して人工透析も」
「・・・・・」
「ただ、合併症として・・・出血。管が入るので血が固まりにくくする点滴を入れるわけですが、出血しやすい状態となる恐れがあります。それと・・感染。あと、心臓の中の血液の流れが乏しくなるので、血液が淀みやすくなります。その場合、血栓という血の塊ができることがあります。さっきの薬を使ったとしてもです」
「・・・・・」
正直、大汗と睡眠不足で頭が虚血状態だった。
「では今からそれらを開始します」
医者5名、数時間かかってようやくその「回路」は完成した。オーベンがほとんどやってくれた。いくつもの機械音が工場のように音をたてている。
「ふう。あとは血液の凝固系が一定になってるかどうか、凝固時間を定期的に調べてくれな」
「はい」
「脳へのダメージが心配だが・・血圧はある程度キープしろよ」
「・・・ええ」
「ホントは2人体制としたかったが・・学会や講演会で人がいない。すまんが君1人で数日やってくれ」
「・・・・・」
「何か予定があったら言ってくれ」
「いや、予定は・・・ないです」
「そうか。食事は出前でとるしかないな。大変だろうが」
「はい、ありがとうございました」
夕方を過ぎた。彼女はもう飛行機に乗ったはずだ。
重症板が置いてある。1時間毎のバイタル記録だ。高熱、低血圧、低酸素・・すべて状況が悪化している。低空飛行とはこのことだ。
モニターは様々な波形を打ち出している。自己脈は徐脈となり一時ペースメーカーによる管理へと変わっていたが、時折頻発する不整脈のアラーム音が不気味に鳴り響いていた。
ブーッとポケットの振動音。
「も・・もしもし」
「もうそっちの病院の前に着いたの。出てこれる?」
「な・・予定より早すぎるよ?」
「1便早かったの。まあ、ここで待つことにするわ」
「待合室は患者の家族がいるかもしれないから・・目立たないようにな」
詰所を出て行こうとしたところ、ナースから呼び止められた。
「先生、どこへ?」
「トイレ!すぐ戻ってくるから!」
「お願いしますよ・・」
待合室の隅っこで、彼女は待っていた。
「これが、アパートの鍵。タクシーで行って、先に入ってて」
「晩ご飯、まだ食べてないけど」
「・・・じゃああとで俺が何か買っていくから!」
「患者さんの容態は?」
「そんなの関係ないだろ」
「明日にはよくなるの?」
「知らない・・・あ、ポケベルが」
ホントに鳴っているのだ。
「先に寝ておくかもしれないよ」
「ああ、いいよ」
そのまま詰所に戻った。誰にも見つかることはなかった。
「ああ先生、もう1人の患者さん、ASの」
「ああ、あの人が・・?」
「入院してから・・・末梢が冷たいせいか、SpO2がなかなか測定できないんです」
「循環が悪いからね」
「どうしましょうか。今60%となってますが」
「そんなはずはない!」
「でも先生、測定結果ですから、あくまでも。こういったときの指示は?」
「指示・・?そんなの出しようがない」
「じゃあ酸素は今のままでいいんですね?増やさなくても?」
「そのつど動脈血取らないと分からないよ」
「先生、じゃあそこは先生の判断でお願いしますね。今日もずっとお泊りですよね」
「いや、それが・・ちょっと数時間失礼するかも」
「え?その間急変したら?」
「当直を呼んでよ」
「先生、今日の当直は耳鼻科の先生です」
「じ・び・か・・・」
「先生をコールしますね」
「あ、ああ・・ちょっと医局へ行くかもしれない」
夜の11時。患者のバイタルもある意味落ち着いている。ラ音、血圧100mmHg前後、乏尿は相変わらずだが。
家族は控え室で眠っている様子だ。
「じゃ、失礼します・・」
ダッシュで病院を出た。
<つづく>
<レジデント・サード 8 MYOCARDITIS >
2004年3月15日 連載<レジデント・サード 8 MYOCARDITIS >
心臓カテーテル検査の見学をしていたところ、ポケベルが鳴った。
「失礼します」
ガイーンとドアを開き、手袋を外して内線電話へ。
「もしもし?」
「オーベンだ。VPCの連発で、心不全もあるようだ。これから病棟へ上げる。主治医は君が」
「はい」
「43歳の女性だ。開業医からの紹介」
若いな・・。先天性のものか?
病棟に到着したストレッチャーは物凄い勢いで重症部屋に突進した。伊藤が背を向けながら、巧妙に部屋へ誘導している。
「頭から頭から!酸素、10リットル、マスク!そこ、ジャマ!台はのけて!」
ベッド周囲にある台などが部屋から放り出された。
「キシロカイン1アンプルの準備!救急カートを!DCも持ってきといて!」
それほど重症なのか・・。
「いくぞ、1,2・・・3!」
大柄の女性をベッド両側2人ずつが持ち上げ移動する。伊藤が仕切る。テキパキとしたその様は、昨年の野中を髣髴とさせる。
「モニター出てない!SpO2モニターを!早く早く・・!ボケッとしないで!」
看護婦がバルーンを挿入。病衣への着替え。すると突然、患者が痙攣しはじめた。
「こ、convulsionだ!あ?VT!VT!ユウキ先生!みんな!押さえて!」
全員が抑えにかかったが、患者の両足のキックで2人の看護婦が投げ飛ばされた。
モニターはVT。伊藤はキシロカインを静注、直後に胸部をドン、とチョップした。
モニターは・・一瞬サイナスになりかけたが・・それは一瞬だった。
「ダメだダメだ!DCを!」
看護婦が慌てながら電源をセッティング。伊藤はパッドを両手に持つが、DCが割と遠くにあり、患者に届かない。
「くそっ!おい!もっとこっちへ持ってこいよ!」
ハッとした僕はDCを彼・患者のほうへ持っていった。
「いくぞ!200ジュール!離れてよ!おいそこ!足首持ってるナース!離れろよ!モニター、いったん外すぞ!」
ズドンと電流が流れた。モニターを再度つける。波形は・・どうやらサイナスに戻ったようだが、まだshort runが頻発している。
この患者は一体・・・?
伊藤がいつになくパニクっていた。
「だめだ!これじゃ、またVTになるな・・・マグネゾールを用意!」
オーベンたち上級医が次々と病棟へ上がってきた。吉本先生がエコーをガラガラと運んできた。
「どけどけ!どけーい!」
レジデント2人で電源等を用意。プローブは吉本せんせいが当てた。伊藤が横から覗く。
「・・・見ろ!心嚢液がかなり溜まっている・・」
「タンポナーデですか?」
「違う。量はさほど多くない。しかし心臓の動きが極端に全般的に悪い。これは・・」
僕が横から口をはさんだ。
「虚血性心筋症」
「ICMとは違うだろ。動きが悪いことは悪いが、DCMみたいに左心室の内腔がスペード型にデカイわけじゃない。やはりこれは・・myocarditisだ」
「ミオカルダイティス・・・心筋炎!」
「上気道炎と開業医で診断されて、風邪薬を貰ってたようだ」
伊藤が採血データを持ってきた。
「心筋酵素はすべて上昇。CPK-MBも高値です。12誘導心電図でST上昇はないですね。というより、low voltageです。心嚢液の貯留のせいかな」
「伊藤君、検査にウイルス抗体価を足しといてくれ。コクサッキーとかいろいろ」
「結果は1週間くらいですかね」
「あくまで急性期の抗体だ。診断には寛緩期の抗体もいる」
僕は身を乗り出した。
「じゃあ、診断が確定するのは・・病状が安定してからですか?
「ペア血清での4倍以上の上昇、って習わなかったのか?それに君、この病気の診断は総合的に行うものだ。抗体での診断はあまりアテにもならんしな」
VPCはようやく2連発どまりだ。吉本先生は大汗だ。
「さて、ユウキ君。順番では君が主治医だ。頼むよ。いつものようにどこかで眠っているヒマはないかもしれんぞ」
「・・・」
「血液ガスが悪ければ人工呼吸管理もやむを得まい。血圧も低い。点滴では簡単には血圧上がらんだろう。そうなるとPCPSやIABPも入れないと」
伊藤が興奮している。
「これは忙しくなりそうですね」
「その場合、夜は輪番制にしないとな。1日2人体制で。しかし今日は忙しいな」
伊藤はギョッとした。
「も、もう1人入るので?」
「もうすぐ入ってくるよ。AS心不全。72歳女性だ」
大動脈弁狭窄症か。これは苦手だ。
「伊藤君、そこで・・主治医をお願いするよ」
「ええ、ですが先生。わたくし、学会での発表が」
「そうだったな。もう出発する日だ。すると・・・」
僕らレジデント2人より上の先生は、みな32歳以上の、実質的「上級」医だ。みんな夕方5時になると帰宅する、というポリシーを持つ。
「ユウキ君。頼む」
「え・・?」
「え?はないだろう。主治医を頼む」
「は、はい・・」
「なんだね、君も何か用事が?」
「用事ですか?いえ・・」
用事はあったが、言えるはずもなかった。
間もなく患者が運ばれてきた。酸素は2L程度だが、血圧が80mmHg台と低い。血液データでは腎不全がある。おそらく AS進行 → 心拍出量低下 → 腎前性の腎不全 + 肺うっ血・胸水貯留 となったのだろう。利尿剤で胸水が取れても、補液が十分でないと腎不全が進行してしまう。一番いいのはオペなんだが・・心不全の状態で、できるわけもない。
「看護婦さん、心筋炎の人、これお願い。ドブトレックス持続で。血圧上が90mmHg以下なら増量で」
「でも先生、ずっとここに泊まられるんですよね?」
「そうは言ってない」
「今でもショートラン出てますよ。そういったときの指示は?」
「3連発以上出た場合は、キシロカインを・・」
「あ、出た!4連発!」
「キシロカインivして、持続で開始・・」
「では、今から開始ですね」
「そうだな・・」
ポケットの中がブーブーいってる。セルラーが早速鳴っているのだ。遠距離のアイツからだ。ムンテラの部屋にこもる。
「もしもし」
「ああ、あたし。明日の夕方に、そっち着くから」
「今日、患者当てられたんだ。重症を2名」
「?でももう飛行機のチケットも取ったよ」
「いやその、今日はもう帰れそうにもないし」
「いいわよ、明日は飛行場からタクシー乗るから」
「うちに来たとしても、僕が帰れるかどうか」
「ちゃんと指示出したらいいじゃないの!」
「違う!急性心筋炎で・・!」
声が廻りに漏れそうだ。
「急性心筋炎で、不整脈も頻発してるんだよ」
「でもあたし、明日来れなかったら1ヶ月くらい週末休暇取れないわよ」
「ああ、それは仕方ないだろ」
「でももうチケット取ったし、行く。無理ならアパートで待ってる」
これだから、もう会いたくないんだよ・・・。
「・・わかった。土曜日の夜、アパート前まで来たら電話を。鍵、開けるから」
「他のレジデントに頼んでよ。そういう友達いないの?普段から仲良く・・・」
「そいつも忙しいんだよ!あ、不整脈!悪いけど、切る」
早く切りたいときは、これに限る・・・。
しかし、携帯電話も良し悪しだな。
もうすでに晩になっており、病棟に医者は僕しかいない。待機の係も僕。夜勤の看護婦2人は忙しく動き回っていた。
忘れた頃に鳴ってくる、モニターの警報音から、目が・耳が離せない・・・。
僕は首をゆっくり垂れながら、次第に眠りについた・・・・。
<つづく>
心臓カテーテル検査の見学をしていたところ、ポケベルが鳴った。
「失礼します」
ガイーンとドアを開き、手袋を外して内線電話へ。
「もしもし?」
「オーベンだ。VPCの連発で、心不全もあるようだ。これから病棟へ上げる。主治医は君が」
「はい」
「43歳の女性だ。開業医からの紹介」
若いな・・。先天性のものか?
病棟に到着したストレッチャーは物凄い勢いで重症部屋に突進した。伊藤が背を向けながら、巧妙に部屋へ誘導している。
「頭から頭から!酸素、10リットル、マスク!そこ、ジャマ!台はのけて!」
ベッド周囲にある台などが部屋から放り出された。
「キシロカイン1アンプルの準備!救急カートを!DCも持ってきといて!」
それほど重症なのか・・。
「いくぞ、1,2・・・3!」
大柄の女性をベッド両側2人ずつが持ち上げ移動する。伊藤が仕切る。テキパキとしたその様は、昨年の野中を髣髴とさせる。
「モニター出てない!SpO2モニターを!早く早く・・!ボケッとしないで!」
看護婦がバルーンを挿入。病衣への着替え。すると突然、患者が痙攣しはじめた。
「こ、convulsionだ!あ?VT!VT!ユウキ先生!みんな!押さえて!」
全員が抑えにかかったが、患者の両足のキックで2人の看護婦が投げ飛ばされた。
モニターはVT。伊藤はキシロカインを静注、直後に胸部をドン、とチョップした。
モニターは・・一瞬サイナスになりかけたが・・それは一瞬だった。
「ダメだダメだ!DCを!」
看護婦が慌てながら電源をセッティング。伊藤はパッドを両手に持つが、DCが割と遠くにあり、患者に届かない。
「くそっ!おい!もっとこっちへ持ってこいよ!」
ハッとした僕はDCを彼・患者のほうへ持っていった。
「いくぞ!200ジュール!離れてよ!おいそこ!足首持ってるナース!離れろよ!モニター、いったん外すぞ!」
ズドンと電流が流れた。モニターを再度つける。波形は・・どうやらサイナスに戻ったようだが、まだshort runが頻発している。
この患者は一体・・・?
伊藤がいつになくパニクっていた。
「だめだ!これじゃ、またVTになるな・・・マグネゾールを用意!」
オーベンたち上級医が次々と病棟へ上がってきた。吉本先生がエコーをガラガラと運んできた。
「どけどけ!どけーい!」
レジデント2人で電源等を用意。プローブは吉本せんせいが当てた。伊藤が横から覗く。
「・・・見ろ!心嚢液がかなり溜まっている・・」
「タンポナーデですか?」
「違う。量はさほど多くない。しかし心臓の動きが極端に全般的に悪い。これは・・」
僕が横から口をはさんだ。
「虚血性心筋症」
「ICMとは違うだろ。動きが悪いことは悪いが、DCMみたいに左心室の内腔がスペード型にデカイわけじゃない。やはりこれは・・myocarditisだ」
「ミオカルダイティス・・・心筋炎!」
「上気道炎と開業医で診断されて、風邪薬を貰ってたようだ」
伊藤が採血データを持ってきた。
「心筋酵素はすべて上昇。CPK-MBも高値です。12誘導心電図でST上昇はないですね。というより、low voltageです。心嚢液の貯留のせいかな」
「伊藤君、検査にウイルス抗体価を足しといてくれ。コクサッキーとかいろいろ」
「結果は1週間くらいですかね」
「あくまで急性期の抗体だ。診断には寛緩期の抗体もいる」
僕は身を乗り出した。
「じゃあ、診断が確定するのは・・病状が安定してからですか?
「ペア血清での4倍以上の上昇、って習わなかったのか?それに君、この病気の診断は総合的に行うものだ。抗体での診断はあまりアテにもならんしな」
VPCはようやく2連発どまりだ。吉本先生は大汗だ。
「さて、ユウキ君。順番では君が主治医だ。頼むよ。いつものようにどこかで眠っているヒマはないかもしれんぞ」
「・・・」
「血液ガスが悪ければ人工呼吸管理もやむを得まい。血圧も低い。点滴では簡単には血圧上がらんだろう。そうなるとPCPSやIABPも入れないと」
伊藤が興奮している。
「これは忙しくなりそうですね」
「その場合、夜は輪番制にしないとな。1日2人体制で。しかし今日は忙しいな」
伊藤はギョッとした。
「も、もう1人入るので?」
「もうすぐ入ってくるよ。AS心不全。72歳女性だ」
大動脈弁狭窄症か。これは苦手だ。
「伊藤君、そこで・・主治医をお願いするよ」
「ええ、ですが先生。わたくし、学会での発表が」
「そうだったな。もう出発する日だ。すると・・・」
僕らレジデント2人より上の先生は、みな32歳以上の、実質的「上級」医だ。みんな夕方5時になると帰宅する、というポリシーを持つ。
「ユウキ君。頼む」
「え・・?」
「え?はないだろう。主治医を頼む」
「は、はい・・」
「なんだね、君も何か用事が?」
「用事ですか?いえ・・」
用事はあったが、言えるはずもなかった。
間もなく患者が運ばれてきた。酸素は2L程度だが、血圧が80mmHg台と低い。血液データでは腎不全がある。おそらく AS進行 → 心拍出量低下 → 腎前性の腎不全 + 肺うっ血・胸水貯留 となったのだろう。利尿剤で胸水が取れても、補液が十分でないと腎不全が進行してしまう。一番いいのはオペなんだが・・心不全の状態で、できるわけもない。
「看護婦さん、心筋炎の人、これお願い。ドブトレックス持続で。血圧上が90mmHg以下なら増量で」
「でも先生、ずっとここに泊まられるんですよね?」
「そうは言ってない」
「今でもショートラン出てますよ。そういったときの指示は?」
「3連発以上出た場合は、キシロカインを・・」
「あ、出た!4連発!」
「キシロカインivして、持続で開始・・」
「では、今から開始ですね」
「そうだな・・」
ポケットの中がブーブーいってる。セルラーが早速鳴っているのだ。遠距離のアイツからだ。ムンテラの部屋にこもる。
「もしもし」
「ああ、あたし。明日の夕方に、そっち着くから」
「今日、患者当てられたんだ。重症を2名」
「?でももう飛行機のチケットも取ったよ」
「いやその、今日はもう帰れそうにもないし」
「いいわよ、明日は飛行場からタクシー乗るから」
「うちに来たとしても、僕が帰れるかどうか」
「ちゃんと指示出したらいいじゃないの!」
「違う!急性心筋炎で・・!」
声が廻りに漏れそうだ。
「急性心筋炎で、不整脈も頻発してるんだよ」
「でもあたし、明日来れなかったら1ヶ月くらい週末休暇取れないわよ」
「ああ、それは仕方ないだろ」
「でももうチケット取ったし、行く。無理ならアパートで待ってる」
これだから、もう会いたくないんだよ・・・。
「・・わかった。土曜日の夜、アパート前まで来たら電話を。鍵、開けるから」
「他のレジデントに頼んでよ。そういう友達いないの?普段から仲良く・・・」
「そいつも忙しいんだよ!あ、不整脈!悪いけど、切る」
早く切りたいときは、これに限る・・・。
しかし、携帯電話も良し悪しだな。
もうすでに晩になっており、病棟に医者は僕しかいない。待機の係も僕。夜勤の看護婦2人は忙しく動き回っていた。
忘れた頃に鳴ってくる、モニターの警報音から、目が・耳が離せない・・・。
僕は首をゆっくり垂れながら、次第に眠りについた・・・・。
<つづく>
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< レジデント・サード 7 ATTACK! >
2004年3月14日 連載< レジデント・サード 7 ATTACK! >
病棟からポケベル呼び出し。
「もしもし」
「ああ、オーベンだ。これから除細動するところだ。手伝ってくれ。伊藤にも連絡した」
「はい」
病棟では患者が横になっており、モニターがついている。モニターはafだ。
「やあレジデント、僕の患者はどうだった?」
「はい、喘息の吸入について話して来ました」
「そうかそうか・・この患者は昨日からafのようだ。内服、点滴試したが効き目はない。エコーでは所見はない。外来での甲状腺機能検査も異常なし。lone afだろう」
「はい・・」
「左心房径も大きくないから、長期になってきたわけでもなさそうだ。で今、DCの準備もしている。鎮静剤で徐々に眠らせるところだ」
「手伝います」
「じゃ、君がDC係。右と左のパッドを間違えるな。パッドはこう密着させて・・」
「はい」
「したことは?」
「・・ありません」
患者は心配そうに顔を上げた。
「だ、大丈夫でしょうか」
オーベンはなだめた。
「はいはい、全く問題ないですよ。はい、そろそろ眠くなります」
麻酔薬がゆっくり静注された。患者の意識はすぐに遠のいていった。伊藤がアンビューで呼吸を補助する。
「ユウキ先生、さあ、患者の横に立って!じゃ、いくぞ。おい看護婦!ベッドに触るな!離れろ!感電するぞ!・・・・50ジュールで設定、と・・。さあ、行け!」
僕は両手でパッドを密着させ、ボタンを押した。
バン!という一瞬の衝撃で患者の体が宙に浮いた。患者の表情が苦悶様になった。
「うううう・・いてええよおおお」
モニターを見ると、一瞬サイナスに戻ったが、30秒もしないうちにafに戻った。
「ユウキ先生!今度はつまみを100ジュールへ上げろ!」
「は、はい」
「行け!」
患者の胸元を睨みながら、ズドンとさっきの2倍の電流を放出した。
「ううわあああああ・・・」
「先生心配するな、寝言のようなものだ」
「は、はい」
患者は少しのけぞった。モニターの波形はサイナスに戻った。どうやら成功したようだ。afになる気配なし。
「じゃ、終わろう。先生、DCする前に確認しておくことは?」
「・・・?」
「伊藤君、どうだ」
「はい。左房内血栓の有無の確認です。通常の経胸壁エコーでは細部まで見えませんので、食道エコーで確認します。特に心耳のあたりをです」
「そうだ、この人はそれがなかったわけだ。じゃあユウキ先生、afになって血栓が形成されるまでどれくらい時間がかかる?一般的に?」
「ええっと・・すぐでしょうか」
「・・・伊藤君」
「48時間以内と教わりました」
「そのとおり!」
パリ挑戦権、獲得!
6月になり、そろそろ暑くなってシビアな患者が運ばれてきそうな雰囲気だ。重症部屋も明暗が分かれ、死亡退院か軽快退院か白黒つきそうな気配。
病院の近所でやっと買えた携帯電話、セルラー。これで暑苦しい公衆電話にも入らずに済む。でも病院には番号は教えまい。
夜11時、風呂も出てようやく寝ようとしたところ・・・。
ピーピーピーピー・・・病院からだ。大した用事でなきゃいいが。
「もしもし。かけられましたか?」
「一般内科病棟です。循環器の、今日の当番ですね?」
「ええ、そうですが」
そうか、表をいちいちチェックしてなかったが、今日は僕が当番だ。といっても2日に1度だけど。
「肺炎で入院している方が、脈が140くらいあるんです」
「・・・当直の先生は」
「当直?病院の当直ですか?」
「ええ、もしその先生が診ていただけるようなら・・」
「先生、今日の当直医は整形外科の先生ですよ。無理です。とにかく先生、来てください」
「あの、他のバイタルは・・」
ガチャッと切られた。
「く、そー!」
勢いよく飛び起きて、翌日分の着替えを着た。自転車に乗り込み、信号無視で一路病院へ。
「あ、来た」
夜勤の看護婦が見つけたぞとばかりにチェックを入れた。
「カルテはこれです」
「・・・患者さんは?」
「412号です」
60代男性。レントゲンでは右のS4/5の肺炎。中葉症候群か。血痰が出るらしい。熱は38度台。抗生剤は・・セフェム3世代。しかし熱は2日経っても下がってない。
カルテには「呼吸器科受診」とある。もうお手上げらしい。入院時の12誘導心電図。II誘導とIII誘導が下向き。強い左軸偏位。オーベンから以前教わったが、何らかの心疾患が潜んでいると
疑うべき。
今のモニター波形は・・モニターの誘導はII誘導か。入院時の心電図と照らし合わせると・・STが下がってる、多少。こういうときは、とにかくオーベンの指導通り・・
「12誘導心電図を」
「先生が自分でとってください」
「・・・・・」
II , III , aVFでSTが低下しているが、若干。1mm以下だ。熱で脈拍が増えて、運動負荷試験みたいになったのか・・。
「先生、患者さんが胸が苦しいと」
「ええ、知ってます」
「STが下がってるんですか、先生。ニトロは」
「胸の苦しさは、肺炎のほうかもしれないし」
「でも苦しがってますが・・違うんですか?」
「ち、違うと思う、ですが・・」
「心電図の変化は放っといていいんですね?」
「ST低下といっても1mm以下です。有意な所見とはいえないので」
「じゃあ胸が苦しいときの指示は?」
「え?そ、それは・・」
「先生にコールすればいいんですね?」
「いや、それは困ります」
「何もしないということですか?」
嫌な奴に当たったものだな・・・。
結局、様子観察となった。低酸素時の指示だけ出した上で。
その帰り、循環器の病棟を通りかかった。どうか見つかりませんように・・・。
「あ、先生。ちょうどいいところへ」
「え?何?」
「この前DCしてサイナスに戻ったpafの人。またafになったんです」
「・・・たしかに。でも今は夜中だし、スタッフもいないから。DCするとしても明日になるよ」
「患者さんが不安がっているんです。説明して頂けませんか」
「僕から・・?主治医は伊藤だし、夜中の3時だよ」
「朝まで待てないって言うんです」
「じゃあ、内服を・・今はフリーか。じゃ、サンリズム・・これ、50mg 2カプセルを1回内服で出しといて」
「これで効かなかったらどうするんですか」
「効果は朝の9時くらいまでは待って」
「・・・要するに先生方が出勤されるまで待て、と?」
「そういうこと。悪いけど・・・寝させて」
「じゃ、サンリズムですね」
「そう」
「2カプセルですね。いっぺんにですね」
「そうだよ」
「50mgを2カプセルですね」
「そうだって。カルテにも書いたよ」
「ええそうですが。一応確認しないと。サンリズムですね」
「だから!はよう飲ませてくれよ!」
「効果は、朝の9時までですね!」
「あのなあ・・・」
しつこいなあ・・・。
約15分後、サイナスに戻ったという連絡が。内服がちょうど吸収された時間なので、自然軽快なのかは謎のままだ。
心臓カテーテル検査の見学をしていたところ、ポケベルが鳴った。
「失礼します」
ガイーンとドアを開き、手袋を外して内線電話へ。
「もしもし?」
「オーベンだ。VPCの連発で、心不全もあるようだ。これから病棟へ上げる。主治医は君が」
「はい」
「43歳の女性だ。開業医からの紹介、今から病棟へ・・・ああ!おい!急げ!」
電話の向こうでドタバタする音。
何だ?何が起こってるんだ?
<つづく>
病棟からポケベル呼び出し。
「もしもし」
「ああ、オーベンだ。これから除細動するところだ。手伝ってくれ。伊藤にも連絡した」
「はい」
病棟では患者が横になっており、モニターがついている。モニターはafだ。
「やあレジデント、僕の患者はどうだった?」
「はい、喘息の吸入について話して来ました」
「そうかそうか・・この患者は昨日からafのようだ。内服、点滴試したが効き目はない。エコーでは所見はない。外来での甲状腺機能検査も異常なし。lone afだろう」
「はい・・」
「左心房径も大きくないから、長期になってきたわけでもなさそうだ。で今、DCの準備もしている。鎮静剤で徐々に眠らせるところだ」
「手伝います」
「じゃ、君がDC係。右と左のパッドを間違えるな。パッドはこう密着させて・・」
「はい」
「したことは?」
「・・ありません」
患者は心配そうに顔を上げた。
「だ、大丈夫でしょうか」
オーベンはなだめた。
「はいはい、全く問題ないですよ。はい、そろそろ眠くなります」
麻酔薬がゆっくり静注された。患者の意識はすぐに遠のいていった。伊藤がアンビューで呼吸を補助する。
「ユウキ先生、さあ、患者の横に立って!じゃ、いくぞ。おい看護婦!ベッドに触るな!離れろ!感電するぞ!・・・・50ジュールで設定、と・・。さあ、行け!」
僕は両手でパッドを密着させ、ボタンを押した。
バン!という一瞬の衝撃で患者の体が宙に浮いた。患者の表情が苦悶様になった。
「うううう・・いてええよおおお」
モニターを見ると、一瞬サイナスに戻ったが、30秒もしないうちにafに戻った。
「ユウキ先生!今度はつまみを100ジュールへ上げろ!」
「は、はい」
「行け!」
患者の胸元を睨みながら、ズドンとさっきの2倍の電流を放出した。
「ううわあああああ・・・」
「先生心配するな、寝言のようなものだ」
「は、はい」
患者は少しのけぞった。モニターの波形はサイナスに戻った。どうやら成功したようだ。afになる気配なし。
「じゃ、終わろう。先生、DCする前に確認しておくことは?」
「・・・?」
「伊藤君、どうだ」
「はい。左房内血栓の有無の確認です。通常の経胸壁エコーでは細部まで見えませんので、食道エコーで確認します。特に心耳のあたりをです」
「そうだ、この人はそれがなかったわけだ。じゃあユウキ先生、afになって血栓が形成されるまでどれくらい時間がかかる?一般的に?」
「ええっと・・すぐでしょうか」
「・・・伊藤君」
「48時間以内と教わりました」
「そのとおり!」
パリ挑戦権、獲得!
