20

2009年6月11日 連載

 品川は戸惑っていた。嫌な予感もよぎった。

「<使われてません>って。番号、間違えたのかな・・・」
「ちょっと事務長。どこかの女の番号と間違えたんでは?」
「女には、番号よく変えられるな確かに・・・」

 田中君が、自分の携帯でかけ直す。

「・・・ホントだ。<使われてません>になってる」
「真吾院長のは・・・<電源が入っておらず>か」
「どうしたんですかね?」


 ユウからアナウンス。

<処置はすんだ。入院、上げるぞ!>
「せっかちな。ナースの準備も考えてください!」
<はやくせい!はよう!>

 事務長はため息をついた。

「医者が足りないねえ・・・」
「募集はどうなりました?」

 一応、事務長の手元に履歴書が7通くらいある。

「このうちドクターバンクが4つあるんだけど、年収の1~2割が手数料となるとねぇ・・うちでは」
「オーナーの許可はないですか?」
「半年か1年ごとに手数料っていうのが、どうもねぇ・・」

 業者に足元はみられてる。特に肩書や資格が多い医師ほど、高く価値をつけられている。証券化されたような履歴書だ。

 田中君は残りの3つを確認。

「1人は高齢者で論外。1人は平日のみ希望。あれ・・・これは?」

 その1枚は、地味だが気を引くものがあった。

< 体力に自信あり 料金問わず >

「こんなこと、普通書きますかね?」田中君は苦笑した。
「医者はね。変わってる奴多いから」

品川は、ガラス張りの下のユウを指さした、狂ったように吠えている。

「その先生は有名だよ。赤字を黒字にできるくらい」
「建て直しの専門?」
「そういうのじゃないが、あちこちの民間病院の経営の相談を受けてるって」
「欲しいですねぇ。そんな先生。若いっすよ?まだ30代!」
「これからは、30代が牽引役なんだよ!」

品川は皆の給与体系をパソコンで確認した。

「・・・来てくれたら、はずむようオーナーに相談しよっと」
「品川さん。減給の件。シロー先生の場合はきついでしょう?」
「家族があろうと揉めてようと、不平等はいかんだろ」
「いきなり辞めたりしませんかね。彼・・・」
「それは僕も感じてる。そのためこうやって、山ほどの履歴書を取り寄せる」

 バンクなしで、しかも医師会の関与もなしに医師探しをするのは骨が折れる。いちばんいいのは、常勤が後輩・先輩なりを呼び寄せるのが一番いいのだが。

 ユウやトシ、シロー・ザッキーらの<大学医局中退組>は、敵だらけだった。

19

2009年6月10日 連載

シローは、机の一番上の引出しをゆっくり開けた。
「・・・・・・」
<離婚届>。ワイフから突きつけられたものだ。

 ハー、と彼はため息をついた。

 救急のコールがなり、ユウらは一斉に駆け出した。

「はっ!はっ!シロー!まだ松田のクリニック手伝ってんのか!」
「ふっ!ふっ!もうやめようかと!でもうち、コスト(給料)減りましたし!」
「あんなヤブ医者!手伝ったらバカが移るぞ!」
「最近口が悪いですよ!先輩!」

 2階、3列滑り台の手前。ダッと飛び出し、斜面を滑走。揃い、交互にわずかに先頭。

「救急車、来たな!事務長!内容は?」
<意識混濁の80歳です.ので。ほどほどに>(イヤホン)
「どういう意味だよ!」

 ユウとシローはビュン、と砂地まで飛び上りそのまま着地。片足でブレーキ。煙から現れた時は、チューブなど取り出していた。ウエストポーチは左右ダブルに正面。アンプルどうしがキシキシとこすれる音。

事務長はガラスごしに見下ろしていた。
「うんうん。働け働け!給料分、頑張ってもらわんと!」

「高齢者、増えましたね・・・」
そう喋ったのは、補佐の田中だった。

「高齢者はともかく、問題は世話をする人間たちのモラルだよ。以前はここまでではなかった。いったい世の中、どうしちゃったんだろ?」
「いったん入院させたら、病院任せですよね。どの家族も」

「増えたなぁ・・・高齢者の横暴ぶりも目立つ。ユウの言う通り、薬剤の副作用かな?」
「それか・・・これも時代でしょうか?」

「僻地でハカセという医者に言われたよ。<高齢者はこれまでの裕福すぎた分、試練と覚悟がもっと受けるべきだ>って」
「高齢者は、若い時に苦労してるでしょ?」
「あの医者はそうじゃないって言うんだ。戦争のカタを心でつけてないって」
「事務長。頭大丈夫ですか?」

シナジーは顔をあげた。

「試練と、覚悟、か・・・・!」

下を、ベッドが運ばれていく。事務長らの床の下に隠れる。

「国は、受け皿としての病院体制は整えたようだ。医学も発達した。でもそれで全体のバランスが取れたのかどうかは疑問だよな」
「でも長生きするのが医学の目標でしょう?」
「うーん・・・」

 写真タテが落ち、田中は拾った。

「1年前の写真じゃないっすか。僻地病院の!」
「落ちるとは不吉な・・・」
「やめてくださいよ。でも・・・今ではあの先生が、真吾院長!院長ですよ!彼、元気にやってるかな・・・」
「連絡ないな。最近全然。しても出てくれない」

事務長は背伸びした。
「あ~・・・あ!」

「うちのオーナーが、その病院にあまり尽力してないって噂ですが?兄弟病院なのに」田中はパソコンでゲームを始めた。

「いやいや。経営はもうとっくに自治体に移ったんだよ。給料もそこから。僕らは口出しできないの!久しぶりに電話してみるから、田中くん。出てよ」
「なんでぼくが!」

事務長は僻地病院の番号を押した。

「・・・え?」

切った。顔が青ざめた。


18

2009年6月10日 連載

 何も知らない、真田の医局。

「いや~。大学も相当困ってるらしいな!」
ユウはロッカーを開いたが、後ろのシローとトシ坊はテレビに向かったまま。

「残酷なようだけど、相手が大変だとこっちは身構えちゃうな!ノナキーの奴・・・」

トシ坊はこっちを向いた。
「いつもより5分、遅いですよ」
「途中、学生としゃべってた」
「業務に専念してください!」
「トシ坊。ノナキーの話出したとたん、いつも不機嫌になるのはよせ!」

ロッカーを開ける。
「いつまでももう、過去のことを根に持つのはよせ」
「・・・・」
「俺だってなあ。好きだった女が奴の。ノナキーの女房として取られてもよ。もう5年もたてば平気だよ?」
「・・・・」

