事務長は書類や履歴書に目を通していた。

「ふーん・・・・・・・ふーん」
「・・・・・」

「なるほど!」
「・・・・・」

「じゃあさっそく来週から勤務ですね。宿舎がありますので、荷物はそちらへ移動してください」
「はい」
「実際の診療は来月からですね。それまでは荷物の運び出しがありますんで」
「運び出し?」
「ええ、そうですよ。病院内にある機材などをね。それと人員がグッと減りますし」
「減るっていうのは・・・」
「ああ、先生。医局長から聞いてなかった?こりゃいかんな・・・はっはっは」
「?」
「官公立で大きな顔していたこの病院も、とうとう閉鎖となりましてね」
「閉鎖?」
「ニュースで見ませんでした?でも大丈夫。病院としては残りますよ。ただその・・・これまでやってきた先端治療に関する
ものとかに関しては、全て引き上げにかかるわけでしてね。なにせ次の経営者の方針ですから・・・」
「・・・」

「部長クラスなどメインのスタッフは総入れ替えになるんですよね。コストの折り合いがうまくいかなくてね」
「・・・・代わりの新しい職員は補充を・・・?」
「新しい経営者が、そこらの村の事務員とか引っ張ってくるそうです。ま、何とかなります。ナースはオバちゃんらばっかりですけどね。寂しい限りです」
「ドクターは?」
「かなり御高齢の先生方になるようですな。なんせ村の勤務医・開業医上がりなもんで」

 そんな動乱の時期に来たのか。

「でね先生、病棟は大半が療養型になりますので。コストもマルメ」
「マルメ?」
「だからその・・・いろいろ検査・治療されたとしても、病院の利益にはならないんですよ」
「何もするなと?」
「いえいえ、そういうわけでは・・。そういう体制になるのは国のせいでもあるんですよ。責めるなら政治家を」

 しかし・・・。検査や治療にも制限がかかるのか・・・。

「近くの老人ホームと連携しますんで、そことのやりとりが中心になります」
「紹介と転院とかですね」
「ええ。急変時はお願いいたします」
「・・・・・」
「このような背景がありますんで、コスト的には・・・」

 書類が手渡された。年収800万。医師年数からすると相応なんだろうが。

しかし、こんな現状では・・・。

「そこに、ハンコを」
「はい・・・・どうぞ」

 ハンコが押されたとたん、事務長は澄まして立ち上がった。合図で、向こうから若い男性が入ってきた。
「新しい事務長の足立です」

 旧の事務長は挨拶もなく、サッサと帰っていった。

「先生、よろしくお願いいたしますう」
「ええ、こちらこそ」
「わたくし、病院関係は初めてでして・・・」

 何人か職員が入ってきては、荷物を運び出していく。これじゃまるで、夜逃げだ。

「あ、あの・・・事務長さん」
「はい?」
「トイレを」
「ああ、そこです」

 便器に間に合わず、僕は吐き気をもよおした。
「ゲップ!ブ!ブブ・・・!」
 胃の中はカラだ。胃液しか出てこない。

 何なんだ。これは。僕は騙されたのか。

 そうか。つまり・・・僕はおそらく、見せしめとしてここへ送られたんだ。

 医局へ逆らう人間の末路として・・・考えすぎか?

 どうやら早くも僕の医師生命は、ここでいったん冬眠に入るようだ。

 遅くなってきたため、病院を出てJRの駅へ向かうことにした。道順はあらかじめ聞いておいた。

何歩か歩いたが、頭痛がしてきた。どうやら解熱剤の効き目が切れてきたようだ。

だがポケットには薬はなかった。

僕は降りていた石段に座り込んだ。

そして携帯を取り出した。空には雨雲が広がってるようだ。

そうだ。彼女に・・・彼女にこのことを伝えよう。きっと同情してくれるはずだ!

僕は「彼女」の携帯に電話した。

・・・・?おかしい。もう一度。

『ソノバンゴウハ、ゲンザイツカワレテオリマセン』

「うそ?うそだ・・・!」

何度も何度も押してみた。きっと地震か何か起きて不通になっただけじゃあ?

 だが・・・とうとう電話は通じなかった。

 全ての拠り所を失い、僕はヘタッと石段に倒れこんだ。雨風は容赦なく打ち付けてくる。どうしてこんなとき、いつも雨なんだ?

 こういうときに限って、どうでもいいことばかり考えてしまうものだ。

 僕はもう、やり直せないのか・・・。

 体の力が少しずつ抜けていくのが分かった。

 でももう、どうでもいい。

 ここで生きてく。

 



僕が劇的な復帰を遂げたのは、それから数年を経てのことだった。


<完>
乗り換えたその車は、高速でなく一般道で走り続けるようだ。

「大学も最近は変わってきてましてね」
医局長が話を切り始めた。

「はい」
「学生のマイナー志向、大学院大学としての生き残り、大学の危機管理・・・インフォームド・コンセントの時代・・・」
「そういやニュース、多いですね」
「うちの医局も大変です。今年は2人しか入局しなかった」
「2人・・・厳しいですね」
「ですからその場合、外で頑張っている先生方を無理にでも戻さなくてはなりません」
「・・・でしょうね」
「それが単なる名義だけでもね」
「僕の名義も・・ですか?」
「そうです。先生の名義は大学にあります。しかし実質的な勤務先はこれから向うところです」
「遠そうですね」
「かなりかかります。食事したければいつでも」
「ええ・・・」

夕日が射してきた。

「ユウキ先生、突然で失礼なのですが」

「・・・?」

「もう少しその・・・医師としての適正を・・・再検討されたらいかがでしょうか」

 突然、何だ?

「どうもその、先生。先生自身は疑問に感じられるかもしれませんが・・・この1年の先生の実績など見ますと・・・」
「・・・・・」
「チーム医療など周囲との連携ができていない。上司の命令も素直に従わないことが多い。病院を突然休む。先輩医師への反抗。先生、これでは・・・」

「確かにそんなときもありましたが・・・」

「これは・・・今後仕事を続ける上では、かなり致命的だと思いますね。一般企業ならクビですよ」

「その内容は、山城先生からの評ですか?」
「山城先生や、これまでスタッフ全員のです。すべて書類で送られることになっていますからね。大学の医局員たちもなぜかみな知ってました」
「・・・・・」
「こんな医局員が大学に戻ってきて、医局のマイナスイメージにつながると・・・新入医局員の確保まで難しくなりかねません。分かりますよね?」
「・・・・・」
「ですから、先生には反省をしていただく意味で」
「・・・なんですか、それ!」
「それですよ、先生。そこがいけない。カンファレンスや診療で本音でぶつかるのはいい。でも上下関係をきちんと踏まえないと!」
「上下でも、許せないことだってあります・・・」
「やっぱり危険ですね・・・向いてないなあ。それと先生、時々何かその・・・ホースが聞こえてくるとか?」
「フォースです。でもヘンな意味じゃないです!」
「そんなとこも心配ですねえ・・・」
  
 車は山道を走り出した。車道はかなり狭い。だが対向車にはほとんど出くわさなくなった。

「でも先生、臨床的なセンスはいいほうだという評価でしたがね」
「そりゃどうも・・・」
「あー、畑くんはひどかった。プライマリケアからなってない。診断・治療の方針もメチャクチャだ」

 彼は院を出ていきなり呼吸器科を任されたんだ。それこそムチャだ。

「彼はこの半年間、岐阜で頑張ってたようですが、さすが1人で80床は限界だったようです」
「1人しか医者が?」
「いえ、あと4人。うちの名義の医者がね。もちろん書類上のものです」
「で、彼は・・・?」
「辞表を出したそうです」
「・・・・・」
「ユウキ先生はかなり優遇されてるほうですよ」
「・・・・・」
「なんせ、やり直すチャンスがある。病院の規模も大きい」

 車は田んぼの広がる湿地へと出てきた。長年目にしたことのない光景だ。

「勤務される病院は、内科だけで120床。医師は6人」
「一般内科ですか・・」
「先生が循環器。あとは消化器です」
「設備は・・」
「カメラは一通りあります。気管支鏡も。アンギオもね。MRIもあります」
「アンギオも・・・」
「何でしたら先生、カテをバンバンやってもいいですし」
「なるほど・・・」
「とにかく自由な発想の病院です。夜は当直が全てみます。夜は起こされません。こんな束縛のない病院って、そうありませんよ」

「いいですね、それ・・・」

 しかし、そんな話があったのか・・・。僕は本当に運がいいのかも?

やがて山の上に病院が見え始めた。
「ああ、たぶんあそこです」

走ること3時間余、やっとたどり着くことができた。だが周囲には民家がちらほらある。
これでもこの地域で一番大きな病院なのか・・・。

よくみると小学校の公舎のようだ。木造っぽい。まあそれだけ伝統があるってことだろう。

「先生、これから事務長に会います。話も長くなると思いますし私も用事がありますので」
「ええ・・・お先にどうぞ」
「車ですぐ帰りますね。先生は近くのJRの駅で乗って帰ってください」
「ええ・・・駅は近いので?」
「歩いて数分です」

 外は少し暗くなってきた。思えば長い1日だった。救急明け、山城先生とのドライブ、大学、山道のドライブに・・・新天地でのオリエンテーション。

「着きました、ね・・」
 車は病院の近くの広大な駐車場に停められた。仕事帰りなのか、多くの背広姿が玄関からゾロゾロ歩いてくる。各自、大荷物を持ってそれぞれ車へ向っているようだ。ダンボールを抱えている職員もいる。

「医局長、あれは・・・?」
「ああ、人事の時期なんでしょうね」
「あ、なるほど・・・」

僕らは砂埃舞う中、ゆっくり病院玄関へと向かっていった。

病院の建物はあちこちヒビが入っていて、かなり老朽化しているようだった。

だが看板には救急指定とある。間違いはなさそうだ。

事務室の前。いったん入っていた医局長が出てきた。
「ユウキ先生、どうぞ入って」
「はい・・・失礼します」

ストーブの上にやかん。いかにも田舎っぽい光景だ。

「ああ、どうぞどうぞ、寒かったでしょう!」
ハゲた老人が両手をこすりながらやってきた。しかし羽振りのよさそうなコートを着ている。

「事務長の河野です。どうぞ、なんなりと!」
「よ、よろしくお願いいたします!」
「やあ、ご苦労さんでしたな!」

医局長が少しそわそわしている。
「では先生、あとは・・・」
「あ、医局長さん!こりゃどうも!暗くなってきたしね!」
「失礼します・・・」
「どうも、ありがっとう!」

医局長は帰っていった。

<次回完結>
 車は高速を降りていった。大学まであと数分だ。

「ユウキよ、すまんが新しく借りたアパートだが・・・」
「分かってます。また引越しですね」
「ああ。引越し代は出んがな」
「敷金もですね。ええ。それが医局というものですから・・・」

 しかし、山城先生が僕に第1線で戦えるチャンスをくれた。

 そこまでの配慮があったとは・・・。

「まあ頑張れ。スタッフはベテラン揃いだから、手取り足取り教えてくれる」
「そうですか・・・ありがとうございます」
「お前の提唱する、胸部内科外来でもやったらどうだ?」
「え、ええ・・・」

 小杉に話してたんだが・・・あいつ、口軽いな。

 車は大学病院の広大な大駐車場へ到着した。

 玄関の近くに停車した。

「お前はここに座ってろ」
「先生、自分も・・・」
「いや。ここにいろ」
「逃げませんよ」
「ここにいろ!20分くらいで戻ってくる!」

 山城先生は履歴書を持って車を降り、玄関へと走っていった。
僕は久しぶりに皆に会いたかったのだが・・・。グッチにも会いたい。

「そうだ・・・」

 僕は携帯を取り出した。まだ電池はある。
 アホらしいが、目の前の大学病院へ連絡した。

 医局あてだとヤバイので、病棟へかけた。

「もしもし、もしもし」
「病棟です」
「あの・・・川口先生は・・・?」
「川口先生・・さっきいたんですけど・・探します」
「あの、ちょっと・・・」
 保留の音楽にすりかわった。待つしかしようがない。

 玄関は出入りが多い。ほとんどは処方箋を持って出てくる患者のようだ。

 電話が出た。
「もしもし」
「グッチ!僕だ」
「はあ?」
 どうやら別のナースの声らしい。
「す、すんません」
「川口先生は今はベッドサイドでマルク中です。何か伝えましょうか?」
「し、下にいますと。ユウキといいます」
「はあ・・・はい」

 しかし、僕は何をやっているんだ。会ったところで何を?

 やあ、久しぶり。ちょっと大きな病院で頑張ってこようと思う。君らはまあ大学で頑張ってくれたまえ。いつか偉くなったら帰ってくる・・・。冗談には聞こえないか。

電話はすぐにかかってきた。彼女か?

「もしもし」
「おい。いるんだろな」
「なんだ、山城先生・・・」
「なんや、わしでガッカリか」
「いえ・・・」

「医局長と向っている。その前にメシでも食うか?」
「いえ、今は調子が・・・」
「そうか。じゃ、今から直で行こう」
「勤務先の病院に・・ですか?」
「ああ。わしの役目はこれで終わり。医局長が連れて行ってくれるぞ」

 あのクールな医局長か。

「では、車・・・下りときます」
「ああ」

 車を降りて玄関の前に立った。

 新天地か。

 大学にも好きなときに帰れそうだし、ふだんの勤務はかなり充実してそうだ。

でもこれまでのことも反省して、頑張っていこう・・・。僕は運がいい。女連中に振り回されるのはもうコリゴリだな。

「待たせたな」

 山城先生と医局長が現れた。

「こんにちは。ユウキ先生、久しぶりですね」
「こ、こんにちは」

 山城先生はセルシオへ向った。
「じゃ、あとはよろしく!」
 医局長は無言で手を振った。

 セルシオは駐車場を縦断し広域道路へと合流していった。

 車が見えなくなるまで僕らは目線で追った。

「・・・じゃ、少し歩こうか」
「はい」
「あそこの車だ。BMだがね」
「は、はい・・・」
「もう詳細は、山城君から聞いたね?」
「ええ」
「大変だと思いますが、頑張ってください」
「はい。先生、大学には?」

「?」

「いつでも行っていいんでしょうか?」
「・・・いいですよ。こちらとしては大歓迎です」
「はい」
「でも、来られるときは前もって連絡を」
「ええ、そうします」

「どうぞ」
「失礼します」

車は北へ向けて走り出した。

僕はミラーで後ろ、病院玄関をみていた。やはりグッチの姿はない・・・。

何か・・・大事な忘れ物でもしたような。

『そう、確かに君は大学へ戻ってきた・・・』
 やがてステントは病変部位へ。

「よし止めろ!拡張する!・・・・・しばらく待つぞ!ところで、さっきの続きだが」
 またか、こんな時に。
「お前には実は感謝している」
「僕に・・ですか?」
「お前のおかげで、わしらはまた再出発することになった」

「わしらって・・・?」

「本田ミチとわしだ」
「さっきふと思いましたが・・・マジですか・・・・」

 ひどく落胆するはずが、なぜかホッとしたものがあった。
薄々気づいてはいたのだ。

 だがもうそれでいい。

「でも気づいてたんだろ?」
「ええ、まあ・・・」
「最初は不倫だったがな。ミチはどうしてもそれが許せんとな」
「先生、今は離婚を・・?」
「で、わしが妻に捨てられて・・それでもアイツとはよりが戻らんでな・・・バルーン解除!」

 造影。ステントはきちんと植え込みできたようだ。

「よし!もう一度アイバスで確認するんだ!」
「アイバス・・・いきます!」

 内腔はかなり拡がっている様子だ。あれだけ内腔を占拠していた血栓も壁側にかなり押しやられている。

「STもかなり改善してきましたね・・」
「よし、引き上げだ!」

 片づけが始まった。
「よし、あとの指示はわしが出す・・・!で、どこまで話した?あ、そうか」
「よりが戻らなくて・・」
「そうだ。お前が彼女とくっつきそうになった時」
「?そんなの、なってませんよ」

「いや、そうなりかけてた。わしは内心、焦った」
「そうですか・・・」
 僕は少し誇らしかった。

「彼女は本当に戸惑ったそうだ。だがお前、本命がいるってな」
「本命・・・ええ」

 それって、先生らが言いふらしたことじゃないか?