6月になり、そろそろ暑くなってシビアな患者が運ばれてきそうな雰囲気だ。重症部屋も明暗が分かれ、死亡退院か軽快退院か白黒つきそうな気配。
病院の近所でやっと買えた携帯電話、セルラー。これで暑苦しい公衆電話にも入らずに済む。でも病院には番号は教えまい。
夜11時、風呂も出てようやく寝ようとしたところ・・・。
ピーピーピーピー・・・病院からだ。大した用事でなきゃいいが。
「もしもし。かけられましたか?」
「一般内科病棟です。循環器の、今日の当番ですね?」
「ええ、そうですが」
そうか、表をいちいちチェックしてなかったが、今日は僕が当番だ。といっても2日に1度だけど。
「肺炎で入院している方が、脈が140くらいあるんです」
「・・・当直の先生は」
「当直?病院の当直ですか?」
「ええ、もしその先生が診ていただけるようなら・・」
「先生、今日の当直医は整形外科の先生ですよ。無理です。とにかく先生、来てください」
「あの、他のバイタルは・・」
ガチャッと切られた。
「く、そー!」
勢いよく飛び起きて、翌日分の着替えを着た。自転車に乗り込み、信号無視で一路病院へ。
「あ、来た」
夜勤の看護婦が見つけたぞとばかりにチェックを入れた。
「カルテはこれです」
「・・・患者さんは?」
「412号です」
60代男性。レントゲンでは右のS4/5の肺炎。中葉症候群か。血痰が出るらしい。熱は38度台。抗生剤は・・セフェム3世代。しかし熱は2日経っても下がってない。
カルテには「呼吸器科受診」とある。もうお手上げらしい。入院時の12誘導心電図。II誘導とIII誘導が下向き。強い左軸偏位。オーベンから以前教わったが、何らかの心疾患が潜んでいると
疑うべき。
今のモニター波形は・・モニターの誘導はII誘導か。入院時の心電図と照らし合わせると・・STが下がってる、多少。こういうときは、とにかくオーベンの指導通り・・
「12誘導心電図を」
「先生が自分でとってください」
「・・・・・」
II , III , aVFでSTが低下しているが、若干。1mm以下だ。熱で脈拍が増えて、運動負荷試験みたいになったのか・・。
「先生、患者さんが胸が苦しいと」
「ええ、知ってます」
「STが下がってるんですか、先生。ニトロは」
「胸の苦しさは、肺炎のほうかもしれないし」
「でも苦しがってますが・・違うんですか?」
「ち、違うと思う、ですが・・」
「心電図の変化は放っといていいんですね?」
「ST低下といっても1mm以下です。有意な所見とはいえないので」
「じゃあ胸が苦しいときの指示は?」
「え?そ、それは・・」
「先生にコールすればいいんですね?」
「いや、それは困ります」
「何もしないということですか?」
嫌な奴に当たったものだな・・・。
結局、様子観察となった。低酸素時の指示だけ出した上で。
その帰り、循環器の病棟を通りかかった。どうか見つかりませんように・・・。
「あ、先生。ちょうどいいところへ」
「え?何?」
「この前DCしてサイナスに戻ったpafの人。またafになったんです」
「・・・たしかに。でも今は夜中だし、スタッフもいないから。DCするとしても明日になるよ」
「患者さんが不安がっているんです。説明して頂けませんか」
「僕から・・?主治医は伊藤だし、夜中の3時だよ」
「朝まで待てないって言うんです」
「じゃあ、内服を・・今はフリーか。じゃ、サンリズム・・これ、50mg 2カプセルを1回内服で出しといて」
「これで効かなかったらどうするんですか」
「効果は朝の9時くらいまでは待って」
「・・・要するに先生方が出勤されるまで待て、と?」
「そういうこと。悪いけど・・・寝させて」
「じゃ、サンリズムですね」
「そう」
「2カプセルですね。いっぺんにですね」
「そうだよ」
「50mgを2カプセルですね」
「そうだって。カルテにも書いたよ」
「ええそうですが。一応確認しないと。サンリズムですね」
「だから!はよう飲ませてくれよ!」
「効果は、朝の9時までですね!」
「あのなあ・・・」
しつこいなあ・・・。
約15分後、サイナスに戻ったという連絡が。内服がちょうど吸収された時間なので、自然軽快なのかは謎のままだ。
心臓カテーテル検査の見学をしていたところ、ポケベルが鳴った。
「失礼します」
ガイーンとドアを開き、手袋を外して内線電話へ。
「もしもし?」
「オーベンだ。VPCの連発で、心不全もあるようだ。これから病棟へ上げる。主治医は君が」
「はい」
「43歳の女性だ。開業医からの紹介、今から病棟へ・・・ああ!おい!急げ!」
電話の向こうでドタバタする音。
何だ?何が起こってるんだ?
<つづく>
< レジデント・サード 6 K >
2004年3月13日 連載< レジデント・サード 6 K >
「おいユウキ先生」
吉本先生から外来まで呼ばれ、入院依頼。
「68歳の男性なんだけどな。以前からカリウムが高いんだよ。慢性腎不全があって、重炭酸ナトリウムとか飲んでる。今回のカリは6.1なので、入院としたんだ」
「Cr 1.2mg/dlですか。腎機能がかなり悪いというわけでもないですね・・」
「1.2-2.0mg/dlをいったりきたりしてるんだ」
「カリウムのクリアランスが悪いんでしょうか」
「さあ、そういうのは大学で調べたかもしれんが・・何の意味があるのか俺には」
「じゃあ、検査をオーダーします」
「ああ、オーベンと相談して。ムンテラは厳しめにな!」
病棟に上がるまでの心電図では・・T波の増高。AMIの超急性期でもT波は増高するよな。
車椅子で患者をエレベーターへ。
「しんどくないですか?」
「え?ああ、しんどいよ、そりゃ」
「果物とか多く食べられたんですか?」
「え?ああ、カリウムいうのが高いんだってなあ。以前から注意されてきたんでね、守ってきたんだが」
「胸は苦しくないですか」
「え?わし、そんなに悪いの?」
「そういうわけでは」
「ちょうど家族が来てる、息子が。今日はすぐ仕事に戻らないといけないのでな、説明してくだされや」
「今ですか・・」
オーベンを確かめたが、今日は休みの日だ。エレベーターが開くと、そこのソファに家族らしき人が座って待っていた。
「家族の方ですか」
「ええ。なんか病棟上がる上がるって外来の看護婦さん言ってましたけど、こんなに待たされるとは。どうなってるんですか、この病院は!」
「こ、こちらへどうぞ」
詰所横の狭い部屋でムンテラ。
「どういった病状なんですか?外来の先生もハッキリ説明してくれなかったんですが」
「高カリウム血症です」
「え?」
「カリウムが高いんです。治療と検査が必要なので」
「はあ、まあわしは素人だから分かりませんがな。で、要点は?」
「・・あまり上がりすぎると、心臓が止まる事があります」
「なに?そんなに悪いんですか?」
「悪いというのではないんですが・・・でも、悪いです、今は」
「なんやよう分からん先生やなあ・・じゃあ今日にでも心臓が止まることもありうるわけ?」
「ありえます」
「それアンタ、治療してくれるんやろ?下げるならはよう下げてえな!しかし・・こりゃ親戚中呼ばないかんな。で、これから治療すんのやな?」
「は、はい、今から」
「わし、ビジネスで全国走り回ってんねん。携帯電話買ったから、連絡はこっちにしてえな」
「わかりました」
詰所へ。
「看護婦さん、カルチコールとメイロンを用意してください」
「え?急変ですか」
「今、外来から来た人」
「じゃあ救急カートとモニターを」
「ええ、お願いします」
「先生も手伝うんですよ!」
「な、何ですの、注射しまんの?」
有無をいわさずルートが入った。
「これからカリウムを下げます」
「おお、じゃあ治るわけですな。今日中に帰れますかいな」
「それは無理です」
「あれ、先生。さっきエレベーターですぐに帰れるとか言ってなかったっけ?」
「言うてません!カルチコールiv。メイロンもください」
そのときオーベンが駆けつけた。
「急変か?」
「いいえ。しかし高カリです」
「6.1か。確かに高いが、臨床症状はあまりたいしたことないな。心電図もブロックや徐脈にはなってないし」
「今カルチコールivしたところです」
「オイオイ先生、何をそんなに急いで・・今はそんなに焦らなくていいだろ。速効性のあるものは今は要らんだろが」
「しかしカリウムが・・」
「物事は総合的に考えろ。1つのものを見るな」
「・・はい・・」
注射の続行は中止となり、利尿剤の内服が加わった。オーベンより別室に通された。
「ああいう処置は、1人でしたらいかんぞ」
「先生がお休みだと聞きまして」
「理由にはならん。今日は重症患者がいるので出勤してきたんだ」
「すみません。家族がもう帰るとか言いますし」
「それも理由にはならん。レジデントが1人で処置をするにはまだ早い。オーベンでなくとも他の上級医を呼ぶべきだ」
「はい」
「カルチコールとメイロンを準備したか。いずれも速効性だからある意味正しいが。さらにどっちが速効性が高い?」
「それは・・」
「いいか。カルチコールは、直後。メイロンは5-10分後だぞ。こんなのは学生の段階で記憶しておくべきことだ。国家試験が終わってボケてしまったんじゃないか?」
「い、いえ」
「まあいい。僕の重症患者が一般内科の病棟にいるんだが。糖尿病で血糖コントールしてるがあまりうまくいってない。僕が診ているのは気管支喘息のほうだが。これから一緒に診てもらってもいいか?」
「ええ、それはもちろん」
「そうか、よし。じゃあ早速、病棟を覗いてきてくれ。喘息の状態を評価するように」
「はい」
一般内科病棟へ。
「すみません、DM・喘息の患者さんのカルテはどこですか」
ナースが無言で書き続けていた看護記録を切り離し、カルテが渡された。
汚い字だ。読めない。共診みたいだが、2人とも字が下手すぎる。
「あの看護婦さん。この字はなんて」
「一般内科の先生の字は読めるけど、先生んとこのドクターの字はもっと複雑ね」
「喘息発作は出てるんですか」
「毎日出てますよ。定期でソルメドの点滴がいってます」
病室へ。患者の喘鳴はかなりひどい。
「息苦しいですかー?」
「ええ。そりゃもう、ヒー。主治医の先生も、ヒー。何もしてくれとらん、ヒー。こんな効かん点滴だけじゃ」
「飲み薬は?」
「ちゃあんと飲んでますとも!」
「この赤いスプレーは?」
「これでっか。青いのが緊急の時やな。わしはスプレー嫌いじゃ。息苦しいのに、吸えっていうのが間違いじゃ!」
「口に近づけて吹いてますか・・1度やってみてください」
患者は赤いスプレーを・・ステロイドのスプレーを口の直ぐ外へ持っていった。スプレーを一生懸命押すが、吹きつけは頬っぺたのほうへ。
「こうなっていっこうに吸えんのじゃ」
僕は昨年学んだことを思い出した。
「これ、借りていいですか」
「新聞のこ、広告紙じゃよ」
「ええ、いいんです」
僕はそれを拡声器のように丸めた。
「ほら、選挙の宣伝みたいにこうして持って・・とんがったとこをくわえる」
「ふむ」
「で、反対方向からスプレーを、この円のすぐ外から吹きかける」
「すると・・?」
「噴出された粒子は口の入り口へ向かって、喉にくっつくことなく、まんべんなく気道に入る」
「ほお・・」
「やってみましょう」
「・・・できたできた。そうやあ、こういう説明なら分かるんや。どうも先生らの説明は、早口で難しくてよう分からん」
「分からなければ、聞く事ですよ」
「いやあ、聞け聞けいうてもやなあ、先生ら時々機嫌悪かったり、怒鳴ったりで、わしゃあ怖いんや。先生もそんな経験は・・ないわなあ、そりゃ」
いや、それはしょっちゅう。
ポケベルがまた鳴り出した・・・。
<つづく>
「おいユウキ先生」
吉本先生から外来まで呼ばれ、入院依頼。
「68歳の男性なんだけどな。以前からカリウムが高いんだよ。慢性腎不全があって、重炭酸ナトリウムとか飲んでる。今回のカリは6.1なので、入院としたんだ」
「Cr 1.2mg/dlですか。腎機能がかなり悪いというわけでもないですね・・」
「1.2-2.0mg/dlをいったりきたりしてるんだ」
「カリウムのクリアランスが悪いんでしょうか」
「さあ、そういうのは大学で調べたかもしれんが・・何の意味があるのか俺には」
「じゃあ、検査をオーダーします」
「ああ、オーベンと相談して。ムンテラは厳しめにな!」
病棟に上がるまでの心電図では・・T波の増高。AMIの超急性期でもT波は増高するよな。
車椅子で患者をエレベーターへ。
「しんどくないですか?」
「え?ああ、しんどいよ、そりゃ」
「果物とか多く食べられたんですか?」
「え?ああ、カリウムいうのが高いんだってなあ。以前から注意されてきたんでね、守ってきたんだが」
「胸は苦しくないですか」
「え?わし、そんなに悪いの?」
「そういうわけでは」
「ちょうど家族が来てる、息子が。今日はすぐ仕事に戻らないといけないのでな、説明してくだされや」
「今ですか・・」
オーベンを確かめたが、今日は休みの日だ。エレベーターが開くと、そこのソファに家族らしき人が座って待っていた。
「家族の方ですか」
「ええ。なんか病棟上がる上がるって外来の看護婦さん言ってましたけど、こんなに待たされるとは。どうなってるんですか、この病院は!」
「こ、こちらへどうぞ」
詰所横の狭い部屋でムンテラ。
「どういった病状なんですか?外来の先生もハッキリ説明してくれなかったんですが」
「高カリウム血症です」
「え?」
「カリウムが高いんです。治療と検査が必要なので」
「はあ、まあわしは素人だから分かりませんがな。で、要点は?」
「・・あまり上がりすぎると、心臓が止まる事があります」
「なに?そんなに悪いんですか?」
「悪いというのではないんですが・・・でも、悪いです、今は」
「なんやよう分からん先生やなあ・・じゃあ今日にでも心臓が止まることもありうるわけ?」
「ありえます」
「それアンタ、治療してくれるんやろ?下げるならはよう下げてえな!しかし・・こりゃ親戚中呼ばないかんな。で、これから治療すんのやな?」
「は、はい、今から」
「わし、ビジネスで全国走り回ってんねん。携帯電話買ったから、連絡はこっちにしてえな」
「わかりました」
詰所へ。
「看護婦さん、カルチコールとメイロンを用意してください」
「え?急変ですか」
「今、外来から来た人」
「じゃあ救急カートとモニターを」
「ええ、お願いします」
「先生も手伝うんですよ!」
「な、何ですの、注射しまんの?」
有無をいわさずルートが入った。
「これからカリウムを下げます」
「おお、じゃあ治るわけですな。今日中に帰れますかいな」
「それは無理です」
「あれ、先生。さっきエレベーターですぐに帰れるとか言ってなかったっけ?」
「言うてません!カルチコールiv。メイロンもください」
そのときオーベンが駆けつけた。
「急変か?」
「いいえ。しかし高カリです」
「6.1か。確かに高いが、臨床症状はあまりたいしたことないな。心電図もブロックや徐脈にはなってないし」
「今カルチコールivしたところです」
「オイオイ先生、何をそんなに急いで・・今はそんなに焦らなくていいだろ。速効性のあるものは今は要らんだろが」
「しかしカリウムが・・」
「物事は総合的に考えろ。1つのものを見るな」
「・・はい・・」
注射の続行は中止となり、利尿剤の内服が加わった。オーベンより別室に通された。
「ああいう処置は、1人でしたらいかんぞ」
「先生がお休みだと聞きまして」
「理由にはならん。今日は重症患者がいるので出勤してきたんだ」
「すみません。家族がもう帰るとか言いますし」
「それも理由にはならん。レジデントが1人で処置をするにはまだ早い。オーベンでなくとも他の上級医を呼ぶべきだ」
「はい」
「カルチコールとメイロンを準備したか。いずれも速効性だからある意味正しいが。さらにどっちが速効性が高い?」
「それは・・」
「いいか。カルチコールは、直後。メイロンは5-10分後だぞ。こんなのは学生の段階で記憶しておくべきことだ。国家試験が終わってボケてしまったんじゃないか?」
「い、いえ」
「まあいい。僕の重症患者が一般内科の病棟にいるんだが。糖尿病で血糖コントールしてるがあまりうまくいってない。僕が診ているのは気管支喘息のほうだが。これから一緒に診てもらってもいいか?」
「ええ、それはもちろん」
「そうか、よし。じゃあ早速、病棟を覗いてきてくれ。喘息の状態を評価するように」
「はい」
一般内科病棟へ。
「すみません、DM・喘息の患者さんのカルテはどこですか」
ナースが無言で書き続けていた看護記録を切り離し、カルテが渡された。
汚い字だ。読めない。共診みたいだが、2人とも字が下手すぎる。
「あの看護婦さん。この字はなんて」
「一般内科の先生の字は読めるけど、先生んとこのドクターの字はもっと複雑ね」
「喘息発作は出てるんですか」
「毎日出てますよ。定期でソルメドの点滴がいってます」
病室へ。患者の喘鳴はかなりひどい。
「息苦しいですかー?」
「ええ。そりゃもう、ヒー。主治医の先生も、ヒー。何もしてくれとらん、ヒー。こんな効かん点滴だけじゃ」
「飲み薬は?」
「ちゃあんと飲んでますとも!」
「この赤いスプレーは?」
「これでっか。青いのが緊急の時やな。わしはスプレー嫌いじゃ。息苦しいのに、吸えっていうのが間違いじゃ!」
「口に近づけて吹いてますか・・1度やってみてください」
患者は赤いスプレーを・・ステロイドのスプレーを口の直ぐ外へ持っていった。スプレーを一生懸命押すが、吹きつけは頬っぺたのほうへ。
「こうなっていっこうに吸えんのじゃ」
僕は昨年学んだことを思い出した。
「これ、借りていいですか」
「新聞のこ、広告紙じゃよ」
「ええ、いいんです」
僕はそれを拡声器のように丸めた。
「ほら、選挙の宣伝みたいにこうして持って・・とんがったとこをくわえる」
「ふむ」
「で、反対方向からスプレーを、この円のすぐ外から吹きかける」
「すると・・?」
「噴出された粒子は口の入り口へ向かって、喉にくっつくことなく、まんべんなく気道に入る」
「ほお・・」
「やってみましょう」
「・・・できたできた。そうやあ、こういう説明なら分かるんや。どうも先生らの説明は、早口で難しくてよう分からん」
「分からなければ、聞く事ですよ」
「いやあ、聞け聞けいうてもやなあ、先生ら時々機嫌悪かったり、怒鳴ったりで、わしゃあ怖いんや。先生もそんな経験は・・ないわなあ、そりゃ」
いや、それはしょっちゅう。
ポケベルがまた鳴り出した・・・。
<つづく>
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< レジデント・サード 5 重症回診 >
2004年3月12日 連載< レジデント・サード 4 重症回診 >
「あ、部長が来られた」
早朝の病棟では循環器の医局員が全員整列、向こうから白髪の部長がのっしのっしとやってきた。
「重症は?」
壮年の副部長が答える。
「5名です。unstable AP , 重症肺炎、ARDS、HCM、pericarditis」
「廻ろう」
威厳のある部長に続き、医局員が続く。この点では大学病院と同じだ。
1つ決定的に違う点は・・教育に重きを置く教授と違って、入院患者の病状に常に重点を置いてくれているところ。
これら重症患者は僕らレジデント2人の担当だ。僕と・・伊藤。野中のタイプだ。
伊藤が説明。何も見ずにスラスラ説明してしまうのがコイツの凄いところ。
「58歳、UAPのPatientです。リスクファクターは高血圧。2週間前からST低下が進行性。誘導は広範囲です」
「・・入院後はST変化は進んでない?」
「ミリスロール・シグマートを開始してからは変化はありません。カテーテルは今週予定しています」
「どこの病変が疑われるね」
「おそらく主幹部と思われます」
「となると、バイパス術になるのかもしれんね。心臓外科にも一声かけておきなさい」
「わかりました」
「ユウキくん。unstable APの機序は知ってるね」
「?」
「はっはっは・・よく復習しときなさいよ。冠動脈の血管内皮の障害が起こって、そこに血栓が形成されるというものだ。その血栓が次第に血管を閉塞してくる」
僕の患者だ。
「71歳男性。重症肺炎。人工呼吸器がついています」
「肺炎か。循環器病棟に入院した理由は?」
「もともと高血圧があって、外来受診しています」
「主治医は誰だ?」
「ええっと・・・」
「どうした?」
「ぶ、部長です」
「え?どれどれ。ああ、この人か!ああそうかそうか、ハハハ」
平和な笑いで包まれた。
「そのレントゲンからすると、肺炎はかなり広範囲だね。抗生剤は?」
「チエナムです」
「チエナムね。とりあえず幅広く効く奴ですね。知恵がなくても使えるからチエナムって、おい、吉本くん、言ってたよね」
中堅医師の吉本先生が恥ずかしげに答えた。
「せ、先生の・・フルイトランで震えとらん・・もどうかと思いますが」
「ははは・・・で、チエナムは効いてそうですかな」
「CRPは入院時から14.5mg/dlから、3日後の今日は・・ええと・・」
「・・・・」
「21.8mg/dl・・」
「悪くなってるんですか・・レントゲンも?さっきの写真は入院時ですか」
「は、はい。あれ1枚です」
「肺炎だけに限りませんが、治療の指標は2-3日毎にフォローすべきですよ。肺炎だったら炎症所見・画像所見を同時に評価して」
「そうでした」
「CRPが上昇しているだけなら肺炎が悪化してるとも言い切れませんね。尿路感染の合併だったりもします。あるいは今入ってるIVHカテーテルのせいかも」
「はい」
「喀痰培養・尿培養は出しましたね?」
「は、はい」
しまった、忘れてた・・・。
「肺炎が悪化してる場合はオーベンと相談して抗生剤決めなさい」
次も僕の患者だ。
「77歳男性。これも肺炎と思われます。ARDSの状態です。人工呼吸管理中です」
「抗生剤以外には?」
「ミラクリッドが入ってます」
「DICにはなってないのですかな?」
「スコアは・・3点なので」
「しかし病状は進行してるようだから、pre-DICとしてFOY、始めたらどうですか」
「はい」
伊藤のHCMの患者。
「50歳男性、HCMです」
「非閉塞型のほうだね」
「はい。心不全で入院しました。酸素マスク5Lいってます」
「利尿剤での反応は・・いいようだね」
「今週で酸素減量して一般病棟へ移れたらと」
「よし!期待してるよ」
伊藤のpericarditisの患者。
「47歳女性。心電図で広範囲のST上昇あり」
「STの上昇は、下に凸のほうですな」
「そうです。心嚢液は全周性ですが、厚さは1cm以下で」
「massiveでないということだね。多くはない」
「壁運動への影響もほとんどないようです」
「収縮能力は問題ないけど、拡張障害はあるでしょうね。で、原疾患は?」
「胸部CTでは肺野に悪性腫瘍などの所見はないようです」
「縦隔腫瘍もね・・乳癌は外科外来にコンサルトしましたか?」
「CEA , CA15-3の結果が出ましたら相談の予定です」
「よろしい。急性心膜炎の場合、肺癌・乳癌などの悪性腫瘍に続発するもののルールアウトが最優先だ。ユウキ先生、で、急性心膜炎の治療は?」
「・・・」
「補液と安静だよ」
「はい・・」
朝の重症回診が終わり、9時から心エコーの見学だ。緒方先生が1人30-40分かけてみっちり診てくれる。
「えーと、じゃあ横になって」
エコーの患者さんを横にして、心電図などのセッティングを行うのがレジデントの仕事だ。単調だがやりがいがある。ただしモタモタしてると激が飛ぶ。
「オイ、心電図の位置、ずれてる!」
「は、はい」
患者を左側仰位にして開始。
「ふーむ・・・」
後ろから覗こうとするが、緒方先生の図体が大きすぎて、見えない。
「prolapseがあるな。でも若年の場合は問題ない。こういう所見が見えても即異常と判断してはいけない」
見えない。
「しかし合併したMRの程度が強い場合は別だ。左心房径が大きい場合もな」
見えない。
「こういう角度でも撮っておくことが必要だ」
だから、見えないって。
「はい、終わります」
プルルルルル・・・だんだん大きくなってくる音。病棟からの、呼び出し院内ポケベルだ。
「もしもし」
「先生、一般内科で胃カメラ予定の人ですが」
「ええ」
「朝の薬を夜勤のものが飲ませてしまいまして」
「?じゃあ、検査は中止ですねー」
「よろしいでしょうか」
いいわけないだろ・・。
「おい、レジデント!紙が切れたぞ、紙が!」
「え?」
「エコー用紙の紙!早く速く!」
「は、はい!」
「早く用紙して!」
またプルルル・・・とポケベル。ポケベル発明した奴が憎たらしい、が当時の口癖だったのは僕だけではない。
「もしもし」
「VPCが出てます。精査入院の方」
「メキシチール内服を」
「先生、それはもう出てます」
「?」
「先生今すぐ来てください」
「僕は手伝いが・・。誰かそこにいませんか?」
「西岡先生ならいますが・・・いいんですか?」
西岡先生はナースらからも恐れられている薬剤師、いや、ヤクザ医師だ。
「じゃ、行きますよ・・」
モニター波形の記録をみる。幅広いQRSが1分に3回くらい出ている。
「メキシチール飲んでてこれか・・」
「メキシチール処方しても、全然変わりないですね」
うるさいナースだなあ。
「不整脈感で入院して、モニターつけたらVPCだと思って、メキシチール処方したんだけど、効いてないのかなあ・・」
「どうしますか?」
「ちょっと考えます」
「指示は昼の2時までに出してください!」
「待ってってのに・・あ?」
よく見ると、QRSの前にP波がある。サイナスの部分のPQ間隔と同じだ。
「アベレーションですよ。これ。変行伝導だったんですよ。VPCじゃなく、SVPCとして扱うんだった!そうか!」
「ヘンコーデンドー?」
勝った・・・。
<つづく>
「あ、部長が来られた」
早朝の病棟では循環器の医局員が全員整列、向こうから白髪の部長がのっしのっしとやってきた。
「重症は?」
壮年の副部長が答える。
「5名です。unstable AP , 重症肺炎、ARDS、HCM、pericarditis」
「廻ろう」
威厳のある部長に続き、医局員が続く。この点では大学病院と同じだ。
1つ決定的に違う点は・・教育に重きを置く教授と違って、入院患者の病状に常に重点を置いてくれているところ。
これら重症患者は僕らレジデント2人の担当だ。僕と・・伊藤。野中のタイプだ。
伊藤が説明。何も見ずにスラスラ説明してしまうのがコイツの凄いところ。
「58歳、UAPのPatientです。リスクファクターは高血圧。2週間前からST低下が進行性。誘導は広範囲です」
「・・入院後はST変化は進んでない?」
「ミリスロール・シグマートを開始してからは変化はありません。カテーテルは今週予定しています」
「どこの病変が疑われるね」
「おそらく主幹部と思われます」
「となると、バイパス術になるのかもしれんね。心臓外科にも一声かけておきなさい」
「わかりました」
「ユウキくん。unstable APの機序は知ってるね」
「?」
「はっはっは・・よく復習しときなさいよ。冠動脈の血管内皮の障害が起こって、そこに血栓が形成されるというものだ。その血栓が次第に血管を閉塞してくる」
僕の患者だ。
「71歳男性。重症肺炎。人工呼吸器がついています」
「肺炎か。循環器病棟に入院した理由は?」
「もともと高血圧があって、外来受診しています」
「主治医は誰だ?」
「ええっと・・・」
「どうした?」
「ぶ、部長です」
「え?どれどれ。ああ、この人か!ああそうかそうか、ハハハ」
平和な笑いで包まれた。
「そのレントゲンからすると、肺炎はかなり広範囲だね。抗生剤は?」
「チエナムです」
「チエナムね。とりあえず幅広く効く奴ですね。知恵がなくても使えるからチエナムって、おい、吉本くん、言ってたよね」
中堅医師の吉本先生が恥ずかしげに答えた。
「せ、先生の・・フルイトランで震えとらん・・もどうかと思いますが」
「ははは・・・で、チエナムは効いてそうですかな」
「CRPは入院時から14.5mg/dlから、3日後の今日は・・ええと・・」
「・・・・」
「21.8mg/dl・・」
「悪くなってるんですか・・レントゲンも?さっきの写真は入院時ですか」
「は、はい。あれ1枚です」
「肺炎だけに限りませんが、治療の指標は2-3日毎にフォローすべきですよ。肺炎だったら炎症所見・画像所見を同時に評価して」
「そうでした」
「CRPが上昇しているだけなら肺炎が悪化してるとも言い切れませんね。尿路感染の合併だったりもします。あるいは今入ってるIVHカテーテルのせいかも」
「はい」
「喀痰培養・尿培養は出しましたね?」
「は、はい」
しまった、忘れてた・・・。
「肺炎が悪化してる場合はオーベンと相談して抗生剤決めなさい」
次も僕の患者だ。
「77歳男性。これも肺炎と思われます。ARDSの状態です。人工呼吸管理中です」
「抗生剤以外には?」
「ミラクリッドが入ってます」
「DICにはなってないのですかな?」
「スコアは・・3点なので」
「しかし病状は進行してるようだから、pre-DICとしてFOY、始めたらどうですか」
「はい」
伊藤のHCMの患者。
「50歳男性、HCMです」
「非閉塞型のほうだね」
「はい。心不全で入院しました。酸素マスク5Lいってます」
「利尿剤での反応は・・いいようだね」
「今週で酸素減量して一般病棟へ移れたらと」
「よし!期待してるよ」
伊藤のpericarditisの患者。
「47歳女性。心電図で広範囲のST上昇あり」
「STの上昇は、下に凸のほうですな」
「そうです。心嚢液は全周性ですが、厚さは1cm以下で」
「massiveでないということだね。多くはない」
「壁運動への影響もほとんどないようです」
「収縮能力は問題ないけど、拡張障害はあるでしょうね。で、原疾患は?」
「胸部CTでは肺野に悪性腫瘍などの所見はないようです」
「縦隔腫瘍もね・・乳癌は外科外来にコンサルトしましたか?」
「CEA , CA15-3の結果が出ましたら相談の予定です」
「よろしい。急性心膜炎の場合、肺癌・乳癌などの悪性腫瘍に続発するもののルールアウトが最優先だ。ユウキ先生、で、急性心膜炎の治療は?」
「・・・」
「補液と安静だよ」
「はい・・」
朝の重症回診が終わり、9時から心エコーの見学だ。緒方先生が1人30-40分かけてみっちり診てくれる。
「えーと、じゃあ横になって」
エコーの患者さんを横にして、心電図などのセッティングを行うのがレジデントの仕事だ。単調だがやりがいがある。ただしモタモタしてると激が飛ぶ。
「オイ、心電図の位置、ずれてる!」
「は、はい」
患者を左側仰位にして開始。
「ふーむ・・・」
後ろから覗こうとするが、緒方先生の図体が大きすぎて、見えない。
「prolapseがあるな。でも若年の場合は問題ない。こういう所見が見えても即異常と判断してはいけない」
見えない。
「しかし合併したMRの程度が強い場合は別だ。左心房径が大きい場合もな」
見えない。
「こういう角度でも撮っておくことが必要だ」
だから、見えないって。
「はい、終わります」
プルルルルル・・・だんだん大きくなってくる音。病棟からの、呼び出し院内ポケベルだ。
「もしもし」
「先生、一般内科で胃カメラ予定の人ですが」
「ええ」
「朝の薬を夜勤のものが飲ませてしまいまして」
「?じゃあ、検査は中止ですねー」
「よろしいでしょうか」
いいわけないだろ・・。
「おい、レジデント!紙が切れたぞ、紙が!」
「え?」
「エコー用紙の紙!早く速く!」
「は、はい!」
「早く用紙して!」
またプルルル・・・とポケベル。ポケベル発明した奴が憎たらしい、が当時の口癖だったのは僕だけではない。
「もしもし」
「VPCが出てます。精査入院の方」
「メキシチール内服を」
「先生、それはもう出てます」
「?」
「先生今すぐ来てください」
「僕は手伝いが・・。誰かそこにいませんか?」
「西岡先生ならいますが・・・いいんですか?」
西岡先生はナースらからも恐れられている薬剤師、いや、ヤクザ医師だ。
「じゃ、行きますよ・・」
モニター波形の記録をみる。幅広いQRSが1分に3回くらい出ている。
「メキシチール飲んでてこれか・・」
「メキシチール処方しても、全然変わりないですね」
うるさいナースだなあ。
「不整脈感で入院して、モニターつけたらVPCだと思って、メキシチール処方したんだけど、効いてないのかなあ・・」
「どうしますか?」
「ちょっと考えます」
「指示は昼の2時までに出してください!」
「待ってってのに・・あ?」
よく見ると、QRSの前にP波がある。サイナスの部分のPQ間隔と同じだ。
「アベレーションですよ。これ。変行伝導だったんですよ。VPCじゃなく、SVPCとして扱うんだった!そうか!」
「ヘンコーデンドー?」
勝った・・・。
<つづく>
<レジデント・サード 4 EMERGENCY 終編>
2004年3月11日 連載<レジデント・サード 4 EMERGENCY 終編>
事務がまた振り向いた。
「84歳女性!家族が起こしたところいっこうに目覚めない。呼吸はしっかりしているもよう」
「起こしたって・・今、夜中の4時だよ」
「あと3分で来ます」
「意識障害か、意識障害・・・まず50%TZを注射・・・低血糖を疑いまずはすべき治療。しかしまれに高血糖での意識障害もあるので注意・・?じゃあできるか?そんなの!看護婦さん、デキスター用意しといてください。で・・頭部CT、これは分かる。バイタル見て、脈、血圧・・・電解質・・血液ガスもな・・検査は一折いるな」
意識障害か・・痛みのあるなしは、前胸部の皮膚をつねって判断しろと、大学のオーベンから教わった。呼吸停止してたら、どうしよう。挿管は未熟でできないし・・・。どうか、息は大丈夫でありますように・・。でも一時ペースメーカーもできないな・・どうか脈が一人前でありますように。
救急車が到着。待ちきれず、救急車のトランク部へ。外から中が少し見える。どうやら心マッサージはしてなさそうだ。
「家族の方!この人の名前は・・柏木?呼んでも返事なかった?」
「はい、全然」
「そうですか。呼んでみます・・・かんじゃさーん!いや違ったゴメン、かしわぎさーん!」
全く返事なし。胸をつねっても反応なし。JCS-300。呼吸音は聞こえる。呼吸回数も12-20回の間。脈も触れ、規則的。
「血液ガス!ついでに通常の採血を・・・酸素とりあえず2L、ルートは、リンゲル液のポタコールRで。心不全あったら5%TZに変えるけど」
心電図は異常なし。そうだ、T波高くないか、U波は、QTは・・。異常なしのようだ。QTはR-R間隔の半分以下だし。Na以外の電解質異常はなさそう。
「頭部CTを!」
患者は運ばれていった。
循環器チーム3人が到着。
「おう、レジデント、おはよう。ああ、寝むてえ」
「ありがとうございます。自分は救急当番でして」
「なんだこのエコーの写真はあ?ブレてるじゃないか」
「はい、でも見たときは」
「学会のときにこういう写真が必要になったら困るだろ」
「はい、すみません」
「まあいい、林部長はあと30分かかる。その患者は1人か?」
「ええ」
「治験薬の話をするので、あとは俺たちが」
「治験薬?」
「ああ、新しいt-PAのな」
「それで投薬してはいけないと・・」
「いや、t-PA投与せずにダイレクトにPTCAだけする施設も多いよ。実際そのほうが成績がよいとするところも多い」
「そうですか。施設によって方針が違うんですね」
「ああ、だから君、他の施設から紹介があったら何も投与なしで送ってくるよう伝えろよ!紹介してくる病院は自分らの利益のために、あらかじめt-PAを投与してくるのも多い」
「はい・・・」
「先生、CTできました」
「はい・・・左右差はなし・・」
この左右差をみるという癖は大事だ。胸のレントゲン・CTの肺野の明るさ然り、両手・両足など骨の写真然り。頭部のCT・MRI・MRAでも然り。
「まずhigh density area・・・HDAなし。LDAなし。MLSなし・・異常なしだ。あ、そうだ。発症間もないから、あとでLDAが出てくるかもしれないんだった・・今いえるのは、出血がないということだけだ。脳梗塞は否定できない」
「採血がこれです」
「異常があるのは・・1つだけか。ナトリウム114だけか。え?114?」
「どうしますか先生、生食でも足しますか?」
このナース、いちいちウルサイな。ミニ医者と言われてもおかしくない。
「いや、単に足りないというのではないかも」
「希釈されてるということですか」
「ああ、それ。SIADHとかね」
「え?そんな病気あるんですか?」
勝った。しかし病気にはまだ勝ってない。どうやら低ナトリウムが意識障害の原因らしい・・。本を見てみる・・・まさか!