トシ坊は返事しない。
ユウは不機嫌になった。

「なんか言えって!」

シローが互いを振り向く。
「まあまあ。ユウ先生も」

トシ坊はすねた表情だ。泣きかけなのが肩で分かる。
「大学病院に派遣できるほど、うちは余裕はありません!」
「それ、俺に言ってどうすんだ?」

近く、ピートが着替えしながら笑った。
「おいユウ。いつものやってやれ!」
ユウは面白がって、トシ坊の真似をした。

「オーベン!今日はよーく休んでください!」
とカンフーあいさつ。医局が(トシ坊以外)笑いに包まれた。

と、シローがテレビのボリュームを上げる。

「ユウキ先生。この事故、途中で見ませんでした?」
「あ?いや・・・」

 速報で、交通事故のニュース。多くのパトカーで国道が閉鎖されている。5~6台ほどの車がランダムに向きを変えたまま止まってる。

「玉突きか・・・当てた奴が行方不明だって?」
「ええ。運転手は逃走中ですって」
「よそ見してたのかな・・・」
「警察は、意図的な追突事故を疑ってるそうです」

 ユウは小さく嘆いた。
「どうしてこうも、運命でない人間が毎度のように選ばれるのか・・・」




17

2009年6月10日 連載

御手洗は、マッサージの手を思わず止めた。
「フーっ!フーっ!」
暑さで参りそうだ。

再開。振り向き、また再開。心肺停止が同時に2名。呼吸器にはかろうじて接続できた。
「くそ!でも手ごたえがないっ!」

大汗がドッ、と背中に流れた。蒸しブロ状態が続いている。体の血管がすべて詰まりそうだ。

「だだ・・・だれか・・・」そう思うとまた汗が全身に吹きまくった。

近くのテレビのバラエティでは、ニュース速報が。

「大阪の国道で玉突き事故。重症者多数。うち1名は民間病院医師。渋滞が数キロ」

ミタライは驚いたように急にのけぞり、そのまま床へと倒れた。
「ヒー!ヒー!あれヒー!ここのヒー!常勤のヒー!先生じゃヒー!」

 息苦しさが、真に迫ってくる。水の中じゃないのに、そのまま溺れている自分が分かる。傍観しているはずの自分が、もう状況すら分からなくなってきている。

「ハフッ・・・ハフッ」

 援軍が到着したとき、彼女は朦朧状態だった。周囲の動きがスローで、とぎれとぎれの場面。耳には幕が張ったようで正確に聞き取れず、首を思いっきり伸ばしての呼吸。いやそれでも足りない。
 
 やがて、体温はどんどん上昇していき・・・。

16

2009年6月10日 連載

 大学からは2台のシルバーセダンが発進した。中堅どころが2名。

「ノナキー先生。実験は終了。今、出ました。到着次第、ミタライをサポートします」
<頼む。こちらは手が離せない。状況を把握してこい!>

「どうせまたトラブルなんでしょう。当直医のミタライ助手には注意しておきます」
<すぐ戻れよ!それからお前ら。マクドナルドも寄るなよ!>
「はっ!」

中堅は電話を切った。

「フン。タダゴトかママゴトか。この目で見てやるよ!」

ブオオッ!と2台は黄色信号を駆け抜けた。

「アゴで使いやがって!」


大学。


ノナキーはやっと終わりかけた外来で背伸びをした。
「ふああ~・・・島。学食、行くか」
「おおっ!いいですね!」

 2人が歩くと、誰もが道を開けた。
ノナキーは両肩がかなりこっていた。

「論文の出来が、最近遅いんじゃないか?」
「学生の面倒が増えて・・・新入医局員も来年は絶望的で」
「昨年と、言ってることが違うぞ」
「うっ・・・ははい」
「昨年、こう言ったはずだ。<自分がサポートさせて頂く以上、血を吐く思いで頑張ります>。」
「・・・・・・・・でしたかね」
「お前は、血を吐いたか?」
「い、いえ・・・」

 島には学食への道のりが、永遠に感じた。

 燃えるような太陽が照りつける。


15

2009年6月10日 連載

ユウは、ミタライのいるその病院の近くを偶然通り過ぎた。救急車が2台、入っていく。ベンツのような黒い外車3台も続いた。

「・・・・・・あの病院活気あるな。もうかってんのかな?」

 アクセルを踏みこみ、真田病院へ向かう。車内電話で通信。前方を直視。

「・・・なので。たのむよ!」
ナースに連絡し、切る。近く、松田クリニックが見える。

 さっきも触れたが、確かに活気が減っている。まず、病院前の人だかりがない。周囲のいつもの路上駐車もあまりない。どうやら休診のようだ。

「いよいよ、あいつも辞めんのかな・・・よっしゃあ!」

 ユウの友人たちも開業をし始める者が出始めたが、軌道になかなか乗せれない悩みが多いようだ。どこでも病院は飽和状態にあり、新規で患者がドッと生まれてくるわけではない。結局どこかに受診している患者を奪わない限り、固定客として定着できない。

 松田クリニックは例外だった。まず<胸部内科>メインという希少価値があること、かつてユウの努力で大学病院から患者を多数紹介したこと、それと・・・院長が入院した宗教のコネで信者らの指定病院になっていることだった。

 大阪では利権団体、宗教団体がかなりの生活保護者らを牛耳っている背景もある。自治体スタッフは自分らの任期中に波風を立てたくなく、放置しているのが現状だ。

 しかし、妙な噂もある。このクリニックがどこかの病院との連携ができるようになったとか。あるいはそこと合併するとか。
 
 だがそれも考え過ぎのようだ。クリニックはあまりパッとしてなさそうで、松田先生からも連絡がない。人間関係としてはかなり悪化していた。クリニックで誤診していた患者の診断が、真田で次々と明るみに出たからだ。他のところのように、うまく隠ぺいし合うのだけはゴメンだった。

 気がかりなのは、ユウの同僚後輩であるシローが、未だにここへアルバイトしていることだった。給与がかなり高いのが魅力なのだろう。しかし、あの純真な男がそこまで金にこだわる理由がユウには分からない。自分の親友が金に染まるのを彼は嫌がった。

