< レジデンツ・フォース 新EMERGENCY ? >
2004年4月11日 連載「先生、わしはもう楽になったから、帰るからな」
心不全の患者だ。
「どうしても、帰られるんですか・・・」
「わしが帰らんと、従業員が・・」
またか。仕方ない。トラブルにならないよう、カルテにはきちんと記載しておこう。
夜11時。新年まで1時間。患者の勢いは止まらない。
「くーっ・・・ふああ」
あくびも出た。偶然か少し離れた佐々木先生もあくびしている。
「ふああ・・ユウキ先生よ、挿管チューブは入ってたか?」
「ええ、レントゲン確認しました。ありがとうございます」
「自殺企図は仕方なく、隣接の病院に送ったよ」
「そういえばいませんね」
「もう重症の入院は取れないな。脳外科とか他の病棟にお願いせんかぎり・・」
僕は診察室へ戻った。カルテはまだ30冊くらいある。佐々木先生もまだ20冊くらいあるようだ。
「次の人・・・」
紹介状つきだ。しかし日付は2週間前。
「先日、一過性の麻痺が出現・・・・TIAってことか?引き続きご加療をお願いします。脳外科あて?」
ナースが覗き込んだ。
「センセ、うちは脳外科はオペ適応のときのみコールですから」
「今回は症状が?」
「片側に力が入らないと」
「おい、それ!脳外科が診たほうが・・」
「まずは救急のドクターが診るという原則です」
「・・・・じゃ、入ってもらおうか・・・」
60歳男性。車椅子。
「いはん。みひへにひからがはいはん」
構語障害もあるようだ。症状の再発は3時間前らしい。
「まず、頭部のCTを・・・あ、待って!」
脈をみる・・・afではないようだ。
「センセ、腹痛が増えてきましたね。これも。38歳男性」
「入って」
不機嫌そうな肥満男性だ。
「みぞおちが・・イテテ」
「食事したあと?」
「ああ、特にね」
「みぞおち・・ここ?」
「イタッ!だからそこだって!」
「検査を・・・」
「オイ先生よ。この痛みをまずなんとかしてくれよ!」
「は、はい。では・・・看護婦さん、ペンタジンを!」
「はい」
「また腹痛。53歳男性。イレウスで入院歴あります。今回もイレウスだそうです」
「なんで分かるんだよ?」
「入ってもらいます」
これまた苦い顔をした男性。
「また起こした。症状で分かる」
「吐き気は?」
「吐き気はないが、ムカムカする」
「・・・便は出てます?」
「昨日出た。ウサギの糞みたいなのがな」
ウサギの糞・・・・。
「検査に行きましょう・・・次!」
「先生、いつになったらわしの・・ヒック」
「ああ、すみません。忘れてました」
「ヒック・・これでどうやらヒック、年越さないかヒック・・」
ナースが入ってくる患者を押し戻した。
「勝手に!はいらないで!ください!」
・・今のでびっくりして止まってないかな・・・。
「一度来た患者です。21歳女性、下腹部痛」
「いっぺん帰ったのか?」
「検査に行ったんですが途中で帰ったんです。また痛くなったって」
「検査結果は・・」
「佐々木先生が骨盤腹膜炎を心配されてました」
「こ、骨盤腹膜炎・・・怖そうだな。でもよく分からん。とにかく婦人科の先生に相談だ」
「ですね。こちらから呼びましょうか」
「ああ、ただし佐々木先生がそう診断していた、と伝えてよ!」
「分かりま・・・きゃあ!」
いきなり若い男が乱入してきた。
「おいコラ先生!あんだけ検査しといてどういうつもりや!こっちはマトモに年、越せんやないか!」
ヤクザの兄ちゃん風の男は至近距離にまで接近してきた。
「い、今・・その、婦人科の先生を呼んでます」
「あにィ?」
「骨盤の病気を疑ってまして・・」
「どういうことや?オレが関係しとるってのか?おお?」
「はあ?」
「ど、どれくらいでようなるんや」
「それはその先生に・・・」
「アカンアカン!診断はどうでもええから、とりあえず痛みだけ止めたってえな!」
「まず診断を・・」
「本人が困っとんがな!ほんで骨盤なんちゃらのほうは飲み薬でも出してくれえな!」
「ダメです!」
「なんやとコラア!」
兄ちゃんはイスごと僕の足を蹴り上げた。2、3発。
ナースが飛び上がった。
「け、警察、警察ぅ!」
兄ちゃんは反射的に診察室を飛び出した。
外を見ると・・女性も消えている。
後ろから佐々木先生が呼び止めた。
「おいユウキ先生!勝手に持ち場を離れるな!」
「え、ええ」
「ペンタジンを注射した患者だがな」
「はい」
「診断も固まりかけてないのに、ああいう処置は困るんだよ」
「ええ、しかしかなり痛そうで・・」
「本人は症状マシだと言ってるが」
「そうですか、よかった」
「よくないぞ。確かに血液検査では炎症所見はないが。食後のため画像上、胆石が除外できてない」
「胆石の可能性が高いんですか」
「もし胆石なら、今の処置は単に痛みをごまかしただけだ」
「注射を間違えたんでしょうか・・」
「胆石の痛みと目星をつけたら、ブスコパンのほうを選ぶべきだ。君の好きな、アレを合併してなければな」
「イレウスですか」
「ああ。この患者、ペンタジンの効力が切れたらまた来るかもな。さ、戻ろう」
ナースが積みあがったカルテを上から押し押ししている。
「先生、15冊ほどありますので」
「わかってるよ」
「紹介が3人ほど」
「開業医って・・・!年末は手放しかよ!」
「さあ、私たちにはそれは・・」
「じゃ、次!」
「センセ、さきほどのしゃっくりの方が・・」
「入れるなよ!」
「開業医さんからの紹介。息切れです」
「SpO2 96か。タバコ吸ってます?」
聞くまでもなかった。71歳やせぎみの男性のポケットにタバコの箱が。
肋骨がハッキリするくらい痩せてるな。ひょっとして。
「咳・痰はけっこう以前からあったのでは?」
「ああ、まあ多少はな」
「タバコは何年?1日何本?」
「50年・・・1日40本かなあ」
50 X 40 = 2000 か。 B.I. >400 で、肺癌の高リスクだ。
「先生、そのさっき指先で測ったやつ。開業医さんでもいつも95はあるんだ」
「それはあくまでも酸素なので・・・看護婦さん、血液ガスを」
二酸化炭素が知りたい。たぶんCOPDのような気がする。
「53歳男性のイレウス再発疑い、その人の写真がこれです」
「小腸ガス、二ボー付き。典型的イレウスだ。入ってもらって」
「失礼します。あ、イレウスになっておる」
「よく分かりましたね?」
「そりゃアンタ分かりますわ。何回も入院してるのに。それに」
「それに?何です?」
「わしも医者やからのう」
「はあ?そ、そうだったんですか?」
職業を医者と聞いて態度がコロッと変わることは珍しくない。
「絶飲食で、点滴は1日3リットル。軽症の部屋に入院です」
その医者、いや患者は待ったをかけた。
「わし心不全になったことあるから2.5リットルでね。ガスターも入れてや。抗生剤はホスミシンでお願いな」
「え?ああ、はい・・・」
「胃チューブ、あれはわし必要ないから。正月三が日は経過をみることにする」
「え?しかし」
「内科の松本部長はわし知り合いやから、年明け朝1番に診てもらうな。アイタタ」
とても同業者と思えないその医者はそうやって自分で指示を出し、診察室を出て行った。
佐々木先生がヅカヅカやってきた。
「おい先生、今年もよろしくな!」
「はあ?」
「今、新年になったところだ。おめでとう」
「はい!おめでとうございます!」
「お、おい。小さな声で!」
大晦日の救急にはその言葉は「禁忌」だ。
心不全の患者だ。
「どうしても、帰られるんですか・・・」
「わしが帰らんと、従業員が・・」
またか。仕方ない。トラブルにならないよう、カルテにはきちんと記載しておこう。
夜11時。新年まで1時間。患者の勢いは止まらない。
「くーっ・・・ふああ」
あくびも出た。偶然か少し離れた佐々木先生もあくびしている。
「ふああ・・ユウキ先生よ、挿管チューブは入ってたか?」
「ええ、レントゲン確認しました。ありがとうございます」
「自殺企図は仕方なく、隣接の病院に送ったよ」
「そういえばいませんね」
「もう重症の入院は取れないな。脳外科とか他の病棟にお願いせんかぎり・・」
僕は診察室へ戻った。カルテはまだ30冊くらいある。佐々木先生もまだ20冊くらいあるようだ。
「次の人・・・」
紹介状つきだ。しかし日付は2週間前。
「先日、一過性の麻痺が出現・・・・TIAってことか?引き続きご加療をお願いします。脳外科あて?」
ナースが覗き込んだ。
「センセ、うちは脳外科はオペ適応のときのみコールですから」
「今回は症状が?」
「片側に力が入らないと」
「おい、それ!脳外科が診たほうが・・」
「まずは救急のドクターが診るという原則です」
「・・・・じゃ、入ってもらおうか・・・」
60歳男性。車椅子。
「いはん。みひへにひからがはいはん」
構語障害もあるようだ。症状の再発は3時間前らしい。
「まず、頭部のCTを・・・あ、待って!」
脈をみる・・・afではないようだ。
「センセ、腹痛が増えてきましたね。これも。38歳男性」
「入って」
不機嫌そうな肥満男性だ。
「みぞおちが・・イテテ」
「食事したあと?」
「ああ、特にね」
「みぞおち・・ここ?」
「イタッ!だからそこだって!」
「検査を・・・」
「オイ先生よ。この痛みをまずなんとかしてくれよ!」
「は、はい。では・・・看護婦さん、ペンタジンを!」
「はい」
「また腹痛。53歳男性。イレウスで入院歴あります。今回もイレウスだそうです」
「なんで分かるんだよ?」
「入ってもらいます」
これまた苦い顔をした男性。
「また起こした。症状で分かる」
「吐き気は?」
「吐き気はないが、ムカムカする」
「・・・便は出てます?」
「昨日出た。ウサギの糞みたいなのがな」
ウサギの糞・・・・。
「検査に行きましょう・・・次!」
「先生、いつになったらわしの・・ヒック」
「ああ、すみません。忘れてました」
「ヒック・・これでどうやらヒック、年越さないかヒック・・」
ナースが入ってくる患者を押し戻した。
「勝手に!はいらないで!ください!」
・・今のでびっくりして止まってないかな・・・。
「一度来た患者です。21歳女性、下腹部痛」
「いっぺん帰ったのか?」
「検査に行ったんですが途中で帰ったんです。また痛くなったって」
「検査結果は・・」
「佐々木先生が骨盤腹膜炎を心配されてました」
「こ、骨盤腹膜炎・・・怖そうだな。でもよく分からん。とにかく婦人科の先生に相談だ」
「ですね。こちらから呼びましょうか」
「ああ、ただし佐々木先生がそう診断していた、と伝えてよ!」
「分かりま・・・きゃあ!」
いきなり若い男が乱入してきた。
「おいコラ先生!あんだけ検査しといてどういうつもりや!こっちはマトモに年、越せんやないか!」
ヤクザの兄ちゃん風の男は至近距離にまで接近してきた。
「い、今・・その、婦人科の先生を呼んでます」
「あにィ?」
「骨盤の病気を疑ってまして・・」
「どういうことや?オレが関係しとるってのか?おお?」
「はあ?」
「ど、どれくらいでようなるんや」
「それはその先生に・・・」
「アカンアカン!診断はどうでもええから、とりあえず痛みだけ止めたってえな!」
「まず診断を・・」
「本人が困っとんがな!ほんで骨盤なんちゃらのほうは飲み薬でも出してくれえな!」
「ダメです!」
「なんやとコラア!」
兄ちゃんはイスごと僕の足を蹴り上げた。2、3発。
ナースが飛び上がった。
「け、警察、警察ぅ!」
兄ちゃんは反射的に診察室を飛び出した。
外を見ると・・女性も消えている。
後ろから佐々木先生が呼び止めた。
「おいユウキ先生!勝手に持ち場を離れるな!」
「え、ええ」
「ペンタジンを注射した患者だがな」
「はい」
「診断も固まりかけてないのに、ああいう処置は困るんだよ」
「ええ、しかしかなり痛そうで・・」
「本人は症状マシだと言ってるが」
「そうですか、よかった」
「よくないぞ。確かに血液検査では炎症所見はないが。食後のため画像上、胆石が除外できてない」
「胆石の可能性が高いんですか」
「もし胆石なら、今の処置は単に痛みをごまかしただけだ」
「注射を間違えたんでしょうか・・」
「胆石の痛みと目星をつけたら、ブスコパンのほうを選ぶべきだ。君の好きな、アレを合併してなければな」
「イレウスですか」
「ああ。この患者、ペンタジンの効力が切れたらまた来るかもな。さ、戻ろう」
ナースが積みあがったカルテを上から押し押ししている。
「先生、15冊ほどありますので」
「わかってるよ」
「紹介が3人ほど」
「開業医って・・・!年末は手放しかよ!」
「さあ、私たちにはそれは・・」
「じゃ、次!」
「センセ、さきほどのしゃっくりの方が・・」
「入れるなよ!」
「開業医さんからの紹介。息切れです」
「SpO2 96か。タバコ吸ってます?」
聞くまでもなかった。71歳やせぎみの男性のポケットにタバコの箱が。
肋骨がハッキリするくらい痩せてるな。ひょっとして。
「咳・痰はけっこう以前からあったのでは?」
「ああ、まあ多少はな」
「タバコは何年?1日何本?」
「50年・・・1日40本かなあ」
50 X 40 = 2000 か。 B.I. >400 で、肺癌の高リスクだ。
「先生、そのさっき指先で測ったやつ。開業医さんでもいつも95はあるんだ」
「それはあくまでも酸素なので・・・看護婦さん、血液ガスを」
二酸化炭素が知りたい。たぶんCOPDのような気がする。
「53歳男性のイレウス再発疑い、その人の写真がこれです」
「小腸ガス、二ボー付き。典型的イレウスだ。入ってもらって」
「失礼します。あ、イレウスになっておる」
「よく分かりましたね?」
「そりゃアンタ分かりますわ。何回も入院してるのに。それに」
「それに?何です?」
「わしも医者やからのう」
「はあ?そ、そうだったんですか?」
職業を医者と聞いて態度がコロッと変わることは珍しくない。
「絶飲食で、点滴は1日3リットル。軽症の部屋に入院です」
その医者、いや患者は待ったをかけた。
「わし心不全になったことあるから2.5リットルでね。ガスターも入れてや。抗生剤はホスミシンでお願いな」
「え?ああ、はい・・・」
「胃チューブ、あれはわし必要ないから。正月三が日は経過をみることにする」
「え?しかし」
「内科の松本部長はわし知り合いやから、年明け朝1番に診てもらうな。アイタタ」
とても同業者と思えないその医者はそうやって自分で指示を出し、診察室を出て行った。
佐々木先生がヅカヅカやってきた。
「おい先生、今年もよろしくな!」
「はあ?」
「今、新年になったところだ。おめでとう」
「はい!おめでとうございます!」
「お、おい。小さな声で!」
大晦日の救急にはその言葉は「禁忌」だ。
< レジデンツ・フォース 6 新EMERGENCY ? >
2004年4月10日 連載『アレを注射したらどうだ・・・』
「・・よし、プリンペランで!用意を!」
プリンペランを静注。しかし・・・同じだ。
『アレを入れるのは・・・』
「胃管チューブを」
チューブは喉にようやく入った。モゾモゾと動かしたが・・・
「へえっくしょい!ヒック」
くしゃみをまともに浴びただけだった。
「オイ先生!そんな軽症にかまうな!まだ30冊はある!」
佐々木先生の怒りをよそに、事務はカルテ10冊分の束をドカッと積み上げた。
「何だよオイ!」
「い、いえ。私らは・・」
確かに関係ないよな。佐々木先生はかなりハイパーテンスだ。
「ヒック・・次はひっく・・どうしまんおヒック」
とりあえず下がってもらうことにした。
「つ、次の方を!」
「44歳女性。里帰り中に嘔気」
「妊娠じゃないだろうな」
「外来の外で4回吐いたそうです。これが・・」
「うわっ!そんなの、近づけるな!」
ナースはホイホイとこれ見よがしに吐物入りの袋の口を開けていた。
思わず鼻をつまんだ。
「血は混じってないですねー」
「入っへもはっへよ!」
「・・・気分が悪くて。船酔いで」
「いちおう検査を・・・結果出るまで点滴して待ちましょうか」
「おぷっ」
「あーあー!」
白衣をつかまれ、その中に吐かれた。
12/31の夕方。患者数は衰えるところを知らない。
佐々木先生30冊、僕は25冊、といったところだろうか。
「ユウキ先生、とりあえず問診表を見て、重症をまず診察・検査!カゼとかは待たせてまとめて、速攻で診ろ!」
「は、はい」
「自殺企図の薬物中毒が来るらしい!オレが診る!」
「救急車ですね。いったい何を?」
「農薬という話だ。看護婦さん、経鼻チューブ!胃洗浄の用意を!逃げずにちゃんと手伝ってくれよ!」
「農薬・・・こんな年末に」
「59歳男性!息切れです」
「SpO2 90%か・・・喘鳴が聞こえるな。気管支喘息か、心臓喘息か。検査して鑑別を・・」
『既往歴は聞いたか?』
「問診表には書いてないが・・・あのう、今まで何か病気は?」
『誘導尋問だ』
「あ、そうか。あの、今まで気管支喘息とか、心不全とか・・」
「いや、そんなんはない」
『尋問が足りない・・』
「そうかな・・あのう、スプレーもらったりとかしました?あと、体に貼るような・・、舌の下に含むような薬とか」
「ニトロやったらあるな」
「よし!」
「?」
「狭心症と言われたんですか?」
「ああ。言われてた」
「カテーテル検査を?」
「いや、近くの開業医ですぐに診断された。検査はなんもせんのにな。胸がドキドキした、というだけでね」
「なるほど・・」
開業医で診断された「狭心症」ほど曖昧ミーなものはない。
「あのう、それはいつの話で?」
「2週間前。ドキドキは今もあるけどな」
脈は・・・今は飛んでない。
「飲み薬は・・」
「持ってきとらん」
『情報は、可能な限り当たれ・・』
「もしもし、クリニックですか?年末もされてるんですね。助かります。処方のファックスを」
5分後ファックスが来た。
「βブロッカー・・・これか!」
投与量が通常の2倍を越えていた。そういや徐脈ぎみだ。レントゲンでは心拡大。胸水もある。
患者は少し息が荒そうだ。
「急性の心不全です。入院を」
「それは無理や。今日の晩の便で東京へ行かなきゃならん」
「しかし、それは・・!」
「年末でも、会議なんや。わしが倒れたら、従業員の連中を路頭に迷わすことに」
「それは・・できません!」
「わしの命や!わしの!さあ、点滴でもしてはよ治してえな!」
「点滴したら、よけいに・・!」
「そこの開業医はいつでもしてくれたぞ!今日もな!デカイ奴を!そしたら大きな病院行ったらもうちょっとマシになると」
なんて医者だ!
「仕方ない。今から点滴します。注射もね」
「そ、そうか」
「看護婦さん。5%TZの点滴をかなりゆっくりで。側管からラシックス1アンプルを注射」
ナースは驚いた。
「ここで?先生、病棟でしないと」
「だって入院無理だって言うし!」
「家族を説得してよ」
「家族への連絡先は教えてくれないんだよ!」
「帰らせましょうよ」
「そんなことしたら、従業員が・・」
「あたしらも従業員ですけど」
退職金目当ての、だろ。
院内ポケベルがいきなり鳴り出した。
「どうしてポケベルが鳴るんだ?もしもし・・・病棟?わかった」
佐々木先生が自殺企図患者の胃洗浄をしている。チューブからの排液はかなり白い。
「どうしたんだ?」
「急変です。さっきの・・」
「モチ詰まらせた肺炎か?」
急いで病棟へ。12階のエレベーターはタッチの差で閉まった・・ちょうど上に上がったところだ。
階段で登った。しかし、思うように駆け上がれない。足が重い。足の裏が痛い。途中で立ち止まった。
喉も渇いた。トイレも行ってない。腹も減った。今は夜の・・・8時だ。よく死なないな。
やっと呼吸器病棟へ。とたん、ポケベルがまた鳴り出すが、無視。
重症部屋に入ったところ、看護婦が何やら押し込んでいる。
「何を押してるの?」
「ああ先生、やっと来た」
その看護婦が押し込んでいるのは挿管チューブだった。
「何で押し込むの?」
「いったん抜けそうになったんですよ、だから」
聴診したが・・・どうも肺に空気が入ってない。ゴロゴロという音はする。信じたくはないが。
「呼吸器からの空気は・・・口から出てるよ!」
「どうしてですか?口からチューブ、入れてるのに」
「気管から抜けたんじゃないのか?そ、それ以上入れるな!」
「15cmも入ってません。でもこれ以上入りません」
「食道に入ってるんじゃないのか?それでSpO2が下がって・・」
僕が呼ばれたんだ。
「どいてくれ!ったく!ここの看護婦は・・!ホントに呼吸器病棟かよ?」
「重症は久しぶりなもので」
「うるさいな!」
また挿管しなきゃいけない。チューブは痰や唾液でビチビチだ。
「チューブを新しいのに!」
「はあ・・・」
「早く貸せ!」
「先生、家族への説明は?」
「今できるか、そんなの?」
吸引してもらい口腔内を覗くが・・・。
「ダメだ、声門が見えない。この喉頭鏡なんだ?点いてないぞ!」
「電池、電池・・・」
「モニターはどこだよ?」
「今、つけます」
「脈がふれてないぞ」
「電池、取ってきます」
「待てよ!どうしてくれんだ!」
「挿管チューブ、入りましたか?」
「入らないんだよ!」
「安部先生は気管支鏡使われてますが」
「オレはまだできないんだよ!・・・ダメだ。佐々木先生に連絡を!」
ダメだ。胃に入ってしまう。アンビューで聴診してもグル音だ。手が震えてきた。
オーベンのフォースも聞こえてこない。
看護婦が入ってきた。
「先生、佐々木先生は救急で手一杯だと。そちらには行けないそうです。救急室をドクターなしにはできないと」
「くく・・ならば・・・」
『先生、発想を変えろ・・・』
「・・・こちらから行くまでだ」
「ええっ?ストレッチャーで救急室へ戻るの?」
「さあ、行こう。移すぞ、1,2・・・!」
ボスミン追加の上、僕はストレッチャーの上に乗ってアンビューを押し続けた。
救急室へ到着。佐々木先生は驚いた。
「なっ?」
「すみません、先生。挿管、お願いします」
近くで横になっている自殺企図の患者・・・あいた口が塞がらない、といった表情に見えた。
「・・よし、プリンペランで!用意を!」
プリンペランを静注。しかし・・・同じだ。
『アレを入れるのは・・・』
「胃管チューブを」
チューブは喉にようやく入った。モゾモゾと動かしたが・・・
「へえっくしょい!ヒック」
くしゃみをまともに浴びただけだった。
「オイ先生!そんな軽症にかまうな!まだ30冊はある!」
佐々木先生の怒りをよそに、事務はカルテ10冊分の束をドカッと積み上げた。
「何だよオイ!」
「い、いえ。私らは・・」
確かに関係ないよな。佐々木先生はかなりハイパーテンスだ。
「ヒック・・次はひっく・・どうしまんおヒック」
とりあえず下がってもらうことにした。
「つ、次の方を!」
「44歳女性。里帰り中に嘔気」
「妊娠じゃないだろうな」
「外来の外で4回吐いたそうです。これが・・」
「うわっ!そんなの、近づけるな!」
ナースはホイホイとこれ見よがしに吐物入りの袋の口を開けていた。
思わず鼻をつまんだ。
「血は混じってないですねー」
「入っへもはっへよ!」
「・・・気分が悪くて。船酔いで」
「いちおう検査を・・・結果出るまで点滴して待ちましょうか」
「おぷっ」
「あーあー!」
白衣をつかまれ、その中に吐かれた。
12/31の夕方。患者数は衰えるところを知らない。
佐々木先生30冊、僕は25冊、といったところだろうか。
「ユウキ先生、とりあえず問診表を見て、重症をまず診察・検査!カゼとかは待たせてまとめて、速攻で診ろ!」
「は、はい」
「自殺企図の薬物中毒が来るらしい!オレが診る!」
「救急車ですね。いったい何を?」
「農薬という話だ。看護婦さん、経鼻チューブ!胃洗浄の用意を!逃げずにちゃんと手伝ってくれよ!」
「農薬・・・こんな年末に」
「59歳男性!息切れです」
「SpO2 90%か・・・喘鳴が聞こえるな。気管支喘息か、心臓喘息か。検査して鑑別を・・」
『既往歴は聞いたか?』
「問診表には書いてないが・・・あのう、今まで何か病気は?」
『誘導尋問だ』
「あ、そうか。あの、今まで気管支喘息とか、心不全とか・・」
「いや、そんなんはない」
『尋問が足りない・・』
「そうかな・・あのう、スプレーもらったりとかしました?あと、体に貼るような・・、舌の下に含むような薬とか」
「ニトロやったらあるな」
「よし!」
「?」
「狭心症と言われたんですか?」
「ああ。言われてた」
「カテーテル検査を?」
「いや、近くの開業医ですぐに診断された。検査はなんもせんのにな。胸がドキドキした、というだけでね」
「なるほど・・」
開業医で診断された「狭心症」ほど曖昧ミーなものはない。
「あのう、それはいつの話で?」
「2週間前。ドキドキは今もあるけどな」
脈は・・・今は飛んでない。
「飲み薬は・・」
「持ってきとらん」
『情報は、可能な限り当たれ・・』
「もしもし、クリニックですか?年末もされてるんですね。助かります。処方のファックスを」
5分後ファックスが来た。
「βブロッカー・・・これか!」
投与量が通常の2倍を越えていた。そういや徐脈ぎみだ。レントゲンでは心拡大。胸水もある。
患者は少し息が荒そうだ。
「急性の心不全です。入院を」
「それは無理や。今日の晩の便で東京へ行かなきゃならん」
「しかし、それは・・!」
「年末でも、会議なんや。わしが倒れたら、従業員の連中を路頭に迷わすことに」
「それは・・できません!」
「わしの命や!わしの!さあ、点滴でもしてはよ治してえな!」
「点滴したら、よけいに・・!」
「そこの開業医はいつでもしてくれたぞ!今日もな!デカイ奴を!そしたら大きな病院行ったらもうちょっとマシになると」
なんて医者だ!
「仕方ない。今から点滴します。注射もね」
「そ、そうか」
「看護婦さん。5%TZの点滴をかなりゆっくりで。側管からラシックス1アンプルを注射」
ナースは驚いた。
「ここで?先生、病棟でしないと」
「だって入院無理だって言うし!」
「家族を説得してよ」
「家族への連絡先は教えてくれないんだよ!」
「帰らせましょうよ」
「そんなことしたら、従業員が・・」
「あたしらも従業員ですけど」
退職金目当ての、だろ。
院内ポケベルがいきなり鳴り出した。
「どうしてポケベルが鳴るんだ?もしもし・・・病棟?わかった」
佐々木先生が自殺企図患者の胃洗浄をしている。チューブからの排液はかなり白い。
「どうしたんだ?」
「急変です。さっきの・・」
「モチ詰まらせた肺炎か?」
急いで病棟へ。12階のエレベーターはタッチの差で閉まった・・ちょうど上に上がったところだ。
階段で登った。しかし、思うように駆け上がれない。足が重い。足の裏が痛い。途中で立ち止まった。
喉も渇いた。トイレも行ってない。腹も減った。今は夜の・・・8時だ。よく死なないな。
やっと呼吸器病棟へ。とたん、ポケベルがまた鳴り出すが、無視。
重症部屋に入ったところ、看護婦が何やら押し込んでいる。
「何を押してるの?」
「ああ先生、やっと来た」
その看護婦が押し込んでいるのは挿管チューブだった。
「何で押し込むの?」
「いったん抜けそうになったんですよ、だから」
聴診したが・・・どうも肺に空気が入ってない。ゴロゴロという音はする。信じたくはないが。
「呼吸器からの空気は・・・口から出てるよ!」
「どうしてですか?口からチューブ、入れてるのに」
「気管から抜けたんじゃないのか?そ、それ以上入れるな!」
「15cmも入ってません。でもこれ以上入りません」
「食道に入ってるんじゃないのか?それでSpO2が下がって・・」
僕が呼ばれたんだ。
「どいてくれ!ったく!ここの看護婦は・・!ホントに呼吸器病棟かよ?」
「重症は久しぶりなもので」
「うるさいな!」
また挿管しなきゃいけない。チューブは痰や唾液でビチビチだ。
「チューブを新しいのに!」
「はあ・・・」
「早く貸せ!」
「先生、家族への説明は?」
「今できるか、そんなの?」
吸引してもらい口腔内を覗くが・・・。
「ダメだ、声門が見えない。この喉頭鏡なんだ?点いてないぞ!」
「電池、電池・・・」
「モニターはどこだよ?」
「今、つけます」
「脈がふれてないぞ」
「電池、取ってきます」
「待てよ!どうしてくれんだ!」
「挿管チューブ、入りましたか?」
「入らないんだよ!」
「安部先生は気管支鏡使われてますが」
「オレはまだできないんだよ!・・・ダメだ。佐々木先生に連絡を!」
ダメだ。胃に入ってしまう。アンビューで聴診してもグル音だ。手が震えてきた。
オーベンのフォースも聞こえてこない。
看護婦が入ってきた。
「先生、佐々木先生は救急で手一杯だと。そちらには行けないそうです。救急室をドクターなしにはできないと」
「くく・・ならば・・・」
『先生、発想を変えろ・・・』
「・・・こちらから行くまでだ」
「ええっ?ストレッチャーで救急室へ戻るの?」
「さあ、行こう。移すぞ、1,2・・・!」
ボスミン追加の上、僕はストレッチャーの上に乗ってアンビューを押し続けた。
救急室へ到着。佐々木先生は驚いた。
「なっ?」
「すみません、先生。挿管、お願いします」
近くで横になっている自殺企図の患者・・・あいた口が塞がらない、といった表情に見えた。
< レジデンツ・フォース 4 新EMERGENCY ?>
2004年4月9日 連載「じゃ、順番に」
「もう横になってます」
「この人?」
「老人ホームからです。熱発」
「ホームってこういうのばかりか?」
「SpO2 80%。酸素はさせてもらってます。誤嚥性肺炎ですかね、先生」
「ああ、レントゲン撮らないと」
「その写真!」
「え?ああ、影は・・ハッキリしないな。誤嚥性肺炎の場合は、影はすぐには出ないからな」
「上げますか?病棟に?」
「そうしよう」
いかん。完全に彼女らのペースだ。自分のペースに追い込まないと・・・。
「入院時指示はこれ。抗生剤はダラシンSで」
「抗生剤はなるべく皮内反応のないもので」
「だからダラSでいいだろ!」
「はあ」
なめられてる・・・。
「先生次、カゼです」
「先に診断するなよ!」
「しっ先生、患者さんはそこ」
「あ、ああ・・すんません」
若年女性がコンコン咳こんでる。いつものように誘導尋問だ。
「喉が痛いんですね?」
「痛くはないけど、イガイガします。エヘン虫みたいな」
「なんか懐かしいな・・・で、痰は?」
「痰はちょっぴり」
「熱は・・看護婦さん!」
「そこに書いてるでしょ。39度!」
「インフルエンザかな・・吐き気は?」
「あります」
「あちこち痛いですか?」
「そりゃもう」
「インフルエンザかな・・・」
当時は診断のキットもなく、タミフルもない。
「シンメトレル処方、点滴・・・と。しかしやっぱり処方してしまう、抗生剤・・セフゾン!やっぱセフェム系好きなのは、大学の名残りかなあ?」
「何ブツブツしゃべってんの先生?次!」
この急かし方・・○○予防会の健診よりも、徹底している。
「44歳男性、胸痛か・・よし!」
「この方です」
「胸のどこが?」
「なんか全体的にもやっとするんですわあ」
「聴診を・・」
これといった印象はない。
「じゃ、検査を・・待って!血圧・・」
210/122mmHg。
「ちょっと高めですね。検査は車椅子で行きましょう」
看護婦が至近距離でつぶやく。
「先生、処置は?」
「そうだな・・」
「アダラートの舌下?」
「いや、それは却って血圧上げるような・・・ぺルジピンの内服を。で、安静30分後に再検」
「先生がしてください」
「はあ・・」
「7歳男性、鼻水!」
「だ、男性って、子供じゃないか」
「前みたいに小児科の先生はダメですよ」
「・・・で、熱は?ああ、38度・・」
男の子は口で息している。苦しそうだ。
「ぼく、喉を・・・」
「イヤだ」
「は?」
「見せない」
「こ、困るな。これだから、子供は・・看護婦さん、親は?」
「呼びます・・・ささ、こちらです」
母親は頼りなさげに、子供を説得しはじめた。
「たくと、口を開いて、ねえ、たくと・・・」
子供は全く動じてない。
「イヤだ。絶対イヤだ!」
僕は舌圧子とペンライトを持ったまま構えていた。
しかしこのときの対策を、以前オーベンから教わっていた。
「じゃ、いいよ、もう見ないから・・・・・ハイ!11たす22は?」
子供は反射的に答えた。
「33」
「もっと大きい声でゆっくりと!ハイ!」
「さんじゅうさ・・!・・・・うわあ!」
そのスキをついて、僕は舌圧子とペンライトを突っ込んだ。
「発赤なし。鼻カゼか鼻炎で処方します」
「70歳女性。糖尿あるそうです。体がだるいと」
「デキスターは・・」
「もう測りました。544です」
「そんなの、平気で言うなよ」
「症状はありません。かなりボケてます」
「入ってもらってよ・・・おばあちゃん、いや・・・大隅さん?」
これもオーベンから注意されたが、患者を「おじいちゃん・おばあちゃん」呼ばわりしてはいけない。個人名で呼ぶのだ。
「なんか、返事、ないなあ・・」
大隅さんはニコニコしながら頷いている。
「困ったな・・家の人は?」
「荷物を取りに帰ると」
「入院決まったのかよ?」
「はあ、多分そうなると」
「看護婦さんの判断?そこまでやっても・・」
「いいえ、ちゃんと佐々木先生に問い合わせました!」
「診てるのは、僕なんだけど・・」
「佐々木先生は車の渋滞のため、少し遅れるとのことです」
「・・・インスリンの指示、これね。じゃ、一般病棟へ。一般内科のドクターを主治医に」
「50歳男性。喀血です」
「Tbじゃないだろうな」
「レントゲン撮りますか」
「ああ、CTも」
「心電図も?」
「そうだな・・肺梗塞ってこともあるな。さっき本読んでてよかった」
「32歳、喘息です」
「よし!」
「先生、自分の専門のときは調子いいですね」
「大きなお世話。入って入って!」
聴診でwheeze著明。喘息はふだんの内服が重要だ。テオフィリンを点滴に入れるかどうかの判断のとき。
「薬ですか?テオドールと・・・」
「看護婦さん点滴!生食とサクシゾンのみで!」
看護婦はメガネの上から覗いた。
「ネオフィリンは入れないんですか?」
「中毒にしたらいかんでしょうが・・はい次!」
「59歳女性。めまい」
「さ、どうぞ」
血圧・脈は正常・・・。50代以上の女性なら、更年期の自律神経症状か、メニエルか。
しかしルールアウトはしておく義務がある。
「頭部CTと心電図、採血・・ついでにレントゲンも。心エコーは僕がします」
1人の看護婦が感心してくれた。
「先生、肺も心臓も診れるの・・珍しいわね・・」
「37歳女性、ひどい咳」
「熱はなし・・か」
聴診は正常。咳以外あまり特徴がない。SpO2も正常。
「動物飼ってます?」
「・・いいえ」
「家族の人は?」
「独身です」
「う・・じゃ、職場の人は?」
「みんな咳き込んでます」
たぶんマイコプラズマの類だ。
「クラリス処方!あ、時間あります?・・ミノマイシンの点滴を。あ、レントゲンは・・・」
オーベンから注意されたのを思い出した。若年女性、独身女性への被曝はなるべく避けてあげろ。
「明日、また昼間の外来に来てください」
「22歳の過換気が今から救急で来ます」
「またか、イヤだな・・・佐々木先生は?」
「まだのようですね」
「ったく・・・!」
救急車は到着した。バイタル自体は・・正常のようだ。
看護婦は袋を用意した。
「先生、ここは私たちでやりますので」
「任せます・・次の人!」
「動悸です」
「よし!」
「なんで、よしなんですか?」
「心電図を!」
12誘導ではaf。既往はないらしい。
「pafだ。ルート取ったらジギラノゲンを!」
「ご苦労さん」
佐々木先生が後ろから肩を叩いた。
「さっきの喀血は肺癌じゃないかな・・CTで肺門部に腫瘤がある」
「・・・リンパ節と融合している・・それにデカイ」
「となると?俺は専門じゃないから分からないが」
「small cellじゃないでしょうか」
「そ、そうか。ま、呼吸器科へ入院かな」
確かに・・大学病院でも教わったが、『全ての喀血は入院・気管支鏡の適応』だ!