「ちょっと、家族の方!この人、ふだん薬何か飲んでないですか?」
「いや、わしらは別々に暮らしてるから」
「あなた娘さんでしょう?お母さんのふだんの飲み薬くらい」
「いや、よう分からん。あっちこっち勝手に病院行ってるからな」
「薬の袋とか、なかったですか、家に」
「ちょっと聞いてみようわい。おーい!」
「待ってよ!今は意識がないっちゅうに」
「あ、そうですか」
「そうですかって・・ま、入院ですね」
あとで分かったが、精神科にて内服をもらっていた。これが背景だったようだ。
在院日数、長くなりそう・・。
朝の7時か。太陽がまぶしい。事務がまた振り向く。
「車椅子の60歳男性!尿閉で下腹部が痛いと!前立腺肥大あるとのこと!救急車であと1分!」
「それともう1人!めまいで倒れた62歳女性!」
この人たちの言い方って、なんかクイズみたいだな・・・。
「2人同時ですか・・佐々木先生を呼んでいただけますか」
ナースは怪訝そうだった。
「はあ・・でも佐々木先生は9時から外来が」
「俺だって仕事あるんですよ?」
「うーん、でも佐々木先生、忙しいからねえ・・」
「僕も忙しいですって」
「でも佐々木先生、起こすと機嫌悪いし」
「そんなこと言わんと!」
「じゃあ先生が直接電話してください」
やっぱそう来たか・・・。
「佐々木先生、すみません。よろしければ・・」
「尿閉か・・ウロを呼べ、ウロの医者を」
「先生、泌尿器科は待機の制度がないんですよ。朝の外来まで来ません」
「ウロ、ウロ、ウロウロ・・」
こりゃ、ダメだ。
尿閉の患者。
「うっく、わーっ!出そうで出ん、苦しい!」
「前立腺は手術を?」
「くーっ、勧められたが、嫌じゃ、手術するくらいやったら、うーっ、し、死ぬ」
「自分で導尿してたんですか?」
「いや、ずーっとバルーンを入れてもらってたんや。しかし昨日、入ってるとこ痛いから、抜いたんや」
「バルーンの管は泌尿器科で入れてもらってたんですね」
「ああ、そうや、くーっ、はよう入れてくれ!友達に相談したらな、これ飲んだらよう出るといってもらった・・薬がこれや!」
利尿剤じゃないか。何、考えてんだ。
バルーン・・入れてみよう。前に教わったが、こういったときのバルーンはむしろ太めがいい。陰茎を思いっきり上にまっすぐ引っ張って・・・
「うわあ、なんや!」
「今から入れますので・・ところで、友達が持ってたんですか、その利尿剤を」
「ああそうや、血圧が高いってな。診療所でもらってるんや。今は糖尿病や尿酸高いんも見つけてくれて、治療してくれとる」
それって利尿剤の副作用じゃ・・。と、バルーンがスッと入った。
「あ、入りましたね?」
「おっ?ホンマや!」
「尿出てます・・・緊張してなかったのが良かったのかな」
「おう先生、上手や!ちっとも痛くなかった!これからは先生に入れて欲しい!」
「いや、それは・・」
ナースが怒鳴る。
「おしっこのくだは!ひにょうきかで!いれてもらってください!」
めまいの女性が到着。
心電図や各種検査も異常なし。メニエル病としてメイロン点滴し、そのまま朝の耳鼻科外来へ。
やっと終わった・・・。佐々木先生はとうとう戻ってこなかった。ただ・・ものすごく、腹が減った。
受診患者180名、入院患者、12名・・・。
<つづく>
事務がまた振り向いた。
「84歳女性!家族が起こしたところいっこうに目覚めない。呼吸はしっかりしているもよう」
「起こしたって・・今、夜中の4時だよ」
「あと3分で来ます」
「意識障害か、意識障害・・・まず50%TZを注射・・・低血糖を疑いまずはすべき治療。しかしまれに高血糖での意識障害もあるので注意・・?じゃあできるか?そんなの!看護婦さん、デキスター用意しといてください。で・・頭部CT、これは分かる。バイタル見て、脈、血圧・・・電解質・・血液ガスもな・・検査は一折いるな」
意識障害か・・痛みのあるなしは、前胸部の皮膚をつねって判断しろと、大学のオーベンから教わった。呼吸停止してたら、どうしよう。挿管は未熟でできないし・・・。どうか、息は大丈夫でありますように・・。でも一時ペースメーカーもできないな・・どうか脈が一人前でありますように。
救急車が到着。待ちきれず、救急車のトランク部へ。外から中が少し見える。どうやら心マッサージはしてなさそうだ。
「家族の方!この人の名前は・・柏木?呼んでも返事なかった?」
「はい、全然」
「そうですか。呼んでみます・・・かんじゃさーん!いや違ったゴメン、かしわぎさーん!」
全く返事なし。胸をつねっても反応なし。JCS-300。呼吸音は聞こえる。呼吸回数も12-20回の間。脈も触れ、規則的。
「血液ガス!ついでに通常の採血を・・・酸素とりあえず2L、ルートは、リンゲル液のポタコールRで。心不全あったら5%TZに変えるけど」
心電図は異常なし。そうだ、T波高くないか、U波は、QTは・・。異常なしのようだ。QTはR-R間隔の半分以下だし。Na以外の電解質異常はなさそう。
「頭部CTを!」
患者は運ばれていった。
循環器チーム3人が到着。
「おう、レジデント、おはよう。ああ、寝むてえ」
「ありがとうございます。自分は救急当番でして」
「なんだこのエコーの写真はあ?ブレてるじゃないか」
「はい、でも見たときは」
「学会のときにこういう写真が必要になったら困るだろ」
「はい、すみません」
「まあいい、林部長はあと30分かかる。その患者は1人か?」
「ええ」
「治験薬の話をするので、あとは俺たちが」
「治験薬?」
「ああ、新しいt-PAのな」
「それで投薬してはいけないと・・」
「いや、t-PA投与せずにダイレクトにPTCAだけする施設も多いよ。実際そのほうが成績がよいとするところも多い」
「そうですか。施設によって方針が違うんですね」
「ああ、だから君、他の施設から紹介があったら何も投与なしで送ってくるよう伝えろよ!紹介してくる病院は自分らの利益のために、あらかじめt-PAを投与してくるのも多い」
「はい・・・」
「先生、CTできました」
「はい・・・左右差はなし・・」
この左右差をみるという癖は大事だ。胸のレントゲン・CTの肺野の明るさ然り、両手・両足など骨の写真然り。頭部のCT・MRI・MRAでも然り。
「まずhigh density area・・・HDAなし。LDAなし。MLSなし・・異常なしだ。あ、そうだ。発症間もないから、あとでLDAが出てくるかもしれないんだった・・今いえるのは、出血がないということだけだ。脳梗塞は否定できない」
「採血がこれです」
「異常があるのは・・1つだけか。ナトリウム114だけか。え?114?」
「どうしますか先生、生食でも足しますか?」
このナース、いちいちウルサイな。ミニ医者と言われてもおかしくない。
「いや、単に足りないというのではないかも」
「希釈されてるということですか」
「ああ、それ。SIADHとかね」
「え?そんな病気あるんですか?」
勝った。しかし病気にはまだ勝ってない。どうやら低ナトリウムが意識障害の原因らしい・・。本を見てみる・・・まさか!
「ちょっと、家族の方!この人、ふだん薬何か飲んでないですか?」
「いや、わしらは別々に暮らしてるから」
「あなた娘さんでしょう?お母さんのふだんの飲み薬くらい」
「いや、よう分からん。あっちこっち勝手に病院行ってるからな」
「薬の袋とか、なかったですか、家に」
「ちょっと聞いてみようわい。おーい!」
「待ってよ!今は意識がないっちゅうに」
「あ、そうですか」
「そうですかって・・ま、入院ですね」
あとで分かったが、精神科にて内服をもらっていた。これが背景だったようだ。
在院日数、長くなりそう・・。
朝の7時か。太陽がまぶしい。事務がまた振り向く。
「車椅子の60歳男性!尿閉で下腹部が痛いと!前立腺肥大あるとのこと!救急車であと1分!」
「それともう1人!めまいで倒れた62歳女性!」
この人たちの言い方って、なんかクイズみたいだな・・・。
「2人同時ですか・・佐々木先生を呼んでいただけますか」
ナースは怪訝そうだった。
「はあ・・でも佐々木先生は9時から外来が」
「俺だって仕事あるんですよ?」
「うーん、でも佐々木先生、忙しいからねえ・・」
「僕も忙しいですって」
「でも佐々木先生、起こすと機嫌悪いし」
「そんなこと言わんと!」
「じゃあ先生が直接電話してください」
やっぱそう来たか・・・。
「佐々木先生、すみません。よろしければ・・」
「尿閉か・・ウロを呼べ、ウロの医者を」
「先生、泌尿器科は待機の制度がないんですよ。朝の外来まで来ません」
「ウロ、ウロ、ウロウロ・・」
こりゃ、ダメだ。
尿閉の患者。
「うっく、わーっ!出そうで出ん、苦しい!」
「前立腺は手術を?」
「くーっ、勧められたが、嫌じゃ、手術するくらいやったら、うーっ、し、死ぬ」
「自分で導尿してたんですか?」
「いや、ずーっとバルーンを入れてもらってたんや。しかし昨日、入ってるとこ痛いから、抜いたんや」
「バルーンの管は泌尿器科で入れてもらってたんですね」
「ああ、そうや、くーっ、はよう入れてくれ!友達に相談したらな、これ飲んだらよう出るといってもらった・・薬がこれや!」
利尿剤じゃないか。何、考えてんだ。
バルーン・・入れてみよう。前に教わったが、こういったときのバルーンはむしろ太めがいい。陰茎を思いっきり上にまっすぐ引っ張って・・・
「うわあ、なんや!」
「今から入れますので・・ところで、友達が持ってたんですか、その利尿剤を」
「ああそうや、血圧が高いってな。診療所でもらってるんや。今は糖尿病や尿酸高いんも見つけてくれて、治療してくれとる」
それって利尿剤の副作用じゃ・・。と、バルーンがスッと入った。
「あ、入りましたね?」
「おっ?ホンマや!」
「尿出てます・・・緊張してなかったのが良かったのかな」
「おう先生、上手や!ちっとも痛くなかった!これからは先生に入れて欲しい!」
「いや、それは・・」
ナースが怒鳴る。
「おしっこのくだは!ひにょうきかで!いれてもらってください!」
めまいの女性が到着。
心電図や各種検査も異常なし。メニエル病としてメイロン点滴し、そのまま朝の耳鼻科外来へ。
やっと終わった・・・。佐々木先生はとうとう戻ってこなかった。ただ・・ものすごく、腹が減った。
受診患者180名、入院患者、12名・・・。
<つづく>
<レジデント・サード 3 EMERGENCY 後編>
2004年3月10日 連載<レジデント・サード 3 EMERGENCY 後編>
今のうちに復習だ。白衣の中のマニュアル本とカバンの中の大きな本を取り出す。
腹痛・・胃は胃カメラで覗かないと病名確定できない。十二指腸もだ。腹痛の場合、病名の確定に先走るのではなく、ルールアウトから意識する必要がある。自分のレントゲンの読み方とおんなじだ。なら胃・十二指腸疾患以外のものをルールアウトしていく。
腹痛で入院適応になりそうな嫌な疾患は・・イレウス・・腹部レントゲンの教科書的な小腸ガス+二ボー所見。オペ既往ないか。胃・十二指腸潰瘍などの穿孔ならフリーエア。腹部レントゲンでは二ボー、フリーエアがないことを確認し、まずは一息。レントゲンはちゃんと立位で撮ってるか。半座位でもいい。仰臥位ではこれらは把握できない。なおイレウス像だとしても下痢してたら腸炎に続発するものかもしれない。食中毒はあくまでも感染性腸炎の一部。
イレウス・穿孔はないとして、胆石があわよくば映ってないか。映ってなくても胆石があるのはザラ。何で見るか。腹部エコー・CTだ。でも食後なら胆嚢が収縮しているので見つけにくかったりする。石があった場合、血液検査で肝・胆道系酵素は上がってないか。上がってれば胆のう炎・胆道炎の疑いとなろうが、痛みだけで炎症なしの石の場合もある。
胃の奥の膵臓はどうか。血液検査のアミラーゼを待とう。上がっていれば膵炎というわけではないが、上がってればエコー・CTで膵臓の腫大を追跡する義務がある。厚さ1cm以上あるかどうか、膵管は拡張してないか。放射線科はどう思うか聞く。
右下腹部の痛みなら素人でも虫垂炎を疑うが、よく聞くと最初は心か部痛から始まってないか。虫垂炎でなくとも憩室炎だったりする。見分けは難しい。内科の初診の時点で確定を下すべきでないと思う。この領域は外科にも相談し自分へのリスクを分散させる。
背部痛のみと限らない、尿路結石の存在も忘れがち。腎結石、尿管結石、膀胱結石。エコー・CTで見つからなくても除外はできない。尿検査での潜血で陽性なら疑いは残る。男性の場合は特に。
あとは婦人科疾患。若年だと子宮付属器炎のこともある。下腹部痛中心でやたら高熱なら疑うべきで婦人科に相談したい。片側背部痛だと結石だけでなく卵管の捻転だったりもする。
腹部大動脈瘤も忘れがち。背景に高血圧などあるはずだが。
心筋梗塞の場合も言われてみればなくはない。
もちろん腹痛を来たすものはそれ以外に山ほどあるので、思考がギブアップしたときに本を見る。そして反省する。
・・・これらを総合すると、血液検査・ルート確保、腹部レントゲン、胸部レントゲンはまず必須であり、少しでも腑に落ちなければ腹部エコー・CTとなる。胃カメラは潰瘍を疑ってのことになるが、吐血・下血・貧血のどれかがある場合に限定すべき。しかし基本的に患者は疲れているので、絶食の上持続輸液開始し(H2 ブロッカー入れて)後日検査、となることが多い。
大げさに扱ってやたら検査したり投薬・点滴するのも考え物だが、独断で変なカンに頼って検査・相談を省略する医者は危ない。
「糖尿病性ケトアシドーシスでも、起こすのか。そういや国試でも出たな」
受付事務がこちらを振り返る。
「54歳男性。胸痛。既往に心筋梗塞あり!胸痛は2時間前。あと3分で到着!」
「3分!」
ナースが冷やかす。
「先生、待ちに待ったのが来ましたね」
「なんだそれ。楽しみなわけがない」
「佐々木先生もお呼びしましょうか」
「いや、今はいいです」
思い出せ。心筋梗塞と間違いやすい疾患。そうだ、肺梗塞。胸部大動脈瘤。呼吸器疾患、気胸などの。胸膜炎もありだな。まさか食道だったりして?
来たら血液ガス、酸素の指示、ルートは5%TZでゆっくり。心電図とってニトロペンあるいはミオコールスプレー。ポータブルでレントゲン撮ってもらう。心エコーをとりあえずやってみて、採血結果を待つ・・。あまってる時間に家族より病歴聴取。危険性をムンテラ。こんなとこか。
臨床も学生んときと、同じだな。連想ゲームって点では。
救急隊がストレッチャー搬送。患者はいかにも胸が苦しいといった感じ。
「じゃ、お願いいたします・・」
「血液ガス・・と。SpO2 99%か。看護婦さん、酸素を」
「え?でもSpO2 99%でしょ」
「心筋の負担を少しでも軽減するためです」
「はあ・・」
「採血項目はこれ。CPK-MBもお願い。持続は5%TZで。時間20mlでお願い。心電図を。レントゲンには連絡を」
心電図は・・サイナス。患者が苦しいときは基線が揺れがち。Pがあるのかどうか分かりにくい。しかしPとQRSの分離がよいV1誘導でサイナスかどうか確認。
Q波はない。右脚ブロックがある。よってST-T変化は判定できない。つまりQ波以外、虚血の判定はできない。
余談だがST-T変化をみるときは、誘導を1つ1つみるのでなく、セットで見る。II , III , aVFのセット、I , aVLのセット、V1-4,5のセット、V5-6のセットというふうに。
エコーでは・・前壁と中隔は動きは問題なさそう。しかし後壁が・・それに比べて動きが悪い。しかし後壁は全体的に輝度が上昇している。過去に心筋梗塞を起こしたということだが詳細不明。前医に問い合わせたいが休日なので無理。
後壁が動きが悪いのは、陳旧性の心筋梗塞か、それとも再度虚血が誘発されたのか。
ナースが採血結果を持ってきた。
「CPK 1220 , CPK-MB 440 , LDH 800」
「AMIだ。再梗塞かもしれない。前回詰まって拡げた血管が、また詰まった可能性がある」
「循環器の先生をお呼びしましょうか?」
「あの、僕がそうなんですけど・・これはカテーテルになりますね。電話をカテ部長につないで」
モニターを装着、病棟へ行く準備。点滴はミリスロールが追加。
「あ、そうだ。一応、右側胸部誘導をとって!」
忘れていた。後下壁梗塞疑ったら、必ず右側誘導もとること。右室梗塞の合併を想定していることを・・アピールする意味が強い。
「Q波にはなってないな。ブロックのせいでST-Tは分からん。ですよね?」
「じゃあ先生、別に記録しなくてもよかったのではないですか?」
「なっ?こうやって入院時のをとっておけば、今後変化があったときに参考に!なるんじゃなかろうか」
「はあ」
レントゲンにしても心電図にしても、過去の分はなるべく取り寄せておきたい。
「林部長からお電話です」
「林先生ですか。先日入局しました者です。え?覚えてない?この間・・まあいいです。AMIと思われます。心カテが必要だと」
「ああ、早速手配する。再梗塞なんだな」
「前医の情報があいまいで詳細は不明です」
「発症はいつだ」
「数時間前です。ですよね?」
患者は苦しいながらも答えた。
「うう、ホントは2週間前から痛かった。でも良くなったりしてたから、ほっといた」
「と、言ってます」
「unstable APだったんだな。で、今AMIになったところだろうな。じゃ、同意書をとっておけ」
「あの先生、血栓溶解剤はいっといていいですか?」
「ならん!」
電話は切られた。
事務がまた振り向いた。
「84歳女性!家族が起こしたところいっこうに目覚めない。呼吸はしっかりしているもよう」
「起こしたって今、夜中の4時だよ」
「あと3分で来ます」
僕、1人で?
<つづく>
今のうちに復習だ。白衣の中のマニュアル本とカバンの中の大きな本を取り出す。
腹痛・・胃は胃カメラで覗かないと病名確定できない。十二指腸もだ。腹痛の場合、病名の確定に先走るのではなく、ルールアウトから意識する必要がある。自分のレントゲンの読み方とおんなじだ。なら胃・十二指腸疾患以外のものをルールアウトしていく。
腹痛で入院適応になりそうな嫌な疾患は・・イレウス・・腹部レントゲンの教科書的な小腸ガス+二ボー所見。オペ既往ないか。胃・十二指腸潰瘍などの穿孔ならフリーエア。腹部レントゲンでは二ボー、フリーエアがないことを確認し、まずは一息。レントゲンはちゃんと立位で撮ってるか。半座位でもいい。仰臥位ではこれらは把握できない。なおイレウス像だとしても下痢してたら腸炎に続発するものかもしれない。食中毒はあくまでも感染性腸炎の一部。
イレウス・穿孔はないとして、胆石があわよくば映ってないか。映ってなくても胆石があるのはザラ。何で見るか。腹部エコー・CTだ。でも食後なら胆嚢が収縮しているので見つけにくかったりする。石があった場合、血液検査で肝・胆道系酵素は上がってないか。上がってれば胆のう炎・胆道炎の疑いとなろうが、痛みだけで炎症なしの石の場合もある。
胃の奥の膵臓はどうか。血液検査のアミラーゼを待とう。上がっていれば膵炎というわけではないが、上がってればエコー・CTで膵臓の腫大を追跡する義務がある。厚さ1cm以上あるかどうか、膵管は拡張してないか。放射線科はどう思うか聞く。
右下腹部の痛みなら素人でも虫垂炎を疑うが、よく聞くと最初は心か部痛から始まってないか。虫垂炎でなくとも憩室炎だったりする。見分けは難しい。内科の初診の時点で確定を下すべきでないと思う。この領域は外科にも相談し自分へのリスクを分散させる。
背部痛のみと限らない、尿路結石の存在も忘れがち。腎結石、尿管結石、膀胱結石。エコー・CTで見つからなくても除外はできない。尿検査での潜血で陽性なら疑いは残る。男性の場合は特に。
あとは婦人科疾患。若年だと子宮付属器炎のこともある。下腹部痛中心でやたら高熱なら疑うべきで婦人科に相談したい。片側背部痛だと結石だけでなく卵管の捻転だったりもする。
腹部大動脈瘤も忘れがち。背景に高血圧などあるはずだが。
心筋梗塞の場合も言われてみればなくはない。
もちろん腹痛を来たすものはそれ以外に山ほどあるので、思考がギブアップしたときに本を見る。そして反省する。
・・・これらを総合すると、血液検査・ルート確保、腹部レントゲン、胸部レントゲンはまず必須であり、少しでも腑に落ちなければ腹部エコー・CTとなる。胃カメラは潰瘍を疑ってのことになるが、吐血・下血・貧血のどれかがある場合に限定すべき。しかし基本的に患者は疲れているので、絶食の上持続輸液開始し(H2 ブロッカー入れて)後日検査、となることが多い。
大げさに扱ってやたら検査したり投薬・点滴するのも考え物だが、独断で変なカンに頼って検査・相談を省略する医者は危ない。
「糖尿病性ケトアシドーシスでも、起こすのか。そういや国試でも出たな」
受付事務がこちらを振り返る。
「54歳男性。胸痛。既往に心筋梗塞あり!胸痛は2時間前。あと3分で到着!」
「3分!」
ナースが冷やかす。
「先生、待ちに待ったのが来ましたね」
「なんだそれ。楽しみなわけがない」
「佐々木先生もお呼びしましょうか」
「いや、今はいいです」
思い出せ。心筋梗塞と間違いやすい疾患。そうだ、肺梗塞。胸部大動脈瘤。呼吸器疾患、気胸などの。胸膜炎もありだな。まさか食道だったりして?