「ミチは自分のせいで、お前がその本命を捨てるのが、怖かったそうだ」
「そうなんでしょうか。僕にはよく・・・」
「聞け。で、彼女は悩んだらしい。そうなるとわしまで失うことになると」

「で、何ですかその。彼女はホントに誰が好きか気付いた、とでも?」
「いや、ホントの話だ!」

「なんか今やってるようなドラマじゃないですか、まるで」
「いや、わしはそう考えてる!」

「それは・・・あくまでも先生の解釈なので」

 やっぱ女の考えることは分からん。

「だが彼女はわしのとこに戻ってきた。それは確かだ」
「・・・・・」

 確かに彼にはいい所もあったんだろう。今日のサポートぶりを見ても思う。

まあよほど、過去に何かいい思い出があるとか、何か入れ込んだ
ところがお互いあったのだろう。

そう思うことにしよう。

「ユウキ、待て、帰るな。わしが大学へ送る!」
「失礼します」
「待て!車もないだろ、お前?」
「・・・1人になりたいんで」
「さっきの話で怒ったのか?」
「怒ってなんか・・・ま、幸せになってください」
「待ておい!」

 僕はさっさと着替えて廊下へ出た。遅れて駆けつけたほかの医師にすれ違った。

「さようなら、星野先生・・・横田先生・・・芝先生・・・」
 芝先生だけ目を合わさなかった。

 そして・・・・僕はやっと病院の外へ出た。1年住んでてまだ降りたことのない砂浜へ歩いていった。波はおだやかだ。

「はあ!終わった終わった・・・!」
 大きな伸びをして、病院へ振り返った。3年間はアッという間だった。

これからは束縛もなく、自分なりのやり方が尊重されるはずだ。

 すると、携帯が鳴ってきた。これは・・・?

「もしもし」
「山城だ。今どこだ?」
 僕は電話の話し口を遮った。波の音を聞こえないように。
「先生、もう1人で帰りますので」
「ダメだ。直接行くんだ」
「1人で大学へ直接行きます」

 そう言い捨てて電話を切った。

 タクシーで駅前に着いた。財布の金も残り少ない。この1年でけっこう貯めたつもりだったが、途中で減俸にされたことと飲み会の機会が増えたことで、自己資金は底をつくようになっていた。

 時刻表を確認。

「・・・いったん大阪駅で乗り換えて・・・と」

 すると後ろから肩を叩かれた。振り返ると・・コイツか。
「山城先生・・・もういいですから」

「さ、行くぞ」

 彼は知らない間にスーツ姿になっている。
「どこへ?」
 僕の腕は掴まれて離れなかった。

「表にセルシオ停めてある。それで・・・大学までな」
「い・・・医局へ同行ですか?」
「まあ、申し送りやな。それと」
 彼は1枚の履歴書を取り出した。

「それは・・・?」
 写真はどうも見慣れない顔だ。
「お前にゃ関係ない。院生であちこち名義を借りてる者の記録や」
「名義・・・」
「でないとアイツら、食いぶちに困るだろ?さ、乗れ」

 僕は助手席に座った。ゴージャスな内装だ。車はゆったりと走り始めた。

「高速を飛ばす。ベルトしろ」
「・・・・」
 言われた通りにした。

 車はゲームのごとくゴボウ抜き状態で、間もなくトンネルに入った。

しばらく無言が続いていた。

「ガム、要るか・・?」
「いえ、いいです」
「まあ、ミチにはわしのほうから宜しくいっておくよ」
「・・・・・」
「今までのレジデントは手の早い奴らばっかりでなあ・・」
「・・・・・」
「お前は感心だな。そういうところはなかった。ミチがお前を褒めるのも、分かるような気もする」

 なんてレベルの低い会話だ・・・。

「だがユウキよ、勘違いはするな」
「?」
「奴らが半年で僻地へ飛ばされたのはまあそういう理由からだが・・・。ただしお前が1年いれたからって、特別優秀だったわけではない。勘違いするな」
「ええ、そりゃあ・・・」

「訴訟になりかけたケースもあった。腸間膜動脈の・・」
「あれは先生、澤・・・」
「でもお前が主治医だ。家族はお前を名指ししてきた」
「そうだったんですか。ちっとも・・・」
「院長が示談にした。かなり高額の金を払ってな」
「・・・・・」
「主治医がリスクを負うのは当然のことだ」

 車はトンネルを抜けた。大阪の街が拡がってきた。

「話の核心になるが・・・お前は大学へは来なくていい」
「?」
「大学の医局員名簿には載る。医員として仕事することにしている」
「・・・で、実際は?」
「あとで医局長が案内してくれる」
「案内を?」
「わしはそこの場所は知らん」
「それって・・・」
「お前の望みを叶えるためや」
「望み・・」
「臨床家で技術を身につけたいんだろ?大学に縛られず」
「え、ええ。以前はそう言ってました」
「だからもっと伸び伸びと経験を積んでもらうのだ」
「勤務医として・・ですか?」

「当然や。コストは今よりも多い。その地では一番大きな病院や。伝統もあるし、最新設備もそろってる。ベテラン医師もな」

「教授が考慮を?」
「わしの考慮だ。下りるぞ!」

 車は高速を降りていった。大学まであと数分だ。

 第一線でやれるのか・・・!

<つづく>
「何だって?」
「今言ったとおりです。カテ室で、これからカテを」
「そうか。早めに駆けつけてくれたんだ」
「でも山城先生だけでした」
「なに?」
「それ以外の先生はまだ到着されてないので」
「1人でやるつもりなのか。何もかも」

 僕は点滴を引っこ抜いた。

「先生、どこへ?あ、そうか。もうすぐ終わりですよね」
「ああ・・世話になったね」
「これまで、ありがとうございました」
 出勤している数人が集まってお辞儀してくれた。

 そのまま僕はICU/CCUの扉を開けた。左に行けば病院を出られる。
右に行けばカテ室。山城先生の手伝いとなることは必至。
そうだ。左に行けば、解放される。電車で大学病院の近くの、新規に借りた
アパートまで行けばいい・・・。

 だが・・・。

「えい!」
 何を思ってか、右に曲がった。廊下の鏡を見ると、白衣がシワシワで血だらけだ。
僕はそこらにあるゴミ箱に白衣をたたんで、入れた。

 靴を脱ぎ捨て、カテ室へ。

カテ室では小杉が画面を覗きながら指示をもらっている。カテーテルをしているのはまぎれもなく、山城先生だ。

「次、RAO 30度。あ!」
 どうやらこちらに気づいたようだ。
「ユウキか・・・まだいたか、お前」
 画面には前下行枝の閉塞が映し出されていた。予測どおり♯7の閉塞だ。
「山城先生・・すみません。ご挨拶にと思い」
「お前、いつ帰る?」
「新しいアパートに・・ですか?今日にでもと」
「出勤は?」
「まだ聞いてません。一体どうなってるのか、大学からは何も」
「その件だがな・・・今日の午後、一緒に同行する。いずれにせよ連絡するつもりだったんだがな」
「は?」
「わしと一緒に、大学に行くんだよ」
「一緒に・・で、ありますか?」
「話したいこともある」

何をだ・・今さら。

「ええ。では待つことに・・・」
「待て。これを手伝ってからだ」

来たな。

「では、着替えを・・・」
「ああ、してこい」

山城先生はワイヤーで血栓をつついているようだ。まだ完全閉塞だ。

 僕は着替え・手洗いをし始めた。カテなんて半年ぶりだ。でもまあ雑用なら、緊張はしない。

もう朝の9時はとっくに廻った。救急外来も終わっているだろう。

「入ります!」
 両手を合わせ、部屋に入った。
「ナースの代わりは小杉がするからな」
「ええ」
 小杉があちこち動き回っている。
「まあ、何とか開通はしたようだ」

 画面では閉塞していた部位が2割ほど開通し、その末梢まで流れている。
「動脈硬化と血栓だな。さて、これからインターベンションだ」
「は、はい」
「小杉!ガイドカテとバルーン!」
「はい!」
 小杉は何本か持ち寄り、山城先生が物色、選定していった。
「ユウキ。レジデント最後の餞に、やってみるか?ん?」
「いえ、それは・・・」

 僕はちょうど1年前のあれを思い出した。



 『ガイディングカテが挿入された。入れているのは・・・伊藤だ。上目遣いで必死だ。
この太いカテーテルを冠動脈入口部へ持って行く。そこを通して風船セットが入るわけだ。

中の様子が変だ。伊藤がかなりうなだれている。

僕は技師に問いかけた。
「何度も映ってる血管・・・これ、左冠動脈の・・主幹部ですよね」
「ああそうだ」
「拡げなかったのは・・・」
「主幹部、見てみろ。造影の画像がこれだ。動脈の壁が剥がれてる。これがダイセク、ディセックション・・解離だよ。狭窄を作っちまった」
「作った?」
「あの太いガイドカテを、押し込みすぎたんだ。運悪く、血管にとって太い径のカテだったんだ」
「じゃあ今後は・・・」
「バイパス術だろ」

 伊藤は弱気な顔のままだ。職員は次々と引き上げた。
 僕は伊藤の斜め後方に立っていた。

 伊藤はそこで、静かに泣き崩れてしまった。

 しかしその男泣きは・・・・・明日のための泣きだった』

 明日のため・・・!いつか笑って語るため・・・!

 困難に正面から立ち向かったという証が、僕にも欲しい!


「や、山城先生・・・」
「ん?」
「じ、自分に・・・やらせてください」
「そうか。だがわしのサポートでやるぞ。少しでも危なければ中止する」
「・・・・・・」
「お前の友達みたいな運命になってもいかんしな。ディバイダーの名前の、あいつ・・・」
「・・・ディバイダーって・・・それって、たしか・・・」

何でこの人が知ってるんだ?

「さ、いくぞ!シースも入れ換えて、フラッシュもした。ゆっくり入れていけ」
「は、はい」

 カテーテルをゆっくり挿入。太い。こんなに太いのか。熱発はどこかに行ってしまった。
このヒヤヒヤとした透視室がかえって眠くさせないのかもしれない。

 やがてカテは入口部に入った。
「・・・エンゲージしました、先生」
「バルーンは、これ」
「あ、はい」
「そのカテ、あまり押し込むなよ!」

 バルーンカテはゆっくり入口部から顔を出した。バルーンはゆっくり進み、病変部、つまり
狭窄部へ。
「そこでストップ!圧を加えるぞ」
 山城先生はハンドルをまわし始めた。
「30秒待つ!・・・・ところでユウキ先生よ」
「え?」
「お前、わしに何か聞きたいことがあるんだろ?」
「・・・・・」
「だから来たんだろうが・・・・バルーン解除!ユウキ、バルーン外して、造影だ」
「はい・・・・・・造影!」

 すると血管が造影された。流れは滞りなく、一見、全開通しているように思われた。

小杉が入ってきた。
「やった!1回でできたじゃん?」
「まだだ!病変部が薄い!」
 山城先生が活を入れた。

病変部は・・・造影剤の濃さがまだ薄い。だが血管径は
十分ありそうだ。

「角度を変えて造影だ!」
 角度を何箇所か変更し、同じく造影。だがやはり血管径は十分、しかし造影欠損わずかにあり。

「ユウキ先生。アレを使うか」
「アレ・・・ああ、アイバスですか」
「コスギ!アイバスを!」
「あー、山ちゃん、病変部ウススギだからコスギ?」
「お前は黙ってろ。役立たずが」

 アイバスが手渡された。かなり細い。そりゃそうだ。これが冠動脈内を通るわけだから。

「アイバス、いきます!」
 正面に冠動脈内の画像が映る。横の冠動脈の走行と照らし合わせる。
山城先生は画面に向って乗り出した。
「・・・・そこでストップ!ちょっと手前・・・行きすぎ!そう、そこそこ!」

 冠動脈は右半分が分厚い血栓で真ん中が割れている。左半分は開通している。
トータルで見ると、血栓で半分が埋められている。冠動脈造影で見るよりもかなり
の狭窄がある。

「山城先生・・・これはかなり・・狭窄ありってことで?」
「ああ・・・じゃ、ステント入れるぞ。コスギ!」
「は、はい!」
「シャッツを出してくれ」
「はい。血管径、測定します!」

 ステントの巻きついたバルーンが手渡された。

「いいか。しくじるな」
「は、はい!」

<つづく>
 目を開けると両脇には外来患者が点滴を受けている。僕もだ。

気絶したわけでなく、少し眠っていたようだ。だが時計を見ると・・1時間しか経ってない。

されど1時間だ。

 少し遠く離れた場所で村中・三井先生が頑張っている。どうやらまたDOAが来たようだ。
キンキンがこちらへやってきた。

「ふーっ、ダメだったみたいね」
「ダメだったとは・・・さっき僕が挿管しかけた患者?」
「あの人はCCUへ行ったわ」
「あ、やっぱり・・その後に入った人か」
「休んでてよ。しばらく」
「分かってるんだが、外来患者はあとどのくらい・・」

 上につるしてあるポタ以外に、ロセフィン、ビタメジン、ガスターが入っている。
キンキンはまた修羅場へ戻っていった。

 僕はゆっくり上体を起こした。なんとか起き上がれた。こっそり飲んでいたNSAIDが効き始めたのか、発汗と爽快感がやってきた。

 点滴台ごと、僕は1歩1歩前に進んだ。目の前の診察机がかなり遠いものに感じられた。点滴のラインは白衣の中に隠した。診察ぐらいはなんとかできそうだ。

「よし・・・」
 マイクを取り出し、1人ずつ呼ぶことに。
「宮村さん、どうぞ、診察室へ」

 ドクター達は死後の処置に追われている。キンキンはさきほど入院した患者の申し送り中。

今は朝の3時だ。あと6時間・・・。

「はい」
 中年男性がドカッと腰掛けた。
「血糖高いねん。クスリおくれ」
「高い・・どうして分かるんです?」
 カルテをみると、もう2ヶ月取りにきてない。2種類飲んでいる。
 こんな救急のときに限って・・・。
「体、だるいですか」
「めっちゃしんどい」
「血糖測ります」
「採血したら、薬もらって帰るわな」
「待っていただかないと・・」
「何時間待たせたと思ってんねや!」
 患者は近くにある処置台を蹴飛ばした。たくさんの医療器具が床にガシャガシャ散乱していった。
その音は内耳のさらに奥まで轟いた。

思わず僕はうずくまった。

 次の患者は・・肺気腫で内服・HOT中のばあさんだ。年に1回、人工呼吸がつくという。今回も
増悪か。見るからに・・起座呼吸だ。
「ちょっと胸の音を・・・肺気腫だからな。よく分からん・・・」
 というより耳が麻痺状態なのだ。
「もしもし、小杉?胸部CTを」
 患者は車椅子で検査へ。しまった、SpO2測定するの、忘れた。

 朝6時、あと3時間。なんとか座ったままの体制でやってけそう。

事務が走ってきた。
「ハア、ハア・・・ごご、5分後に胸痛の60歳男性!」
「キンキン、ベッドはある?」
「あと1床だけ」
「そうか・・・受け入れなきゃな」
「CCUがちょうど空いてます。よかったですね」
「よくない・・・。できれば逃げ切りたかったのに・・・」

最悪の事象は最悪のタイミングでやってくるものだ。
三井先生は点滴患者の『回診』から戻ってきた。
「じゃ、ユウキ先生!出番だね!ああ、疲れたー・・」

救急車が到着。事務員が僕を見て心配そうだ。
「だだだ・・・大丈夫ですか・・・」
「大丈夫じゃない。でももう、これ以上重症は取れない」
「わわ・・・わかりまじだ」

胸を押さえて痛がっている患者がストレッチャーに座位で運ばれてきた。
「ぐががが・・・」
キンキンも疲れ果てている。
「なんか、AMIとかって、やたら早朝が多くない?」
「交感神経が活動しだす時期だからさ」

 僕はイスに座ったまま、イスの下の車でサーッと移動しベッドサイドへ。
三井先生は遠巻きに見ている。
「その心電図からすると・・・AMIだね」
「そのようで。血圧は130/80mmHgか。キンキン、ミオコールを」
三井先生も聴診している。
「ふむう・・・?音はないかな?キリップ分類は・・」
「さあ。参考にしたことないんで」
「あ、そう」
「発症から2時間・・・・・ダイレクトに拡張したいところだが・・・事務員さん?」
「ははは、はいっ!」
「もう一度コンタクトを取って!循環器グループ!」
「ははい!」
 キンキンが点滴を調節。
「彼ら、戻ってくるの早朝よね」
「今日は月曜日なんだが、午前中は休診なんだよ」
「最悪なら昼ってこと?」
「どうしよう。どっか送ろうか・・・」