看護婦から。
「さっきの血圧高い人、再検で170/80mmHg!帰ってもらいますね!」
「そうだな・・ベッドも埋まるし。今日は安静にってことで。明日受診してくれと」
「はい!で、ジギラノゲンの用意できましたのでお願いします!」
佐々木先生が間に入った。
「オレがやろう。でもこれも専門でないなぁ・・。ジギ1Aと生食20ml・・・これを何分でいくんだ?」
「5分で!」
「血圧測定しながらか?」
「モニター見ながら!」
「そ、そうか・・」
<つづく>
「もう横になってます」
「この人?」
「老人ホームからです。熱発」
「ホームってこういうのばかりか?」
「SpO2 80%。酸素はさせてもらってます。誤嚥性肺炎ですかね、先生」
「ああ、レントゲン撮らないと」
「その写真!」
「え?ああ、影は・・ハッキリしないな。誤嚥性肺炎の場合は、影はすぐには出ないからな」
「上げますか?病棟に?」
「そうしよう」
いかん。完全に彼女らのペースだ。自分のペースに追い込まないと・・・。
「入院時指示はこれ。抗生剤はダラシンSで」
「抗生剤はなるべく皮内反応のないもので」
「だからダラSでいいだろ!」
「はあ」
なめられてる・・・。
「先生次、カゼです」
「先に診断するなよ!」
「しっ先生、患者さんはそこ」
「あ、ああ・・すんません」
若年女性がコンコン咳こんでる。いつものように誘導尋問だ。
「喉が痛いんですね?」
「痛くはないけど、イガイガします。エヘン虫みたいな」
「なんか懐かしいな・・・で、痰は?」
「痰はちょっぴり」
「熱は・・看護婦さん!」
「そこに書いてるでしょ。39度!」
「インフルエンザかな・・吐き気は?」
「あります」
「あちこち痛いですか?」
「そりゃもう」
「インフルエンザかな・・・」
当時は診断のキットもなく、タミフルもない。
「シンメトレル処方、点滴・・・と。しかしやっぱり処方してしまう、抗生剤・・セフゾン!やっぱセフェム系好きなのは、大学の名残りかなあ?」
「何ブツブツしゃべってんの先生?次!」
この急かし方・・○○予防会の健診よりも、徹底している。
「44歳男性、胸痛か・・よし!」
「この方です」
「胸のどこが?」
「なんか全体的にもやっとするんですわあ」
「聴診を・・」
これといった印象はない。
「じゃ、検査を・・待って!血圧・・」
210/122mmHg。
「ちょっと高めですね。検査は車椅子で行きましょう」
看護婦が至近距離でつぶやく。
「先生、処置は?」
「そうだな・・」
「アダラートの舌下?」
「いや、それは却って血圧上げるような・・・ぺルジピンの内服を。で、安静30分後に再検」
「先生がしてください」
「はあ・・」
「7歳男性、鼻水!」
「だ、男性って、子供じゃないか」
「前みたいに小児科の先生はダメですよ」
「・・・で、熱は?ああ、38度・・」
男の子は口で息している。苦しそうだ。
「ぼく、喉を・・・」
「イヤだ」
「は?」
「見せない」
「こ、困るな。これだから、子供は・・看護婦さん、親は?」
「呼びます・・・ささ、こちらです」
母親は頼りなさげに、子供を説得しはじめた。
「たくと、口を開いて、ねえ、たくと・・・」
子供は全く動じてない。
「イヤだ。絶対イヤだ!」
僕は舌圧子とペンライトを持ったまま構えていた。
しかしこのときの対策を、以前オーベンから教わっていた。
「じゃ、いいよ、もう見ないから・・・・・ハイ!11たす22は?」
子供は反射的に答えた。
「33」
「もっと大きい声でゆっくりと!ハイ!」
「さんじゅうさ・・!・・・・うわあ!」
そのスキをついて、僕は舌圧子とペンライトを突っ込んだ。
「発赤なし。鼻カゼか鼻炎で処方します」
「70歳女性。糖尿あるそうです。体がだるいと」
「デキスターは・・」
「もう測りました。544です」
「そんなの、平気で言うなよ」
「症状はありません。かなりボケてます」
「入ってもらってよ・・・おばあちゃん、いや・・・大隅さん?」
これもオーベンから注意されたが、患者を「おじいちゃん・おばあちゃん」呼ばわりしてはいけない。個人名で呼ぶのだ。
「なんか、返事、ないなあ・・」
大隅さんはニコニコしながら頷いている。
「困ったな・・家の人は?」
「荷物を取りに帰ると」
「入院決まったのかよ?」
「はあ、多分そうなると」
「看護婦さんの判断?そこまでやっても・・」
「いいえ、ちゃんと佐々木先生に問い合わせました!」
「診てるのは、僕なんだけど・・」
「佐々木先生は車の渋滞のため、少し遅れるとのことです」
「・・・インスリンの指示、これね。じゃ、一般病棟へ。一般内科のドクターを主治医に」
「50歳男性。喀血です」
「Tbじゃないだろうな」
「レントゲン撮りますか」
「ああ、CTも」
「心電図も?」
「そうだな・・肺梗塞ってこともあるな。さっき本読んでてよかった」
「32歳、喘息です」
「よし!」
「先生、自分の専門のときは調子いいですね」
「大きなお世話。入って入って!」
聴診でwheeze著明。喘息はふだんの内服が重要だ。テオフィリンを点滴に入れるかどうかの判断のとき。
「薬ですか?テオドールと・・・」
「看護婦さん点滴!生食とサクシゾンのみで!」
看護婦はメガネの上から覗いた。
「ネオフィリンは入れないんですか?」
「中毒にしたらいかんでしょうが・・はい次!」
「59歳女性。めまい」
「さ、どうぞ」
血圧・脈は正常・・・。50代以上の女性なら、更年期の自律神経症状か、メニエルか。
しかしルールアウトはしておく義務がある。
「頭部CTと心電図、採血・・ついでにレントゲンも。心エコーは僕がします」
1人の看護婦が感心してくれた。
「先生、肺も心臓も診れるの・・珍しいわね・・」
「37歳女性、ひどい咳」
「熱はなし・・か」
聴診は正常。咳以外あまり特徴がない。SpO2も正常。
「動物飼ってます?」
「・・いいえ」
「家族の人は?」
「独身です」
「う・・じゃ、職場の人は?」
「みんな咳き込んでます」
たぶんマイコプラズマの類だ。
「クラリス処方!あ、時間あります?・・ミノマイシンの点滴を。あ、レントゲンは・・・」
オーベンから注意されたのを思い出した。若年女性、独身女性への被曝はなるべく避けてあげろ。
「明日、また昼間の外来に来てください」
「22歳の過換気が今から救急で来ます」
「またか、イヤだな・・・佐々木先生は?」
「まだのようですね」
「ったく・・・!」
救急車は到着した。バイタル自体は・・正常のようだ。
看護婦は袋を用意した。
「先生、ここは私たちでやりますので」
「任せます・・次の人!」
「動悸です」
「よし!」
「なんで、よしなんですか?」
「心電図を!」
12誘導ではaf。既往はないらしい。
「pafだ。ルート取ったらジギラノゲンを!」
「ご苦労さん」
佐々木先生が後ろから肩を叩いた。
「さっきの喀血は肺癌じゃないかな・・CTで肺門部に腫瘤がある」
「・・・リンパ節と融合している・・それにデカイ」
「となると?俺は専門じゃないから分からないが」
「small cellじゃないでしょうか」
「そ、そうか。ま、呼吸器科へ入院かな」
確かに・・大学病院でも教わったが、『全ての喀血は入院・気管支鏡の適応』だ!
看護婦から。
「さっきの血圧高い人、再検で170/80mmHg!帰ってもらいますね!」
「そうだな・・ベッドも埋まるし。今日は安静にってことで。明日受診してくれと」
「はい!で、ジギラノゲンの用意できましたのでお願いします!」
佐々木先生が間に入った。
「オレがやろう。でもこれも専門でないなぁ・・。ジギ1Aと生食20ml・・・これを何分でいくんだ?」
「5分で!」
「血圧測定しながらか?」
「モニター見ながら!」
「そ、そうか・・」
<つづく>
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< レジデンツ・フォース 3 年末当直 >
2004年4月8日 連載「しゅ、主任さあん!知らない人が・・!」
主任は廊下の向こうから点滴・薬を載せたカートを押しながら登場した。
「あん?ユウキ先生・・ですね。ちょっと太った?」
「ああ、主任さんか」
「レジデントで太るってあんた、ええ度胸してるねー」
「あんたもだろ」とは言えなかった。
「誰か探しに来たの?」
「ああ・・その・・」
「噂は知ってるでえ」
「またそれですか」
「遠距離の彼女!」
「今は違います」
「わ、別れた?」
「それでもないです」
「自然消滅?」
「でしょうか?」
「しかしこんな夜中に、あんた。先生らはみな帰ったよ」
「そうでしたか・・じゃ、医局へ行ってきます」
「院生の人ばかりじゃないかなあ、あと外国の方と」
「そうだ!主任さん、ここにユリちゃんって居ただろう」
「ああユリちゃんね!はいはい!なんで知ってるの?まさか、あんた・・・!」
「違う。うちの病院に入院してるんだ」
「あ、退院したと思ったら・・そっちへ?過換気の子だよね?」
「MCTDで入っていたと思うけど」
「過換気の発作はしょっちゅうだったね。精神科の先生とはかなり揉めてたようだよね。こっちは精神科へ転科させてくれ、で精神科は
ステロイドの副作用、だって」
「大量に飲んだり、やめたりとかだったんですね」
「そうそう、もう手に負えない負えない!わがままやし」
「精神科へ行かせるというのは、誰の・・」
「教授教授!教授回診の鶴の一声よ!誰も逆らえないし!」
「本人の前でですか?」
「そうらしいね。で、本人は泣くし、主治医も泣くし、家族は怒るし・・」
「・・・・・」
「で、家族がどこか探してくれと。こんな病院にはウンザリだってね。あんだけ私らも看護したのに!」
「それで、うちの病院に移ってきたわけですか・・研究データ・治療のためと聞いてたんですが」
「いずれにしろ、大学へはもう戻りませんよ!私らもイヤですからね!」
「・・・・・」
「わ、わたしがこのこと話したのは、誰にも・・・」
「ええ、言いませんよ」
大学をあとにして、車はゆっくりと自宅へ向っていた。
「そうか・・川口も・・つらかったんだろうなあ」
あとで聞いた話だが、教授は回診で医学用語でしゃべったというけど・・あの子は英検1級。大半の医者より英語が
マシだったようだ。
「やっぱドイツ語に戻すべきかな・・・」
車はネオン街に再びたどり着いた。
朝、アムロの歌で目覚める。今日は絶対に遅れられない。12/31、大晦日の祭日当直だ!
まだ1時間ほどある。予習で脳細胞を賦活化しておく。しょせん医学は連想ゲームだ。
「貧血みたら、MCVで鑑別。小球性は鉄欠乏、正球性は出血・溶血・腎性。あてはまらなければ、本をみる」
どうせ忘れるものは暗記しない。どこに何が書いてあるのか分かる本だけは常に用意しておく。
「不明熱は感染症・悪性腫瘍・膠原病でルールアウト!」
不明熱といっても、その医者にとってのみ「不明」な熱だったりする。
「生化学のTP高値はミエローマを疑う!」
疑った場合に提出する検査の項目を書いて・・と。血液・内分泌疾患で追加オーダーはカッコ悪い。
「CEAは喫煙でも上がる」
ちょっと救急っぽくないなあ・・・。本は飽きたら代える。
本を代えようとしたら・・ポケベルだ。嫌な予感。
「もしもし」
「救急室です。先生、ちょっと早めに来て」
「看護婦さん?何が?」
「すごく大変なんです」
「まだ救急の受け入れ時間に入ってないでしょ?」
「それを見越してかなり患者さんが集まってるんです。とにかく!来て!」
「そっちへ向かうよ、なるべく・・早くね」
「今すぐお願いします!」
電話は切れた。
ロッカーを開け、白衣を取り出した。ペンライトを点灯確認、上ポケットに差込み、ボールペン3本も差し込む。打腱器・・・右下ポケット。ものさし・・左ポケット。マニュアル本・・・上ポケット。聴診器・・肩にかけ、首に・・廻す。輸液組成のシートなど何枚かのマニュアルを挿入。
歯磨きを1分で。患者と話すときの口臭は重要だ。ブルブルブル・・と、うがい。白衣の中は術衣。血が飛んできても平気なように。マスクは冷たい印象を与えるので、ポケットに。
まるでリングに上がる前のボクサーだ。今ごろ、救急室では・・
「ロッキー!ロッキー!ロッキー・・・・!」
僕は悠々と救急室へ向った。しかし、そこでの歓声は・・まるで違っていた。
「はようせんかいコラ!どれだけ待たしとんねん!ボケ!」
「救急ちゃうんかい!」
「もう薬だけもらったらええがな!」
事務が逆に煽るような対応をしている。
「わ、わたくし達では判断できかねますので」
すると倍になってクレームが来る。
「おどれに聞いとんちゃうんや!」
「院長呼べ!院長を!」
また事務が逆なでる。
「い、院長先生は、お休みで・・・」
「お休みってなんぞおオイ!叩き起こさんかいアホンダラア!」
その中を掻き分け、早足で救急室へ。
「看護婦さん、やっと着きました」
「ああやっと来た来た!」
3人の熟練した看護婦が腕組みで待ち構えている。
「さ、佐々木先生は?」
「伝言で、先にさばいておいてくれ、と」
「さばく?魚じゃあるまいし」
「こんだけカルテ来てます。20冊くらい」
「ひえっ!」
<つづく>
主任は廊下の向こうから点滴・薬を載せたカートを押しながら登場した。
「あん?ユウキ先生・・ですね。ちょっと太った?」
「ああ、主任さんか」
「レジデントで太るってあんた、ええ度胸してるねー」
「あんたもだろ」とは言えなかった。
「誰か探しに来たの?」
「ああ・・その・・」
「噂は知ってるでえ」
「またそれですか」
「遠距離の彼女!」
「今は違います」
「わ、別れた?」
「それでもないです」
「自然消滅?」
「でしょうか?」
「しかしこんな夜中に、あんた。先生らはみな帰ったよ」
「そうでしたか・・じゃ、医局へ行ってきます」
「院生の人ばかりじゃないかなあ、あと外国の方と」
「そうだ!主任さん、ここにユリちゃんって居ただろう」
「ああユリちゃんね!はいはい!なんで知ってるの?まさか、あんた・・・!」
「違う。うちの病院に入院してるんだ」
「あ、退院したと思ったら・・そっちへ?過換気の子だよね?」
「MCTDで入っていたと思うけど」
「過換気の発作はしょっちゅうだったね。精神科の先生とはかなり揉めてたようだよね。こっちは精神科へ転科させてくれ、で精神科は
ステロイドの副作用、だって」
「大量に飲んだり、やめたりとかだったんですね」
「そうそう、もう手に負えない負えない!わがままやし」
「精神科へ行かせるというのは、誰の・・」
「教授教授!教授回診の鶴の一声よ!誰も逆らえないし!」
「本人の前でですか?」
「そうらしいね。で、本人は泣くし、主治医も泣くし、家族は怒るし・・」
「・・・・・」
「で、家族がどこか探してくれと。こんな病院にはウンザリだってね。あんだけ私らも看護したのに!」
「それで、うちの病院に移ってきたわけですか・・研究データ・治療のためと聞いてたんですが」
「いずれにしろ、大学へはもう戻りませんよ!私らもイヤですからね!」
「・・・・・」
「わ、わたしがこのこと話したのは、誰にも・・・」
「ええ、言いませんよ」
大学をあとにして、車はゆっくりと自宅へ向っていた。
「そうか・・川口も・・つらかったんだろうなあ」
あとで聞いた話だが、教授は回診で医学用語でしゃべったというけど・・あの子は英検1級。大半の医者より英語が
マシだったようだ。
「やっぱドイツ語に戻すべきかな・・・」
車はネオン街に再びたどり着いた。
朝、アムロの歌で目覚める。今日は絶対に遅れられない。12/31、大晦日の祭日当直だ!
まだ1時間ほどある。予習で脳細胞を賦活化しておく。しょせん医学は連想ゲームだ。
「貧血みたら、MCVで鑑別。小球性は鉄欠乏、正球性は出血・溶血・腎性。あてはまらなければ、本をみる」
どうせ忘れるものは暗記しない。どこに何が書いてあるのか分かる本だけは常に用意しておく。
「不明熱は感染症・悪性腫瘍・膠原病でルールアウト!」
不明熱といっても、その医者にとってのみ「不明」な熱だったりする。
「生化学のTP高値はミエローマを疑う!」
疑った場合に提出する検査の項目を書いて・・と。血液・内分泌疾患で追加オーダーはカッコ悪い。
「CEAは喫煙でも上がる」
ちょっと救急っぽくないなあ・・・。本は飽きたら代える。
本を代えようとしたら・・ポケベルだ。嫌な予感。
「もしもし」
「救急室です。先生、ちょっと早めに来て」
「看護婦さん?何が?」
「すごく大変なんです」
「まだ救急の受け入れ時間に入ってないでしょ?」
「それを見越してかなり患者さんが集まってるんです。とにかく!来て!」
「そっちへ向かうよ、なるべく・・早くね」
「今すぐお願いします!」
電話は切れた。
ロッカーを開け、白衣を取り出した。ペンライトを点灯確認、上ポケットに差込み、ボールペン3本も差し込む。打腱器・・・右下ポケット。ものさし・・左ポケット。マニュアル本・・・上ポケット。聴診器・・肩にかけ、首に・・廻す。輸液組成のシートなど何枚かのマニュアルを挿入。
歯磨きを1分で。患者と話すときの口臭は重要だ。ブルブルブル・・と、うがい。白衣の中は術衣。血が飛んできても平気なように。マスクは冷たい印象を与えるので、ポケットに。
まるでリングに上がる前のボクサーだ。今ごろ、救急室では・・
「ロッキー!ロッキー!ロッキー・・・・!」
僕は悠々と救急室へ向った。しかし、そこでの歓声は・・まるで違っていた。
「はようせんかいコラ!どれだけ待たしとんねん!ボケ!」
「救急ちゃうんかい!」
「もう薬だけもらったらええがな!」
事務が逆に煽るような対応をしている。
「わ、わたくし達では判断できかねますので」
すると倍になってクレームが来る。
「おどれに聞いとんちゃうんや!」
「院長呼べ!院長を!」
また事務が逆なでる。
「い、院長先生は、お休みで・・・」
「お休みってなんぞおオイ!叩き起こさんかいアホンダラア!」
その中を掻き分け、早足で救急室へ。
「看護婦さん、やっと着きました」
「ああやっと来た来た!」
3人の熟練した看護婦が腕組みで待ち構えている。
「さ、佐々木先生は?」
「伝言で、先にさばいておいてくれ、と」
「さばく?魚じゃあるまいし」
「こんだけカルテ来てます。20冊くらい」
「ひえっ!」
<つづく>
< レジデンツ・フォース 2 なぜ言わなかった・・・ >
2004年4月7日 連載「あなたよ!あたしの大事な先生を!」
僕は力づくで坂本の背中を追い出した。振り返ると、ユリちゃんは過換気発作のようにピクピクしはじめた。
「袋、袋・・・!」
そこらにある袋で、彼女の口へ被せた。彼女は大汗でもがいていた。知らない間に、カルテを読んでいる坂本が立っている。
「・・・MCTDだけじゃなかったのね。精神科も受診してて・・」
過換気はしだいにおさまりつつある。袋をまだ押し当てて、僕は彼女のほうを向いた。
「Psy科は、ステロイドや原疾患のせいだと取り合わなかった。こちらもステロイドは中止できなかったし」
「ステロイドは飲んでなかったんですよね?」
「いや、飲んだり辞めたりしていたようなんだ。伊藤が見つけてくれてその後調べたんだが。以前にもそういう既往があったらしい。過換気発作も」
「先生、知らなかったんですか?」
「大学病院ではそういう傾向があったんだ。なのに、川口・・・なぜ言わなかった・・・」
「さっきのユリちゃんの話の人・・・?ホントの話なんですか?」
「いや・・・・違う。とにかくこれまで、ステロイド離脱症状を繰り返していた可能性がある」
「その川口っていう先生・・手に負えないからこの病院に廻してきたんでしょうか」
「それもありうる・・しかし薬の徹底もしてなくて、何が治療目的だ!」
呼吸はもとに戻ったようだ。しかし、今度はこちらにケアが必要だ。
「坂本さん、悪いが・・ああいう事態のときはのんびりせず、救急カートでも用意して、セルシン用意するぐらいのことはして欲しかったな」
「え?セルシン・・ジアゼパム?呼吸抑制は大丈夫なんですか?」
僕は機嫌が悪かった。
「ボケッとすんなってことだよ!」
さすがの生意気なレジデントも多少へこんだようだ。
僕は病院の窓の外を見つめていた。
「川口・・なぜ、言わなかった・・・」
病棟ではオーベンが待っていた。須藤ナースが横にひっついている。
「ご苦労さん。大変だな、君も」
「先生も、大変ですよ」
「は?」
「い、いえ。過換気、最近多いですね」
「ああ。しかし参ったなあ。薬を飲んでくれない。治療に協力的でない患者は・・」
「退院すべきでしょうか」
「両親の同意がない。これでもし家に帰して・・」
「そうですね。こちらも不利になる」
「というか、彼女、心を開いて話せる相手が・・欲しいんじゃないかな」
「心を、ですか」
「うちの病院は見ての通りだ。ナースの勤務はかなり過酷なほうだし、話し相手になってるヒマはない。両親は仕事、仕事だし」
「・・・・・」
「須藤ちゃん、君でもダメか」
ナースも困っていた。
「私には、そんな力は・・」
オーベンはゆっくり何度も頷いた。
「ユウキ先生。実はユリちゃんは、君をかなり頼ってたんだ」
「主治医ですから・・」
「ではない。本当に君自身をだ。正直、君に惚れてるのかと思うぐらい」
「・・・?」
「でも君は、あの朝、突然病院に来なくなった」
「あれは・・」
「仮に病気としてもだ。君のカルテを見てると、ちょうど結果説明をすることになってた」
「ああ、採血の・・」
「たかが採血、されど採血だ。彼女はその報告を今か今かと待ってたらしい」
「CRP・・RNP抗体・・・」
「そうだ。でも君は来なかったんだよ。彼女は結果が心配になった。それで次の日、伊藤が欠勤の理由を説明しようと部屋に行ったら・・」
「見つかったんですね、飲んでなかった薬が・・」
「ああ。まあ判ってよかったことかもしれないが・・・でもあれ以来、彼女は変わってしまったな。発作も増えた」
「・・・」
「大学に問い合わせたら、そういうことは何度もあったと研修医がペラペラ喋ってくれたよ」
「・・・僕のせいなんでしょうか」
須藤さんが固い表情でこちらを見つめた。
「当たり前じゃないの・・・!」
オーベンは制した。
「誰のせいか、と話し合うことじゃない。それで何になる?今必要なのは、彼女を如何にして治療に専念するようにするかだ。両親を呼んで・・」
「結局それですか・・・」
「なんだと?」
詰所の中が凍りついた。大学教授のあのときの回診と同じ空気が流れた。
「おい、ユウキ君。もう一度言ってみろ。君はそれでも医者なのか?」
ドラマならここで僕もあれこれ能書きを述べる出番なんだろうが・・・。言葉にはならなかった。
「ユウキ君!」
他の患者のコールなどあり詰所が忙しくなってきたため、この沈黙は破られた。オーベンも病室へ向わざるを得なくなった。
このストレスを抱えながら年末当直へ突入したくない。
年末体制で比較的ヒマな病棟をあとにして、僕は路駐していたシビックのエンジンをかけた。擦り切れたワイパーの音の向こうに、ネオン街が見える。
あそこを通り越して抜けていけば、大学病院だ。
「川口、なぜ言わなかった!」
勢いよく急発進したマシンは、ジグザグ的な走行で車をかわし、一路、大学病院へと向っていった。どうもあの事故から車の調子が悪く、加速がイマイチ。
ギアの連携もぎこちない。しかし、修理に出している暇はなく、金もない。もし自分が病気なら・・むしろ知りたくないという心理に似ている。
そういえばクリスマスだったんだ。ちっとも知らなかった。今ケーキ買えば、安いんじゃないか?そうか、つい最近伊藤に交代を頼まれてしてあげた当直・・あれ、
クリスマスイブだったんだ・・・。あいつも噂では病棟の看護婦と。ズルイ女・・いや、男。
『バイバイ、ありがとう、サーぁよおならぁー』
車は大学病院のスキスキの駐車場に到着した。しかしめんどくさいので、やっぱり玄関前に止めた。
『あんたちょっとイイ女だあったよぉー、だけど・・』
ズルイ女め・・。
まず病棟へ上がった。夜の医局は院生が牛耳っているし、ヘンな雑用の手伝いをさせられる可能性が高い。プライマリケアが肝心だ。
病棟は真っ暗。詰所は明るいが誰も居ない。准夜勤が部屋周りしているのか。カンファレンスルームも誰も居ない。
しかしプルルルル、という患者からの呼び出しは鳴り続けている。
「もーしもーし!」
まだプルプルは鳴っている。レジデント1年目ではよく取った受話器だ。仕方なく受け取った。
「はいよ!」
「点滴、終わったよー!」
中年男性だ。
「はい。看護婦さんに伝えておきますー」
「トイレ行きたいんや、トイレ。はよう抜いてえな」
「いや、でも」
返答はない。どうやら・・
「探すか!」
看護婦を探しつづけた。どの部屋も・・静かで真っ暗だ。休憩室も・・・いない。仕方なく、中年男性の部屋へ。
「すみません、人がいないようなので・・」
「ああすんまへんなあ、大学の先生でしょ」
「先生ってわかりました?」
「私服やったらもうあんた、大学の先生ですがな。それと疲れきった顔!」
「疲れてますか・・」
「ありがとうー」
帰り際、看護婦がトイレから出てきた。彼女は眼を丸くした。この看護婦は新入りのようだ。
「ま、待ってください!誰ですか!」
「あ、これ・・?点滴、抜いてくれって・・」
彼女は僕の腕をつかんだ。
「しゅ、主任さあん!知らない人が・・!」
「ちょっと待ってくれよ・・・!」
<つづく>
僕は力づくで坂本の背中を追い出した。振り返ると、ユリちゃんは過換気発作のようにピクピクしはじめた。
「袋、袋・・・!」
そこらにある袋で、彼女の口へ被せた。彼女は大汗でもがいていた。知らない間に、カルテを読んでいる坂本が立っている。
「・・・MCTDだけじゃなかったのね。精神科も受診してて・・」
過換気はしだいにおさまりつつある。袋をまだ押し当てて、僕は彼女のほうを向いた。
「Psy科は、ステロイドや原疾患のせいだと取り合わなかった。こちらもステロイドは中止できなかったし」
「ステロイドは飲んでなかったんですよね?」
「いや、飲んだり辞めたりしていたようなんだ。伊藤が見つけてくれてその後調べたんだが。以前にもそういう既往があったらしい。過換気発作も」
「先生、知らなかったんですか?」
「大学病院ではそういう傾向があったんだ。なのに、川口・・・なぜ言わなかった・・・」
「さっきのユリちゃんの話の人・・・?ホントの話なんですか?」
「いや・・・・違う。とにかくこれまで、ステロイド離脱症状を繰り返していた可能性がある」
「その川口っていう先生・・手に負えないからこの病院に廻してきたんでしょうか」
「それもありうる・・しかし薬の徹底もしてなくて、何が治療目的だ!」
呼吸はもとに戻ったようだ。しかし、今度はこちらにケアが必要だ。
「坂本さん、悪いが・・ああいう事態のときはのんびりせず、救急カートでも用意して、セルシン用意するぐらいのことはして欲しかったな」
「え?セルシン・・ジアゼパム?呼吸抑制は大丈夫なんですか?」
僕は機嫌が悪かった。
「ボケッとすんなってことだよ!」
さすがの生意気なレジデントも多少へこんだようだ。
僕は病院の窓の外を見つめていた。
「川口・・なぜ、言わなかった・・・」
病棟ではオーベンが待っていた。須藤ナースが横にひっついている。
「ご苦労さん。大変だな、君も」
「先生も、大変ですよ」
「は?」
「い、いえ。過換気、最近多いですね」
「ああ。しかし参ったなあ。薬を飲んでくれない。治療に協力的でない患者は・・」
「退院すべきでしょうか」
「両親の同意がない。これでもし家に帰して・・」
「そうですね。こちらも不利になる」
「というか、彼女、心を開いて話せる相手が・・欲しいんじゃないかな」
「心を、ですか」
「うちの病院は見ての通りだ。ナースの勤務はかなり過酷なほうだし、話し相手になってるヒマはない。両親は仕事、仕事だし」
「・・・・・」
「須藤ちゃん、君でもダメか」
ナースも困っていた。
「私には、そんな力は・・」
オーベンはゆっくり何度も頷いた。
「ユウキ先生。実はユリちゃんは、君をかなり頼ってたんだ」
「主治医ですから・・」
「ではない。本当に君自身をだ。正直、君に惚れてるのかと思うぐらい」
「・・・?」
「でも君は、あの朝、突然病院に来なくなった」
「あれは・・」
「仮に病気としてもだ。君のカルテを見てると、ちょうど結果説明をすることになってた」
「ああ、採血の・・」
「たかが採血、されど採血だ。彼女はその報告を今か今かと待ってたらしい」
「CRP・・RNP抗体・・・」
「そうだ。でも君は来なかったんだよ。彼女は結果が心配になった。それで次の日、伊藤が欠勤の理由を説明しようと部屋に行ったら・・」
「見つかったんですね、飲んでなかった薬が・・」
「ああ。まあ判ってよかったことかもしれないが・・・でもあれ以来、彼女は変わってしまったな。発作も増えた」
「・・・」
「大学に問い合わせたら、そういうことは何度もあったと研修医がペラペラ喋ってくれたよ」
「・・・僕のせいなんでしょうか」
須藤さんが固い表情でこちらを見つめた。
「当たり前じゃないの・・・!」
オーベンは制した。
「誰のせいか、と話し合うことじゃない。それで何になる?今必要なのは、彼女を如何にして治療に専念するようにするかだ。両親を呼んで・・」
「結局それですか・・・」
「なんだと?」
詰所の中が凍りついた。大学教授のあのときの回診と同じ空気が流れた。
「おい、ユウキ君。もう一度言ってみろ。君はそれでも医者なのか?」
ドラマならここで僕もあれこれ能書きを述べる出番なんだろうが・・・。言葉にはならなかった。
「ユウキ君!」
他の患者のコールなどあり詰所が忙しくなってきたため、この沈黙は破られた。オーベンも病室へ向わざるを得なくなった。
このストレスを抱えながら年末当直へ突入したくない。
年末体制で比較的ヒマな病棟をあとにして、僕は路駐していたシビックのエンジンをかけた。擦り切れたワイパーの音の向こうに、ネオン街が見える。
あそこを通り越して抜けていけば、大学病院だ。
「川口、なぜ言わなかった!」
勢いよく急発進したマシンは、ジグザグ的な走行で車をかわし、一路、大学病院へと向っていった。どうもあの事故から車の調子が悪く、加速がイマイチ。
ギアの連携もぎこちない。しかし、修理に出している暇はなく、金もない。もし自分が病気なら・・むしろ知りたくないという心理に似ている。
そういえばクリスマスだったんだ。ちっとも知らなかった。今ケーキ買えば、安いんじゃないか?そうか、つい最近伊藤に交代を頼まれてしてあげた当直・・あれ、
クリスマスイブだったんだ・・・。あいつも噂では病棟の看護婦と。ズルイ女・・いや、男。
『バイバイ、ありがとう、サーぁよおならぁー』
車は大学病院のスキスキの駐車場に到着した。しかしめんどくさいので、やっぱり玄関前に止めた。
『あんたちょっとイイ女だあったよぉー、だけど・・』
ズルイ女め・・。
まず病棟へ上がった。夜の医局は院生が牛耳っているし、ヘンな雑用の手伝いをさせられる可能性が高い。プライマリケアが肝心だ。