 彼としては、犬猿の仲の開業医に常勤を<派遣>するのは不快この上ない。

 グオーン!と車はタヌキの置物を風で揺らした。

14

2009年6月10日 連載

「ウッソー!」

 ミタライはすでにパニクっていた。救急を1人で診るのは正直久しぶり。これまでは副直などがいて、ほとんど彼らに頼っていた。

「脈がこれ触れない。触れないよね!ねぇ!はーはー」

近くでナースが突っ立っている。どう見ても普通のおばさんだ。

「ぼさっとせず、手伝って!」
「あたし。耳がよう聞こえんもんで!もっとおーきな声で!」
「・・・・・」

衰弱した1人目の老人、点滴確保。
「そうだ。ここ検査ってろくにできないんだよね・・・転送しよっと!ええっ?」

2台目が、近くの玄関に。

「ちょっとちょっと!なぜ!」
彼女が走ると、ハッチがもう開いている。

がっしりした隊員がベッドを引きずりだす。藤堂隊長だ。

「はい!はよ診てくれよ!ふとっちょお嬢さん!」
「ふとっちょ・・・!」

ベッドはガラガラ、と脇をかすめて狭い処置室へと運ばれた。

「ここは救急病院でもないし!早くよそへ送るのよ!」
「はぁ?聞こえんなぁ?」
「あたしは医者です!」
「うるせぇ!酸素や点滴ぐらい、あろうが!」
「ひっ!」

言葉の暴力に、彼女はのけぞった。

「お前!医者だろうが!わしは藤堂!逃げも隠れもせんわ!」
またもや星一徹ライクなじじいだった。ここにも現れた。

 すかさず、3台目が到着。御手洗は力なく2人目に駆け寄る。携帯の手は耳に固定。
「もしもし大学病院?医局のそう!内線つないで!早く回してよ!」

そうこうするうちにも、患者の容体が変化している。

「んも~!」
呼吸困難の高齢患者。起座位。背中を丸めている。それだけ息苦しい。

「点滴したら、よけひどくなって。はぁ!」
「はいはいはい!わかったらから!しかしなんでここに!」
「はよ、ようしてくださいや!」
「はいはい!」

壊れかけの超音波プローブ。バイブみたいに振動。

「こんなのしかないんか!」

 胸水確認。重度の心不全。するべき処置が10ほど浮かんだが、1人で全部やるとなると気が遠くなるものだ。

「尿道バルーン!おしっこの管!」
「管?」ナースは茫然としている。
「何ができんのよ!あんた!あーバカいや!バカバカバカ!」

ミタライはグルングルンと回った。

4台目。意識障害。呼吸が過大。

「あたしに恨みでもあんの!」
「かもな!」隊長が呟いた。
「なにっ?」
するとベッドが御手洗の腹を直撃した。

「いたぁ!」しばらく、うずくまっている。
だが、誰も彼女に時間など与えない。

次々と聞こえるサイレン。処置が後手後手に回っていく。

折り返しの電話がった。
「もひもし医局長?野中先生ぇえええ!」
涙と鼻水が口に入った。

 受話器の彼方、ノナキーは小さく飛び上がった。学生・研修医を多数従え外来患者を診療中。自らパソコンで操作中。

「こんな時間にかけるな!用なら早く済ましてくれ。こっちはまだ、さばききれん」
<助けてくだかい!助けはさい!>

ろれつが回ってない。

「ミタライ!医者なら自分を助けるより、患者を助けないか!カンファレンスはもう終わってしまったんだぞ!」
<よこしてください!誰かよこして!>
「よこせって、お前・・・!」

しばらく、ガタガタ音だけ。

ノナキーは困惑し、切った。
「あの女。何を・・・島。彼女、ヒステリックだったよな?」

助手の島が向かいでパソコンを打ち続けた。

「女医はみんな、そうっしょ・・いや、そうでしょ」
「再教育せんといかんなこれは!一大事だ!今度、女医だけ集めよう!」影の教授は小さく怒った。
「院生の奴ら、バイトしすぎっすよ?これから制限しましょうよ。よし、学生。これ教授に回せ!」

さらに下っ端が書類を受け取った。

 島は院を卒業し、万年助手街道の途中にある。ミタライの上司。ノナキーの太鼓持ちになるのは、年功序列的な宿命だった。


13

2009年6月10日 連載

 ユウは、正面玄関を出た。外来患者はすでに殺到、駐車場は満杯。その左奥、妙な銅像のようなものが立っている。囲いがされていて詳細は分からないが、工事中のようだ。ざっと10メートルはあると見た。

「なんだぁ、ありゃあ・・・どこかの教団か?」

 近くで、一生懸命ビラを配る青年。

「お願いします!お願いします!」
「おい・・・」無理矢理、ビラを押し付けられる。

<アナトミア・・・パーク>?

「ユウキ先生・・・ですよね?」学生らしき青年は上目遣いで見た。
「なんで知ってる?」
「近畿の医学雑誌で。先月号で僻地病院への派遣の募集記事がありました。僕も将来希望します!」
「お前何年生?」
「さ、3年です!学祭実行委員の者で・・・」

 行きかう患者・家族に、双方とも左右に飛ばされる。
2人とも、おのずと<銅像>へと歩く。

「あの塔はなんだ?」
「あ、あれですか・・・はい。正体はまだ明かせなくて」
「人間の形か?うっすらと、そう分かるが」
「さすが!さすが先生!」
「だって、<解剖パーク>だろ?どうせ人間の断面図みたいなの作るんだろ?」
「ええっ?ひ、秘密のはずなのにどうして?」
「だって。学生ってその程度だろ?」
「へへ・・・」

<像>の手前、両足が寝そべった状態でこちらに突き出している。
上半分は解放されており、建設中のためかトンネルの下半分と化している。
内側に書きかけの絵。

 ユウは正面からのぞいた。

「この中を、車でも走るのか?」
「ちゃんとした専用の乗り物がはい。つきます。右足が静脈用で、左足が動脈用」
「すると右足の通路が静脈系で、動脈系が・・・」
「大動脈へいきます。ハイ。どっちから行く方がいいですかね?」
「いいかげんな解剖だなあ・・・」

足の先を見ると、線路が続いている。

「果てしない線路だな・・・」
「大学を一周すべく、施工中です。これで大学病院も見学できます」
「お前らヒマなんだなあ・・・」
「僕ら、将来は暗いじゃないっすか。だから学生のうちに輝きたくて」
「なんで暗いと分かるんだよ?ん?女はいないのか?」

 学生は、貯金箱を差し出した。

「・・・・・」
「なに?」
「先生。その袋」
「これ・・これか?」

ポケットからさきほどの寸志がはみだしている。

「こ、これは・・労働の証だよ!」
「若干だけでも、恵んでくだされば」
「募金といってもだな!小銭じゃないんだよ!」
「最近、開業医からのカンパが少ないんです!」
「帰るわ!あ、呼ばれた!」

と、ふった途端わずかにチャラ、という音。

「あ!今聞こえた!」
「ち・・・」

 封筒を逆さまにすると、5百円玉が2つ。
封筒を覗くと、千円札が2つ。

「なんだよ。これだけか・・・やっぱ暗いわ。お前の将来」
「5百円!5百円!」

学生は感謝のおじぎをしつつ、2枚とも貯金箱へ。

「金ならなあ!院生からもらえばいいんだよ!奴ら、もうかってんだからさ!」
「OBで誰かいらっしゃいませんか?」
「松田先生のところなら・・・」
「松田クリニック!」
「もらいに行ってもいいが、俺が言ったというなよ。あ。ちょっと待て。あそこ、そういや・・・活気がないな。最近」

携帯がブー、と鳴る。

「もしもし?あー。今度は本物だ。はいはい・・・じゃな!」
「では先生!学祭、来てくださいよ!」

ユウは学生に背を向けた。

「大学祭か・・・!」

 大学祭は秋に控えており、夏からだとまだまだだ。だが準備は着々と進められていた。



12

2009年6月10日 連載

 ミタライが呼ばれた頃の、大学病院。

 無数の乗用車が周囲をかすめていく。駐車場は飽和状態で身動きとれず。天下り的な老人たちが、融通利かぬ交通整理。まるで公務員の老後の安全を象徴するような人々だ。その間をぬって空いた迷路を、患者たちが歩いてくる。