 エコー・心電図からすると前壁の梗塞。中隔基部は動いているので、♯6以下の病変か。
血圧、下がらなければいいが・・・。

 家族へのムンテラ。治療はこの病院でお願いします、ということになった。よその病院でのダイレクトでのカテはしないことになった。

「t-PAをいこう!CCUへ!」
 また少し熱っぽくなってきたようだ。村中先生が戻ってきた。
「ユウキ先生、あとは僕らがやるよ。重症ももう取れないわけだし」
「そ、そうか・・・しかし今AMI入ったんで。できればじゃあ、僕もCCUへ」
「ああ。そこで休んどいたらいい。三井先生にも言っておく」
「じゃ、これで・・」

村中先生はいきなり気を付けをした。

「先生・・。どうも、ありがとう。またいつか」
 僕らは握手した。キンキンはCCUまで着いてきてくれた。

「じゃあ先生、たぶんこれでお別れね」
「ああ。今までありがとう」
「彼女を大切に」
「・・そうだな」
「本田じゃなくてね」
「ああ」

 ICU/CCUの控え室に入った。やはり彼女はいない。

 どうやら・・・本当に会う事はないんだな。


やはり熟睡はできず、先ほど入院した患者のところへ歩いていった。

しかし・・・患者はいない。というか、ベッドがない。

「遅かったのか・・・?」
 新人ナースに聞いてみた。

「何だって?」

 
「循環、循環器のてんていも、げげげ、外科のせせせんせいも、つかかまりません」
「みんな学会?外科関連の学会は・・ないよね、村中先生?」
「さあ、僕にはなんとも・・上司のことに関しては」

 いや、恐らく口裏くらい打ち合わせているはずだ。
 僕も疑う癖がついてしまったな。

「じゃあ、行ってきます」
 キンキンが戸口に立ちふさがった。
「ダメですって!大声出しますよ!」
「どいてくれ!」
 キンキンは2倍の空気を吸い込みにかかった。

「キュウキュウヲホッタラカサナイデエーーーーーー!」
「うわっ?」
 鼓膜が破れそうな声だ。しかし問題は解決しない。
振り切ってICU/CCU行きのエレベーターに乗り込んだ。
キンキンにつかまる寸前のとこでドアが閉まった。

「ナメトンノカアアーーーー!」
 3階に行ってもその声はけたたましく響いてくる。

ICU/CCUではしびれをきらした角さんが待ち構えていた。
「あー、やっと来た」
「どの患者?」
「あれ。まず鎮静してよ」
 60代男性、角刈りの患者が大暴れしている。抑制しているが抑えきれて
おらず、上半身はベッドの両脇に押し出せるくらいの勢いだ。

「前にもあったな。こんなの」
 角さんは僕の陰に隠れた。
「あの手紙、読んだ?」
「ああ・・・」
「秘密ってことになってるけど・・」
「今はそれについては言わないでくれ。落ち込む」
「はあ・・・で、どうします?」
「アタP 25mgを筋注してくれ」
「え?先生がでしょ?」
「筋注はナースだろ?終わったら呼んでくれ!」
「先生!以前だったらやってくれたのに!」
「もう便利屋じゃない!おとなしくなったら呼んでくれ」
「戻るの?・・・血圧低めなのに!」
「あんだけ元気だったら大丈夫!」

 結局すぐ1階へと舞い戻った。キンキンは胃カメラ介助中だ。

画面には胃の内部が映っている。赤い海に水面・・・・時々嵐になる。
洗浄しているようだ、どうやら。

村中先生は完全に集中している。
「うん、だいぶ見え始めたぞ!だが・・・全体が赤っぽい以外は・・・」
「出血しているところは?」
「見当たらないな、それが」
「十二指腸まで見たんだけど、分からない」
「・・・・なら・・・AGMLかな?前にそんな経験があった」
「え?あ、そうか」
「そういうことにしよう」
「じゃ、入院。キンキンさん、一般病棟へよろしく!」

Hb 12.0g/dlで問題なく思えるが、急な出血の場合あまりすぐには数値上に反映されない
ことあり。要注意。

「アイシーユーカラ、カンジャオトナシクナッタッテ!」
 キンキンはかなりヒステリーづいている。
「じゃ、また行ってくる」
 幸い、三井先生が外来を対応してくれている。

 ICU/CCUでは・・・例の患者は眠っているようだ。そこまで効くとは・・。
角さんがガッツポーズしている。
「角さん、じゃあサーフロー・・あ、僕が持ってる」
「そんなのポケットに入れるー?」
「じゃ、本体は・・あるね」
 角さんがベッドサイドでエア抜きしていた、そのとき・・・

 患者はカッと両目を見開き、思いっきりパンチを腹部に喰らわせた。
「ふんっ!」
「ぎゃああ!」
 角さんはバネのようにのけぞった。
「おい、寝たふりしてるだけじゃないか?」
 角さんはなんとか立ち上がった。
「アタP、効いてないじゃない!」
「じゃ、セレネースで・・!」
「あたしもうイヤ!先生がやって!」
「時間がないな。するから、貸して!」
 患者は角さんの腕をとらえ、抱きついてきた。
「いやああ!」
 すかさず注射が打ち込まれた。

「じゃ。ほかには?」
「はいっ!」
 色の白い新人が手を上げた。
「DCMの患者さん」
「ああ、この人」
「尿がかなり出すぎて眠れないって」
「利尿剤の指示は・・」
「芝先生の指示では、6時間ごとなんです」
「バルーンは入ってるんじゃあ・・」
「抜いたのにまだそんな指示が出ていて・・」
「内服に変えよう。尿量指示は・・これでよし」
「よかった!先生で!」
「なぜに?」
「先生だと言いやすくって」
「あ、そう・・」
「あたし先生の大ファンだったんですー」
「は、はあ?そ、それは・・・」
「本田さんと仲よさそうだったからー、ちょっぴり悔しかったりしてー」
「ああ、はあ・・じゃあ」
「はい・・・」

 ・・・・まあまあ可愛い子だったな。なんか損した・・。

 救急外来はごった返していた。夕方のようだが患者の勢いはとどまるところを知らない。

喀血の患者の胸部CTでは右上肺の腫瘤像と出血像。
村中先生は困惑していた。
「家族がかかりつけ医に連絡したら、Tbcの治療中断してたんだってね」
「そうなのか。本人も教えてくれたらよかったのに・・」
「また入院するのがイヤだったんだろね」
「じゃ、決まりだ。結核病棟のあるところへ搬送だ」

 あとは事務任せ。キンキンも声がかすれ気味だ。
「血圧高かった患者さん、落ち着きましたので、帰ります」
「ああ・・頼む」
 三井先生は何度も顔をさすっていた。
「あー、しんどいしんどい!外来、代わってくれるか?」

 夜中の1時。残った患者は僕が呼ぶことにした。
イスに座った途端、めまいがした。悪寒もする。全身に力が入りにくい。
緊張が長らく走っていたのが取れてしまうと、一気に症状が増悪してきた。

「つ・・・つぎの・・人・・ゴホゴホ」
 カルテにざっと目を通すと、主訴的には緊急性はなさそうだ。
 
 事務が走ってきた。
「きょきょ、胸痛・呼吸困難が来ます!46歳男性!」
 三井先生がまた戻ってきた。
「外来、やっぱ僕がやるよ!救急、診てちょうだい!」
 村中先生はナート中だ。
「そうですね・・・そうします」
 どうやら心不全の患者っぽい。

 即、救急車は到着した。寒気が強く、外には出ず部屋で待つことにした。
だが体が少し震え始めた。鼻水も出始めたようだ。

 救急隊は凄い勢いで扉を開け、一目散に駆け込んだ。
「心肺停止状態!アンビュー10リットル!酸素、つないでください!」
 キンキンが焦りながら酸素をつなぎかえる。
 僕はハッと我に返った。
「キンキン!挿管の用意は?」
「まさかこんな状態なんて知らなかったから・・・」
「手伝ってくれ!」
 喉頭鏡とチューブを取り出した。そのまま挿管しようとした。
キンキンが慌ててやってきた。
「先生!スタイレット、チューブに通さないと!」
「?・・ああ、そうだったな・・・ゲホッ!」
「大丈夫?」
「吸引じてぐれ!」
「ああ、はいはい!」

 これまたクビの短い患者で、声門が見えない。とりあえず真ん中を狙って、
そのまま挿入・・・。村中先生が音の確認。キンキンが心臓マッサージ。
「ダメだユウキ先生、胃だよ!」
「くそ!ぼう一度・・・」
 指先に力が入らない。適当に押し込んでいるような感覚だ。
「ユウキ先生・・・やっぱり胃だ!僕が代わろうか?」
「くく・・・ずまない」
 彼に代わったところ、一瞬でカタがついた。
「村中・・・先生、どうも。キンキン、ルートがらボずミンを・・」

 振り返った途端、僕はそのままよろめいた。何歩かつまずきながら、壁にそのまま体が叩きつけられた。手が放せないキンキンらはただ見てるしかなかった。

「キャアーーーーー!」

 僕はそのまま部屋の隅にズルズルと・・倒れこんでしまった。

<つづく>
三井先生が診察室で腹部CTをマイペースで見ている。
「ふん・・・ふん・・・」
僕は貯まった外来を診ようとした。
「ふん・・・ああ、すまない。どくよ」
「結石・・ありましたか?」
「石は見当たらんが、片方の腎がヒドロになってる」
「尿管にあるんですかね」
「そんなの言われんでも分かってるわい。もうすぐDIPするとこだ。オイ、ナース!検尿は?けんにょうけんにょう!」

 ダメだ、このままじゃ片付かない。僕はまとめて呼ぶことにした。
「田中さん、こちらへ。秋元さんと渡辺さんは、すぐ後ろで」
 田中さんから。25歳男性。
「胃が痛い」
「胃・・・どこです?」
「胃ってここやろ。みぞおち」
「ああ・・・十二指腸かもね。若いし」
「ずっと痛い。この痛いのなんとかして」
「酒はよく飲む?薬は何か?どんなとき痛い?」
「ちょ、ちょっと待ってえな。聖徳太子やあるまいし」
「あ、どうも」
「酒はよく飲む。けどクスリはやってない」
「く、クスリってその・・・」
「食っても食わんでも痛い」
「そうだな。腹部レントゲンと採血・・」
「とりあえず薬ちょうだいや」
「時間ないの?」
「もうこれ以上待たされたくないんや」
「あ、そ・・・ガスター・セルベックス、と・・・」

次、「めまい」という紙を持ってお婆さんが入ってきた。
「めまいはどっち?グラグラするほう?グルグル回るほう?」
「あたしゃ耳が遠いもんで・・・」
「・・・キンキン!」
 キンキンが大きく深吸気。
「グラグラユレルンデスカ、ソレトモグルグルマワルンデスカ!」
「ありがとう、キンキン・・・で?」
「かわいらしい看護婦さんじゃな」
「・・・あのなあ」
「ずーっと朝から座ってテレビ見てたら、なんかこう、立ちくらみがするんよねえ」
「?座ってて・・立ちくらみ?」
「2年前から・・・」
「・・・・・」
 もうその間にバイタルを確認。血圧正常。脈も徐脈じゃないし、不整もない。結膜も貧血ナシといえる。
「メイロンでもして帰りましょう・・・」

カルテ、書くか。
「えーっと、今診たのが、秋元さんだよね・・あれ、違う!」

 さっきの婆さん・・・割り込んできたんだ・・・。

「秋元やけど。まだなんかいな!」
 55歳男性は大汗で入ってきた。
「ど、どうぞ。咳・痰ですか。熱がありそうですね。何度・・」
「熱はない」
「は?」
「熱はない!」
「いちおう測りましょうよ」
「体温計は要らん。さ、点滴大きなの1本ぶちかまして、一気に直したってえな!」
「既往に・・アルコール性肝障害」
「酒は減らした!」
「SpO2 94%。少し低いですねえ」
「なんや?死ぬんか?」
「え?ではないです」
「先生。ハッキリ言うておくれよ。何も隠さんと!」
「そういう前に、検査させてください」
「またにするわ。とりあえず点滴を!」
「肺炎があるかどうか・・」
 カルテをたどると、この人は何回か肺炎で入院している。肺気腫ではないが・・
慢性気管支炎といったところか。菌はインフルエンザ桿菌。
「院長はいないのか?」
「いません」
「院長やったら、こんなの触っただけで治してくれるぞ!うちの親戚のじいさんは、
もともと肺に影があったが」
「・・・・・」
「あんたんとこの院長に脈触ってもろて写真とったとたん!ああっ!」
「・・・・・」
「影が消えたんねや!」
「・・・・・ポタコール500に、抗生剤はファーストシン・・・キンキン!向こうの部屋まで、頼む!」
 キンキンはまた深吸気を始めた。
「デハアチラデ、テンテキシマスノデ!」
 僕は至近距離で被曝した。
「うわ!そんな大きな声だすな!」

 知らない間に後ろでは村中がDOAらしき患者の心臓マッサージ中。
ひたすら押し続けているが、モニターは反応ないようだ。アンビューを押しているのは三井先生だ。
「ユウキ先生、終わったんなら代わってくれ!」
 三井先生がアンビューの手を放した。
「おおっと!」
 僕は寸で受け止めた。
「村中先生。DOAかい?」
「CPAだよ」
「同じだろ?」
「用水路に自転車ごと落ちていたらしい。それに近所の人が気づいて・・」
「じゃあ時間がどれくらい経ったのかは・・」
「ああ!救急隊員が!マッサージしながら!運んできた!最初は脈!わずかに!あったらしいよ」
「でも今は対向反射、反応はないな・・・完全に散瞳だ」
「僕が!死亡診断書!書くんだけど!警察も!来るらしい!イヤだなあ。あ、今の・・折れた?」
「さ、さあ・・・」

 三井先生はDIPの写真を見ている。
「そうだろ、やっぱ左の尿管結石だ!見ろ!1時間後の写真ではもう流れている!」
 確かに造影間もない写真では、左尿管が途絶、その上流は拡張している。
「よおし!患者をこっちへ!村中先生、もう1時間もなるだろう?もう止めよう。家族呼んで」
「そうですね・・・」
 村中先生は汗を拭き、家族を呼び説明にかかった。警察も大勢入ってきた。

 僕は熱感でふしぶしが痛い。

 僕は貯まったカルテの処理だ。キンキンが数えている。
「全部で34冊。血圧高い47歳女性から」

 しかしそこでさらに中断が入った。ICU/CCUからの電話だ。キンキンが受けた。
「もしもし?・・・・こっちは手一杯!・・・・でも・・・あ、そうですか」
 キンキンは怪訝悪そうに僕へ受話器を渡した。

「ユウキです。角さん?IVHが抜けた?不穏で?抑制は・・してたけど?」
 どうやら入れなおしを迫ってるようだ。
「救急外来、大変なんだよ!末梢の血管でとりあえず・・・ない?無理?」
 こんなとき、本田さんがいてくれたら・・・。
「点滴の内容は・・・カテコラミン製剤・・・あるのか」
 ならば点滴中断はできない。

 周りを見回したが、村中先生は警察から尋問中。三井先生は患者に説明中。
「キンキン、悪いが・・」
「ダメよ!」
「どうしても処置を・・」
「彼女、いないわよ」
「そんなの関係なしでだよ!そうだ。他の先生いないかな?」
「医局は誰もいません!事務に呼んでもらいますか?」
「学会に行ってない、循環器か外科のドクターを!」

 僕は救急の診察に戻った。高血圧の女性が入る。
「家で測ったら220/160mmHgもあってね!それで・・・」
「こっちのベッドへ行きましょう!」
 長い話を聞いてる暇はない。
「アダラートカプセルを・・・」
「先生、最近それって使わないんでしょう?」
 キンキンが指摘してはくれるが。
「どうしても使わざるを得ないときもある・・・」

 救急車が到着。村中先生が走っていく。
「ユウキ先生、吐血が着いた!」
「僕はこれから喀血だ!」
 双方とも口から血が出るわけだが、咳とともに出るのが喀血のほうだ。
52歳の痩せ型男性。いかにも肺気腫だ。ティッシュを何枚も持っている。

「こんな血が出てね。コフ、コフ」
 咳き込むたびに血液が流れ出てくる。
「初診ですね。これまでの既往は・・・」
「いや・・病院嫌いでね、わしは」
「今から検査を。SpO2は・・・92%。低いな」

 結核・肺癌からの出血でなければいいが・・。だが可能性は高そうだ。

吐血の患者は65歳男性。太めで顔が黒ずんでおり、酒飲みの印象を受ける。
バリックスか。村中先生が内視鏡で確認するつもりのようだ。じゃあ、任せるとして・・。

事務員が入ってきた。
「じゅじゅじゅ・・・・」
「何だよ、落ち着いて話してくれ!」
「循環、循環器のてんていも、げげげ、外科のせせせんせいも、つかかまりません」


「60代男性。高所から転倒して、胸部を強く打ちました。1時間前」
マイルドな救急隊員は僕へ申し送り続けた。後ろでは別の隊員が叫ぶ。

「14歳女性!突然の頭痛!」
じゅ、14歳?中学生か?救急隊員は少し気まずそうだった。
「スミマセン・・・今日は学会などが重なってまして。小児救急のとこも手薄なんです」