病棟は真っ暗。詰所は明るいが誰も居ない。准夜勤が部屋周りしているのか。カンファレンスルームも誰も居ない。
しかしプルルルル、という患者からの呼び出しは鳴り続けている。
「もーしもーし!」
まだプルプルは鳴っている。レジデント1年目ではよく取った受話器だ。仕方なく受け取った。
「はいよ!」
「点滴、終わったよー!」
中年男性だ。
「はい。看護婦さんに伝えておきますー」
「トイレ行きたいんや、トイレ。はよう抜いてえな」
「いや、でも」
返答はない。どうやら・・
「探すか!」
看護婦を探しつづけた。どの部屋も・・静かで真っ暗だ。休憩室も・・・いない。仕方なく、中年男性の部屋へ。
「すみません、人がいないようなので・・」
「ああすんまへんなあ、大学の先生でしょ」
「先生ってわかりました?」
「私服やったらもうあんた、大学の先生ですがな。それと疲れきった顔!」
「疲れてますか・・」
「ありがとうー」
帰り際、看護婦がトイレから出てきた。彼女は眼を丸くした。この看護婦は新入りのようだ。
「ま、待ってください!誰ですか!」
「あ、これ・・?点滴、抜いてくれって・・」
彼女は僕の腕をつかんだ。
「しゅ、主任さあん!知らない人が・・!」
「ちょっと待ってくれよ・・・!」
<つづく>
レジデンツ・フォース 1 過去
2004年4月6日 連載医局会。
循環器科の医局で医師が6人ほど集まっている。MRの薬の説明会も終わり、伝達事項のみとなった。
進行係は部長。コの字型に配列した机からみんな顔を中央に向けている。
「もうすぐ年末ということで、年末の休み体制の表が出来てる。レジデントのユウキ先生は年末当直の救急当番。一般内科の佐々木先生とな」
「はい」
「まあ彼なら大丈夫だろう。伊藤先生は春に当番だな。君は年末里帰りできるわけだ」
伊藤は僕を頑張れといわんばかりに指差した。
「看護部より・・日勤帯に指示を早く出すこと。昼の2時まで。夜中にこっそり指示を出しに来ないこと。特にレジデントの先生」
無理だ。
「事務側より・・職員食堂の食事を食券なしでただ食いしているドクターがいるので、注意を・・それと、名札が最近徹底できてない」
年末当直か。うちの病院の救急当番、休日、年末・・すべてが集中している。2次救急とはいえ、これまでにない忙しさになるらしい。
春からは関連病院の中でも指折りの多忙な病院だし。レジデント真っ盛りだな。
「ああそれから、ユウキ先生に改めて紹介しようか。先日から3ヶ月限定で一般内科からローテーションすることになった・・」
「一般内科の坂本です。宜しくお願いします」
身長150cmあるのか?というくらいの女医だ。ガリ勉のように一見思えるが・・メガネを外したら、けっこう・・結構かわいいんじゃないか。
「彼女は1年目。ユウキ君、指導医のつもりでな。ハッハハ」
彼女は僕に微笑んだ。でも、女は分からない。
部長の依頼で、僕は彼女を検査に連れて行くことになった。
「運動負荷心筋シンチはここでします。CTみたいな機械ですけど、撮る写真は別物です。ドクターは注射をするだけですが。それとエンドポイントの判断も下します」
この説明の仕方・・何、緊張してんだ。
「エンドポイントって何ですか?」
「運動を終了させるときの時間、時点。患者の自覚症状や脈拍など見ながら決めます」
「これが運動負荷心電図。2階段式のマスターダブルと・・あそこの健康器具みたいな歩行式のやつがトレッドミル」
「どう使い分けるんですか?」
「マスターが定性的なもので、トレッドミルは定量的なもの。前者が短時間、後者は長時間」
「?」
「マスターはとりあえず陽性か陰性かみるもので、トレッドミルはそれをさらに段階的にみていくんです。傾斜を急にしたりベルトの流れを速くしてね」
「・・・何を調べるんですか?」
「え?ああ、虚血性心疾患のスクリーニングや、不整脈薬の効果判定など」
「陽性率ってどれくらいなんですか?」
「う・・・!そりゃ、100%の検査じゃないけど」
「うちの兄が、循環器病センターで勤めてまして」
ゲッ・・・。
「感度はせいぜい6−7割とか言ってました。残りは見逃すんですね」
「み、見逃す・・・」
「ありがとうございました」
何か、嫌なものを感じるな・・・。
オーベン命令で、自分の患者の回診もいっしょに。
「この方は68歳女性、MSの・・」
「多発性硬・・」
「違うよ。弁膜症の!」
「ですよね!」
ヘンな子だな・・。
「レントゲンでは右の2弓がかなり突出してます。エコーでも左心房径は8cmあります」
「大きい!」
「しっ。で、もやもやエコーも著明。経食道エコーでは、左心耳に血栓らしき像があります。このためワーファリンを内服してもらってます」
患者はちょこんと正座してくれている。僧房弁膜症に共通のように、やはり頬が赤い。
「新しい女医さんやね」
「坂本といいます。宜しくお願いします」
「ところで先生、あの赤い薬、ワーファリンっていうの、今日はもらっとらんけど」
僕は再々説明しているのだが・・
「薬の効き具合によって、飲む錠数が変わるんですよ」
「ああ、そうでっか」
「今は効きすぎてるんで、わざと出してないんです」
僕はカルテを確認した。
「トロンボテストは、次回は明日・・・」
その隙に、坂本は患者と会話していた。
「もし出血したら教えてくださいね!あと、納豆はダメですよ」
「しゅ、出血しまんの?どこからしまんの?」
「歯とか、胃とかもかな・・もしあったら声かけてください」
「胃から血ィ出て、分かるんかいな」
「たぶん大丈夫だと思いますが」
「怖いなあ・・で、納豆、わしゃ大好物なんやけど」
「ダーメ!」
「一生?死ぬまで?」
「そう!一生ですよ」
「ちょっとぐらいやったらええやろ」
「ちょっともダメ!」
やれやれ・・・。
「MCTDの患者。これから部屋に入るよ。最近は少し鬱傾向にあるんだ。そうだな。今日は僕1人で入る」
「あ、私まだMCTD持ったことないです」
モノのように言いやがって・・。
「最近いろいろあったんだ。だから・・」
「私、認定医の試験に備えてサマリー集めてるんですが。膠原病の症例が1例要るんです」
「認定医試験・・・?そんなの2年くらい先だろ?」
「病理解剖はそろったんですが・・」
「その試験って、意味あるの?」
「大アリですよ!持ってれば・・」
「持ってると・・何かあるの?給料が増えるとか?」
「いえ、それは・・」
「いい医者なわけ?僕はどうも、そういうの持ってる医者っていうのが・・」
「先生、大学病院におられたんですよね」
「君は・・僕と同じ?」
「ええ。消化器内科にいました」
「あ、そう・・・」
「先生は有名でしたよ。循環器・呼吸器の医局より消化器の方によく居たって」
「そういう時期もあったな・・」
「で、先生って、オーベンと戦ったんでしょう。大学一怖い先生と」
「大げさな噂だな・・」
「そのオーベンは、そのあと降ろされて・・」
「ちゃうちゃう。ただの転勤!」
「誤診で降ろされたって・・」
「違うって!いったい誰が・・」
結局部屋の中まで、彼女はついてきた。
「こんにちは」
彼女は普通にテレビを見ている。坂本は部屋中を見回した。
「すごい。金持ちね」
ユリちゃんは少しムッとなったようだ。
「お医者さんには叶いませんよ」
「何言ってるの?ねえユウキ先生。私たちって・・月20万もないよね」
「おいおい!」
ユリちゃんはここ珍しくクスッと笑ってくれた。やっぱ同姓のほうがいいんだろうか。
「ユウキ先生、ユリね・・・」
「はい?」
「退院しようと思う」
「それは・・・」
「治療を受けろ受けろ、って言う気持ちは分かるの。でも私にも、したいことがあるんです」
「したいこと。あるよね。それは・・」
「友達と、カラオケに行きたい」
「ああ・・・」
「免許も取りたい」
「そうだね・・」
「だから先生、許可を下さい、退院の許可を。あたしの両親はお医者さん次第だって言うし」
「しかし・・」
「川口先生もあたし好きなんだけど・・退院させてって言う話したら、あの人、あの人・・・」
彼女はしくしく泣き始めた。
「凄く怖い顔するの。こう、眉間が寄るのね。こう」
「ああ、アイツはそういうところあるな・・」
「でねでね、聞いて先生!あたしが婚約破棄になったときにね!」
彼女は興奮しだした。
「彼女、なんて慰めたと思う?あなたのせいじゃない!男にはそんな人も居るって!よくあることなんだって!その男!前から別の女と!」
「な、何なんだ」
僕はたじろいだ。坂本は呆然としていた。
「そしたら川口先生もね!あたしも最近そういう目にあったから分かるって!いったい誰なのよ!それ!よくよく聞くとユウキ先生しかいないじゃないの!」
「やめろよ!」
<つづく>
循環器科の医局で医師が6人ほど集まっている。MRの薬の説明会も終わり、伝達事項のみとなった。
進行係は部長。コの字型に配列した机からみんな顔を中央に向けている。
「もうすぐ年末ということで、年末の休み体制の表が出来てる。レジデントのユウキ先生は年末当直の救急当番。一般内科の佐々木先生とな」
「はい」
「まあ彼なら大丈夫だろう。伊藤先生は春に当番だな。君は年末里帰りできるわけだ」
伊藤は僕を頑張れといわんばかりに指差した。
「看護部より・・日勤帯に指示を早く出すこと。昼の2時まで。夜中にこっそり指示を出しに来ないこと。特にレジデントの先生」
無理だ。
「事務側より・・職員食堂の食事を食券なしでただ食いしているドクターがいるので、注意を・・それと、名札が最近徹底できてない」
年末当直か。うちの病院の救急当番、休日、年末・・すべてが集中している。2次救急とはいえ、これまでにない忙しさになるらしい。
春からは関連病院の中でも指折りの多忙な病院だし。レジデント真っ盛りだな。
「ああそれから、ユウキ先生に改めて紹介しようか。先日から3ヶ月限定で一般内科からローテーションすることになった・・」
「一般内科の坂本です。宜しくお願いします」
身長150cmあるのか?というくらいの女医だ。ガリ勉のように一見思えるが・・メガネを外したら、けっこう・・結構かわいいんじゃないか。
「彼女は1年目。ユウキ君、指導医のつもりでな。ハッハハ」
彼女は僕に微笑んだ。でも、女は分からない。
部長の依頼で、僕は彼女を検査に連れて行くことになった。
「運動負荷心筋シンチはここでします。CTみたいな機械ですけど、撮る写真は別物です。ドクターは注射をするだけですが。それとエンドポイントの判断も下します」
この説明の仕方・・何、緊張してんだ。
「エンドポイントって何ですか?」
「運動を終了させるときの時間、時点。患者の自覚症状や脈拍など見ながら決めます」
「これが運動負荷心電図。2階段式のマスターダブルと・・あそこの健康器具みたいな歩行式のやつがトレッドミル」
「どう使い分けるんですか?」
「マスターが定性的なもので、トレッドミルは定量的なもの。前者が短時間、後者は長時間」
「?」
「マスターはとりあえず陽性か陰性かみるもので、トレッドミルはそれをさらに段階的にみていくんです。傾斜を急にしたりベルトの流れを速くしてね」
「・・・何を調べるんですか?」
「え?ああ、虚血性心疾患のスクリーニングや、不整脈薬の効果判定など」
「陽性率ってどれくらいなんですか?」
「う・・・!そりゃ、100%の検査じゃないけど」
「うちの兄が、循環器病センターで勤めてまして」
ゲッ・・・。
「感度はせいぜい6−7割とか言ってました。残りは見逃すんですね」
「み、見逃す・・・」
「ありがとうございました」
何か、嫌なものを感じるな・・・。
オーベン命令で、自分の患者の回診もいっしょに。
「この方は68歳女性、MSの・・」
「多発性硬・・」
「違うよ。弁膜症の!」
「ですよね!」
ヘンな子だな・・。
「レントゲンでは右の2弓がかなり突出してます。エコーでも左心房径は8cmあります」
「大きい!」
「しっ。で、もやもやエコーも著明。経食道エコーでは、左心耳に血栓らしき像があります。このためワーファリンを内服してもらってます」
患者はちょこんと正座してくれている。僧房弁膜症に共通のように、やはり頬が赤い。
「新しい女医さんやね」
「坂本といいます。宜しくお願いします」
「ところで先生、あの赤い薬、ワーファリンっていうの、今日はもらっとらんけど」
僕は再々説明しているのだが・・
「薬の効き具合によって、飲む錠数が変わるんですよ」
「ああ、そうでっか」
「今は効きすぎてるんで、わざと出してないんです」
僕はカルテを確認した。
「トロンボテストは、次回は明日・・・」
その隙に、坂本は患者と会話していた。
「もし出血したら教えてくださいね!あと、納豆はダメですよ」
「しゅ、出血しまんの?どこからしまんの?」
「歯とか、胃とかもかな・・もしあったら声かけてください」
「胃から血ィ出て、分かるんかいな」
「たぶん大丈夫だと思いますが」
「怖いなあ・・で、納豆、わしゃ大好物なんやけど」
「ダーメ!」
「一生?死ぬまで?」
「そう!一生ですよ」
「ちょっとぐらいやったらええやろ」
「ちょっともダメ!」
やれやれ・・・。
「MCTDの患者。これから部屋に入るよ。最近は少し鬱傾向にあるんだ。そうだな。今日は僕1人で入る」
「あ、私まだMCTD持ったことないです」
モノのように言いやがって・・。
「最近いろいろあったんだ。だから・・」
「私、認定医の試験に備えてサマリー集めてるんですが。膠原病の症例が1例要るんです」
「認定医試験・・・?そんなの2年くらい先だろ?」
「病理解剖はそろったんですが・・」
「その試験って、意味あるの?」
「大アリですよ!持ってれば・・」
「持ってると・・何かあるの?給料が増えるとか?」
「いえ、それは・・」
「いい医者なわけ?僕はどうも、そういうの持ってる医者っていうのが・・」
「先生、大学病院におられたんですよね」
「君は・・僕と同じ?」
「ええ。消化器内科にいました」
「あ、そう・・・」
「先生は有名でしたよ。循環器・呼吸器の医局より消化器の方によく居たって」
「そういう時期もあったな・・」
「で、先生って、オーベンと戦ったんでしょう。大学一怖い先生と」
「大げさな噂だな・・」
「そのオーベンは、そのあと降ろされて・・」
「ちゃうちゃう。ただの転勤!」
「誤診で降ろされたって・・」
「違うって!いったい誰が・・」
結局部屋の中まで、彼女はついてきた。
「こんにちは」
彼女は普通にテレビを見ている。坂本は部屋中を見回した。
「すごい。金持ちね」
ユリちゃんは少しムッとなったようだ。
「お医者さんには叶いませんよ」
「何言ってるの?ねえユウキ先生。私たちって・・月20万もないよね」
「おいおい!」
ユリちゃんはここ珍しくクスッと笑ってくれた。やっぱ同姓のほうがいいんだろうか。
「ユウキ先生、ユリね・・・」
「はい?」
「退院しようと思う」
「それは・・・」
「治療を受けろ受けろ、って言う気持ちは分かるの。でも私にも、したいことがあるんです」
「したいこと。あるよね。それは・・」
「友達と、カラオケに行きたい」
「ああ・・・」
「免許も取りたい」
「そうだね・・」
「だから先生、許可を下さい、退院の許可を。あたしの両親はお医者さん次第だって言うし」
「しかし・・」
「川口先生もあたし好きなんだけど・・退院させてって言う話したら、あの人、あの人・・・」
彼女はしくしく泣き始めた。
「凄く怖い顔するの。こう、眉間が寄るのね。こう」
「ああ、アイツはそういうところあるな・・」
「でねでね、聞いて先生!あたしが婚約破棄になったときにね!」
彼女は興奮しだした。
「彼女、なんて慰めたと思う?あなたのせいじゃない!男にはそんな人も居るって!よくあることなんだって!その男!前から別の女と!」
「な、何なんだ」
僕はたじろいだ。坂本は呆然としていた。
「そしたら川口先生もね!あたしも最近そういう目にあったから分かるって!いったい誰なのよ!それ!よくよく聞くとユウキ先生しかいないじゃないの!」
「やめろよ!」
<つづく>
< レジデント pre フォース 終編 診断書 >
2004年4月3日 連載「やれる・・・!僕は・・・」
その前にガソリンと食事だ。早朝に金をおろして、休養の上で。
そうだ、その前に。左手で助手席の携帯電話をまさぐった。
「もしもし。病院ですか。ユウキです・・須藤さんですか」
「先生・・今、どこにいるの?」
「今はまだ・・ゴホゴホ、病状が軽快してないので」
「皆さん心配されてますよ。ひょっとして先生が・・」
「何?もう辞めたとか?」
「死んだんじゃないかって・・もちろん冗談で言ってるんでしょうけど」
「いや、もうすぐ良くなる」
「新患は全部、伊藤先生が見てくれてます。あ、あと一般内科から新しいレジデントが来ました」
「またローテーションか何か?」
「3ヶ月限定だそうで。すごくやる気のある先生です」
「・・参ったな。またハリキリ野郎か」
「もしもし?もしもし?」
「あれ・・・もしもし?」
「もしもし?・・・・・・せ・・・・・・・が・・・・・をも・・・・」
電波の調子で電話は切れた。改めて公衆電話から電話だ。
「もしもし・・・そ、その声は?」
「伊藤だよ。何やってんの、君は?」
「まだ療養中でね。大丈夫、もうすぐ行ける」
「こっちは大変だよ。ちょうど先生の患者にちょっとトラブルがあってね」
「え?」
「MCTDの若い子だよ。僕が代わりに回診してたんだが」
「それで・・?」
「どうやら内服を全部飲んでなかったらしいんだよ」
「全部?」
「あれはどう見ても全部だな。あの子、いつも枕元に箱置いてただろ?」
「箱?ああ、あれゴミ箱じゃ・・」
「そんなとこにゴミ箱置くかよ。で、見せてもらったんだ、勝ってに。そしたらすごく慌てて」
「いいのか、おい」
「いいのかって、薬飲まずに隠すってのがいかんだろ!」
「じゃあ、ステロイドも・・今回のPG製剤も?」
「ぜーんぶ飲んでなかったのさ!なんのためのカテーテルだ?」
「その子、悲しんでなかったか?」
「え?何で?」
「落ち込んだり・・」
「なんかヘンだな、遠いところにいるのか?さっきからチリンチリンって。硬貨が落ちる音か?」
「いや、10円玉でね・・・」
サービスエリアの公衆電話の横を大型トラックが通り過ぎた。
「なんか凄くうるさいぞ、どうしたんだ?」
「早朝だから。病院に通院するんだよ、これから」
「そうか。じゃ、気をつけてね」
ふう。
早朝のサービスエリア。平日で人は少ない。
しかしまた携帯へ電話がかかってきた。
「もしもし、須藤です」
「はいはい。日勤なの?」
「いいえ。誠に申し訳ないのですが」
今度は何だ?
「先生の脳梗塞後リハビリ中の患者さんが転倒してしまいまして」
「検査に行く途中で?ふん、それで?」
「頭から出血してます」
「おい!それはいかんだろ!」
「すみません。私が車椅子で連れて行ったのが」
「車椅子からどうやって落ちたんだよ?ま、ともかく」
「どうしましょうか」
「どうしましょうかって?今はそっちは行けないって!」
「あ、そうか。先生、療養中でしたね」
「そうだよ、ゴホゴホ!だから伊藤か誰かに」
「じゃあお願いすることに。あ、先生!待ってください!」
「何よ?」
「さきほど部長が横におられまして・・・今日受診する病院から診断書をもらってきなさいと」
「い?」
「診断書が要るそうです」
「仮病じゃないのに」
「以前仮病を使ってばれたレジデントの先生がいたんですよ」
「はあ?」
「とにかく先生、お願いします」
診断書。
車は関西へ帰ってきた。車は病院の前に止まった。病院の玄関先になんとか乗りつけ、エレベーターへと駆け込んだ。
詰所へと向かい、その手前のスタッフルームへ早足で駆けていった。
部屋を空けたところ、見知らぬ医師が1人。本と向かい合っていたその医師はこちらを一瞥、無視。よく考えると僕は私服だ。
ためらわず話しかけた。
「あの、みんなは?」
「みんな?医局員ですか?病棟を回診されてます」
「君は?」
「オーベン待ちです」
しばらく待ってると、医師が2人入ってきた。オーベンとコベン。
「SIADHを今さら診断しろって言われてもなあ!」
「そうですよね、先生。ナトリウムもう入ってますし・・あ!」
コベンが気づいたのに遅れ、オーベンがこちらを見つけた。
「ああ?おお!」
「野中か」
「何でお前、ここに?」
「助けてくれ、診断書を」
「診断書?死亡診断書か?」
クッククク・・とコベンがこちらを見て薄笑いしている。野中はキッとなった。
「おい、オレの同僚なんだぞ」
「は?ああ!これは誠に・・すみません!申し訳ないですー!」
コベンはかなり困った表情で謝ってきた。
「でな野中、今ちょっと調子悪くて」
「ハハーン、とうとう登院拒否したわけだな、なるほど。それで診断書を書いてくれということだな?いいのか?俺の名前でも?」
「いいよ。大学病院の書類でね。ハンコ、頼むぞ」
「ハンコ、ないな。医局で借りたら怪しまれるし。拇印では?」
またコベンが笑いそうになっていた。
「野中、ほか誰か先生が?」
「外来をやってる先生がいいだろ。例えば・・医局長は?」
「この前会ったが、ヤな感じだったなあ」
「聞いたけどお前、山城先生のとこに決まったんだってな?」
「決まった?」
「噂では、もう引っ越したと」
「なわけない。でもその、山城先生ってのは」
「怖いよ、そりゃもう。救急も循環器もできる。関西でも指折りだ」
「そうなのか?」
「と、自分で言ってるらしい。でもウソでもなさそうだ」
「大学帰ろうかなあ」
「そら無理だ。マミーが大学へ戻ることが決まった。ユウキは自動的に山城先生のとこだ」
勇気を出して外来のカーテンをくぐった。
「ちょっといいですか?」
安井先生が気づいた。
「あ?おう、この前は失礼したな。ここへ戻って来たいのか?それは分かるが」
「いえ、違うんです。あの」
「どうした?その足なんだ?ドロドロだぞ」
「事故が・・いいや、調子が悪いんです。それで診断書をと」
「診断書?君の病院で診断してもらえよ。風邪か?」
「ええ、だいぶよくなりました」
「カゼの9割はウイルスだ。治りかけなら薬は要らんだろう」
「はい、薬はいいです。でもその、診断書を」
「ははあ、分かった。裸にされたりするのがイヤなんだな?」
「ええまあ、そんなところです・・」
「じゃ、畑君よ!診断書書いてくれ」
畑先生が嫌々書類を取り出した。
「コストはかかるからな、おい」
「も、もちろんです」
「えーと、診断名は、急性気管支炎にでもするか?急性咽頭炎?どっちでもいいぞ」
「では咽頭炎で・コホッ」
「なーにお前、今さら咳なんかしてんだよ」
本物の咳だった。
「で、頭書の者、上記と診断した。終わり!大蔵くん、これ受付へ走って!」
「はい」
レジデントは急いで駆けていってくれた。
安井先生はカルテを書きながら呟いた。
「ま、こちらにも借りがあるしな。山城先生のとこへ行って下さるという、ね」
「ええ。それは・・で、先生、具体的な転勤は・・・?」
「春かな?今のレジデントはまだ体力あるみたいだし。だが1月あたりには音を上げるだろうな」
「じゃ、冬かも・・」
「ま、頑張れ!あ、それと心カテ、早く合格しろよ!」
「先生、それ誰から・・・」
「はい、次の人!」
診断書をもらって、僕は病院を出た。
数日休んだが・・勉強になったこともある。年末当直にも向けて、頑張れそうだ。
車に乗り込み、…
その前にガソリンと食事だ。早朝に金をおろして、休養の上で。
そうだ、その前に。左手で助手席の携帯電話をまさぐった。
「もしもし。病院ですか。ユウキです・・須藤さんですか」
「先生・・今、どこにいるの?」
「今はまだ・・ゴホゴホ、病状が軽快してないので」
「皆さん心配されてますよ。ひょっとして先生が・・」
「何?もう辞めたとか?」
「死んだんじゃないかって・・もちろん冗談で言ってるんでしょうけど」
「いや、もうすぐ良くなる」
「新患は全部、伊藤先生が見てくれてます。あ、あと一般内科から新しいレジデントが来ました」
「またローテーションか何か?」
「3ヶ月限定だそうで。すごくやる気のある先生です」
「・・参ったな。またハリキリ野郎か」
「もしもし?もしもし?」
「あれ・・・もしもし?」
「もしもし?・・・・・・せ・・・・・・・が・・・・・をも・・・・」
電波の調子で電話は切れた。改めて公衆電話から電話だ。
「もしもし・・・そ、その声は?」
「伊藤だよ。何やってんの、君は?」
「まだ療養中でね。大丈夫、もうすぐ行ける」
「こっちは大変だよ。ちょうど先生の患者にちょっとトラブルがあってね」
「え?」
「MCTDの若い子だよ。僕が代わりに回診してたんだが」
「それで・・?」
「どうやら内服を全部飲んでなかったらしいんだよ」
「全部?」
「あれはどう見ても全部だな。あの子、いつも枕元に箱置いてただろ?」
「箱?ああ、あれゴミ箱じゃ・・」
「そんなとこにゴミ箱置くかよ。で、見せてもらったんだ、勝ってに。そしたらすごく慌てて」
「いいのか、おい」
「いいのかって、薬飲まずに隠すってのがいかんだろ!」
「じゃあ、ステロイドも・・今回のPG製剤も?」
「ぜーんぶ飲んでなかったのさ!なんのためのカテーテルだ?」
「その子、悲しんでなかったか?」
「え?何で?」
「落ち込んだり・・」
「なんかヘンだな、遠いところにいるのか?さっきからチリンチリンって。硬貨が落ちる音か?」
「いや、10円玉でね・・・」
サービスエリアの公衆電話の横を大型トラックが通り過ぎた。
「なんか凄くうるさいぞ、どうしたんだ?」
「早朝だから。病院に通院するんだよ、これから」
「そうか。じゃ、気をつけてね」
ふう。
早朝のサービスエリア。平日で人は少ない。
しかしまた携帯へ電話がかかってきた。
「もしもし、須藤です」
「はいはい。日勤なの?」
「いいえ。誠に申し訳ないのですが」
今度は何だ?
「先生の脳梗塞後リハビリ中の患者さんが転倒してしまいまして」
「検査に行く途中で?ふん、それで?」
「頭から出血してます」
「おい!それはいかんだろ!」
「すみません。私が車椅子で連れて行ったのが」
「車椅子からどうやって落ちたんだよ?ま、ともかく」
「どうしましょうか」
「どうしましょうかって?今はそっちは行けないって!」
「あ、そうか。先生、療養中でしたね」
「そうだよ、ゴホゴホ!だから伊藤か誰かに」
「じゃあお願いすることに。あ、先生!待ってください!」
「何よ?」
「さきほど部長が横におられまして・・・今日受診する病院から診断書をもらってきなさいと」
「い?」
「診断書が要るそうです」
「仮病じゃないのに」
「以前仮病を使ってばれたレジデントの先生がいたんですよ」
「はあ?」
「とにかく先生、お願いします」
診断書。
車は関西へ帰ってきた。車は病院の前に止まった。病院の玄関先になんとか乗りつけ、エレベーターへと駆け込んだ。
詰所へと向かい、その手前のスタッフルームへ早足で駆けていった。
部屋を空けたところ、見知らぬ医師が1人。本と向かい合っていたその医師はこちらを一瞥、無視。よく考えると僕は私服だ。
ためらわず話しかけた。
「あの、みんなは?」
「みんな?医局員ですか?病棟を回診されてます」
「君は?」
「オーベン待ちです」
しばらく待ってると、医師が2人入ってきた。オーベンとコベン。
「SIADHを今さら診断しろって言われてもなあ!」
「そうですよね、先生。ナトリウムもう入ってますし・・あ!」
コベンが気づいたのに遅れ、オーベンがこちらを見つけた。
「ああ?おお!」
「野中か」
「何でお前、ここに?」
「助けてくれ、診断書を」
「診断書?死亡診断書か?」
クッククク・・とコベンがこちらを見て薄笑いしている。野中はキッとなった。
「おい、オレの同僚なんだぞ」
「は?ああ!これは誠に・・すみません!申し訳ないですー!」
コベンはかなり困った表情で謝ってきた。
「でな野中、今ちょっと調子悪くて」
「ハハーン、とうとう登院拒否したわけだな、なるほど。それで診断書を書いてくれということだな?いいのか?俺の名前でも?」
「いいよ。大学病院の書類でね。ハンコ、頼むぞ」
「ハンコ、ないな。医局で借りたら怪しまれるし。拇印では?」
またコベンが笑いそうになっていた。
「野中、ほか誰か先生が?」
「外来をやってる先生がいいだろ。例えば・・医局長は?」
「この前会ったが、ヤな感じだったなあ」
「聞いたけどお前、山城先生のとこに決まったんだってな?」
「決まった?」
「噂では、もう引っ越したと」
「なわけない。でもその、山城先生ってのは」
「怖いよ、そりゃもう。救急も循環器もできる。関西でも指折りだ」
「そうなのか?」
「と、自分で言ってるらしい。でもウソでもなさそうだ」
「大学帰ろうかなあ」
「そら無理だ。マミーが大学へ戻ることが決まった。ユウキは自動的に山城先生のとこだ」
勇気を出して外来のカーテンをくぐった。
「ちょっといいですか?」
安井先生が気づいた。
「あ?おう、この前は失礼したな。ここへ戻って来たいのか?それは分かるが」
「いえ、違うんです。あの」
「どうした?その足なんだ?ドロドロだぞ」
「事故が・・いいや、調子が悪いんです。それで診断書をと」
「診断書?君の病院で診断してもらえよ。風邪か?」
「ええ、だいぶよくなりました」
「カゼの9割はウイルスだ。治りかけなら薬は要らんだろう」
「はい、薬はいいです。でもその、診断書を」
「ははあ、分かった。裸にされたりするのがイヤなんだな?」
「ええまあ、そんなところです・・」
「じゃ、畑君よ!診断書書いてくれ」
畑先生が嫌々書類を取り出した。
「コストはかかるからな、おい」
「も、もちろんです」
「えーと、診断名は、急性気管支炎にでもするか?急性咽頭炎?どっちでもいいぞ」
「では咽頭炎で・コホッ」
「なーにお前、今さら咳なんかしてんだよ」
本物の咳だった。
「で、頭書の者、上記と診断した。終わり!大蔵くん、これ受付へ走って!」
「はい」
レジデントは急いで駆けていってくれた。
安井先生はカルテを書きながら呟いた。
「ま、こちらにも借りがあるしな。山城先生のとこへ行って下さるという、ね」
「ええ。それは・・で、先生、具体的な転勤は・・・?」
「春かな?今のレジデントはまだ体力あるみたいだし。だが1月あたりには音を上げるだろうな」
「じゃ、冬かも・・」
「ま、頑張れ!あ、それと心カテ、早く合格しろよ!」
「先生、それ誰から・・・」
「はい、次の人!」
診断書をもらって、僕は病院を出た。
数日休んだが・・勉強になったこともある。年末当直にも向けて、頑張れそうだ。
車に乗り込み、…
< レジデント・preフォース 後編 脱出 >
2004年4月2日 連載 疲れた。今日はもう、寝よう。ラジオでも聞きながら。バッテリーが上がっても仕方ない。
すると・・・・堤防の向こうが少し明るくなった。で、また消えた・・・。また明るくなった。
「いいぞ!こっち!」
僕はこれまでにない勢いで、パッシングでまくしたて、クラクションを叩き続けた。
間もなく堤防のピークに、1台の小型トラックが現れた。
「JAFのトラックだ!」
降りてきたのは、作業服のJAFの人と・・・助手席からは・・・オジサンだ!呼んで来てくれたんだ!