来たら血液ガス、酸素の指示、ルートは5%TZでゆっくり。心電図とってニトロペンあるいはミオコールスプレー。ポータブルでレントゲン撮ってもらう。心エコーをとりあえずやってみて、採血結果を待つ・・。あまってる時間に家族より病歴聴取。危険性をムンテラ。こんなとこか。
臨床も学生んときと、同じだな。連想ゲームって点では。
救急隊がストレッチャー搬送。患者はいかにも胸が苦しいといった感じ。
「じゃ、お願いいたします・・」
「血液ガス・・と。SpO2 99%か。看護婦さん、酸素を」
「え?でもSpO2 99%でしょ」
「心筋の負担を少しでも軽減するためです」
「はあ・・」
「採血項目はこれ。CPK-MBもお願い。持続は5%TZで。時間20mlでお願い。心電図を。レントゲンには連絡を」
心電図は・・サイナス。患者が苦しいときは基線が揺れがち。Pがあるのかどうか分かりにくい。しかしPとQRSの分離がよいV1誘導でサイナスかどうか確認。
Q波はない。右脚ブロックがある。よってST-T変化は判定できない。つまりQ波以外、虚血の判定はできない。
余談だがST-T変化をみるときは、誘導を1つ1つみるのでなく、セットで見る。II , III , aVFのセット、I , aVLのセット、V1-4,5のセット、V5-6のセットというふうに。
エコーでは・・前壁と中隔は動きは問題なさそう。しかし後壁が・・それに比べて動きが悪い。しかし後壁は全体的に輝度が上昇している。過去に心筋梗塞を起こしたということだが詳細不明。前医に問い合わせたいが休日なので無理。
後壁が動きが悪いのは、陳旧性の心筋梗塞か、それとも再度虚血が誘発されたのか。
ナースが採血結果を持ってきた。
「CPK 1220 , CPK-MB 440 , LDH 800」
「AMIだ。再梗塞かもしれない。前回詰まって拡げた血管が、また詰まった可能性がある」
「循環器の先生をお呼びしましょうか?」
「あの、僕がそうなんですけど・・これはカテーテルになりますね。電話をカテ部長につないで」
モニターを装着、病棟へ行く準備。点滴はミリスロールが追加。
「あ、そうだ。一応、右側胸部誘導をとって!」
忘れていた。後下壁梗塞疑ったら、必ず右側誘導もとること。右室梗塞の合併を想定していることを・・アピールする意味が強い。
「Q波にはなってないな。ブロックのせいでST-Tは分からん。ですよね?」
「じゃあ先生、別に記録しなくてもよかったのではないですか?」
「なっ?こうやって入院時のをとっておけば、今後変化があったときに参考に!なるんじゃなかろうか」
「はあ」
レントゲンにしても心電図にしても、過去の分はなるべく取り寄せておきたい。
「林部長からお電話です」
「林先生ですか。先日入局しました者です。え?覚えてない?この間・・まあいいです。AMIと思われます。心カテが必要だと」
「ああ、早速手配する。再梗塞なんだな」
「前医の情報があいまいで詳細は不明です」
「発症はいつだ」
「数時間前です。ですよね?」
患者は苦しいながらも答えた。
「うう、ホントは2週間前から痛かった。でも良くなったりしてたから、ほっといた」
「と、言ってます」
「unstable APだったんだな。で、今AMIになったところだろうな。じゃ、同意書をとっておけ」
「あの先生、血栓溶解剤はいっといていいですか?」
「ならん!」
電話は切られた。
事務がまた振り向いた。
「84歳女性!家族が起こしたところいっこうに目覚めない。呼吸はしっかりしているもよう」
「起こしたって今、夜中の4時だよ」
「あと3分で来ます」
僕、1人で?
<つづく>
<レジデント・サード 2 EMERGENCY 中編>
2004年3月10日 連載<レジデント・サード 2 EMERGENCY 中編>
90歳女性、老人ホームから連絡なしの受診。ヘルパーらしい人が車椅子で運んできた。
「高熱が4日続いてまして」
「呼吸状態悪いですね」
「入院をお願いしたいんですが。昨日の会議で、長から入院させよとの決定で」
「?まあそうですね」
また佐々木医師が飛んできた。地獄耳か。
「オイオイ、入院は待てよ」
「はい、検査してから」
「ちゃうちゃう。こんな老人の入院なんかとったら、在院日数がどれだけかかるか・・それにMRSAとか持ってる確率高いだろ」
「たしかに」
「うちが満床ってことで、よそへ紹介だ」
「事務がしてくれるんですか」
「いや、お前が電話しろ。決まるまでは検査と補液だ」
「は、はあ」
ナースがしかめっ面でやってきた。
「先生、ジギラノゲン全然効いてません」
「じゃあ、リスモダンを」
「佐々木先生に聞いてみてください」
「リスモダン用意してくださいよ」
「佐々木先生!どうしましょうか?」
遠くでエコーしている佐々木先生が叫ぶ。
「PSVTの患者?オイ循環器!時間がないから、アデホスで一気に止めたらどうだ」
「アデホスですか、あれは・・」
「何だ?アレストが怖いのか?」
「やります」
アデホスの急速静注後、一瞬のうちに脈は治った。患者は満足して帰った。
pafでもPSVTでもだが、不眠やストレスなどの契機で起こったものはIaの薬が効果的だ。
さきほどの30代の吐き気・腹痛・微熱。尿潜血は陰性。
「腹部のレントゲンはイレウス様の小腸ガス・二ボーあり,
佐々木先生、イレウスです」
「というか、下痢や炎症所見もあるし、急性腸炎に続発したイレウス所見だろう。腸炎+サブイレウスとして入院させろ。ああそれでな、さっきの背部痛な。エコーやCTじゃ結石ははっきりしないが、DIPで右尿管の流れが悪かった。尿路結石だな。メナミンで痛みは止まってる。あれはよく効く」
「は、はい」
おいおい、まだ20人くらい残ってるぞ!早くやれよ!
24歳男性。呼吸困難。近医で喘息治療の内服あり。スプレーを持参している。
「このメプチンエアーは何回使いましたか?」
「さあ、10回くらい・・ハアハア」
「背部は・・喘鳴が著明ですね・・看護婦さん、ソルメドとネオフィリンの点滴を・・あ、待って!内服は他には」
「持ってきてない」
「テオドールっていうのとかなかった?」
「名前は、見てないから知らん、ハアハア」
「看護婦さん、ネオフィリンは抜きでお願い」
佐々木先生が背伸びしながらやってきた。
「ほお、お前、呼吸器のローテもしてきたのか」
「ええ、でもたいしたことは」
「じゃあ今後は君に主治医をお願いできるってことだな!俺は一般内科の糖尿や代謝のほうをやってる。お前ら循環器・呼吸器は、DMのコントロールは下手だな」
「そ、そうですか」
「血糖だけ下げてHbA1c上がってたりな。で、HbA1c下がったって喜んで、実は貧血とか腎症へ進んでたりしてな」
「へえ・・」
「やたらSU剤だけ増やすのも辞めて欲しいがな」
でも僕にも言い分が・・臥位で胸部レントゲン撮って、心拡大で紹介してくるのはやめて欲しい。それと、心不全患者を喘息と誤診してめいっぱい点滴してから送ってくるのも・・。
25歳男性、鼻出血。
「うつむいて、鼻をギュッと・・・」
「そ、そうしたんだけど止まらねえんだよ」
「・・・」
ナースから助言。
「先生、ボスミン綿球を」
「こ、これを詰めるんですね・・はい」
佐々木先生が後ろから肩をたたく。
「アドナくらい出しとけ。循環器の奴でいたな、この前。アドナとトランサミンいっしょにしやがって」
「両方とも、止血剤のはずですが・・」
「うちのDICの患者に両方いきやがった。胃の中に出血してるからってな。DICだぞ。アドナは血管壁の修復だから分かるが、トランサミンは凝固系の亢進での止血だぞ」
「アドナだけでよかったんですね」
「ああ、お前んとこの医者だ!たしか誰だったかな、あいつ」
救急隊が20代青年を運んできた。
「突然の呼吸困難です。本人は喘息と言ってますが。宜しくお願いします」
患者は絶えず咳をしていて、呼吸音はよく分からない。SpO2 96%だが呼吸回数で代償しているのかも。
「看護婦さん、ソルメドと・・」
佐々木医師がまた出現。
「ホントに喘息か?」
「検査には行きますけど、その前にと思って」
「患者が言うからか?・・・・一応、レントゲン撮れ」
「肺血栓塞栓症とか?」
「この年で?ないだろ、そりゃ」
40代男性。酒くさい。
「腹、痛いんやああ」
「上のほうですか」
「おう、わりゃあああ」
「は、離してください!看護婦さん、検査へ!」
救急隊。20代女性の呼吸困難。過換気っぽい。
ナースが紙袋呼吸を。しかし患者はかなり興奮気味。
佐々木先生がセルシンで落ち着かせる。
「レジデント!あと4人くらいか?」
「いえ、13人です!」
60歳の女性。
「全身が腫れぼったくなって」
「両足が特に腫れてますね」
佐々木先生が後ろを通り過ぎる。
「はよ調べな。浮腫の原因は肝・腎・心!それと・・アルブミン!」
「採血・・レントゲン・・心電図、と」
「甲状腺もついでにな!バイタル良くて心不全なかったら後日受診だ」
「はい」
ナースより。
「先生、さっきの呼吸困難の若い男性のレントゲンです」
「ああ、どうも・・これは」
佐々木先生が後ろからのしかかった。
「気胸だな。左の。完全に虚脱してる。入院だな」
87歳女性。左胸痛。
「いつから痛いんです?」
「ここ3日や・・痛い痛い」
「看護婦さん!レントゲン・採血・・心電図優先して!ストレッチャーで!酸素はいらないみたいだけど」
ナースより。
「先生、点滴のルートが入りません。喘息の人。太りすぎで」
「え?まだ治療してなかったんですか?」
「いろいろ試したんですが、入らないんですよ!先生お願い!」
「僕が?看護婦さんが無理なのに?」
「さあさこっちこっち!」
「ここは、ダメですか?足の内くるぶしの・・」
「先生、それ神経じゃ?」
「いや・・少しブヨブヨする。サーフローちょうだい」
「ああ、入った入った!先生、凄い!」
「へ?」
「病棟で一番うまい主任さんでも無理だったのに・・!」
「いや、たまたまですよ、たまたま」
「これからは点滴もドクターがやらないとねえ!」
どこのナースも、自分らの仕事減らすことばっかり・・・。
「夕方過ぎて、少し途絶えたな・・」
佐々木先生は満足げに空いている外来ベッドにドスッと座った。
「レジデント、あんな調子じゃこれから大変だぞ」
「はい・・」
「どうした、メモも用意しとらんな。レジデントってのはふつうメモ帳持ってて、同じ失敗は2度しないものだぞ。で、お前・・初任給は?」
「まだです。勤めてまだ2週間です」
「ま、今のお前らじゃ20万がいいとこだな。たまに献血車のバイトがあったら行くといい」
「はい」
「ま、家に帰れるのは2日に1回と考えててたほうがいいな」
「覚悟してます」
しんどい人間のわずかなやる気を、凹ます人嫌い。
「じゃ、俺、休んでくるからな。あとは電話で」
「え?」
「夜の9時だ。患者もポツポツ来る程度だし。明日は通常の外来も控えてるしな」
「あの、自分も」
「お前はdutyは特にないだろう」
「運動負荷試験5例くらいですが」
「そんなの、見てて終わりだろ?」
「ま、たしかに・・お疲れ様でした」
「あんまりしょうもないことでコールするなよ」
…
90歳女性、老人ホームから連絡なしの受診。ヘルパーらしい人が車椅子で運んできた。
「高熱が4日続いてまして」
「呼吸状態悪いですね」
「入院をお願いしたいんですが。昨日の会議で、長から入院させよとの決定で」
「?まあそうですね」
また佐々木医師が飛んできた。地獄耳か。
「オイオイ、入院は待てよ」
「はい、検査してから」
「ちゃうちゃう。こんな老人の入院なんかとったら、在院日数がどれだけかかるか・・それにMRSAとか持ってる確率高いだろ」
「たしかに」
「うちが満床ってことで、よそへ紹介だ」
「事務がしてくれるんですか」
「いや、お前が電話しろ。決まるまでは検査と補液だ」
「は、はあ」
ナースがしかめっ面でやってきた。
「先生、ジギラノゲン全然効いてません」
「じゃあ、リスモダンを」
「佐々木先生に聞いてみてください」
「リスモダン用意してくださいよ」
「佐々木先生!どうしましょうか?」
遠くでエコーしている佐々木先生が叫ぶ。
「PSVTの患者?オイ循環器!時間がないから、アデホスで一気に止めたらどうだ」
「アデホスですか、あれは・・」
「何だ?アレストが怖いのか?」
「やります」
アデホスの急速静注後、一瞬のうちに脈は治った。患者は満足して帰った。
pafでもPSVTでもだが、不眠やストレスなどの契機で起こったものはIaの薬が効果的だ。
さきほどの30代の吐き気・腹痛・微熱。尿潜血は陰性。
「腹部のレントゲンはイレウス様の小腸ガス・二ボーあり,
佐々木先生、イレウスです」
「というか、下痢や炎症所見もあるし、急性腸炎に続発したイレウス所見だろう。腸炎+サブイレウスとして入院させろ。ああそれでな、さっきの背部痛な。エコーやCTじゃ結石ははっきりしないが、DIPで右尿管の流れが悪かった。尿路結石だな。メナミンで痛みは止まってる。あれはよく効く」
「は、はい」
おいおい、まだ20人くらい残ってるぞ!早くやれよ!
24歳男性。呼吸困難。近医で喘息治療の内服あり。スプレーを持参している。
「このメプチンエアーは何回使いましたか?」
「さあ、10回くらい・・ハアハア」
「背部は・・喘鳴が著明ですね・・看護婦さん、ソルメドとネオフィリンの点滴を・・あ、待って!内服は他には」
「持ってきてない」
「テオドールっていうのとかなかった?」
「名前は、見てないから知らん、ハアハア」
「看護婦さん、ネオフィリンは抜きでお願い」
佐々木先生が背伸びしながらやってきた。
「ほお、お前、呼吸器のローテもしてきたのか」
「ええ、でもたいしたことは」
「じゃあ今後は君に主治医をお願いできるってことだな!俺は一般内科の糖尿や代謝のほうをやってる。お前ら循環器・呼吸器は、DMのコントロールは下手だな」
「そ、そうですか」
「血糖だけ下げてHbA1c上がってたりな。で、HbA1c下がったって喜んで、実は貧血とか腎症へ進んでたりしてな」
「へえ・・」
「やたらSU剤だけ増やすのも辞めて欲しいがな」
でも僕にも言い分が・・臥位で胸部レントゲン撮って、心拡大で紹介してくるのはやめて欲しい。それと、心不全患者を喘息と誤診してめいっぱい点滴してから送ってくるのも・・。
25歳男性、鼻出血。
「うつむいて、鼻をギュッと・・・」
「そ、そうしたんだけど止まらねえんだよ」
「・・・」
ナースから助言。
「先生、ボスミン綿球を」
「こ、これを詰めるんですね・・はい」
佐々木先生が後ろから肩をたたく。
「アドナくらい出しとけ。循環器の奴でいたな、この前。アドナとトランサミンいっしょにしやがって」
「両方とも、止血剤のはずですが・・」
「うちのDICの患者に両方いきやがった。胃の中に出血してるからってな。DICだぞ。アドナは血管壁の修復だから分かるが、トランサミンは凝固系の亢進での止血だぞ」
「アドナだけでよかったんですね」
「ああ、お前んとこの医者だ!たしか誰だったかな、あいつ」
救急隊が20代青年を運んできた。
「突然の呼吸困難です。本人は喘息と言ってますが。宜しくお願いします」
患者は絶えず咳をしていて、呼吸音はよく分からない。SpO2 96%だが呼吸回数で代償しているのかも。
「看護婦さん、ソルメドと・・」
佐々木医師がまた出現。
「ホントに喘息か?」
「検査には行きますけど、その前にと思って」
「患者が言うからか?・・・・一応、レントゲン撮れ」
「肺血栓塞栓症とか?」
「この年で?ないだろ、そりゃ」
40代男性。酒くさい。
「腹、痛いんやああ」
「上のほうですか」
「おう、わりゃあああ」
「は、離してください!看護婦さん、検査へ!」
救急隊。20代女性の呼吸困難。過換気っぽい。
ナースが紙袋呼吸を。しかし患者はかなり興奮気味。
佐々木先生がセルシンで落ち着かせる。
「レジデント!あと4人くらいか?」
「いえ、13人です!」
60歳の女性。
「全身が腫れぼったくなって」
「両足が特に腫れてますね」
佐々木先生が後ろを通り過ぎる。
「はよ調べな。浮腫の原因は肝・腎・心!それと・・アルブミン!」
「採血・・レントゲン・・心電図、と」
「甲状腺もついでにな!バイタル良くて心不全なかったら後日受診だ」
「はい」
ナースより。
「先生、さっきの呼吸困難の若い男性のレントゲンです」
「ああ、どうも・・これは」
佐々木先生が後ろからのしかかった。
「気胸だな。左の。完全に虚脱してる。入院だな」
87歳女性。左胸痛。
「いつから痛いんです?」
「ここ3日や・・痛い痛い」
「看護婦さん!レントゲン・採血・・心電図優先して!ストレッチャーで!酸素はいらないみたいだけど」
ナースより。
「先生、点滴のルートが入りません。喘息の人。太りすぎで」
「え?まだ治療してなかったんですか?」
「いろいろ試したんですが、入らないんですよ!先生お願い!」
「僕が?看護婦さんが無理なのに?」
「さあさこっちこっち!」
「ここは、ダメですか?足の内くるぶしの・・」
「先生、それ神経じゃ?」
「いや・・少しブヨブヨする。サーフローちょうだい」
「ああ、入った入った!先生、凄い!」
「へ?」
「病棟で一番うまい主任さんでも無理だったのに・・!」
「いや、たまたまですよ、たまたま」
「これからは点滴もドクターがやらないとねえ!」
どこのナースも、自分らの仕事減らすことばっかり・・・。
「夕方過ぎて、少し途絶えたな・・」
佐々木先生は満足げに空いている外来ベッドにドスッと座った。
「レジデント、あんな調子じゃこれから大変だぞ」
「はい・・」
「どうした、メモも用意しとらんな。レジデントってのはふつうメモ帳持ってて、同じ失敗は2度しないものだぞ。で、お前・・初任給は?」
「まだです。勤めてまだ2週間です」
「ま、今のお前らじゃ20万がいいとこだな。たまに献血車のバイトがあったら行くといい」
「はい」
「ま、家に帰れるのは2日に1回と考えててたほうがいいな」
「覚悟してます」
しんどい人間のわずかなやる気を、凹ます人嫌い。
「じゃ、俺、休んでくるからな。あとは電話で」
「え?」
「夜の9時だ。患者もポツポツ来る程度だし。明日は通常の外来も控えてるしな」
「あの、自分も」
「お前はdutyは特にないだろう」
「運動負荷試験5例くらいですが」
「そんなの、見てて終わりだろ?」
「ま、たしかに・・お疲れ様でした」
「あんまりしょうもないことでコールするなよ」
…
<レジデント・サード 1 EMERGENCY 前編>
2004年3月9日 連載 その自転車は、勢いよく交差点を駆け抜けていった。信号はちょうど黄色になったところだ。
「あと、少し・・・」
公立病院は街のど真ん中にあった。車など駐車できるところは全くない。自転車すら狭く感じるこの路地を進まなければ、病院へは到底着けない。
「着いたか・・」
両手手放しで、1階の医局の近くまで到着する。しかし時間がない。勢いよく止めたため、隣の自転車にぶつかり何台も巻き添えに倒れてしまった。
しかし、かまってるヒマはない。カゴの中の白衣を羽織り、全速力で駆け出す。次第に人が増えてくる。人だかりが見え、その中を掻き分けるように入っていった。
「すみません、今着きました!」
「おい!循環器の医者!遅いぞ!」
<レジデント・サード 1 EMERGENCY 前編>
大柄な医師が僕を待ち構えていた。いや、そうではない。彼「内科・佐々木医師」は処置中だった。座ってM-tubeを入れている。顔は患者の方を見ている。周りを救急隊が囲んでいる。
「今日が救急日なのを知らなかったのか?」
「すみません。聞いてませんでした」
「今は、朝9時15分・・・15分遅れだな。もう患者が12人くらい来たんだぞ。おいそこ!早くソルメド行って!喘息の人!・・・・で、頼むぞ、明日の朝9時まで。なんたって今日は日曜日だからな」
「は、はい。宜しくお願いします」
「お前、レジデントか?」
「は、はい、そうですが」
「おいおい、部長も話が・・・」
「どうしたんです?」
「おかしいな、休日は常勤の医者2人でさせてやるって、言ってたのに・・まあいい、そこのたまったカルテから始めてくれ!」
「・・・1人ずつ呼ぶんですか」
40代くらいのデキそうな看護婦がカルテをバッと取り上げた。
「どうぞ!次の方!」
30代の女性。見るからにだるそうだ。若い男性も入ってきた。
「どうされましたか」
「カゼ」
「どのような症状で?」
「咳、鼻、痰、喉が痛い」
「じゃ、喉を・・・はい。かなり腫れてますね。じゃあ、薬を・・」
女性は黙って出て行った。処方を書いて・・ナースに渡す。
「先生、これ!」
さっきの看護婦がカルテをつかんでやってきた。
「ちゃんと問診表見たんですか!ピリン系にアレルギー!妊娠中!」
「え?」
確かに問診表がカルテの後ろに挟まっていた。
「こ、こんなのあったんですね・・」
「さあ、どうされますか?もう1度入ってもらいますか!」
佐々木医師が入ってきた。
「おい、まだそんな患者診てんのか?・・・おい、セデスはピリン系だろが!ピリン禁忌にこんなの出しちゃいかんぞ!・・おい!妊娠中?」
「は、はい。で、エリスロシンを出そうかと」
「何の本見てんだ・・・?妊娠に大丈夫な薬の一覧?でもお前、これでもし何かあって訴えられたらどうすんだ?」
「・・・」
「ダメダメ!クーリングして様子見るようにしろ!何か1本点滴して!で、明日婦人科にかかってもらうんだ!」
「は、はい・・」
「次のこの患者、胸痛だ。お前の得意分野だな、診ろ」
「はい」
ナースが車椅子で連れてきた。50代の服の汚れた男性。
「胸のどこが痛いんですか?」
「こことここ、というか全体」
「いつから?」
「昨日か、ずっと前から」
「?・・どんなときに?」
「だから、ずーっと前から!」
「胸の音、聞きます・・・ラ音とかはないか・・・検査に行きましょう」
「注射しておくれよ、先生」
「何の?」
「以前からわし、神経痛って言われて近所の整形の医者にかかってるんですわ。そこで、ペンタ・・なんちゃらという薬を・・アタタ・・それしたら楽になるんや。お願いや。明日は必ず整形行くから。検査するお金、持ってきてないし」
「ペンタ・・・・ペンタジンですか?」
「そう、そうや!もう胸が張り裂けそうで・・・はよはよ!」
「か、かしこまりました。看護婦さん、ペンタジンを・・」
佐々木医師がまたやってきた。
「待て!この患者・・・ちょっと耳かせ!・・おかしいとは思わんのか?こいつはペンタジン中毒だよ!」
「中毒?」
「依存してるってことだ。注射はせず、帰らせろ!おい、事務!調査しといてくれ!」
「かしこまりました」
患者は強制送還。
20歳代の女性。乾性咳がひどい。
「どれくらい続いているんですか」
「3週間くらい」
「じゃあ、風邪薬を・・」
佐々木ドクターが話しかける。
「妊娠してないだろな」
「してません」
「またセフェム系の処方か。好きだなお前。でもおい、長引く乾性咳だろ?マイコプラズマじゃないだろな。クラミジアとか。動物飼ってないか聞いたか?集団流行は?」
「いいえ・・・」
「まあいい、時間がない。白血球数とか見たいがな。今回のところはクラリシッド、処方しておけ」
ナースが叫ぶ。
「先生、患者さんが・・!」
女性が倒れた。ナースがなんとか支えた。呼吸困難もあるようだ。
「おい循環器!呼吸音とか聞いたのか?」
「いえ、風邪だと思って・・」
「風邪と肺炎は親戚だぞオイ!」
「SpO2 93・・・」
「酸素吸入して採血、点滴持続開始、レントゲン、CT!」
言葉が速くてついていけない。
30代の男性。腹痛、吐き気。微熱。
「お腹のどこが痛いです?」
「・・下のほう」
「下痢はしてません?」
「ああ、そういえば出たな・・」
「検査に行きましょう・・採血と・・レントゲンと・・・」
佐々木医師がやってきた。
「おい、検尿は?検尿!」
「?」
「結石の場合もあるだろが。潜血反応も見ないと!」
「は、はい」
60代男性、これも腹痛。救急車で来院。救急隊より。
「突然こらえきれない腰の痛みが出たと」
「ほ、ほかに症状は」
「ないです。よろしくお願いします」
「・・・腰・・背中の下のほうですね」
「ぐおおおお、い、痛え・・!骨が折れたような、アタタ・・」
「看護婦さん、整形の先生・・」
また佐々木医師が登場。
「おい、何勝手に整形の医者呼んでんだよ?」
「はい、腰が痛いというもので」
「打撲とか、事故の既往が?」
「な、ないようですが」
「腰というより背部痛か。結石と動脈瘤を否定しないか!」
「はい、じゃあ検尿を・・」
「こんな状況で尿は取れんぞ!採血にCT!エコーはオレがする」
どんどん患者が運ばれてくる。こちらは喉が渇いてくる。しかしそんな時間はない。トイレにも行けず。
全身の痒み、40代女性。佐々木医師が登場。
「こんなの、1分でやれ!強ミノiv、リンデロン処方して終わりだ!抗アレルギー剤出しとけ」
「先生、検査は・・?」
「ここは救急外来だぞ!明日にでも外来受診してもらえ!」
「はい・・」
救急隊より。
「66歳男性、不整脈です」
「はい・・どうですか」
患者は息苦しそうだった。
「そ、そんなん、しんどいに決まってるだろが!」
「SpO2 98・・・脈は・・不整・・afかな?技師さん、ここも心電図を!」
心電図はPSVT。佐々木先生が登場。
「得意だろお前!さっさと片つけろよ」
「はい・・・看護婦さん、ジギタリスの点滴を」
倒れた女性の写真ができた。右下肺の広範な淡い陰影。佐々木医師が飛んでくる。
「おう!肺炎だ。入院させろ。待機の内科の医者を呼べ」
「はい、伝えます・・白血球は9000。あまり増えてませんね」
「異型肺炎だろ、典型的な。ミノマイシン開始しろ」
「あの、肝機能も悪いようですが」
「異型肺炎じゃ珍しくないだろ!」
「はい、でもミノマイシンは」
「肝機能障害が怖いのか?じゃあ何使うってんだ?あとは主治医に任せろ!」
「あと、少し・・・」
公立病院は街のど真ん中にあった。車など駐車できるところは全くない。自転車すら狭く感じるこの路地を進まなければ、病院へは到底着けない。
「着いたか・・」
両手手放しで、1階の医局の近くまで到着する。しかし時間がない。勢いよく止めたため、隣の自転車にぶつかり何台も巻き添えに倒れてしまった。
しかし、かまってるヒマはない。カゴの中の白衣を羽織り、全速力で駆け出す。次第に人が増えてくる。人だかりが見え、その中を掻き分けるように入っていった。
「すみません、今着きました!」
「おい!循環器の医者!遅いぞ!」
<レジデント・サード 1 EMERGENCY 前編>
大柄な医師が僕を待ち構えていた。いや、そうではない。彼「内科・佐々木医師」は処置中だった。座ってM-tubeを入れている。顔は患者の方を見ている。周りを救急隊が囲んでいる。
「今日が救急日なのを知らなかったのか?」
「すみません。聞いてませんでした」
「今は、朝9時15分・・・15分遅れだな。もう患者が12人くらい来たんだぞ。おいそこ!早くソルメド行って!喘息の人!・・・・で、頼むぞ、明日の朝9時まで。なんたって今日は日曜日だからな」
「は、はい。宜しくお願いします」
「お前、レジデントか?」
「は、はい、そうですが」
「おいおい、部長も話が・・・」
「どうしたんです?」
「おかしいな、休日は常勤の医者2人でさせてやるって、言ってたのに・・まあいい、そこのたまったカルテから始めてくれ!」
「・・・1人ずつ呼ぶんですか」
40代くらいのデキそうな看護婦がカルテをバッと取り上げた。
「どうぞ!次の方!」
30代の女性。見るからにだるそうだ。若い男性も入ってきた。
「どうされましたか」
「カゼ」
「どのような症状で?」
「咳、鼻、痰、喉が痛い」
「じゃ、喉を・・・はい。かなり腫れてますね。じゃあ、薬を・・」
女性は黙って出て行った。処方を書いて・・ナースに渡す。
「先生、これ!」
さっきの看護婦がカルテをつかんでやってきた。
「ちゃんと問診表見たんですか!ピリン系にアレルギー!妊娠中!」
「え?」
確かに問診表がカルテの後ろに挟まっていた。
「こ、こんなのあったんですね・・」
「さあ、どうされますか?もう1度入ってもらいますか!」
佐々木医師が入ってきた。
「おい、まだそんな患者診てんのか?・・・おい、セデスはピリン系だろが!ピリン禁忌にこんなの出しちゃいかんぞ!・・おい!妊娠中?」
「は、はい。で、エリスロシンを出そうかと」
「何の本見てんだ・・・?妊娠に大丈夫な薬の一覧?でもお前、これでもし何かあって訴えられたらどうすんだ?」
「・・・」
「ダメダメ!クーリングして様子見るようにしろ!何か1本点滴して!で、明日婦人科にかかってもらうんだ!」
「は、はい・・」
「次のこの患者、胸痛だ。お前の得意分野だな、診ろ」
「はい」