さらにその後ろには母親らしき人物。かなり慌てている。
「入らないでください!」
と言う救急隊員を振り払って、教育ママっぽい母親が入ってきた。
「先生!この子の病名は?」
「これから診るとこなので」
「重いんですか?」
「出てください」
「脳の病気は?」

キンキンが得意の追い出しにかかった。
「シンリョオオノージャマニナリマスノデーーーー!」

「32歳男性!右背部痛!」
 その患者はなんとか歩行できていた。
「俺が見よう、その患者!」
 すかさず三井先生がその患者を捕まえた。
「ささ、こっちへ!」

 尿路結石とかが浮かんだのか、余裕のポーズで挑んでいる。

胸部打撲は村中が診察中。ということは・・・。

それにしてもあのドモリ事務員・・・搬入前の情報が違いすぎる。

横になった女の子に話しかけた。
「頭、痛い?」
「だから来たのよ!」
 そう答えたのは、知らない間に戻ってきた母親だった。
「本人に聞いてるんですよ」
「私はこの子の母親ですからっ!」
「みれいちゃん、っていうのか。頭のどこらへんが・・」
「みれいの『み』は、美しい、の『み』!」
「黙っててください!キンキン!頼む!」

 しかしキンキンは採血・点滴処置にかかっている。

「瞳孔は・・・問題ないな。バイタルも・・・」
「どうですか?どうですか?」

 こんな母親は必要なとき以外は、無視。ペースを乱されるな。
フォースを使え。

「項部硬直、ケルニッヒも陰性・・お母さん」
「ハイッ!」
「最近、風邪気味だったとか・・・」
「いや、何もなかった。ふつうやった!でもよく怒ってた」
「怒ってた?」
「私に。やれ話がくどいだの、うっとうしいだの・・・!」

 この母親だからな。それは分かるような気がする・・・。

「頭のCTを撮ります。採血も。点滴も一応」
「脳炎とか髄膜炎では?」
 証拠がそろってないときのムンテラは無理がある。
「お待ちを」

机には鬼のようにカルテが山積み。ほとんどが初診だ。
他の2人は対応に追われているため、僕が座った。
そうか。僕が呼ばなければ・・。

廊下の方を見ると、もう、人、人・・・人の山。

「杉本さーん!」
40代の男性はすぐそこに座っていた。
「ここや」

「どうされました?」
「そこに書いとるがな」
「あ・・・・すんません。脈がとぶ?」
「今はそうでもない」
「は・・・」
「今はちがうんや。でもさっきはとんでた」
「脈、みてますが・・・規則的ですね」
「なんか点滴してえな」
「今の時点で、薬は・・・」
「してえな!って言うてんのじゃ!」
「・・・キンキン!5%TZ 200ml。終わったら帰宅でいい」
キンキンは驚いた。
「(え?それだけ・・・?)」
 患者は満足げだった。
「おおっしゃああ!点滴やテンテキやあ!」

 次、39度の熱発。20代女性。風邪っぽい。
こういうのは僕にとって一種の休息時間だ。
「リンパ腺、喉はかなり腫れてますね」
 ペンライトを消し、胸の聴診をしようとした。
が・・・・彼女のガードが固すぎて・・・みぞおちから上は診察不可能。
「じゃ、いいやこれで。おいこれ!処方!」

 40代喘息発作の男性。
「熱もありますね・・・37.8度」
「喘息やなくて、風邪かいな」
「もともと喘息ある、と書いてますね」
「ああ」
「治療したことがあるわけですね」
「ああ。スプレーな。親戚からもらっとった」
「親戚?」
「おうそうや」
「じゃあ、病院で診断を受けたわけでは・・・」
「わしがそう診断したわけや」

 あきれた・・・。だが喘鳴はある。今回は
急性気管支炎か、喘息の感染による増悪、といったところか。
無難に抗生剤はじめ感冒関連の処方と、喘息の処方。
「これで。また平日に来て」

「そこ、座ってもいいかな?」
 余裕の三井先生が見下ろしていた。
「ええ、どうぞ」
「さっきのは尿管結石かな。エコーではよく分からなかった。看護婦さんよ!検尿は?」

 キンキンはまた搬入される救急の迎えに出かけようとしていた。
「痛くてそれどころではないそうでーす!」
「ブスコパンは注射したのか!」
「しましたよ!とっくに!」
「検尿!はやく!急いで!それとCT!DIPも!忙しいよ!ふふ・・・はっはは・・・!」

村中は写真を持ってきた。10枚はある。
「胸の打撲と聞いたが、他も打ってるかもしれないと思って」
彼は写真を次々にシャーカステンに吊るした。

「村中先生、この写真は・・・手?」
「手、肘、膝。被曝を最小限にするために両手・両足同時に撮ってある」
「そ、そうだけど・・」

 こいつもどうやら危ないな。

「で、メインの肋骨。胸骨2方向。骨折は見当たらない」
「胸部は?」
「え?」
「胸部単純だよ。気胸になってないか・・・できればCTも」
「それは君の専門だったね!じゃあバトンタッチで」
「おい!」

 声が少しかすれ気味で、彼には届かなかった。

 キンキンが僕を新患の救急患者へ引っ張った。救急隊員が待ってる。
「よろしいですか。84歳女性。2週間何も食べてないそうです」
「なんだそれ?食欲が?」
「どうやら家でほったらかされてたようで」
「同居人は?」
「1人暮らしです。近所の人が不審に思ってドアをこじ開けたそうです」
「近所の人も、やるな・・・」
「家族はいないようです!では!」
「しかしこれは・・・脱水を通り越して、衰弱だ。キンキン、一般病棟へ。検査には目を通すけど、入院」
「クレーム来ますよ」

僕の置きみやげ、ってことで・・・

 小杉が頭部CTをヒラヒラさせながらやってきた。
「はいよ!もうパンク寸前!もう1人、応援呼んじゃったー!」
「異常は・・ないな」
「ていうか、出血がないってことでしょ、断言できるのは」
「採血も戻ってるが、これも異常ない・・・」
「あんだけ痛がってるのに。ヘンな頭痛・・・」
「・・今、何と?」
「え?なんと?南斗・すいちょうけん?」

 アホか、こいつは。

「そうか。片頭痛ね・・・おかあさん!」
 母親はすでに入室していた。
「はい?」
「私の印象では片頭痛の可能性もあると・・」
「はああ!やはりそうでしたか!」
「いや、そう確定したわけでは」
「え?では何ですか!」
「休日でもありますから、今日は入院・・・」
「しょ、小児科の先生は?表の看板に『小児科』とあるのに!」
「うちの救急外来の場合、小児科医を呼ぶ制度になってなくて・・」
「それはおかしい!院長先生に連絡を取って!」
 その声は待合室にもこだまし、皆の注目の的になった。

「・・・では・・・小児救急の受け入れ可能な病院を探してもらいます」
「そりゃそうよ!急いで!」

 このまま関わると、トラブルになる。

 僕は歯を喰いしばって搬送の手続きをした。

 救急車がさらに2台、到着してくるようだ。

 アラモの砦とは、このことだ。

<つづく>
朝の9時前、救急外来は静寂に包まれている。30代の事務員がやってくる。
「ああ先生方、朝早くからどうも、ああ、ありがとうござ、ざいます」

僕と一般内科で年配の三井先生、外科でほぼ同級の村中先生の3人は、ヒマそうに
空きベッドに座って待機していた。

「じじ、自分は始めてこういうのを任されましてて・・てて」

気難しい三井先生はまだ機嫌が良かった。
「リラックス、リラックス!利尿にはラシックス!」
誰も反応しなかった。

村中先生がこちらへ声をかけた。
「お疲れのようだね。脱水でもあるんじゃないの?」
「・・・なんとか」
確かに口渇、乏尿もある。発熱は・・・測りたくない。もし熱があったら弱気になる。
患者には勧めるくせにな・・・。

なんにせよ・・・レジデントが病気になるって、絵になるのはドラマの中、視聴者の頭だけだ。

ナースはキンキンが担当。
「よろしくお願いします。ユウキ先生、久しぶりね」
「あ、ああ」
「大丈夫?目が真っ赤」
「引越しでね」
「どこへ行くの?」
「大学病院ってことだけど。でも実は正式に聞いてなくてね」
「それ、いいの?」
「僕も、めんどくさくて問い合わせなかった。山ちゃんも何も言わないし」
「今までの先生たちは・・・」
「これまでのレジデント?」
「うん。あの人たち、遠いとこ行ったよー」
「そうだ。聞きたかったんだよ。もう話してくれていいだろ。彼ら・・何があったんだ?半年でクビになった理由」
「・・・・・」
「いじめ?それなら僕がなぜ、これまで1年居れたのが不思議だ。何故に?」
「(こっち来て)」

隣の物品倉庫まで連れて行かれた。キンキンなら緊張もしなかった。

「さあ、教えてくれよ。もうあと数分で9時だし。救急の電話が鳴りまくる!」
「誰にも言わない?」
「言うもんか!」

天然っぽいキンキンの表情が、いきなり大人っぽいものに変わった。

「みんなあの女に手を出したの。自業自得よ」

「あの女?手を出した?」
「ホラあ、先生と仲の良かった本田よ。ホンダ!」
 呼びつけか。
「みんな・・・手を出したって?」
「まー男の人はああいう目のクリッとした可愛いのが好きなんでしょうけど!
結局、どのドクターも彼女の言いなり」
「待てよ。僕は言いなりには・・」
「ICU/CCUの管理は全部、彼女が裏で仕切ってたのよ」
「ドクターを調教してか?」
「先生もそうなりかけてなかった?」
「そ、そういや・・・」
 僕はまさにその典型だった。
「しかし、手を出したからといって、転勤までは・・」

 だが実際そういうスキャンダルで転勤を余儀なくされた医師・ナースの噂はどこの病院でも聞く。

「手を出した相手が悪かったのよ」
「相手?本田さん?」
「もうアホ!その相手のオトコ!」
「・・・ヤクザかなんか?」
「・・・察しがつくでしょ!」
「僕の・・・・」

 時計は9時を指した。

「僕の、知ってる人間?」

 9時になったとたん、あちこちの電話が鳴り始めた。
三井先生がベッドから飛び起きた。
「来たぞ!」
村中先生も白衣を再び羽織りはじめた。

3人とも自分の持ち物を確認していった。
ナースは救急カートなどを。

ペンライト、聴診器、打腱器、手帳、ディバイダー、ペン、テープ、袋・・・。
ミオコールスプレー、ニトロダーム、翼状針、サーフロー・・・。
身近に置いておきたい物は、全て身に着けた。

村中先生がこちらをみて感心していた。
「その手帳、分厚いね・・・全部書き込んでるんですか」
言葉にまだ少し遠慮があるようだ。
「これまでメモしたこと、オーベンの印象に残った言葉・・・とかね」

 彼はそれを手に取った。

「カテコラミンのガンマ計算、点滴の組み合わせ・・・すごいな。これ」
「裏表紙はオーベンのサイン付きだよ」
「それは要らないな。これ、コピーしていい?」
「ダメだ!」

 知られたくない情報も入ってる。

「そういやユウキ先生、半年ICU/CCUを?」
「もうやらないよ」
「この前はうちの上司が迷惑を・・」
「ああ、あれ?僕もまさか・・写真が逆とはね。僕でもしたことがない」
「管が3本も入って・・・。でも患者は助かりそうだね」
「ウイニング中だよ」

事務が走ってきた。

「ハアハアハア・・・きゅ、救急車、3台!同時にきまつ!ハアハア」

救急カートの物品の確認を終えたキンキンの動作が固まった。
「3台・・・どんなのが?」
「ハアハア・・・意識障害、マヒ・・・・あとは、あと・・・」
 三井先生がイライラし始めた。
「年齢は?」
「ハアハア・・・」
「バカモン!ちゃんと聞いておかないか!」
「ハアハア・・聞きましょうか、もうイチロ・・・ハアハア」

みんな一瞬、耳を澄ました。

明け空に落書きをするように、救急車のサイレンが干渉している。強弱をつけながら、
こちらへ向っているのだ。

三井先生がハッとなり、診察の机を見廻した。
「おい、『今日の治療薬』は?」
どうやらお目当ての本がないようだ。
「俺が救急の時は、いつもあるのに・・・」

僕と村中はお互い呆れた顔で向かい合い、それぞれポケット式治療薬品集を覗かせた。

「いつもあるのに、なかったら、おいおい・・・」
三井先生はもうパニックとなり、引き出しを1つずつ開け始めた。
「あれがなきゃダメなんだ、ダメなんだ・・・」

大丈夫なのか、この先生。

「おい本!本は?仕方ない。医局から誰かのを・・」
キンキンがとどめた。
「先生、ダメ!もう3台来るのよ!そんなヒマない!」
「うぅ・・・」

事務は電話がジャンジャン鳴っている。知らない間に受付にも人が集まりだした。

廊下側の入り口では相変わらず小杉がオーダーを待つ。伸びをしている。

僕は一瞬、本田さんへの怒りと、遠距離の彼女への思いが浮かんだ。
しかしそんなものはサイレンでかき消されてしまった。

僕と村中は互いに頷き、一斉に外へ飛び出した。

「最後の戦いだ!」

< つづく>
久しぶりに、僕は家に帰った。

引越しの準備もしなくてはならないのに、部屋は相変わらず散らかっている。

風呂場やトイレは、例の彼女がキレイに片付けてくれていた。

明日はいよいよ24時間の年度末当直だ。おそらく今までで最もハードなものになるだろう。

それが終わったら大学へ向けて引越し。不動産とのやり取りは電話で済ませた。またボロアパート
に住む。今日のうちにでもダンボール箱に全て入れたりする作業をやらないと。

この1年で貯金が200万は貯まった。それだけは有り難い。しかし車は廃車寸前。
不規則な生活でコレステロール値が上昇。患者に食事指導する資格はない。

結局1年間読んでなかった本を見廻し、ため息をついた。
「・・・・・何、こんなの大事そうに持ってるんだろう・・・オレ」

1冊ずつ、ダンボール箱へ。1冊ずつ、1冊ずつ・・・。いきなり僕の手は止まった。
「くそっ!」
それらの本はダンボール箱ごと、ひっくり返された。
「学会がなんだ!書籍が・・なんだ!」
一番重い『新臨床内科学』がズドンと床に落ちた。

僕は無言でそれらをゴミ袋に入れだした。本が重く・硬いので、ゴミ袋はすぐ破れる。
だから袋を2重にした。

「今は・・・要らない。こんなの、いらない!」
月日が経てば、次の版が出るので買いなおせばいい。そんな安易な考えもあった。
そのとき持っていた『今日の治療薬』は1990年度版で、もはや『今日』ではない。
『最新処方』も『旧式処方』となっていた。内科学会雑誌の場合は、来るべき
認定医試験に備えてのトレーニング問題・・のところだけ破って、あとは捨てた。

国家試験の際に使った参考書も・・・小児科・産婦人科のも大事に置いていたが・・
これらも古くなってしまった。捨てる。

またたく間に、ゴミ袋が20ほど出来上がった。ダンボールには服や必需品が入っている。

机の引き出しをあけると、小さな箱が出てきた。片手で持ったら簡単に床に落ち、中の写真が
バラバラ出てきた。
「この写真は・・・・・」
 例の遠距離の彼女との写真だ。旅行先で撮った写真、働いて間もないときの写真。
それらを時系列に並べてみた。
 最初の写真というのはお互い遠慮があって、表情も作ったりしているものが多い。だけど・・・
時が経つにつれて、そんな説明は要らないものになっていく。あくまでも自然そのもの。
関係が自然になると、写真はもう写真でなく、その目撃者でしかない。

 僕らは自然だったはずなのに、何がそれを壊したのか。

 待てよ。果たして僕は、自然だったか?昔のように、ありのままだったのか?