「こ、こっちです!」
僕はピークへ走っていった。
「ああその前に!」
JAFの作業員が制した。
「切れてますね、会員証」
「ええ、入りなおします」
「では、入会されますか」
「はい、もちろ・・あ、お金が・・」
財布には1万もない。
「郵便局があれば、おろせるのですが・・」
「それは、困りましたなあ・・・」
オジサンがつぶやいた。
「わしが出すよ」
「え?しかし・・」
「兄ちゃんよ。これ・・足りるだろ」
JAFの作業員も驚いていた。
「ダンナ、いいんですか。ダンナも大変でしょうに」
「いや、息子がね・・ちょうどこんな感じなんだよ。他人事とは思えんでな」
「かっこいいですねえ・・・ホラ、学生さん。感謝しないと!」
「え、ええ。有難うございます!本当に!」
オジサンは少しずつ離れていった。
「じゃ、あとは大丈夫だな?」
「ダンナ、ありがとうございます」
「よろしくな」
オジサンは坂をゆっくり下り、向こうに止めてあるジープへと歩いていった。
僕はもうただただ頭を下げるしかなかった。
「じゃ、学生さん、車に乗って。1分もかからないだろう」
ウソのように、車は砂浜から離れ、等速直線運動で堤防の坂を登り始めた。僕の車はピークで止まった。
ロープを取りに、作業員が登ってきた。
「明日は学校なんだろ?しっかりね」
「はい!そうですね!」
「?」
「しっかり・・・・します!」
JAFは東へ去り、僕は西へと走り出した。雨はいつの間にかやんでいた。
「やれる・・・!僕は・・・」
すると・・・・堤防の向こうが少し明るくなった。で、また消えた・・・。また明るくなった。
「いいぞ!こっち!」
僕はこれまでにない勢いで、パッシングでまくしたて、クラクションを叩き続けた。
間もなく堤防のピークに、1台の小型トラックが現れた。
「JAFのトラックだ!」
降りてきたのは、作業服のJAFの人と・・・助手席からは・・・オジサンだ!呼んで来てくれたんだ!
「こ、こっちです!」
僕はピークへ走っていった。
「ああその前に!」
JAFの作業員が制した。
「切れてますね、会員証」
「ええ、入りなおします」
「では、入会されますか」
「はい、もちろ・・あ、お金が・・」
財布には1万もない。
「郵便局があれば、おろせるのですが・・」
「それは、困りましたなあ・・・」
オジサンがつぶやいた。
「わしが出すよ」
「え?しかし・・」
「兄ちゃんよ。これ・・足りるだろ」
JAFの作業員も驚いていた。
「ダンナ、いいんですか。ダンナも大変でしょうに」
「いや、息子がね・・ちょうどこんな感じなんだよ。他人事とは思えんでな」
「かっこいいですねえ・・・ホラ、学生さん。感謝しないと!」
「え、ええ。有難うございます!本当に!」
オジサンは少しずつ離れていった。
「じゃ、あとは大丈夫だな?」
「ダンナ、ありがとうございます」
「よろしくな」
オジサンは坂をゆっくり下り、向こうに止めてあるジープへと歩いていった。
僕はもうただただ頭を下げるしかなかった。
「じゃ、学生さん、車に乗って。1分もかからないだろう」
ウソのように、車は砂浜から離れ、等速直線運動で堤防の坂を登り始めた。僕の車はピークで止まった。
ロープを取りに、作業員が登ってきた。
「明日は学校なんだろ?しっかりね」
「はい!そうですね!」
「?」
「しっかり・・・・します!」
JAFは東へ去り、僕は西へと走り出した。雨はいつの間にかやんでいた。
「やれる・・・!僕は・・・」
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<レジデント・preフォース 中編 PROMISED LAND>
2004年4月1日 連載ジープから出てきたオジサンは、ジャージ姿だがいかにも紳士といった感じの人だった。堤防の上からこちらを見下ろしている。
「どーしたんだー?」
僕は這いつくばるように車を出て、雨に濡れながら堤防を駆け上がった。
「ああ!待ってください!く、車が落ちまして・・」
「なんか派手に落ちたんだな」
「登ってくるときに・・後ろに落ちたんです」
「ケガはねえか」
オジサンは僕のあちこちを見まわした。
「ええ、ありません。ありがとうございます。なんとか車を上げる方法を考えてまして」
「上げる方法なあ・・・こんな雨やしなあ・・・」
オジサンのキャップから大粒の雫がポタポタ音を立てていた。
「まあこの車なら、引き上げることもできるかの」
やった!
「でも距離がけっこうあるのう。ロープはあるけども、砂に埋まった車を引っ張れるかどうか・・・」
「・・・・・」
「まあ、やってみっか」
「はい、ありがとうございます!」
「しっかしアンタぁ・・こんなとこで、なあにをしよったの?」
「え?ああ・・」
「じゃ、このロープ。あんたの車に引っ掛けて、縛って」
「あ、はい」
オジサンは車までやってきてくれた。
「ハハ、あんた、そんな結び方はなかろう。常識ねえなあ・・いいよいいよ」
オジサンは自ら紐をくくってくれた。
「ヒモの結び方とか、最近の若い者は知らんのだよなあ。肝心なことを教えてねえんだ、学校は。あんたは・・学生さんかい?」
「え、ええ」
「だろなあ。今日は平日だしな」
「は、はい」
「そうだなあ、おい、車の周りの砂をな、できるかぎり掻き分けて、出そう。そのほうが引っ張りやすい」
「はい」
大雨の中、僕らは必死で砂を書き分け始めた。僕が1人でやります、なんて言う勇気もなしで。
なんて汚い、卑怯な奴だ・・・。
僕らも処置するときは、なるべく視野を十分に取るとか、そういったことが基本として大事だったりする。
木ばっかり見ていてはダメだ。
「ああそれとよ、アンタ。車の通るその道」
「ええ」
「濡れて滑りやすいから、なんか置こうか。あまり濡れてないのがいいな」
「はい、じゃ・・・これを」
「本か。やたら分厚いな。いいのかい?」
「ええ」
といいながら、5冊分冊の内科学の本を、僕は千切りはじめた。
「なんかツルツルしてんなあ。でもいいのかい」
「いいんです」
「あんたの教科書だろ」
「ええ」
「モノは大切にしなよ。あんたの親のスネがますます大変だあ、ハハ」
「は、はい・・・」
「じゃ、わしは葉っぱを拾って、撒いとく。あんたは運転席な」
「はい」
「エンジン、吹かしよってな」
「はい、ギアはローで」
オジサンは葉っぱを車道に撒き、ジープへ戻った。
しばらくして双方の車のタイヤのきしむ音。キュルキュル・・・・。
ゴムの焼ける匂い、雨・砂浜の匂いがしてきた。
ジープがピークの向こうにいったが、ロープがピシッとなっただけで、こちらの車は登っていく手ごたえが感じられない。
キュルルルルルッルル・・・・・・
ダメだ。こっちの車が多少横に流れるだけだ。ロープはかなり緊張しているものの、車を引っ張るまでには至らなかった。
オジサンは戻ってきた。
「ダメだなあ」
「そうですね・・」
「何か、方法はないかのう」
「・・・」
「ちょっと暗くなってきたしの。ううん・・・」
オジサンは必死に次の手を考えてくれていた。他人事なのに。
「あんたの車の積荷を軽くするとか、はどうかの?」
「な、なるほど」
「しかし、もう時間がのう・・」
「すみません。ホントは用事があったでしょうに」
「え?いやいや。わしは一人身だから。胸が苦しいときとか最近あってなあ。医者に世話になる年になってしもた」
僕の専門領域じゃないか・・。よりによって。しかしヒヨっ子だけに、くやしい。
「年金で暮らしたら分かるよ。若いときは苦しいが、苦しいのを体験させてもらえるのは、そのときだけじゃ」
「・・・」
「今は、ポックリ逝きたいよ」
「そんな・・」
「だからアンタ、苦労っちゅうのは〔させてもらってる〕という心構えでな・・」
「はい」
「もう時間がこんなんだ。暴走族とか来てもいかんし・・わしは、いったん車で出て、助けを呼んでくる」
「ありがとうございます。なんといっていいのか・・・あ!これ!」
「・・?何かのカードか?」
「JAFの会員証なんですが、期限切れなんです。入会し直しますので、ここに電話して頂けたら・・」
「これに電話したら、来てくれるんかい?」
「ええ」
「ほおー・・・分かった。しばらく待っててな。公衆電話自体、ほとんどない所だからな」
「ええ」
オジサンはロープを片付け、カウボーイのように堤防の向こうに消えていった。
雨はまだ降っており、後ろの太平洋では稲妻が遠くに見えているようだ。
「そうだ、CDを・・」
バラバラになったCDをかき集めた。ケースは衝撃で割れていた。期間限定で発売されていた、ミスチルの
アジア限定発売の逆輸入盤だ。ベストアルバムといった内容で、その後数年間ベストは出ていなかった。
『あーあ・・・長いレールの上を・・・・・歩む旅路だー・・・』
辺りは暗くなってきた。シートを倒して待ち続けた。なんか頭と脚がまっさかさまで、ドリフ大爆笑の無重力
コントみたいだ。
オジサンについていきゃ、よかったな・・・。でもオジサン・・・あのまま帰ったんじゃ・・?他人のためにずぶ濡れになって、
他人のために泥・砂だらけになって・・・僕は人の心そのものを病院という過酷な環境で、まっこうから否定していたような気がする。
人の心を信じたい・・・。僕は別のCDを取り出した。古いが、ハマショーの「PROMIST LAND」、最後の曲。
『愛を信じたい・・・!人の心の愛を信じたい・・・・!』
ふと思い、尾崎豊のCDも取り出した。「BIRTH」、のうちの10分超の曲。
『人の心の愛を、信じていたいけど・・人の心の幸せはとても小さすぎて・・・誰にも心の掟を破るわけにはいかないから・・』
たしかそんな歌詞だった。
オジサンが去ってから5時間。もう夜の9時前だ。ガソリンも少ない。EMPTYより少し下なのは・・タンクが傾いてるから、と
思うことにしよう。だがやっぱり不安なので、エンジンを消した。車内灯も。聞こえるのは宇宙空間のような風の怪しい音と、
打ち付けるような波の音だけだった。
ダメだ・・・。オジサン、帰ったんだよ・・たぶん。
そりゃそうだ。僕だったら、多分・・同じようなことになったかもしれないな。
「そ、そうだ。パッシングすれば・・・」
堤防の頂点に向けて、パッパッとパッシングした。モールス信号さながらだ。ビームは宇宙空間に消えていく。
誰か気づいてくれないか・・・。
僕には休息はないのか。これだったら何日も病院で缶詰になってたほうがマシだった。こんな身の危険に比べたら、これまでのは
一体なんだ?それこそ身の危険な患者を診て・・・でも患者のその危険を、苦痛を僕は感じていたか?他人事と思っていたのでは
ないか?だから自分のことになるとこんなに必死なんじゃあ・・・?
疲れた。今日はもう、寝よう。ラジオでも聞きながら。バッテリーが上がっても仕方ない。
<つづく>
「どーしたんだー?」
僕は這いつくばるように車を出て、雨に濡れながら堤防を駆け上がった。
「ああ!待ってください!く、車が落ちまして・・」
「なんか派手に落ちたんだな」
「登ってくるときに・・後ろに落ちたんです」
「ケガはねえか」
オジサンは僕のあちこちを見まわした。
「ええ、ありません。ありがとうございます。なんとか車を上げる方法を考えてまして」
「上げる方法なあ・・・こんな雨やしなあ・・・」
オジサンのキャップから大粒の雫がポタポタ音を立てていた。
「まあこの車なら、引き上げることもできるかの」
やった!
「でも距離がけっこうあるのう。ロープはあるけども、砂に埋まった車を引っ張れるかどうか・・・」
「・・・・・」
「まあ、やってみっか」
「はい、ありがとうございます!」
「しっかしアンタぁ・・こんなとこで、なあにをしよったの?」
「え?ああ・・」
「じゃ、このロープ。あんたの車に引っ掛けて、縛って」
「あ、はい」
オジサンは車までやってきてくれた。
「ハハ、あんた、そんな結び方はなかろう。常識ねえなあ・・いいよいいよ」
オジサンは自ら紐をくくってくれた。
「ヒモの結び方とか、最近の若い者は知らんのだよなあ。肝心なことを教えてねえんだ、学校は。あんたは・・学生さんかい?」
「え、ええ」
「だろなあ。今日は平日だしな」
「は、はい」
「そうだなあ、おい、車の周りの砂をな、できるかぎり掻き分けて、出そう。そのほうが引っ張りやすい」
「はい」
大雨の中、僕らは必死で砂を書き分け始めた。僕が1人でやります、なんて言う勇気もなしで。
なんて汚い、卑怯な奴だ・・・。
僕らも処置するときは、なるべく視野を十分に取るとか、そういったことが基本として大事だったりする。
木ばっかり見ていてはダメだ。
「ああそれとよ、アンタ。車の通るその道」
「ええ」
「濡れて滑りやすいから、なんか置こうか。あまり濡れてないのがいいな」
「はい、じゃ・・・これを」
「本か。やたら分厚いな。いいのかい?」
「ええ」
といいながら、5冊分冊の内科学の本を、僕は千切りはじめた。
「なんかツルツルしてんなあ。でもいいのかい」
「いいんです」
「あんたの教科書だろ」
「ええ」
「モノは大切にしなよ。あんたの親のスネがますます大変だあ、ハハ」
「は、はい・・・」
「じゃ、わしは葉っぱを拾って、撒いとく。あんたは運転席な」
「はい」
「エンジン、吹かしよってな」
「はい、ギアはローで」
オジサンは葉っぱを車道に撒き、ジープへ戻った。
しばらくして双方の車のタイヤのきしむ音。キュルキュル・・・・。
ゴムの焼ける匂い、雨・砂浜の匂いがしてきた。
ジープがピークの向こうにいったが、ロープがピシッとなっただけで、こちらの車は登っていく手ごたえが感じられない。
キュルルルルルッルル・・・・・・
ダメだ。こっちの車が多少横に流れるだけだ。ロープはかなり緊張しているものの、車を引っ張るまでには至らなかった。
オジサンは戻ってきた。
「ダメだなあ」
「そうですね・・」
「何か、方法はないかのう」
「・・・」
「ちょっと暗くなってきたしの。ううん・・・」
オジサンは必死に次の手を考えてくれていた。他人事なのに。
「あんたの車の積荷を軽くするとか、はどうかの?」
「な、なるほど」
「しかし、もう時間がのう・・」
「すみません。ホントは用事があったでしょうに」
「え?いやいや。わしは一人身だから。胸が苦しいときとか最近あってなあ。医者に世話になる年になってしもた」
僕の専門領域じゃないか・・。よりによって。しかしヒヨっ子だけに、くやしい。
「年金で暮らしたら分かるよ。若いときは苦しいが、苦しいのを体験させてもらえるのは、そのときだけじゃ」
「・・・」
「今は、ポックリ逝きたいよ」
「そんな・・」
「だからアンタ、苦労っちゅうのは〔させてもらってる〕という心構えでな・・」
「はい」
「もう時間がこんなんだ。暴走族とか来てもいかんし・・わしは、いったん車で出て、助けを呼んでくる」
「ありがとうございます。なんといっていいのか・・・あ!これ!」
「・・?何かのカードか?」
「JAFの会員証なんですが、期限切れなんです。入会し直しますので、ここに電話して頂けたら・・」
「これに電話したら、来てくれるんかい?」
「ええ」
「ほおー・・・分かった。しばらく待っててな。公衆電話自体、ほとんどない所だからな」
「ええ」
オジサンはロープを片付け、カウボーイのように堤防の向こうに消えていった。
雨はまだ降っており、後ろの太平洋では稲妻が遠くに見えているようだ。
「そうだ、CDを・・」
バラバラになったCDをかき集めた。ケースは衝撃で割れていた。期間限定で発売されていた、ミスチルの
アジア限定発売の逆輸入盤だ。ベストアルバムといった内容で、その後数年間ベストは出ていなかった。
『あーあ・・・長いレールの上を・・・・・歩む旅路だー・・・』
辺りは暗くなってきた。シートを倒して待ち続けた。なんか頭と脚がまっさかさまで、ドリフ大爆笑の無重力
コントみたいだ。
オジサンについていきゃ、よかったな・・・。でもオジサン・・・あのまま帰ったんじゃ・・?他人のためにずぶ濡れになって、
他人のために泥・砂だらけになって・・・僕は人の心そのものを病院という過酷な環境で、まっこうから否定していたような気がする。
人の心を信じたい・・・。僕は別のCDを取り出した。古いが、ハマショーの「PROMIST LAND」、最後の曲。
『愛を信じたい・・・!人の心の愛を信じたい・・・・!』
ふと思い、尾崎豊のCDも取り出した。「BIRTH」、のうちの10分超の曲。
『人の心の愛を、信じていたいけど・・人の心の幸せはとても小さすぎて・・・誰にも心の掟を破るわけにはいかないから・・』
たしかそんな歌詞だった。
オジサンが去ってから5時間。もう夜の9時前だ。ガソリンも少ない。EMPTYより少し下なのは・・タンクが傾いてるから、と
思うことにしよう。だがやっぱり不安なので、エンジンを消した。車内灯も。聞こえるのは宇宙空間のような風の怪しい音と、
打ち付けるような波の音だけだった。
ダメだ・・・。オジサン、帰ったんだよ・・たぶん。
そりゃそうだ。僕だったら、多分・・同じようなことになったかもしれないな。
「そ、そうだ。パッシングすれば・・・」
堤防の頂点に向けて、パッパッとパッシングした。モールス信号さながらだ。ビームは宇宙空間に消えていく。
誰か気づいてくれないか・・・。
僕には休息はないのか。これだったら何日も病院で缶詰になってたほうがマシだった。こんな身の危険に比べたら、これまでのは
一体なんだ?それこそ身の危険な患者を診て・・・でも患者のその危険を、苦痛を僕は感じていたか?他人事と思っていたのでは
ないか?だから自分のことになるとこんなに必死なんじゃあ・・・?
疲れた。今日はもう、寝よう。ラジオでも聞きながら。バッテリーが上がっても仕方ない。
<つづく>
< レジデント・preフォース 前編 オーシャン・ブルー >
2004年3月31日 連載静岡県のどこか・・・・。
徹夜で車を飛ばし続け、早朝になった。高速道路を通らずにひたすら1号線を走るのはつらい。海沿いの道を期待していたが、海スレスレの道って以外と
見つけにくいものだ。次の交差点を右に曲がってそのまま行けば、ひょっとして朝陽を拝めるのではないだろうか。
対向車のクラクション覚悟で、ハンドルを右に切った。さすが1号線よりは細い道だが、なんとか海まで連れてってくれそうだ。
ライバルの車もなく、1人勝ちの状況でアクセルをさらに加速し続けた。
前に3メートルほどの堤防が立ちはだかっている。この向こうに海があるのは間違いない。太平洋だ。
また小雨が降りだしたようだ。傘もなく、あったとしても絵にならない。ここはひとつ車で乗り越えてみたい・・・と、堤防をアップダウンする緩やかな傾斜がある。
間違いなく、車道だ。あの車道を越えれば、下っていける。しかし緩やかといっても、徐行したら押し戻されそうだ。
ギアをローに戻し、ブーンブーンと加速、そして勢いつけて坂を登った。平地ならかなり飛ばせそうな勢いだが、その坂ではせいぜい20ml/hr、いや、20km/hr
の速度だ。
傾斜のピークの幅はほとんどなく、車は底を擦りながら、まっさかさまという感じで坂を下り始めた。視線はフロントガラス下方にあるため、海よりも路面が気になった。
しかし車は無事着地、広大な砂浜の上をゆっくりと自由自在に進んだ。
素晴らしい。こんな景色は見たことがない、というくらい美しい光景だった。太陽はすでに出ていたが雲はほとんどなく、波はもうすぐそこに打ち寄せていた。視界は海・空
、それと砂浜だけだ。人っ子一人いない。さっきの雨は何だったのか・・・。
携帯はさすが電波が届いてないようだ。まあそれはいい。僕は重度のカゼということで病院を休んでる。あと数日は休めるはずだ。患者は運良くみんな落ち着いている。
時々連絡を取ればいい。今回は僕にとっての、非常に意義ある『命の洗濯』なのだ。
車から降りてしばらく海を眺め・・もう1時間くらいたったのか、かなり寒くなってきた。車に戻り、暖房の温度を上げた。
「さ、出ようか、とりあえず・・・」
徐々にアクセルを吹かし、今度は海に背を向け、堤防を向いた。またアクセルの勢いを上げ、傾斜を登ろうとした。よく見ると、雨雲がある。景色をみていたときには見えなかった
ものだ。雨雲はゆっくりとこちらへ向かっており、小雨がまた降り出した。雨水がうっすら滴る傾斜を、ブンブンとアクセルが登っていく。
ところが、ピークにあと少しのところで車が力尽きた。止まってしまったのだ。と、車は徐々にバックしていく。ブレーキが・・利かない。
「ハンドブレーキも・・ダメだ!」
何の抵抗もできないまま、車は加速していった。視界には空と降ってくる雨しか見えず、一瞬僕は覚悟した。
「くそ!」
ものすごい勢いで車は落ちていった。ドカンという衝撃を予測したが、ズブンと沈むような感覚だった・・・車は砂浜の砂、そのものに沈んだのだ。
「助かったか・・・一応」
車を降りると、後輪を含む車の三分の一が砂浜に喰われていた。一応アクセルはめいっぱい踏んだが・・ダメだ。FFでも全く手ごたえがない。
「何だよ!」
両手を思いっきりハンドルへ叩きつけた。
車の中はゴチャゴチャになっていた。病院で書いた、というか書きかけのサマリー、MRから貰った資料・カタログなど。サマリーを早く完成させないと、
職場を代わった後で書きに来いとの催促が来るらしい。ワープロ下げて打ちに来いってことだ。大学ではよく見知らぬ先生がやって来ていた。
何か道具はないか?道具は・・・。ゴソゴソと、傾いた車の中を探し始めた。書類・・・ペンライト・・・名刺・・何探してんだ、俺?
そうだ、JAFの会員証だ。あれがないと、かなり高額の金を取られる・・・しかし・・年会費、最近払ってないような。こんな砂浜で、連絡できそうな
公衆電話もない。携帯は電波届かないし・・・。さしあたってできることは・・・。
僕は堤防に登り、ピークから辺りを見回した。目の前に1本の道路、両側に堤防沿いの道路、ただそれだけ。それ以外はただの砂地だ。
車は全く走ってない。雨は次第に激しくなっていく・・・。とりあえず車の中だ。雨がやんだら、歩いて助けを求めに行こう。
傾いた車の中で、散らかった車内を清掃した。というか片付けにかかった。イスの下に置いて流れてきたもの、ダッシュボードから落ちたもの・・。
いろんな書籍。読んで暇つぶしできるような代物はなく、スクリブナーの電解質の本を手にとった。以前からオーベンに『レジデントなら1度は読む本』
といわれてた本だ。僕は本を1から読むのがイヤなので、〔ナトリウム平衡の異常〕から読むことにした。
ナトリウム欠乏の症状は・・消化器症状、ひどいとショック・・。
ナトリウムの蓄積は・・浮腫、足が腫れてみっともない・・? 面白い本だな。
ナトリウムの必要量を血清ナトリウム値によって決めるような旧式なやりかたはもうやめなければならない、か・・。確かに、低ければ足すっていう
医者って多いよなあ・・。心不全は低ナトリウムに傾くから、そこに生理食塩水入れられて、搬送されて・・ひどい目にあってきたなあ。
浸透圧の話だ。浸透圧は、つまり濃度だよな。浸透圧が高いってのは濃度が濃い。濃い方が薄い方の水を引き込んで、同じ濃度になろうとする。
医者も同じだ。大学医局のほうが、外様病院のイノセントな医者パワー〔水〕をどんどん引き込んでいく。浸透圧とは、医者を、いや水分を引きこんでとどめておく力だ。
水を離さない力だ。
読んでいて頭が痛くなってきた。数ページで、もうダウンした。
すると目の前・・堤防の頂上に、ジープらしき四輪駆動の車が立ち上がっていた。
僕は感激して、泣きそうになった。
しかし、コトは簡単には運んでくれなかった。
<つづく>
徹夜で車を飛ばし続け、早朝になった。高速道路を通らずにひたすら1号線を走るのはつらい。海沿いの道を期待していたが、海スレスレの道って以外と
見つけにくいものだ。次の交差点を右に曲がってそのまま行けば、ひょっとして朝陽を拝めるのではないだろうか。
対向車のクラクション覚悟で、ハンドルを右に切った。さすが1号線よりは細い道だが、なんとか海まで連れてってくれそうだ。
ライバルの車もなく、1人勝ちの状況でアクセルをさらに加速し続けた。
前に3メートルほどの堤防が立ちはだかっている。この向こうに海があるのは間違いない。太平洋だ。
また小雨が降りだしたようだ。傘もなく、あったとしても絵にならない。ここはひとつ車で乗り越えてみたい・・・と、堤防をアップダウンする緩やかな傾斜がある。
間違いなく、車道だ。あの車道を越えれば、下っていける。しかし緩やかといっても、徐行したら押し戻されそうだ。
ギアをローに戻し、ブーンブーンと加速、そして勢いつけて坂を登った。平地ならかなり飛ばせそうな勢いだが、その坂ではせいぜい20ml/hr、いや、20km/hr
の速度だ。
傾斜のピークの幅はほとんどなく、車は底を擦りながら、まっさかさまという感じで坂を下り始めた。視線はフロントガラス下方にあるため、海よりも路面が気になった。
しかし車は無事着地、広大な砂浜の上をゆっくりと自由自在に進んだ。
素晴らしい。こんな景色は見たことがない、というくらい美しい光景だった。太陽はすでに出ていたが雲はほとんどなく、波はもうすぐそこに打ち寄せていた。視界は海・空
、それと砂浜だけだ。人っ子一人いない。さっきの雨は何だったのか・・・。
携帯はさすが電波が届いてないようだ。まあそれはいい。僕は重度のカゼということで病院を休んでる。あと数日は休めるはずだ。患者は運良くみんな落ち着いている。
時々連絡を取ればいい。今回は僕にとっての、非常に意義ある『命の洗濯』なのだ。
車から降りてしばらく海を眺め・・もう1時間くらいたったのか、かなり寒くなってきた。車に戻り、暖房の温度を上げた。
「さ、出ようか、とりあえず・・・」
徐々にアクセルを吹かし、今度は海に背を向け、堤防を向いた。またアクセルの勢いを上げ、傾斜を登ろうとした。よく見ると、雨雲がある。景色をみていたときには見えなかった
ものだ。雨雲はゆっくりとこちらへ向かっており、小雨がまた降り出した。雨水がうっすら滴る傾斜を、ブンブンとアクセルが登っていく。
ところが、ピークにあと少しのところで車が力尽きた。止まってしまったのだ。と、車は徐々にバックしていく。ブレーキが・・利かない。
「ハンドブレーキも・・ダメだ!」
何の抵抗もできないまま、車は加速していった。視界には空と降ってくる雨しか見えず、一瞬僕は覚悟した。
「くそ!」
ものすごい勢いで車は落ちていった。ドカンという衝撃を予測したが、ズブンと沈むような感覚だった・・・車は砂浜の砂、そのものに沈んだのだ。
「助かったか・・・一応」
車を降りると、後輪を含む車の三分の一が砂浜に喰われていた。一応アクセルはめいっぱい踏んだが・・ダメだ。FFでも全く手ごたえがない。
「何だよ!」
両手を思いっきりハンドルへ叩きつけた。
車の中はゴチャゴチャになっていた。病院で書いた、というか書きかけのサマリー、MRから貰った資料・カタログなど。サマリーを早く完成させないと、
職場を代わった後で書きに来いとの催促が来るらしい。ワープロ下げて打ちに来いってことだ。大学ではよく見知らぬ先生がやって来ていた。
何か道具はないか?道具は・・・。ゴソゴソと、傾いた車の中を探し始めた。書類・・・ペンライト・・・名刺・・何探してんだ、俺?
そうだ、JAFの会員証だ。あれがないと、かなり高額の金を取られる・・・しかし・・年会費、最近払ってないような。こんな砂浜で、連絡できそうな
公衆電話もない。携帯は電波届かないし・・・。さしあたってできることは・・・。
僕は堤防に登り、ピークから辺りを見回した。目の前に1本の道路、両側に堤防沿いの道路、ただそれだけ。それ以外はただの砂地だ。
車は全く走ってない。雨は次第に激しくなっていく・・・。とりあえず車の中だ。雨がやんだら、歩いて助けを求めに行こう。
傾いた車の中で、散らかった車内を清掃した。というか片付けにかかった。イスの下に置いて流れてきたもの、ダッシュボードから落ちたもの・・。
いろんな書籍。読んで暇つぶしできるような代物はなく、スクリブナーの電解質の本を手にとった。以前からオーベンに『レジデントなら1度は読む本』
といわれてた本だ。僕は本を1から読むのがイヤなので、〔ナトリウム平衡の異常〕から読むことにした。
ナトリウム欠乏の症状は・・消化器症状、ひどいとショック・・。
ナトリウムの蓄積は・・浮腫、足が腫れてみっともない・・? 面白い本だな。
ナトリウムの必要量を血清ナトリウム値によって決めるような旧式なやりかたはもうやめなければならない、か・・。確かに、低ければ足すっていう
医者って多いよなあ・・。心不全は低ナトリウムに傾くから、そこに生理食塩水入れられて、搬送されて・・ひどい目にあってきたなあ。
浸透圧の話だ。浸透圧は、つまり濃度だよな。浸透圧が高いってのは濃度が濃い。濃い方が薄い方の水を引き込んで、同じ濃度になろうとする。
医者も同じだ。大学医局のほうが、外様病院のイノセントな医者パワー〔水〕をどんどん引き込んでいく。浸透圧とは、医者を、いや水分を引きこんでとどめておく力だ。
水を離さない力だ。
読んでいて頭が痛くなってきた。数ページで、もうダウンした。
すると目の前・・堤防の頂上に、ジープらしき四輪駆動の車が立ち上がっていた。
僕は感激して、泣きそうになった。
しかし、コトは簡単には運んでくれなかった。
<つづく>
<レジデント・サード 22 最終回 休息>
2004年3月30日 連載 一般内科病棟を回診。以前に救急をいっしょに当たった佐々木先生に会った。
「おう、先生。病院には慣れたか!」
「はい。まだそこまでは」
「献血車には慣れたようだな」
「先生、もう代理のバイトには・・」
「はは、分かってるって。で、先生はもう半年になるよな。大学へ戻れっていう話は?」
「いえ・・何も聞いてません」
「君の出身の医局だったと思うが・・医局員が少ないらしくてね。次々と外病院から戻しているんだそうだ」
「ええ?」
「だからそろそろ、そういう話が来てないかって思ってね」
「いえ、聞いてません。でも正直、今の臨床のほうが・・」
「そうだな。大学でまた頭にクモの巣張るよりはな」
「先生、先の話ですが、年末か年度末あたり、また先生と救急ですね。宜しくお願いします」
「ああ見た見た。祭日に当たるようだな。大変だぞぉ」
・・と知らなかったフリを一応してみたものの・・・そういう噂は知っていた。大学の医局長がこの間、僕に面会を望んでやってきた。
ちょうど処置中で延期させてもらったが。そろそろそんな話があっても不思議じゃない。
MCTDの患者回診。部長へ報告。
「MCTDの方です。スワンガンツカテーテル留置。PG剤内服、今日で7日目」
「ステロイドも内服してるんだよね?」
「はい。今のところ40mg/dayで」
「PHの程度がPrognosisを左右するって言われてるからね。で、今は効果のほどは」
「PA圧はあまり変わってません」
「そうか・・まああと1週間、続けよう」
「はい」
隣の部屋。伊藤が説明する。
「この間のカテーテル検査の方です。VSAと診断しました」
「君がカテーテルしたんだな。西岡君、彼は・・・?そう、合格か」
西岡先生が満足げに頷いていた。
「伊藤には、さらにアセチルコリン負荷もさせました。有意狭窄がなかったので」
「ほう・・で、陽性だったわけか。なるほど」
部長はカルテをしげしげと見つめていた。
「じゃ、カルシウムブロッカーを処方して退院というわけだな」
別の部屋に移ろうとしたところ、僕は西岡先生に呼び止められた。
「順番は、あれでいい」
僕はピタリと足を止めた。
「だが、肝心なことを忘れてなかったか」
僕は本当に分からなかった。一体、何を・・・・?