ナースが車椅子で連れてきた。50代の服の汚れた男性。
「胸のどこが痛いんですか?」
「こことここ、というか全体」
「いつから?」
「昨日か、ずっと前から」
「?・・どんなときに?」
「だから、ずーっと前から!」
「胸の音、聞きます・・・ラ音とかはないか・・・検査に行きましょう」
「注射しておくれよ、先生」
「何の?」
「以前からわし、神経痛って言われて近所の整形の医者にかかってるんですわ。そこで、ペンタ・・なんちゃらという薬を・・アタタ・・それしたら楽になるんや。お願いや。明日は必ず整形行くから。検査するお金、持ってきてないし」
「ペンタ・・・・ペンタジンですか?」
「そう、そうや!もう胸が張り裂けそうで・・・はよはよ!」
「か、かしこまりました。看護婦さん、ペンタジンを・・」
佐々木医師がまたやってきた。
「待て!この患者・・・ちょっと耳かせ!・・おかしいとは思わんのか?こいつはペンタジン中毒だよ!」
「中毒?」
「依存してるってことだ。注射はせず、帰らせろ!おい、事務!調査しといてくれ!」
「かしこまりました」
患者は強制送還。
20歳代の女性。乾性咳がひどい。
「どれくらい続いているんですか」
「3週間くらい」
「じゃあ、風邪薬を・・」
佐々木ドクターが話しかける。
「妊娠してないだろな」
「してません」
「またセフェム系の処方か。好きだなお前。でもおい、長引く乾性咳だろ?マイコプラズマじゃないだろな。クラミジアとか。動物飼ってないか聞いたか?集団流行は?」
「いいえ・・・」
「まあいい、時間がない。白血球数とか見たいがな。今回のところはクラリシッド、処方しておけ」
ナースが叫ぶ。
「先生、患者さんが・・!」
女性が倒れた。ナースがなんとか支えた。呼吸困難もあるようだ。
「おい循環器!呼吸音とか聞いたのか?」
「いえ、風邪だと思って・・」
「風邪と肺炎は親戚だぞオイ!」
「SpO2 93・・・」
「酸素吸入して採血、点滴持続開始、レントゲン、CT!」
言葉が速くてついていけない。
30代の男性。腹痛、吐き気。微熱。
「お腹のどこが痛いです?」
「・・下のほう」
「下痢はしてません?」
「ああ、そういえば出たな・・」
「検査に行きましょう・・採血と・・レントゲンと・・・」
佐々木医師がやってきた。
「おい、検尿は?検尿!」
「?」
「結石の場合もあるだろが。潜血反応も見ないと!」
「は、はい」
60代男性、これも腹痛。救急車で来院。救急隊より。
「突然こらえきれない腰の痛みが出たと」
「ほ、ほかに症状は」
「ないです。よろしくお願いします」
「・・・腰・・背中の下のほうですね」
「ぐおおおお、い、痛え・・!骨が折れたような、アタタ・・」
「看護婦さん、整形の先生・・」
また佐々木医師が登場。
「おい、何勝手に整形の医者呼んでんだよ?」
「はい、腰が痛いというもので」
「打撲とか、事故の既往が?」
「な、ないようですが」
「腰というより背部痛か。結石と動脈瘤を否定しないか!」
「はい、じゃあ検尿を・・」
「こんな状況で尿は取れんぞ!採血にCT!エコーはオレがする」
どんどん患者が運ばれてくる。こちらは喉が渇いてくる。しかしそんな時間はない。トイレにも行けず。
全身の痒み、40代女性。佐々木医師が登場。
「こんなの、1分でやれ!強ミノiv、リンデロン処方して終わりだ!抗アレルギー剤出しとけ」
「先生、検査は・・?」
「ここは救急外来だぞ!明日にでも外来受診してもらえ!」
「はい・・」
救急隊より。
「66歳男性、不整脈です」
「はい・・どうですか」
患者は息苦しそうだった。
「そ、そんなん、しんどいに決まってるだろが!」
「SpO2 98・・・脈は・・不整・・afかな?技師さん、ここも心電図を!」
心電図はPSVT。佐々木先生が登場。
「得意だろお前!さっさと片つけろよ」
「はい・・・看護婦さん、ジギタリスの点滴を」
倒れた女性の写真ができた。右下肺の広範な淡い陰影。佐々木医師が飛んでくる。
「おう!肺炎だ。入院させろ。待機の内科の医者を呼べ」
「はい、伝えます・・白血球は9000。あまり増えてませんね」
「異型肺炎だろ、典型的な。ミノマイシン開始しろ」
「あの、肝機能も悪いようですが」
「異型肺炎じゃ珍しくないだろ!」
「はい、でもミノマイシンは」
「肝機能障害が怖いのか?じゃあ何使うってんだ?あとは主治医に任せろ!」
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<レジデント・セカンド 20 失恋 >
2004年3月8日 連載ターミナルの患者さんの病室。娘さんが付き添ってくれている。
「おはようございます・・・」
「昨日と変わりはないようですね」
「先生、モルヒネがよく効いているみたいなので・・減らさずこのままにして頂いてもいいですか」
「はい・・・あの、実は」
「はい?」
「あと2週間で転勤することになりまして」
「そうだったんですの。残念です。母は先生をすごく頼っていたもので」
「自分もです・・」
「どちらのほうへ?」
「ここから車で1時間のところです。公立病院です」
「そうですか・・でも母もあまり苦痛もなく、ほんと心の中では感謝していると思います」
「・・・・・」
転勤に向けて、掃除をし始めた。カンファレンスルームの中の、自分の本箱だ。よく考えると2割くらいしか読んでない。それでも引越しのときには重宝してしまう。
野中がやってきた。
「やあ、先生!」
「野中。一足先に、大学を出るよ」
「ああ。でもまた呼び戻されるに決まってるがね」
「戻らないよ」
「ダメだって。教授が人事を決めるんだ。大学院か何かの名目で、また戻ってくるよ」
「・・嫌な奴だな、お前・・お前はどうするの?」
「僕は来年から院に行くよ」
「院に行くっていうけど・・・院っていう建物はないだろ」
「まあいいじゃないか。医局で研究のみに打ち込もうと思うから」
「無理無理。松田先生らみたろ、あれが現状だって。論文に、雑用に、臨床に・・どれもうまくいってないってボヤいてる」
「僕の場合は、なるべく早くペーパーを完成させたいがね」
「・・で、何を目指すの?教授?」
「きょ、教授・・?博士が取れたらいいね、とりあえず」
「博士号か。なんのメリットがあるのか、よく分からないな」
「メリット?そりゃ医師としての・・」
「何だ?論文が認められるのと、臨床ができるのとは全く別だと思うけど」
「いや、そんなことはないよ。博士取ったほうが、開業にも有利だろ」
「・・それだけ?」
「?いや、ほかにも・・・」
初めて、この男を黙らせた。
医局では書類が準備されていた。医局秘書さんが封筒に1つずつ入れてくれている。
次の医局あての内申書みたいなのがあって、医師の評価が書かれている。もちろんそれを見ることはできない。封筒を開けない限りは。
「これが、保険医の登録書・・・履歴書は自分で用意してね・・・なんか、あなたがいなくなると寂しいね」
「上手だなあ、相変わらず・・」
「でもたぶんね、あと2.3年でもしたら、戻ってくるわよ」
「やっぱそうなんですか」
「ほとんど例外はないわ。大学は慢性的に人手不足なのよ」
「雑用の、でしょ?」
「まあね。グッチさんとは・・今後どうするの?」
「いやいや、何もないですよ、彼女とは」
「あと2週間の間に、モノにしちゃいなさいよ」
「・・・・・」
「彼女、でも最近暗いわね。ひょっとして、待ってるのかも」
「・・いや、それはない、ない」
退職が近々ということで、入院患者も激減してきた。おかげで早く帰れるようになった。
そうだ、オーベンのところへ。
「先生、もうすぐ行かれるんですか?」
「ああ、自分から志願したからね」
「うちの医局からは、先生だけ?」
「うん、第一号。ワゴン車で行く。2週間、神戸で寝泊りなのよね」
「睡眠時間とかあるんですかね」
「それは期待できないよ。ボランティアじゃないからねー」
「見送りに行きます」
「いや、もういいよ。チミは早く帰って、デートでもしなさい」
「たぶん会えないと思いますが・・」
「ああ、だろうね。帰ってきたらたぶんクタクタだし」
ワゴン車が、大学病院の玄関に3台並んだ。背広姿のドクターが10人ほど、1人ずつ乗り込んで行く。
多数の医局員が、静かに見守る。オーベンも、振り返りながら入っていく。
「じゃあ、レジデントのしょくん・・地震がまた起きぬことを祈って。私らは戦場へ行く。さらば、地球よ・・・」
僕らは口々に見送った。
「お気をつけて・・・」
ワゴン車は1台ずつ、ゆっくり去っていった。
医局員も散り散りになりはじめた。川口が後ろから話しかける。
「ねえ、先生・・」
「先生って、もう、やめて欲しいな」
川口は立ち止まった。
「どしたの?ああそうだ、今度行きたいところが・・」
「・・・なぜ、話さなかったの?」
「何を?」
「あたしと仮に付き合ったとして・・あたしとどうするつもりだったの?」
「・・・?」
「その・・前から付き合ってる彼女は・・どうするつもりだったの?」
なぜ、それを?
「ああ・・聞いたのか・・・。働く前は付き合っていたんだけど、今は・・・・今は・・・たまたま来たんだ。たまたま会っただけ」
「ウソ。あなたが分からない・・何を考えているのか。お互い、本音とかすべて話してきたと思ったのに」
「過去なんか、話さなくてもいいだろ」
「でもあたしは話した」
「なっ・・・?」
「もうどういう人かも分かったわ。あなたも今後、こんなことで自分を孤独にしないようにね。何もかも失ってしまうわよ」
「もう遊びにいけたりとか、約束とか、できない?」
「ちょっと待って・・・?あたし、あなたの彼女になんか、なった覚えないし・・!勘違いしないでね」
川口は病棟へ去った。
夢から覚めた。しかし歩行はパーキンソン様だ。
でも、誰がこのことを・・・?
次の職場へのわけの分からない期待、それとこの大学病院を出られるという不思議な満足感の中にあった。
でも、いとも簡単に君を失ってしまった。
何も実感がない。DMや高齢者のように、AMI起こしても感じない。心不全にならないと、分からないのだろうか?
白衣もボロボロになってしまった。ポケットの小冊子も買い換えないといけない。アパートの掃除もある。
次の職場の勤務まで、もう2日を切っていた・・・。
<完>
「おはようございます・・・」
「昨日と変わりはないようですね」
「先生、モルヒネがよく効いているみたいなので・・減らさずこのままにして頂いてもいいですか」
「はい・・・あの、実は」
「はい?」
「あと2週間で転勤することになりまして」
「そうだったんですの。残念です。母は先生をすごく頼っていたもので」
「自分もです・・」
「どちらのほうへ?」
「ここから車で1時間のところです。公立病院です」
「そうですか・・でも母もあまり苦痛もなく、ほんと心の中では感謝していると思います」
「・・・・・」
転勤に向けて、掃除をし始めた。カンファレンスルームの中の、自分の本箱だ。よく考えると2割くらいしか読んでない。それでも引越しのときには重宝してしまう。
野中がやってきた。
「やあ、先生!」
「野中。一足先に、大学を出るよ」
「ああ。でもまた呼び戻されるに決まってるがね」
「戻らないよ」
「ダメだって。教授が人事を決めるんだ。大学院か何かの名目で、また戻ってくるよ」
「・・嫌な奴だな、お前・・お前はどうするの?」
「僕は来年から院に行くよ」
「院に行くっていうけど・・・院っていう建物はないだろ」
「まあいいじゃないか。医局で研究のみに打ち込もうと思うから」
「無理無理。松田先生らみたろ、あれが現状だって。論文に、雑用に、臨床に・・どれもうまくいってないってボヤいてる」
「僕の場合は、なるべく早くペーパーを完成させたいがね」
「・・で、何を目指すの?教授?」
「きょ、教授・・?博士が取れたらいいね、とりあえず」
「博士号か。なんのメリットがあるのか、よく分からないな」
「メリット?そりゃ医師としての・・」
「何だ?論文が認められるのと、臨床ができるのとは全く別だと思うけど」
「いや、そんなことはないよ。博士取ったほうが、開業にも有利だろ」
「・・それだけ?」
「?いや、ほかにも・・・」
初めて、この男を黙らせた。
医局では書類が準備されていた。医局秘書さんが封筒に1つずつ入れてくれている。
次の医局あての内申書みたいなのがあって、医師の評価が書かれている。もちろんそれを見ることはできない。封筒を開けない限りは。
「これが、保険医の登録書・・・履歴書は自分で用意してね・・・なんか、あなたがいなくなると寂しいね」
「上手だなあ、相変わらず・・」
「でもたぶんね、あと2.3年でもしたら、戻ってくるわよ」
「やっぱそうなんですか」
「ほとんど例外はないわ。大学は慢性的に人手不足なのよ」
「雑用の、でしょ?」
「まあね。グッチさんとは・・今後どうするの?」
「いやいや、何もないですよ、彼女とは」
「あと2週間の間に、モノにしちゃいなさいよ」
「・・・・・」
「彼女、でも最近暗いわね。ひょっとして、待ってるのかも」
「・・いや、それはない、ない」
退職が近々ということで、入院患者も激減してきた。おかげで早く帰れるようになった。
そうだ、オーベンのところへ。
「先生、もうすぐ行かれるんですか?」
「ああ、自分から志願したからね」
「うちの医局からは、先生だけ?」
「うん、第一号。ワゴン車で行く。2週間、神戸で寝泊りなのよね」
「睡眠時間とかあるんですかね」
「それは期待できないよ。ボランティアじゃないからねー」
「見送りに行きます」
「いや、もういいよ。チミは早く帰って、デートでもしなさい」
「たぶん会えないと思いますが・・」
「ああ、だろうね。帰ってきたらたぶんクタクタだし」
ワゴン車が、大学病院の玄関に3台並んだ。背広姿のドクターが10人ほど、1人ずつ乗り込んで行く。
多数の医局員が、静かに見守る。オーベンも、振り返りながら入っていく。
「じゃあ、レジデントのしょくん・・地震がまた起きぬことを祈って。私らは戦場へ行く。さらば、地球よ・・・」
僕らは口々に見送った。
「お気をつけて・・・」
ワゴン車は1台ずつ、ゆっくり去っていった。
医局員も散り散りになりはじめた。川口が後ろから話しかける。
「ねえ、先生・・」
「先生って、もう、やめて欲しいな」
川口は立ち止まった。
「どしたの?ああそうだ、今度行きたいところが・・」
「・・・なぜ、話さなかったの?」
「何を?」
「あたしと仮に付き合ったとして・・あたしとどうするつもりだったの?」
「・・・?」
「その・・前から付き合ってる彼女は・・どうするつもりだったの?」
なぜ、それを?
「ああ・・聞いたのか・・・。働く前は付き合っていたんだけど、今は・・・・今は・・・たまたま来たんだ。たまたま会っただけ」
「ウソ。あなたが分からない・・何を考えているのか。お互い、本音とかすべて話してきたと思ったのに」
「過去なんか、話さなくてもいいだろ」
「でもあたしは話した」
「なっ・・・?」
「もうどういう人かも分かったわ。あなたも今後、こんなことで自分を孤独にしないようにね。何もかも失ってしまうわよ」
「もう遊びにいけたりとか、約束とか、できない?」
「ちょっと待って・・・?あたし、あなたの彼女になんか、なった覚えないし・・!勘違いしないでね」
川口は病棟へ去った。
夢から覚めた。しかし歩行はパーキンソン様だ。
でも、誰がこのことを・・・?
次の職場へのわけの分からない期待、それとこの大学病院を出られるという不思議な満足感の中にあった。
でも、いとも簡単に君を失ってしまった。
何も実感がない。DMや高齢者のように、AMI起こしても感じない。心不全にならないと、分からないのだろうか?
白衣もボロボロになってしまった。ポケットの小冊子も買い換えないといけない。アパートの掃除もある。
次の職場の勤務まで、もう2日を切っていた・・・。
<完>
<レジデント・セカンド 1ヵ月後・・・ >
2004年3月7日 連載 病棟は満床になった。カンファレンスでも、みんな疲れが見え始めていた。
循環器カンファレンス。僕の順番だ。相手は講師の先生。
「CCUの患者さんです。タンポナーデに対して心嚢穿刺を行い、IABPにて血圧は100mmHg以上をキープしています。長期となりIVH管理中。レントゲンでは肺の浸潤影は徐々に軽快しつつあります」
「LVEF・・左室駆出率はどのくらい?」
「エコーで40%前後です」
「輸液は?」
「ハイカリック2号1本とビタミンなどです」
「ナトリウムが入ってるのか・・あまり関心しないな。オーベンは?」
「先生、循環器がいくらナトリウム嫌いでも、体にはある程度必要でっせ」
「まあ、そうだな・・右心カテーテルのコントロールは?」
「ウェッジ圧は20mmHg前後、CVP圧は13mmHgです」
「・・・とすると、まあまあいいか。ま、感染を合併しないうちに離脱させていけよ」
「はい・・・・次、貧血精査で入った方」
「原因は何だった?」
「胃カメラでBorrmann 4型が見つかりまして、外科へ転科しました」
「そうか。外科転科、1例。認定医試験用にサマリーはとっとけよ。この人はメタはなしか。呼吸・心機能は調べたか?」
「胸部CTではCOPDがあるようです。呼吸機能では1秒率が低下しています」
「PH、あるのか?その胸のレントゲン、右肺動脈の太さが肋骨より太く見えるが」
「肺高血圧はエコー上ないようです」
「そうか・・君、レスポンスが速くなったね」
「は、はい?では、次・・拡張型心筋症の患者さん。肺水腫でしたがこのように利尿で改善しつつあるようです。しかし不整脈がかなり出てます」
「2段脈も出てるな。ジギタリスの血中濃度は?」
困った僕を察知し、オーベンが答える。
「今日返った結果では1.6でした。一応正常域ですが高めですね」
いつの間に結果を見たんだ?伝票はまだ戻ってないのに。たぶん電話で確認したんだろう。抜かりないな。
「だな、ジギは減らそう。メキシチールは内服か?」
「はい」
「これも血中濃度を測定しておけよ。あとは?」
「慢性腎不全の方です。この間、ウロで腎生検していただきました。結果は・・間質性腎炎」
「原因となりそうなものはあったのか?」
「ええっと・・・」
即、オーベンが反応した。
「過去のカルテや本人の話からすると、どうやらNSAIDを大量に貰ってたみたいですね。変形性の膝関節症であちこちの医者かかってて」
「胃は大丈夫なのか?」
「・・まだ調べてません」
「ところで君、NSAIDがなぜ腎機能や胃腸を障害する?」
「それは・・・」
「学生さん、そう、君。女性の」
「はい。プロスタグランジンの産生障害によって、血管の拡張が阻害されるからです」
「はは、学生さんの方が賢いんじゃないか?さっき、レスポンス速いと言ったよね」
「は、はい」
「あれは取り消す」
「は・・・・」
「いいだろう、次!」
すかさず、呼吸器カンファレンス。
川口だ。
「エンピエーマ・・膿胸・・の患者さんです。カルバペネムとクリンダマイシンを開始しましたが、高熱はおさまらずCRPも23mg/dlから21mg/dlと、横ばいの状態が続きました」
「排液して、生理食塩水で洗浄してもか?」
「菌血症の状態ではないかと」
「まさか、膿瘍腔から肺内に穿破したのではあるまいな?」
「えっ?そうなったら・・」
「急速に悪化するぞ、その場合。非常に怖いんだ」
「CTしばらく撮ってないので、確認します」
「まあレントゲンからは考えにくいがな。熱が下がらないなら、おい、オーベン!あれを・・」
「ガンマグロブリンね」
オーベンが答えた。
「そうだ」
次は畑先生の患者。以前、COPDのこの患者に僕が安定剤を処方してしまい、ナルコーシスの危機に見舞われていた。しかし感染もあったようだ。
「喀痰培養からはMRSAと緑膿菌が出ましたので、バンコマイシンを投与しました」
「熱があったのか?」
「微熱でCRPが2.1mg/dlありましたんで。影ははっきりしませんが」
「それでMRSAを疑う?」
「はあ、まあ、MRSAが出たので、治療しないと・・」
「MRSAは出てても、今回の感染の原因かどうかは不明だろ。でもMRSAならもっとこう、高熱出たりしないか」
「・・・でもMRSAだから・・・」
「まあ、もうバンコマイシン入ってるからな、しゃあない」
確かに当時は、MRSAが出たら反射的に治療をしていたように思う。原因菌かどうか考える前に。
僕の番だ。
「ターミナルの方、小野さんです。塩酸モルヒネでペインコントロール中です」
「レントゲンは真っ白じゃないか。というか、これはバタフライシャドウだな。肺水腫か?」
オーベンが答える。
「アルブミンも低く、感染の合併もあるのでARDSもあるかもしれません」
「学生さん。ARDSは別名で?」
「はい、非心原性の肺水腫です」
「じゃあ心原性の肺水腫と、どう鑑別するんだ?」
「・・・・・」
「はい、もう1人学生さん、あなた」
「・・・・・」
「野中、言ってやれ」
「鑑別は、右心カテーテルや心エコーで心疾患の関連をみることで分かります」
「だな。まあしかし、ターミナルだからな・・。本人の意識は?」
「反応ありません」
「なら、もういいな・・主治医!お疲れ様」
「次は、議員で喘息の・・」
「まだいたのか?そいつ?」
「はい。また悪くなりまして」
「点滴してるのか」
「はい。本人希望もありまして」
「ステロイド毎日点滴してて、副腎は大丈夫なのか?」
「内服もあります」
「プレドニン換算でいくら?」
「プレドニゾロン8錠、つまり40mg/dayです」
「多いな、それ。でもゆっくり減らせよ。ステロイドとβブロッカーの減量はリバウンドが怖い。ステロイドは10mg/day以下の場合は徐々に徐々にだぞ」
「はい」
「・・・もう2月か。そろそろ転勤の話が来るんじゃないか?」
「ええ?」
オーベンが遮った。
「先生、コベンちゃんにはまた僕から話しておきます」
転勤?いよいよか?
川口と目があった。
まずい。このまま引き離されてしまうのか・・・?と思ってるのは、僕だけなのか。
後ろからオーベンが語りかけた。
「コベンちゃん。動揺するのは分かるけど、患者さんたちがつらいの、分かってる?特にターミナルの患者さん。患者さんにとっては、主治医はあくまで自分だけの特別な先生なんだよ」
「はい・・・」
「だから、勤務の最後まで誠意を尽くしなさいよ」
「はい、ありがとうございます」
「コベンちゃん、いろいろ噂は聞くけど・・コベンちゃんは全力投球しているのかな?何か、悩み事が?」
「え?だ、誰がそんなこと・・」
「いやあ、大学って、もう噂・噂のかたまりよ」
「だ、誰にでも悩みはあると・・」
「僕に話すの、イヤ?・・だろね。やっぱチミは、川口くんの尻がよく似合う、ふふふ。転勤はね、1ヵ月後。勤務先は公立の病院です。ムチャ忙しいよ」
「そうですか・・1ヶ月後?」
「そ。大学の人事なんて、こんなもんよ」
1ヶ月後なのか・・・。
<つづく>
循環器カンファレンス。僕の順番だ。相手は講師の先生。
「CCUの患者さんです。タンポナーデに対して心嚢穿刺を行い、IABPにて血圧は100mmHg以上をキープしています。長期となりIVH管理中。レントゲンでは肺の浸潤影は徐々に軽快しつつあります」
「LVEF・・左室駆出率はどのくらい?」
「エコーで40%前後です」
「輸液は?」
「ハイカリック2号1本とビタミンなどです」
「ナトリウムが入ってるのか・・あまり関心しないな。オーベンは?」
「先生、循環器がいくらナトリウム嫌いでも、体にはある程度必要でっせ」
「まあ、そうだな・・右心カテーテルのコントロールは?」
「ウェッジ圧は20mmHg前後、CVP圧は13mmHgです」
「・・・とすると、まあまあいいか。ま、感染を合併しないうちに離脱させていけよ」
「はい・・・・次、貧血精査で入った方」
「原因は何だった?」
「胃カメラでBorrmann 4型が見つかりまして、外科へ転科しました」
「そうか。外科転科、1例。認定医試験用にサマリーはとっとけよ。この人はメタはなしか。呼吸・心機能は調べたか?」
「胸部CTではCOPDがあるようです。呼吸機能では1秒率が低下しています」
「PH、あるのか?その胸のレントゲン、右肺動脈の太さが肋骨より太く見えるが」
「肺高血圧はエコー上ないようです」
「そうか・・君、レスポンスが速くなったね」
「は、はい?では、次・・拡張型心筋症の患者さん。肺水腫でしたがこのように利尿で改善しつつあるようです。しかし不整脈がかなり出てます」
「2段脈も出てるな。ジギタリスの血中濃度は?」
困った僕を察知し、オーベンが答える。
「今日返った結果では1.6でした。一応正常域ですが高めですね」
いつの間に結果を見たんだ?伝票はまだ戻ってないのに。たぶん電話で確認したんだろう。抜かりないな。
「だな、ジギは減らそう。メキシチールは内服か?」
「はい」
「これも血中濃度を測定しておけよ。あとは?」
「慢性腎不全の方です。この間、ウロで腎生検していただきました。結果は・・間質性腎炎」
「原因となりそうなものはあったのか?」
「ええっと・・・」
即、オーベンが反応した。
「過去のカルテや本人の話からすると、どうやらNSAIDを大量に貰ってたみたいですね。変形性の膝関節症であちこちの医者かかってて」
「胃は大丈夫なのか?」
「・・まだ調べてません」
「ところで君、NSAIDがなぜ腎機能や胃腸を障害する?」
「それは・・・」
「学生さん、そう、君。女性の」
「はい。プロスタグランジンの産生障害によって、血管の拡張が阻害されるからです」
「はは、学生さんの方が賢いんじゃないか?さっき、レスポンス速いと言ったよね」
「は、はい」
「あれは取り消す」
「は・・・・」
「いいだろう、次!」
すかさず、呼吸器カンファレンス。
川口だ。
「エンピエーマ・・膿胸・・の患者さんです。カルバペネムとクリンダマイシンを開始しましたが、高熱はおさまらずCRPも23mg/dlから21mg/dlと、横ばいの状態が続きました」
「排液して、生理食塩水で洗浄してもか?」
「菌血症の状態ではないかと」
「まさか、膿瘍腔から肺内に穿破したのではあるまいな?」
「えっ?そうなったら・・」
「急速に悪化するぞ、その場合。非常に怖いんだ」
「CTしばらく撮ってないので、確認します」
「まあレントゲンからは考えにくいがな。熱が下がらないなら、おい、オーベン!あれを・・」
「ガンマグロブリンね」
オーベンが答えた。
「そうだ」
次は畑先生の患者。以前、COPDのこの患者に僕が安定剤を処方してしまい、ナルコーシスの危機に見舞われていた。しかし感染もあったようだ。
「喀痰培養からはMRSAと緑膿菌が出ましたので、バンコマイシンを投与しました」
「熱があったのか?」
「微熱でCRPが2.1mg/dlありましたんで。影ははっきりしませんが」
「それでMRSAを疑う?」
「はあ、まあ、MRSAが出たので、治療しないと・・」
「MRSAは出てても、今回の感染の原因かどうかは不明だろ。でもMRSAならもっとこう、高熱出たりしないか」
「・・・でもMRSAだから・・・」
「まあ、もうバンコマイシン入ってるからな、しゃあない」
確かに当時は、MRSAが出たら反射的に治療をしていたように思う。原因菌かどうか考える前に。
僕の番だ。
「ターミナルの方、小野さんです。塩酸モルヒネでペインコントロール中です」
「レントゲンは真っ白じゃないか。というか、これはバタフライシャドウだな。肺水腫か?」
オーベンが答える。
「アルブミンも低く、感染の合併もあるのでARDSもあるかもしれません」
「学生さん。ARDSは別名で?」
「はい、非心原性の肺水腫です」
「じゃあ心原性の肺水腫と、どう鑑別するんだ?」
「・・・・・」
「はい、もう1人学生さん、あなた」
「・・・・・」
「野中、言ってやれ」
「鑑別は、右心カテーテルや心エコーで心疾患の関連をみることで分かります」
「だな。まあしかし、ターミナルだからな・・。本人の意識は?」
「反応ありません」
「なら、もういいな・・主治医!お疲れ様」
「次は、議員で喘息の・・」
「まだいたのか?そいつ?」
「はい。また悪くなりまして」
「点滴してるのか」
「はい。本人希望もありまして」
「ステロイド毎日点滴してて、副腎は大丈夫なのか?」
「内服もあります」
「プレドニン換算でいくら?」
「プレドニゾロン8錠、つまり40mg/dayです」
「多いな、それ。でもゆっくり減らせよ。ステロイドとβブロッカーの減量はリバウンドが怖い。ステロイドは10mg/day以下の場合は徐々に徐々にだぞ」
「はい」
「・・・もう2月か。そろそろ転勤の話が来るんじゃないか?」
「ええ?」
オーベンが遮った。
「先生、コベンちゃんにはまた僕から話しておきます」
転勤?いよいよか?