 弱さを見せないことで、自分の自尊心を守ってきただけなのだろうか。そしてこれからも・・・。


 携帯が鳴った。これは・・・
「もしもし」
「あ、あたしあたし」
「本田さん?」
「今も体調が悪くて」
「ここ最近、ほとんど休んでない?」
「ううん、でも元気。もう転勤でしょう、先生。最後の挨拶をと思って」
「最後?何だよそれ?今度近いうち、どっかで話でもできたら・・・」
「まあ、書いた通りなのよ」
「?」
「あまり深く考えないで」
「なに?書いたって・・・?何に?」
「え?もらってない?」
「だから、何をだよ?」
「角ちゃんに渡したのに」
 僕は思い出した。そういや先日・・・。

「もらったもらった。白衣の中だ」
「うっそー。最低」
「今から医局へ戻って・・・」
「今日は寝ないとダメよ!」
「気になるだろ!」
「頑張って!」
「待てよ!そうだ!君の番号を・・・」
「そんなの、教えても・・」
「そうかい。わかったよ。もう心配するか!」
 僕はペンを放り投げた。
「先生はもうかけてこないよ」
「冷たい女!もう切る!」
 僕は電話を切った。シーンとあたりは静まり返り・・・またかかってくることもなかった。

 確かに僕は怒りっぽくなっただけでなく・・・人間的に非道になってきた。

「どうせ手紙には、『ゴメンなさい』、だけだろ!」
 そう言って、電気に手も伸ばさず僕はフテ寝した。



 結局いろいろ考えながらで夜は寝れず、そのまま朝を迎えてしまった。

救急の時間帯は食事がろくに取れないため、コンビニで朝食を購入、飲み物もまとめて買った。
朝の6時、まだ外は暗い。数日後に手放す愛車に乗って、近所のコンビニへ。

車は走るたびガクガクと妙な音をたて、ブレーキの利きも悪く、修理代を考慮して廃車の扱い
となっている。大学へ戻ったら近所に住む予定なので、車もしばらくなくていい。バイトは電車での
乗り継ぎ出来るところを考慮してもらおう。

弁当を食べ終わる頃、ふと医局の手紙が気になった。

車を玄関前に止め、そのまま医局へ。机にはもう荷物はない。ダンボールがあるだけ。
僕の白衣に・・・たしかに1通、入っている。
中身は薄い。取り出すと1枚、数行の手紙。あまり期待しないようにした。

『体調が悪いのでしばらくの間、休みます』

それで・・?

『先生の気持ちはうれしいです。あたしも同じかもしれません』

うそ・・・だったら・・・。

『でも先生は彼女を大切にして欲しいし。先生を想い続けた人だし。私も・・・』

なんだ?なんなんだ?

『私も考え直すことがあって、私を想い続けてくれた彼のもとへ戻るつもりです』

・・・・・・・

『先生のおかげです。ありがとう。本田 路』

・・・・・・・

医局の窓、外に見える海がだんだん明るくなっている。波は穏やかだ。
今日が救急日だとは思えないような静けさ。なんとか僕は平静を取り戻そうと
した。しかし・・・・しかし・・・・。

「ふざけやがって!」
僕は手紙を丸め、また開き、粉々に破り捨てた。
「最後にこれはないだろ!」
そこらにあるゴミ箱を蹴りまくった。

「もういやだ!もう!出て行きたい!辞める!」
脳裏に松田先生の病院のことが浮かんだ。
だがそれで何が生まれ変わるというのか。

トイレで何度も吐き気をもよおし、脱力と倦怠感に襲われた。
だが現実は容赦なく迫ってくる・・・。


救急診療開始まで、あと1時間を切った。


これが終われば、僕のレジデント生活は終止符を打つ。


<つづく>
 内心、焦った。だが声門が見えない。2重に焦った。

「どこなんだ?気管は?」
 ナースがモニターを装着。澤田先生はボスミン静注などの指示。

 とたん、本田さんが気管支鏡と台を持ってきた。
「先生、これを!」
「おおっ!」
 本田さんが素早くセッティングを始めた。狭山ナースがうろつき始めた。
「アンタはどいて!」
 本田さんは狭山ナースを追い出し、チューブに気管支鏡を通した。
「澤田先生!気管支鏡はできないでしょ!こっちでやらせてもらう!」
「ああ、専門にしてもらわないとね・・・」
「だったら!それ以外の管理をしてよ!」

 僕は気管支鏡をチューブごと挿入、気管周囲の血痰を取り除いていった。
モニターは・・・40台の徐脈。SpO2は・・・測定不能。

「見えた!入ります!」
 気管へ突入。奥からドロドロ出血あり。本田さんはすぐ間近で酸素の準備。
彼女は僕の耳元でささやくように促した。

「肺を刺したの?」
「ああ。僕じゃないぞ」
「分かってる。じゃあ、片方の肺を守らないとね」
「ああ・・・な、なるほど」

 そうだ。左の肺からの出血が右に入らないようにしないと。ここは・・・
「片肺挿管だ」
 チューブを右の主気管支へ入れた。

 バイタルは次第に安定してきた。

救急外来を出る寸前、本田さんは捨て台詞を残した。
「澤田先生。右と左はわかってんの?」

 ハッとした澤田先生と小杉がレントゲンを見つめ、小杉はそろーっと裏返しにした。
写真を逆につっていたのだ。それでそのままドレーンを反対側に刺した。これは問題だ。

アンビューしながらICU/CCUへ。
「呼吸器はいつでもオッケーよ」
「ありがとう・・・」
「先生のいつも言ってた・・・フォースが役に立った?ああいうふうに聞こえるの?」
「フォース・・・?ああ、聞こえたな。久しぶりに」
「でも先生、彼女連れてたわね」
「え?いや、あれは・・・」
「ちょっとショックだったな・・・」
「え?」
「あとでまた会うんでしょ?」

 フォースなどもうそっちのけだった。今は彼女しか頭にない。

「いや、まだここにおる!」


 平日。また単調な日々が続く。

だがもう僕の勤務もあと1ヶ月と迫った。
医局からの正式な転勤先の発表は・・まだない。

 ICUに先日入った気胸→血胸の患者はバイタルも安定し、抜管寸前だった。
僕は管を抜きにかかっていた。
「じゃ、痰を。角さん」
「はいよ」
 チューブはゆっくり抜かれた。
 
 気胸を起こした右側の肺にはまだドレーンが入っている。
「エアリークはほとんどないようですが・・・こちらも抜かれますか?」
「いや・・・今日はよしとく」

 澤田先生・小杉が遠巻きに見ている。
「どうだね?」
「右の肺は膨らみました。左も出血は止まったようです」
「管だらけだね。抜管、ばっかんばっかで」
 小杉がホッとした表情に変わった。
「ホント、イヤン、バッカーン!ってな感じ!」

 みんな無視していた。

カレンダーを見ると、3月終盤に当院の救急当番日、とある。
年に5回廻ってくる当番だ。しかも今回は・・・年度末恒例の内科学会の日にあたる。
当然いたるところの病院の医師が休業に入る。

したがってかなりの数の患者が雪崩れ込んでくる。当番は・・・3人。
一般内科、最近転勤した先生だが20年目の三井先生と、僕とほぼ同級の、外科の村中先生。
村中先生は腸間膜動脈のオペの時に会った。

そして・・・この僕だ。何か嫌な予感がする。

この救急が終われば、僕はこの病院から開放される。

でも本田さんは?打ち明けて、いっしょについてきてもらう?そんなバカな。できっこない。
だがあのとき、「ちょっとショックだったな」なんて。やっぱ脈ありじゃないのか?それとも高安病か?

いきなり山城先生が入ってきた。どうやら僕に用事があるようだ。
「ユウキ!」
どうやらお褒めの言葉ではないようだ。

「あれだけ緊急の処置には携わるなと言っただろうが!」
「・・・・・ですから澤田先生が」
「でもお前が関わって、ドレーン入れようってことになったんだろ!」
「先生、状況の把握を・・・」
「あんなのだったら休日に処置なんかせず、とりあえずICUに入れたらいいだろが!」
「重症度はCTも見てから・・」
「澤田先生がICUでお願い、って言ったんだろ?ならお前はそれに従え!」
「でも先生、右と左を間違えたのは・・・」
「刺した人間だけじゃない!お前も見誤っていた!連帯責任だ!」
「そんな!ムチャクチャですよ!」

 僕は近くにいるはずの本田さんをチラッと見た。助けてくれよ、いつものように・・・。

 だが本田さんは知らん顔だ。歯を食いしばってるようにも見えるが。

 なぜ・・・?

「どうもその反抗的な態度は変わらないようだな」
「・・・・・」
「どうやら大学へ戻る方向で医局は検討しているらしい」
「ホントですか・・・」
「だが、わしの一声で、外来の問診係および院生のお手伝い係、にもなれるぞ」
「・・・・・」
「とにかく、面倒を起こすな!」

だったら年度末、救急当番に僕を組み入れるなって。

本田さんがやってきた。
「先生、もう勤務終わっちゃうのね・・・」
 それでさっき、落ち込んでたのか?
「?ああ、そうなんだ・・・じゃ、COPDの患者の挿管チューブ入れ換えを」
「どうするの・・?」
「何を?」
「遠距離恋愛を続けるの?」
「いや、もう・・・疲れた」
「じゃあその、残された彼女はどうなるの?はい、チューブ」
「どうも・・・痰、引いて」
「捨てられたら・・・あたしだったら、もう生きてゆけない」
「そうかな・・・・・あ、口の中も」
「はい。先生のそんな話聞いたりして、あたし、ちょっと考えた・・・」
「はい、チューブ、入った。カフを・・・はい、終わり。テープ、止めといて」
「・・・・・」

控え室へ入っていった。
「考えたって・・・?な、何・・・・?」
 僕はドキドキしながら返事を待った。彼女の目は真っ赤だった。
「あたしももう、疲れてしまって・・・」

 彼女はドタッ、と片手を台についたが、そのままズルッ、とバランスを崩した。
「あ、危な・・・!」
 彼女がちょうど僕のほうへ寄りかかるようになり、斜め後ろから抱きついた形になった。
僕はすぐに両手を離さねばならなかった。

「あ、ゴメン・・・!」
「ん・・・いいよ・・・」

 見つかったらヤバイという気持ちが先走り、僕はパッと手を放した。
「すごく強かったね、力。痛い・・・」
 彼女が自分の両上腕をさすった。

 今、抱きしめた。僕は確かに。心の歴史に残るはずだ。しかし、同時に何かを失うような気がした・・・。

 本田さんは体調を完全に崩し、数日休暇を取ることになった。

    『いいよ』って・・・どういう意味だったの?

 レジデント勤務終了まで、あと2週間。


< つづく >
車は病院の駐車場に止められた。医師公舎まで細い路地を歩く。明かりは少なくゴーストタウンのようだ。

「怖いよ、私」
「大丈夫・・・どうか誰にも見つかりませんように」
「見つかってもいいじゃない」
「遊んでると思われるんだよ」

だが・・・・信じられないが・・・・ちょうど今の時間帯を忘れていた。深夜入りにあたる時間だ。
医師公舎の近くのマンションから、ナースたちがゾロゾロと出てくる。

「しまった・・・・」

暗い路地でも、相手の顔ぐらいは判別できた。病棟のナースがほとんどのようだ。どうか、どうか彼女には
会いませんように・・・。

医師公舎までもうあと1分くらいになった。あれは・・・間違いない。

彼女だ・・・。

すれ違う寸前、本田さんはハッとこちらに気づいた。

「?ああ、おこんばんは」
「あ、こんばんはー」
 かっこ悪く会釈をして、僕は歯を喰いしばった。

 次の日、午前中に顔出ししたが、なんとかいったん家に帰れた。夕方にはもう送っていかないといけない。
昼は出前を取った。

 彼女は乱れた部屋の隙間を見つけてなんとか座っていた。
「よほど忙しいのね」
「え?ああ・・・これ、出前の」
「ありがとう。掃除しようかと思ったけど、勝手に触ったらいけないと思って」
「自分でやるから」
「あたし、仕事大変になってきて。人間関係とかね」
「ああ・・それは誰だってある」
「ユウキみたいに、いいよなー。グループで仕事してて、ICUには配属されて」
「グループ?」
「電話で言ってたじゃない。みんな仲がいいって」

 余計なことを聞かれたくないので、電話ではうまくいってることにしてあった。

「でもあと2ヶ月で転勤なんだよ」
「え?また?」
「レジデントの宿命だ。仕方ないよ」
「ついこの前から働き始めたとこなのに?」
「しょうがない」
「こんなに転々として、大丈夫なの?」
「人事は医局が決めてる!仕方ないだろ!」
「またそうやって怒る・・・。最近、怒りっぽいよ」
 ダメだ。こんな調子じゃ、相談相手とはいえない。

 ピーピーとポケベルが鳴り出した。

「きたな」
「え?またなの?」
「もしもし・・・はいはい・・・・」
 電話を切った。
「気胸が来る。今すぐ」
「重症の?」
「知らないよ、行ってみないと」
「当直医にさせれば?」
「じゃあ君からそう言ってくれよ!」
「あたしはどうしたらいいの?」
「あたしは、あたしは・・・って!僕だって自分のことで精一杯なんだよ!」
「怒ってばっかり・・・」

 僕は駆け足で病院へ飛び込んだ。

救急外来では当直医がカルテを書いている。
「ああ、来た来た」

 なんだ、澤田じゃないか。

「レントゲンこれね。間違いなく気胸でしょう!」
 自慢げに彼はシャーカステンの写真を指差した。
左の肺がレントゲンで一様に4センチほど縮んでいる。
全体の肺の印象からすると・・・。

「COPDでのブラ破裂ですかね」
 多分分かるはずもない澤田先生に横目で話しかけた。
「うん・・・・うん・・・・ま、君の出番だと思ってね」
「CTはどこです?」
「CT?気胸だよ。もう診断ついたんだから、上に上げて処・・・」
「初回の気胸ですか?」
「僕に聞くなよ。さ、あとはよろしく」
「CTで部分的な癒着がないかとか、他に大きいブラがないか確認しておく
必要があるんです」
「ま、僕の分野じゃないから・・・」
「先生。申し訳ないのですが、自分はICU/CCU搬入後の処置の担当でして」
「?」
「こういった救急外来ですべき処置は、その担当の先生にさせるよう言われてまして」
「僕に、しろと?」
「しろというわけではなくて・・」

 担当のナースもそれを理解していた。彼女も黙っていなかった。
「澤田先生。そういうことなんです。ですから私がさきほどお願いしましたように・・・!」
「うるさい!お前になんで言われなくちゃいけないんだ!」

 僕自身、ドレーンは数回入れたこともあるし、決して避けようとしていたわけではない。
しかし院長からの直々の命令なのだ。僕に勝手なことをさせないための厳戒令なわけだが。

「ドレーンぐらい、俺が入れれないとでも?おいナース、ドレーンのサイズは・・・!」
「ここにあります。どれでもどうぞ」

 すでに何本ものドレーンが処置台に並べてある。
「そ、その18Fr!」

 僕はICU/CCUへ連絡した。本田さんがリーダーだ。
「もうすぐ入ると思う。ドレーン入れてもらって、そのあと。うん。じゃあ」

 ナースが介助、50台の患者の胸に布が被せられた。消毒。局所麻酔。
「CT?そんなもんばっかりに頼ってちゃあ・・・」
 澤田先生は怒りがまだ収まっていないようだった。
「俺らの時代は、そんなものなんか、なかったぞ・・・・これ、痛いですかー?」
 軽度の呼吸困難のある患者はO2 3LでSpO2 99%。
「いえ・・・特には」
「はい、じゃあ、看護婦。ドレーン。ゆっくり渡せよ・・・・ゆっくり!あ、バカ!不潔不潔!」
 ナースの手がわずかに手袋に触れたようだ。
「・・・ったく・・・看護婦は、こいつしかいないのか!」

 患者は少し不安になったようで、辺りを見回し始めた。
「動いたらいけないよ!違うとこ刺しちゃうでしょ!」
「は、はい!」
「そのまま!動かない!」

 レントゲンを撮影した小杉が入り口で立っていた。僕を見ていたようだが、僕の視線を
感じるやいなや澤田先生の方を向いた。こいつも気を利かせてCT撮りゃよかったのに・・。

 肋間をモスキートでこじ開け、入り口を確保。エアが出るかの確認もしないつもりか?
それとも少し出て、僕が聞き逃しただけか?
「それ!」
 ドレーンが一瞬、数センチ、ズブッと入った。だが抵抗があるようだ?
「あたたっ!」
 患者が少しのけぞった。澤田先生は体を押さえた。
「まだまだ!じっとして!」
 抵抗に打ち勝つため、澤田先生は両手で先に押し進めようとした。
「固いな、この肺・・・!」

 その瞬間、あえぐ患者の口からズバーーーッと、血煙が吹き上げられた。
「どうしてだ、おい!」
 澤田先生は慌てて周囲の人間に視線を投げかけた。
「きゃあ!」
ナースはあわてて後ずさりした。僕はあわてて患者の横へついた。
「分かりますか?種田さん?分かりますか?」
 患者は両目を見開いたまま、呼吸も停止した状態だ。脈も・・・ない!
「看護婦さん!挿管挿管!」
 ナースはパニクッていた。
「はい?はい?」