 医局から見下ろすノナキー医局長。半袖白衣の上に長袖白衣。名札に<野中講師>とある。

「今の若い医者ときたらな。どいつもこいつも、よその病院がいいって・・・だから俺は言ったんだ。<病院なんか、どこでもいっしょだろ?できる奴はでき続ける。できない奴は、どこでもボロが出る。お前はどっちなんだ?>ってね」

「あっそ・・・俺はそんなこと、よう言わんわ」ユウは出されたコーヒーを空だが傾けた。
「臨時当直おつかれさん。またお願いする。これは医局長の俺様から」
「おっ。そりゃもらわんとな!」

わずかな寸志を頂く。反射的にポケットにしまう。

「うちの病院も給与が減ってなぁ・・・事務長の奴」
「お前もとうとう、金のことを気にするようになったか?」<医局長>は目を丸くした。

「そりゃ、いい気はせんだろ。ま、事務長でなくうちのオーナーが、そう決めたらしい」
「品川さんがまた勝手に決めたんじゃないのか?」
「いやいや、あいつはただの事務長。新しいオーナーが決めたんだってさ。そういう時代らしい。今は現場を知らない人間が、現場の末端の人生を勝手に決めれるらしい」

ユウは時計を一瞥し、立ち上がった。

「ま、がんばろか。人手が少ないのはお互い様だしな!」

ノナキーは近畿の医学雑誌を開いた。1年以上前の記事。
<白熱する真田病院。救急ラッシュを乗り切る>

「真珠会という病院も、よくやるもんだな。ここには書いてないが。救急を予告なく送ってきたりするとは」

「ああー。もう大変だった。紹介状がないまま夜中に何人も送ってくるんだ。いったいどんな既往があって、どんな治療をしてきたのか、これがまたさっぱりわからんのだ!」

 近くで、まるで気のあるような見上げた目で見つめる学生たち。

 ノナキーは出世街道を進むにつれ、いろいろ関心を示してきた。不思議だと思うことは徹底的に調査する。

「ユウ。奴らの目的は何なんだ?」
「奈良の僻地病院でも経験したが。医師を疲弊させて病院をそのまま乗っ取る魂胆だ。あーメモすんな!学生!」
「ま、うちは。大学病院は関係ないか・・・」

 ノナキーは、カンファレンスの始業を気にした。1人1人と、せわしく医局員が出入りする。挨拶をものともせず、彼はボールペンを鼻の下に。いや、今ではろくに挨拶できない医者が増えている。

「医局長ってユウ、お前言うけどな。雑用係だよ、医局長というのは。まんまとはめられた。尻拭いにしかすぎん。それに・・・何のキャリアにもならん。お前のように好き勝手に歩めばよかったかもな」

 もちろん、本心ではない。

 医局員ら1人1人が、よそ者のユウを見る。

 ユウは気にして、荷物を背負った。

「出世は拷問だな。マゾしかできん。おれサド先生だから。じゃ帰るわ」

ノナキーは廊下に顔を出し、そのままカンファの途中参加。

「さ。できたか!・・・・1人、足りないな。進行役・・・おいミタライは!」
助手の1人が、外を指さす。
「なに?またバイトか?院生ごときがまったく・・・もういい始めるぞ!」

 いつもの進行係を別人に指定、カンファが始まった。


11

2009年6月10日 連載

 早速、1番目の救急車がゆっくりやってきた。窓から見下ろす。

「なによ!フフン!ま、やったるわよ!1件くらいならね!ポジティブポジティブ!」

チン、と後ろ向きでエレベーターへ入る。

「ダッシュダッシュ!ババンババン!へへっ!」

 かつて、ユウとはそのコベンとして半年ほどタッグを組んだことがある。だがもう5年ほど前の話だ。

 その頃、もぬけのカラと化した僻地病院では・・・

 3階医局の4つの椅子の1つに座り、藤堂の娘が暇を持て余していた。彼女は椅子をキーキー、と左右に振り回し・・・

 ダーツを投げている。マジックで自分の作った的。よくは見えないが、白衣を着た医師の写真のように思える。

「・・・ビンゴ!」

 また狙いを定める。
「あーっ。クソ!どうなったんじゃーっ!」
 オヤジの携帯を何度も鳴らすが、不在。彼女はどうしても次の<現場>に行きたかったらしい。

 狙いをまた定め、2本同時に放つ。いずれも写真には当たるが、そのまま落下。

 改めて見まわすと、それぞれの机に書類が散乱している。彼女にはナースの資格があり、医学的なものはなんとか分かる。だが<使える>データはみな足津の部下たちが持って行った。

 近畿の医学雑誌が丸ごと本棚にあり、バックナンバーを指でたどる。

「・・・・・」任意の1冊。薄い。また戻し、数冊飛ばす。読む。

「・・・・・!」何かに気づいたようだ。熱心に読み始めた。

< 真田病院 分院を奈良に開院 医官らによる謀反発覚 >

< 小児科を追加開設 住民流れ込み >

< 医官ら 真田分院へ乱入 停電 乱闘 >

< 住民投票により、真田分院 生き残り決定 新興勢力 夢の跡 >

 次々と雑誌を読みふけるうち、記事の内容が変化を帯びる。

< 真田分院 職員応募殺到 人件費による経営圧迫 >

< 真田分院 経営管理を自治体へ譲渡 >

< 真田分院 経営軌道に >

 そして現在へと至る・・・。もちろんそのあとの記事に< 院長 ファンドと悪魔の契約 >となるのであるが・・・。

「・・・・・・・」

 また、カン!と打ちつける音。彼女には関心のない過去だった。





 


10

2009年6月10日 連載

とある小型の民間病院。

 さっきの誰かのように、天井を見上げている医者が1人。だが、彼女の心中は全く違うものだった。

 ますます肥えたミタライ女医は、真っ白な天井をしばらく見つめていた。薄暗かったのも、徐々に晴れてきている。夜と昼の長さが逆転しつつあった。

 「あ~。ヒマだヒマ・・・ひまとうちょくだよ~」
女医は、メタボな腹をぽんぽん叩いた。

 「な~んも、することねぇしょ~」

 だがむしろ、そういう病院の寝当直を選んだのは彼女の方だった。ある程度経験がいくと、いろんな融通がきく。大学病院の院生どうしでアルバイトの連携をうまくやれば、バイト代だけで月100万も可能、というのが彼らの間での話だった。

 院生の1年目で理想的なデータを出し、あるいは<もらって>2年目で論文を完成させれば悠々自適。一刻も早く大学を出るための技術習得にあてればいい。臨床や実験で主人公をはれない分、それなりの特権はもらう・・・そんな考えだった。