「穿刺の位置だよ」
「穿刺の・・・?」
「そうだ。刺す場所。初歩の初歩だ。君はかなり上方を刺していたようだ」
「・・・」
「ソケイ部よりやや下を刺すはずが、君は麻酔のとき上を刺した。あのとき君は、ハッとして気づいたはずだ。あんな初期の段階なのに、いったん手が止まっていた」
「・・・」
「あのときやり直せばよかった。でも君はそのままその場所に穿刺し続けた。幸い血管には入ったが」
「・・・」
「もしあれで皮下出血したら、骨盤内出血して大変な事態になるところだった」
「・・・」
「まあいいだろうという心の油断、それが君には見え隠れしている。それも大事な時にだ」
「大事なとき・・・」
「あの心筋炎の患者も、全力で当たってたら本当は救えたのでは?君は途中から、すでに諦めていたのではないだろうか?」
「・・・」
「・・・僕はこの前のカテーテルで見たかったのは、技術うんぬんじゃなかったんだよ。どんな医者かを見るためだ。こいつはミス・トラブル、するしない、この段階で見極めて修正するのが僕らの役目だ」
「・・・」
「とにかく、落第だ。やり直し」
「・・・」
西岡先生は知らない間に去っていた。気配で分かる。
伊藤が出てきた。
「おい、お前の患者の番!部長が待ってるぞ!」
「あ、ああ」
急いで病室へ走った。
12月。
追い討ちをかけるように、大学の医局長が病院の医局に姿を現した。医局長は安井先生に変わっていた。
「やあ、やっと会えたな」
「先生がなられたんですね。医局長」
「おいおい。医局長なんて、ただの雑用係だよ。好きでやってるんじゃない」
「ええ・・」
「忙しいのはわかるが、今日は5分ほど時間をもらっていいかな」
医局のスタッフは気を遣ってくれて、皆外へ出た。僕らはストーブを挟んだ。
「どうだ?居心地はいいか?」
「厳しいです」
「そりゃどこだって厳しいよ。そのほうが・・」
「いえ、僕がです。今後の事が大変で・・」
「・・・レジデント時代は、振り返ったらみないい思い出さ」
「そうでしょうか・・」
「でな、今日来たのは。大学のスタッフがかなり減っててね。来年の入局希望者もほとんどいないようなんだ」
「戻れということですか」
「いや、そこまでは言ってない。君の今の部長の許可もいるしな」
「他のみんなは・・」
「野中・川口は院生だ。間宮君は救急の勉強をしているが、場合によっては戻ってくると」
「場合による?」
「ああ。こちらにとっては、君か間宮君のどちらかが帰ってこないと困る」
「先生、もし帰らないとすれば?」
「・・となると、山城先生のいる公立病院へ行ってもらう」
「ええ?」
「そんな嫌な顔、すんな。ホントはいい先生だよ」
「噂は聞いてます。診療は優れていると聞きましたが」
「今まで何人もレジデントが辞めたという噂だろ・・それはもう昔の話だ。今は丸くなった」
「マミーは行くんでしょうか」
「いや・・・山城先生自体が女医反対派だからね。実現せんだろう。間宮もそれだけは勘弁と言ってる」
「・・じゃあ、僕が行かないといけないじゃないですか」
「ああ。教授もそうしてくれと」
「教授が?」
「君を遊ばせないつもりなんだろう」
最初から・・・選択の余地なんかなかったんだ。
「おおおっ!」
自転車はいつものように信号無視、商店街を突き抜けた。いつものようにスリップしながらアパートの自転車置き場に止める
つもりが・・・薄くつもった雪でスリップしてしまった。他の自転車・バイクも巻き込み、僕はその上に倒れてしまった。
「ツイてない・・・!」
部屋はかなり荒れていた。いつの間にか忘れていた電話の請求書。点滅している留守電。電話はもう止められているはずだ。
睡眠不足と打撲で倒れそうだ。カレンダーでは年末の救急当番など、dutyが目白押しだ。
目まいがしてきた・・・・・・・。
次の日。
僕はセルラーで、病院へ電話した。
「医局の、はい、オーベンにつないでください・・・あ、先生、僕です」
「おはよう。まだ出勤してないな」
「40度熱がありまして」
「大変だな。ならこっち受診して点滴でも・・」
「行きません」
「・・休むってことか」
「治療に・・専念します」
僕は車で出かけた。「治療」に専念するために。そして「医療」にも専念するために・・・。
「おう、先生。病院には慣れたか!」
「はい。まだそこまでは」
「献血車には慣れたようだな」
「先生、もう代理のバイトには・・」
「はは、分かってるって。で、先生はもう半年になるよな。大学へ戻れっていう話は?」
「いえ・・何も聞いてません」
「君の出身の医局だったと思うが・・医局員が少ないらしくてね。次々と外病院から戻しているんだそうだ」
「ええ?」
「だからそろそろ、そういう話が来てないかって思ってね」
「いえ、聞いてません。でも正直、今の臨床のほうが・・」
「そうだな。大学でまた頭にクモの巣張るよりはな」
「先生、先の話ですが、年末か年度末あたり、また先生と救急ですね。宜しくお願いします」
「ああ見た見た。祭日に当たるようだな。大変だぞぉ」
・・と知らなかったフリを一応してみたものの・・・そういう噂は知っていた。大学の医局長がこの間、僕に面会を望んでやってきた。
ちょうど処置中で延期させてもらったが。そろそろそんな話があっても不思議じゃない。
MCTDの患者回診。部長へ報告。
「MCTDの方です。スワンガンツカテーテル留置。PG剤内服、今日で7日目」
「ステロイドも内服してるんだよね?」
「はい。今のところ40mg/dayで」
「PHの程度がPrognosisを左右するって言われてるからね。で、今は効果のほどは」
「PA圧はあまり変わってません」
「そうか・・まああと1週間、続けよう」
「はい」
隣の部屋。伊藤が説明する。
「この間のカテーテル検査の方です。VSAと診断しました」
「君がカテーテルしたんだな。西岡君、彼は・・・?そう、合格か」
西岡先生が満足げに頷いていた。
「伊藤には、さらにアセチルコリン負荷もさせました。有意狭窄がなかったので」
「ほう・・で、陽性だったわけか。なるほど」
部長はカルテをしげしげと見つめていた。
「じゃ、カルシウムブロッカーを処方して退院というわけだな」
別の部屋に移ろうとしたところ、僕は西岡先生に呼び止められた。
「順番は、あれでいい」
僕はピタリと足を止めた。
「だが、肝心なことを忘れてなかったか」
僕は本当に分からなかった。一体、何を・・・・?
「穿刺の位置だよ」
「穿刺の・・・?」
「そうだ。刺す場所。初歩の初歩だ。君はかなり上方を刺していたようだ」
「・・・」
「ソケイ部よりやや下を刺すはずが、君は麻酔のとき上を刺した。あのとき君は、ハッとして気づいたはずだ。あんな初期の段階なのに、いったん手が止まっていた」
「・・・」
「あのときやり直せばよかった。でも君はそのままその場所に穿刺し続けた。幸い血管には入ったが」
「・・・」
「もしあれで皮下出血したら、骨盤内出血して大変な事態になるところだった」
「・・・」
「まあいいだろうという心の油断、それが君には見え隠れしている。それも大事な時にだ」
「大事なとき・・・」
「あの心筋炎の患者も、全力で当たってたら本当は救えたのでは?君は途中から、すでに諦めていたのではないだろうか?」
「・・・」
「・・・僕はこの前のカテーテルで見たかったのは、技術うんぬんじゃなかったんだよ。どんな医者かを見るためだ。こいつはミス・トラブル、するしない、この段階で見極めて修正するのが僕らの役目だ」
「・・・」
「とにかく、落第だ。やり直し」
「・・・」
西岡先生は知らない間に去っていた。気配で分かる。
伊藤が出てきた。
「おい、お前の患者の番!部長が待ってるぞ!」
「あ、ああ」
急いで病室へ走った。
12月。
追い討ちをかけるように、大学の医局長が病院の医局に姿を現した。医局長は安井先生に変わっていた。
「やあ、やっと会えたな」
「先生がなられたんですね。医局長」
「おいおい。医局長なんて、ただの雑用係だよ。好きでやってるんじゃない」
「ええ・・」
「忙しいのはわかるが、今日は5分ほど時間をもらっていいかな」
医局のスタッフは気を遣ってくれて、皆外へ出た。僕らはストーブを挟んだ。
「どうだ?居心地はいいか?」
「厳しいです」
「そりゃどこだって厳しいよ。そのほうが・・」
「いえ、僕がです。今後の事が大変で・・」
「・・・レジデント時代は、振り返ったらみないい思い出さ」
「そうでしょうか・・」
「でな、今日来たのは。大学のスタッフがかなり減っててね。来年の入局希望者もほとんどいないようなんだ」
「戻れということですか」
「いや、そこまでは言ってない。君の今の部長の許可もいるしな」
「他のみんなは・・」
「野中・川口は院生だ。間宮君は救急の勉強をしているが、場合によっては戻ってくると」
「場合による?」
「ああ。こちらにとっては、君か間宮君のどちらかが帰ってこないと困る」
「先生、もし帰らないとすれば?」
「・・となると、山城先生のいる公立病院へ行ってもらう」
「ええ?」
「そんな嫌な顔、すんな。ホントはいい先生だよ」
「噂は聞いてます。診療は優れていると聞きましたが」
「今まで何人もレジデントが辞めたという噂だろ・・それはもう昔の話だ。今は丸くなった」
「マミーは行くんでしょうか」
「いや・・・山城先生自体が女医反対派だからね。実現せんだろう。間宮もそれだけは勘弁と言ってる」
「・・じゃあ、僕が行かないといけないじゃないですか」
「ああ。教授もそうしてくれと」
「教授が?」
「君を遊ばせないつもりなんだろう」
最初から・・・選択の余地なんかなかったんだ。
「おおおっ!」
自転車はいつものように信号無視、商店街を突き抜けた。いつものようにスリップしながらアパートの自転車置き場に止める
つもりが・・・薄くつもった雪でスリップしてしまった。他の自転車・バイクも巻き込み、僕はその上に倒れてしまった。
「ツイてない・・・!」
部屋はかなり荒れていた。いつの間にか忘れていた電話の請求書。点滅している留守電。電話はもう止められているはずだ。
睡眠不足と打撲で倒れそうだ。カレンダーでは年末の救急当番など、dutyが目白押しだ。
目まいがしてきた・・・・・・・。
次の日。
僕はセルラーで、病院へ電話した。
「医局の、はい、オーベンにつないでください・・・あ、先生、僕です」
「おはよう。まだ出勤してないな」
「40度熱がありまして」
「大変だな。ならこっち受診して点滴でも・・」
「行きません」
「・・休むってことか」
「治療に・・専念します」
僕は車で出かけた。「治療」に専念するために。そして「医療」にも専念するために・・・。
<レジデント・サード 21 TEST>
2004年3月29日 連載 「手洗い、すんだか?」
向こうから西岡先生の催促だ。伊藤が患者のソケイ部を押さえたまま、ストレッチャーでやってきた。
「伊藤、お疲れさん・・で?」
「合格!」
「あ、そう。よかったね」
伊藤が片手でVサインしたところ、患者が痛がった。
「せ、先生、ちょっと急所がイタタタ・・!」
伊藤の手が少しズレて、少し出血した。
「あ、えらいすみません。やっぱ練習したのがよかった!」
「オレはダメだな今日、多分」
「当日メモ見て練習するって言ってただろ?」
「いや、ダメだろう」
患者がすごく気にしだした。
「だ、大丈夫じゃないんかいな、わし」
伊藤が焦った。
「いやいや、あなたは大丈夫でしたよ。結果はまた後で」
「後でっちゅうことは、やっぱ結果が悪かったってことかいな」
「いえいえ。血管の細いところはほとんどなかったです」
「ほ、ほとんどっていうことは、1ヶ所くらい詰まってる、っちゅうことかいな」
「いえ、詰まっては・・」
「それとも見えんくらい細い血管が、詰まりかけとるとか」
さ、ちゃんとムンテラしろよ、伊藤・・・。
ガイ−ン、と自動ドアが開いた。光がまぶしい。次の患者は横になっていた。
補助のドクターはオーベンだ。注射器・カテーテルはすべて用意されている。
西岡先生は仁王立ちで、患者の足元から僕を監視している。
「さあ、やらないか」
「ええ・・・消毒を」
ソケイ部に消毒。中心から外へ向けて。もう1個もらって同様に。
「布、ください」
穴あきの布をもらい、穴なしとで2枚かぶせる。消毒のところに、穴のところを被せる。
患者は顔以外、布で覆われた。
そけい部の穿刺部位に、麻酔。
「ちょっと、痛いですよー・・・・」
オーベンが右で使った注射器を受け取る。
西岡先生は微動だにせず、こちらを見つけている。
当たり前だが、真剣そのものだ。
穿刺、運良く一発目で静脈。内筒を抜き、逆流確認。
1メートル以上あろうワイヤーつまり柔らかい針金を、外筒の中から入れる。
透視下で、観察。
「ワイヤーは、入れすぎない・・・」
右のオーベンはコイツ何しゃべってんだ、といった感じだ。
これも以前のオーベンから教わっていたんだが・・・
『緊張して頭が真っ白になりそうなら、君自らのペースに引き込め。自分の世界に入れ』
「外筒を抜いて、出血しないよう押さえながら・・・シースを」
シース挿入。これで、カテーテルの入るトンネルが出来た。
動脈はよく触れるので、これも1発目で穿刺。シース挿入。
いいぞ。ここからがカテーテル検査だ。おっと、その前に・・・。
「フラッシュ。ヘパリンを注入。では、ガンツカテーテルを挿入」
検査用カテーテルを静脈側より挿入。先っちょに風船を膨らませ、カテーテルは内腸骨静脈から、下大静脈を上行・・・・右心房と思われる箇所に入った。
「圧波形の記録を」
放射線技師が向こうでコンピューターを操作。
「どうぞ」
「RA・・・・・RV・・・・・・PA」
西岡先生が僕の手元を見ている・・・時々気になって、しようがない。
「バルーン解除。ウエッジ圧を」
「・・記録完了です」
「抜去します」
右心カテーテル終了。次は冠動脈造影だ。まず左冠動脈。
左冠動脈用のカテーテルは、腸骨動脈、下行大動脈を上行し・・大動脈弓を通り・・上行大動脈の下部へ。と、そのまま左冠動脈の主幹部に入る。
テスト造影。間違いなく入ってる。
「じゃ、造影します!角度は・・・・!」
左冠動脈を造影。
「角度・・・・へ変更!」
オーベンが透視の角度を調整。
「造影!」
またオーベンが角度変更。
「造影!」
オーベンが目を細めた。
「ユウキ先生。造影しながらカテーテルをゆっくり抜いてくれ」
「え?カテが入りすぎてますか?」
「いや、そうじゃない」
西岡先生の目が光った。
「イイから言われたとおりにやれ!」
「は、はい。造影!抜去します」
するとカテーテルが挿入されていた部位に、造影剤の欠損、つまり狭窄が見つかった。有意狭窄だ。
西岡先生がうなずいてる。
オーベンが角度変更。
「よし、やってくれ」
「造影!」
左冠動脈用カテを抜去。引き続き、右心カテを挿入。
「上行大動脈の下にコツンと当て、ゆっくり廻しながら・・・くそ、なかなかエンゲージしない」
西岡先生はまた両手を組み始めた。
「入り口は、どこだ・・・先生、テスト的に造影を」
「・・いいだろう」
「では、透視、見ます」
造影剤を少量入れると・・入り口がわかった。
「そこか!」
カテは入り口に入った。テスト造影、入っている。よし。
「造影!」
造影された血管には狭窄はないようだ。
「・・・主幹病変のみか。しかしこれは・・・バイパス術か」
「そうだな」
両目だけ露出しているオーベンが答えた。
「ピッグカテーテル、挿入します」
このカテーテル見ると、あのときの心嚢穿刺を思い出す。
『ブタのシッポちゃん・・・・あんたはまあ、グッチさんのお尻が似合うがね、似合うがね、似合うがね・・・・・・』
消えろ!
「先生、インジェクターです。接続を」
「あ、はい」
知らない間に技師さんが来ていた。
「逆流を確認・・・じゃ、お願いします」
僕以外の全員が透視室を避難した。向こうの技師さんが合図する。
「造影!」
造影剤が注入され、左心室の内部が描出された。
ガラスの向こうで、みんなが何やらディスカッションしている。
みんな戻ってきた。
オーベンがスキップでやってきた。
「さ、終わろう!」
思いのほか、うまくいったのではないか・・?
「あれ、西岡先生は・・?」
「ああ、合否判定か。西岡先生は救急に呼ばれたとこだ。結果は・・聞いとくか?」
「い、いえ。自分が・・」
「そうか。じゃ、お疲れさん!あと止血処置な!」
病棟でMCTDの女の子の回診をした。部屋は個室で、1日数万といわれている部屋。大型テレビ、キッチン、ソファー・・両親が配慮してくれたものだ。
僕が入ってくるなり、彼女はテレビのリモコンスイッチをすばやく消した。
「こんにちは。今もらってる薬は、欠かさず飲んでる?」
「はい」
「右心カテーテルを西岡先生が、鎖骨の下の血管から入れてくれるよ。すぐ済む」
「信用できる先生ですか」
「そりゃもう・・うちの病院では一番上手な先生だよ。カテ部長だし」
「そうですか。先生がそうおっしゃるなら・・ホッとしました」
「治療前のデータを記録して、2週間の治療後にまたデータをとるって聞いてるよね」
「ええ。治療薬は内服なんですね」
「君の希望でね。点滴はイヤかい?」
「ええ・・なんとなく」
「この写真は・・川口先生ら?」
「ええ、大学でお世話になった医局員の先生方です。この人たちにはかなり支えられたんです、精神的にも。悩み事も聞いてもらったりして」
「ああ、みんないい奴だよ」
「先生は悩み事とか、ありますか?」
「・・・ああ、そりゃ、あるだろ・・誰にも。むしろない人間のほうが」
「そうか、先生みたいな人でもあるのか・・なんか、安心しました。ゴメンね」
「いや・・じゃ、失礼します」
<つづく>
向こうから西岡先生の催促だ。伊藤が患者のソケイ部を押さえたまま、ストレッチャーでやってきた。
「伊藤、お疲れさん・・で?」
「合格!」
「あ、そう。よかったね」
伊藤が片手でVサインしたところ、患者が痛がった。
「せ、先生、ちょっと急所がイタタタ・・!」
伊藤の手が少しズレて、少し出血した。
「あ、えらいすみません。やっぱ練習したのがよかった!」
「オレはダメだな今日、多分」
「当日メモ見て練習するって言ってただろ?」
「いや、ダメだろう」
患者がすごく気にしだした。
「だ、大丈夫じゃないんかいな、わし」
伊藤が焦った。
「いやいや、あなたは大丈夫でしたよ。結果はまた後で」
「後でっちゅうことは、やっぱ結果が悪かったってことかいな」
「いえいえ。血管の細いところはほとんどなかったです」
「ほ、ほとんどっていうことは、1ヶ所くらい詰まってる、っちゅうことかいな」
「いえ、詰まっては・・」
「それとも見えんくらい細い血管が、詰まりかけとるとか」
さ、ちゃんとムンテラしろよ、伊藤・・・。
ガイ−ン、と自動ドアが開いた。光がまぶしい。次の患者は横になっていた。
補助のドクターはオーベンだ。注射器・カテーテルはすべて用意されている。
西岡先生は仁王立ちで、患者の足元から僕を監視している。
「さあ、やらないか」
「ええ・・・消毒を」
ソケイ部に消毒。中心から外へ向けて。もう1個もらって同様に。
「布、ください」
穴あきの布をもらい、穴なしとで2枚かぶせる。消毒のところに、穴のところを被せる。
患者は顔以外、布で覆われた。
そけい部の穿刺部位に、麻酔。
「ちょっと、痛いですよー・・・・」
オーベンが右で使った注射器を受け取る。
西岡先生は微動だにせず、こちらを見つけている。
当たり前だが、真剣そのものだ。
穿刺、運良く一発目で静脈。内筒を抜き、逆流確認。
1メートル以上あろうワイヤーつまり柔らかい針金を、外筒の中から入れる。
透視下で、観察。
「ワイヤーは、入れすぎない・・・」
右のオーベンはコイツ何しゃべってんだ、といった感じだ。
これも以前のオーベンから教わっていたんだが・・・
『緊張して頭が真っ白になりそうなら、君自らのペースに引き込め。自分の世界に入れ』
「外筒を抜いて、出血しないよう押さえながら・・・シースを」
シース挿入。これで、カテーテルの入るトンネルが出来た。
動脈はよく触れるので、これも1発目で穿刺。シース挿入。
いいぞ。ここからがカテーテル検査だ。おっと、その前に・・・。
「フラッシュ。ヘパリンを注入。では、ガンツカテーテルを挿入」
検査用カテーテルを静脈側より挿入。先っちょに風船を膨らませ、カテーテルは内腸骨静脈から、下大静脈を上行・・・・右心房と思われる箇所に入った。
「圧波形の記録を」
放射線技師が向こうでコンピューターを操作。
「どうぞ」
「RA・・・・・RV・・・・・・PA」
西岡先生が僕の手元を見ている・・・時々気になって、しようがない。
「バルーン解除。ウエッジ圧を」
「・・記録完了です」
「抜去します」
右心カテーテル終了。次は冠動脈造影だ。まず左冠動脈。
左冠動脈用のカテーテルは、腸骨動脈、下行大動脈を上行し・・大動脈弓を通り・・上行大動脈の下部へ。と、そのまま左冠動脈の主幹部に入る。
テスト造影。間違いなく入ってる。
「じゃ、造影します!角度は・・・・!」
左冠動脈を造影。
「角度・・・・へ変更!」
オーベンが透視の角度を調整。
「造影!」
またオーベンが角度変更。
「造影!」
オーベンが目を細めた。
「ユウキ先生。造影しながらカテーテルをゆっくり抜いてくれ」
「え?カテが入りすぎてますか?」
「いや、そうじゃない」
西岡先生の目が光った。
「イイから言われたとおりにやれ!」
「は、はい。造影!抜去します」
するとカテーテルが挿入されていた部位に、造影剤の欠損、つまり狭窄が見つかった。有意狭窄だ。
西岡先生がうなずいてる。
オーベンが角度変更。
「よし、やってくれ」
「造影!」
左冠動脈用カテを抜去。引き続き、右心カテを挿入。
「上行大動脈の下にコツンと当て、ゆっくり廻しながら・・・くそ、なかなかエンゲージしない」
西岡先生はまた両手を組み始めた。
「入り口は、どこだ・・・先生、テスト的に造影を」
「・・いいだろう」
「では、透視、見ます」
造影剤を少量入れると・・入り口がわかった。
「そこか!」
カテは入り口に入った。テスト造影、入っている。よし。
「造影!」
造影された血管には狭窄はないようだ。
「・・・主幹病変のみか。しかしこれは・・・バイパス術か」
「そうだな」
両目だけ露出しているオーベンが答えた。
「ピッグカテーテル、挿入します」
このカテーテル見ると、あのときの心嚢穿刺を思い出す。
『ブタのシッポちゃん・・・・あんたはまあ、グッチさんのお尻が似合うがね、似合うがね、似合うがね・・・・・・』
消えろ!
「先生、インジェクターです。接続を」
「あ、はい」
知らない間に技師さんが来ていた。
「逆流を確認・・・じゃ、お願いします」
僕以外の全員が透視室を避難した。向こうの技師さんが合図する。
「造影!」
造影剤が注入され、左心室の内部が描出された。
ガラスの向こうで、みんなが何やらディスカッションしている。
みんな戻ってきた。
オーベンがスキップでやってきた。
「さ、終わろう!」
思いのほか、うまくいったのではないか・・?
「あれ、西岡先生は・・?」
「ああ、合否判定か。西岡先生は救急に呼ばれたとこだ。結果は・・聞いとくか?」
「い、いえ。自分が・・」
「そうか。じゃ、お疲れさん!あと止血処置な!」
病棟でMCTDの女の子の回診をした。部屋は個室で、1日数万といわれている部屋。大型テレビ、キッチン、ソファー・・両親が配慮してくれたものだ。
僕が入ってくるなり、彼女はテレビのリモコンスイッチをすばやく消した。
「こんにちは。今もらってる薬は、欠かさず飲んでる?」
「はい」
「右心カテーテルを西岡先生が、鎖骨の下の血管から入れてくれるよ。すぐ済む」
「信用できる先生ですか」
「そりゃもう・・うちの病院では一番上手な先生だよ。カテ部長だし」
「そうですか。先生がそうおっしゃるなら・・ホッとしました」
「治療前のデータを記録して、2週間の治療後にまたデータをとるって聞いてるよね」
「ええ。治療薬は内服なんですね」
「君の希望でね。点滴はイヤかい?」
「ええ・・なんとなく」
「この写真は・・川口先生ら?」
「ええ、大学でお世話になった医局員の先生方です。この人たちにはかなり支えられたんです、精神的にも。悩み事も聞いてもらったりして」
「ああ、みんないい奴だよ」
「先生は悩み事とか、ありますか?」
「・・・ああ、そりゃ、あるだろ・・誰にも。むしろない人間のほうが」
「そうか、先生みたいな人でもあるのか・・なんか、安心しました。ゴメンね」
「いや・・じゃ、失礼します」
<つづく>
< レジデント・サード 20 再会 >
2004年3月28日 連載20代くらいの若い女性だ。細くて美人だが、少し陰がある。
「おはようございます」
その子はこちらへ気づくと、一生懸命の笑顔を振りまいた。
「え?ああこちらこそ」
僕は照れてしまい、手で頭をかいてしまった。
「車椅子・・ですね。これはうちの病院のかな?あ、大学のですか。じゃ、こちらへ移りましょう」
「はい・・できますよ、自分で」
「ええ、どうぞ・・・はい、あとは自分が動かします」
すると後ろから聞きなれた声が聞こえた。
「ユリちゃん!頑張るのよ!」
あれは・・。ユリちゃんの声も弾んだ。
「川口先生!しばしのお別れです!頑張りますね!」
「ユリちゃん、大丈夫。その先生だったら!私の知り合いだし」
「え?じゃあこの先生が、例の?」
例の、って何だよ?
その子はますます輝きだした。
「じゃあ川口先生、またね!」
「うん!あ、ユウキ先生!これ、紹介状!検査データと」
何だよ、これだけかよ。
僕は浮かない顔のままだった。
・・中に何か入ってないかなぁー・・・。
エレベーターまで歩いた。少し待たねばならない。前で立ち止まった。
振り返ると、川口が見送りにやって来た。
「先生、いろいろと聞くわよ」
「どうせ・・よくない話だろ」
「ううん。頑張ってるってね。アイツはいい医者になるいい医者になるって」
「?どっかで聞いた言葉だな」
「あたしはもう論文書けそうよ」
「え?まだ院の1年目じゃ・・」
「松田先生が大学辞めちゃって、そのまま引き継いだの。そしたらいいデータが出てね」
「ムチャクチャ運がいい奴」
下りのエレベーターはここ2階を素通りしていき、地下まで降りた。
「グッチ・・いや、川口先生」
「はい」
「僕はどうなるのかな」
「え?僕ら?」
「いや、そうじゃな・・」
エレベーターが開き、人がゾロゾロ出てきた。
車椅子はそのまま入り、僕は半分振り向いた。
間にどんどん人が入り、砕けた会話も交わせなくなった。
閉まりかけた扉をバンと叩き、扉は反射的にまた開いた。
「グッチ!また・・連絡するよ!」
「うん!あたしも!病状経・・・」
扉は閉まった。
背の低いオバちゃん達がニヤニヤ笑っている。
「ヒヒヒ・・・若いもんはええのう。あんたのカノジョ?」
「ち、違います」
「ヒヒヒ。ああやって離れてるときが、一番燃えるもんよ。わしらもよう燃えた燃えた、イヒヒ」
「いったい何の・・」
「いけいけ!ドーンといけ!いっちゃれ!」
オバちゃんは僕の肩をドーンと叩いた。
エレベーターは途中で止まり、オバちゃんたちは降りた。僕らだけになった。
「先生、あの先生とのことも、あたし全部知ってるんですよ」
「なに?どうして?」
「センセ、女同士って心許しあったら、もう凄いですよ」
や、ヤバイ言い方するなよな・・。
「でも先生って、かわいそう」
「どうして?僕が?」
エレベーターが開き、看護婦が迎えに来た。
伊藤といつもの地下室へ。
「合格、するかな・・」
「さあ・・」
「さ、伊藤、始めよう」
「ああ。はい、カテちょうだい」
「はい!」
「・・・RA・・RV圧。ウエッジ圧・・PA圧・・カテーテル抜去」
「はい」
「左心カテを」
「はい」
「・・・左冠動脈へ。造影剤注入」
「はいよ」
「次、右冠動脈へ。造影剤注入」
「はいはい」
「・・・なんか気になるなあ」
「いいだろ?」
「左室造影!インジェクターを。セット。逆流確認」
「はい、造影した!」
「カテーテル、元へ。圧引き抜き・・終了」
「終了」
「ふう・・・ユウキ先生、合格点は90点だったっけ?」
「いや、80点らしいよ。カテ部長の西岡先生が、速さとか確実さとか、項目別に点数つけて、合計点で評価するんだって」
「落ちたら・・?」
「再試験らしい」
「落ちたくないな」
「何で?」
「これまで試験という試験を受けて、落ちたことないし」
「何だよそれ。たまには落ちろよ」
「ひょっとして・・おやじにもぶたれたことがない、とか」
「はあ?」
「何でもない・・」
「ユウキ先生は余裕だな」
「まさか・・ただ自分は一夜漬け主義なもんでね」
「本番はあさってだよ」
「だからあさっての朝、真剣にやる」
「今のうちに繰り返して覚えようよ」
「今日は、ちょっと」
「あ、また帰ろうとしてる。帰ったら何かあるの?でも先生、僕は知ってるよ」
「何を?」
「大学の人たちから聞いたよ。講演会のときに。遠距離、してるんだろ」
「誰だそれ、言ったのは」
「君のオーベンしたことある人だって」
「オカマみたいな人?」
「ああそうだな。でも先生のことは凄く褒めてたよ」
「どんなふうにだ?」
「何だったかな」
「おい!」
「とにかくそれが、先生のホントの長所で、なんかその、欠点でもあるらしい」
「余計気になるじゃないか!」
「ま、思い出したら言うよ」
「こいつ!」
自宅へ戻った。NTTからの留守電が入っている。
「来週月曜日までに入金がない場合は、自動的に通話ができなくなります・・・・・ピーッ」
あと3日はいけるな・・・!カテーテルの本番が夕方終わったら、外出してNTTへ直接行こう。
まだ留守電は入ってる。
「・・・あたし」
来た。
「元気・・?忙しい?空港のチケットまた取ろうと思うけど。また都合のいい日、教えて」
都合のいい日って、お前の都合でいっつも決めてるじゃないか。
給料日まで2週間もある。金はほとんど使い果たした。しかしNTTに支払いしなきゃいけない。総額1万5千。
近々携帯の支払いもある。かなり高い事が予測される。こうなったら・・・
「最後の手段だ」
僕はプッシュを手早く押した。脳に刻まれているナンバーだ。
「もしもし。オレ。おふくろ?オヤジは元気?ああそう」
「2ヶ月も電話なしに、ええ?いったいどうなってんの?」
「忙しいんだよ、とにかく」
「ご飯は食べてるのか?外食?」
僕は散らかった部屋の食卓にあるチキンラーメンの袋に目が行った。
「ああ、もちろん。3食ね」
「さあお前がこうして電話してきたってことは・・」
「そうなんだよ。ちょっと貸してもらおうかと」
「なんだお前、医者になって儲かるとか聞いてたら、ちっともじゃないか」
「いや、そのうち大丈夫だよ。10年目の先生は月100万以上らしいよ」
「それは偉くなってからの話だろう。博士号取ってからとか」
「違うって!博士号っていうのは・・」
「お前も博士号を取るまでは、一生懸命やらんといかん!」
何も知らないな、ホント、素人は。
「で、いくらなんだい?」
「そうだな、5万あればいけるな」
「今いくら?」
「あ、あるよ。ちょっとは」
「・・・じゃあ、10万入れとくよ」
「いやあ、そんなには」
「とにかく無駄遣いしたらイカン!上司の先生の言うこともよく聞いて!わきめもふらず!」
「そこはなんとかやってるよ」
「上司に何か言われたか?」
さあ、干渉してきたぞ。近藤真彦じゃないが、「これだよ」。
「何もないよ」
「結婚相手は見つかったか?」
「ないな、そんな話は」
「美人な女ほど気をつけないかんぞ。しまいにゃやられるぞ!」
「大丈夫だって」
ホントか?