 オーベンから教わった対処法を思い出した。
「狭山さん!これだけお願い!」
 大声で狭山さんを釘付けにした。個人名の呼びかけが優先。名詞・目的物はあとだ。
「は、はい!」
「落ち着いて持ってきて!救急カートから、挿管チューブ・アンビュー・喉頭鏡の3つ!」
「は・・・はいはい、ええと、チューブ・・」
「挿管チューブ・アンビュー・喉頭鏡!」

 澤田先生はチューブをあわてて抜こうとかかった。僕は慌てた。言葉を選ぶ余裕はない。
「それは抜くな!」
 澤田先生はビビッて後ずさりした。

 挿管チューブを入れようにも・・・口腔内が出血だらけだ。
「吸引してくれよ!」
 ナースがおそるおそるチューブを入れてくる。
「何やってんだ?ちゃんと取ってくれ!」
「先生、この人・・・HCV陽性・・・」
「だったら何なんだよ!」

 内心、焦った。だが声門が見えない。2重に焦った。

<つ…
 喘息重積発作の患者は明らかな感染を合併することなく、ステロイド減量中の段階であった。
ステロイドの持続点滴は易感染性と高血糖を容易に招くため、1日1回の静注に切り替えたときは
少し肩の荷が降りたようだった。

「プレドニン注、60mg iv、と・・・」
 この指示はもちろん『共診』の先生に確認をしてもらっての内容だった。よほどの救急の時以外、
僕単独の指示は出せれないことになっている。

 それにしても気管支喘息の治療は単純・しかし気長にだ。以前の呼吸器科のオーベン安井先生
からも教わってたが、重症喘息の治療はステロイド、そして安静だ・・・。呼吸筋をも休めろ、ということか。

 土曜日の午前中の外来がもうすぐ終わるはずだ。その後僕は車で新神戸まで走らなければならない。
ここから2時間はかかる・・・。

 しかめっ面で悩んでいたとき、本田さんが現れた。
「あと2床、空いてるからね」
「ああ?」
「今のうちに必要な指示、出しといてよ」

 彼女は未だに素っ気なかった。本来なら今日は彼女らのルーチンの飲み会の日だ。
いつも誘われてる僕にとっては・・・今日お呼びがかかりそうにない。しかしそのほうが都合がよかった。

「本田さん。肝不全の患者は?」
「ビリルビン上がってたわよ、今日の。36mg/dlに増えてた」
「さっき家族の希望を聞いたんだが・・・」
「どうって?」
「もうこれ以上、何もしてくれるなと」
「そうなの?ちゃんとカルテに・・」
「書いたよ」
「呼吸器はつけないってことね?」
「ああ。でも利尿と血圧管理は続ける。家族の方もかなり悩んでたみたいだね・・意見が対立・・・」
「じゃあ、病棟に出すわ」
「え?」
「もうここで管理する意味はないでしょ」
「そ、そうだが。いきなりすぎないか?」
「なぜ?ここは集中治療室よ」
「なんだよ、どうしたんだ?最近、情緒不安定だよ」
「ターミナルはうちらの仕事じゃないわ」
「家族は今かなり落ち込んでるし、その説明は週明けに・・・」
「ダメだって。そんなことしたら、これから助かるかもしれない重症はどうすんの?」
「せめて午後に」
「あたしが説明する」
「待てって!」

 本田さんは衝動的というくらいの勢いで家族のところへ向った。

「本田さん。あとで僕から説明を・・」
「先生はグズグズするからダメ!」
「あまり攻撃的には・・」
「キツイってこと?ねえ?」
 彼女は立ち止まった。
「?」
「キツい性格の奴って、あたしのこと?」

 ふと気づいたが・・先日僕がトイレで携帯話してたときの内容だ。

クソッ、一体誰が・・・。しかしもうどうでもいい!

「みんなそうだろ」
「あっそ。だったらすぐ迎えに行けばいいじゃない」
「だれを?」
「言っていいの?」

 ジリ・・・と彼女が一歩詰め寄った。 
僕は立ちすくんだ。彼女は数歩先の家族のところへ。

 まあいい。もうあと2ヶ月。そしたらまたリセットすればいい。

「おいユウキ。次お前!」

 久しぶりに芝先生が声をかけた。目線は合っていない。
僕の順番だ。いきなり動悸がしてきた。でも脈は速くない。
脈圧が上がったせいのようだ。

 ICU/CCUを出て、4階の院長室へ。
「失礼します」

 中のソファに腰掛けているのは院長ではなかった。
「・・・そこ、座って」
 無機質なメガネの背広男は、いかにも医者という感じの冷淡そうな印象だった。
「早く。そこへ」
「はい・・・失礼します」
「今年度、医局長の小川です」
「ユウキです」
「先生は僕と対面するのは・・」
「初めてです」
「昨年から大学の講師を務めています。呼吸器科です。君は循環器科ですね」
「ええ、そうです」
「呼吸器科の患者も当たってますね」
「はい」
「・・で、どちらへ進みますか?」
「え?」
「今後の転勤のこともありますので。どちらの科を希望されますか?」
「・・・・・できれば両方とか?」
「医局の性質上、それは無理です。どちらかにしてもらいます」
「・・・・・」
「まだどちらもあまり経験がなくて・・」
「ではこちらが決めますので。それで先生」
「はい?」
「大学へは戻られる気持ちは・・」
「大学ですか・・・今は、そうですね・・・」

 ここ数年大学を離れ、同年代の友人にもあまり恵まれなかった僕にとって、大学病院時代は
懐かしい、古き良き時代となっていた。野中に大学の悪口を言ってた頃もあったが。

 あそこでまた頑張って充電する、という手もあるかな・・。

「あのう先生。大学へ戻った場合は、僕は・・・」
「身分ですか?」
「ええ」
「研修医ではありません。医員ですね。なんなら助手でも可能です。先生が戻っていただければそれなりの待遇を考えています」
「それなりって・・・」
「病棟は片手間でやっていただいてもよいし、アルバイトも好きなだけ、自由です。非常勤の病院も2つ。収入は今よりアップします」
「そうなんですか。で、大学での期間はどのくらい・・」
「とりあえず1年。その間に先生は技術を磨いていただき、教授や私達が考慮した上での関連病院へ
移っていただこうと思います」
「大学での雑用とか・・」
「一切それはございません。私が保証します。大学に籍を置いていただき、必要な最先端の技術・経験をつんでもらうのです」
「・・・・・」
「その一方で関連病院でも技術を教わっていくわけです。先生の同僚の方々も同じ考えです」
「彼らはほとんどが院生ですが・・」
「彼らはみな論文も仕上がりましてね」
「すごいな」
「すでに前述のような形で勤務をされておりますが、彼らは今のシステムを非常に気に入ってましてね」
「はあ」
「それと、ぜひユウキ先生に戻ってきてほしいと!」

 この先生、いつの間にか熱くなってるな。

「ならば、ユウキ先生の希望通り、今後も循環器・呼吸器の勉強も両立できます」
「そうか、そうですね。気管支鏡も数例しかしてないし。カテももっと見たいし」
「とにかく先生が気にされているような非人間的な扱い、というのはなくなりました・・・・・大学も変わったのです」

 もっともらしく聞こえるな。信じていいんだろうか。

「今の僕でもいいんでしょうか」
「先生が来たら、先生らの同僚で医局はもっと住みやすく改革できる。私もそう信じています」

「じゃあ2ヵ月後の転勤に関しては・・・のちほどまた連絡いたします」
「はい。あ!」
「ポケベル鳴ってますね。お忙しいですね、先生」
「いえ」
「では!」
「こちらこそ!失礼します!」

 いつの間にか昼を回っていた。一目散に駐車場へ駆け込み、エンジンをスタートさせた。新神戸駅へ。

『そう、君は大学へ戻ってくる・・・』
 RAで肺炎の患者。例のステロイド処方されていた・・。
ステロイドのため引き起こされていた高血糖のコントロールも、同剤の中止によりなんとか
良好となっていた。しかし肝心の肺炎に関しては・・・。

「これは・・もう危ないなあ」
 レントゲンの肺はもう真っ白。肺炎・胸水などが混在した写真だ。胸部CTでも所見は同じだろう・・・。
人工呼吸器はすでに装着されている。PEEPもかかっている。グロブリン製剤の投与も行っている。

 家族へ毎日ムンテラ。その内容は日々厳しくなってきている。

「先生、血圧が80mmHgです。低下時の指示、下さい」
「気道内圧は・・・」
「30mmHg後半です」
「上がってきたか。分時換気量も多いし、PEEPはかけてるし・・・」
「どうしますか」
「血圧低いからといって鎮静やめたらファイティングするし・・・」
「どうされます・か!」
「・・・どうしようもない」

 ネフローゼの患者のカリウムは補正でき一般病棟へ。胸水も利尿剤とアルブミン補給で改善。
しかしまた胸水の貯留はありうるだろう。

 膵炎の患者も小康状態となり一般病棟へ。
 
 外科から来た虫垂炎疑いは、辛くも抗生剤で改善し一般病棟へ。

 その間に重症心不全、けいれん重積が入った。

 COPDの患者、喘息重積の患者も残っている。

 だが重症も慣れてくるとだんだんパターン化してきて、ある意味管理・理解がしやすくなった。

本田さんが質問しにやってきた。
「先生、重症心不全って・・基礎疾患は?」
「DCMだよ」
「あっちゃー、それ大変じゃない!」
「心臓の動きはヘロヘロだよ。LVEF 8%」
「はち?」
「新しいβブロッカーを少しずつ増量している」
「アーチストね」
「利尿はついてる?」
「1日トータルで800mlと少ないわね」
「あまり急な利尿もかけないほうがいいしな。地道にやろう」
「困るわよ先生。地道なら病棟でやってよ」
「スワンガンツの詳細なデータが要るんだよ」
「そんなカテーテル、病棟でもできるじゃない」
「循環器病棟か。病棟の奴らでは監視が行き届かない」
「じゃあここに何週間も置いておくの?」
「DCMだぞ、DCM!」
「お、怒らなくてもいいじゃないの・・」
「す、すまない。だがこれは一見安定しているようでしてないんだ。右心カテのデータ見てみろ。PA圧50mmHgにCVP21mmHg。
つまり肺高血圧に右心不全」
「そりゃそうだけど」
「僕が毎日3回測定しているアウトプット、つまり心拍出量は1リットルもないんだぞ!」
「知ってます!心臓の押し出す力がないからでしょ!」
「だからそれを少しずつ押し出すためにβブロッカー内服してるんじゃないか!」
「インが多いんじゃないの?」
「食事が摂取できないんだからカロリーだって必要だ!1日1000mlくらい入るのは仕方ない!」
「それだけじゃないでしょ。抗生剤も・・」
「感染もあるようなんだ。これも仕方ない!」
「経口水分減らしたら?」
「今1日500mlだ。内服薬のための水分も要るだろ?」
「そこをもうちょっと減らすとか!」
「意識のある人だって、ここで治療しないといけない場合もある!」
「待ってよ、話変えないで!」

 僕らは少し険悪になりつつあった。角さんがまたしても呆れた顔をして立っていた。
「そこの2人・・・ケンカならよそでやって。ここはICU/CCUなんだから」
「すんません・・・」
 この言葉にだけ協調性があった。

 しかし僕はまだ気がすんでなかった。彼女は休憩室へ入った。
「本田さん、待ってくれ」
「待ってよ、ちょっと・・・」
「苦しいの?」
「・・・・・ちょっとうずくまるわね」
「何だ?膵炎か・・・?」
「・・・あー、調子悪い」
「ホントにそうなのか」
「先生、機嫌悪いわね。彼女が辞めてから」
「そうかい?」
 彼女はゆっくりイスに腰掛けた。
「ふう。疲れかなー」
「働きすぎなんだよ」
「だといいけど」
「だと・・?よくないだろ?何言ってんだ」
「あたしがあの子にしてたのは、イジメなんかじゃない!」
「そうは思ってないよ」
「世の中そんなに甘くないわよ。ヘタしたら人を殺すことになる」
「そうだよな」
「あの子がヘマをしでかしたりしたとき・・・先生らは何か注意したことあんの?」
「え?そういや・・・」
「でしょ。だからあたしがその役を買って出た」
「僕らが甘やかしたとでもいうのか?」
「先生は優しいのが一番だとは思うけど、それは甘やかすのと紙一重なのよ」
「威厳を持てと?」
「もうバカ!最低!」

本田さんは泣きながら立ち上がった。

「・・・・・」
「だから重症が助からないのよ!みんなの機嫌ばっか取るようなことして!」
「何の話・・・」
「腸間膜動脈の患者だって!」
「またそれか!もうやめてくれ!」

 僕は部屋を飛び出しそうになった。

「ひょっとして、逃げる?」
「僕だって精一杯やって外科にも相談した!落ち度なら・・・」
「そういう言い訳はやめて!患者を治す信念があるんだったら・・・」
「・・・・・」
「意地でもそれを通すものよ!」
「・・・・・」

 僕はICU/CCUを出た。集まってるMRの波をかきわけて。

 トイレだけが静かだった。しばらくそこに立っていた。しかし単調な時間はなかなか過ぎ去らない。

「信念、か・・・」

 時間つぶしに、しばらく帰ってない家の留守番電話を聞いた。

『あたしだけど。今週末、行くから。新幹線、新神戸で降りる。土曜日の夕方5時』

「おい、待てよ!」
 僕は慌てて携帯をかけた。
「もしもし?」
「はい」
「僕だけど。今週末もどうか分からないんだよ」
「とにかく行くことにしたんだ・・」
「今はICU/CCUの当番なんだ。そう、当番。だから土曜日だろうと日曜日だろうと、帰れる
保証がない」
「すごいな。昇格したの?」
「ま、まあね。だから時間的な余裕が・・・」
「いいよ、それでも」
「え?」
「玄関でもいいから」
「玄関?病院の?」
「いいのよ、それでも。5分でもいい」
「5分・・・」
「そしたらあたし、帰るから」
「そりゃ降りれないこともないけど・・・」
「もうかなり会ってないし。なにかもう、不安で・・・」
「何か、あったの?」
「このままあたし、仕事してて、ユウキも仕事していて・・・」

 彼女の話は、長い。

「で、このまま年だけ取ってしまうのかなあって・・・」
「と、年ね。僕ももう27だ」
「ねえ。誰か好きな人とか、いない?」
「え?」
「若いナースとか」
「え?え?いやあ、みんな40以上のオバサンばっかりだよ、は。は
キツそうな性格の奴ばっかだし」
「そうなの。よかった」
「週末は努力してみる。なんとか時間を・・・」
「とにかく、行くね」

 気がつくと、誰かがチョロチョロ小便している。ジッパーの閉まる音。

 そそくさと手を洗う音。少しこけかけたようだ。足音が不整。

 どうやら、聞かれたな・・・。

 僕は、いったい何をやっているんだろう。とは全く思ってもいなかった。

 答えを出さなければ・・・。


 レジデント生活終了まで、あと2ヶ月が迫っていた。

< つづく >
 大丈夫じゃなかった。

 睡眠不足、ストレス、不安・・・。髪の毛が抜けそうな毎日だ。しかもこの閉鎖された空間。義務で着用のマスク。それらがいっそう息苦しいものに感じられた。

 いきなり右手の親指と人差し指の間をギュッと握られた。
「うあ?」
「こうしたら、疲れ取れるのよ」
 本田さんは力強く、しかし丁寧に母指球筋をほぐしてくれた。
「あたしのも、してよ」
「・・・・・」
 恥ずかしながら、初めて彼女を触るという緊張感でいっそう息が途絶えそうになった。
「うう・・・」
「どうしたの?疲れてるわね」
「う・・・」
 本当に息ができなかった。白くて、ツルツルした手・・・。
「あー・・・気持ちいい・・・」
 僕はますます気が遠くなって、QTが延長したようだった。

 倒れそう。

「うう・・キューティが・・」
「キューティー?」
 彼女は少し顔が赤くなったようだ。
「いやね、それ。死語?」
 


  これがいわゆる、アダムス・ストークス発作、なのか。



 ・・・やがて、正月も明けた。



 急性膵炎の患者。CT・超音波でも確定的。アミラーゼ560IU/L。知ってることだがアミラーゼの数値は
重症度を反映しない。循環器・呼吸器分野では数字はまんま重症度を表すものと解釈しているので、
今でも違和感を感じる。