 しかし実績はあるほどいい。そのためにはいろんな実験を並行させ、教授へのサプライズも用意できる。何より出世のプラスになる。

 今のように暇なアルバイトがあれば、それを実験データの解析にあてられるし、金もできる。

「もしもし?」うるさい電話を取る。

<救急要請がありまして>

まだ早朝、いやもう早朝だった。

「はぁ。あたしもう帰りますから。大学でカンファレンスがあるんだし。常勤に聞いてください。てか断って!」

 反射的に、鞄をフルにしていく。持ってきて結局読まなかった本たち・・・。実験データ、論文の寄せ集め。

<はぁ。こちらは断ったのですが。うちは救急指定でもありませんし。なんでも・・・>
 事務員はあくまで事務的。よその病院だし、顔も見たことない。

「なによ?」
<ミタライ先生が、受けると要請してきたとあちらさんが>
「なにそれ?あたしが?うそよ?あちらさん?」

ほどなく、サイレンが天空をシンクロしてきた。いくつもの音が重なるように。

「そんなの。そんなの言ってないよ」

落ち着かず、テレビを消す。
「ひ、引き継ぎのドクターはもう来た?はっ?」
カーテンの下、職員駐車場はミタライの軽自動車のみ。

 日光側のカーテンを開ける。朝のまぶしさ。ここの常勤はもうやってくるはずだが・・・。

<それが。携帯もつながりませんなぁ~>

「かけてよ何回でも!クソはやく来いよ~!んも~!」

 彼女の焦りは本物だった。救急を受けた経験自体、あまりない。ここ数年、実験にすべてを託してきた。夜間の救急などもうまく<かわして>きた。

9

2009年6月9日 連載
 周囲が慌ただしいのをよそに、女は両手を拡げ深呼吸した。

「おいおい!早速手を出すなと言ったろうが!」藤堂のおやじが後ろに。
「オヤジ・・・・・私はここに何泊?」
「そっ、それは・・・足津さんがいいというまでだ!」
「・・・・・」

 不服そうに、彼女は煙草に火をつけた。献血のポスターの花形スターのほっぺに、ジリジリと押しつける。
「あー。戦いてー・・・強い奴いねーかなー・・・強い奴」

廊下では、ベッドが運ばれている。
「それ重症?ならこっち!はいはい!」

マーブルが、ベッドを搬出する指示。こちらも手慣れている。
「接続を離すな!せつぞくを!」

また別の声。

「重症からだよ!重症から!呼吸器、それいけるかー!」

 外には、呼びだした新規の救急車が揃ってきた。もちろんここの地元とその周辺から呼び出されたものだ。各、救急車は詳しい事情は知らない。彼らは・・<転院>という名目で呼ばれた。ある意味、それは間違ってはいなかった。

 職員らは1人ずつ、統制のない状態でバラバラに去っていく。みな持ち物があるのか、患者への憐れみか・・・何度も何度も振り返る。

 外車はゆっくりと走り始めた。何かに引火したボンベが爆発、病院横の小屋がズドーン!と数メートル原形のまま持ち上がった。

 僻地の病院が、わずか1日で崩壊した瞬間だった。

 足津は指示を出す。
「藤堂隊長」
<はい!>
「娘さんを残し、あなたの決めた標的に向かってください」
<はっ!>

藤堂隊長は電話を切った。
「では、わしは行くからな!」
「オヤジ。あたしも!」
「お前はここを死守しろ!誰が戻ってくるか分からん!」
「しかし!」

親父は彼女の短い髪を引っ張り、威厳を見せた。

「私情を挟むなというのが、あの方のポリシーだ!」
「くぅ・・・」

 真吾は爆風に髪を焼きつけながらも、ずっとずっと床に額を押し付けていた。
「すみません、すみません。だから・・・」

 もう、彼をかまうものは誰もいない。


 真田病院は、まだこの事実を知らなかった・・・・。




8

2009年6月9日 連載
 
 パワーウインドウが閉まると同時、黒い車やブラック救急車から若手が続々と飛び出してきた。誰もが無口で、私利私欲を引っこ抜かれたような表情。

 彼らはためらいもなく、正面玄関へと入っていく。

「うわあ!何をするんですか!こらっ!」
 事務員らの机の引出しが、次々と開けられていく。整理していた台が、次々になぎ倒される。邪魔した事務員は、いとも簡単に足蹴りを喰らう。

 車から最後に出てきた、ショートカットのスリムな女性がゆっくり建物を見上げる。宝塚系の、彫りの深い顔だ。夏でも、黒いレザーを着ている。
「・・・・・・」

藤堂は振り向いた。
「娘よ。お前は、最後の後始末をここでやれ」
「・・・・・・」
「邪魔する奴らは、たたっ切れ!だが。前の職場のときみたいに、本当に殺すなよ。もう後がないんだからな!足津さんに感謝しろ!」
「・・・・・・」

娘は小刻みだが、頷いた。

一方、若造らは詰所へも乱入した。
「詰所、確保しました!」

割と、丁寧な言葉遣い。それだけ手慣れていた。

「現在あー、満床状態!呼吸器が12名!新規の、救急車要請許可を!」
<許可します>

足津の声。間違いなく、彼が全ての司令塔だ。

別の部署から。後ろで震えて泣きだす白衣女性。
「薬局を把握!軽トラックのタイプCを3台!要請願いまーす!」

 ある若造は、詰所の冷蔵庫の中をすべてかきだす。その際にテーブルからケーキが落ち、悪気もなく踏みつける。

「冷蔵庫1台。テーブル1台!いずれもチャイナ製!」
「キャァ!なにすん・・・」足首にしがみついたナースを、ものともせず。

「20インチテレビ!パソコンマックG4!ABCDEFGのジー!以上!」
「キイイイ!」ナースが靴下の上から噛んでいる。さすがに血がにじむ。
「ハードディスク情報、複製しまーす。読み込み・・完了!」

ディスクが床で、イスの下敷きとなり割られていく。
 
同時に、ナースの頭が蹴られキャップが床にバウンドする。

 その瞬間あるナースが棒を持って暴れたが、白目を呈し気を失った。その際バン、という音がしたような。

 若造は<どうも>とピースの感謝合図。合図を受け取った人間は、さきほどのショートカット。

 ナースは貧血で倒れたのか。いや・・・ちがう。


7

2009年6月9日 連載

「お願いします。お願いします・・・!」

雨が降ってきた・・わけではないが、院長の顔の真下はずぶ濡れていた。
「頑張ります。頑張りますので・・・!どうか職員を・・患者さんを!」

 彼も、実は院長として軌道を逸した時期があった。周囲のスタッフらからは不思議がられた。検査が増え、訪問が増え、病院がたちまち多忙になりかけた。救急も必要以上に受け入れ、極力常勤でやろうとはしたが・・・