川口と目があった。
まずい。このまま引き離されてしまうのか・・・?と思ってるのは、僕だけなのか。
後ろからオーベンが語りかけた。
「コベンちゃん。動揺するのは分かるけど、患者さんたちがつらいの、分かってる?特にターミナルの患者さん。患者さんにとっては、主治医はあくまで自分だけの特別な先生なんだよ」
「はい・・・」
「だから、勤務の最後まで誠意を尽くしなさいよ」
「はい、ありがとうございます」
「コベンちゃん、いろいろ噂は聞くけど・・コベンちゃんは全力投球しているのかな?何か、悩み事が?」
「え?だ、誰がそんなこと・・」
「いやあ、大学って、もう噂・噂のかたまりよ」
「だ、誰にでも悩みはあると・・」
「僕に話すの、イヤ?・・だろね。やっぱチミは、川口くんの尻がよく似合う、ふふふ。転勤はね、1ヵ月後。勤務先は公立の病院です。ムチャ忙しいよ」
「そうですか・・1ヶ月後?」
「そ。大学の人事なんて、こんなもんよ」
1ヶ月後なのか・・・。
<つづく>
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<レジデント・セカンド 18 アクセス>
2004年3月6日 連載<レジデント・セカンド 18 アクセス>
「胸腔穿刺して、ドレーンに戻ってきた液、真っ白。たぶんアブセスだわ」
「アブセス・・膿瘍か?つまり膿胸?」
「背景にDMあるしね。これまでの経過とかみると、上気道炎 → 肺炎 → 細菌性胸膜炎 → 膿胸、ってところね」
「洗浄するわけ?」
「そう、まずこの汚い液を出して、抗生剤で毎日洗浄するの。菌を完全に死滅させるためにね」
「それはやめておきなさい」
僕のオーベンが現れた。
「グッチさんとやら、やめときなさい。そんなとこにいきなり薬入れるのは!」
「でも先生、高熱がかなり出てるし、胸腔はばい菌の巣ですよ。早いところここにも抗生剤入れて、死滅させようと思います」
「いや、基本は生理食塩水での洗浄だよ。直接そんなところに薬入れたらあなた、菌に耐性ができてしまいますよ。誰からそれを教わったのですの?」
「薬のメーカーの人は推奨されてましたよ」
「MRの方々は、そりゃ商売ですもん。モノが売れるためならそういう資料、夜中でも持ってきますよ、彼らは」
「はい、でも主治医としては」
「この時期に自分で難しい判断はすべきでないですよ。あなたのような医者は危ない」
「は・・・はい」
僕のオーベンは、アイスピックのようにいきなり言葉を刺す。
「もうちょっと謙虚な姿勢を身につけなさいな。さて、私のコベンちゃん?」
僕はたじろいだ。
「は、はい」
「抗生剤は静脈投与でいいと思いますが・・何を使ったらいい?」
「ぺ、ペニシリン系・・・」
「だけ?」
「・・・うう・・」
「ペニシリン系としたのは、なぜなの?」
「・・・うう・・」
「何でもいいと思ったわけ?」
川口がかばう。
「ペニシリン系でグラム陽性球菌をカバーして、アミノグリコシドで陰性桿菌をカバーします。一通り広い範囲で効かせるためです」
「・・・あなた、膿胸は嫌気性菌が多いでしょ」
「は、はい、そうでした」
「クリンダマイシンが要るでしょ」
「はい」
「それと?・・・ダメねえ、あなたたちは。コベンちゃんは川口さんの尻にでも一生敷かれていなさい。うらやましいけど」
川口は驚いた。
「しり?」
オーベンは話を変えた。
「この方、免疫力は低下している方?」
「はい、背景にDMが」
「なら、合併しやすいのはグラム・・・?」
「陰性桿菌のほうです」
「じゃあ、どれよ」
「セフェムの3世代か・・カルバペネムです」
「そ・・でもわたしは強いほう、カルバペネムを選ぶね」
「はい・・・」
オーベンは去った。
「グッチ、ありがとう」
「あたし?何もしてないわよ」
「でもグッチ、よくあんなにスラスラ答えられるな」
「あたしは毎日勉強してるもん。でも、ショックだなあ、あんな言い方する人、嫌い」
「そうかな・・・?ああいう言われ方だと、次から気をつけようと思うよ」
「クリンダマイシンと、カルバペネムかー」
「これが効かなかったら?」
「培養の結果に準じて治療を変えるわ・・・あたしを試してるの?」
「い、いや、オーベンって一度してみたいなあと思って」
川口は声を少しひそめた。
「じゃあ、電話して。明日でも・・」
またしてもジャマが入った。病棟医長だ。
「そこでヒマそうにしている研修医しょくん!今、日本で大変なことが起こってるぞ!」
医局員全員が詰所のテレビにかじりついた。
「うわあ・・・」
「こ、こんな・・・」
倒壊し、焼け野原になり噴煙を上げるビル群。呆然と路地で佇む人たち。
その地震はその後、阪神大震災と名づけられた。
「この部屋で間違いないはずだ・・」
2階、202号室。メモの住所どおりだ。表札がない。もし人違い、いや部屋違いだったら・・・。
勇気を出して、チャイムを押した。
「はいって」
「は、はあ・・」
部屋は割りと地味なものだった。僕らの部屋と基本的な構造は変わりない。必要最小限なものしか置いていないという意味だ。
「どうぞ、そこにお座りになって」
「は、はい・・」
「お茶。これ」
「は、ど、どうも・・」
「どう、患者さんたち、落ち着いてる?」
なんでそんな会話で始まるんだよ・・?
「CCUの患者?OMIがもともとあって、今回心不全が悪化したみたいだな。で、タンポナーデにもなって、オーベンに心嚢穿刺してもらった。今はIABPも入ってる」
「あなた、自分でしなかったの?手取り足取りででも」
「ええっ?怖いよ、そんなの。まだ1人でやっちゃいかんだろ」
「だから!これでいいですかって言いながら横でサポートしてもらったらよかったのに」
「それは・・やっぱ怖いな」
「怖いのは患者さんでしょう?」
「・・・こっちも怖いよ。オーベンって、どのオーベンもそうだけど、時々よそ向いてたり、いなくなることあるじゃないか」
「それは仕方ないわ。ある程度は先生にも責任があるし」
「・・・で、グッチは自分でやったの?胸腔穿刺」
「したわよ!オーベンがマジックで印つけてくれて、さあ、ここめがけてやれ、って」
「刺したんだね?」
「そうよ。まず肋骨へ当てて、上にずらしたら、肋間に入ったわ。ズボッっていう感じ」
「そう。膿胸については、復習した?」
「あたし、家には本は1冊もないの。だって家に帰ることって、ほとんどないし。おかげで電気代とかほとんど要らない」
「家で、何してるの?」
「そうね、昔のアルバム取り出して写真見たり、英会話聞いたり、かな」
「つまんないな。どっか行ったりしないの?」
「あー、行きたい行きたい。ああそういえばさー、前にカラオケに行きそびれたよね、あたしたち」
あ、あたしたち・・・。いい言葉だ。
「今度行こうよ。患者さんたちがみんな落ち着いたら」
「いつの話だよ、それ?」
「そうね、先生の患者さんがIABP抜けたら、という時期でどう?ああ、もちろん自己抜去はダメよ」
「いつになるやら・・」
「先生はそれまで、病院に泊まり込むのよ。あ、この写真、見て。これが以前付き合ってた人」
な、なんだ、こいつ、いきなり・・・。う・・美形だ。僕なんか話にならない。野中でさえも足元に及ばんだろう・・。
こういう男がこういう子らを独り占めしてるんだよなあ・・・!
「怒ってるの?」
「ええ?いや、CCUの患者さんが、ちょっと、その、気になって」
「ふーん・・じゃあ、ちょっと病院まで行ってくる?」
「え?いやいや、今日はもういいよ」
「・・・でね、その彼がねー、ちょうど・・・」
楽しそうな顔だ。仕事のときのキツい表情など微塵もない。こんな医者の仕事なんか、ムキニになってしなくてもいいのに。
僕はヒヤリ・ハッとなった。川口の横顔が、もうすぐそこにある。
このまま、近づけば・・・。
「・・・なのね。ちょっと、聞いてる?」
「え?ああ」
「・・・だいぶ疲れてるのね。よし!今日はここまで!」
「なっ?」
「あたしも夜、友達に電話するって言ってたし。さ、あなたはこれから病棟行ってきなさい!」
「・・・もう少しいても」
「さあさあ帰った帰った!」
「・・・じゃあ、これ」
「何?これ?」
「た、誕生日の」
「プレゼント?あたし、誕生日はずっと前よ」
「ああ、知ってる」
買ったのはかなり以前のことだ。
「でも、うれしい。頑張ってね!」
中から勢いよくドアを閉められた。
何やってんだ、オレは・・・・。
アブセス、いや、アクセス失敗。パス!
<つづく>
「胸腔穿刺して、ドレーンに戻ってきた液、真っ白。たぶんアブセスだわ」
「アブセス・・膿瘍か?つまり膿胸?」
「背景にDMあるしね。これまでの経過とかみると、上気道炎 → 肺炎 → 細菌性胸膜炎 → 膿胸、ってところね」
「洗浄するわけ?」
「そう、まずこの汚い液を出して、抗生剤で毎日洗浄するの。菌を完全に死滅させるためにね」
「それはやめておきなさい」
僕のオーベンが現れた。
「グッチさんとやら、やめときなさい。そんなとこにいきなり薬入れるのは!」
「でも先生、高熱がかなり出てるし、胸腔はばい菌の巣ですよ。早いところここにも抗生剤入れて、死滅させようと思います」
「いや、基本は生理食塩水での洗浄だよ。直接そんなところに薬入れたらあなた、菌に耐性ができてしまいますよ。誰からそれを教わったのですの?」
「薬のメーカーの人は推奨されてましたよ」
「MRの方々は、そりゃ商売ですもん。モノが売れるためならそういう資料、夜中でも持ってきますよ、彼らは」
「はい、でも主治医としては」
「この時期に自分で難しい判断はすべきでないですよ。あなたのような医者は危ない」
「は・・・はい」
僕のオーベンは、アイスピックのようにいきなり言葉を刺す。
「もうちょっと謙虚な姿勢を身につけなさいな。さて、私のコベンちゃん?」
僕はたじろいだ。
「は、はい」
「抗生剤は静脈投与でいいと思いますが・・何を使ったらいい?」
「ぺ、ペニシリン系・・・」
「だけ?」
「・・・うう・・」
「ペニシリン系としたのは、なぜなの?」
「・・・うう・・」
「何でもいいと思ったわけ?」
川口がかばう。
「ペニシリン系でグラム陽性球菌をカバーして、アミノグリコシドで陰性桿菌をカバーします。一通り広い範囲で効かせるためです」
「・・・あなた、膿胸は嫌気性菌が多いでしょ」
「は、はい、そうでした」
「クリンダマイシンが要るでしょ」
「はい」
「それと?・・・ダメねえ、あなたたちは。コベンちゃんは川口さんの尻にでも一生敷かれていなさい。うらやましいけど」
川口は驚いた。
「しり?」
オーベンは話を変えた。
「この方、免疫力は低下している方?」
「はい、背景にDMが」
「なら、合併しやすいのはグラム・・・?」
「陰性桿菌のほうです」
「じゃあ、どれよ」
「セフェムの3世代か・・カルバペネムです」
「そ・・でもわたしは強いほう、カルバペネムを選ぶね」
「はい・・・」
オーベンは去った。
「グッチ、ありがとう」
「あたし?何もしてないわよ」
「でもグッチ、よくあんなにスラスラ答えられるな」
「あたしは毎日勉強してるもん。でも、ショックだなあ、あんな言い方する人、嫌い」
「そうかな・・・?ああいう言われ方だと、次から気をつけようと思うよ」
「クリンダマイシンと、カルバペネムかー」
「これが効かなかったら?」
「培養の結果に準じて治療を変えるわ・・・あたしを試してるの?」
「い、いや、オーベンって一度してみたいなあと思って」
川口は声を少しひそめた。
「じゃあ、電話して。明日でも・・」
またしてもジャマが入った。病棟医長だ。
「そこでヒマそうにしている研修医しょくん!今、日本で大変なことが起こってるぞ!」
医局員全員が詰所のテレビにかじりついた。
「うわあ・・・」
「こ、こんな・・・」
倒壊し、焼け野原になり噴煙を上げるビル群。呆然と路地で佇む人たち。
その地震はその後、阪神大震災と名づけられた。
「この部屋で間違いないはずだ・・」
2階、202号室。メモの住所どおりだ。表札がない。もし人違い、いや部屋違いだったら・・・。
勇気を出して、チャイムを押した。
「はいって」
「は、はあ・・」
部屋は割りと地味なものだった。僕らの部屋と基本的な構造は変わりない。必要最小限なものしか置いていないという意味だ。
「どうぞ、そこにお座りになって」
「は、はい・・」
「お茶。これ」
「は、ど、どうも・・」
「どう、患者さんたち、落ち着いてる?」
なんでそんな会話で始まるんだよ・・?
「CCUの患者?OMIがもともとあって、今回心不全が悪化したみたいだな。で、タンポナーデにもなって、オーベンに心嚢穿刺してもらった。今はIABPも入ってる」
「あなた、自分でしなかったの?手取り足取りででも」
「ええっ?怖いよ、そんなの。まだ1人でやっちゃいかんだろ」
「だから!これでいいですかって言いながら横でサポートしてもらったらよかったのに」
「それは・・やっぱ怖いな」
「怖いのは患者さんでしょう?」
「・・・こっちも怖いよ。オーベンって、どのオーベンもそうだけど、時々よそ向いてたり、いなくなることあるじゃないか」
「それは仕方ないわ。ある程度は先生にも責任があるし」
「・・・で、グッチは自分でやったの?胸腔穿刺」
「したわよ!オーベンがマジックで印つけてくれて、さあ、ここめがけてやれ、って」
「刺したんだね?」
「そうよ。まず肋骨へ当てて、上にずらしたら、肋間に入ったわ。ズボッっていう感じ」
「そう。膿胸については、復習した?」
「あたし、家には本は1冊もないの。だって家に帰ることって、ほとんどないし。おかげで電気代とかほとんど要らない」
「家で、何してるの?」
「そうね、昔のアルバム取り出して写真見たり、英会話聞いたり、かな」
「つまんないな。どっか行ったりしないの?」
「あー、行きたい行きたい。ああそういえばさー、前にカラオケに行きそびれたよね、あたしたち」
あ、あたしたち・・・。いい言葉だ。
「今度行こうよ。患者さんたちがみんな落ち着いたら」
「いつの話だよ、それ?」
「そうね、先生の患者さんがIABP抜けたら、という時期でどう?ああ、もちろん自己抜去はダメよ」
「いつになるやら・・」
「先生はそれまで、病院に泊まり込むのよ。あ、この写真、見て。これが以前付き合ってた人」
な、なんだ、こいつ、いきなり・・・。う・・美形だ。僕なんか話にならない。野中でさえも足元に及ばんだろう・・。
こういう男がこういう子らを独り占めしてるんだよなあ・・・!
「怒ってるの?」
「ええ?いや、CCUの患者さんが、ちょっと、その、気になって」
「ふーん・・じゃあ、ちょっと病院まで行ってくる?」
「え?いやいや、今日はもういいよ」
「・・・でね、その彼がねー、ちょうど・・・」
楽しそうな顔だ。仕事のときのキツい表情など微塵もない。こんな医者の仕事なんか、ムキニになってしなくてもいいのに。
僕はヒヤリ・ハッとなった。川口の横顔が、もうすぐそこにある。
このまま、近づけば・・・。
「・・・なのね。ちょっと、聞いてる?」
「え?ああ」
「・・・だいぶ疲れてるのね。よし!今日はここまで!」
「なっ?」
「あたしも夜、友達に電話するって言ってたし。さ、あなたはこれから病棟行ってきなさい!」
「・・・もう少しいても」
「さあさあ帰った帰った!」
「・・・じゃあ、これ」
「何?これ?」
「た、誕生日の」
「プレゼント?あたし、誕生日はずっと前よ」
「ああ、知ってる」
買ったのはかなり以前のことだ。
「でも、うれしい。頑張ってね!」
中から勢いよくドアを閉められた。
何やってんだ、オレは・・・・。
アブセス、いや、アクセス失敗。パス!
<つづく>
<レジデント・セカンド 17 うち、来る?>
2004年3月4日 連載<レジデント・セカンド 17 うち、来る?>
「おい、今日のカンファレンスは中止だってよ」
救急室へ現れた医局長から説明があった。
「あ、先生」
「お、AMIか?発症はちょっと前みたいだな。その後心不全を起こしてるようだな。タンポナーデ?」
「はい、さきほどオーベンに連絡が取れまして、心嚢穿刺をこれからCCUで行う予定です」
「あっそ・・まあ頑張ってね。主治医は君ね」
「はい」
「それから・・!川口くん。今から胸膜炎が入るよ!センターからの紹介だ!センターに最近入院したんだが、朝の地震の影響で、ベッドを空けたいらしい」
「そんなにひどい地震だったんですか?」
「けっこう被害があったらしい。神戸のほうでな。大阪にも患者が流れてるみたいなんだ。神戸のほうの病院は受け入れが今ひとつなのかなあ?」
「内科にも影響してきたわけですか」
「ああ、でも大学にこうして救急が来るのは名誉なことだ」
川口はメモを見ながら顔を上げた。
「医局長。胸膜炎って、どこまで診断がついてるんですか?」
「ええ?僕はそれしか聞いてない。紹介状の内容を確認してくれよ」
「どこにあるんですか」
「救急隊が持ってくるだろ」
川口の気持ちは分かる。患者が来てからではメモをじっくり見る時間などないのだ。
僕のポケベルが鳴った。病棟だ。
「もしもし」
「先生、注射当番でしょ。早くしてくれと患者さんたちが怒ってますが」
「今からCCUに行かなきゃならないんだよ」
「ええ?じゃあ誰が?」
「レジデントに武田って奴がいるだろ?」
「でも先生、あの先生はローテーションで来た先生でしょう」
「放射線科からね・・いっつも見学しかしてないんだから、やらせてよ」
「先生、医局長の許可は?」
医局長を見たところ、医局長はしぶしぶ頷いていた。
「オッケーだって」
救急車が到着。入院していた患者の紹介だから病状は安定・・と聞いていたが。救急隊がストレッチャーとともに入ってきた。
「66歳、女性!基礎に糖尿病があり!今回は胸膜炎と聞いてます。酸素吸入2LでSpO2 94%。39度の熱発あり!」
「なに?39度も?」
川口もビックリしていた。
「胸膜炎って、こんなに熱出るの?」
「そ、そりゃ原因によるだろ」
「結核だったらどうしよう」
「結核性胸膜炎?背景に糖尿病あるみたいだしね」
「イヤなやつ」
「へへへ・・」
「ねえ、今度・・うち、来る?」
「へ?」
夢から覚めるように、救急隊が叫んだ。
「では、宜しくお願いいたします!」
川口はオーベンに連絡を取っていた。
「はい、今からCTも行きます。病棟で穿刺ですか・・ドレーン・・・はい。サイズは・・はい。用意しておきます。お願いします」
病棟で、ドレーン入れるのか。
「偶然ね。これからCCUでオーベンと心嚢穿刺でしょ?私も病棟でオーベンと胸腔穿刺。あなたの管のほうが細いけどね」
なんだと?少しムカッとなったのはなぜ?
「でもあなたのほうが危険性大きいよね」
「ああ、怖いよ・・心臓の廻りを盲目的に刺すわけだからね」
「でも超音波で見ながらだから、大丈夫よ」
野中がいつの間にか戻っていた。
「みんな、神戸のほうは凄い被害だってよ!余震も続いているらしい。僕らは走っててばかりだからか、何も気づかないな」
かなり興奮気味だ。
「被害者が大阪の病院にも搬送されているんだ。うちの病院にも来るんじゃないか?」
外来待ちのテレビも、なんだか忙しそうだ。
CCUではオーベンが待っていた。
「コベンちゃん、おはよう」
「すみません。遅くなりました」
「謝らなくてもよい。さあ、やろうか」
「はい」
「用意するものは揃えた。地震で病院も大変になるようだから、ここは私がやりましょ」
「は、はい」
「なんなら、する・・・?」
「い、いえ。お願いします」
「なかなかない機会だが・・まあいいでしょ」
超音波でみぞおちの部分を上にえぐるように当てる。心臓の尖端・・心尖部と、その周囲の黒いエコー領域。厚さは3cmくらいありそうだ。心臓の周りに水があるのではなく、水の中に
心臓が浮いているようだ。刺す方向を確認、マジックで印。超音波はよそへ片付けられた。
細くて長いカテラン針が用意されている。オーベンは迅速にマジック部を消毒、布をかぶせ、僕の補助で麻酔を吸い、そのカテラン針でマジック部を麻酔。針は麻酔を送りながらどんどん深みへ。
「あと、2cm・・くらいか。ここか!」
黄色透明の液体が帰ってきたようだ。そうか、超音波で深さも確認。カテランでさらに確認か。
「カテーテル、取って。それ。ピッグテール。ブタの尻尾ちゃん」
「は、はい」
カテランの数倍の太さの針が入り、同様に黄色の液体が戻ってきた。針の中にワイヤーを通し、針は外された。代わりにブタの尻尾が入っていく。
「よし。止めよう。さて、これで血圧が安定しなければ、IABPの登場よね」
「はい」
「なんか、また入院が入るんだったね。この患者は私が見ておくから、手伝ってあげて」
「はい。ありがとうございます」
また来るのか・・・?
病棟では婦長が病棟医長と対立していた。
「婦長さん、しょうがないんだよ」
「ダメといったらダメ!ここは民間の病院じゃないんだから!」
「たいした患者じゃないって。重症だったらICUへ移すからさ」
「先生、ちょうどいま胸膜炎入れたところなのに、間質性肺炎なんて無理です!」
「関連病院からの紹介なんだよ。地震の患者の受け入れのため空床を作るんだってさ。断るに断れないんだよ」
「私は断りますっ!」
「間質性肺炎っていってもさ、ステロイドパルスしてちょっとよくなってるらしいんだ」
「そういういい加減な説明は聞き飽きました!信用できません!」
「でも、もうこっちへ向かってるんだよ」
「なんですって?あたしの許可もなしで?」
「しょうがないんだ。これで重症部屋は1つ空いてるわけだし」
「看護婦は限界ですよ!誰か1人、夜中でも見てくれるんですか?」
「ああ、レジデントがいるよ!あいつらはいつも泊まってるし、土日もいる!」
「レジデントによるでしょ、それは」
婦長はキッと僕を睨んだ。病棟医長は続けた。
「じゃ、そういうことで。間質性肺炎の主治医は野中くんで」
「そう願うわ。もうこれ以上は入院は無理ですからね!」
大学病院での最大権力者は、各詰所の婦長だ。
川口が戻ってきた。
「真っ白」
「何が?」
「ドレーンに戻ってきた液。たぶんアブセスだわ」
「アブセス・・膿瘍か?」
「背景にDMあるしね。これまでの経過とかみると、上気道炎 → 肺炎 → 細菌性胸膜炎 → 膿胸、ってところね」
「洗浄するわけ?」
「そう、まずこの汚い液を出して、それから抗生剤を入れて洗浄しようと思うの」
「それはやめておきなさい」
僕のオーベンが現れた。
<つづく>
「おい、今日のカンファレンスは中止だってよ」
救急室へ現れた医局長から説明があった。
「あ、先生」
「お、AMIか?発症はちょっと前みたいだな。その後心不全を起こしてるようだな。タンポナーデ?」
「はい、さきほどオーベンに連絡が取れまして、心嚢穿刺をこれからCCUで行う予定です」
「あっそ・・まあ頑張ってね。主治医は君ね」
「はい」
「それから・・!川口くん。今から胸膜炎が入るよ!センターからの紹介だ!センターに最近入院したんだが、朝の地震の影響で、ベッドを空けたいらしい」
「そんなにひどい地震だったんですか?」
「けっこう被害があったらしい。神戸のほうでな。大阪にも患者が流れてるみたいなんだ。神戸のほうの病院は受け入れが今ひとつなのかなあ?」
「内科にも影響してきたわけですか」
「ああ、でも大学にこうして救急が来るのは名誉なことだ」
川口はメモを見ながら顔を上げた。
「医局長。胸膜炎って、どこまで診断がついてるんですか?」
「ええ?僕はそれしか聞いてない。紹介状の内容を確認してくれよ」
「どこにあるんですか」
「救急隊が持ってくるだろ」
川口の気持ちは分かる。患者が来てからではメモをじっくり見る時間などないのだ。
僕のポケベルが鳴った。病棟だ。
「もしもし」
「先生、注射当番でしょ。早くしてくれと患者さんたちが怒ってますが」
「今からCCUに行かなきゃならないんだよ」
「ええ?じゃあ誰が?」
「レジデントに武田って奴がいるだろ?」
「でも先生、あの先生はローテーションで来た先生でしょう」
「放射線科からね・・いっつも見学しかしてないんだから、やらせてよ」
「先生、医局長の許可は?」
医局長を見たところ、医局長はしぶしぶ頷いていた。
「オッケーだって」
救急車が到着。入院していた患者の紹介だから病状は安定・・と聞いていたが。救急隊がストレッチャーとともに入ってきた。
「66歳、女性!基礎に糖尿病があり!今回は胸膜炎と聞いてます。酸素吸入2LでSpO2 94%。39度の熱発あり!」
「なに?39度も?」
川口もビックリしていた。
「胸膜炎って、こんなに熱出るの?」
「そ、そりゃ原因によるだろ」
「結核だったらどうしよう」
「結核性胸膜炎?背景に糖尿病あるみたいだしね」
「イヤなやつ」
「へへへ・・」
「ねえ、今度・・うち、来る?」
「へ?」
夢から覚めるように、救急隊が叫んだ。
「では、宜しくお願いいたします!」
川口はオーベンに連絡を取っていた。
「はい、今からCTも行きます。病棟で穿刺ですか・・ドレーン・・・はい。サイズは・・はい。用意しておきます。お願いします」
病棟で、ドレーン入れるのか。
「偶然ね。これからCCUでオーベンと心嚢穿刺でしょ?私も病棟でオーベンと胸腔穿刺。あなたの管のほうが細いけどね」
なんだと?少しムカッとなったのはなぜ?