 「FOYにミラクリッド、FFPに抗生剤、すごいな・・・」
点滴指示表は文字の羅列でごったがえしている。これこそフルコースというやつだ。

 特に指示をいじることもなく、独り回診を続けた。
 
 
山城先生のコメントもめっくり少なくなった。
「先生がしっかりしてきたからよ」
と本田さんは言ってくれてるが・・・。ただ患者の病態が複雑化したりして、思考がついていけなくなったんだと思う、
ハッキリ申しまして。

やっと復旧したカテーテル関連の装置が再び稼動、入院中だった不安定狭心症はカテ室へと運ばれた。
搬入を手伝っている最中、山城先生が現れた。

「おう。また迎えに来いよ!」
「ええ。また連絡を」
「お前、カルテに書いてたな。先月はカテで正常所見、とか」
「はい。いけませんでしたか?」
「いや。その次に、不規則な狭窄か?とあったな」
「ああ、たしか・・・そう書きました」
「どういう意味で書いた?」
「ええっと、あれは・・・実際の内部はこう、限定された部分にのみ狭いところがあって・・・つまり一様でない狭窄があって」
「それで前回、正常の冠動脈に見えた、と?」
「まあ、そういう可能性もあったかと」
「・・・・・初めてほめてやるが、わしもそう思う。そこで、今回新兵器を用意した」
「?」
「アイバスだ。血管内の超音波」
「エコー・・見れるんですか」
「冠動脈の内腔をな。ただし真っ直ぐな前下行枝しか見えんがな」
「そうですか・・・」
「こんな単純なことをお前から気づかされるとは・・・わしも年だ」

 その後の検査で、前下行枝のスリット状狭窄が確認された。PTCA・ステントで拡張に成功。
患者は循環器病棟へ転棟した。

 ICUの前では背広姿が大勢待っていた。
「ユウキ先生ですよね?」
「え、ええ・・」
「私、製薬会社の・・・」
 7,8人がいっせいに名刺を差し出した。

「僕はまだレジデントだし・・・」
 MRのうちの1人の青年がおじぎした。
「いつもご処方、ありがとうございます」
「何の?」
「抗生剤です。先月は400バイアル出荷されまして。処方のほとんどが先生とお聞きしております」
「あ、そう・・・」
「ええ、ですのでぜひお礼をと」
「え、ええ・・・ちょっと今・・」
「こちらが私の本部の上司の・・・」
「よろしくお願いいたします!先生!」
 中年の年配MRが名刺を差し出す。
「先生、この男まだまだヒヨッ子ですが、どうか疑問点などありましたらなんなりと」
「は?疑問・・・」
「副作用など特にございませんでしたか・・・はああ!」
「重症患者だから、副作用かどうかなんて・・・」
「さようでございますか・・・はあああ!」
「だからそのまま使ってるよ」
「ありがとうございます!ありがとうございます!」

 人が見てる。患者の家族たち。

「じゃ、また戻らないといけないので・・」
 女性MRが駆け込んだ。
「先生!いつも当社の薬剤をごひいきいただき、ありがとうございます!」
「え?別にひいきなんか・・・」
「おかげさまで本剤も10周年を迎えまして・・!」
「おかげさまって言われても・・・じゃ!」

 あまり可愛くなかったこともあり、共振解除、とした。


「これ、喰う?」
MRから手渡された和菓子を休憩室へ持ち込んだ。
そこには鈴木さんがいた。婦長と一緒だ。

「もうちょっと考えて」
「・・・・・」
「彼女には私から直々に・・」
「そこまではいいです。いいですから」
 鈴木さんは首を軽く横に振っている。

 何の相談だ?

 鈴木さんはうつむいたままゆっくり出て行った。
グズ・・・と心なしか聞こえた。

「婦長さん、鈴木さん出て行ったけど・・私服?」
「・・・・・」
「まだ勤務中だろ?」
「・・・・・辞めるって」
「え?いつ?」
「今すぐ、だって」
「今すぐ、って・・・止めないの?」
「止めたわよ、もう何度も」
「なぜそんな・・・」

 察しはついていた。本田さんからの圧力だろう。

「ちょっと行ってきます!」
「病院外まで出ないでよ!」
「こんな別れ方って・・」
「いちおう受付に言っておこう」
 婦長は受付の守衛に連絡を入れ始めた。
僕は和菓子を差し出した。
「これじゃ、ダメ?」
「ダメ」

 ICUを出ると、またMRが出迎えた。
「おお!」
「ちょっと通してください!」
「お疲れ様でした!」
 まだ業務、終わってないって。

 病院玄関では守衛が待っていた。
「先生!入って入って」
「ちょっと・・・」
「まだ勤務時間内です!」
 長身の守衛さんは僕の二の腕をつかんだ。
「大事な用事なんだよ!」
「なりません!」
「くそ、通せ!通せ!」
 守衛の力がゆるんだ・・と思ったら、山城先生が後ろに立っていた。

「このバカが・・・!患者を放り出して何をやっとるか!」
 大勢が見守る中、罵声は容赦なく浴びせられた。
「女のケツばかり追いかけおって!少しは俺達の役に立ってみろ!」
 次々とスタッフが集まってきた。
「大学の人事で仕方なく置いてやってんだ!給料もらってるだけでもあり難・・・」
 横から院長がポンポンと肩を叩いている。
「ああ、院長先生。申し訳ありません。婦長から連絡があったもので。私は決して・・・」
「もうやめとけ。いい」

 知らない間に僕の周りに輪ができていた。院長が去ると同時に、それらはアリンコのごとく散らばり始めた。
 
 追い討ちをかけるように鳴り響く、院内ポケベル。携帯まで鳴り出した。


 それ以来、彼女に会うことはなかった・・・・。
 

< つづく >
慢性腎不全の患者はDMによるネフローゼ症候群だった。数年前まではDMだけの開業医フォローだった。

顔面浮腫の訴えがあった頃にはもう尿蛋白が強陽性で、クレアチニンも2-3台へ上昇していた。

開業医だからというわけではないが、漫然とフォローされる患者はたまったものではない。

2ヶ月前の一般病棟への入院は、ネフローゼに対する食事コントロールが中心だったらしい。
しかし一般内科のワンマンな例のドクターは入院時のカリウム(5.1)も再度フォローすることなく、
とうとう今回の高カリウム血症を引き起こしてしまった。

患者はムカつきがあるほか、モニターでもT波が増高している。幸いQTcは延びてない。7.8もあるのに。

「なんたって、一般病棟の採血だからね。溶血もしてんじゃないの?」
 本田さんがしつこく難癖をつける。
「本田さん、じゃあ、これ指示。カルチコールとメイロンを」
「はい、いつものね」

 カルテには記述がほとんどない。これでは主治医の考えがいっこうに分からない。
アルブミン値は2.2-2.5g/dlの間、と頼りない。入院はさせたが退院させるにさせれない、
そのような状況で漫然と引っ張ってきたのだろう。

 角さんから内服の確認。
「内服は続行で?カリメート、ペルサンチン、コナン」
「コナンは外して」
「え?いいんですか?血圧が・・・」
「最近高カリウムの副作用が言われてたから・・・アムロジンにしよう」
「それとワーファリン、カルデナリン、ニトロール、パナルジン、小児用バファリン」
「そんなに飲まして・・出血するぞ?」
「あとマーズレンにザイロリックに・・・」
 全部で13種類。

 鈴木さんがデキスターの数字を見せ付けた。
「先生、血糖は96mg/dlで高くないです」
 本田さんが後ろへ回りこんだ。
「アンタ指示も出てないのに、何やってんのよ!」
「え?DMだから・・・」
「だから何で勝手に測るのよ!」
「腎不全になるぐらいひどいDMだから、血糖が高いと思って」
「アホ!あー、もう、頭痛いわ・・・・やめてやる!」

 みな注目した。どこの職場でもそうだが、思ってても口に出したらいけない言葉だ。

「もーやめてやる!絶対!今月であたし、終わり!」
 旧友の角さんだけが平気そうな表情だ。
「スズキ、あんた正気?DM進行の腎不全なら、血糖はむしろ下がるでしょ?」
「え?どうして?」
「腎不全で尿が出にくくなったら、インスリンも出にくくなる!」
「ええ、そうです・・よね」
「だから血糖は結果的に下がるわけ!」
「・・・・でも」
「何よ?」
「尿が出にくいなら、インスリンも出にくくて、糖も出にくくて・・・結局血糖は下がらないんじゃ
ないんでしょうか」
「・・・・なによ、あたしは本で読んだのよ!」
「それ、どの本・・・」
「もう先生!この子なんとかして!」

 何で僕がまた・・・?

いちおう指示を出した。胸部レントゲンで胸水が貯留している。低アルブミンのためだろう。
ネフローゼにするのは本来の治療に反するが、今日から数日アルブミン製剤を追加。
尿量は12時間ごとの指示。必要により利尿剤。カリウムは数時間して確認、と。

 さきほど老人の肺炎が到着した。星野先生もいっしょだ。
「おいユウキ、今度はこっちだ。早くしろ」
「はい」
「両方の肺はもう真っ白だ」
「基礎疾患は?」
「きそ・・・知るかそんなの」
「既往歴は・・」
「そこまで聞けてない!」
「この人は・・・先生が診られてたんですよね」
「そうだが、まだ3ヶ月だ!いちいちコイツ・・」
 わけもなく怒りがこみあげてくる。僕の自制心は歯止めがきかなくなりつつあった。
「外来でミノマイシン・・・」
「ああ。あまり効かなかったんでな。抗生剤はよう分からん!」

 効かなかった?老人の肺炎にいきなりミノマイシン?根拠もなしにか。
CRPも測定してない。SpO2も。熱が出て肺炎像だけでミノマイか。
これじゃ助からない。

「最近出ました、ファーストシンにします」
「ああ、まあとにかく頼む。わかってるって、形は共診だな、はいはい」

 情報収集だ。まず外来カルテ→家族→他院への問い合わせ。
外来カルテはサマリーがなければ採血データ、所見用紙、処方を参考に。

「CRP軽度上昇が慢性的。RAtest、リハビリ指示・・・表紙の通り、RAか。リウマチだ」
 処方をみると、降圧剤が入っている。循環器科は高血圧でフォローか。外来主治医も
 興味をもたないわけだ。

 長男の嫁と称する家族へ問診。
「家族の方、ほかに通院しているところは?」
「さあ、薬はあるけどどこかは・・・」
「では薬の袋を」
 
 袋に病院名が書いてある。
「あとは問い合わせます」
 その病院へ連絡。処方をファックスで取り寄せ。

以上の内容を5-10分で済ませる。

 次は情報整理。カルテ上で問題を抜き出す。順位づけは後回し。
「? RA、他院で加療中。NSAIDのほか、プレドニゾロンの処方あり。2錠つまり10mg。この量で数年続けてる」
「? 高血圧。一因にはプレドニゾロンの関与もあるか?」
「? 肺炎。これもステロイド関与ありか・・・?」

 これをあとで重要な順番に並べる。
「そうだ、じゃ真菌の検査も!」
 カンジテックとβ-Dグルカン提出。一方が保険で削られても県の職員が困るだけだ。僕は気にしなかった。

 こうすることで漏れの少ない指示が整った。

 時間が余れば、教科書などで指示漏れ・鑑別疾患を確認だ。

 しかし時間はなく、Unstable APが運ばれてきた。
今度は横田先生がついてきた。
「アンステーブル!入るぞ!」
 僕は外来ナースからデータ・画像を受け取った。
「陰性Tが広範ですね」
 横田先生は大汗をかいている。
「でもAMIは起こしてない。血液検査は正常」
「エコーは・・?」
「それも異常ない。症状はある」
「先生、カテは?」
「カテーテル検査は今はできない。装置が壊れた。修復が済むのは12時間後らしい」
「そんなに遅く?」
「ああ、だからニトロールやシグマート、ヘパリンで引っ張れ」
「しかし、先生・・・」
「6時間ごとにエーカーゲーとって、ST変化を・・」
「先生これ、右脚ブロックあります。STの評価は無理です」
「そうか」
「そうか、って・・・」
「ま、そこは適当に」
「適当?」
「じゃなくて適度に。じゃ、俺は病棟があるから。また病状を連絡してくれ」
「・・・・・」

 外来カルテをみると、先月うちでカテーテル検査してる。
「NCA。つまり正常冠動脈。狭いところはない」
 じゃあこの1ヶ月で何か起こったってことか。

ナースから報告。
「2人、新しく入りました。急性膵炎と肝不全」
「とうとう本物が入りだしたな」
「2人とも当院の外来フォローの方です」
「ちゃんと診てろよな!」
「は、はあ・・・」
「指示は?」
「出てます。2人とも」
「膵炎の指示はこれでdo。肝不全は・・・アルコール性ってあるな。どこまでする人?」
「・・・フルコースです」
「じゃあ人工呼吸器・心マッサージもか」
 
 肝不全のほうは肝硬変が非代償性で、腹部はかなり膨満している。意識障害がありアンモニアは200超。
酸素吸入で呼吸はいけている。
「この人の頭部CTは?」
「まだ1度も」
「またか!ここに来るまでに、ちゃんとやっとけよな!」
「先生、怒鳴らないでください!」
「え?あ、角さんか・・・す、すまない」
「大丈夫・・・?」

 大丈夫じゃなかった。


<つづく>
今年も年末当直を頼まれると思ったが、院長の指示でそれは実現しなかった。
あくまでも今のスタンスを続けろというものだった。

しかしこういう時期だからこそ、集中治療室にはドンドン意味不明の重症が入ってくる。
外来での診断はほとんど不明。ただ重症、という情報しかなかったりする。

救急外来からのずさんな報告、搬入のせいで患者の処置が遅れてしまい、ついには
診断確定の検査すら不可能になってしまうケースがどれだけ多いことか。

年末。街の映画館では「ID4」が上映されていた。

「いっやー、よかったよかった」
放射線部の小杉が笑顔でポータブルを押してきた。

「なにが?」
「あの映画よかったあ。かなり並んだけど、最後はハッピーエンド」
「おい、結末を言うなよ!」
「先生、映画館なんか行くヒマないでしょ」
「正月休みがあったら・・・」
「みんな3日は取れるみたいだけど、重症背負ってる先生は休めないよ」
「わかってる」
「で、どの患者?」
「あそこ。IVHの確認。頸部から入れたんで」
「オッケー。じゃ、胸部ね」

電話がかかってきた。いよいよか。
角ナースが出る。
「もしもし・・・・・はい・・・・・はい・・・」

やはりそうか。

「はい・・・え?・・・・・はい」

何だ?かなり重症なのか・・?

「ええ・・・・そうですか・・・5分後・・・」

こりゃ間違いない。

彼女は電話を切った。
「外科の患者さんの家族が夕方来られると・・・」

なんだ、関係なかったか。
重症が来ない時期がある程度長いと、緊張の閾値が低くなる。高くなる人もいるが。
集中治療の面々は集まって時計を見たり喋ったりしていた。大晦日の朝の9時。
救急は絶対に来る。ベッドはICU6床、CCU5床が既にあけてある。
これを越える場合は、『長期』入院患者を随時、病棟へ上げていくという。

県の職員の奴ら、自分らはぬくぬくと・・・。お役所め。

「はいよ、先生!」
 小杉がレントゲンフィルム持って現れた。
「ありがとう」
「気胸はなし!でもこれ・・浅いんじゃないのー?」
「左の1弓に、かろうじてかかってるか・・」
「ま、深く入るよりかね」

電話がまたかかった。今度は本田さんが取る。

「はい、ICU本田です・・・・はい。今から?年齢は?男性?・・・」

今度こそ、間違いない。みんなが不安そうに注目している。
本田さんは電話を切った。

「52歳の虫垂炎疑いが入りまーす!」

各人、持ち場へ散らばった。僕も反射的にその場を退いた。
虫垂炎疑い・・・しかし外来での診断を鵜呑みにしてはダメだ。
憩室炎との鑑別も念頭に置く。

また電話。
「本田です。え?一般病棟?・・・・・腎不全?・・・」

病棟の急変か?