 長くは続かなかった。数週間もたてば、異様な燃え尽き感に包まれ自分を許してしまうものである。だがその達成感は売上に換算するととても身になるものではなかった。

 人件費、あれを抑制すれば・・・あるいはリストラを。しかし、そうもいかなかった。自治体がこの病院を投げ出しそうになったとき、彼は仕方なかった。この病院が潰れたら、困るのは患者だけじゃない。

 いや、最初は患者のために尽くせばいいと思っていた。ところがここのスタッフの皆はそれぞれ独自の生活がかかっており・・・突然終わらせるのは家族の崩壊や、いくつもの悲劇につながるものだった。

 まるでリストラされて家族に何も言えない父親のように、彼はつくろうしかなかった。でも手段が、経費が、金がいる。あまりにも現実そのものである、<カネ>だった。それを口にしなかった時代が愛おしい。

 そこで、彼はネットを通じてある存在を知った。

<ファンド>の存在だ。沖縄へ流出したハカセらがそこに頼った。

 ファンドを通じて病院を経営すれば、みなの生活も保証され続ける。ただ、突破しなければいけない難関があった。だがそれは遠くの目標に思えた。明確な計画もあった。だが先ほどの理由で達成には程遠かった。

 マーブルは、値踏みする。
「おーっ。これが、真田の連中やイノシシが滑走した緊急通路か~。へ~!」

 巨大な滑り台のシートを、はぐる。
「おれも、滑っていいか?」
「我々のものです。触るのは厳禁です」と足津。
「はいっ!」

 藤堂は、朱肉を差し出す。
「さ。も、観念せいや。院長先生・・・もう見てられへんで」
「・・・・・」
「家族を食わすのは、大変やわな。俺も、よう知ってる。俺だってな。娘を1人で育ててきたんや。生きるためなら何でもやる。だが職場では誰かの指示に従うだけや。マンマのためや仕方ない。でも誰かに必要とされてるから、何でもやるんや人間は」

 真吾は震える指を、朱肉に押し付けた。
「うぅ・・・うぅ・・・・やっぱ。やっぱしないといけませんかうぅ・・・」
「せやな。男としてやらないかん!ケジメは!」

 父親が諭すように、藤堂は指をグリグリと押しつけさせる。やがて、書面を改めて見直す。

「譲渡、完了しましたァー!」

 藤堂の顔が凶悪に豹変した。

6

2009年6月9日 連載

 ゴリラがしゃべった。

「おれは、マキハラ医師。覚えてるか。あのな言っとくが。もう<マーブル>って呼ぶなよ!」
「覚えてます。で・・・何しに来たんです?」
「おいおい。その態度はないだろ?知ってるくせに~」

マーブルのことは前から知っている。その後ろの救急隊長も。

「藤堂・・・」
「呼びつけにすな!」星一徹ライクなじじいだった。これまで真田病院へ救急患者を理不尽に送ってきた。彼もよく覚えてる。

 しかし今回は黒い救急車が1台。患者は乗ってそうもない。外車も若造ばかりのようだ。

「早く用件を・・・」
と言おうとしたとたん、黒い外車のパワーウインドウが5センチほど開いた。

「では、てっとり早く済ませましょう」
「・・・・・」

いちおう、声だけは聞こえる。
「確認します。返済期限は、貴殿の誕生日の1日前。つまり昨日です」

マーブルが、持っていた<賞状>を開き、真吾に手渡し指でなぞる。

「おらおら!そう書いてるよな!」
「公衆の面前で何を!」
真吾が奪い取る。
「病院に、いったん入ってください!」

<足津理事長>はマイペースにしゃべる。

「職員の給与など、一切の人件費は売上を担保としたその3割からを捻出。7割は<我々>の取り分」
「・・・・・」
「契約書にもあるように、ここ半年の売上げから頂くその額が一定額を超えてない場合・・・つまりその期限が昨日なわけですが」
「・・・・・」
「人件費を引くと、規定の4割にも満たしておりません」

マーブルは唾を吐いた。

「人件費、削ったら良かったんちゃいまんの?いん・ちょう!がっはは!」
「フフ・・・」
隊長は見下している。

「ノルマを超えられていないため、貸出し金額の全額返還を求めます」
「それは無理です」
「病院の名義は、この自治体ではない。あなたです」
「だから。無理です」
「あなた自身が、契約を買って出られています。契約は守って頂きます」
「・・・・・」

 真吾がゆっくり崩れる間、他の医師らもかけつけた。目は完全に覚めてはいる。しかし院長ほどの緊張感はない。
「(医師ら)どうしたんですか!」

「待って・・・待って!うぁあ待って」
 彼はキョロキョロ見回した。みな全てが自分を見ていて、目を逸らさない。

 乾いた雑巾から水を絞るがごとく、真吾はただただ祈りのようなものに徹した。
パワーウインドウの向こうは、ただただ闇だった。

 雷鳴がだんだん近くなってくる。足津の手下数十人は天を見上げ、見まわした。詰所だけでなく病院じゅうの窓が開放され、至る所から顔が出ている。

「担保となっておりました真吾院長の口座を見ても、返還は不可能と判断」

女医が手を口にあてた。パニックで顔の上下半身が不均衡となる。
「い・・・院長。経営権は自治体じゃないんですかぁ?どうして先生が背負うの?」
「どうなっとんじゃいこれは?院長!おお?」横綱も青ざめた。

院長は蚊のような声だった。
「自治体は、宿舎の経営以外とっくに引き揚げてたんだよ・・・」
だが声が小さすぎ、誰にも届いてない。

アパムは、彼らの後ろでもう泣きかけている。
「ひっ・・・ひっ」

謎の男は続ける。
「自治体が捨てた経営権を、真吾院長が受け継いで半年」
シャー、とウインドウが全開。

ガタイのいい、黒ぶち眼鏡の男が冷やかに見ていた。
「あなたたち。そんなことも知らないんですか?」

「(一同)・・・・・・・・」

みな、ショックを隠しきれない。

5

2009年6月9日 連載

「えっ?今・・・」

真吾は一瞬射した赤い光に、素早く気づいた。

ナースらは平然と、真吾の肩を両側からどついた。
「はーやーく!」
真吾は、フ・・・とまた口をすぼめたが。

「いや。やっぱり・・・!」

 彼はさっきのナースが眺めた窓を開け、身を乗り出した。

 見下ろしたそこには・・・

「あれは・・・あれはなんだ?」

黒い救急車が1台。あとは黒い外車3台。
「さっきの赤い照明は、あの救急車のだったのか・・・!」

 確か、黒い救急車は・・・そうだ。<真珠会グループ>の病院の所有する・・・!でもしばらくあそことは何もなかった。今は円満だと噂されてた。仮に攻撃があるなら、大阪の真田病院のはずだ。もしかしてあそこも・・・。