「でもあなたのほうが危険性大きいよね」
「ああ、怖いよ・・心臓の廻りを盲目的に刺すわけだからね」
「でも超音波で見ながらだから、大丈夫よ」
野中がいつの間にか戻っていた。
「みんな、神戸のほうは凄い被害だってよ!余震も続いているらしい。僕らは走っててばかりだからか、何も気づかないな」
かなり興奮気味だ。
「被害者が大阪の病院にも搬送されているんだ。うちの病院にも来るんじゃないか?」
外来待ちのテレビも、なんだか忙しそうだ。
CCUではオーベンが待っていた。
「コベンちゃん、おはよう」
「すみません。遅くなりました」
「謝らなくてもよい。さあ、やろうか」
「はい」
「用意するものは揃えた。地震で病院も大変になるようだから、ここは私がやりましょ」
「は、はい」
「なんなら、する・・・?」
「い、いえ。お願いします」
「なかなかない機会だが・・まあいいでしょ」
超音波でみぞおちの部分を上にえぐるように当てる。心臓の尖端・・心尖部と、その周囲の黒いエコー領域。厚さは3cmくらいありそうだ。心臓の周りに水があるのではなく、水の中に
心臓が浮いているようだ。刺す方向を確認、マジックで印。超音波はよそへ片付けられた。
細くて長いカテラン針が用意されている。オーベンは迅速にマジック部を消毒、布をかぶせ、僕の補助で麻酔を吸い、そのカテラン針でマジック部を麻酔。針は麻酔を送りながらどんどん深みへ。
「あと、2cm・・くらいか。ここか!」
黄色透明の液体が帰ってきたようだ。そうか、超音波で深さも確認。カテランでさらに確認か。
「カテーテル、取って。それ。ピッグテール。ブタの尻尾ちゃん」
「は、はい」
カテランの数倍の太さの針が入り、同様に黄色の液体が戻ってきた。針の中にワイヤーを通し、針は外された。代わりにブタの尻尾が入っていく。
「よし。止めよう。さて、これで血圧が安定しなければ、IABPの登場よね」
「はい」
「なんか、また入院が入るんだったね。この患者は私が見ておくから、手伝ってあげて」
「はい。ありがとうございます」
また来るのか・・・?
病棟では婦長が病棟医長と対立していた。
「婦長さん、しょうがないんだよ」
「ダメといったらダメ!ここは民間の病院じゃないんだから!」
「たいした患者じゃないって。重症だったらICUへ移すからさ」
「先生、ちょうどいま胸膜炎入れたところなのに、間質性肺炎なんて無理です!」
「関連病院からの紹介なんだよ。地震の患者の受け入れのため空床を作るんだってさ。断るに断れないんだよ」
「私は断りますっ!」
「間質性肺炎っていってもさ、ステロイドパルスしてちょっとよくなってるらしいんだ」
「そういういい加減な説明は聞き飽きました!信用できません!」
「でも、もうこっちへ向かってるんだよ」
「なんですって?あたしの許可もなしで?」
「しょうがないんだ。これで重症部屋は1つ空いてるわけだし」
「看護婦は限界ですよ!誰か1人、夜中でも見てくれるんですか?」
「ああ、レジデントがいるよ!あいつらはいつも泊まってるし、土日もいる!」
「レジデントによるでしょ、それは」
婦長はキッと僕を睨んだ。病棟医長は続けた。
「じゃ、そういうことで。間質性肺炎の主治医は野中くんで」
「そう願うわ。もうこれ以上は入院は無理ですからね!」
大学病院での最大権力者は、各詰所の婦長だ。
川口が戻ってきた。
「真っ白」
「何が?」
「ドレーンに戻ってきた液。たぶんアブセスだわ」
「アブセス・・膿瘍か?」
「背景にDMあるしね。これまでの経過とかみると、上気道炎 → 肺炎 → 細菌性胸膜炎 → 膿胸、ってところね」
「洗浄するわけ?」
「そう、まずこの汚い液を出して、それから抗生剤を入れて洗浄しようと思うの」
「それはやめておきなさい」
僕のオーベンが現れた。
<つづく>
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<レジデント・セカンド 16 震災の日・・・>
2004年3月3日 連載<レジデント・セカンド 16 震災の日・・・>
正月すでに明けて・・・
夜中早朝。外はまだ確か暗かった。
ズゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・ゴゴゴゴゴゴゴ・・・ガタガタガタガタ
金縛りのように目が覚めた。
「地震!」
ドゴッゴゴゴゴッゴッゴゴゴゴ・・・・ドタンガタン
本棚の本が崩れ落ちる音、食器棚のお皿がずれる音・・・。揺れはまだ続いている。世界の終わりなのか?
ズズズズズズ・・・・・・・・・・・
揺れは徐々に引いていった。ラジオをつけると・・
「兵庫県から中心に広範囲、強い揺れを感じました。只今のところ、被害の報告などはないもよう・・・」
「まだ朝の5時くらいかよ・・・あと・・・2時間は寝れるな」
しばらくして、ポケベルが鳴った。
ひょっとして、地震の被害者とか・・・・?
「もしもし、呼びました?」
「医局長だ。自宅からなんだけど、大学病院から連絡が入ってな。心筋梗塞疑いがこれから入ると。他の研修医は病院で寝泊りしてるので、あとは君だけだ」
「今から・・ですよね?」
「ああ、いつもは医療センターなどへ送られるんだが、そこはけっこう患者が多いみたいなんだ。どうしてかな?」
「はい、・・・行きます」
こんな夜間に、大学病院へ心筋梗塞か。他の病院も、よほど忙しいとみえる。寒い風が吹く中、パンツ一丁でベランダへ出て、白衣をもぎとった。最初から白衣を着て出勤することが多くなった。
車に入るが、窓ガラスが凍っている。暖機運転で溶かさねば。
遠くで救急車のサイレンがかすかに聞こえる。・・・シンクロして聞こえるが、2台いるのか?
「発進!」
マニュアルのギアをグッと切り替え、シビックは出発した。
救急外来では、ちょうど患者が搬送されてきたところだった。救急隊より野中へ申し送り。
「えー、52歳の男性です。息が苦しいということで、家族の方より連絡がありました」
「心筋梗塞疑いと聞きましたが」
「?ああ、家族の方がそう言われてて」
「・・・なんです、それ・・まあいいです」
「はい、血圧は86/44mmHg、SpO2 は酸素吸入下で91%」
「グッチ、動脈血採取して点滴・酸素、ユウキは心電図!」
野中が仕切ってきたが、スムーズであり不快ではなかった。野中が患者の横についた。
「いつから苦しかったんですか」
「うー・・1週間前からかな」
「ふだんどっかで治療を?」
「ここや!」
「ここ・・・?おい、グッチ、カルテはどうやって探すのかな?」
「えー?知らない・・あと2時間もすれば、受付が開くでしょ」
「ふだん飲んでる薬とか、病態が知りたいんだよ!」
酸素3L、持続点滴5%TZが開始された。僕は心電図を記録した。野中が割り込んだ。僕は思わず叫んだ。
「V1-4のSTが上がってる!」
「でもQSパターンになってる。R波がほとんどない。心筋壊死が既に起こった状態だ・・つまり心筋梗塞はとっくの以前に起こしてしまったんだ」
「息苦しかったという1週間前、にか?」
「さあそこまでは分からないだろ!」
「でもSTが上がってるよ。また起こしたとか?」
「時間が経って、心室瘤になってるかもしれないだろ!」
そうだ。学生レベルの内容だ。
半年たって、研修医同士の差は歴然としてきたな・・・。
野中が超音波を持ってきた。
「さ、どいてくれ!2人とも」
早業のスイッチ切り替えで、超音波の画面が開いた。
「グッチ、家族は何と?」
「今日の朝の地震があったでしょ、あれで動悸がしたんだって」
「VPCくらいは出てるがね」
「でね、そこから一気に息苦しくなってきたんだって」
「おい、これは・・・!」
超音波では、心臓の動きは・・・心電図の読みどおり、前壁・中隔の動きがほとんどなく、心尖部は瘤になっている。それだけでなく、心臓の周囲に黒いエコー部分がある。
「2人とも!これ・・・周囲に2センチくらいはある」
心嚢液の貯留・・・心タンポナーデだった。確かに血圧低下・・・今、76/48mmHg。脈圧は30mmHgくらいしかない。脈圧(正常50mmHg)の低下は心拍出量の低下を反映する。液体で心臓が周囲から圧迫され拡張しにくくなり、心臓への血液の流入が妨げられる。結果、出て行く量も減ってしまう。代償するためにかなりの頻脈となり、不整脈を発生させやすくもなる。とにかく循環器の領域では、頻脈だけで悪役だ。
「野中、す、すまない」
「はあ?」
「に、ニトロペン、舌下させてしまった・・」
「おい!それで血圧がさらに下がったんじゃないかよ?」
「・・・・・」
川口がこっちを横目で見ていた。
「勉強してないでしょ。病院にあまり顔も出さないで、家で遊んでばかりなの・・?野中くんは病棟に篭りっきりよ。見習ったほうがいいわよ」
冷たいな。ひょっとして、僕が彼女に会ってるの、知ってるのか?野中に気があるのか?
これからは冷たい女、と思うことにしよう。
野中は仕切り続けた。
「グッチ、松田先生へ報告してくれ」
「・・・やめとこうよ」
「?」
「最近おかしいのよ、精神的に。論文で急かされてるし、医療ミスもあったりで。教授から直接指導があったらしいわよ。休暇を取れって」
「・・じゃあ誰でもいいから、連絡してきなよ」
「そうだ、先日まで救命センターにいた、あの人、ユウキくんのオーベンになる・・あの先生を」
「ああ、それがいいな。この男にも指導が必要だしね。怒ったかい?」
僕は言われるがままだった。川口がデータを持ってきた。
「GOT,LDH,CPKみんな上昇しているわ。トロポニンTはキットがなくて測定不能」
「CPKの分画は?」
「CPKのうち、心筋由来は・・あれ、5%しかないわ」
「10%以上ないと、心筋由来とはいえないぜ」
「え、じゃあなんでさっきの項目が上がってたの?」
「溶血だよ。先生の採血がマズかったんだ」
「どういうことよ?」
「注射器から何度もスカスカさせて取ってたんじゃないのか?」
「そんな取り方しないわよ・・ひどい言い方」
「次に生かせばいいよ。僕が取り直す」
野中が検体を持っていった。
「あいつ・・変わったな」
「あたしはああなりたい」
「俺は・・死んでもゴメンだ」
<つづく>
正月すでに明けて・・・
夜中早朝。外はまだ確か暗かった。
ズゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・ゴゴゴゴゴゴゴ・・・ガタガタガタガタ
金縛りのように目が覚めた。
「地震!」
ドゴッゴゴゴゴッゴッゴゴゴゴ・・・・ドタンガタン
本棚の本が崩れ落ちる音、食器棚のお皿がずれる音・・・。揺れはまだ続いている。世界の終わりなのか?
ズズズズズズ・・・・・・・・・・・
揺れは徐々に引いていった。ラジオをつけると・・
「兵庫県から中心に広範囲、強い揺れを感じました。只今のところ、被害の報告などはないもよう・・・」
「まだ朝の5時くらいかよ・・・あと・・・2時間は寝れるな」
しばらくして、ポケベルが鳴った。
ひょっとして、地震の被害者とか・・・・?
「もしもし、呼びました?」
「医局長だ。自宅からなんだけど、大学病院から連絡が入ってな。心筋梗塞疑いがこれから入ると。他の研修医は病院で寝泊りしてるので、あとは君だけだ」
「今から・・ですよね?」
「ああ、いつもは医療センターなどへ送られるんだが、そこはけっこう患者が多いみたいなんだ。どうしてかな?」
「はい、・・・行きます」
こんな夜間に、大学病院へ心筋梗塞か。他の病院も、よほど忙しいとみえる。寒い風が吹く中、パンツ一丁でベランダへ出て、白衣をもぎとった。最初から白衣を着て出勤することが多くなった。
車に入るが、窓ガラスが凍っている。暖機運転で溶かさねば。
遠くで救急車のサイレンがかすかに聞こえる。・・・シンクロして聞こえるが、2台いるのか?
「発進!」
マニュアルのギアをグッと切り替え、シビックは出発した。
救急外来では、ちょうど患者が搬送されてきたところだった。救急隊より野中へ申し送り。
「えー、52歳の男性です。息が苦しいということで、家族の方より連絡がありました」
「心筋梗塞疑いと聞きましたが」
「?ああ、家族の方がそう言われてて」
「・・・なんです、それ・・まあいいです」
「はい、血圧は86/44mmHg、SpO2 は酸素吸入下で91%」
「グッチ、動脈血採取して点滴・酸素、ユウキは心電図!」
野中が仕切ってきたが、スムーズであり不快ではなかった。野中が患者の横についた。
「いつから苦しかったんですか」
「うー・・1週間前からかな」
「ふだんどっかで治療を?」
「ここや!」
「ここ・・・?おい、グッチ、カルテはどうやって探すのかな?」
「えー?知らない・・あと2時間もすれば、受付が開くでしょ」
「ふだん飲んでる薬とか、病態が知りたいんだよ!」
酸素3L、持続点滴5%TZが開始された。僕は心電図を記録した。野中が割り込んだ。僕は思わず叫んだ。
「V1-4のSTが上がってる!」
「でもQSパターンになってる。R波がほとんどない。心筋壊死が既に起こった状態だ・・つまり心筋梗塞はとっくの以前に起こしてしまったんだ」
「息苦しかったという1週間前、にか?」
「さあそこまでは分からないだろ!」
「でもSTが上がってるよ。また起こしたとか?」
「時間が経って、心室瘤になってるかもしれないだろ!」
そうだ。学生レベルの内容だ。
半年たって、研修医同士の差は歴然としてきたな・・・。
野中が超音波を持ってきた。
「さ、どいてくれ!2人とも」
早業のスイッチ切り替えで、超音波の画面が開いた。
「グッチ、家族は何と?」
「今日の朝の地震があったでしょ、あれで動悸がしたんだって」
「VPCくらいは出てるがね」
「でね、そこから一気に息苦しくなってきたんだって」
「おい、これは・・・!」
超音波では、心臓の動きは・・・心電図の読みどおり、前壁・中隔の動きがほとんどなく、心尖部は瘤になっている。それだけでなく、心臓の周囲に黒いエコー部分がある。
「2人とも!これ・・・周囲に2センチくらいはある」
心嚢液の貯留・・・心タンポナーデだった。確かに血圧低下・・・今、76/48mmHg。脈圧は30mmHgくらいしかない。脈圧(正常50mmHg)の低下は心拍出量の低下を反映する。液体で心臓が周囲から圧迫され拡張しにくくなり、心臓への血液の流入が妨げられる。結果、出て行く量も減ってしまう。代償するためにかなりの頻脈となり、不整脈を発生させやすくもなる。とにかく循環器の領域では、頻脈だけで悪役だ。
「野中、す、すまない」
「はあ?」
「に、ニトロペン、舌下させてしまった・・」
「おい!それで血圧がさらに下がったんじゃないかよ?」
「・・・・・」
川口がこっちを横目で見ていた。
「勉強してないでしょ。病院にあまり顔も出さないで、家で遊んでばかりなの・・?野中くんは病棟に篭りっきりよ。見習ったほうがいいわよ」
冷たいな。ひょっとして、僕が彼女に会ってるの、知ってるのか?野中に気があるのか?
これからは冷たい女、と思うことにしよう。
野中は仕切り続けた。
「グッチ、松田先生へ報告してくれ」
「・・・やめとこうよ」
「?」
「最近おかしいのよ、精神的に。論文で急かされてるし、医療ミスもあったりで。教授から直接指導があったらしいわよ。休暇を取れって」
「・・じゃあ誰でもいいから、連絡してきなよ」
「そうだ、先日まで救命センターにいた、あの人、ユウキくんのオーベンになる・・あの先生を」
「ああ、それがいいな。この男にも指導が必要だしね。怒ったかい?」
僕は言われるがままだった。川口がデータを持ってきた。
「GOT,LDH,CPKみんな上昇しているわ。トロポニンTはキットがなくて測定不能」
「CPKの分画は?」
「CPKのうち、心筋由来は・・あれ、5%しかないわ」
「10%以上ないと、心筋由来とはいえないぜ」
「え、じゃあなんでさっきの項目が上がってたの?」
「溶血だよ。先生の採血がマズかったんだ」
「どういうことよ?」
「注射器から何度もスカスカさせて取ってたんじゃないのか?」
「そんな取り方しないわよ・・ひどい言い方」
「次に生かせばいいよ。僕が取り直す」
野中が検体を持っていった。
「あいつ・・変わったな」
「あたしはああなりたい」
「俺は・・死んでもゴメンだ」
<つづく>
<レジデント・セカンド 15 アネミア>
2004年3月2日 連載<レジデント・セカンド 15 アネミア>
病棟回診。
肺癌末期の患者。モルヒネの持続点滴がされている。家族は看病疲れで帰っており、個室はしんとしている。一折診察するが、今はもうその意味もない。
こうしてそっと手を握ったりしてあげることくらいだ。あとは家族の気持ちを和らげること。カンファレンスでは再評価を再評価をと、そればかりだが・・。
多発性骨髄腫の患者・・・白血球減少のほか、赤血球も減少。G-CSFとMAP血の投与がされている。肋骨部の痛みがあり痛み止め処方している。痛みは原疾患によるものだ。
化学療法の予定だったが、年末年始明けのカンファレンスで意見が一致するまで治療開始は延期となってしまっている。
慢性腎不全の患者。原因疾患を腎生検にて確認する予定だった。しかしこの場合も年末年始に入ったという理由で、検査・治療方針決定は年明け以降となっている。
心臓神経症疑い。胸部痛で外来受診したが、一折の精査では心疾患を思わせるものはなし。しかし入院後に動悸が頻回。そのつど心電図とっているがやや頻脈なだけ。
「えーレジデントの諸君。新年早々すまないが」
正月休みも病院の業務に縛られる中、医局で病棟医長が声をかけてきた。
「僕しかいませんけど」
「あー・・じゃあ、君ね、主治医」
「誰か入るんですか?」
「貧血。57歳のじいちゃん。精査目的」
「貧血ってどれくらいの?」
「ヘモグロビンで7g/dlとかいってたな」
「輸血が必要になりそうですね」
「輸血部は今はお休みだからな」
「連絡して来ていただくのは・・」
「ならん。大学病院ではそんな体制はとってない。君がクロスマッチすればいい話だ」
「ええ、これまでも何度か」
「さ、決まったからには・・走れ走れ!」
病室へ。
確かに色が白い。患者自身は無症状といった印象。オーベンがやってくる。
「君と組むのもあと少しだな・・ヘマせんといてくれよ。僕にとって昇進するかどうかの微妙な時期だし」
「・・・・・」
「紹介状がある。これだ。労作時の息切れ。安静時は何ともない。開業医の先生での以前のデータがこれだ」
Hb H6.1月 11.2g/dl → 6月 8.2g/dl → 12月 7.3g/dl。
なんだ。半年前の6月からとっくに貧血じゃないか。開業医って、これだ。
「でな、これ以外特に検査はしてない。半年前から鉄剤を内服している」
「フェロミア・・・内服はそれと・・・シグマート、亜硝酸剤・・・狭心症もあるということですか」
「これも貧血がある頃からだな・・。胸痛は貧血によるものかもしれん。胸痛があるということで循環器科へ紹介されたのかもしれんな」
患者が喋る。オーベンが答えた。
「その頃から、胸が痛いって思い始めたんです」
「それで狭心症と診断を?」
「心電図に異常もあると」
「心電図・・・STの低下が広範にある・・確かに」
しかし、貧血なら胸痛を来たすこともあるし、そのような心電図変化も起こす。呼吸器科である安井先生は全く分けが分からない様子だった。
「ふー・・まあ内服は続けときましょう・・・これから原因を調べるために、検査をしていきます」
「はあ・・」患者は検査に積極的でない。
「胃カメラ、大腸カメラ。全身のCT」
「こんなに?」
「出血している場所がないか探すのです」
「胃カメラは、1年前にやったぞ」
「過去の検査は参考になりませんので」
「まさか、その・・なんだ。胃カメラとかは、その・・・研修医っちゅう先生がされるのかいな?」
「いえ、それはさせていません。常に経験のある医師を待機させていますので」
「ああ、よかた。それが心配だったんや」
僕の立場はなかった・・・。
改めて血液検査をみる・・・正球性の貧血。試験レベルでは再生不良性貧血が浮かぶが、臨床ではすっきりこの分類で診断を絞るのは無理がある。参考程度だ。鉄欠乏性貧血でみられるような反応性の血小板増加もない。まあこれも参考程度。TIBC , フェリチンなどの検査は結果判明まで数日かかる。さきほどの消化管精査・CTで異常がなければ、マルクを考慮すべきかもしれない。まあ精査というのはあくまでも非侵襲的なものからだ。
「おい、お前!」
廊下でいきなり呼び止められた。院生で最近配属になった畑先生だ。
「この前、俺の患者に内服出してくれたんだってな」
「ああ、夜ですね。眠れないというもので、安定剤を希望されまして」
「で、処方したわけだな」
「はい。いけなかったですか」
「バカモン!」
「え?」
「これ!2週間前の動脈血!CO2 68!そしてこれ、今日!CO2 81!」
「わ・・悪くなってますね・・」
「ああそうだよ!お前のせいでな!」
「・・?」
「この人は肺気腫で在宅酸素目的で入院したんだ!そんな患者に睡眠薬はいかんだろ!」
「あっ、そうか・・・禁忌でした・・・」
「あっそうかじゃないよ!患者が安定剤くれってお前がホイホイ出してしまうからだよ!」
周りに人だかりが。看護婦も数人やってきた。
「先生、私たちは・・」
「あー、いやいや、君らは悪くないんだよ。でな!お前!今日は呼吸器つけないといけないかもしれんのだ!俺は明日、学会で発表せにゃならんのだ!」
そのとき、横から背の高い人間がヌッと現れた。
「もし呼吸管理するときは!お前も手伝・・・うわっ?」
その巨人は、畑先生を真上から見下ろした。
「何、言ってるんですか?ハタケちゃん」
「あ・・・」
「この子は来週から僕のコベンなんだけど」
「い・・・う・・・」
「その話題の患者だけど、どれどれ・・さっきから話聞いてると、コベンが一方的に悪くさせたような話だったけど・・」
「ええ・・・」
「なんだ、これ、おい」
周囲に集まっていた野次馬どもが、密かに散り始めた。
「3日前から微熱、あるじゃねえか。主治医、おい、主治医・・!その間何にもしてねえな、お前」
「・・・・・」
この横暴な院生を黙らせてしまった先生は、一体誰だ?
「CT撮るかして、感染をルールアウトしろ。アホめ」
「ははい、かしこまりました!」
院生は去った。
「コベンくん。よろしくね。循環器の窪田といいます。僕はあんな感じだけど、いい?」
「えっ?」
「最近まで救急専門で働いてたのよ。大学に呼び戻されてね。ここ、すごく退屈。みんな脳細胞イカレちまってらあ」
「・・・・・」
「あいつ、ホントにCT撮りに行くつもりだ。コベンくん、まず最初にすべきことは何だい。感染を疑うなら」
「慢性呼吸不全の急性増悪・・・肺炎の疑い・・・喀痰・・・起炎菌の決定・・・」
「ああ、まずそれだな」
「グラム染色ですか」
「そうだ。グラム染色は研修医の始めごろにしたことがあると思うが。あいつみたいに頭が孫悟空になると、ああやって写真とか安易なほうへ走ってしまう」
「・・・・」
「まあ君にも実際落ち度があったわけだから、グラム染色くらいてあげて、恩返ししてあげたらどうかな」
「はい、ありがとうございます!」
「呼吸苦のある患者は、逃げたいのよ。今の苦しさから。だから安定剤、安定剤言うの。気持ちは分かっても、体は別よ」
ちょっとカマっぽい人だな・・。
グラム染色より、グラム陰性桿菌と診断。頻度からしてインフルエンザ桿菌・緑膿菌が原因として考えられ、セフェム3世代のモダシンが選択された。その後病態は安定化した。
・・・なんかレセプトのコメントみたいだな。
<つづく>
病棟回診。
肺癌末期の患者。モルヒネの持続点滴がされている。家族は看病疲れで帰っており、個室はしんとしている。一折診察するが、今はもうその意味もない。
こうしてそっと手を握ったりしてあげることくらいだ。あとは家族の気持ちを和らげること。カンファレンスでは再評価を再評価をと、そればかりだが・・。
多発性骨髄腫の患者・・・白血球減少のほか、赤血球も減少。G-CSFとMAP血の投与がされている。肋骨部の痛みがあり痛み止め処方している。痛みは原疾患によるものだ。
化学療法の予定だったが、年末年始明けのカンファレンスで意見が一致するまで治療開始は延期となってしまっている。
慢性腎不全の患者。原因疾患を腎生検にて確認する予定だった。しかしこの場合も年末年始に入ったという理由で、検査・治療方針決定は年明け以降となっている。
心臓神経症疑い。胸部痛で外来受診したが、一折の精査では心疾患を思わせるものはなし。しかし入院後に動悸が頻回。そのつど心電図とっているがやや頻脈なだけ。
「えーレジデントの諸君。新年早々すまないが」
正月休みも病院の業務に縛られる中、医局で病棟医長が声をかけてきた。
「僕しかいませんけど」
「あー・・じゃあ、君ね、主治医」
「誰か入るんですか?」
「貧血。57歳のじいちゃん。精査目的」
「貧血ってどれくらいの?」
「ヘモグロビンで7g/dlとかいってたな」
「輸血が必要になりそうですね」
「輸血部は今はお休みだからな」
「連絡して来ていただくのは・・」
「ならん。大学病院ではそんな体制はとってない。君がクロスマッチすればいい話だ」
「ええ、これまでも何度か」
「さ、決まったからには・・走れ走れ!」
病室へ。
確かに色が白い。患者自身は無症状といった印象。オーベンがやってくる。
「君と組むのもあと少しだな・・ヘマせんといてくれよ。僕にとって昇進するかどうかの微妙な時期だし」
「・・・・・」
「紹介状がある。これだ。労作時の息切れ。安静時は何ともない。開業医の先生での以前のデータがこれだ」
Hb H6.1月 11.2g/dl → 6月 8.2g/dl → 12月 7.3g/dl。
なんだ。半年前の6月からとっくに貧血じゃないか。開業医って、これだ。
「でな、これ以外特に検査はしてない。半年前から鉄剤を内服している」
「フェロミア・・・内服はそれと・・・シグマート、亜硝酸剤・・・狭心症もあるということですか」
「これも貧血がある頃からだな・・。胸痛は貧血によるものかもしれん。胸痛があるということで循環器科へ紹介されたのかもしれんな」
患者が喋る。オーベンが答えた。
「その頃から、胸が痛いって思い始めたんです」
「それで狭心症と診断を?」
「心電図に異常もあると」
「心電図・・・STの低下が広範にある・・確かに」
しかし、貧血なら胸痛を来たすこともあるし、そのような心電図変化も起こす。呼吸器科である安井先生は全く分けが分からない様子だった。
「ふー・・まあ内服は続けときましょう・・・これから原因を調べるために、検査をしていきます」
「はあ・・」患者は検査に積極的でない。
「胃カメラ、大腸カメラ。全身のCT」
「こんなに?」
「出血している場所がないか探すのです」
「胃カメラは、1年前にやったぞ」
「過去の検査は参考になりませんので」
「まさか、その・・なんだ。胃カメラとかは、その・・・研修医っちゅう先生がされるのかいな?」
「いえ、それはさせていません。常に経験のある医師を待機させていますので」
「ああ、よかた。それが心配だったんや」
僕の立場はなかった・・・。
改めて血液検査をみる・・・正球性の貧血。試験レベルでは再生不良性貧血が浮かぶが、臨床ではすっきりこの分類で診断を絞るのは無理がある。参考程度だ。鉄欠乏性貧血でみられるような反応性の血小板増加もない。まあこれも参考程度。TIBC , フェリチンなどの検査は結果判明まで数日かかる。さきほどの消化管精査・CTで異常がなければ、マルクを考慮すべきかもしれない。まあ精査というのはあくまでも非侵襲的なものからだ。
「おい、お前!」
廊下でいきなり呼び止められた。院生で最近配属になった畑先生だ。
「この前、俺の患者に内服出してくれたんだってな」
「ああ、夜ですね。眠れないというもので、安定剤を希望されまして」
「で、処方したわけだな」
「はい。いけなかったですか」
「バカモン!」
「え?」
「これ!2週間前の動脈血!CO2 68!そしてこれ、今日!CO2 81!」
「わ・・悪くなってますね・・」
「ああそうだよ!お前のせいでな!」
「・・?」
「この人は肺気腫で在宅酸素目的で入院したんだ!そんな患者に睡眠薬はいかんだろ!」
「あっ、そうか・・・禁忌でした・・・」
「あっそうかじゃないよ!患者が安定剤くれってお前がホイホイ出してしまうからだよ!」
周りに人だかりが。看護婦も数人やってきた。
「先生、私たちは・・」
「あー、いやいや、君らは悪くないんだよ。でな!お前!今日は呼吸器つけないといけないかもしれんのだ!俺は明日、学会で発表せにゃならんのだ!」
そのとき、横から背の高い人間がヌッと現れた。
「もし呼吸管理するときは!お前も手伝・・・うわっ?」
その巨人は、畑先生を真上から見下ろした。
「何、言ってるんですか?ハタケちゃん」
「あ・・・」
「この子は来週から僕のコベンなんだけど」
「い・・・う・・・」
「その話題の患者だけど、どれどれ・・さっきから話聞いてると、コベンが一方的に悪くさせたような話だったけど・・」
「ええ・・・」
「なんだ、これ、おい」
周囲に集まっていた野次馬どもが、密かに散り始めた。
「3日前から微熱、あるじゃねえか。主治医、おい、主治医・・!その間何にもしてねえな、お前」
「・・・・・」
この横暴な院生を黙らせてしまった先生は、一体誰だ?