「73歳男性の腎不全が急変だって。ベッドごと、今からこっちに来るって」
 周りからブーイングが飛んだ。
「もしもし・・?これから外来患者が入るんだけど、状態を・・・あ、こいつ!」
 どうやら中途で切られたようだ。
「ムカつく!患者の状態報告するなら、ちゃんと把握してからしなっての!」
 本田さんは電話を壁に投げつけた。

 僕は少し見かねた。

「本田さん、どうすんだ?断るなら断るで・・」
「相手にすんの?」
 彼女の顔はかなり紅潮している。
「じゃ、受け入れないってことかい・・?」
「何よ、アンタまで・・・」
「?何をそんなに・・・」

 彼女の機嫌が一気に悪くなった。少し冷静さを取り戻し、彼女は病棟へ
連絡した。
「ICUです・・・尿は出てる?・・・他のバイタルは?呼吸は・・・・はい・・・・はい」

 よく見ると、彼女の目から涙が今にもこぼれそうになっている。悟られまいと彼女は壁向きに
なった。そのまま彼女は電話を置いた。

「慢性腎不全で、尿は出てるけどカリウムが7.8だって。5分後に入るって」
 彼女はそのまま小走りに走っていった・・・たぶんトイレだ。

角さんが呟いた。
「さっきの電話、ユキちゃんよきっと」
一同の目がどことなく微笑んでいた。

ユキちゃん・・・?山ちゃんの愛人と妙な噂を立てられてる一般内科病棟の主任か。
誕生パーティーに来なかったという。この人、婚約者いるって聞いたな。本田さん、
嫉妬してるとか・・・・・ないない、考えすぎだ。


虫垂炎疑いが運ばれてきた。後ろにはあの澤田がついてきている。
コイツにはもう会いたくなかった。

「よう、ICU/CCUのヌシ!わっはは」
「・・・・・」
「どうだ、少しは循環器以外もできるようになったか?」
「・・・・・」
「みぞおちの痛みから始まった右下腹部痛で、圧痛ありね。ブルンベルグは陰性」
「で、検査所見は・・・」
「レントゲンは君の好きなイレウス像!」
「な・・・・」
「CTはまだ撮ってない!採血もまだ!高熱があるから炎症所見はそれなりだろな」
「先生、超音波で虫垂は・・」
「まだ見てない!今は外来もやってるんだ。午後はオペがあるし。とりあえず抗生剤で散らしてくれ」
「結果がそろったらお願いします」
「おいおい。こんな虫垂炎ぐらい、そっちで診ろよ」
「共診でお願いします」
「共診?君と星野君との共診だよ。僕が主治医を決めた」
「・・・・?」
 確かにカルテの表紙に書かれている。
「まあオーベンとよく相談して!」
「オーベン?」
「みたいなもんだろ?」
 そう言って彼は消えていった。

引き続き、一般病棟からの腎不全が入った。
主任から本田さんへ申し送りがされている。
「腎不全を患ってて、カリウムが慢性的に高い人だったのよね、この人」
「・・・・・それで?」
「カリメート飲んでてうまく管理してたんだけどね」
「・・・・・入院データあるけど・・・入院時のしかないじゃない?」
「え?入院時・・・2ヶ月目前のね。それ以後のは、確か・・・・確か・・・・」
 主任はカルテをパラパラめくっていが、以後のデータはなさそうだ。
「たしか・・・」
「もう!早くしてよ!」
 角さんが小声で歌いながら電話している。
「はやくしって、よ、なにしってるのよ♪・・・なーにさまのつもりいっなの♪」
 けっこう年上であるはずの主任は、見る見る顔が青ざめている。
 だが本田さんは容赦しない。

「貸して!こっちが見た方が早い!」
「あ・・・」
「ところでなんで入院してたのよ・・・」
「え?それは・・・」
 主任がカルテを覗こうとしたが、本田さんは遮った。
「それは・・・カリウムのコントロール?」
 本田さんは無視してカルテを見ていた。
「・・・・・汚い英語ね。でも読めるわ。わかった!そういうことね!」
 主任が知りたがった。
「あ、合ってた?」
「ハズレ。基本からやり直したら?」
「・・・・・」
「前から思ってたんだけど、アンタ、トロいのよ、ハッキリ申しまして」
「・・・・・」
「先輩であることが恥ずかしいです」
「・・・・・」
「もう帰ったら?」
 主任はお供とともに、そそくさと帰っていった。

 本田さんはズンズンこちらへやってきた。
「先生、このカルテ見て。あとで教えて」
「なにを?」
「ぜんぶ。どうして入院したか、とか」
「?読んで分かったんじゃあ・・?」
「プッ!そんなわけないでしょ!」

 つられて鈴木さんが向こうで笑っている。
「何よ?」
 鋭い眼光でそれはかき消された。

 メーテルは訂正。コイツは、エメラルだす・・・。

<…
遅めの昼食を終わってICU/CCUへ戻ると、循環器グループが全員集合している。
順々に回診しているようだ。

見つけられ次第、僕に声がかかってきた。

「おう、反抗ユウキか」
「なんですか、それ」
 横田先生をサッとあしらい、彼らの横に並んだ。
芝先生とはあれ以来会話したこともなく、目を合わせたこともない。

 山城先生がカルテをジーッと見ている。よりによってアルカローシスになった患者のだ。
「・・・・・気づくのが遅いな、相変わらず・・・。おい、ペアは誰だ」
「はい」
 いいなりの星野先生が名目上のペアだが、このような非・循環器の患者に関しては研修医同然だった。
「星野、目を離すなよ、こいつから」
「え、ええ」
「ユウキ。これからは毎朝、ペアの先生に状況を報告しろよ」
「・・・はい」
「夜中に分からなかったら、まず当直の先生に相談だぞ」

 今週の当直表を見ろってんだよ。相談できる科の人間がどれだけいるか・・・。

「よし、次。ユウキ、指示はペアの先生がこれから直す。お前は夕方までカルテを触るな」
「?は、はい」
 本田さんが後ろから現れた、というよりずっと立っていた。
「ちょっと!」
 山城先生らに電流が走った。
「なんだ?」
「ペアの先生が昼間指示出して、夜中は知らんぷりってのはどういうことなのよ?」
「知らんぷり、と誰が言った?」
「じゃあどっちが主治医なのよ?大学みたいにオーベンが主治医ってことじゃないの?」
「元気だな相変わらず、お前は・・・」

 本田さんに向って、『お前』って・・・。

 山城先生は僕を隅っこに呼び寄せた。

「ユウキよ、いいか。本田の希望でお前は皮一枚でつながってる。感謝しとけ」
「・・・・・」
「だが少しでも問題を起こしたら、分かってるな?」
「・・・そのときは・・・どのように?」
「そんな口を利いて無事なのは、お前くらいだぞ」
 呆れ顔で、山城先生は次の回診にかかった。

 問題を少しでも、か・・・。こんな集中治療の場で、無理な話だ。

 挿管中の喘息患者はおとなしく眠っている、のではなく鎮静が十分効いている。
『共診』の畑先生が回診の輪から外れて診察・指示している。

「そう、ソルメド500mgを持続の点滴に入れる。1日1500mgだな・・・おう!」
「お世話になります」
「こんなクビの短い患者に、よく挿管チューブ入ったな」
「ええ、まぐれです」
「さて・・・」

 畑先生は転勤が迫っていた。そのせいか元気がない。
「来週から、俺じゃなく横田先生に変わるからな」
「そうなんですか」
「ま、循環器の先生だからな。お前のほうが詳しいと思うわ、たぶん」
「・・・・・」
「あーあ、岐阜県かあ・・」
「次の勤務先、面接には?」
「行ったよ。小さな町って感じのな。うちの大学の関連病院で2番目のド田舎らしい」
「しかし、田舎も田舎のよさがあって・・」
「釣りでもしてのんびり暮らすとするか」
「自分もどっか行きたいですねえ」
「行きゃあいいじゃないか」
「?」
「医師募集の広告とか見てさ」
 
 僕は先日の松田先生からの手紙を思い出した。

「あれってどうなんでしょうか?」
「医局を辞めて、全く違う世界へ行くんだよ」
「医局を辞める・・・そんなこと可能なんですか?」
「できるよ。まっちゃんがそうだろ?」
「ま、松田先生ですね」
「あの人、すごく活躍してんだって。患者受けもよくって、カテもバリバリらしいよ」
「いいですね」
「で、外車乗り回して週休2日だって。夜間対応はナシ」
「主治医制じゃないってことですか」
「ああ。俺も岐阜がダメだったら、考えようかなって。年収1400マン以上、おっとと」

 この先生のとこにも手紙が来たな?

「じゃ、失礼する。頑張れな」
「ええ。どうもありがとうございました」

 彼が解放されたような気がして、少しうらやましかった。

回診が終わったようだ。カルテを1冊ずつチェックすると・・・
いつものように3行分くらいの字の大きさで、無神経にアドバイスが書かれている。
COPDでアルカローシスになった患者。

『バカみたいにカリウム足すな!足すなら6時間ごとにモニタリングするとか工夫を!』
『テオフィリン製剤投与してるのなら血中濃度の測定を!』
『ウイニング時は必ずオーベンの許可を取ること』
『同じ抗生剤をチンタラ使うな!』

見ててやる気なくす。

af+脳梗塞の患者。

『勝手に食道エコーしないように』
『脳外科に毎日コンサルトすること』
『神経学的所見を図示しておくこと』
『さっさとワーファリンへの切り替えを』

例の喘息の患者。

『喘鳴軽度とあるが、背部に著明。きちんと背中まで聴診器を当てること』
『共診の先生にきちんと相談すること』

科が専門でないと、コメント少ないな。

次、肺炎→ARDSの患者。

『なんでもチエナム、で抗生剤決めないように』
『アルブミン値が低下している。単純に蛋白を足すのでなく、カロリー増量を検討せよ』
『高熱続いている。カンジダ抗原・β-Dグルカンの測定、血液培養、カテーテル抜去・カテ先培養を』

 これを直して、夕方に指示の書き直し。夜は毎晩のようにムンテラ。そのあと落ち着いていて満床なら
帰れる。

 夕方、医師公舎の表には小型のトラックが止まっていた。荷物が業者によって次々と運ばれている。
その中に畑先生もいた。家族の姿は見えない。もう先に引っ越したんだろうか。

「おう!また会ってしまったな!」
「て、手伝います」
「ああいい!もう終わったも同然だ」
「そうですか・・」
「これで部屋はもぬけの殻だ。トラックは明日岐阜に到着する」
「先生、あとの数日は?」
「大阪の自宅から通うよ」
「なるほど・・・」
「あ、そうだ。前にも言ったんだが」
「はい?」
「本田な。アイツには気を許すなよ。たしかに病院一、可愛いけどさ。関わんなよ」
「ま、またあ」
「いいやマジだって!今までの奴らも・・」
「はあ?」

 引越し業者が礼をして去っていく。
「ご、ご苦労さんよっ!」
「先生、今までの奴らって・・・」
「・・・・・オ、俺はそんなんじゃないんだぞ、いいか!じゃな!」

 畑先生はあわてて駐車場へ走っていった。すさまじいスピードだ。まさしくネズミ、さながらだった。

 彼女は謎の女?まるで・・・

 メーテルみたいだな・・・。

< つづく>

 

 
 
「やっと落ち着いたなー」
 深夜帯、比較的ICU/CCUは静かだった。人工呼吸器の音、
モニター音は相変わらずひっきりなしだが、耳が慣れてしまうので怖い。

 深夜の2人は申し送りが終わって一通り回り始めた。
COPDでアルカローシスの患者はファイティングなく強制換気が順調に入ってる。
気道内圧も幸い20mmHg台を越えず、アラームも鳴ってない。
「さて、満床になったことだし。そろそろ帰るか・・」
 ?モニター表示を今見て信じられなかったが・・・。
「血圧が60mmHg?」
 血圧カフは自動的にまた測定が始まっている。
「今日のひるは120mmHgはあったのに・・・」
 石丸ナースがやってきた。
「あ、先生ちょうどいいところにいましたね」
「先に気づけよ。これ・・・なぜかな」
「鎮静剤が効きすぎているとか」
「鎮静剤は入ってないよ」
「なにか急なことが起こったとか」
「急なって・・・」
「AMIとか」
「おいおい、やめてくれよ」
「アポったりとか、肺塞栓とか、動脈瘤の破裂・・」
「やめろっての!」
「何かしますか?」
「夜中だぞ・・・」
「ほっといていいんですか?」
「そうじゃないが。血圧だけが下がってて・・・自発呼吸が恐ろしいくらい出てない」
「脳でしょうか」
「・・・とりあえず、血ガスを」
「はあ」

 Aラインから真っ赤な動脈血が採取された。しかしこの赤、うすい赤というか・・・。
「夕方入ったAMIは、家族の希望でカテしないらしいですね」
「87歳だからなあ・・・」
「CPKが3500まで上がったみたいですよ」
「早期の再灌流かもね」
「でもヘパリンだけですよ・・・はい、出ました。pH 7.678?」
「ひどくアルカローシスじゃないか」
「カリウムが1.7ですね」
「そうか、これは・・・極度のアルカローシスのためなんだ。血圧低下も、乏尿も、自発呼吸の回数減少も・・・」
「アシドーシスよりはマシなんちゃいますか?」
「いや、以前呼吸器科のオーベンから聞いた話では逆だ。人間は酸、つまりアシドーシスには過換気でしぶとく代償するが、
アルカローシスには弱い」
「・・・・・」
「つまり代償機能が働きにくいんだ」
「はあ・・」
「こういうのが週末に起こると医者は自宅へなかなか帰れないんだ・・」
「そりゃそうですよ」
「分時換気量を減らすよ。設定しなおす。血圧低下・乏尿はボリューム追加で。戻るまで結構時間かかると思うが」

石丸ナースと設定・指示のやりとりを行い、一段落ついた。
「先生、もう帰らないんですか?」
「そうだな、そろそろ・・」
「上の先生方も勝手ですね」
「だろ・・・」
「先生をこれから半年間もここに閉じ込めるなんてね・・」
「本田さんは凄いよなあ。でも君の同級だよね」
「先生、あまり深入りはしないほうが」
「?何だよそれ?」
「してなかったらいいけど」
「・・・・・?」


自宅のふとんに思いっきり寝転んだ。
留守電が点滅している。だがもう察しはついている。
遠距離電話はもう儀式的なものになっていた。
彼女の勤務も、僕の仕事もかなり過酷なものになってきている。
まして僕の今の立場など、人に話して何が解決する、というものでもない。

「もしもし?」
 彼女が最近購入したという携帯電話のほうへ連絡した。
「あ、ユウキ・・・ごめん、寝てた」
「はー・・疲れたな」
「今日はこんな事があってね・・・時間いい?」
「ああ・・・」
僕は時計を見ながらいちおう話を聞くことにした。
しかし意識は少し混濁しており、相槌をうつ程度で実際は聞き流してるのと同じだ。

内容も把握せぬまま1時間、2時間が経過していく。
「・・・ね!今、寝てなかった?」
「え?ああ、すまない・・」
「もう切るわ。少し、気、済んだし。ああ、やだなー」
「ああ、じゃあ」
「ね、今度はいつ予定、空くの?」
「週末しかないだろ?でもダメだ。今のところ余裕がない」

 しかしカレンダーには何も予定はない。かといって空く保証などない。
「そっか。じゃあ今月はムリね」
「そうだな・・・ま、日が空くようならまた電話する」
「わかった。じゃあね」

 やっと電話が終わった。こんな関係、続けていいのか。いつまで。

 さっき持って上がった郵便受けの封筒。かなりの量だ。
「また請求書か・・・」
 しかし1通、分厚い封筒が入っている。
「松田先生・・・懐かしいなあ」
 大学をドロップアウトして民間の病院に勤めている先生だ。大学とは縁を切ったと
聞いていたが。そんなに親しいともいえない僕に、なぜ?

 内容はこうだった。
『こんにちは、ユウキ先生。かなり御健闘のことと思います。私は関西の民間個人病院で頑張っています』

「自筆だな・・・」
『私の病院は大学や官公立のようなしばりがないオープンな病院で、仕事がしやすいです。年収は1400万以上
大学のような余計な雑用もなく、純粋な医療ができます。スタッフも優しい人ばかりです。君にふさわしい職場
とも思い、今回お手紙しました』

 なんだこりゃ。人材募集かよ?
『もし君が今の現状に満足してなくて、私の勤務する病院に少しでも興味があれば、お気軽に以下の連絡先へ
。うちの真田事務長も、君をかなり気に入っておられます』

 現状に満足してない・・・前者は当たってるが、後者は・・・ちょっと興味あるかも。
そりゃストレスなしで年収まで上がるならなー。しかし、あんなに落ち込んでた先生が安心して働ける職場って・・。
でもこの『真田事務長』って誰だ?なんで僕のことを気に入るんだ?
 まあ、悪い気はしないな。

 でも今は目先だ。今受け持ちの患者のストレスで一杯だ。来年の3月までやり通す。それだけだ。

 しかし、僕が完全にハマっている本田さんは・・・。今度も僕の一方的な片思いで終わってしまうのだろうか。

 レジデント勤務終了まで、あと4ヶ月。

 

<つづく>

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