「業者からお金貰ったりしてないか?」
「してないって」
「ガーゼを体の中に置き忘れたり」
「してないって。第一オレ、外科じゃ・・」
「あんたはよく忘れ物しよったタチやからな」
「ああ、そう・・・」…
「おはようございます」
その子はこちらへ気づくと、一生懸命の笑顔を振りまいた。
「え?ああこちらこそ」
僕は照れてしまい、手で頭をかいてしまった。
「車椅子・・ですね。これはうちの病院のかな?あ、大学のですか。じゃ、こちらへ移りましょう」
「はい・・できますよ、自分で」
「ええ、どうぞ・・・はい、あとは自分が動かします」
すると後ろから聞きなれた声が聞こえた。
「ユリちゃん!頑張るのよ!」
あれは・・。ユリちゃんの声も弾んだ。
「川口先生!しばしのお別れです!頑張りますね!」
「ユリちゃん、大丈夫。その先生だったら!私の知り合いだし」
「え?じゃあこの先生が、例の?」
例の、って何だよ?
その子はますます輝きだした。
「じゃあ川口先生、またね!」
「うん!あ、ユウキ先生!これ、紹介状!検査データと」
何だよ、これだけかよ。
僕は浮かない顔のままだった。
・・中に何か入ってないかなぁー・・・。
エレベーターまで歩いた。少し待たねばならない。前で立ち止まった。
振り返ると、川口が見送りにやって来た。
「先生、いろいろと聞くわよ」
「どうせ・・よくない話だろ」
「ううん。頑張ってるってね。アイツはいい医者になるいい医者になるって」
「?どっかで聞いた言葉だな」
「あたしはもう論文書けそうよ」
「え?まだ院の1年目じゃ・・」
「松田先生が大学辞めちゃって、そのまま引き継いだの。そしたらいいデータが出てね」
「ムチャクチャ運がいい奴」
下りのエレベーターはここ2階を素通りしていき、地下まで降りた。
「グッチ・・いや、川口先生」
「はい」
「僕はどうなるのかな」
「え?僕ら?」
「いや、そうじゃな・・」
エレベーターが開き、人がゾロゾロ出てきた。
車椅子はそのまま入り、僕は半分振り向いた。
間にどんどん人が入り、砕けた会話も交わせなくなった。
閉まりかけた扉をバンと叩き、扉は反射的にまた開いた。
「グッチ!また・・連絡するよ!」
「うん!あたしも!病状経・・・」
扉は閉まった。
背の低いオバちゃん達がニヤニヤ笑っている。
「ヒヒヒ・・・若いもんはええのう。あんたのカノジョ?」
「ち、違います」
「ヒヒヒ。ああやって離れてるときが、一番燃えるもんよ。わしらもよう燃えた燃えた、イヒヒ」
「いったい何の・・」
「いけいけ!ドーンといけ!いっちゃれ!」
オバちゃんは僕の肩をドーンと叩いた。
エレベーターは途中で止まり、オバちゃんたちは降りた。僕らだけになった。
「先生、あの先生とのことも、あたし全部知ってるんですよ」
「なに?どうして?」
「センセ、女同士って心許しあったら、もう凄いですよ」
や、ヤバイ言い方するなよな・・。
「でも先生って、かわいそう」
「どうして?僕が?」
エレベーターが開き、看護婦が迎えに来た。
伊藤といつもの地下室へ。
「合格、するかな・・」
「さあ・・」
「さ、伊藤、始めよう」
「ああ。はい、カテちょうだい」
「はい!」
「・・・RA・・RV圧。ウエッジ圧・・PA圧・・カテーテル抜去」
「はい」
「左心カテを」
「はい」
「・・・左冠動脈へ。造影剤注入」
「はいよ」
「次、右冠動脈へ。造影剤注入」
「はいはい」
「・・・なんか気になるなあ」
「いいだろ?」
「左室造影!インジェクターを。セット。逆流確認」
「はい、造影した!」
「カテーテル、元へ。圧引き抜き・・終了」
「終了」
「ふう・・・ユウキ先生、合格点は90点だったっけ?」
「いや、80点らしいよ。カテ部長の西岡先生が、速さとか確実さとか、項目別に点数つけて、合計点で評価するんだって」
「落ちたら・・?」
「再試験らしい」
「落ちたくないな」
「何で?」
「これまで試験という試験を受けて、落ちたことないし」
「何だよそれ。たまには落ちろよ」
「ひょっとして・・おやじにもぶたれたことがない、とか」
「はあ?」
「何でもない・・」
「ユウキ先生は余裕だな」
「まさか・・ただ自分は一夜漬け主義なもんでね」
「本番はあさってだよ」
「だからあさっての朝、真剣にやる」
「今のうちに繰り返して覚えようよ」
「今日は、ちょっと」
「あ、また帰ろうとしてる。帰ったら何かあるの?でも先生、僕は知ってるよ」
「何を?」
「大学の人たちから聞いたよ。講演会のときに。遠距離、してるんだろ」
「誰だそれ、言ったのは」
「君のオーベンしたことある人だって」
「オカマみたいな人?」
「ああそうだな。でも先生のことは凄く褒めてたよ」
「どんなふうにだ?」
「何だったかな」
「おい!」
「とにかくそれが、先生のホントの長所で、なんかその、欠点でもあるらしい」
「余計気になるじゃないか!」
「ま、思い出したら言うよ」
「こいつ!」
自宅へ戻った。NTTからの留守電が入っている。
「来週月曜日までに入金がない場合は、自動的に通話ができなくなります・・・・・ピーッ」
あと3日はいけるな・・・!カテーテルの本番が夕方終わったら、外出してNTTへ直接行こう。
まだ留守電は入ってる。
「・・・あたし」
来た。
「元気・・?忙しい?空港のチケットまた取ろうと思うけど。また都合のいい日、教えて」
都合のいい日って、お前の都合でいっつも決めてるじゃないか。
給料日まで2週間もある。金はほとんど使い果たした。しかしNTTに支払いしなきゃいけない。総額1万5千。
近々携帯の支払いもある。かなり高い事が予測される。こうなったら・・・
「最後の手段だ」
僕はプッシュを手早く押した。脳に刻まれているナンバーだ。
「もしもし。オレ。おふくろ?オヤジは元気?ああそう」
「2ヶ月も電話なしに、ええ?いったいどうなってんの?」
「忙しいんだよ、とにかく」
「ご飯は食べてるのか?外食?」
僕は散らかった部屋の食卓にあるチキンラーメンの袋に目が行った。
「ああ、もちろん。3食ね」
「さあお前がこうして電話してきたってことは・・」
「そうなんだよ。ちょっと貸してもらおうかと」
「なんだお前、医者になって儲かるとか聞いてたら、ちっともじゃないか」
「いや、そのうち大丈夫だよ。10年目の先生は月100万以上らしいよ」
「それは偉くなってからの話だろう。博士号取ってからとか」
「違うって!博士号っていうのは・・」
「お前も博士号を取るまでは、一生懸命やらんといかん!」
何も知らないな、ホント、素人は。
「で、いくらなんだい?」
「そうだな、5万あればいけるな」
「今いくら?」
「あ、あるよ。ちょっとは」
「・・・じゃあ、10万入れとくよ」
「いやあ、そんなには」
「とにかく無駄遣いしたらイカン!上司の先生の言うこともよく聞いて!わきめもふらず!」
「そこはなんとかやってるよ」
「上司に何か言われたか?」
さあ、干渉してきたぞ。近藤真彦じゃないが、「これだよ」。
「何もないよ」
「結婚相手は見つかったか?」
「ないな、そんな話は」
「美人な女ほど気をつけないかんぞ。しまいにゃやられるぞ!」
「大丈夫だって」
ホントか?
「業者からお金貰ったりしてないか?」
「してないって」
「ガーゼを体の中に置き忘れたり」
「してないって。第一オレ、外科じゃ・・」
「あんたはよく忘れ物しよったタチやからな」
「ああ、そう・・・」…
<レジデント・サード 19 続・EMERGENCY後編+α>
2004年3月27日 連載「だめだ、挿管できない!」
やっと安部先生がかけつけてきた。
「あ、安部先生。館内放送で今、呼び出そうかと」
「そっちへちょうど向かってたのよ。チューブ、入らない?」
「ダメです。声門が全然見えなくて・・申し訳ないです」
隣では看護婦が気管支鏡を用意していた。
「看護婦さん。気管支鏡、挿管チューブに通した?準備できたわね」
「それで入るんですか?」
「これを使えば、直接覗きながら確実に入れれるでしょう?」
「なるほど・・・」
挿管チューブ付のファイバーが鼻から挿入され、5秒で片がついた。
「入ったわ。テープ固定、アンビューして、先生。レスピレーターは病棟で付けましょう」
「先生、病棟は呼吸器科のところを・・」
「あなたの循環器科の安定している患者を、呼吸器科へ移したわ。だから循環器科へ上げる」
「移したって・・・?いつの間に?」
そんな相談してたのか?
「こちらはもう手一杯なのよ。呼吸器科に割り当てられたベッドは少ないしね」
「そんな・・・」
「大丈夫よ先生。先生はレジデントでしょう?何でも診なきゃ」
「そういう問題では・・」
ボスミンの反応か、脈が戻ってきた。安部先生は紹介状を手に取った。
「肺水腫・・・これしか書いてない」
「主治医の同乗もなかったんです」
「ああ、この先生ね。今日はハズレね」
「ハズレ?」
「この先生がこの病院の当直した日はもう大変なのよ。使い物にならないんだって」
「よくクビにならないですね」
「医師会の会長の息子よ」
「だとしても・・」
「そういうものよ」
「そう・・・ですか?」
「さ、あとはもう私が診るわ。先生はその患者さんを病棟で診てあげて」
というか、もう朝の6時だ。
その患者は利尿剤に徐々に反応してきた。
早朝。
自転車で、いつものように医局付近の駐輪場へ。外では山下達郎のNHK朝ドラのテーマ曲がわずかに聞こえる。
「Dreaming Girl・・・」
医局へ入った。みんなまだ出勤してない。と、机の上に郵便物が。その中に手紙がある。
「残暑見舞いか・・・」
そこには「そちらへ近々また伺いますので、宜しくお願いします」と。
「誰が・・・」
差出人のところを見ると・・・
「川口・・・懐かしいな」
住所は・・大学病院からだ。あんなとこに、まだ居るのか・・・。もう1通来てる。
「飲み屋のペテンのオバちゃんか・・・」
その夜、僕は1人でそのバーへ向かった。
「オバちゃん、こんにちは」
カウンターにはジャズが流れており、カウンターには客は1人もいなかった。化粧の濃いママと手伝いの若い子だけだ。
「おやまあ、珍しい!ユウキ坊ちゃんじゃないの?1人?」
「はい。いいですか?」
「どうぞどうぞ!あらあら、忙しいところ、来てくれたのねえ・・ああこの子、新人のミカちゃん」
「ミカです、よろしくお願いします」
「こちらこそ・・で、オバちゃん。大学の人間らは来てる?」
「ああ、来てるよ・・皆・・で、注文は?」
かなり酔いが廻ってきた。
「オバちゃん、グッチや野中らはここに来てる?」
「ああ、来てるよ。グッちゃんは男の人と腕組んでね」
「なに!」
「ウソだよ。大学院の同志たちとでさあ」
「大学院?」
「彼女は春から大学院だよ」
「野中だけかと思ってたけど」
「今はさ、若いうちに博士取って、それから大学出てもう戻らないっていう考えが多いね。そんなに大学って嫌なところなのない?」
「・・いろいろね」
「偉い先生方がたくさんいるじゃあないの」
「そうか?」
「あんたのオーベンの、窪田先生。あのオカマみたいな先生だよ」
「今も指導医ですか?」
「さあ知らんが。あんたのことを一番心配してる」
「余計なお世話を・・」
「いやそうじゃなくて、あんたが一番かわいかったのさ」
「気持ち悪いな。しかし何で過去形なんだよ?」
「あんたがいい医者になるようになるように、いつもここで喋っていたよ」
「いつの話?」
「あんたが指導を受けていた頃から」
「いい医者ね・・どういうのをいうんだろ?」
「私からも、その先生にはお願いしてるのよ」
「ああ・・それは、どうも」
「で、結婚はどうするの?」
「プッ!」
唐突な質問に不意をつかれ、吐き出してしまった。
「オバちゃん、若い子のいる前で・・ねえ、ミキちゃん」
「ミカです、どこの子と間違えてるんですか?」
「ああ、ゴメン。でね、オバちゃん。やっぱホントに好きな人と一緒になるのは、難しいな」
「あたしは今でも独身さ」
「・・・オバちゃん以前、誰かがオレのこと好きだとか言ってたって」
「?・・ああ、覚えてる」
「誰だよ、それ?」
「知ってるくせに言うのはおよしよ」
「な?」
「その後、あんたが彼女にアタックしたんじゃないのかい」
「アタック?してないしてない」
「それが聞きたくて、ここに来たんだろ?」
「何が?」
「まあ、若い頃ってのは、何も見えてない、意味が解ってないことが多いものさ」
「はあ?」
オバちゃんは知らない間にやってきていた客へ注文を伺いだした。
「オバちゃん、説教ありがとう。おあいそ」
僕は自転車でまた走り出し、アパートへ向かった。
「もう9月か・・・」
肺水腫で入院した患者は急速に回復、抜管後酸素マスクでの吸入を継続していた。
「・・でして、来週には大部屋に移動をと」
「なるほど」
重症回診が終わった。スタッフは散り散りになり、午前中の各々の持ち場へ向かった。
オーベンと僕が残った。
「ユウキ先生。ARによる心不全だね」
「逆流はかなり大きかったですね」
「もうすぐ酸素は中止できると思うが、左心室はかなりデカい。左室拡張末期径で・・オペ適応の75mmほどではないが、65mmはある」
「収縮末期径が44mm・・こっちもオペ適応の55mmほどではないですね」
「ほかに疾患はあるか」
「大動脈瘤があるかと」
「何?そっちのほうが危ないじゃないか」
「レントゲンしか撮ってませんが・・左の第1弓がかなり拡大しています」
「・・・ああこれか・・先生。一見大動脈が張り出して見えるが・・。これは違うよ」
「え?」
「斜位だよ、この写真は」
「シャイ?」
「体が斜めになってて、正面から撮れてない。左右の肋間の距離が違う」
「あ、そうか・・」
「まさしく君が日頃強調している、左右差だ。で、先生。心不全が改善したのはいいが、今後はどうフォローする?」
「3ヶ月に1回エコーして、径が大きく・あるいは収縮能が低下傾向になれば、心臓外科へ紹介でしょうか」
「そうだな。弁置換だな。今日は珍しく答えられたな」
「たまには、です」
ついさっき本を読んだところだったのだ。時には知ったふりも必要だ。
「ユウキ先生。今度、大学病院から膠原病が送られてくる。PH精査で」
「コラーゲンで肺高血圧・・・MCTDですか」
「そのようだ。ガンツカテーテルを心臓内に留置し、2週間プロスタグランジンを点滴する。その経過中の検体が欲しいと」
「大学からの要望ですか」
「君の大学のな。僕の大学とは違うから、気は楽だ」
「先生んとこは帝大ですよね。凄いなあ」
「でも、ひょっとしたら・・地方大学出身の帝大医局員、かもしれないぜ」
大学からの連絡とは裏腹に、その患者は2日早く病院を受診、そのまま入院となった。というか、転院である。
僕はコールがあって、下の外来へと降りた。
<つづく>
やっと安部先生がかけつけてきた。
「あ、安部先生。館内放送で今、呼び出そうかと」
「そっちへちょうど向かってたのよ。チューブ、入らない?」
「ダメです。声門が全然見えなくて・・申し訳ないです」
隣では看護婦が気管支鏡を用意していた。
「看護婦さん。気管支鏡、挿管チューブに通した?準備できたわね」
「それで入るんですか?」
「これを使えば、直接覗きながら確実に入れれるでしょう?」
「なるほど・・・」
挿管チューブ付のファイバーが鼻から挿入され、5秒で片がついた。
「入ったわ。テープ固定、アンビューして、先生。レスピレーターは病棟で付けましょう」
「先生、病棟は呼吸器科のところを・・」
「あなたの循環器科の安定している患者を、呼吸器科へ移したわ。だから循環器科へ上げる」
「移したって・・・?いつの間に?」
そんな相談してたのか?
「こちらはもう手一杯なのよ。呼吸器科に割り当てられたベッドは少ないしね」
「そんな・・・」
「大丈夫よ先生。先生はレジデントでしょう?何でも診なきゃ」
「そういう問題では・・」
ボスミンの反応か、脈が戻ってきた。安部先生は紹介状を手に取った。
「肺水腫・・・これしか書いてない」
「主治医の同乗もなかったんです」
「ああ、この先生ね。今日はハズレね」
「ハズレ?」
「この先生がこの病院の当直した日はもう大変なのよ。使い物にならないんだって」
「よくクビにならないですね」
「医師会の会長の息子よ」
「だとしても・・」
「そういうものよ」
「そう・・・ですか?」
「さ、あとはもう私が診るわ。先生はその患者さんを病棟で診てあげて」
というか、もう朝の6時だ。
その患者は利尿剤に徐々に反応してきた。
早朝。
自転車で、いつものように医局付近の駐輪場へ。外では山下達郎のNHK朝ドラのテーマ曲がわずかに聞こえる。
「Dreaming Girl・・・」
医局へ入った。みんなまだ出勤してない。と、机の上に郵便物が。その中に手紙がある。
「残暑見舞いか・・・」
そこには「そちらへ近々また伺いますので、宜しくお願いします」と。
「誰が・・・」
差出人のところを見ると・・・
「川口・・・懐かしいな」
住所は・・大学病院からだ。あんなとこに、まだ居るのか・・・。もう1通来てる。
「飲み屋のペテンのオバちゃんか・・・」
その夜、僕は1人でそのバーへ向かった。
「オバちゃん、こんにちは」
カウンターにはジャズが流れており、カウンターには客は1人もいなかった。化粧の濃いママと手伝いの若い子だけだ。
「おやまあ、珍しい!ユウキ坊ちゃんじゃないの?1人?」
「はい。いいですか?」
「どうぞどうぞ!あらあら、忙しいところ、来てくれたのねえ・・ああこの子、新人のミカちゃん」
「ミカです、よろしくお願いします」
「こちらこそ・・で、オバちゃん。大学の人間らは来てる?」
「ああ、来てるよ・・皆・・で、注文は?」
かなり酔いが廻ってきた。
「オバちゃん、グッチや野中らはここに来てる?」
「ああ、来てるよ。グッちゃんは男の人と腕組んでね」
「なに!」
「ウソだよ。大学院の同志たちとでさあ」
「大学院?」
「彼女は春から大学院だよ」
「野中だけかと思ってたけど」
「今はさ、若いうちに博士取って、それから大学出てもう戻らないっていう考えが多いね。そんなに大学って嫌なところなのない?」
「・・いろいろね」
「偉い先生方がたくさんいるじゃあないの」
「そうか?」
「あんたのオーベンの、窪田先生。あのオカマみたいな先生だよ」
「今も指導医ですか?」
「さあ知らんが。あんたのことを一番心配してる」
「余計なお世話を・・」
「いやそうじゃなくて、あんたが一番かわいかったのさ」
「気持ち悪いな。しかし何で過去形なんだよ?」
「あんたがいい医者になるようになるように、いつもここで喋っていたよ」
「いつの話?」
「あんたが指導を受けていた頃から」
「いい医者ね・・どういうのをいうんだろ?」
「私からも、その先生にはお願いしてるのよ」
「ああ・・それは、どうも」
「で、結婚はどうするの?」
「プッ!」
唐突な質問に不意をつかれ、吐き出してしまった。
「オバちゃん、若い子のいる前で・・ねえ、ミキちゃん」
「ミカです、どこの子と間違えてるんですか?」
「ああ、ゴメン。でね、オバちゃん。やっぱホントに好きな人と一緒になるのは、難しいな」
「あたしは今でも独身さ」
「・・・オバちゃん以前、誰かがオレのこと好きだとか言ってたって」
「?・・ああ、覚えてる」
「誰だよ、それ?」
「知ってるくせに言うのはおよしよ」
「な?」
「その後、あんたが彼女にアタックしたんじゃないのかい」
「アタック?してないしてない」
「それが聞きたくて、ここに来たんだろ?」
「何が?」
「まあ、若い頃ってのは、何も見えてない、意味が解ってないことが多いものさ」
「はあ?」
オバちゃんは知らない間にやってきていた客へ注文を伺いだした。
「オバちゃん、説教ありがとう。おあいそ」
僕は自転車でまた走り出し、アパートへ向かった。
「もう9月か・・・」
肺水腫で入院した患者は急速に回復、抜管後酸素マスクでの吸入を継続していた。
「・・でして、来週には大部屋に移動をと」
「なるほど」
重症回診が終わった。スタッフは散り散りになり、午前中の各々の持ち場へ向かった。
オーベンと僕が残った。
「ユウキ先生。ARによる心不全だね」
「逆流はかなり大きかったですね」
「もうすぐ酸素は中止できると思うが、左心室はかなりデカい。左室拡張末期径で・・オペ適応の75mmほどではないが、65mmはある」
「収縮末期径が44mm・・こっちもオペ適応の55mmほどではないですね」
「ほかに疾患はあるか」
「大動脈瘤があるかと」
「何?そっちのほうが危ないじゃないか」
「レントゲンしか撮ってませんが・・左の第1弓がかなり拡大しています」
「・・・ああこれか・・先生。一見大動脈が張り出して見えるが・・。これは違うよ」
「え?」
「斜位だよ、この写真は」
「シャイ?」
「体が斜めになってて、正面から撮れてない。左右の肋間の距離が違う」
「あ、そうか・・」
「まさしく君が日頃強調している、左右差だ。で、先生。心不全が改善したのはいいが、今後はどうフォローする?」
「3ヶ月に1回エコーして、径が大きく・あるいは収縮能が低下傾向になれば、心臓外科へ紹介でしょうか」
「そうだな。弁置換だな。今日は珍しく答えられたな」
「たまには、です」
ついさっき本を読んだところだったのだ。時には知ったふりも必要だ。
「ユウキ先生。今度、大学病院から膠原病が送られてくる。PH精査で」
「コラーゲンで肺高血圧・・・MCTDですか」
「そのようだ。ガンツカテーテルを心臓内に留置し、2週間プロスタグランジンを点滴する。その経過中の検体が欲しいと」
「大学からの要望ですか」
「君の大学のな。僕の大学とは違うから、気は楽だ」
「先生んとこは帝大ですよね。凄いなあ」
「でも、ひょっとしたら・・地方大学出身の帝大医局員、かもしれないぜ」
大学からの連絡とは裏腹に、その患者は2日早く病院を受診、そのまま入院となった。というか、転院である。
僕はコールがあって、下の外来へと降りた。
<つづく>
<レジデント・サード 18 続EMERGENCY 中編>
2004年3月26日 連載夜11時。一時的に救急は途絶えた。
「じゃあ、あたしは一休みするから。手に負えないときは、コールちょうだい」
「え?また?」
「またって、何よ。あなたと組むのは初めてでしょう?」
「あ、そうでした」
「じゃ、お願いね」
「はい・・・」
とりあえずベッドで寝かされている患者の回診をした。
全身倦怠感で点滴中の中年男性の採血結果が返って来たもよう。
「肝機能が・・・」
T-Bil 3.5mg/dl , GOT 224IU/L , GPT 338IU/L・・・・・
「あの、肝臓のほうが・・」
「ああ、わしでっか。悪いやろ。アルコール何合も飲んでるしな」
「けっこう数字が高いので、とりあえず入院・・・」
「やれやれ、またそれかいな。入院入院言うてもやな、明日は作業現場で指揮を取らないかんねや」
「いや、それどころでは・・」
「わしが行かんかったら、現場の数十名の家族を、路頭に迷わすことになる」
「しかし・・・」
「しかしもカカシもない。この点滴が終わったら、帰る」
「そんなムチャな」
「わかった、先生。酒のせいなんやったら、わし酒やめる。これでええやろ」
「そりゃ辞めるのは当たりま・・」
「でもな、わしから酒取ったら何が残んねん?なあ?わしから酒取り上げたら、生きる目的は何なんねん?」
「え?それは・・」
「だったら先生、もう飲むな、なんて言うちゃダメやがな」
点滴後、その患者は帰った。こういったタイプの場合は、その状況をこまめにカルテに記載しておく。
「酒は辞めるが、入院は・・拒否・・と。これでよし」
今日は比較的少ない。この前のときが異常すぎたんだ。
朝4時。事務が振り向いた。
「病院から電話!」
「え?・・はいはい」
「もしもし。民間の病院、内科の杉田といいます」
こんな時間に・・何だ?
「うちに入院となっている患者さんですが、家族の希望でそちらに転院したいと」
「はあ?」
「ご家族の希望なもので」
「?何で入院されていると?」
「70歳男性、肺水腫による呼吸困難です。2日前に入院、現在酸素吸入中です」
「今の時間に?」
「家族の希望でして」
「今じゃないといけないんですか?」
「ええ。原因が分からないので」
たまにこういうわけの分からない、他院からの紹介がある。
看護婦が横から「ベッド満床」のサインをしている。
「・・・今は満床でして」
「いや、もうそちらへ向かうことにしてるんです。今日はそちらが緊急の当番でしょう?」
「ええ、ですが・・」
看護婦が大幅に首を横に振り続けている。
「家族がどうしてもそちらでお願いしたいと」
「満床なんですよ」
「とりあえず診てください」
「しかし、入院が必要な人なら・・」
「とにかく今から出ますので」
電話が切れた。
「あ、切れた」
看護婦はガクッとうなだれた。
「先生、どこの病院です?」
「近くの脳外科の病院です。肺水腫だと」
「あー、時々ああいう紹介あるわね。手に負えなくなったらそうやって紹介してくるところ!」
「悪くなって、こんな夜中に?」
「多分かなりやばくなって、家族ともめそうになったりとかね」
「それで、逃げの手を使うわけですか」
「どうします?」
「満床なんでしょ?」
「いや、ホントは違いますけどね。でも先生、今はどこの詰所も手一杯で」
「でも、空いてるんすか、重症ベッドは?」
「空いているといっても・・そこは呼吸器科で、入院予約が入ってますので」
重症部屋なのに、入院予約・・・?わけがわからん。
詰所によっては巧妙にベッドを「満床」に操作してしまうところもある。
「いつの入院で?患者はもう来るよ」
「す、すぐに入院になるでしょうねえ、そりゃ明日にでも」
「でもとりあえず、部屋が空いてるのなら、割り込みの入院もやむを得ないでしょう?」
「ダメです。呼吸器科は今は当直の安部先生だけなんですよ。当直明けの主治医はキツいでしょう?」
「何言ってんだ?仕方ないでしょう、そんなの。僕らは毎度だよ」
「でも上の先生だし」
「関係ないだろうが?」
「循環器科で取ってください」
「うちはホントに満床なんだよ」
「じゃあ先生が直接、安部先生にお願いしてください!」
もう1人のナースが吼える。
「先生、どこかに紹介したほうが!詰所はかなり参ってるんです!」
「こっちが参ってるってのに!」
救急車が近づいてくる。
「酸素マスク、血液ガスの準備を。ルートは5%TZで準備」
ナース連中は嫌々ながら準備を始めた。
「・・・なんか救急隊員のあの動き。心マッサージしてるような・・・」
その通りだった。救急車から出てきた患者はアンビューマスクを手動で押され、心マッサージもされていた。
「くそ・・・挿管もしてくれてない?」
救急隊とストレッチャーは救急室へ入ってきた。紹介状を受け取る。
「あの・・主治医は?」
「患者は・・ハイ?」
「紹介先の主治医ですよ」
「ああ、脳外科病院の・・・!酸素マスクで、看護婦同乗でいいと」
「あそこにいるオバサン?」
「ええ、あの方が看護婦です。ちょっと耳が遠いようですね。で、患者ですが・・挿管が必要と思われます。アンビュー・酸素全開でSpO2 80しかありません」
モニターがつけられた。脈は幅広いQRSで、HR 40台しかない。
「終わりじゃないか」
「では先生、宜しくお願いします」
看護婦から挿管チューブが手渡された。
「7.5Frでいいですね?サイズは!」
「・・・・」
「先生、挿管は?」
「ああ、するする・・・これだけ?」
看護婦はしかめっ面で喉頭鏡を渡した。
患者を頭を後屈位にし、ブレードで下の歯・舌をグイッと持ち上げ、ノドの中を覗く。
「・・・唾液と痰で、ナンも見えない・・」
看護婦は横でボケーとしている。
「痰、吸ってくれよ!痰!吸引!」
ハッと気づいた看護婦は素手でチューブを取り出し、恐る恐る吸引を始めた。
オーベンの教訓を思い出した。
『挿管・挿管とあせるな。気道の確保よりも視野の確保だ。吸引で視野を良好にしてからだ。挿管チューブで痰を気道へ押し込んではならない・・・』
「何だよコレ、喉頭鏡、電気が切れてる!」
看護婦は別の喉頭鏡をサッと差し出した。
「これも点かない!どうなってんの!」
患者は首が太く短い。喉頭鏡が点灯したとしても、直接声門が覗けるかどうか・・・。
「看護婦さん、心マッサージ!続けてよ!何で途中でやめてんの?」
「は、はい」
僕を含めてだが・・こいつら、完全にパニクってる。
「ダメだ、見えない。声門が・・・ここか?」
盲目的に、スッと挿管チューブが挿入された。
「入ったのか?」
と同時に、グウーとお腹の鳴るような音がチューブ内から返ってきた。
「カフの空気入れて。聴診器貸して!」
アンビューで管内に空気を送ったが・・・
「胃だ。気管に入ってない。やり直しだ。看護婦さん、マッサージは続けてって!」
「先生、レートがもう20くらいしかないですよ」
「何、諦めてんだよ!・・・・やっぱダメだ。安部先生を呼んでください」
「今ポケベル鳴らしましたが・・応答の電話がないです」
「何?当直室は?」
「そこもいません。ひょっとしたらどこかの病棟に」
「館内放送で呼び出してよ!」
「先生真夜中ですよ。患者さんたちが起きてしまいます」
「いいから!・・・・くそっ、やっぱり胃だ!やり直し!あ、それからボスミンの注射を!」
助けは来ないのか・・?
「じゃあ、あたしは一休みするから。手に負えないときは、コールちょうだい」
「え?また?」
「またって、何よ。あなたと組むのは初めてでしょう?」
「あ、そうでした」
「じゃ、お願いね」
「はい・・・」
とりあえずベッドで寝かされている患者の回診をした。
全身倦怠感で点滴中の中年男性の採血結果が返って来たもよう。
「肝機能が・・・」
T-Bil 3.5mg/dl , GOT 224IU/L , GPT 338IU/L・・・・・
「あの、肝臓のほうが・・」
「ああ、わしでっか。悪いやろ。アルコール何合も飲んでるしな」
「けっこう数字が高いので、とりあえず入院・・・」
「やれやれ、またそれかいな。入院入院言うてもやな、明日は作業現場で指揮を取らないかんねや」
「いや、それどころでは・・」
「わしが行かんかったら、現場の数十名の家族を、路頭に迷わすことになる」
「しかし・・・」
「しかしもカカシもない。この点滴が終わったら、帰る」
「そんなムチャな」
「わかった、先生。酒のせいなんやったら、わし酒やめる。これでええやろ」
「そりゃ辞めるのは当たりま・・」
「でもな、わしから酒取ったら何が残んねん?なあ?わしから酒取り上げたら、生きる目的は何なんねん?」
「え?それは・・」
「だったら先生、もう飲むな、なんて言うちゃダメやがな」
点滴後、その患者は帰った。こういったタイプの場合は、その状況をこまめにカルテに記載しておく。
「酒は辞めるが、入院は・・拒否・・と。これでよし」
今日は比較的少ない。この前のときが異常すぎたんだ。
朝4時。事務が振り向いた。
「病院から電話!」
「え?・・はいはい」
「もしもし。民間の病院、内科の杉田といいます」
こんな時間に・・何だ?