 いや、あそこはうちとはもう・・・。

 真吾は無我夢中になり、階段を駆け降りた。さっきのヘルパー2人が立ち話しているが。
「院長!それから!」
「ちょっとどいて!」

 階段を一気に駆け下り。事務らは、うらめしそうに振り返る。みな、怖がって正面玄関からは出られない様子。まるで虐待された子供たちのようだ。

 大人の世界・・これが今を象徴する、大人の世界の雰囲気か。

 ビニールシートを大量に敷いてある滑り台の前で、彼は何かを感じた。
「とうとう。この日がきたか・・・!」

 動転しっぱなしでは今後が持たない。彼は毅然とした態度で自分を操縦することにした。ユウの言葉をまた思い出す。

≪パニックになったら、お前という体を動かす操縦桿になれ!≫

 やっとの思いで、正面玄関を出た。かつての友の名言で落ち着けた。

≪人類にとっては小さな一歩でもそれがどうした。俺には大きな一歩なんだ!≫
 そう思うと、また楽になった。

 そこには・・・賞状のような紙を丸めて持っている、ゴリラのような白衣医師が立っている。

4

2009年6月9日 連載
 
3階から2階へ。

 詰所では笑い声がしていたが、やがてそれもおさまる。

「院長!」「院長!」カーテンの向こうから、中年とおぼしきナースらがキャップをおさえて出てくる。

「いいよ。出てこなくて」
「院長先生!誕生日祝い、これからするんですよ!」
「い、いいってのに・・・」

 特別の日だが、彼は逆に曇った。

 カーテンの向こうにケーキがあるんだろう。匂いで分かる。真吾はカルテを数冊取り出し、出した指示を再確認する。

「院長先生!ローソクつきました!」
「やれやれ・・・」

 真吾はカルテを置き、カーテンをくぐった。だがその前、若いヘルパーが2人。彼らだけ雰囲気が違う。

「院長先生・・・」
「あ、あの件だね」
「はっきりと返事ください。どうしても今。今」
「うーん・・・」

 カーテンの向こうが静かだ。やけに。ナースらとヘルパーの距離は知っていた。これは田舎も都会も同じだな・・・

「自治体には、きちんと申し立てたんだが・・・君らの待遇のことは」
「またダメなんですか。先生ちゃんとするって言ったじゃないですか!」

小声だが、鋭く刺す。

「わわ!わかった!で、でも。村長はいい人なんだ。きっといいように」
「いい人?そりゃ口約束は誰だって・・」
「この病院の繁栄のため、いろいろ努力してくれている。約束したんだ。そのためには、どうしても我慢しなきゃならないことだって。い、今の小泉首相みたいにさ。痛みを伴う改革っていう・・・」

 彼らが全く動じてなく、続きをやめた。
ヘルパーのうち1人は爆発的に泣き出す寸前だ。

 真吾は何としてでも、給与面でのもめごとは先送りしたかった。というより、実績を上げれば皆を説得できるという自信があった。というかその時を待っているのだった。医局では<律速段階>と呼んでいた。

真吾はポケットを探り、クシャクシャの紙幣の塊を出した。

「とりあえず。これで」
「えっ?また。いや・・・じゃあ預かっときますけど。い、今はこれでも・・・」
「分かってる。交渉はする。するよ。絶対!するから!だからちょっと」

 逃げるように、いや彼はカーテンの向こうへ逃げた。
とたん、静寂からお祭り騒ぎに変わった。

「(ナースら一同)ヒューヒュー!」
「お~っ!」

真吾は平均40代にまみれたハーレム王と化した。

「医局のあいつらも、呼ぼうかな・・・」
「(ナースら)いいのいいの!」

 実は、このイベント自体・・・どことなく不安を感じたナース側からの要望だったという話もある。真吾から、何か話が聞けるんじゃないかと。いい話にしろ、悪い話にしろ・・・田舎でもレアな情報は価値を持つ。

 ゴロゴロ・・・と、外で雷の音。昼間のはずが、やけに暗くなる。
「やだ・・・洗濯物!」
 ナースの1人が、そう遠くは離れてない宿舎に目をやる。

彼らのために建てられた新築の宿舎。家賃は自治体が負担。

・・・そのナースらは、外のヘルパーは気にしなかった。それだけで彼らの格差がみてとれる。

「(一同)ハッピバースデー!シンゴー!」

その名の通り、青いハッピが真吾の頭から被せられた。
「うおーっと!じゃあ!フーッといくか!」

あるナースがそれまでサンサンとついていた電気をリモコンで消した。

「・・・・?」

一瞬、赤い照明が動いて、部屋に入ってきたような気がした。

3

2009年6月9日 連載

舞台は、奈良の僻地病院へ戻る。

昼間。戦争など縁のない村。

 ただ、村民たちは平和だけでなく、年齢まで共有しているようだ。

 平均年齢60-70台。次の世代に乏しい。田舎がいくら村おこししようと、職が安定しないと意味がない。だが若者らの田舎離れには、もっと深く根ざしたものがあった。親の背中を見ながら育った彼らには、<トシ取りながら、ここで終わりたくない>という願望が強かった。