「CT撮るかして、感染をルールアウトしろ。アホめ」
「ははい、かしこまりました!」
院生は去った。
「コベンくん。よろしくね。循環器の窪田といいます。僕はあんな感じだけど、いい?」
「えっ?」
「最近まで救急専門で働いてたのよ。大学に呼び戻されてね。ここ、すごく退屈。みんな脳細胞イカレちまってらあ」
「・・・・・」
「あいつ、ホントにCT撮りに行くつもりだ。コベンくん、まず最初にすべきことは何だい。感染を疑うなら」
「慢性呼吸不全の急性増悪・・・肺炎の疑い・・・喀痰・・・起炎菌の決定・・・」
「ああ、まずそれだな」
「グラム染色ですか」
「そうだ。グラム染色は研修医の始めごろにしたことがあると思うが。あいつみたいに頭が孫悟空になると、ああやって写真とか安易なほうへ走ってしまう」
「・・・・」
「まあ君にも実際落ち度があったわけだから、グラム染色くらいてあげて、恩返ししてあげたらどうかな」
「はい、ありがとうございます!」
「呼吸苦のある患者は、逃げたいのよ。今の苦しさから。だから安定剤、安定剤言うの。気持ちは分かっても、体は別よ」
ちょっとカマっぽい人だな・・。
グラム染色より、グラム陰性桿菌と診断。頻度からしてインフルエンザ桿菌・緑膿菌が原因として考えられ、セフェム3世代のモダシンが選択された。その後病態は安定化した。
・・・なんかレセプトのコメントみたいだな。
<つづく>
<レジデント・セカンド 14 水と、渇きと・・・>
2004年3月1日 連載<レジデント・セカンド 14 水と、渇きと・・・>
定期のカンファレンスの準備をして、病棟へ。おかしい。誰も居ない。
「そうか。正月休みか」
どこにも張り紙はなかったが、正月休みだ。発表の準備は来週に延期だ。
「そうだった・・。帰るとするか」
帰ろうとしたところ、野中がやってきた。
「やあ、あけましておめでとう。新年早々、張り切ってるな」
「・・・たまたまだ」
「先生はたぶん正月休みの明けまで来ないだろうと、医局では噂だったけどな」
「余計なお世話だ」
「重症がいるんだろ」
「拡張型心筋症。この前不整脈が出てな」
「聞いた聞いた。講師の呼吸器の先生、すごく怒ってたらしいね。君に泊り込めっていったとたん病院から居なくなったって。ははは」
「用事があったんだよ」
「あいつは呼吸器グループには要らんとか言ってたらしいよ。ははは」
「面白くねえ」
「いやいや、ごめんごめん」
川口がやってきた。あれ以来、僕に目を合わせてくれない。
「おめでとう。たまたま寄ったんだけど。2人とも仲良しね。さ・・・・回診しましょうっと」
川口は聴診器を首にかけ、さっそうと出て行った。野中もあとに続いた。
僕も回診を始めた。
拡張型心筋症の患者・・・。不整脈は・・・どうやらモニターでは落ち着いているようだ。重症版をみると・・尿の出が少ない。食欲がなく持続点滴をしているが、ただでさえ水分補給が心不全につながるため、点滴は好ましくない。
「先生、よろしいですか」
ムスッとした看護婦が後ろから近づいてきた。
「ええ、何です?」
「心筋症の方ですけど。昨日の勤務で、点滴を1本12時間で落とすはずが」
「どうなったの?」
「2時間で落としたようです。続けて2本くらい」
「なに・・・?それで?」
「患者さんと当直の先生には報告しました」
「じゃなくて!患者の容態に、影響は・・・」
「当直の先生は、ないだろうと」
「電話での受け答えだろう?」
「私はそのときの担当ではないので」
「で、SpO2、下がったりしてなかった?」
「・・・・・測定してきます」
「測定してなかったの?」
「はい。指示がなかったので」
「なくても、ふつう気にするだろ!」
「・・・手が冷たくて、測定できません。先生がしてください」
いちいちムカつく奴だな・・。本当だ。四肢が冷たい。血流が悪いため、測定できない。
「動脈血取って調べます」
動脈血の色は黒ずんでいる。
「静脈血か?これ・・・」
患者の呼吸は浅く、速い。
呼吸音は・・・coarse crackleだ。大量に水が溜まってるような。
「肺水腫になりかけているんじゃないか・・もうなってるかも。看護婦さん、利尿剤は現在・・」
「朝1回だけの注射ですが」
「足りない。増やそう」
「先生、でも血圧が上86しかないのですが」
「うう・・」
「それでもいいんですか」
「血圧も上げないと、利尿剤使いにくいな・・・」
オーベンに電話。
「安井先生。心不全が増悪してるようです。レントゲンも白っぽくなってます・・・利尿剤?ええ、増やす指示出しました。点滴が余分に入ってしまったのです。循環器のドクター?先生、正月休みで、レジデントしかいません。当直も外国の留学生がやってますね。日本語通じません」
安井先生は遠方へ出かけるところで、正月休み明けまで大学病院には戻れないということだった。あと3日ほど、孤立無縁なわけか。当直の予定表は大学院生ばかりだ。あまり見てくれる先生も入ってない。
僕は少しプライドを捨てることにした。
「野中。この指示でいいか」
「ほう、僕に相談してくるとはね・・・・・なになに、血圧上が100mmHg以下なら、イノバンを開始、増量・・・。イノバンは何ガンマまでいくの」
「さあ、15ガンマまで」
「そんなに増やしたら頻脈になるだけだろ。イノバンは脈増やして血圧上げるんだろ?あまり頻脈にしたら、この患者は危ないだろ。不整脈持ちなのに。イノバンは使っちゃダメだ」
「何を使うんだよ?」
「ドプトレックスだろ。心臓の収縮力を増強して、血圧を上げる。理想的じゃないか」
「はいよ・・・」
「おいおい、自分でちゃんと納得してから指示を出せ」
「ドプトレックス・・最大15ガンマまで、ね。これでもし上がってこなかったら?」
「他の強心剤があるだろ。以前、君がヘアトニックとか言ってた」
「でもあれは心臓の力は増やすが血圧は下がるみたいだぞ」
「じゃあもう、ノルアドレナリンしかないだろ」
「あれってもうダメでいよいよという時にしか使ってないよ」
「あとは先生、自分で勉強するんだよ」
「何を読んだらいいんだ」
「それは自分で探すんだよ」
尿道バルーン経由の管を手で持ち上げながら、尿が出るのを待つ。
「ちょっとしか、出ないなあ・・」
患者がチラッとこちらを見る。
「先生、のどがもうカラカラや。この前看護婦さんが、点滴多めに落としてくれたんやが」
「・・・・・」
「のどがますます渇いてしもた。もうちょっと多めに点滴してくれんかいな」
「多めにしてしまうと、余計しんどくなるんですよ」
「いいやでも、あのとき看護婦さんが、余分に点滴落ちたから、喉の渇きもマシでしょうとか、言ってましたぜ」
「そんなことを・・・」
「点滴がダメやったら、そこのポカリ、取ってえな」
「これは・・・」
ポカリスエットの。缶の山。
「いったい何本飲んだんです?」
「夜中から5本くらいかな」
「水分制限するよう決まってたはずですが」
「女房が持ってきてくれたんです。正月やから特別にゆるしてやるって」
「誰がそんな!」
「それと、これ、地元の梅干やが・・・」
「ダメです!塩分は!」
「なんや、水も、辛いもんも、ずべてアカンのかいな!」
「今やってる治療がムダになります。水分は心臓を中から圧迫し、肺の外に溜まります。塩分はそれを助長します」
「なんや、わけのわからんこと言よんな」
病識のない患者だ・・。家族の責任もある。
その家族もやってきた。
「あ、やっと来た。先生。病状はどうなってるんですか?」
「奥さんですか。年末はお見かけしませんでしたが。義理の方に話はしましたが」
「はあ、ちょっと田舎のほうに用があったので。連絡先は詰所にちゃんと伝えておりましたが。何か?」
「水分をかなり与えられているようですが」
「はあ、そちらこそ点滴を多めに落としてたのではないのですか?」
「看護婦から聞きました、それは」
「じゃあこちらから水分をあげてもいいんでしょう?」
「そういう意味じゃないです!いいですか、水分は制限するという約束だった・・・」
「でも本人が欲しがっているんですから」
「それがまた治療の足を引っ張ってしまう!」
「どうして治療の妨げになるんですか?本人は水分取ったら楽になると」
「・・・」
理解の悪い家族は困る。
水分制限を再徹底させたところ、利尿が徐々につきはじめた。
思わぬ因子が、治療の妨げになることがある。
<つづく>
定期のカンファレンスの準備をして、病棟へ。おかしい。誰も居ない。
「そうか。正月休みか」
どこにも張り紙はなかったが、正月休みだ。発表の準備は来週に延期だ。
「そうだった・・。帰るとするか」
帰ろうとしたところ、野中がやってきた。
「やあ、あけましておめでとう。新年早々、張り切ってるな」
「・・・たまたまだ」
「先生はたぶん正月休みの明けまで来ないだろうと、医局では噂だったけどな」
「余計なお世話だ」
「重症がいるんだろ」
「拡張型心筋症。この前不整脈が出てな」
「聞いた聞いた。講師の呼吸器の先生、すごく怒ってたらしいね。君に泊り込めっていったとたん病院から居なくなったって。ははは」
「用事があったんだよ」
「あいつは呼吸器グループには要らんとか言ってたらしいよ。ははは」
「面白くねえ」
「いやいや、ごめんごめん」
川口がやってきた。あれ以来、僕に目を合わせてくれない。
「おめでとう。たまたま寄ったんだけど。2人とも仲良しね。さ・・・・回診しましょうっと」
川口は聴診器を首にかけ、さっそうと出て行った。野中もあとに続いた。
僕も回診を始めた。
拡張型心筋症の患者・・・。不整脈は・・・どうやらモニターでは落ち着いているようだ。重症版をみると・・尿の出が少ない。食欲がなく持続点滴をしているが、ただでさえ水分補給が心不全につながるため、点滴は好ましくない。
「先生、よろしいですか」
ムスッとした看護婦が後ろから近づいてきた。
「ええ、何です?」
「心筋症の方ですけど。昨日の勤務で、点滴を1本12時間で落とすはずが」
「どうなったの?」
「2時間で落としたようです。続けて2本くらい」
「なに・・・?それで?」
「患者さんと当直の先生には報告しました」
「じゃなくて!患者の容態に、影響は・・・」
「当直の先生は、ないだろうと」
「電話での受け答えだろう?」
「私はそのときの担当ではないので」
「で、SpO2、下がったりしてなかった?」
「・・・・・測定してきます」
「測定してなかったの?」
「はい。指示がなかったので」
「なくても、ふつう気にするだろ!」
「・・・手が冷たくて、測定できません。先生がしてください」
いちいちムカつく奴だな・・。本当だ。四肢が冷たい。血流が悪いため、測定できない。
「動脈血取って調べます」
動脈血の色は黒ずんでいる。
「静脈血か?これ・・・」
患者の呼吸は浅く、速い。
呼吸音は・・・coarse crackleだ。大量に水が溜まってるような。
「肺水腫になりかけているんじゃないか・・もうなってるかも。看護婦さん、利尿剤は現在・・」
「朝1回だけの注射ですが」
「足りない。増やそう」
「先生、でも血圧が上86しかないのですが」
「うう・・」
「それでもいいんですか」
「血圧も上げないと、利尿剤使いにくいな・・・」
オーベンに電話。
「安井先生。心不全が増悪してるようです。レントゲンも白っぽくなってます・・・利尿剤?ええ、増やす指示出しました。点滴が余分に入ってしまったのです。循環器のドクター?先生、正月休みで、レジデントしかいません。当直も外国の留学生がやってますね。日本語通じません」
安井先生は遠方へ出かけるところで、正月休み明けまで大学病院には戻れないということだった。あと3日ほど、孤立無縁なわけか。当直の予定表は大学院生ばかりだ。あまり見てくれる先生も入ってない。
僕は少しプライドを捨てることにした。
「野中。この指示でいいか」
「ほう、僕に相談してくるとはね・・・・・なになに、血圧上が100mmHg以下なら、イノバンを開始、増量・・・。イノバンは何ガンマまでいくの」
「さあ、15ガンマまで」
「そんなに増やしたら頻脈になるだけだろ。イノバンは脈増やして血圧上げるんだろ?あまり頻脈にしたら、この患者は危ないだろ。不整脈持ちなのに。イノバンは使っちゃダメだ」
「何を使うんだよ?」
「ドプトレックスだろ。心臓の収縮力を増強して、血圧を上げる。理想的じゃないか」
「はいよ・・・」
「おいおい、自分でちゃんと納得してから指示を出せ」
「ドプトレックス・・最大15ガンマまで、ね。これでもし上がってこなかったら?」
「他の強心剤があるだろ。以前、君がヘアトニックとか言ってた」
「でもあれは心臓の力は増やすが血圧は下がるみたいだぞ」
「じゃあもう、ノルアドレナリンしかないだろ」
「あれってもうダメでいよいよという時にしか使ってないよ」
「あとは先生、自分で勉強するんだよ」
「何を読んだらいいんだ」
「それは自分で探すんだよ」
尿道バルーン経由の管を手で持ち上げながら、尿が出るのを待つ。
「ちょっとしか、出ないなあ・・」
患者がチラッとこちらを見る。
「先生、のどがもうカラカラや。この前看護婦さんが、点滴多めに落としてくれたんやが」
「・・・・・」
「のどがますます渇いてしもた。もうちょっと多めに点滴してくれんかいな」
「多めにしてしまうと、余計しんどくなるんですよ」
「いいやでも、あのとき看護婦さんが、余分に点滴落ちたから、喉の渇きもマシでしょうとか、言ってましたぜ」
「そんなことを・・・」
「点滴がダメやったら、そこのポカリ、取ってえな」
「これは・・・」
ポカリスエットの。缶の山。
「いったい何本飲んだんです?」
「夜中から5本くらいかな」
「水分制限するよう決まってたはずですが」
「女房が持ってきてくれたんです。正月やから特別にゆるしてやるって」
「誰がそんな!」
「それと、これ、地元の梅干やが・・・」
「ダメです!塩分は!」
「なんや、水も、辛いもんも、ずべてアカンのかいな!」
「今やってる治療がムダになります。水分は心臓を中から圧迫し、肺の外に溜まります。塩分はそれを助長します」
「なんや、わけのわからんこと言よんな」
病識のない患者だ・・。家族の責任もある。
その家族もやってきた。
「あ、やっと来た。先生。病状はどうなってるんですか?」
「奥さんですか。年末はお見かけしませんでしたが。義理の方に話はしましたが」
「はあ、ちょっと田舎のほうに用があったので。連絡先は詰所にちゃんと伝えておりましたが。何か?」
「水分をかなり与えられているようですが」
「はあ、そちらこそ点滴を多めに落としてたのではないのですか?」
「看護婦から聞きました、それは」
「じゃあこちらから水分をあげてもいいんでしょう?」
「そういう意味じゃないです!いいですか、水分は制限するという約束だった・・・」
「でも本人が欲しがっているんですから」
「それがまた治療の足を引っ張ってしまう!」
「どうして治療の妨げになるんですか?本人は水分取ったら楽になると」
「・・・」
理解の悪い家族は困る。
水分制限を再徹底させたところ、利尿が徐々につきはじめた。
思わぬ因子が、治療の妨げになることがある。
<つづく>
<レジデント・セカンド 13 レジデント・ブルー>
2004年2月29日 連載<レジデント・セカンド 13 レジデント・ブルー>
白衣で車のところへ。
「ごめん」
「ゴメン、寝てた。やっと終わったのね」
「いや違う。ちょっと悪くなった人がいて」
「もう、日頃からちゃんとしてないから、じゃないの?」
「とにかくうちのアパートに送るから。僕はまた病院へ戻る」
「あたし1人にするわけ?」
「頼む。どうしても。朝には帰る」
「当直の先生は?」
「講師なんだけど、使い物にならないんだよ。大学病院では、自分の専門以外は役立たずの医者が多い」
「うちの民間病院の先生は、何でも見てくれるわよ。その人、大人でしょ?」
いちいちうるさい彼女をアパートまで送り、蓋をしてまた病院へ戻った。
雨はまだ降っており、再び車を病院の玄関先へつけ、急いで病棟へ戻った。
「帰りました」
「・・・おう!」
呼吸器科の講師はモニターなど見ておらず、看護婦とダベっていた。楽しそうだった彼女の表情は一変して生気がなくなった。
「ちょっと来い、お前」
「当直室に・・ですか?」
「あんな不整脈、かまわんかまわん。ナースがまた呼んでくる」
「は、はい」
「あ・・鍵な、そこ閉めとけ」
「はい」
「まあ座れ・・・ところでな、お前」
「はい」
「最近みんなが噂しとる、お前のことをな」
「誰が?」
「そんなのはどうでもええ!・・でな、お前、入局してから徹夜もせずに家に帰ってたってな。1人暮らしなんだろ?なぜ家に帰る?最近は話し中が多いと詰所から聞くが・・・誰かと長距離電話でもしてんのか?」
図星だ。確かに彼女と電話するようになったのは最近のことなのだ。
「!そ、それは・・・風呂に入ったり」
「風呂に入って、それから出てきたらいいだろ」
「そうですが・・」
「それだ、それ。お前はいつもそう反論してくる。目上の人間に。お前はレジデントだろ。まだ何も分かってない。何も判断できんのだ」
「・・・」
「他の研修医みたいに、点滴してでも頑張る奴はそういう態度をとっていい。彼らは患者のことを第一に生活している。お前は、まだ自分のために生活している」
「・・・」
「お前の生活など、第2なんだよ。家に帰って何があるのか、わしゃ知らんが。それにしてもお前、最近はたまに週末、連絡すらつかないことがあったらしいな」
「そのときは、代理をお願いして・・」
「レジデントで代理か?落ち着かせてもない患者を、ただでさえ忙しい研修医や院生に任せるな」
病院に常にいるのはそういう連中だけじゃないか・・。
「こういう癖を研修医の時期につけた奴ってのは、ああ、もう使い物にならんのだよ。とにかく死ぬ気でやることだ」
「・・・」
「患者以外のことは全て忘れてな!それ以外のことは、全く価値のないものなのだ。川口にうつつをぬかしている場合じゃないぞ。まあ川口は模範生だからな。いい影響は受けてもいいが」
これも図星だった。
入局してからうつつを抜かしていたところ、最近になって例の彼女と「再び」連絡を取るようになったのだ・・・。
「お前のオーベン、安井くんも表では何も言わないが、わしの前では苦情だらけだ。オーベンを降りたいと言ってきた」
「・・そうだったんですか」
知りたくなかった。当然の内容なのだが。
「まあ、もうじき彼の時期も終わるがな。次のオーベンも大変なこった」
「・・・」
「まあ今日からでいい、病院に泊り込んで、死ぬ気でやれ!いいか、わしは今確かにお前に伝えたぞ」
「・・・失礼します」
「帰るなよ!」
なんて粘い奴なんだ。大学病院は陰湿な人間は多いが、ここまで言われると・・やる気なんか沸くわけがない。
30分ほどモニター見てたが、今は落ち着いているようだ。
・・・帰ろう。日曜日の早朝7時。夕方には彼女を空港まで送らねばならない。
余談だが、この頃はVPCは単発でも積極的に治療していた感がある。ただし平成8.9年頃から、VPCの治療は「症状あるとき」か「心不全になるとき」に限られるよう、講演会などで言われるようになった。たとえ2連発・3連発であってもだ。R on Tの危険性自体も疑問視されている。治療したほうがかえって予後が悪くなることがあるからだ。ただAMI後の急性期のものは例外で、積極的に治療すべきとある。
アパートに戻った僕は、時々揺り起こす彼女にも気づかず、結局夕方近くまで寝てしまった。で、また空港へ。
何しに帰ってきたかわけがわからない、といった表情の彼女だった。
空港で見送り。
「なんか、忙しいね」
「俺?」
「帰ってからも、ゆっくり休んでね」
「休む?また行かないといけない」
「あ、そっか・・ごめん。でもあたしも、今日は夜勤入り」
「でも朝には終わるんだろ」
「明日の朝は?」
「そりゃ通常業務に決まってるだろが」
「なんかイライラしてる・・。昨日、言われたの?何か」
「え?ああ・・・何しに帰ってるのかって」
「言ってよ。遠距離の彼女に連絡してるんだって」
「言えるか、そんなの!」
「ねえ最近、ほとんど毎日電話してるけど・・」
「・・・」
「ホントは嫌がってない?縛ってない?」
思いっきり縛られてるよ。
「あたしは、最初の頃は、あなたが凄い忙しいって言うから電話しなかったけど。でもね、心配なのよ」
「・・・・・」
「あたしとの将来とか、あまり考えてなかった?今のことだけ頑張ってれば、いいと思ってた?」
「はあ?今、何を頑張ってると?」
「いつも夜遅く頑張ってるじゃない。働きすぎよ」
「働きすぎ?僕が?とんでもない。これでも、まだ生意気らしいよ」
「それだけ働いてて?」
「ナースの仕事とは違うんだよ!割り切って帰れない仕事なんだ。仕事し始めて、初めて実感した」
「じゃあ帰ってこなけりゃいいじゃない!」
「ま、待てよ!」
彼女の表情がきつくなってきた。
「・・わ、わかった。ちょっと言い過ぎた。帰る、無理はしてないし。苦痛でもない」
自分の気持ちはいつも犠牲にするしかない。ここでも僕は演じている。
「・・そう・・。そうよね。あたしも言い過ぎた」
アナウンスとともに客列は進んでいった。
「またな!」
振り返り、僕は次のことを考えた。夜は、注射当番があって、月曜日のカンファレンスの準備をして・・・。どう計算しても、徹夜になる。
レジデントの日曜日の夜ほど、ブルーなものはない・・・。
<つづく>
白衣で車のところへ。
「ごめん」
「ゴメン、寝てた。やっと終わったのね」
「いや違う。ちょっと悪くなった人がいて」
「もう、日頃からちゃんとしてないから、じゃないの?」
「とにかくうちのアパートに送るから。僕はまた病院へ戻る」
「あたし1人にするわけ?」
「頼む。どうしても。朝には帰る」
「当直の先生は?」
「講師なんだけど、使い物にならないんだよ。大学病院では、自分の専門以外は役立たずの医者が多い」
「うちの民間病院の先生は、何でも見てくれるわよ。その人、大人でしょ?」
いちいちうるさい彼女をアパートまで送り、蓋をしてまた病院へ戻った。
雨はまだ降っており、再び車を病院の玄関先へつけ、急いで病棟へ戻った。
「帰りました」
「・・・おう!」
呼吸器科の講師はモニターなど見ておらず、看護婦とダベっていた。楽しそうだった彼女の表情は一変して生気がなくなった。
「ちょっと来い、お前」
「当直室に・・ですか?」
「あんな不整脈、かまわんかまわん。ナースがまた呼んでくる」
「は、はい」
「あ・・鍵な、そこ閉めとけ」
「はい」
「まあ座れ・・・ところでな、お前」
「はい」
「最近みんなが噂しとる、お前のことをな」
「誰が?」
「そんなのはどうでもええ!・・でな、お前、入局してから徹夜もせずに家に帰ってたってな。1人暮らしなんだろ?なぜ家に帰る?最近は話し中が多いと詰所から聞くが・・・誰かと長距離電話でもしてんのか?」
図星だ。確かに彼女と電話するようになったのは最近のことなのだ。
「!そ、それは・・・風呂に入ったり」
「風呂に入って、それから出てきたらいいだろ」
「そうですが・・」
「それだ、それ。お前はいつもそう反論してくる。目上の人間に。お前はレジデントだろ。まだ何も分かってない。何も判断できんのだ」
「・・・」
「他の研修医みたいに、点滴してでも頑張る奴はそういう態度をとっていい。彼らは患者のことを第一に生活している。お前は、まだ自分のために生活している」
「・・・」
「お前の生活など、第2なんだよ。家に帰って何があるのか、わしゃ知らんが。それにしてもお前、最近はたまに週末、連絡すらつかないことがあったらしいな」
「そのときは、代理をお願いして・・」
「レジデントで代理か?落ち着かせてもない患者を、ただでさえ忙しい研修医や院生に任せるな」
病院に常にいるのはそういう連中だけじゃないか・・。
「こういう癖を研修医の時期につけた奴ってのは、ああ、もう使い物にならんのだよ。とにかく死ぬ気でやることだ」
「・・・」
「患者以外のことは全て忘れてな!それ以外のことは、全く価値のないものなのだ。川口にうつつをぬかしている場合じゃないぞ。まあ川口は模範生だからな。いい影響は受けてもいいが」
これも図星だった。
入局してからうつつを抜かしていたところ、最近になって例の彼女と「再び」連絡を取るようになったのだ・・・。
「お前のオーベン、安井くんも表では何も言わないが、わしの前では苦情だらけだ。オーベンを降りたいと言ってきた」
「・・そうだったんですか」
知りたくなかった。当然の内容なのだが。
「まあ、もうじき彼の時期も終わるがな。次のオーベンも大変なこった」
「・・・」
「まあ今日からでいい、病院に泊り込んで、死ぬ気でやれ!いいか、わしは今確かにお前に伝えたぞ」
「・・・失礼します」
「帰るなよ!」
なんて粘い奴なんだ。大学病院は陰湿な人間は多いが、ここまで言われると・・やる気なんか沸くわけがない。
30分ほどモニター見てたが、今は落ち着いているようだ。
・・・帰ろう。日曜日の早朝7時。夕方には彼女を空港まで送らねばならない。
余談だが、この頃はVPCは単発でも積極的に治療していた感がある。ただし平成8.9年頃から、VPCの治療は「症状あるとき」か「心不全になるとき」に限られるよう、講演会などで言われるようになった。たとえ2連発・3連発であってもだ。R on Tの危険性自体も疑問視されている。治療したほうがかえって予後が悪くなることがあるからだ。ただAMI後の急性期のものは例外で、積極的に治療すべきとある。
アパートに戻った僕は、時々揺り起こす彼女にも気づかず、結局夕方近くまで寝てしまった。で、また空港へ。
何しに帰ってきたかわけがわからない、といった表情の彼女だった。
空港で見送り。
「なんか、忙しいね」
「俺?」
「帰ってからも、ゆっくり休んでね」
「休む?また行かないといけない」
「あ、そっか・・ごめん。でもあたしも、今日は夜勤入り」
「でも朝には終わるんだろ」
「明日の朝は?」
「そりゃ通常業務に決まってるだろが」
「なんかイライラしてる・・。昨日、言われたの?何か」
「え?ああ・・・何しに帰ってるのかって」
「言ってよ。遠距離の彼女に連絡してるんだって」
「言えるか、そんなの!」
「ねえ最近、ほとんど毎日電話してるけど・・」
「・・・」
「ホントは嫌がってない?縛ってない?」
思いっきり縛られてるよ。
「あたしは、最初の頃は、あなたが凄い忙しいって言うから電話しなかったけど。でもね、心配なのよ」
「・・・・・」
「あたしとの将来とか、あまり考えてなかった?今のことだけ頑張ってれば、いいと思ってた?」
「はあ?今、何を頑張ってると?」
「いつも夜遅く頑張ってるじゃない。働きすぎよ」
「働きすぎ?僕が?とんでもない。これでも、まだ生意気らしいよ」
「それだけ働いてて?」
「ナースの仕事とは違うんだよ!割り切って帰れない仕事なんだ。仕事し始めて、初めて実感した」
「じゃあ帰ってこなけりゃいいじゃない!」
「ま、待てよ!」
彼女の表情がきつくなってきた。
「・・わ、わかった。ちょっと言い過ぎた。帰る、無理はしてないし。苦痛でもない」
自分の気持ちはいつも犠牲にするしかない。ここでも僕は演じている。
「・・そう・・。そうよね。あたしも言い過ぎた」
アナウンスとともに客列は進んでいった。
「またな!」
振り返り、僕は次のことを考えた。夜は、注射当番があって、月曜日のカンファレンスの準備をして・・・。どう計算しても、徹夜になる。
レジデントの日曜日の夜ほど、ブルーなものはない・・・。
<つづく>