「うちに入院となっている患者さんですが、家族の希望でそちらに転院したいと」
「はあ?」
「ご家族の希望なもので」
「?何で入院されていると?」
「70歳男性、肺水腫による呼吸困難です。2日前に入院、現在酸素吸入中です」
「今の時間に?」
「家族の希望でして」
「今じゃないといけないんですか?」
「ええ。原因が分からないので」
たまにこういうわけの分からない、他院からの紹介がある。
看護婦が横から「ベッド満床」のサインをしている。
「・・・今は満床でして」
「いや、もうそちらへ向かうことにしてるんです。今日はそちらが緊急の当番でしょう?」
「ええ、ですが・・」
看護婦が大幅に首を横に振り続けている。
「家族がどうしてもそちらでお願いしたいと」
「満床なんですよ」
「とりあえず診てください」
「しかし、入院が必要な人なら・・」
「とにかく今から出ますので」
電話が切れた。
「あ、切れた」
看護婦はガクッとうなだれた。
「先生、どこの病院です?」
「近くの脳外科の病院です。肺水腫だと」
「あー、時々ああいう紹介あるわね。手に負えなくなったらそうやって紹介してくるところ!」
「悪くなって、こんな夜中に?」
「多分かなりやばくなって、家族ともめそうになったりとかね」
「それで、逃げの手を使うわけですか」
「どうします?」
「満床なんでしょ?」
「いや、ホントは違いますけどね。でも先生、今はどこの詰所も手一杯で」
「でも、空いてるんすか、重症ベッドは?」
「空いているといっても・・そこは呼吸器科で、入院予約が入ってますので」
重症部屋なのに、入院予約・・・?わけがわからん。
詰所によっては巧妙にベッドを「満床」に操作してしまうところもある。
「いつの入院で?患者はもう来るよ」
「す、すぐに入院になるでしょうねえ、そりゃ明日にでも」
「でもとりあえず、部屋が空いてるのなら、割り込みの入院もやむを得ないでしょう?」
「ダメです。呼吸器科は今は当直の安部先生だけなんですよ。当直明けの主治医はキツいでしょう?」
「何言ってんだ?仕方ないでしょう、そんなの。僕らは毎度だよ」
「でも上の先生だし」
「関係ないだろうが?」
「循環器科で取ってください」
「うちはホントに満床なんだよ」
「じゃあ先生が直接、安部先生にお願いしてください!」
もう1人のナースが吼える。
「先生、どこかに紹介したほうが!詰所はかなり参ってるんです!」
「こっちが参ってるってのに!」
救急車が近づいてくる。
「酸素マスク、血液ガスの準備を。ルートは5%TZで準備」
ナース連中は嫌々ながら準備を始めた。
「・・・なんか救急隊員のあの動き。心マッサージしてるような・・・」
その通りだった。救急車から出てきた患者はアンビューマスクを手動で押され、心マッサージもされていた。
「くそ・・・挿管もしてくれてない?」
救急隊とストレッチャーは救急室へ入ってきた。紹介状を受け取る。
「あの・・主治医は?」
「患者は・・ハイ?」
「紹介先の主治医ですよ」
「ああ、脳外科病院の・・・!酸素マスクで、看護婦同乗でいいと」
「あそこにいるオバサン?」
「ええ、あの方が看護婦です。ちょっと耳が遠いようですね。で、患者ですが・・挿管が必要と思われます。アンビュー・酸素全開でSpO2 80しかありません」
モニターがつけられた。脈は幅広いQRSで、HR 40台しかない。
「終わりじゃないか」
「では先生、宜しくお願いします」
看護婦から挿管チューブが手渡された。
「7.5Frでいいですね?サイズは!」
「・・・・」
「先生、挿管は?」
「ああ、するする・・・これだけ?」
看護婦はしかめっ面で喉頭鏡を渡した。
患者を頭を後屈位にし、ブレードで下の歯・舌をグイッと持ち上げ、ノドの中を覗く。
「・・・唾液と痰で、ナンも見えない・・」
看護婦は横でボケーとしている。
「痰、吸ってくれよ!痰!吸引!」
ハッと気づいた看護婦は素手でチューブを取り出し、恐る恐る吸引を始めた。
オーベンの教訓を思い出した。
『挿管・挿管とあせるな。気道の確保よりも視野の確保だ。吸引で視野を良好にしてからだ。挿管チューブで痰を気道へ押し込んではならない・・・』
「何だよコレ、喉頭鏡、電気が切れてる!」
看護婦は別の喉頭鏡をサッと差し出した。
「これも点かない!どうなってんの!」
患者は首が太く短い。喉頭鏡が点灯したとしても、直接声門が覗けるかどうか・・・。
「看護婦さん、心マッサージ!続けてよ!何で途中でやめてんの?」
「は、はい」
僕を含めてだが・・こいつら、完全にパニクってる。
「ダメだ、見えない。声門が・・・ここか?」
盲目的に、スッと挿管チューブが挿入された。
「入ったのか?」
と同時に、グウーとお腹の鳴るような音がチューブ内から返ってきた。
「カフの空気入れて。聴診器貸して!」
アンビューで管内に空気を送ったが・・・
「胃だ。気管に入ってない。やり直しだ。看護婦さん、マッサージは続けてって!」
「先生、レートがもう20くらいしかないですよ」
「何、諦めてんだよ!・・・・やっぱダメだ。安部先生を呼んでください」
「今ポケベル鳴らしましたが・・応答の電話がないです」
「何?当直室は?」
「そこもいません。ひょっとしたらどこかの病棟に」
「館内放送で呼び出してよ!」
「先生真夜中ですよ。患者さんたちが起きてしまいます」
「いいから!・・・・くそっ、やっぱり胃だ!やり直し!あ、それからボスミンの注射を!」
助けは来ないのか・・?
<レジデント・サード 17 続・EMERGENCY 前編>
2004年3月25日 連載救急日当番、今日は安部という呼吸器科の女の先生だ。40台で独身、色気はない。今回の当番は平日で、夕方6時から早朝まで。
この間のと比べたら大したことない。
「間違いない。心不全だ」
62歳男性。起座呼吸。胸部レントゲンで心拡大と両側胸水貯留。
安部先生がポンと背中を叩いた。
「あなたの領域ね」
「ええ」
血液ガス採取、酸素吸入、ルート確保し、病棟へ。
「ユウキ先生とやら、原因はナンなの?」
「これだけじゃあ、分かりません。慢性疾患の急性増悪なら感染がキッカケのことが多いですが」
「それはうちの分野でも同じね」
事務が会話を断ち切る。
「吐血!55歳男性、5分で搬送!」
「アル中かしらね」
「バリックスですか」
「胃潰瘍かも」
「内視鏡を準備してもらいましょう。看護婦さん!」
カルテが山積みになってきた。
「これはあたしが診る。58歳男性。先月、胸膜炎で入院、精査してるわ。結果は異常なしみたいにサマリー書いてるけど」
「胸膜炎で異常がない?そんなハズは・・」
「でもこれ、ADAが提出されてない。リンパ球優位なのに」
「培養で結核菌は出なかったのでは?」
「甘いわね。結核性の胸膜炎でも、胸水から結核菌が培養で検出されるのは・・・たったの3割よ」
「え?そうだったんですか」
「あなたホントに国試、通ったの?」
「ADAを忘れないことですね」
「あくまでも確定は胸膜生検よ」
「そのときはお願いし・・」
吐血の患者が運ばれてきた。
「55歳男性!吐血して意識はJCS-100!血圧は84/44mmHg。脈は120/min。SpO2 93%」
患者の口の周囲は凝血塊で黒くなってる。安部先生は内視鏡を片手に取った。
「今はフレッシュな吐血はなさそうね。これでハッキリさせましょう」
「先生、酸素いきます。点滴も。止血剤も入れます」
「任せる。トロンビン末の準備を」
「トロンビン・・・?」
「止血剤の!」
「あ、はい・・」
胃カメラはもう挿入されていた。
「・・・胃の中がコアグラ・・・凝血塊でいっぱいね。けっこう時間経ってるかもね」
外のモニター画面に映し出された、胃の中の画像。水面の中から潜水艦が覗いているような感じだ。水面とはもちろんコアグラを指す。
ズボズボ、ズボズボ、とコアグラが吸引されていく。安部先生は生食水を注入、吸引、注入、を繰り返していく。
次第に視界が良好となっていった。胃の中は茶色の凝血塊のカスのようなものが多数、へばりついている。
「ここが胃の上部、シワが見えるわね。ここだ大彎」
「台湾?」
「その向こう、カクッと曲がってるけど、その先、その角を曲がったら・・この空間が、前庭部」
「胃の下半分ですね。癌の好発領域」
「この前庭部で、胃カメラの先っぽを反転させると、今通った角っこの部分を直接確認できる」
「これが胃角部ですか」
「ここが潰瘍の好発部位・・・ここは特に何もなさそうね。胃の上部も」
「はい・・・」
「じゃ、反転をもとに戻して、胃の出口へ」
「どこまで行くんですか?」
「面白いこと言うのね。十二指腸の中間までよ」
「胃の出口、あの穴ですか・・でも塞がってるようですね」
「閉まってるだけよ。カメラから空気を送ったら開いてくるわ。さ、突っ込むわよ」
なんか、言い方がな・・・。
「球部。ここの壁は見落としがちなので、じっくり見ることね」
「はい・・・」
「この先は折れ曲がってるので、先へ押し込みながら、体を右に、サッとひねる」
すると、リング状のトンネルが現れた。
「これが十二指腸の、下行脚。胃カメラはここまでしか届かないわ」
「あ!ポリープです!あれ!」
「あれはあなた、乳頭よ」
「乳頭?」
「ファーター乳頭よ。知らないわけないでしょう」
「・・・・」
「じゃ、終わりましょう」
「先生、食道は・・」
「もう見たわよ」
「あの・・診断は」
「AGMLかもね。胃の表面自体はびらんが多かったでしょう?」
「ああ・・見てませんでした」
「AGMLの原因は?」
「アルコールと、コーヒーと・・」
「薬剤ね。NSAIDの内服歴とか調べといて」
「入院ですね」
今ならピロリの関連も調べるだろう。
「カゼが来た、診て」
「しょ、小児ですか」
「小児は受け付けない予定だったんだけど、来ちゃったのよ。しょうがない」
「先生、6歳の小児でしょう、僕は・・」
「自分で患者を選んじゃダメよ」
選んだのは先生でしょうが・・?
「来たわよ・・・・お母さん!こっちです。あたしは腹水の患者を診る」
若い母親が、6歳の女の子の手を引っ張って入ってくる。女の子は泣き叫んでいる。
「やーやー、絶対いややーーー!」
「あんた、こら!ここで診てもらわんと、死んでしまうよ!」
「いややー!それならしぬぅー、しぬぅー!」
問診表には「カゼ」と書いてあるだけ。
しかし、相手は小児だ。それに、以前のオーベンいわく・・「患者・家族の言う病名ほど怪しいものはない」。
オーベンから教わった、誘導尋問で聞き出そう。
「鼻が出てるんですか」
「ええ、この子・・・1週間くらい鼻水が止まらないんですよ」
「ほかにあるでしょう。下痢をしてるとか」
こうやって、あてずっぽでも聞き出していく。
「今日はお腹を痛がってて。熱は37.7℃」
「お腹を触りますね」
子供は母親にすがりっぱなしだ。
「いややコワイコワイ、うぅー、うぅー!」
「お母さん、抑えて!」
「この子は・・・!」
母親は抑える素振りだけで、ただ手で触っているような感じだ。
お腹を触診するが、別に膨満もしてないし、圧痛もなさそうだ・・・。
ナースが後ろから見かねた。
「先生、小児科の先生に連絡されたら?」
「待機の、ですか?」
「この先生に・・・携帯は、これ」
「ええ・・・・あ、もしもし」
「何でしょうか?」
しょっぱなから嫌そうな返事だ。
「小児が今、来てまして。腹痛と微熱です。嘔吐はしてません。腹部も膨隆してないです。下痢もなし」
「機嫌は?」
「は?」
「機嫌はどうです?機嫌がよければとりあえずの処方で、明日受診させてください」
「機嫌、ですか?」
「先生、機嫌がいいかどうかが小児を診る上での基本ですよ」
「機嫌・・・・・」
ちらっと小児のほうを見やった。まだ母親にすがって泣きつづけている・・・。
「機嫌は・・・かなり悪いです」
「え?」
「苦悶様、というか」
「そんなに?」
「は・・・母親も困っているようです」
「母親が?」
「ええ、それがけっこうヒステリックな方でして。しょ、小児科の先生は、先生はと」
「・・・・・困ったなあ・・・私は救急は昼間しか診てませんが。先生、今日のペアの先生は?」
「安部先生ですか、彼女は・・・」
安部先生は注射器で腹水穿刺をしているようだ。患者はいたって楽そうだ。
「腹部の処置をされてます」
「腹部の処置・・・!動脈瘤か何か?じゃあ、手が放せませんね」
「ええ・・手は・・塞がってますね」
「そうですか・・分かりました!行きましょう」
「ありがとうございます」
解決。
<つづく>
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< レジデント・サード 16 イメトレ! >
2004年3月24日 連載 「はぁ・・・」
ドカッと医局のソファーに勢いよく座る。
しかし僕は医局でも、病院の中でも最下層の存在、レジデントだ。
「つかれた・・・」
心臓カテーテル検査の手伝いをして、大汗をかいて戻ってきたところだ。
今日もかなりしぼられた。しかし補助というより、ありゃ見学だ。
「ユウキ先生」
吉本先生が入ってきた。
「あ、先生、先ほどはどうも・・すみません」
「もうちょっと、手順を予習しろよ。作業の途中で手が止まってはいかんのだ。手が止まるってことは、次に何していいか日頃浮かんでないってことだ」
「そうですね・・」
「次はこれ、次はこれ、と日頃からイメージトレーニングを積んでおけば、ためらわず出来るようになる」
「はい」
「伊藤君といっしょに練習するんだよ。レジデント同士なら遠慮もないだろ」
「そうですね」
病棟へ上がる。ナースにさっそく補足された。
「あ、先生、ちょうどいいところに」
「何が?」
「新しく入院になりました喘息の方、発作がまだおさまってないようですが」
「発作時の指示は出したよ」
「ソルメドロールですか。あれはもう今日3回も使ってますが」
「効いてないの?」
「ネオフィリンを入れるとか」
「高齢だし、不整脈が怖い」
「じゃあ何を」
「うーん・・・」
オーベンが現れた。
「リンデロンに変えてみろ。ステロイドでも種類が変われば効いたという報告もある」
「そうなんですか」
「君は呼吸器科も廻ったんだろ。知ってたと思うがな」
「やってみます」
「ところで、先生。これからPSVTの人が来るんだが。外来での処置、手伝ってくれないか」
「はい」
外来では若い女性がしんどそうに横になっている。
「ああ、またドキドキしてきた・・」
オーベンが横から僕に話す。
「看護婦連中は忙しくてルートの準備も出来んようだ。僕らでやるか」
「ええ、準備します。ジギタリスを・・」
「一応アレやってみろ」
「ああ・・アレですね。じゃあ患者さん、じゃない、富山さん。ちょっと首の付け根、揉みますね」
人差し指で、首の左の付け根を揉もうとした。オーベンがその手を掴んだ。
「そっちはするな。優位半球に万一虚血が起こったらいけない。刺激は右のほうでやれ」
「利き手のほう、ということですね」
「そうだ・・大丈夫かなあ」
グリグリと揉むが・・・モニターに変化はない。
「じゃあ次、瞼を押さえますので、目を閉じてください」
オーベンがまた横から現れた。
「あんまり激しくやって、網膜を傷つけんように」
「え、ええ」
効果なし。
「じゃあ、思いっきり息を吸ってください。はーい、吸って。はい、止めてください」
オーベンがまた口を出す。
「そんなんじゃあ、ダメだ。見てろ」
オーベンは患者の横に密着した。
「はーい、はいそこで!思いっきり吸う!吸う!吸え!そうだ!そして!止める!止めないか!ほら!ふん!」
患者とオーベンの顔がかなり紅潮していく。
「きばって!きばって!吐くな!そのまま!・・・・・はい、もういいよ」
モニターの脈が、徐々に減少・・・・脈はサイナス70台に・・しかし、脈はどんどん減り続けた。50・・・40・・・。
オーベンはハッと患者を振り返った。患者は白目を向いている。
「ワゴトニーだ!硫アト、エホチールを用意!」
「え?」
「迷走神経反射だよ!」
「り、硫アト、いきます!」
患者は落ち着いた。僕はオーベンを称えた。
「先生、さっきはすごい迫力でしたね」
「ああ、バルサルバの時か。こっちはアポるかと思ったよ」
「僕も呼吸機能検査のときはかなりリキ入れてやってましたが・・あそこまでしないといけないんですね。先生、顔がびしょぬれですよ」
「ああ・・ちょっと・・休んでくる」
僕は伊藤と合流した。全然使われていない、地下のカンファレンスルームだ。
「ここだな」
「ああ」
ギー・・と入り、電気をつけると、長いすが数個並んでいた。
「ここにでも座ろう」
伊藤がいろんな器具をかけたままイスに腰掛けた。
「ゴミ箱から取り出し、消毒してもらった、カテーテル・・・注射器・・・」
「よくそんだけ集めたな」
「これがスワンガンツカテーテル・・・・」
「一番初めに使うのは・・ええっと」
「麻酔。これだな。1%キシロカイン。中は水だ」
「じゃ、伊藤、お前が助手、僕がメインのつもりで」
「ああ、いいだろう」
「よし。注射器を。麻酔ちょうだい」
「オイオイ、針をそんなにサッと出すなよ。そいつは本物だぜ」
「あ、そうか。すまんすまん」
そんな感じで、僕らはイメージトレーニングを続けた。
「伊藤、ガンツカテーテルちょうだい」
「どうぞ」
僕はカテーテルをグイッと自分の左に引っ張った。伊藤が勢い余ってこけそうになった。
「大丈夫か、伊藤」
「いきなり引っ張るな!」
「カテーテル、入ります」
「そんなのいちいち言わなくていいだろ」
「・・・・・」
本番に慣れるための練習は来る日も来る日も続いた。
「じゃ、レジデント、今日は誰?」
まずい。今日のカテーテルのメインは、西岡先生だ。一番怖い先生だ。
「まあいい、2人とも入れ!まずは伊藤だ。容赦はせんからな。来い!」
僕らは術衣に着替え、四角形のタワシで片手ずつ洗っていた。
「伊藤、大丈夫かなあ・・俺ら」
「いや、もう無の境地だ。怒られたときは怒られたとき」
「オレはいやだなあ。こういうの」
「死ぬわけじゃないだろ」
「死ぬより怖い」
「でも、ぶたれたほうが覚えやすいって言うだろ」
「え?あの先生、手出すの?」
「昨年のレジデントは膝を負傷したらしいよ」
「・・・・・」
「おい!何をモタモタしとるか!」
西岡先生がドアを隔てたカテ室から叫んだ。
「ユウキ、早く!」
「おお」
ガイ−ン、と自動ドアは無常にも開き、まぶしく降り注ぐ光に僕らは吸い込まれていった・・・。
「バカモン!」
伊藤は3発目のライダーキックを膝に浴びせられた。伊藤の体がぐらつく。
「早く渡す!早く!お・そ・い!何をやっとんだ?」
伊藤は何度もおじぎしながらカテーテルを渡した。
「もういい、代われ!ユウキ先生!」
僕は伊藤に代わった。今はガンツカテーテルが心臓の右心室に入っていったところだ。
「ユウキ先生!次すること、ちゃんと頭に描いてるんだろうなあ!」
「は、はい?」
「一緒に前のモニターを見る!」
「は、はい!」
モニターを見るが、頭は真っ白だ。
「じゃ、カテーテル抜くぞ」
スルスルと、西岡先生はカテーテルを抜いた。僕はそれを床に落としてしまった。
「こら!あ!拾うな!手袋が不潔になる!」
「あ、はい。触ってません」
「いいや、触った!」
「触ってません」
「手袋変えて!ほらほら、もう左室造影にとりかかるぞ!準備準備!」
伊藤が左心カテーテルを取りにかかった。と、西岡先生が腕をつかんできた。
「何やってんねん!お前はこ・こ・に・い・ろ!」
「はいっ」
僕はカテーテルを手渡した。西岡先生はカテーテルを左心室に進めた。
「ユウキ先生、カテーテルをインジェクターにセット!」
「え?ああ、これですね?」
「セット!」
「は、はい・・こ、こうですか?」
患者が頭を上げてきた。
「なんか、恐ろしいことでも起こってきよるんかいな」
ムッと、西岡先生は患者の体を押さえた。
「誰が動いていいと言った!う!ご!か!な!い!」
「す、すん…
ドカッと医局のソファーに勢いよく座る。
しかし僕は医局でも、病院の中でも最下層の存在、レジデントだ。
「つかれた・・・」
心臓カテーテル検査の手伝いをして、大汗をかいて戻ってきたところだ。
今日もかなりしぼられた。しかし補助というより、ありゃ見学だ。
「ユウキ先生」
吉本先生が入ってきた。
「あ、先生、先ほどはどうも・・すみません」
「もうちょっと、手順を予習しろよ。作業の途中で手が止まってはいかんのだ。手が止まるってことは、次に何していいか日頃浮かんでないってことだ」
「そうですね・・」
「次はこれ、次はこれ、と日頃からイメージトレーニングを積んでおけば、ためらわず出来るようになる」
「はい」
「伊藤君といっしょに練習するんだよ。レジデント同士なら遠慮もないだろ」
「そうですね」
病棟へ上がる。ナースにさっそく補足された。
「あ、先生、ちょうどいいところに」
「何が?」
「新しく入院になりました喘息の方、発作がまだおさまってないようですが」
「発作時の指示は出したよ」
「ソルメドロールですか。あれはもう今日3回も使ってますが」
「効いてないの?」
「ネオフィリンを入れるとか」
「高齢だし、不整脈が怖い」
「じゃあ何を」
「うーん・・・」
オーベンが現れた。
「リンデロンに変えてみろ。ステロイドでも種類が変われば効いたという報告もある」
「そうなんですか」
「君は呼吸器科も廻ったんだろ。知ってたと思うがな」
「やってみます」
「ところで、先生。これからPSVTの人が来るんだが。外来での処置、手伝ってくれないか」
「はい」
外来では若い女性がしんどそうに横になっている。
「ああ、またドキドキしてきた・・」
オーベンが横から僕に話す。
「看護婦連中は忙しくてルートの準備も出来んようだ。僕らでやるか」
「ええ、準備します。ジギタリスを・・」
「一応アレやってみろ」
「ああ・・アレですね。じゃあ患者さん、じゃない、富山さん。ちょっと首の付け根、揉みますね」
人差し指で、首の左の付け根を揉もうとした。オーベンがその手を掴んだ。
「そっちはするな。優位半球に万一虚血が起こったらいけない。刺激は右のほうでやれ」
「利き手のほう、ということですね」
「そうだ・・大丈夫かなあ」
グリグリと揉むが・・・モニターに変化はない。
「じゃあ次、瞼を押さえますので、目を閉じてください」
オーベンがまた横から現れた。
「あんまり激しくやって、網膜を傷つけんように」
「え、ええ」
効果なし。
「じゃあ、思いっきり息を吸ってください。はーい、吸って。はい、止めてください」
オーベンがまた口を出す。
「そんなんじゃあ、ダメだ。見てろ」
オーベンは患者の横に密着した。
「はーい、はいそこで!思いっきり吸う!吸う!吸え!そうだ!そして!止める!止めないか!ほら!ふん!」
患者とオーベンの顔がかなり紅潮していく。
「きばって!きばって!吐くな!そのまま!・・・・・はい、もういいよ」
モニターの脈が、徐々に減少・・・・脈はサイナス70台に・・しかし、脈はどんどん減り続けた。50・・・40・・・。
オーベンはハッと患者を振り返った。患者は白目を向いている。
「ワゴトニーだ!硫アト、エホチールを用意!」
「え?」
「迷走神経反射だよ!」
「り、硫アト、いきます!」
患者は落ち着いた。僕はオーベンを称えた。
「先生、さっきはすごい迫力でしたね」
「ああ、バルサルバの時か。こっちはアポるかと思ったよ」
「僕も呼吸機能検査のときはかなりリキ入れてやってましたが・・あそこまでしないといけないんですね。先生、顔がびしょぬれですよ」
「ああ・・ちょっと・・休んでくる」
僕は伊藤と合流した。全然使われていない、地下のカンファレンスルームだ。
「ここだな」
「ああ」
ギー・・と入り、電気をつけると、長いすが数個並んでいた。
「ここにでも座ろう」
伊藤がいろんな器具をかけたままイスに腰掛けた。
「ゴミ箱から取り出し、消毒してもらった、カテーテル・・・注射器・・・」
「よくそんだけ集めたな」
「これがスワンガンツカテーテル・・・・」
「一番初めに使うのは・・ええっと」
「麻酔。これだな。1%キシロカイン。中は水だ」
「じゃ、伊藤、お前が助手、僕がメインのつもりで」
「ああ、いいだろう」
「よし。注射器を。麻酔ちょうだい」
「オイオイ、針をそんなにサッと出すなよ。そいつは本物だぜ」
「あ、そうか。すまんすまん」
そんな感じで、僕らはイメージトレーニングを続けた。
「伊藤、ガンツカテーテルちょうだい」
「どうぞ」
僕はカテーテルをグイッと自分の左に引っ張った。伊藤が勢い余ってこけそうになった。
「大丈夫か、伊藤」
「いきなり引っ張るな!」
「カテーテル、入ります」
「そんなのいちいち言わなくていいだろ」
「・・・・・」
本番に慣れるための練習は来る日も来る日も続いた。
「じゃ、レジデント、今日は誰?」
まずい。今日のカテーテルのメインは、西岡先生だ。一番怖い先生だ。
「まあいい、2人とも入れ!まずは伊藤だ。容赦はせんからな。来い!」
僕らは術衣に着替え、四角形のタワシで片手ずつ洗っていた。
「伊藤、大丈夫かなあ・・俺ら」
「いや、もう無の境地だ。怒られたときは怒られたとき」
「オレはいやだなあ。こういうの」
「死ぬわけじゃないだろ」
「死ぬより怖い」
「でも、ぶたれたほうが覚えやすいって言うだろ」
「え?あの先生、手出すの?」
「昨年のレジデントは膝を負傷したらしいよ」
「・・・・・」
「おい!何をモタモタしとるか!」
西岡先生がドアを隔てたカテ室から叫んだ。
「ユウキ、早く!」
「おお」
ガイ−ン、と自動ドアは無常にも開き、まぶしく降り注ぐ光に僕らは吸い込まれていった・・・。
「バカモン!」
伊藤は3発目のライダーキックを膝に浴びせられた。伊藤の体がぐらつく。
「早く渡す!早く!お・そ・い!何をやっとんだ?」
伊藤は何度もおじぎしながらカテーテルを渡した。
「もういい、代われ!ユウキ先生!」
僕は伊藤に代わった。今はガンツカテーテルが心臓の右心室に入っていったところだ。
「ユウキ先生!次すること、ちゃんと頭に描いてるんだろうなあ!」
「は、はい?」
「一緒に前のモニターを見る!」
「は、はい!」
モニターを見るが、頭は真っ白だ。
「じゃ、カテーテル抜くぞ」
スルスルと、西岡先生はカテーテルを抜いた。僕はそれを床に落としてしまった。
「こら!あ!拾うな!手袋が不潔になる!」
「あ、はい。触ってません」
「いいや、触った!」
「触ってません」
「手袋変えて!ほらほら、もう左室造影にとりかかるぞ!準備準備!」
伊藤が左心カテーテルを取りにかかった。と、西岡先生が腕をつかんできた。
「何やってんねん!お前はこ・こ・に・い・ろ!」
「はいっ」
僕はカテーテルを手渡した。西岡先生はカテーテルを左心室に進めた。
「ユウキ先生、カテーテルをインジェクターにセット!」
「え?ああ、これですね?」
「セット!」
「は、はい・・こ、こうですか?」
患者が頭を上げてきた。
「なんか、恐ろしいことでも起こってきよるんかいな」
ムッと、西岡先生は患者の体を押さえた。
「誰が動いていいと言った!う!ご!か!な!い!」
「す、すん…
< レジデント・サード 15 HERE WE GO ! >
2004年3月23日 連載まだ真夏日は続いていた。早朝からミ−ン、ミ−ン、とセミの鳴く声。
クーラーのリモコンへ手が届かず、うつ伏せのまま寝ていた。そのとき・・・
ジャージャン!
<< JUST A RUNAWAY 止めないっでよおお 後悔は少なめのMY LIFE >>
「ハーッ!」
寝ぼすけ対策として、オーディオの目覚し機能を活用することにしていた。で、曲がこれ。B’zのこの曲だ。
ただ当時としてもかなり古い曲ではある。
心筋炎の経験から、1ヶ月が経とうとしていた。
いつものように上着をベランダからパンツ一丁で取り出す。
「Like This!」
あまりにも忙しい日々が続き、僕は発想の転換を図ることにした。これからは追われるのではなく、追う人間になろう、と。
その日に疑問に思ったことはその日に解決、食事は家に持ち帰らず部屋を汚さない、トイレは職場でして帰る、など。
このときも給与は月18万くらい。うち5万が家賃。光熱費を引いて10万。給料日1週間前はチキンラーメンで過ごすとして、
3週間の食費で3万。ガソリン代2万。そうして5万くらいが残り、散髪代、CD代などにあてられる。
この日は月に1回だけ許されたアルバイトの日だ。献血車のお手伝い。1日2万。宝くじ号というバスが勤務先の病院へ
迎えにきてくれる。そこから半日かけて、大阪市郊外の田舎を4箇所ほど廻る。
寝る時間などないが、自分にとっては少しの息抜きのようなものだ。
<< いっろんな物を 無くしちゃったかもしれないけどI’m alright >>
ウォークマン片手に1人で口パクパクしながら、そのバスはどこかの田舎町のアーケードの入り口に着いた。
ナース3人と事務の?方は、特殊部隊さながらにセッティングをこなしていく。僕はバスで待ち続けていた。
外では事務のにいちゃんが勧誘を始めた。近所の工場から作業服を着た人も何人かやってくる。そのうち2人ほどがにいちゃんに捕まり、
問診書いた後バスの中にやってきた。
「あの、じゃあ血圧測りますので」
僕の仕事はこれだけだった。大学の人間は割に合わないとこのバイトを断る人間が多かったが、僕はむしろ気楽だった。
「160ですね、上が。ここまで高いと、献血は」
おにいちゃんがやってくる。
「うーん、先生、どうでしょうねえ。時間かけてゆっくりやるってことで、どうでしょうか」
「え、いいんでしょうか」
「まあ今はね、血液特に不足してるし」
「・・わかりました、しましょう」
「ありがとうございます、はい次!」
まあいいか。
ナース達の仕事は速い。職業といううよりも、その技の速さは仙人に近かった。採血が難しそうでも、数秒以内にはケリをつける。僕の出番はなかった。
というより、圧倒されっぱなしだった。
瞬く間に制限時間が来た。おにいちゃんがまた後片付けにかかった。ナースたちもそれに続く。バスは急発進した。1サイクル2時間くらいで、あと3サイクル繰り返す
といった具合だ。
「すみません。携帯電話かけてもいいですか?」
おにいちゃんに聞いた。
「へえ、凄いですね。携帯電話。どうぞどうぞ」
病棟に連絡することになっていたのだ。
「もしもし、変わりはないですか・・・ええ、僕の患者さんたち」
「ワーファリン内服中の方、トロンボテストが14%でした」
「じゃあワーファリンを3錠から1錠へ」
「ペースメーカー植え込みの方ですが、出血が少し」
「伊藤君に頼んでください。それかオーベンを」
「待ってください・・・別の看護婦と代わります・・もしもし。須藤です。今日、点滴を間違えてしまいまして」
「え?何の?」
「抗生剤です。隣の方のセファメジンと、先生の患者さんのチエナムと」
「え、それはいかんだろう」
「先生の患者さんにセファメジンをいってしまいましたが・・。チエナムは今日、どうしておきましょうか」
「他人事みたいに言うなよ。チエナムはもう夕方の分だけにしといてよ!」
「はい・・・」
ちっとは謝れ!