 長寿社会が、彼らをより不安にかきたてた。医学は長寿の方向に偏り、QOLの意味さえはきちがえてしまっている。

 ところでここ1年頑張った村の経済効果としては、コンビニ・スーパーがいくつか並んだことくらいだ。


夏。


 医局では、いつものような平和な日々が続いていた。テーブルで向かい合わせる、4つの深いイス。4人とも昼寝状態だが、ただ院長だけが天井を眺めている。

 真吾院長は、この1年でやや太った自分の腹と、天井を交互に見つめていた。数々の息吹きが聞こえる。

「(・・・・・・・この病院も、やっと軌道に乗り出した。村民の夜間受診が減少したのも、誠にありがたい・・・な!)」

 と、ゴルゴ13風に回想してみる。

 この病院に来てよかった・・・それはすべての医師が望むことだ。

 外を見ると、夏祭りの様相だ。遠くの山に提灯が多数見える。当直はある意味楽しみだった。ここから夜景を楽しめる。

 しかし、彼はどこか釈然としない表情だった。さっきから鳴ってる机の携帯のバイブにも、一切気づかない、というか気づこうとはしない。避けているとしか思えない。

「・・・・・・・・さて、と!病棟でも見に行くか!」

 聴診器を首に改めてかけなおし、立ち上がる。
「横綱・・・おい横綱!」

 グーグー眠る太っちょは、ムニャムニャ口を動かした。ハエが頬に止まっても動じない。

「弘田さん!・・・アパムさん!」

 額の狭い小心者も、目覚めない。別に彼らは忙しかったわけじゃない。昨日は夜中まで飲み会があった。こじんまりと、それでも楽しかった。それぞれの夢を語った。

 1つの夢が走りだし、それに酔うことさえできた。そこには無限の可能性が溢れ出ていた。それがまた仕事の頑張りにつながる。

 寝ているあと1人は若い女医であり、気を遣ってそのままとした。近畿の医学雑誌を読んで募集で来てくれた、貴重な存在だ。この打算の時代に。

「ありがとうな・・・みんな。夢からは、覚ますまい」

 まるで別れを告げるように、彼は医局をあとにした。

 バイブの携帯が、とうとう我慢できずに落ちた。彼は気づかなかったが、打ちどころ悪く不吉に分解した。

 パシーン、パシーン、とスリッパ音がエコーする。古い病院の匂いだが、これもいい。村長は近く、建て替えの希望も聞いてくれてる。実現できると院長は信じてる。

 ただ彼は、ユウの言葉を今になってかみしめていた。

≪いい時は、いいに決まってるだろ・・・俺たちのおかげだと思うな≫

 問題は、いかにその時<そうでないときのための備え>をするかにあった。

 しかし、この院長の場合は・・・。


2

2009年6月9日 連載
夜の関西国際空港。悪天候。

 スマートな小型ジェットが着陸した。この悪天候にもかかわらず、機体は予定時刻のずれを1分も許さなかった。

 大雨の外界とは関係なく、黒ぶち眼鏡の中年男性は、黒いスーツで背を伸ばし、歩く。迎えに来た黒い外車に乗り込む前、彼の眼鏡に黒い夜景が反射した。すべてが、黒。黒、黒。

 彼の頭にあるのは、ただ・・・ボスから与えられたノルマとその期限のみ。彼のこれからの出世如何もそれにかかっている。彼は一応、日本人ではある。

「新理事長、そろそろ・・・」会長と呼ばれる人間が、乗るよう促す。
「書類を見せてください」

 渡された書類を1枚ずつ読む。車は知らない間に走り出していた。
「・・・・・・・・」

<第一目標 病院の買取り目標、その数・・・・・>
<第二目標 標的病院の、スタッフに関する詳細情報・・・>
<第三目標 今回のプロジェクトに関する、雇われ兵のプロフィール・・・>

「勝てるのは分かってます。その後の処理が私の関心事です」
「なるほど・・・すでに遠くを見ておられる。いやはや、頼もしい」

 どんどんめくる書類。必要なところだけ赤でチェック。要注意人物リストに移る。

「今からをもちまして、すべて私の指示に従っていただきます」
「ははっ!」

 大阪の病院のリスト、設計図、個人情報・・・。

「誰か1人でも私情に従って計画が崩れた場合はアメリカの上司に報告し、私は利益だけ受け取り撤退しますので」

「し、私情など。とんでもない!スタッフはみな従順なイエスマンばかりでして」

 彼はムッとなり、ペンにキャップし睨んだ。

「そこは日本人ですから。分かりません」

 外車は高速に入り加速し始めた。時計を確認、メモを確認と落ち着きがない。だが1つ1つの動作は目的があり効率的だった。

「市場を揺るがす問題は何であろうと、門番である私が排除します」
「まずは、どちらを・・・」
「天候の回復を待ち、出撃に備えましょう」
「用意するものは・・」
「力仕事向けの若者20名に医師1人、救急隊長1人。車はこの外車3台と救急車を1台」
「それだけで?」
「あと特殊技能傭兵を2名」
「1名は行かせますが。あと1名は交渉中でして」
「今回は1名でいいです。あとは、任せてください」

ブロロ・・・と車は闇に消えていった。




1

2009年6月9日 連載
 
 無限に広がる、雑木林。

 僻地の中型病院。前方の駐車場に、住民が多数見送りに出ている。真田病院スタッフは関連病院を1つ造り上げ、再び本院に戻るべく出発の準備をしていた。

 6両トレーラーのコンテナに、間横のハッチから患者を1人ずつ搬入していく作業。
「オーライ、オーライ!」
 事務員や役所の人間らが指示。

 ユウら医師らは、汚れきった白衣のまま地べたで寝ている。そこへ、歩いてくる女医。これもまた疲れ切っている。彼女に、若さはもうない。

「先生・・・先生」
「あ?ああ。ジェニーか・・・」
「先生。どうしよう。あたしたち、どうしよう」
「どうしよう、って・・そんなの」

 ジェニーという女医の向こう、返事を待つかのように数十人の医師らが群れをなしている。彼らは覇権争いに敗北し、行き場を失った。

「そんなの。自分らが決めろよ。お前らの手にもしこの病院が渡ってたら・・・そっちのほうが<どうしよう>だよ」
「・・・・・・(小声)あたしだけでも、だめかな」
「くどい!」

 思わぬ暴言に内心傷つきながらも、今は怒りの方が強かった。

ジェニーは表情が鬼のようになり、唾を飛ばすがごとく狂いまくった。
「バカヤローバカヤロー!こんな病院!潰れちまえどうせ続けへんわ!泣きごとぬかしても知らへんでー!」

「(本性が出たか・・・)」

 だが彼女は信号が処理しきれず、爆発的に泣き崩れた。

 ユウは起き上がり、ボーッと突っ立ってる真吾医師に歩み寄った。片足をひきずり、親友へとやっと辿り着く。

「真吾。おい真吾」
「・・・・・・」
「行くぞ!重症患者は、大阪に到着後に振り分けよう」
「・・・・・・」
「今日の晩は、すべて当直医に任せよう」

皆の乗り込んだトレーラーの車輪が、ゆっくり回り始めた。

「(住民ら)ありがとーぅ!」
みな、一斉に旗を振る。50人ほどの医療スタッフと、百名余りの住民ら。

ユウらは最後尾車両の後窓から手を振った。

「ちょっと、最後が嫌だったな・・・」
ユウは足元を見た。シナジーが横に立つ。

「彼ら、沖縄で頑張るそうですよ」
「なんだよ。もう決まってたのか?」
「あっせんの業者からコンタクトがあったようで」
「情報が早いな・・・」
「病院をそのまま貸す契約だとか」
「太っ腹な業者もいるもんだな・・・」

すると、三角座りしていた真吾が立ち上がった。

「おれ・・・おれやっぱ!」
「あ?」
「ここに残るわ!」

真吾は運転手への無線を取った。
「降りる!」

だが、予測していたことだった。

 最後部のハッチが開き、彼は走りだした。病院は遠くだが、瞬時に辿り着く勢いだった。

 事務長のシナジーは、あえて驚かなかった。
「・・・・・やっぱ、そうきましたか」

ユウも、同様だった。

「あいつは、初めて自分で居場所を選んだんだ・・・」
「院長に収まることになりそうですね」
「俺の居場所は、どこなんだろう・・・」
「ちょっと辞めんといてくださいよ先生!さっそく1人失ったんですから・・・」

 真吾は、どんどん加速していき、解散寸前の人ごみの中に入っていった。


 奈良の僻地の、120床の老人病院。かつてこの病院を擁したグループは、とある病院グループと覇権を争い・・・住民投票でその地位を勝ち取った。以後、村は活気で溢れ人口は増加、平和が続いていくかのように思えた。

 やがてその経営権は自治体へと移り、1年が経とうとしていた・・・。



< EMER-Z-ENCY FALLS >

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