バスは工場の敷地内に到着した。同様ににいちゃんが駆け足で事務所へ走っていく。事務所のおじさんは若い衆を数人ずつ引っ張ってきた。
若い衆は1人ずつ入ってくる。みんなすがすがしい笑顔だ。汗さえも健康的だ。浮き出る血管もだ。仕事している最中のせいか、みな血圧が高い。
「動いたせいですね・・まあいいでしょう」
にいちゃんも僕を横目で見ながら上機嫌だった。若い衆は次々とまた仕事場へ戻っていった。
また病棟へ電話。
「主任さんですか。一般採血の結果を」
「言いますね、ヘモグロビンが・・・」
「血糖値は?」
「320です」
「そりゃ高すぎる。ヒューマリンR 6単位を皮下注で」
「それ以後は?」
「8時間ごとに測定。スケール表に従って」
「ところで先生、さきほどはうちの須藤が申し訳ありませんでした」
「え?いや」
「彼女には報告書を詳しく書かせて、今後の処分も含めて検討していきますので」
「処分?こんなことでもう処分するの?」
「いえ、ほかにもいろいろ目だったところがあったので」
「まあ新人だからね。仕方ないかも」
「わたくしたちはそうはいきませんので」
「はい・・じゃあ」
献血車は昼ごはん後も走りつづけた。
夕方になり、客の数も減ってきたようだ。にいちゃんが目頭を押さえる。
「くーっ、足りないなあ」
僕が話しかけた。
「何が足りないんです?」
「ええ、献血者の数ですよ。まだまだノルマに達してない」
「これだけ来たのに?」
「あらかじめ訪問先には連絡しておいておおよその数を見積もっていたんですが・・今日は極端に少ないんです」
「こうなったら1人でも・・というところですか」
「・・ですねー」
「じゃあ、僕、します」
「え?」
「自分の血圧測る仕事が終わったら、します。もちろん400ccで」
「ホンマですか先生!ありがとうございます!」
夕暮れ時、工場の社員が次々帰っていく中、僕は横になり献血を開始した。何度も手をグーで握り、天井を見つめた。
献血車は長い旅路を終えて、病院の玄関口へたどり着いた。
「先生、予定の時間越えまして、すんません。献血までしてもろうて」
「いえ、こちらこそ。毎日、お疲れ様です」
「では!」
車は去った。もう晩の8時だ。とりあえず病院へ電話した。
「もしもし。先生どちらですか?」
「ま、まだ献血車のところ。変わりは?」
「ありませんね。先生の患者さんは。こちらへは戻られます?」
「いや、それがね・・献血したんだよ」
「ええっ?」
「400ccもね。無理な運動はやめるよう指導されたし。だから今日はまっすぐ家に帰ろうと思う」
「そうですか・・どうしてまた。健康診断がてらですか」
「健康診断ね。この前うちの病院でそれあるから受けにいったら、日々雇の医者は健診の対象外って言われた」
「ひびこ?」
「そうだよ。常勤扱いでない職員は、無償での健診が受けられないって言われたんだよ」
「ひどいですね」
ウォークマンを再スタンバイ、自転車に乗った僕は、大通り交差点の赤信号の前で止まった。
しかし、大学も大学だったが、ここもなあ。
<< もしもあなたの心が 身軽なものなら そこに長居は無用さbaby,here we go! >>
「ヒビコー!」
自転車は猛発進、赤信号を無視。
商店街へと入っていき、自宅へと向かっていった。
JUST A ランナウェーーー!ウェー・・・ウェー・・・・ゥェー・・・・・・・ (エコー)
<つづく>
クーラーのリモコンへ手が届かず、うつ伏せのまま寝ていた。そのとき・・・
ジャージャン!
<< JUST A RUNAWAY 止めないっでよおお 後悔は少なめのMY LIFE >>
「ハーッ!」
寝ぼすけ対策として、オーディオの目覚し機能を活用することにしていた。で、曲がこれ。B’zのこの曲だ。
ただ当時としてもかなり古い曲ではある。
心筋炎の経験から、1ヶ月が経とうとしていた。
いつものように上着をベランダからパンツ一丁で取り出す。
「Like This!」
あまりにも忙しい日々が続き、僕は発想の転換を図ることにした。これからは追われるのではなく、追う人間になろう、と。
その日に疑問に思ったことはその日に解決、食事は家に持ち帰らず部屋を汚さない、トイレは職場でして帰る、など。
このときも給与は月18万くらい。うち5万が家賃。光熱費を引いて10万。給料日1週間前はチキンラーメンで過ごすとして、
3週間の食費で3万。ガソリン代2万。そうして5万くらいが残り、散髪代、CD代などにあてられる。
この日は月に1回だけ許されたアルバイトの日だ。献血車のお手伝い。1日2万。宝くじ号というバスが勤務先の病院へ
迎えにきてくれる。そこから半日かけて、大阪市郊外の田舎を4箇所ほど廻る。
寝る時間などないが、自分にとっては少しの息抜きのようなものだ。
<< いっろんな物を 無くしちゃったかもしれないけどI’m alright >>
ウォークマン片手に1人で口パクパクしながら、そのバスはどこかの田舎町のアーケードの入り口に着いた。
ナース3人と事務の?方は、特殊部隊さながらにセッティングをこなしていく。僕はバスで待ち続けていた。
外では事務のにいちゃんが勧誘を始めた。近所の工場から作業服を着た人も何人かやってくる。そのうち2人ほどがにいちゃんに捕まり、
問診書いた後バスの中にやってきた。
「あの、じゃあ血圧測りますので」
僕の仕事はこれだけだった。大学の人間は割に合わないとこのバイトを断る人間が多かったが、僕はむしろ気楽だった。
「160ですね、上が。ここまで高いと、献血は」
おにいちゃんがやってくる。
「うーん、先生、どうでしょうねえ。時間かけてゆっくりやるってことで、どうでしょうか」
「え、いいんでしょうか」
「まあ今はね、血液特に不足してるし」
「・・わかりました、しましょう」
「ありがとうございます、はい次!」
まあいいか。
ナース達の仕事は速い。職業といううよりも、その技の速さは仙人に近かった。採血が難しそうでも、数秒以内にはケリをつける。僕の出番はなかった。
というより、圧倒されっぱなしだった。
瞬く間に制限時間が来た。おにいちゃんがまた後片付けにかかった。ナースたちもそれに続く。バスは急発進した。1サイクル2時間くらいで、あと3サイクル繰り返す
といった具合だ。
「すみません。携帯電話かけてもいいですか?」
おにいちゃんに聞いた。
「へえ、凄いですね。携帯電話。どうぞどうぞ」
病棟に連絡することになっていたのだ。
「もしもし、変わりはないですか・・・ええ、僕の患者さんたち」
「ワーファリン内服中の方、トロンボテストが14%でした」
「じゃあワーファリンを3錠から1錠へ」
「ペースメーカー植え込みの方ですが、出血が少し」
「伊藤君に頼んでください。それかオーベンを」
「待ってください・・・別の看護婦と代わります・・もしもし。須藤です。今日、点滴を間違えてしまいまして」
「え?何の?」
「抗生剤です。隣の方のセファメジンと、先生の患者さんのチエナムと」
「え、それはいかんだろう」
「先生の患者さんにセファメジンをいってしまいましたが・・。チエナムは今日、どうしておきましょうか」
「他人事みたいに言うなよ。チエナムはもう夕方の分だけにしといてよ!」
「はい・・・」
ちっとは謝れ!
バスは工場の敷地内に到着した。同様ににいちゃんが駆け足で事務所へ走っていく。事務所のおじさんは若い衆を数人ずつ引っ張ってきた。
若い衆は1人ずつ入ってくる。みんなすがすがしい笑顔だ。汗さえも健康的だ。浮き出る血管もだ。仕事している最中のせいか、みな血圧が高い。
「動いたせいですね・・まあいいでしょう」
にいちゃんも僕を横目で見ながら上機嫌だった。若い衆は次々とまた仕事場へ戻っていった。
また病棟へ電話。
「主任さんですか。一般採血の結果を」
「言いますね、ヘモグロビンが・・・」
「血糖値は?」
「320です」
「そりゃ高すぎる。ヒューマリンR 6単位を皮下注で」
「それ以後は?」
「8時間ごとに測定。スケール表に従って」
「ところで先生、さきほどはうちの須藤が申し訳ありませんでした」
「え?いや」
「彼女には報告書を詳しく書かせて、今後の処分も含めて検討していきますので」
「処分?こんなことでもう処分するの?」
「いえ、ほかにもいろいろ目だったところがあったので」
「まあ新人だからね。仕方ないかも」
「わたくしたちはそうはいきませんので」
「はい・・じゃあ」
献血車は昼ごはん後も走りつづけた。
夕方になり、客の数も減ってきたようだ。にいちゃんが目頭を押さえる。
「くーっ、足りないなあ」
僕が話しかけた。
「何が足りないんです?」
「ええ、献血者の数ですよ。まだまだノルマに達してない」
「これだけ来たのに?」
「あらかじめ訪問先には連絡しておいておおよその数を見積もっていたんですが・・今日は極端に少ないんです」
「こうなったら1人でも・・というところですか」
「・・ですねー」
「じゃあ、僕、します」
「え?」
「自分の血圧測る仕事が終わったら、します。もちろん400ccで」
「ホンマですか先生!ありがとうございます!」
夕暮れ時、工場の社員が次々帰っていく中、僕は横になり献血を開始した。何度も手をグーで握り、天井を見つめた。
献血車は長い旅路を終えて、病院の玄関口へたどり着いた。
「先生、予定の時間越えまして、すんません。献血までしてもろうて」
「いえ、こちらこそ。毎日、お疲れ様です」
「では!」
車は去った。もう晩の8時だ。とりあえず病院へ電話した。
「もしもし。先生どちらですか?」
「ま、まだ献血車のところ。変わりは?」
「ありませんね。先生の患者さんは。こちらへは戻られます?」
「いや、それがね・・献血したんだよ」
「ええっ?」
「400ccもね。無理な運動はやめるよう指導されたし。だから今日はまっすぐ家に帰ろうと思う」
「そうですか・・どうしてまた。健康診断がてらですか」
「健康診断ね。この前うちの病院でそれあるから受けにいったら、日々雇の医者は健診の対象外って言われた」
「ひびこ?」
「そうだよ。常勤扱いでない職員は、無償での健診が受けられないって言われたんだよ」
「ひどいですね」
ウォークマンを再スタンバイ、自転車に乗った僕は、大通り交差点の赤信号の前で止まった。
しかし、大学も大学だったが、ここもなあ。
<< もしもあなたの心が 身軽なものなら そこに長居は無用さbaby,here we go! >>
「ヒビコー!」
自転車は猛発進、赤信号を無視。
商店街へと入っていき、自宅へと向かっていった。
JUST A ランナウェーーー!ウェー・・・ウェー・・・・ゥェー・・・・・・・ (エコー)
<つづく>
< レジデント・サード 14 IT’S RAINY LONLINESS >
2004年3月21日 連載< レジデント・サード 14 IT’S RAINY LONLINESS >
土曜日、本来は病院は休みだがレジデントは関係ない。しかし目覚めたのは朝の9時を少し過ぎていた。
「さあ、行くとするか・・・」
休日でも毎日出勤が非公式の原則のため、午前中に行かないと詰所から催促コールが鳴る。
いつもどおり、自転車で病院へ。
医局へ入ったところ、既に何人か来ているようだ。みんな出張から帰ってきて、患者の確認に出向いている模様。
しかし、オーベンは、すごいな。やるな。というか、凄いのはあの女か・・・。待てよ、となると僕が彼女に言ったことはオーベンに伝わってるってことか。
今後気をつけよう。
ゆっくりケーシに着替え、エレベーターにて病棟へ上がった。重症部屋に入った、ところ・・・・。
医局員数名と看護婦、それと家族が集まっている。患者の状況も見えない。しかし静まり返っている。
オーベンが、超音波で何か確認しているようだ。急変なのか?深夜の須藤さんははるか後方で固まっている。
彼女は僕に気づいたようだ。
「先生・・・」
彼女は左手をサッと前方に差し出し、オーベンたちの方へ行けといわんばかりだった。
「あの、いいでしょうか」
オーベンは僕の顔が反射するエコー画像を見ながら、ささやくようにつぶやいた。
「終わりだ、先生」
「え?」
「1週間・・なんとかやってはみたものの」
「何です?」
「瞳孔に反応がない」
「ピンポイントで、評価しにくいです。対光反射はあまり当てにならないかと」
「いや・・散瞳してるんだよ」
「え?」
「しかも、反応がない」
「それじゃあ・・」
「脳幹から上は死んでいることになる・・・これを見ろ」
「?」
「心臓の中だ・・モコモコしてる像が見えるか?」
「これは、左心室の中ですか?」
「そうだ。左心室の中・・ほとんどが血栓によって埋め尽くされている」
「血栓?しかし、ヘパリンもいってましたし。凝固時間も延長ぎみだったのに」
「体外循環は流れに勢いがあるが、心臓を休ませている分、ここは淀みやすい。先生、カルテに自分のムンテラ内容書いてただろ?」
「ええ、しかし、こうなるとは・・」
「我々が一番気にかけていた合併症だ。ともかくもう、体外循環を廻し続ける理由はなくなった・・・」
「・・・・・」
「これから僕が家族に説明する。君の口からでは無理だろう。家族にとっても君の印象はあまり良くないと、あるナースからも聞いてる。ここは穏便に済ませたい」
またか。彼女、何て言ったんだ・・・。
「君はここで様子見てろ。モニターをじっくりな」
オーベンは家族を率いて部屋を出た。他の医者が引き続き、須藤ナースだけ残った。
「瞳孔が開いたって、気づいたのは君?」
「ええ、そうです」
「僕がメインの主治医なのに、何故呼んでくれなかったんだ?オーベンの方を呼んだんだろ?」
「あの先生は、泊まってくれたんですよ」
お前のためだろ・・・。しばらく沈黙が続いた。
モニターはペースメーカーの波形のみ。自己脈は全くない。
一時ペーシング入れて1週間くらいは経っており、そろそろ入れ換え時期だ。
一時ペーシングは消耗品だから。
僕はまた怒りがこみ上げてきた。
「でも、ホントの主治医は僕だ!僕が一番顔、出してるんだから」
「でも、重症時の管理や説明は、主に先生のオーベンがされてますし」
「・・・もういい」
ダメだ。ムキになった同士で、まともな会話なんてできるはずない。
ああいえばこういう。ちょうど今年の3月にテロを起こした団体の誰かみたいだ。
と、オーベンが家族を引き連れ、戻ってきた。
「ちょっと、通して、先生」
「はい」
「・・・・では、血栓が回路を塞いでしまう恐れもあるので・・止めますね。あとは自分の循環能力、ということになります」
家族は了解し、PCPSのスイッチが切られた。
一見、何も変わらなかったように見えたが・・・・数分後には血圧が徐々に下がってきた。ペーシングはスパイクのみとなった。
オーベンは瞳孔を片方ずつ対光反射で確認。心音を確認。両肺の呼吸音を確認。
聴診器を外し、家族のほうを向いた。
「死亡確認・・・11時・・22分です」
一同はしばらく動かないままだった。娘も無表情のままだ。
死後の処置・・・入っていた無数の管を抜き、穴を縫合・・ガーゼ詰め・・・。僕と須藤さんらで行った。
床は血液や消毒液でツルツル滑りそうだった。僕らの靴もタオルでしつこく拭き続けた。
結局救えなかったという情けなさと、妙なホッとした感じ。
自分が主治医だと威張っておきながら、それを全て認めていないような矛盾。
オーベンが入ってきた。
「さっき開業医の先生が来てた。入院の前にカゼと診断していた先生だな。家族の怒りは凄かったようだ。弁護士を立てて訴えるとか言ってた」
「その先生を?」
「ああ・・・これから大変だよ、その先生は」
「でも、上気道炎が先行していたころの時点でしょうし」
「・・結局、信用されてなかったんだ。先生、そういうことだ」
「?」
「日頃からどれだけ信用を得ておくかだ。その積み重ねを忘れるな」
遺体を自宅へ送り届けるため、葬儀社の車が病院へ到着していた。外は小雨が降り注いでいた。
遺体は車の中へ運ばれ、家族も続々と入っていった。
娘の姿がない。
「あの娘さん・・これから大変だろうな。でも多分、あの家族が力を合わせてくれるだろう」
しめくくろうとしたオーベンにちょっと納得がいかず僕は言い返してしまった。
「そう簡単な事情ではないと思います」
不意を突かれたように、オーベンはギクッとしたようだった。
恵まれている人には、人の気持ちは分からないものだ・・確かに。
いきなり左の肩に激痛が走った。
砕けたような感じだ。僕は衝撃で前のめりになり、右手のひらを地面に叩きつけた。右手首にも衝撃が走った。
両膝も地面に叩きつけられ、砂まみれになった。
ふと顔を上げると・・娘の後姿が。彼女が一歩一歩、車に向かって歩いていく。
オーベンらスタッフは僕の前方に立っているためこちらには気づいてない。
強烈なパンチを喰らわせたその彼女は車のドアを開け、乗り込んだ。
車はゆっくり動き出し、病院の駐車場へと走り出した。
オーベンたちは一斉に頭を下げ、黙祷した。
ほぼ四つんばいになったような格好で、僕はずぶ濡れになっていた。
そして、交差点からゆっくり走り出すウインカーランプを、ただただ、眺めるだけだった・・・。
雨は次第に豪雨へと変わっていった。
<つづく>
土曜日、本来は病院は休みだがレジデントは関係ない。しかし目覚めたのは朝の9時を少し過ぎていた。
「さあ、行くとするか・・・」
休日でも毎日出勤が非公式の原則のため、午前中に行かないと詰所から催促コールが鳴る。
いつもどおり、自転車で病院へ。
医局へ入ったところ、既に何人か来ているようだ。みんな出張から帰ってきて、患者の確認に出向いている模様。
しかし、オーベンは、すごいな。やるな。というか、凄いのはあの女か・・・。待てよ、となると僕が彼女に言ったことはオーベンに伝わってるってことか。
今後気をつけよう。
ゆっくりケーシに着替え、エレベーターにて病棟へ上がった。重症部屋に入った、ところ・・・・。
医局員数名と看護婦、それと家族が集まっている。患者の状況も見えない。しかし静まり返っている。
オーベンが、超音波で何か確認しているようだ。急変なのか?深夜の須藤さんははるか後方で固まっている。
彼女は僕に気づいたようだ。
「先生・・・」
彼女は左手をサッと前方に差し出し、オーベンたちの方へ行けといわんばかりだった。
「あの、いいでしょうか」
オーベンは僕の顔が反射するエコー画像を見ながら、ささやくようにつぶやいた。
「終わりだ、先生」
「え?」
「1週間・・なんとかやってはみたものの」
「何です?」
「瞳孔に反応がない」
「ピンポイントで、評価しにくいです。対光反射はあまり当てにならないかと」
「いや・・散瞳してるんだよ」
「え?」
「しかも、反応がない」
「それじゃあ・・」
「脳幹から上は死んでいることになる・・・これを見ろ」
「?」
「心臓の中だ・・モコモコしてる像が見えるか?」
「これは、左心室の中ですか?」
「そうだ。左心室の中・・ほとんどが血栓によって埋め尽くされている」
「血栓?しかし、ヘパリンもいってましたし。凝固時間も延長ぎみだったのに」
「体外循環は流れに勢いがあるが、心臓を休ませている分、ここは淀みやすい。先生、カルテに自分のムンテラ内容書いてただろ?」
「ええ、しかし、こうなるとは・・」
「我々が一番気にかけていた合併症だ。ともかくもう、体外循環を廻し続ける理由はなくなった・・・」
「・・・・・」
「これから僕が家族に説明する。君の口からでは無理だろう。家族にとっても君の印象はあまり良くないと、あるナースからも聞いてる。ここは穏便に済ませたい」
またか。彼女、何て言ったんだ・・・。
「君はここで様子見てろ。モニターをじっくりな」
オーベンは家族を率いて部屋を出た。他の医者が引き続き、須藤ナースだけ残った。
「瞳孔が開いたって、気づいたのは君?」
「ええ、そうです」
「僕がメインの主治医なのに、何故呼んでくれなかったんだ?オーベンの方を呼んだんだろ?」
「あの先生は、泊まってくれたんですよ」
お前のためだろ・・・。しばらく沈黙が続いた。
モニターはペースメーカーの波形のみ。自己脈は全くない。
一時ペーシング入れて1週間くらいは経っており、そろそろ入れ換え時期だ。
一時ペーシングは消耗品だから。
僕はまた怒りがこみ上げてきた。
「でも、ホントの主治医は僕だ!僕が一番顔、出してるんだから」
「でも、重症時の管理や説明は、主に先生のオーベンがされてますし」
「・・・もういい」
ダメだ。ムキになった同士で、まともな会話なんてできるはずない。
ああいえばこういう。ちょうど今年の3月にテロを起こした団体の誰かみたいだ。
と、オーベンが家族を引き連れ、戻ってきた。
「ちょっと、通して、先生」
「はい」
「・・・・では、血栓が回路を塞いでしまう恐れもあるので・・止めますね。あとは自分の循環能力、ということになります」
家族は了解し、PCPSのスイッチが切られた。
一見、何も変わらなかったように見えたが・・・・数分後には血圧が徐々に下がってきた。ペーシングはスパイクのみとなった。
オーベンは瞳孔を片方ずつ対光反射で確認。心音を確認。両肺の呼吸音を確認。
聴診器を外し、家族のほうを向いた。
「死亡確認・・・11時・・22分です」
一同はしばらく動かないままだった。娘も無表情のままだ。
死後の処置・・・入っていた無数の管を抜き、穴を縫合・・ガーゼ詰め・・・。僕と須藤さんらで行った。
床は血液や消毒液でツルツル滑りそうだった。僕らの靴もタオルでしつこく拭き続けた。
結局救えなかったという情けなさと、妙なホッとした感じ。
自分が主治医だと威張っておきながら、それを全て認めていないような矛盾。
オーベンが入ってきた。
「さっき開業医の先生が来てた。入院の前にカゼと診断していた先生だな。家族の怒りは凄かったようだ。弁護士を立てて訴えるとか言ってた」
「その先生を?」
「ああ・・・これから大変だよ、その先生は」
「でも、上気道炎が先行していたころの時点でしょうし」
「・・結局、信用されてなかったんだ。先生、そういうことだ」
「?」
「日頃からどれだけ信用を得ておくかだ。その積み重ねを忘れるな」
遺体を自宅へ送り届けるため、葬儀社の車が病院へ到着していた。外は小雨が降り注いでいた。
遺体は車の中へ運ばれ、家族も続々と入っていった。
娘の姿がない。
「あの娘さん・・これから大変だろうな。でも多分、あの家族が力を合わせてくれるだろう」
しめくくろうとしたオーベンにちょっと納得がいかず僕は言い返してしまった。
「そう簡単な事情ではないと思います」
不意を突かれたように、オーベンはギクッとしたようだった。
恵まれている人には、人の気持ちは分からないものだ・・確かに。
いきなり左の肩に激痛が走った。
砕けたような感じだ。僕は衝撃で前のめりになり、右手のひらを地面に叩きつけた。右手首にも衝撃が走った。
両膝も地面に叩きつけられ、砂まみれになった。
ふと顔を上げると・・娘の後姿が。彼女が一歩一歩、車に向かって歩いていく。
オーベンらスタッフは僕の前方に立っているためこちらには気づいてない。
強烈なパンチを喰らわせたその彼女は車のドアを開け、乗り込んだ。
車はゆっくり動き出し、病院の駐車場へと走り出した。
オーベンたちは一斉に頭を下げ、黙祷した。
ほぼ四つんばいになったような格好で、僕はずぶ濡れになっていた。
そして、交差点からゆっくり走り出すウインカーランプを、ただただ、眺めるだけだった・・・。
雨は次第に豪雨へと変わっていった。
<つづく>
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< レジデント・サード 13 形勢逆転 >
2004年3月20日 連載< レジデント・サード 13 形勢逆転 >
高齢のナース3人に囲まれた。退職金目当てめ・・・。
「患者さんの名前は・・三上さんですか。胸の痛みは、一番痛いのが10なら・・」
「そうやな・・10ありますわ・・イタタタ」
「看護婦さん、t-PAはありますか?」
「そんな薬あるんですか?さあ、私ら救急はしたことないし。分かりかねます!先生、そういった指示は病棟に上げてからしてください」
一般内科で初老の松本部長が戻って来た。
「AMIですな、先生。病棟でt-PAを用意してもらったらいいでしょう。ドクターも揃ってないのに、direct PTCAというわけにもいきませんね。ハハハ・・・」
「既往に胃潰瘍があるので、それは使えないと・・」
「ム?じゃあ何だ!君が1人でカテでもするか?」
「・・・・・・」
「まあそれか転院だな。悪いが先生、ワシはそっちの専門ではないから、自分で紹介先を探してだな、家族の合意のもとで決めたまえ。こういうプロセスも、レジデントの研修の一環として重要なんだ」
専門じゃない、か。ドイツもコイツも。だから「一般」内科は嫌いなんだ。
そのとき、パタパタパタと外来の待合室からクツの鳴り響く音が聞こえてきた。かなり大勢のようだ。こちらへ走っているようで、大きさも次第に増してきた。
僕は思わず叫んだ。
「来た!」
マトリックスのスミスばりに、スーツ姿の長身が何人も外来へ押し寄せてきた。
循環器部長を先頭に、ドタバタ進んでくる。その大群は午前診察の未処理カルテを大量に置いてある机にぶつかり、カルテがドタバタ倒されていった。
部長は患者の横、吉本先生はカルテを、他の医局員はデータ・レントゲンを確認にかかった。
助かった・・・。
部長が次々と指揮していく。
「看護婦さん、何やっとんだ?さっさと右誘導、取りなさい。酸素。ルートも取ってない。やる気あるの?あんた、TZ用意してよ。あんたはキシロカイン、吸っておいて。何か分かるね?」
吉本先生がカルテから顔を上げた。
「発症から3時間か。ここで1時間も足止めしてるな・・」
「おい、松本君!」部長が叫んだ。辺りが静まり返った。
隅っこにいた松本部長がハッとこちらを伺った。態度が一変した。彼らはほぼ同期らしい。
「お帰りなさい、先生。出張のお疲れのところを」
「それはいいんだよ。先生、君も内科医なんだったらAMIのプライマリケアくらいきちっとしなさい!うちの大事なレジデントを呼びつけといて!」
「今日は循環器科の患者が来るとは、思っても・・」
「循環器閉めたからって、循環器の患者が来ないと思うのがバカだと思わんのかね」
「え、ええ」
後で聞いた話だが、当院の一般内科と循環器科の中は以前から犬猿のそれらしい。
部長が指示を続けた。
「山根くん!家族へカテの説明・同意書を!泉さん!みんなでストレッチャーを運んで、モニターごと!伊藤君!輸液は全部セットしたな?放射線スタッフは揃えたか?」
「捕まえました、部長」
部長は伊藤の肩をパシパシ叩いた。
「よし、そのままカテ室へ搬入しろ!」
ベッドの両側の柵がガチン、ガチンと閉められ、両端2人ずつ、先頭1人、後ろ1人の計6人体制で、ストレッチャーは加速していった。
ベッドの両側を固めた医局員は、またもやそこら中の机、カルテ、点滴台などを次々と何台もなぎ倒し、ドミノ倒しになった点滴台は、救急カートの上に倒れこんでいった。
バキバキバキバキ・・・・・
さらに始末できてなかったカート上の医療器具を四散させた。
ガジャガジャジャジャジャ・・・注射器やイソジンなどが床一面に拡がった。
看護婦・松本部長は圧倒されてしまい言葉もない様子だ。
割れたガラスや液体を一足一足ゆっくり交わしながら、僕は外来を出た。
患者・医局員は去ってしまい辺りはまたシーンとなっている。まるで台風が去ったようだ。
「ユウキ先生、これ、おみやげ」
オーベンが医局員数人と外で待っていてくれた。
「ああ、先生・・ありがとうございます」
「今日の朝、向こうを出たんだよ。そっちも大変だと思ってね」
「みなさん、病院へダイレクトに寄っていただいて・・有難うございます。先生、心筋炎の方はおそらく、もう・・」
「わかっている。しかしよく頑張った。今日はもう休んでくれ」
「しかし」
「そんな体調じゃミスが起こってもいかんしな。今日の晩から明日の朝は僕が診る」
「・・・」
「みんなバスから解散するとこだったんだが、連絡が僕の携帯に入ってね。それでみんなをここへ向かわせた」
「連絡・・・先生の携帯に直接ですか?」
ドクターの携帯の連絡先は詰所は控えてないハズだ。一体誰が・・・・。まあいいか。
歩いて去っていくオーベン。カッコいい。エレベーターを待つオーベン。僕は遠くから見送った。
と、横のエレベーターの数字が下りてきて、開いた。須藤ナースだ。患者を迎えに来たつもりなのか?
彼女がオーベンに頭を下げている?喜んでるのか?泣いてるのか?慌てふためいて、今にも抱きつきそうな素振りだ。彼女がはしゃぎながらオーベンの両腕にしがみついている。
「親子?いや、違う・・・」
そして・・彼らは同じエレベーターに乗った。閉まるまで目で追ったが・・彼女は横顔、上目遣いでずっとオーベンに見とれているようだった。
数字は上がっていった。
オーベン、やるな・・・・!
高齢のナース3人に囲まれた。退職金目当てめ・・・。
「患者さんの名前は・・三上さんですか。胸の痛みは、一番痛いのが10なら・・」
「そうやな・・10ありますわ・・イタタタ」
「看護婦さん、t-PAはありますか?」
「そんな薬あるんですか?さあ、私ら救急はしたことないし。分かりかねます!先生、そういった指示は病棟に上げてからしてください」
一般内科で初老の松本部長が戻って来た。
「AMIですな、先生。病棟でt-PAを用意してもらったらいいでしょう。ドクターも揃ってないのに、direct PTCAというわけにもいきませんね。ハハハ・・・」
「既往に胃潰瘍があるので、それは使えないと・・」
「ム?じゃあ何だ!君が1人でカテでもするか?」
「・・・・・・」
「まあそれか転院だな。悪いが先生、ワシはそっちの専門ではないから、自分で紹介先を探してだな、家族の合意のもとで決めたまえ。こういうプロセスも、レジデントの研修の一環として重要なんだ」
専門じゃない、か。ドイツもコイツも。だから「一般」内科は嫌いなんだ。
そのとき、パタパタパタと外来の待合室からクツの鳴り響く音が聞こえてきた。かなり大勢のようだ。こちらへ走っているようで、大きさも次第に増してきた。
僕は思わず叫んだ。
「来た!」
マトリックスのスミスばりに、スーツ姿の長身が何人も外来へ押し寄せてきた。
循環器部長を先頭に、ドタバタ進んでくる。その大群は午前診察の未処理カルテを大量に置いてある机にぶつかり、カルテがドタバタ倒されていった。
部長は患者の横、吉本先生はカルテを、他の医局員はデータ・レントゲンを確認にかかった。
助かった・・・。
部長が次々と指揮していく。
「看護婦さん、何やっとんだ?さっさと右誘導、取りなさい。酸素。ルートも取ってない。やる気あるの?あんた、TZ用意してよ。あんたはキシロカイン、吸っておいて。何か分かるね?」
吉本先生がカルテから顔を上げた。
「発症から3時間か。ここで1時間も足止めしてるな・・」
「おい、松本君!」部長が叫んだ。辺りが静まり返った。
隅っこにいた松本部長がハッとこちらを伺った。態度が一変した。彼らはほぼ同期らしい。
「お帰りなさい、先生。出張のお疲れのところを」
「それはいいんだよ。先生、君も内科医なんだったらAMIのプライマリケアくらいきちっとしなさい!うちの大事なレジデントを呼びつけといて!」
「今日は循環器科の患者が来るとは、思っても・・」
「循環器閉めたからって、循環器の患者が来ないと思うのがバカだと思わんのかね」
「え、ええ」
後で聞いた話だが、当院の一般内科と循環器科の中は以前から犬猿のそれらしい。
部長が指示を続けた。
「山根くん!家族へカテの説明・同意書を!泉さん!みんなでストレッチャーを運んで、モニターごと!伊藤君!輸液は全部セットしたな?放射線スタッフは揃えたか?」
「捕まえました、部長」
部長は伊藤の肩をパシパシ叩いた。
「よし、そのままカテ室へ搬入しろ!」
ベッドの両側の柵がガチン、ガチンと閉められ、両端2人ずつ、先頭1人、後ろ1人の計6人体制で、ストレッチャーは加速していった。
ベッドの両側を固めた医局員は、またもやそこら中の机、カルテ、点滴台などを次々と何台もなぎ倒し、ドミノ倒しになった点滴台は、救急カートの上に倒れこんでいった。
バキバキバキバキ・・・・・
さらに始末できてなかったカート上の医療器具を四散させた。
ガジャガジャジャジャジャ・・・注射器やイソジンなどが床一面に拡がった。
看護婦・松本部長は圧倒されてしまい言葉もない様子だ。
割れたガラスや液体を一足一足ゆっくり交わしながら、僕は外来を出た。
患者・医局員は去ってしまい辺りはまたシーンとなっている。まるで台風が去ったようだ。
「ユウキ先生、これ、おみやげ」
オーベンが医局員数人と外で待っていてくれた。
「ああ、先生・・ありがとうございます」
「今日の朝、向こうを出たんだよ。そっちも大変だと思ってね」
「みなさん、病院へダイレクトに寄っていただいて・・有難うございます。先生、心筋炎の方はおそらく、もう・・」
「わかっている。しかしよく頑張った。今日はもう休んでくれ」
「しかし」
「そんな体調じゃミスが起こってもいかんしな。今日の晩から明日の朝は僕が診る」
「・・・」
「みんなバスから解散するとこだったんだが、連絡が僕の携帯に入ってね。それでみんなをここへ向かわせた」
「連絡・・・先生の携帯に直接ですか?」
ドクターの携帯の連絡先は詰所は控えてないハズだ。一体誰が・・・・。まあいいか。
歩いて去っていくオーベン。カッコいい。エレベーターを待つオーベン。僕は遠くから見送った。
と、横のエレベーターの数字が下りてきて、開いた。須藤ナースだ。患者を迎えに来たつもりなのか?
彼女がオーベンに頭を下げている?喜んでるのか?泣いてるのか?慌てふためいて、今にも抱きつきそうな素振りだ。彼女がはしゃぎながらオーベンの両腕にしがみついている。
「親子?いや、違う・・・」
そして・・彼らは同じエレベーターに乗った。閉まるまで目で追ったが・・彼女は横顔、上目遣いでずっとオーベンに見とれているようだった。
数字は上がっていった。
オーベン、やるな・・・・!
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